橋本を問い詰めてから数日が経った。その数日の間にも噂というのは広がっていき、この学校で知らないやつはいないんじゃないのかというぐらいになっていて、その感じが何処か不気味だった。坂柳ならば、ここら辺で第二の矢を撃ってきて敵を追い詰める。そう言う考え方をする人間だ。だけど、今、何も起こってはいない。これが坂柳への人物評価が間違っていたのか、綾小路が黒幕にいるということになっているのかは見当がつかない。クソ、早くしないと取り返しのつかないことになりそうなのに。
「……帰らないの?」
「ああ、ごめん。色々考え込んでた」
「……なら良いけど」
他の人たちに疲れは見せてないけれど、疲れてるだろう真澄にテンションを下げるような姿を見せる必要は無い。俺は真澄の日常としての役割を見せておくことを心がけておけば良い。俺は真澄の彼氏なんだから。
「……何あれ?」
「なんだろ……確認してくる」
俺たちが寮へと戻ると寮の玄関に人だかりが出来ていたけど、そこにいる人たちの様子からあまり良いことで集まっているようでは無かった。嫌な予感がした。坂柳の顔がちらつく。
「戸塚。何があったんだ?」
「あ、ああ、下関か。いや……こんなもんが全員の寮の中にな」
『一之瀬帆波と神室真澄は同じ罪を犯した犯罪者である』
戸塚から渡されたその紙を読んだ瞬間、俺は反射的にその紙を破っていた。真澄のことを何も知らないやつが、真澄がどんな風に生きて、どんなことを思って生きているのか大した知らないやつがこんなことを他多数にばら撒くな。
「下関……大丈夫か?」
落ち着け落ち着け。俺が真澄を知ったのは最近だ。そんな俺が真澄のことを代弁したかのような気持ちになるのは傲慢だ。違う、俺がしたいのはそんなことじゃない。真澄を貶されたくない、ただそれだけだ。
「真澄帰ろう。こんなところにいるべきじゃない」
俺は真澄の手を取り、寮のエレベーターへと登り込んでいく。真澄のことを知っているような人たちからは真澄は好奇な目で見られていたけれど、そんなことは関係ない。さて、ここからどう出るのが正解なんだろう。学校側に訴えかけるか? いや、真澄へと負担が大きすぎる。Aクラス全員に呼びかけるか?
いや、明らかに不自然で、坂柳にはとぼけられる。……そうか、こう言うときの為に俺は生徒会に入ってるんだ。南雲先輩に事の経緯を話してそっち方面から何かしらの警告を学校全体に出して貰えばいい。南雲先輩に俺の有能さを示さない案かもしれないけれど、もうそれは仕方ない。
「あれくらい気にしなくていいから。ただの嫌がらせだし」
「そんな訳にはいかない。俺の大事な彼女の真澄がこんな目にあって何もしないのは彼氏として失格だ」
「……そんなことをして、涼禅の目的に影響が出るぐらいなら何もしなくていいから」
「いや、この機を逆に使って俺の目的に近づけるようにする」
もう既に充分に返しが出来るだけの証拠は出された。ここからどう行動するかで反撃することも可能だ。探り探りやっていこう。
★ ★ ★
数日後の生徒会室。俺は一対一で南雲先輩と向かい合っていた。こんな感じの構図は何度目だろうか。南雲先輩に右腕を提案した時と合宿の時を合わせるとこれで三度目か。別に嫌では無いんだけど、これで最後にしたいとは思えるほどに嫌な緊張感を南雲先輩は出してくる。
「今回は何のようだ下関? あまり俺も暇じゃないから手短にしてくれよ」
「南雲先輩もご存知でしょう? 一之瀬帆波と神室真澄への過度な嫌がらせがあることを。俺はそれを看過できない事態だと考えています。このままエスカレートする前に何かしらの声明を南雲先輩からしてもらいたいです」
「その件は聞いている。大層な苦労のかかった嫌がらせらしいな。それで、お前の本音は何だ? 建前の意見なんて聞き飽きている」
やっぱり建前用の意見なんかじゃ南雲先輩には響かないか。だったら南雲先輩からの指定通り本音で頼み込まなきゃ支持は得られないだろうな。
「俺の恋人の真澄が嫌がらせによって傷ついている。そんな理由じゃ駄目ですか? 俺は事実無根とも言える真澄を守りたいだけなんです」
ほとんどが本音と言える俺の意見。青臭いとは分かっているこの意見だけど、その意見を聞いても南雲先輩はさしてリアクションをすることなく、口を開いた。
「臭いが嫌いじゃない意見だ。お前が1人の女の為にそこまでする人間だとはあまり想像してなかったが、綾小路への気持ち悪い執着を思うと納得出来るな。だが、生徒会が声明を出した程度でそいつは止まるのか? 犯人にもう目星はついてるんだろ?」
「ええ、ついてます。というより、南雲先輩も薄々勘付いてはいますよね? 犯人が大した人間で無いのなら、南雲先輩はこの話に対してここまで時間はとらないし、この問題に興味は持ちませんから」
この会で俺がしなくちゃならないのは南雲先輩から協力をとりつけることだ。その為なら多少の嘘は言うし、本音と建前は使い分けなきゃならない。だけど、南雲先輩からは嫌われてはならない。本当に難題ばかりの交渉だな。
「流石、生徒会所属なだけはあるな下関。だが、少し惜しいな。俺はこの騒動における犯人は知っているし、一時的に関与すらもしている。俺がこれを言ったことの意味が分かるか? 下関」
