NEMESIS   作:オンドゥル大使

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第百六十二話「ロスト」

 

 最初に感じたのは、寒い、であった。

 

 唐突な目覚めの後、湧き上がってきた感情は、今、自分はどうしているのか、という確認である。ユキナリはベッドに寝そべっていた。滅菌されたような白い天井が視界に広がっている。身を起こすと病室を思わせる部屋の窓辺のカーテンが揺れている。風があるのだろうか、と目線を向けていると気配を感じて振り返った。

 

 ドアの前にキクコが佇んでいる。身体に引っ付いたような黒いスーツを身に纏っている。今までの記憶の中にあるキクコとは印象が違う姿だが、間違いなくキクコであった。

 

「……やっぱり助けたんじゃないか」

 

 ユキナリの呟きにキクコは、「こっちへ」と身を翻す。ユキナリはベッドから起き上がろうとして、自分の衣服が既に整えられている事に気づいた。今まで旅を続けていたのと同じ、白いワイシャツに茶色のズボンである。ベッドの傍にはスケッチブックが置かれていた。スケッチブックはイブキ達に渡された時の状態のまま、袋に包まれて保存されている。スケッチブックを手に取り、ユキナリは先を急ぐキクコの後姿を追った。

 

 病室を出るとキクコは迷いのない歩調でエレベーターへと向かっていく。その際、キクコは無口だった。自分と出会っても、何も変化などないように。だがヘキサの面々の無口とは違う。彼らはユキナリを嫌悪していた。キクコはユキナリを否定しない。それだけでもまだマシに思える。

 

「あのさ、キクコ」

 

 自分から口火を切ったがうまい言葉が出てこなかった。キクコが、「何?」と振り返る。

 

「ここってどこなの? 何だか……」

 

 そこから先を濁したのは飛び込んでくる光景がどこか退廃じみていたからだろう。病室以外は廊下もエレベーターも旧式でばらけたパズルを組み合わせたようだ。

 

「わざとどこなんだか分からないようにしているみたいで」

 

 ユキナリの印象に、「これから会う人に聞けばいい」とキクコは答えた。これから会う人、とは誰なのだろう。そんな疑問を抱きながらエレベーターに乗る。エレベーターは地下へと続いており途中、ゴゥンゴゥンと低い音が連鎖した。

 

「海鳴り、かな」

 

 それとも何かを汲み上げる音だろうか。海だとするのならばセキチクシティからそうそう離れていない事になる。

 

「そういや、キクコ。使っていたのゲンガーじゃないんだね」

 

 自分を奪還するのに使ったポケモンは見た事がなかった。キクコは、「ムウマージ」と口にする。

 

「それがこの子の名前」

 

 ホルスターに留められているモンスターボールは赤と白の二色で構成されている新型だった。ユキナリはぎょっとすると共にあれから三ヶ月経ったというナツキの話も嘘ではないのかもしれないと思い始めた。

 

「でも、だとしたら何で僕は三ヶ月も」

 

 眠っていたのか。それだけが解せない。キクコも助け出せた。メガゲンガーもどうやら倒したらしい。だがキクコに以前のようなものを感じない。どこかしら余所余所しいのだ。初めて会った時だってもう少し愛嬌があったのに。

 

「あの、キクコは何していたの?」

 

「命令を待っていた」

 

 にべもない返事に、「命令、って」と会話を続けようとする。

 

「それって誰か、その、先生とかの命令?」

 

「先生?」

 

「うん、先生。ほら、キクコ言っていたじゃないか。先生の言う事は絶対だとか。怖いものは仕舞っちゃいなさいだとか」

 

 キクコの口癖を一々思い出しながらユキナリは会話の糸を途切れさせないようにする。だがキクコは言葉少なだった。

 

「先生って、誰?」

 

 その質問にユキナリは答えられない。何故ならば、一度としてキクコから詳しい事は聞いていないからだ。

 

「えっと……、先生は先生だって、キクコ言っていたし」

 

「そうなの」

 

 そこで会話は途切れてしまった。キクコはエレベーターを降りてそのまま狭苦しい廊下を進む。パイプが生物の血管を思わせる密度で巡っている。そこらかしこから低い音程が響いた。

