001
中立商業都市、フューレン。
高さ二十メートル、長さ二百キロメートルの外壁で囲まれた大陸一の商業都市である。あらゆる業種がこの都市で日々しのぎを削り合っており、夢を叶え成功を収める者もいれば、あっさり無一文となって悄然と出て行く者も多くいる。観光で訪れる者や取引に訪れる者など出入りの激しさでも大陸一と言えるだろう。
愛子達一行は、現在拘束している清水を王都に送るためにウルの町から出た。数日馬車を走らせ、今は消費した水や食糧の補給のためにフューレンに立ち寄ろうというところだ。
フューレンの騒々しさ、もとい賑やかさはホルアドのメインストリートに負けず劣らずのもので、高く巨大な壁の向こうから、まだ相当距離があるというのに町中の喧騒が外野まで伝わってくる。
そして、門前に出来た相変わらずの長蛇の列。唯の観光客から商人など仕事関係で訪れた者達まであらゆる人々が気怠そうに、あるいは苛ついたように順番が来るのを待っていた。
そんな入場検査待ちの人々の最後尾に、豊壌の女神や神の使徒を乗せるべき豪奢な馬車が二台並べば、前方の商人達が目を丸くして見るのもおかしいことではないだろう。
どこの誰なんだと、前に進むのも忘れて馬車の様子を見ているが、中から誰かが降りてくる様子はない。馬に乗っている軽装備な男が苦笑いを浮かべながら前を示すハンドサインをすると、馬車より前で並んでいた者達が急いで前へと駆け込む。
馬三頭分は開いたであろう隙間を詰めるように馬車が走り出すと、中から男の声が聞こえてくる。
「なーんで人間ってアホは、効率化より行列化を好むのかねぇ」
うんざりとした、呆れまじりの声に女の声が返す。
「効率化を望む者が効率化できる場所にいないからですよ。血と汗と涙は努力の証。金と女と美味しいご飯は地位の証。住む場所が違うんですから、この行列だって見えていませんよ。私たち日本人に海外の戦争が目に見えないようにね。支援は出来ても介入は出来ないのです」
女の厳しい言葉に、心なしか街の喧騒までもが静まりかえったような錯覚に襲われ、馬車の周囲にいた者達は耳の不調を疑うが、気のせいだった。
「ねえ彩織さん、それならラーメン屋さんとかの行列はどうなの? 海外じゃ少ないって聞くよ?」
先の女の声とは違う、どこか柔らかくすら感じる女の声が聞こえてくる。
「悪しき風習ってやつでしょうね。行列に一定の宣伝効果があるのは認めますが、同時に一定の客を逃してもいますから。並ばせるスペースがあるのなら、そこも食事スペースにしてしまえばいいのです」
「解決法の方を聞きたいんだけど……」
「それなら簡単です。『死にたくなくばそこを退きなさい』とでも言えば、大抵のラーメン屋の行列は無くなりますよ」
「それラーメンじゃなくてカツ丼を食べることにならない!? 彩織さんか師匠しか出来ないし!」
「彩織さんそんなことしていたんですか!? 先生許しませんよ!?」
「しませんよ。カインに作ってもらった方が美味しいのに、何が悲しくて不味いカツ丼を食べなきゃいけないんですか」
「不味いって、一回は食べたことあるんですか!?」
「……勘のいい愛子は嫌いですよ」
「ごまかされませんよ!? あるんですね!? 警察のお世話になったことが! というかお世話させたことが!」
「古臭い刑事ドラマにハマったりんごちゃんが、取調室でカツ丼を食べたいと言い出したことがありまして」
「……先生にはもう、彩織さんのお話のどこまでがフィクションなのかわからなくなってきました……」
「というか、彩織さんのちゃん付けの呼び方って珍しいよね。今更だけど」
「珍しいどころか、りんごちゃん一人だけですよ。香織をお姉ちゃんと呼ぶこともありますが、あれは例外中の例外。ただのご機嫌とりです」
「りんごのもそうだろうが」