南雲先輩が犯人と関与しているのにも関わらず俺に対して色々聞いてきた意味……はっきり言えば大した根拠も無いし分からない。でも、南雲先輩の性格ならという予想なら出来る。
「たかが一年生の争いだと思って高みの見物をしてますよね? 南雲先輩の言っていることが真実なら、南雲先輩の行動は犯人や俺にも味方していない行動です。この状況を楽しんでますよね?」
ついつい語彙を強めてしまい、嫌みな言い方をしてしまった。協力を取り付けたいのにこれは駄目だな。だけど、真澄に嫌なことをしていると思われる坂柳に南雲先輩が関わっていると分かった上で冷静な発言を出来るほど大人じゃない。
「やっと本音で話す気になったか? だが、まぁお前の言う通りだ。俺はこの状況を楽しんでる。2年の掌握は終わり、堀北先輩との勝負も終わった。今の俺にはこの学校に対する大した魅力を感じていない。だから、退屈を無くす意味も込めて坂柳に協力してやったまでだ」
「……何言ってんだよ……何言ってんだよ。あんたの退屈を紛らわす為に真澄は学校から変な目で見られたっていうのか? 本気で言ってるのか? 俺が真澄のことで怒らないとでも? あんたのことを軽蔑したくなった」
南雲先輩の理由を聞いて、つい睨みを聞かせながら喧嘩腰で全てを吐き出してしまった。落ち着け、落ち着くんだ。だけど……これはもう遅いか。南雲先輩からは協力を得られそうにない。いや、南雲先輩が坂柳と繋がっていると知れただけでも御の字だな。
「ありがとうございました南雲先輩。失礼な態度を取ってしまいすみませんでした。でも、俺はやれることをやることにします。また何か聞きたくなったら連絡します」
頭を冷やす意味でも考えを纏めたい意味でも生徒会室から礼をしつつ出て行く。こんな風にカッとなってしまったのは初めてだった。いや、後悔はしちゃいけない。また新しい手を考えていかないといけないな。
「俺とお前は少し似ていると思わずにいられないな下関」
★ ★ ★
下関が南雲と会った次の日の放課後。特別棟に二つの影があった。その影の一つは杖を持った小柄な女子、もう1人は態勢を崩さない大人びた女子。2人は相対しはしたものの、数分は口を開かなかった。
「こんなところで油を売っていてよろしいんですか? 明日はバレンタインですよ?」
「気にしなくて良い。ちゃんと夜に準備ぐらいするから」
「そうですか。なら、気にしません。それで……何の為に呼んだのですか?」
小柄な少女坂柳は少し笑みを崩すように神室に問いかける。そんな返しに対して大人びた女子神室は坂柳は全てを分かった上で楽しんでいるのだと当然のように理解した。
「分かってるでしょ。私と一之瀬に対する誹謗中傷をやめてほしいんだけど」
「あなたがそんなことを言うなんて意外でしたよ神室さん。こんなことに感心を持つなんて」
「別に……」
神室とて自分1人が誹謗中傷されるならとっとと認めるか、無視を決め込んでいただろう。しかし、今回のパターンでは神室が認めれば一之瀬まで同じように事実だと認識されてしまう。それは非常にばつが悪かった。もっと言うならば、下関にもあらぬ疑いがかかるのを避けたかったのもあった。
「あんたがやったんでしょ? もう充分だから、やめてくれない?」
「本当に変わりましたね神室さん。ですが……そう言われてもやめる訳にはいきません。これは私の予想なんですが、犯人の方が一之瀬さんを狙う動機としてはBクラスのリーダー潰しで、神室さんを狙う動機としては裏切ったことに対する報いですかね」
神室に録音されている可能性も考えてあえて仮定の話をして明言を避ける坂柳。そういう言い方もそうした動機も予想していた通りだったのか、神室は軽くため息を吐くと、少しずつ坂柳に近づいていく。
「別に一之瀬と私に何をしようがあんたの自由。そういう報いだと思ってるし。でも、涼禅に手を出すのだけは辞めて。涼禅は綾小路と勝負すべきだと思ってるから」
「ええ、その点は私も賛成です。私から下関くんを狙う事はありません。これから先も」
交渉ごとというよりも言いたいことを坂柳に言えたことで、もうここにいる意味が無くなった神室は足が不自由な坂柳を前のようにエスコートしながら歩いて行く。寮までのその道のりに会話は少なかった。
「こうして神室さんに助けてもらうのは久しぶりですね。ですが、もうしてくれないのですよね?」
「これで最後。あんたと私は今日限りだから。もう次は見つけているんでしょ?」
「査定中ですね。適当な人材が見つかるといいのですが」
そして、2人はついに坂柳の部屋の前まで来てしまった。今回の特別棟から寮までの距離は今まで2人で歩いた距離に比べれば大したものでは無かったが、2人ともが長く感じるものには違い無かった。
「では、今までありがとうございました神室さん。私は裏切り者には容赦するつもりはないので」
「あんたとの生活も退屈しなかった。でも、涼禅に手を出すなら私も容赦する気はないから」
2人は背を向け合い別れていく。2人の関係性は歪でお互いに複雑な思いを抱き合っているのかもしれない。しかし、ここにその関係性は切れた。2人の間に残ったのは泥々とした何か、それが円満に取れることはもう無い。
これで神室は坂柳から離反し、坂柳派でも無くなりました