穴の開いたこの身では、愛はただ零れていく   作:ブラウン・ブラウン

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第8話【愛に絡まれ沈んでいく】

 下校のチャイムが鳴った。20分くらい前のことだったか。

 大多数の生徒はもうクラスの教室から出て、下校を始めている。

 残っている生徒は、クラブ活動をしているか、今日の授業で分からなかったところを先生に質問しに行っているか、それか……、

 

「気持ち悪いんだよ!」

 

──押される。

 

「そんな汚い足で学校に来るなよ、”靴下”!」

 

──叩かれる。

 

「コイツの持っている棒、使えんじゃん。さすが ”棒人間” だな」

 

──突き飛ばされる。

 

「ちょ、こっちに飛ばすなよー」

 

 ここでボクを囲んでいる ”みんな” くらいだろう。

 校庭の隅、体育館の隣にある体育館倉庫の近くで、ボクを見て笑っている。

 口々に聞こえてくるのは、ボクの名前ではなく別の呼び名。

 

 ”靴下” そして”棒人間”。

 それがクラスのみんなに付けられた、ボクの新しい名前だった。

 

 そして──、

 

「ホント気持ち悪いよ、お前」

 

 みんなの中央にいる、一番仲良くしていた彼。ボクの松葉杖を両手で持って、ボクのお腹めがけて振り抜いてくる彼。

 ボクの人生の支えだったタイガは、ボクの人生の敵になった。

 

「てか、そろそろゲームする時間無くなるし、帰ろうぜ」

 

「そうだな、こんなやつ相手にしてる場合じゃなかったわ。今日はタイガん家だっけ?」

 

「おう! 今日も負けないぜ!」

 

 いじめるのにも飽きたのか、持っていた松葉杖をボクに投げ捨てて、和気あいあいと立ち去っていく。いや、立ち去っていく音が聞こえる。

 頬が地面の砂利について、視界の9割が灰色の地面で埋め尽くされている。倒れた体は杖を叩き付けられた痛みで動かすこともできない。

 

「うぅ ぁ……」

 

 痛い。痛い。

 叩かれた肩も蹴られたお腹も、倒された衝撃で裂けた足のカサブタも痛い。

 けれど一番痛いのは、心。

 

「とも だ、ち……」

 

 1年間一緒のクラスで過ごした、友達だと思っていた。

 心がヅキヅキする。足の痛みに似た、出血しているように痛む。心も出血しているんだろうか。

 

 いっそ血が出てくれたなら。

 目に見えてケガをしているのが分かるし、カサブタが少しかゆくなるけどいつかは治る。薬も塗れるし飲み薬も飲めるのに。

 

「げほっげほ……っぷ」

 

 口の中に入った砂利が気持ち悪い。

 

「……あ?」

 

 灰色が占める視界の端に、何か黒いものが入ってきた。

 痛む体をわずかに傾けて、その物体を視界の中央に寄せて見る。

 それは、アリだった。

 

 どこにでもいる、虫の代表格みたいな存在の生き物。学校で一番見かける虫だと言ってもいいかもしれない。

 足が6本あるとっても小さな生き物。

 そう、足が2本しかないボクとは違って、足が6本もあるのに……、

 

「どうして、そんなに足が遅くいられる、の……?」

 

 足が6本もあるという贅沢。なんて贅沢なんだろうか。

 ボクだったら6本もあったら、絶対もっと速く走れるのに。そしたら、そしたらもしかしたら、お仕置きされなかったかもしれないのに……。

 

 痛みをこらえて、手に足が伸びる。

 痛みを思い出すこの足。けれど今になってどこか懐かしさ、というのか温かさみたいなのを感じる。

 痛い。痛い。足も体も心も痛い。

 泣きたいぐらい痛かったのに、なぜか温かさを感じて涙が引っ込んだ。

 自分でも意味が分からない。けど、1つやらなきゃいけないことを思い出した。

 

「そうだ。走らなきゃ……」

 