「私はりんごちゃんに脅されなんていませんよりんごちゃんのおままごとに屈してなんていませんともええいませんよりんごちゃんはりんごちゃんだからりんごちゃんなのですりんごちゃんやったーありえませんわたしが年下の女の子に脅されてちゃん付けを強要されたなんて現実はありませんフィクションですりんごちゃん可愛いやったーイエスロリータレッツタッチりんごちゃんはいい子ですいつもお手伝いしてくれますしお願いもきちんと聞いてくれますいい子ですただちょっと可愛すぎるだけなんですその美貌はまさに凶器禁忌の名に相応しい罪な女の子ですりんごちゃんやったー可愛いは正義です可愛いの前では脅迫も脅しも殺しも為すすべなく押し並べて押し潰されますりんごちゅあんやったーわたしは脅されてなんていませんりんごちゃんは可愛くていい子なんです」
「……ごめん彩織さん、途中に入る『りんごちゃんやったー』のせいで何も入ってこなかった」
002
街に入ると、生徒達は暫しの自由行動だ。清水のような事例が起きてしまったため、単独行動は出来ないが、それでも生徒達はいくつかのグループに別れて各自羽を伸ばすことになった。
「♪〜〜♪〜〜」
フューレンの街の表通りを上機嫌に歩いているのは、誰であろう彩織だ。クラスメイト達が見たら十人中十人が別人だと思ってしまうほどに普段と様子が異なる理由は、単に恋人であるカインと二人っきりでいられるからである。
ウルの町でも宿が二人相部屋であったりと、二人だけの時間がなかったわけではないが、二人っきりで観光するにはウルの町は狭かった。休日に観光地に行こうものなら、クラスメイトと会わないわけにはいかなかったからだ。
日本でもなかなか出来なかった昼間のデートに、彩織は上機嫌でいないわけにはいかなかった。
「はしゃぎすぎだ、彩織。愛子に見られても知らねえぞ?」
「ウフフ、その時はその時です。むしろ見せつけてやりますとも」
そう言いながらスカートの裾を軽く摘み、上目遣いで見つめる彩織にカインは思わず目を逸らす。
「んなこと外ですんなバカ。やるなら人目のねぇ宿でやってろ」
「……むぅ。拘束しないのは美点ですが、浮気に寛容なのは気に入りません」
「女子限定で諦めてるだけだ。そーいうとこだけ姉御に似やがって」
「失礼な。わたしに百合の気はありませんよ」
「自覚がねぇとこもそっくりだ」
「なんか見透かされてる気がして気に入りません。カインこそ、男になら浮気の一つや二つくらいなら許しますよ?」
「ふざけろ殴るぞ」
「ああ、カインあなた、男友達ハジメしかいませんでしたね」
「はあ? んなわけ……」
「今、あなたの友人を全員あげてみなさい」
「んぁ〜、チームは省くとして、……
「その覚え方にも突っ込みたいところですが、女子ばかりじゃないですか」
「……しゃーねーだろ。居ねえんだよ、オレより強え男」
「どこのオレっ子ヒロインですかあなたは。……そういえばあなたの推しってそういう子でしたっけ」
「二次元と三次元は別だ。彩織だってそういうキャラじゃねえだろ」
「そうですね。わたしはわたしよりダメな男が好みです」
「案外、男の好みも姉御と似たんじゃねえの?」
「なんてこと言うんですか。わたしが傷ついたらどうしてくれるのです」
「すげえセリフだ……。じゃなくて。いやだってよ、いっちゃ悪いが、ハジメだってオレとはベクトルが違えど、ダメよりの人間だろ? 聖人君子ヒーロー正義マンじゃあ全くないだろ?」
「なるほど、面白い話ではありますが、ならば違いますよ。香織はハジメの聖人君子ヒーロー正義マンな光景に遭遇しての一目惚れがスタートですから」
「ほぉん、だっけか。いつか聞いたな、そういえば。普通に気になるから聞くけどよ」
「なんです?」
「お前はいつオレに惚れたんだ?」
「はてさて、いつでしょうね。案外、今でも惚れてなど居ないかもしれませんよ?」
「ほお、んじゃ、別れるか「嘘ですごめんなさい大好きです愛してます!」……お、おう。悪かったよ冗談だ」
「……真面目な話、わかりませんよ。あなたに告白されてなんとなく付き合って、いつの間にか大好きになっててあなた無しでは生きていけないほどになっていたんですから。好きに理由は必要ありません。愛に理屈は無粋です」