 

「ねぇ、ここは地下なの?」

 

「そう」

 

 キクコは答える気がないのか、それとも答えようとしないのか分からない。だが、ユキナリにはキクコとまた話せるだけで意義があった。

 

「キクコはさ、ここの事知っているの?」

 

「知っている?」

 

「うん。だってさっきから迷わずに道案内してくれるし」

 

「命令だから」

 

 キクコと共にユキナリは回廊を進んだ。その中にはガラス張りの廊下もあり思わず足場を気にした。

 

「あの、ここを通るの?」

 

「いけない?」

 

「いけなくはないけれど、でも僕はあんまり高いところは好きじゃなくって」

 

「そう」

 

 キクコは自分に興味がないのだろうか。再会の喜びもなく、最低限の感情表現だけでキクコは済ましている。ヘキサの面子ほど恐々としたものはないが、それでもユキナリからしてみれば充分に不気味だった。

 

 その時、不意に誰かの鼻歌が聞こえた気がした。立ち止まり、ユキナリはガラス張りの床へと視線を落とす。ちょうど交差する形の通路でポケモンの彫刻の前に座り込んでいる人影を見つけた。どうやら鼻歌の主はその人物のようだ。ユキナリが見つめていると相手も気づいたのか振り返ってくる。

 

 少年、と最初は感じたが青年、と言っても差し支えない外見だった。若々しい、と呼ぶにはどこか老練じみた印象のある眼差しがユキナリを見据える。その眼に敵意はない。むしろ、慈愛に満ちていた。突然目線が合ったものだからユキナリは目をそらし、そそくさとキクコの後ろについて行く。すると両開きのシャッターがあり、入ると椅子に座りこんでいる一人の大人がいた。帽子を被っており、サングラスをかけている。視線は読めないがユキナリの事を興味深そうに眺めてから口を開いた。

 

「やぁ、連れてきてくれたか」

 

「命令だったので」

 

 キクコの言葉の淡白さを全く意に介せずその人物は立ち上がり、「君が、オーキド・ユキナリだね」と声にする。

 

「あ、はい。僕ですけれど……」

 

 それが何かあるのだろうか。ユキナリが訝しげに眺めていると彼は立ち上がりユキナリへと歩み寄ってきた。思わず身構えると差し出された手にきょとんとした。

 

「はじめまして。俺はカツラ。ここでポケモンの研究をしている酔狂な研究者さ」

 

 カツラ、と名乗った男の手に視線を落としていると、「毒はないよ」と彼は肩を竦めた。手を握り返し、「オーキド・ユキナリです」と自己紹介する。

 

「知っている。君が眠っている間に色々と調べさせてもらったけれど、なるほど、外見上はオーキド・ユキナリと大差ない」

 

 外見上は、という言葉に引っかかりを覚えたがそれを解明する事はなくカツラは近場のコーヒーメーカーへと歩み寄ってカップに注ぐ。

 

「飲むかい? それとも苦いコーヒーは苦手かな?」

 

 カツラの勧めに、「いえ、飲みます」とユキナリは受け取った。湯気を立ち上らせるコーヒーの表層を眺めながら、「あの」と口を開く。

 

「うん? どうかした? お気に召さないのならば」

 

「いえ、いただきます」

 

 ユキナリはコーヒーを口に含む。苦味が走りながらもほのかに酸味も感じさせた。

 

「すまないね。これくらいしかもてなしが出来なくって」

 

「いえ、僕は別に。……あの、ここはどこなんです?」

 

「ロケット団だよ」

 

 カツラの放った声にユキナリは肌を粟立たせた。まさか、ロケット団に捕らえられるとは思ってもみなかったのである。だがカツラは取り乱す事はない。

 

「ロケット団、と言ってもその末端かな。研究所だよ。グレンタウンにある」

 

「グレンタウン……」

 

 確かマサラタウンの南の沖にある島だ。どうしてそのような場所に自分が連れてこられたのだろう。カツラは、「ヘキサの連中に、拷問でもされたのかな」と口にした。

 