 ゆらゆらと体を起こしていく。

 近くに落ちている杖を手繰り寄せて、足の裏をふんだんに使って地面を踏みしめ立ち上がる。

 やらなきゃいけないことがある。そのためにはうずくまっている暇はない。

 だって、ボクは ”せかい” を取らなきゃいけないんだから。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ただいま」

 

「おや、おかえり。遅かったわねぇ。久しぶりに友達と出会えて楽しかったかい?」

 

「うん、楽しかったよ」

 

「そうかい、それは良かった良かった。もう少しで晩ごはん出来上がるから待っててね。今日はハンバーグよ」

 

「やったー、ちょうど食べたいと思ってたんだ」

 

 ちゃんとおばあちゃんと会話できているだろうか。痛む足と自分の情けなさに、すべてが上の空になる。

 

「じゃあボク部屋で待ってるね」

 

 そうおばあちゃんに言い残し、手を洗ってから自分の部屋に入っていく。

 ドアを閉めて、おばあちゃんからボクの姿が隠れたことを確認する。

 

「さぁやらなきゃ、な……」

 

 走り終わった後でやることはもちろん1つしかない。

 机の引き出しを開けて、思い出の品を取り出す。

 

「ええっと、今日のタイムはこれだったから」

 

 昨日と今日を引き算して、その差分の個数を数えて取り出していく。

 ギラリ、とはもう光らない。ボクの血で黒く固まっているから。でもその鋭さは全く失っていないもの。

 もちろん”画鋲”だ。

 

 心臓が高鳴る。けど仕方ない。

 頭の中で、『世界を取れ』とおとうさんとおかあさんの声が聞こえてくる。そんな気がするんだ。

 でももう、2人はいなくなってしまった。

 だから──ボクがやらなくちゃいけないんだ。

 

「ぐっ、んああぁぁああ!」

 

 声は殺さなきゃ。おばあちゃんに気づかれてしまう。とっさに袖を噛みしめて声を抑える。

 そしてそのまま、1本また1本と刺していく。

 

 やりたくない。でもやらなくちゃ。

 声が聞こえるから。”せかい”を取らなくちゃいけないから。

 そうだ、きっと ”せかい” を取れば、みんなとまた仲良くなれるかもしれない。

 

 でもどうすれば……?

 ボクにはアリと違って、足は2本しかない。体のパーツだから後4本取り付けることもできない。

 毎日頑張っているのに、最近はもうタイムが早くなっていない。これじゃあいつまで経ってもおかあさんたちの期待に応えられない。この声が消えない。

 

「ごはんできたわよー」

 

「っ! はーい今行くねー」

 

 扉を隔てておばあちゃんの声が聞こえた。

 まだ途中だったけど、さすがにこれ以上時間をかけていたら心配をかけてしまう。

 そこら辺にあるタオルをきつく足に巻いて、その上から靴下を、本物の靴下を履いて食卓へ向かう。

 

「祝・学校に行けた記念! ってことで、おばあちゃん頑張ってデミグラスソースも作ってみたのよ。よかったら食べてみて」

 

「うわ~よく分からないけど、すっごいおいしそう!」

 

 初めて見る黒っぽいソースがかかったハンバーグ。以前は脂分が多すぎる、と半年に一回くらいしか食べさせてもらえなかったからテンションが上がる。

 それともう1つうれしいことがある。

 テレビが点いているのだ。しかも走っている人が映っているのではなく、1回だけ見たバラエティ番組というやつ。

 興味津々でテレビの画面を見ていると、上の方に突然文字が出てきた。

 

「あーそんなものがあったねえ。この駅はここから近いし、せっかくだから申し込んでみるかい?」

 

 と、おばあちゃん。聞けば臨時のニュースが入ると、こうやって上の方に文字が出てくるらしい。

 そこにはこう書いてあった。

 

『○○駅に開通予定の世界最速のリニアモーターカーの試乗会の抽選が、明日12時から開始されます』

 

「……っ、うん! 行きたい!」

 

「そうかいそうかい。じゃあ明日申し込んでみようか。さっ、テレビもいいけどご飯冷めちゃうわよ」

 

 ”世界最速”。これを使えば、ボクも最速に……そうすれば、また……。

 

 




次の話で最後となります。
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