「小難しい話で誤魔化すな」
「なんで好きかなんて、本当に知りませんよ。少なくとも、抱かれるより前から大好きでしたし、告白される前から嫌いではありませんでしたよ」
「そうかい。ならいいや」
「カインはいつ私に惚れたので? 結構唐突に告白してきましたよね」
「家族って呼んでくれた時」
「単純ですね」
「そうだな。我ながらちょろ過ぎるとは思うが、間違ったとは欠片も思わねえ」
「ま、あなたが告白せずとも、そのうち私の方から告白していたと思いますよ。あなたは香織を除けば誰よりも縁のある人間ですから」
「そーかよ。あ、あれソフトクリームじゃね? 食おうぜ」
「いいですけど、その前に昼食にしましょう。今日の私は魚介の気分です」
「ちと高えが、まぁいいか」
003
昼食を食べた後、彩織とカインの二人は迷路花壇や大道芸通りを散策していた。二人の右手にはデザートに買ったバニラっぽい味付けのアイスクリームが握られている。
「花にはあまり興味ありませんでしたが、見事なものですね。日本に帰ったら花畑廻りでもしましょうか」
「いいなそれ。帰ったら絶対行こう」
「フラグが建ちましたね」
「この程度で建ってたまるかっての」
と言いつつ、これまでのデートの失敗率に思わず表情に影を見せるカインだが、彩織が突如、訝しげな表情で足元を見下ろしているのに気がついた。
「どうした彩織、アイス落としたか?」
「いえ……。今、足元から声が聞こえた気がしまして」
「下って、下水か?」
「助けますよ。ロープを私に貸してください。あなたが地面を破壊、即座に私が救出します」
「了解」
カインが彩織に弦操術用のロープを渡すと、いつもの細い携帯槍、舞突錐を伸ばした。
「周囲への配慮は不要。人命最優先でお願いします」
「オーキードーキー! おら舞突錐ぃ!!」
カインは槍を両手で握り、旗を地面に刺すような動きで地面を破壊した。硬い土や岩はバラバラに砕けちり、下水と悪臭が顔を覗かせる。その穴に彩織がロープを投げ込み、引き上げると、一人の子供がロープに巻かれ吊り上げられた。
「息はあります。海人族ですか……。命に別状はないでしょう。とりあえず人が来る前にここを離れ、いえ、このまま宿に向かいましょう。お風呂があったはずです」
「おう。その子こっち寄越せ。オレが抱いた方が速い」
「ええ、任せます」
大穴から逃げるように、彩織とカインは建物の壁を跳び、屋根を走りながら、今日泊まる宿へと急いだ。道中、観光客の注目が多少集まったが、気にするほどのものでもないだろう。
004
多少距離はあったものの、文字通り真っ直ぐ走ったので、宿には数分で到着した。
宿には従業員の他に、入り口近くで生徒の帰りを待つ愛子がいて、彩織とカインの様子に慌てるも、その腕に抱えられている女の子にすぐに気がつき、荷物を預かり浴場の手配をすぐに済ませた。
下水で汚れた服もついでに洗ってしまおうと、二人は着ていたものを浴場に持ち込み、まずは女の子を洗うことにした。
日本でも銭湯や温泉で見かけるものに近い形状のあの椅子に座らせ、女性の髪に触れ慣れているカインが頭を洗ってやり、女性の体に触れ慣れている彩織が体を洗ってやる。それまでの間、女の子は呆然としていて、全身が泡塗れになった頃になってようやく「え、え?」と声を発した。
カインが桶いっぱいのお湯を掛けて泡を流し、まだ微かに臭う髪をもう一度洗い出す。身体の方は彩織が臭いも怪我も問題ないと判断し、自分たちの着ていた服の水洗いを始めた。
状況を見渡す程度に余裕のできた女の子はキョロキョロと浴場を見渡した後、カインにされるがままに身を委ねた。
しばらく、髪を付け根から毛先まで念入りに洗われて、お湯で一気に洗い流される。もう下水の臭いはなく、上質な石鹸の香りが女の子とカインの鼻腔をくすぐった。
彩織の方も一通り汚れを落とせたらしく、三人並んで湯船に浸かった。
「なあ、お前、名前は?」
