NEMESIS   作:オンドゥル大使

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第百七十話「黎明の空」

 

「あっちゃー。酷い有様だ」

 

 研究所の最深部に続く縁で張っていたナタネが手をひさしにして荒れ狂う赤い嵐の中を眺める。

 

「傍観者決め込むつもりですか、ナタネさん」

 

 メガハッサムを伴って上ってきたナツキが言葉を返す。ナタネは唇をすぼめる。

 

「だからってあたし達に出来る事ってもう少ないじゃん? 航空母艦ヘキサの援護に回る? それとも、ユキナリ君を助け出す?」

 

「両方です」

 

 ナツキは応じてメガハッサムの活動時間を確かめた。残り一分を切っている。視界の端に映っているミュウツーのメガシンカ形態を止めるには時間が足りない。

 

「ナタネさん。ガキユキナリを頼みます」

 

「いいけど……、航空母艦の援護に回るの? ナツキちゃん的にはユキナリ君を助けたいんじゃないの?」

 

「今は」

 

 ナツキは拳をぎゅっと握り締める。

 

「やれる事を最大限にやるしかないですから」

 

 自分にはあのミュウツーを止める事は出来ない。時間もない。決断が迫られていた。ナタネはその逡巡を察したように、「あたしだってうまく出来るかは分からないよ?」と言う。

 

「少なくともメガシンカの時間が限られているあたし達よりかは立ち回れるでしょ」

 

「どうかな。マサキさんが開発した破壊の遺伝子とかいう道具の入った弾丸も通用しなかったし」

 

 先ほどの種爆弾に紛れ込ませていた道具だ。マサキ曰く「ミュウツーを倒す唯一の術」であったらしいが望み薄だろう。マサキの頭脳をもってしても理解出来ない存在がミュウツーなのだ。

 

「本来なら内部分裂を起こすはずらしいけれど、それどころかメガシンカしたっぽいし」

 

「あたし達は、最後まで抗うだけよ。ナタネさん。ユキナリを頼むわ」

 

 託す事は何よりも辛い選択だったが、今はナタネを信じる他ない。ナタネは、「全力でやるまでだね」とロズレイドを伴って駆け出した。ナツキもメガハッサムと共に駆け出す。メガハッサムが地面を蹴りつけ航空母艦へと攻撃を仕掛けるムウマージに取り付いた。だが、ムウマージは霧となって攻撃を回避する。つんのめった身体を翅の振動を利用して立て直し、背後へとハサミを払った。実体化しようとしていたムウマージの身体をハサミがくわえ込む。

 

「もう逃げられないわよ!」

 

 ナツキの声に影から現れたのはキクコだった。だが、キクコはもういない事は聞かされている。迷いはなかった。

 

「ムウマージの動きを封じれば、あんたが出てくるほかないわけだけれど、どうするの? このままムウマージを破壊して同調しているあんたの命も奪ってしまうかもしれない」

 

 それでも手心を加えたのは一緒に旅をした同情からか。キクコは機械のように聞き返す。

 

「知らない……。こんな時、キクコならばどうするの?」

 

「それこそ知らないわよ! 自分で考えなさい!」

 

 ナツキの言葉にキクコは、「自分で、考える……」と呟いたかと思うと影に紛れ込ませていた自分を地表へと放った。同調の範囲から離脱したせいだろう。ムウマージの挙動に迷いが見え隠れする。ナツキは思い切ってムウマージの頭部をハサミでくわえ込ませ、雄叫びと共に引き千切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フジ君……」

 

 いくら言葉を弄してももう遅い。それは分かっていたがユキナリは最期の瞬間までフジを諦められなかった。自分の代わりに死ぬ命。それほどの価値が自分にはあるのか。フジが生きていたほうがこの先、人類の、みんなのためになるのではないのか。その天秤にフジは否と言った。

 

「いいんだ。生と死は等価値なんだ、ボクにとって。自らの死こそが絶対的自由でもある。ボクが生きていたところでまた誰かに利用されて第二、第三のミュウツーを造り出すだけだ。悪魔の手なんだよ、ボクの手は。でも、君は違う。希望を作り出す事が出来る」

 

 ユキナリは首を横に振った。自分に出来る事など何もない。フジと一緒ならば何もいらない。

 

「嫌だ……。僕一人で生きていられない」

 

「一人じゃないさ。君を支えてくれる人達はたくさんいる。人の縁が君を導くだろう」

 

 ユキナリは頬を熱いものが伝うのを止められなかった。止め処なく涙が溢れてくる。

 

「そんな顔しないで。また逢えるよ」

 

 フジは柔らかく微笑んでいる。天使の輪が収縮しようとする。フジはポケギアを使い、ミュウツーをコントロールしようとした。バラバラに砕けた強化外骨格を構成し直し、ミュウツーの力を制御しようとする。強化外骨格の両肩の部分がスライドし、中から黒いボールが複数飛び出した。

 

「ミュウツーボールはまだボクの制御下にある。これで三体を再封印し、ミュウツーの体内に収まったメガストーンは無理やり抉り出すしかない」

 

 ミュウツーボールと呼ばれた黒いボールが三体を取り囲み、一瞬にして捕獲した。ミュウツーの右腕へと装甲が再び装着され、無理やりその腕を胸部へと伸ばそうとする。当然、ミュウツーは抵抗したが、ユキナリが必死に押し留めた。これぐらいしか自分には出来ない。だが、フジのためならば。

 