「随分と俺を警戒しているから」

 

 警戒していたのは事実だがヘキサに何かをされた、と言えばこめかみの装置くらいだ。他には何もされていない。少なくとも記憶の範囲内では。

 

「いや、その、失礼だったのならば謝ります」

 

「失礼だなんて。俺は君を買っているからね」

 

「買っている、って」

 

「言葉通りの意味だよ」とカツラは椅子に座る。手元の機器を操作し、「君は特別なんだ」と呟いた。

 

「特別……」

 

「選ばれた存在、とでも言うべきか。俺は選ばれなかった。だからこうして君と会っている。会って、話をする程度しか出来ない」

 

 選ばれた、と言われても自覚はまるでない。何をするべきなのか。自分に何が出来るのか。ユキナリは考えながらコーヒーを啜る。

 

「どうかな?」

 

 味の事を聞いているのだと分かり、「おいしいです」と答える。実際にはユキナリには苦いくらいだったがこれがコーヒー本来の味なのだろう。

 

「俺が君を信頼させられる存在でない事だけは確かかもしれない。ここがロケット団云々の話よりもね」

 

 カツラは客観的に物事を見る目を持っているようだ。ユキナリの考えている事などお見通しなのだろう。妙な隠し立てはせずにユキナリは、「あの」と口を開いた。

 

「僕は、何のためにここに連れてこられたんですか?」

 

「先ほども言った通り、君は特別なんだ。特異点、と呼ばれていてね」

 

「それ、ヘキサでも聞きました。何なんです?」

 

 質問にカツラは、ふむ、と一呼吸挟む。

 

「説明は、彼からしたほうがよさそうだな」

 

 カツラが視線を振り向ける。ユキナリが振り返るとそこに立っていたのは先ほど鼻歌を口ずさんでいた少年だった。気配もなかった。

 

「さっきの……」

 

「君は然るべき時に、彼と共に行動する事になる」

 

 全く説明になっていない。ユキナリは、「行動って」と懸念を口にする。

 

「まさかヘキサと敵対するなんて事はないですよね?」

 

「心配はもっともだろうが、俺達はヘキサを敵視しているわけじゃない。向こうが勝手に敵対関係を作ろうとしているだけだ」

 

 カツラの言葉にユキナリは気持ちが凪いでいくのを感じた。よかった。ナツキ達と戦わないで済むのならば。

 

「だがこれだけでは君は俺達を信用しないだろう。これを渡しておく」

 

 カツラが懐から取り出し、ユキナリの手に掴ませる。それを目にしてユキナリは瞠目した。そこにあったのは灼熱の色に染められたバッジだったからだ。

 

「これは……」

 

「クリムゾンバッジ。俺のバッジだ」

 

 その言葉にユキナリは改めてカツラを見やる。カツラは、「もう一つの顔があってね」と微笑んだ。

 

「このグレンタウンのジムリーダー、カツラ。それが俺だ」

 

 意想外の言葉にユキナリは開いた口が塞がらなかった。バッジを二度見すると、「本物だよ」とカツラが見透かした声を出す。

 

「そりゃ疑わしいだろうけれど。何ならポケギアを翳してみるといい」

 

 その段になって自分がポケギアを携帯していない事に気づいた。所在なさげにするユキナリへと、「ポケギアならある」とカツラが手渡す。現行のタイプとは随分と違ったデザインだった。ユキナリが左手首に装着するとすぐさまユーザー認証の画面に入り、パスワードを入力してポケギアの機能を呼び出す。

 

「翳してみるといい。本物だって分かる」

 

 カツラの言う通りにユキナリはポケギアを翳す。すると固定シンボルポイントが自分のポケギアへと入った。

 

「50000ポイント……」

 

 驚くべき数値に、「おかしな話じゃないさ」とカツラは応じた。

 

「ここまで来るのには波乗りか定期便しかない。それに、波乗りならば強敵揃いのふたご島を攻略しなければならない。自然とそれなりの力はついているものだよ」

 

 ユキナリは服にバッジを留めようとして最初のグレーバッジがない事に気がつく。

 