背丈の都合上、カインの膝の上で足を伸ばしている女の子はキョトンとカインを見上げた後、ポツリと囁くような声で名乗った。
「……ミュウ」
「そうか。オレはカイン」
「私は彩織です」
手短に名乗ると、しばらく浴場を静寂が包む。
一切言葉を交わさずにいる状況に耐えられなくなったのか、女の子、ミュウは身体ごとカインの方へ振り返り、尋ねた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん?」
「んー、どしたー?」
くたびれた様子で、頭を壁に預けたカインはミュウを見下ろすように見ながら返した。
ミュウは何を思ったのか、「やっぱり、なんでもないの」と言い、カインの胸に背を預けた。
「随分と懐かれたものですね」
「まあ、子供に好かれるのは悪い気はしねえな。昔の恵里を思い出すが」
「親に捨てられたとか、虐待とかじゃなきゃいいですね」
「そーだな」
いつの間にか眠っているミュウを見守りながら、二人は着替えどうしようと、あまりの長風呂に心配した愛子が突撃してくるまで悩み続けた。
005
律儀に服を脱いで、バスタオル一枚で突撃してきた愛子に三人分の着替えを買って来させ、ようやっと浴場から脱出した彩織とカインとミュウは、愛子の部屋でミュウの話を聞いた。
愛子の部屋の理由は、特にない。面倒なだけのしょうもない事情だったら愛子に押し付けようだとか、そんな思いは二人にはない。ないったらない。
――ミュウ曰く。ある日、海岸線の近くを母親と泳いでいたらはぐれてしまい、彷徨っているところを人間族の男に捕らえられたらしい。そして、幾日もの辛い道程を経てフューレンに連れて来られたミュウは、薄暗い牢屋のような場所に入れられた。そこには、他にも人間族の幼子たちが多くいたという。
一緒にいた子供達は、毎日数人ずつ連れ出され、戻ってくることはなかったそうだ。少し年齢が上の少年が見世物になって客に値段をつけられて売られるのだと言っていたらしい。
いよいよミュウの番になったところで、その日たまたま下水施設の整備でもしていたのか、地下水路へと続く穴が開いており、懐かしき水音を聞いたミュウは咄嗟にそこへ飛び込んだ。幼いとは言え、海人族の子、ミュウ。通路をドタドタと走るしかない人間では、流れに乗って逃げたミュウに追いつくことは出来なかった。
しかし、四歳児には厳し過ぎる悪環境にこれまでのストレス。肉体的にも精神的にも限界を迎えそうなときに、突如外に引き上げられ、いつの間にかカインの腕の中だった。
「客が値段をって、オークション、ですよね……」
愛子が悍ましいものを見たような様子で言う。
「ほ、保安署に預けましょう」
「ふざけろ、却下だ」
「却下です。愛子、あなたはまだこの世界を甘く見過ぎです」
いい案だと口にしてみたら、教え子二人に速攻で却下されてしまい、がくりと肩を落とした。隣で眠そうに目を擦っていたミュウが愛子の頭を撫で、傷心の愛子に追い打ちをかける。
「私はこの世界の公的組織の全てを信用していません。ミュウを故郷に帰すにしても、なんにしても、全て私たちが――警戒態勢!! 愛子ミュウ伏せなさい!!」
ミュウを攫った人間のしわざだろう。外から堂々と、炎魔法を撃ち込まれた。壁を砕き、窓ガラスを溶かす。
幸い、宿の部屋が破壊されただけで怪我人はいないようだ。
「はっ、やってくれるじゃねぇか」
カインがせせら笑いながら街の方へ目を向けると、武装した、明らかにガラの悪い男たちが各々武器を構えていた。
「思ったより早かったですね。やむを得ません、潰しましょう。愛子、ミュウを頼みます」
「え、ええ!?」
「お姉ちゃん!」
「私達は強いので、ご心配なく。――私の名前は白崎彩織。九つの因果を身に宿し、九の使命を執行します」
「速攻で終わらせるさ。ちと待ってろ。――オレの名は祈和歌夢。九つの因果と生き歩み、オレの使命を執行する!」
銀翼の少女と神の落書きが、宿を飛び出した。