「ありがとう、ユキナリ君」

 

 右手が胸部を抉り込み、中から宝玉を取り出した。その瞬間、ミュウツーと同じ箇所に激痛を感じる。フジは右腕で宝玉を破壊した。瞬間、ミュウツーのメガシンカが解け、通常形態へと戻る。

 

「フジ君!」

 

 それと天使の輪が収束したのは同時だった。フジの頭部へと打ち込まれた天使の輪が頭部を破砕する。血飛沫がユキナリの視界を奪った。先ほどまでフジがいた空間には血溜まりだけで、もう彼の証明もなかった。

 

 三体の伝説を捕獲したボールが降下していく。それと共にミュウツー自体も落ちていく。このまま落下して死ぬのならばいいか、と諦観のうちに意識を沈めようとすると、「しっかりしろ!」と声が弾けた。ナタネのロズレイドがミュウツーに取り付き、花束の腕を突き出す。

 

「こんの! 食らえ!」

 

 弾丸が打ち込まれ、ミュウツーが内部から膨れ上がる。

 

「破壊の遺伝子は正常に作動した! ユキナリ君、手を!」

 

 ナタネが手を伸ばす。しかし、ユキナリは塞ぎ込んで首を横に振った。

 

「……もう、いいんです。僕に、生きる価値なんて」

 

「しっかりしろ。男だろ! ナツキちゃん一人くらい、助けてみせろ!」

 

 ナタネの声にユキナリは顔を上げる。

 

「ナツキ……」

 

 その手をナタネが無理やり取ってロズレイドと共にミュウツーを蹴りつけて離脱した。ミュウツーの身体が形象崩壊しようとした瞬間、思考に声が切り込んできた。

 

(さよならだ。どうやら私は、生まれるのが随分と早かったらしい)

 

 ミュウツーも意識を取り戻したのだろう。ユキナリは目をきつく瞑って答えた。

 

「ゴメンよ。結果的に君の命を弄んでしまった」

 

(いい。どうせ三十年後も同じ結末だろう。お前に、会えてよかった。オーキド・ユキナリ。未来を……)

 

 そこから先は言葉にならなかった。視界の隅でミュウツーの身体が弾け飛び、月を切り裂いた扉が閉ざされていく。次元を通じた回廊も閉じ、全てが嘘のような静寂が降り立った。ユキナリはロズレイドとナタネと共にグレンタウンの沿岸部に着地する。ナタネが、「ぺっぺっ」と口に入った砂を吐いた。

 

「やれやれだ。君も手間がかかるね。まぁ、ナツキちゃんも同じようなものだからいいけれど。にしても、破滅を二度も起こしかけるとは」

 

 ユキナリは言葉もない。俯いて沈黙を返している。ナタネがため息をついて後頭部を掻いた。

 

「こりゃ、あたしの手に負えないなぁ。ナツキちゃん! 早く、こっちに来てよ」

 

 ナタネの言葉に、「今、来ていますって」とナツキが返す。メガシンカは既に解け、ハッサムを伴っていた。ナタネは、「こりゃ、惨状だ」と周囲を見渡した。破滅の一歩手前まで行ったせいだろう。研究所は薙ぎ払われ、グレンタウンは瓦礫の山が積み上がっている。

 

 ユキナリは蹲ったまま、声を発する事さえも出来なかった。ナツキとナタネが視線を交わし合う。

 

「ナツキちゃん」

 

「知りませんよ。こいつの責任なんですから」

 

 突き放す物言いをしつつ、ナツキはハッサムをボールに戻す。ナタネはため息を漏らしてナツキの肩に手を置いた。

 

「でも、どうにか出来るのもナツキちゃんだけだって、分かっているんでしょ?」

 

 ナタネが離れていく。ナツキはその背中を見送っているようだったが、やがてユキナリに歩み寄り、その背中を蹴りつけた。

 

「あたしを助けてくれないんだ?」

 

 ユキナリはその言葉に返す事が出来ない。フジさえも助けられなかった自分に何が出来るのだろう。ナツキはほとほと呆れた様子だったが、やがてユキナリの背中を引っ掴んで無理やり立ち上がらせた。

 

「ほら、これ持って。航空母艦ヘキサの停泊位置まで行くわ」

 

 ナツキから手渡されたのは簡易キットだった。しかし、力が入らない腕ではそれらが滑り落ちていく。ナツキは苛立たしげに、「持って立つくらい出来るでしょ!」とユキナリの頬を引っ張った。だが痛みさえ、今は遠い。フジを失った衝撃が胸の中にぽっかりと穴を開けている。

 

「まったく」

 

 歩き出そうとしたナツキは足音を感知して立ち止まった。ユキナリも振り返ると、キクコが砂礫の大地を踏み締めていた。

 

「キクコちゃん、よね……?」

 

 キクコは、「そのはずだけれど」と淡白に返す。ナツキは、「聞いているわ」と応じた。

 

「記憶がごっそり消えている事。それに、あんたはもうポケモンに近いっていう事。でも、いいわ。付いて来て」

 

 ナツキがユキナリの手を引いて歩き出す。背中に背負っていたスケッチブックが地面に落ちた。だがユキナリには拾う気がない。もう無用の長物だった。背後でキクコが身じろぎし、それを拾ったのを感じ取る。

 

 三人は、滅びの誘発された砂浜に足跡をつけながら歩き出す。ちょうど黎明の空から光が折り重なり、明日が訪れようとしていた。

 

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