「あれ、グレーバッジ……」

 

 ヘキサに持ち出されたのだろうか。そう考えていると、「キクコ」とカツラが呼びつける。キクコは二つのバッジを持っていた。ユキナリの所持していたグレーバッジ、それに見た事のないピンクのバッジだ。

 

「セキチクシティジムのバッジだよ。君が持っているといい」

 

 カツラの言葉に、「でも、セキチクを攻略したのは、僕じゃ」と遠慮しようとすると、「持つべき者が持つのが相応しい」とカツラは笑った。

 

「生憎、研究者である俺には興味がない。玉座ってのを狙っているんだろう?」

 

 ユキナリは厚意に甘えて三つのバッジを襟の内側につける。ポケギアを翳すと合計所有ポイントが表示された。

 

「十万の大台を超えた……」

 

 カツラが拍手をして、「おめでとう」と称える。

 

「十万あれば、リーグ戦はほぼ確定と見ていいだろう」

 

「でもいいんですかね。何だかずるしたような気分で……」

 

 釈然としないでいると、「なに、君の実力さ」とカツラはコーヒーを呷った。

 

「これからしてもらう事に協力するための、前金と考えてもらってもいい」

 

「前金、ですか」

 

 嫌な予感のする言葉だが、「また説明するよ」とカツラは言い置いて機器へと向き直った。

 

「今日はここまでだ。わざわざすまなかったね」

 

「いえ、僕のほうこそ。ヘキサから助けてもらったみたいで」

 

 恐らくはカツラの計らいなのだろう。ヘキサから自分を奪取して何の目的があるのかは分からないが、あの場所にいるよりかはずっとよかった。

 

「部屋は用意している。キクコ、案内を頼む」

 

「はい。ユキナリ君、こっちへ」

 

 キクコに案内され、ユキナリはその場所から離れた。カツラと少年だけが取り残され、ユキナリは同じ棟にある小部屋へと移された。滅菌されたような白い部屋で、ベッドがあるだけだ。扉があり、鍵はかけられない様子だった。

 

 キクコが連れてくるだけして踵を返す。その背中を呼び止めようとしたがうまい言葉が見つからずユキナリはベッドに寝転がった。間もなく眠りはやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「前金、か。随分とせこい真似を考えたね」

 

 フジの言葉にカツラは肩を竦める。

 

「どうせ俺には必要のないものさ。玉座には興味がないし、この場合、最も活かす手立てはオーキド・ユキナリの手にあることだ」

 

 とはいえ、これを考え付いたのはカツラではない。もちろん、フジだった。

 

「見せなくてよかったのか?」

 

 カツラが問うたのはユキナリがいずれ使う事になる力の象徴だった。下階で眠っている気配を感じ取り、フジは虚空に声をかける。

 

「ミュウツー。見ていただろう?」

 

(ああ。あれが特異点か)

 

「興味は?」

 

(あれがお前以上に私を使えるのだとすれば、興味はあるな)

 

 ミュウツーの声にフジは口元に笑みを浮かべて、「でも、違和感はなかったかい?」と訊いた。

 

(違和感、とは?)

 

「オーキド・ユキナリ君は以前までの彼とは違うんだよ。オノノクスと完全同調を果たし、破滅の扉を開こうとした。その後、三体のポケモンに還元され、さらに復元を果たした存在だ。正直、人間という定義から外れた位置にいる」

 

(だからこそ、お前が興味深いのだろう?)

 

 ミュウツーの正鵠を射る言葉にカツラが笑い声を上げる。

 

「違いない。一番に彼と接触したいのはお前だ」

 

 からかう声にフジは、「だとしても、さ」と答える。

 

「お膳立てを整える手伝いくらいはしてもらえるんだろうね?」

 

「ああ、構わない。だが、どうする? もし、彼がお前の思い通りにならなかったとしたら」

 

「なるよ。彼はそうなる。そうせざるを得ないはずだ」

 

「その根拠はどこに?」

 

 問いかけるカツラへとフジは言ってのける。

 

「決まっている。彼が、オーキド・ユキナリだからだよ」

 

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