001
メルド団長率いる騎士団員複数名と共に、《オルクス大迷宮》へ挑戦する冒険者達のための宿場町《ホルアド》に到着した。新兵訓練によく利用するようで王国直営の宿屋があり、そこに泊まる。
カインとの相部屋をもぎ取った彩織は淫らな夜を過ごし、一方ハジメは――
「南雲くん、起きてる? 白崎です。ちょっと、いいかな?」
――深夜の訪問者に、「……なんでやねん」と、ツッコミを入れていた。
扉をノックする音が響き、鍵を外して扉を開けると、そこには純白のネグリジェにカーディガンを羽織っただけの香織が立っていた。よく聞こえなかったのか香織はキョトンとしている。
ハジメは、慌てて気を取り直すと、なるべく香織を見ないように用件を聞く。いくらリアルに興味が薄いとはいえ、ハジメも立派な思春期男子。今の香織の格好は少々刺激が強すぎる。
「あ~いや、なんでもないよ。えっと、どうしたのかな? 何か連絡事項でも?」
「ううん。その、少し南雲くんと話したくて……やっぱり迷惑だったかな?」
「…………どうぞ」
香織は、あっさり否定して弾丸を撃ち込んでくる。しかも上目遣いという炸薬付き。効果は抜群だ! 気がつけば扉を開け部屋の中に招き入れていた。
「うん!」
なんの警戒心もなく嬉しそうに部屋に入り、香織は、窓際に設置されたテーブルセットに座った。
若干混乱しながらも、ハジメは無意識にお茶の準備をする。
香織と自分の分を用意して香織に差し出す。そして、向かいの席に座った。
「ありがとう」
やっぱり嬉しそうに紅茶モドキを受け取り口を付ける香織。
ハジメは、欲情することもなく純粋に神秘に彩られた香織に見蕩れた。
香織がその様子を見てくすくすと笑う。ハジメは恥ずかしさを誤魔化すために、少々、早口で話を促した。
「それで、話したいって何かな。明日のこと?」
ハジメの質問に「うん」と頷き、香織はさっきまでの笑顔が嘘のように思いつめた様な表情になった。
「明日の迷宮だけど……南雲くんには町で待っていて欲しいの。教官達やクラスの皆は私が必ず説得する。だから! お願い!」
話している内に興奮したのか身を乗り出して懇願する香織。ハジメは困惑する。ただハジメが足手まといだからというには少々必死過ぎないかな? と。
「えっと……確かに僕は足手まといだとは思うけど……流石にここまで来て待っているっていうのは認められないんじゃ……」
「違うの! 足手まといだとかそういうことじゃないの!」
香織は、ハジメの誤解に慌てて弁明する。
「あのね、なんだか凄く嫌な予感がするの。さっき少し眠ったんだけど……夢をみて……南雲くんが居たんだけど……声を掛けても全然気がついてくれなくて……走っても全然追いつけなくて……それで最後は……」
その先を口に出すことを恐れるように押し黙る香織。ハジメは、落ち着いた気持ちで続きを聞く。
「最後は?」
香織はグッと唇を噛むと泣きそうな表情で顔を上げた。
「……消えてしまうの……」
「……そっか」
しばらく静寂が包む。
再び俯く香織を見つめるハジメ。
「夢は夢だよ、白崎さん。今回はメルド団長率いるベテランの騎士団員がついているし、彩織さんやカイン君もいる。敵がかわいそうなくらいだ。実際に弱いところを沢山見せているから、そんな夢を見たんじゃないかな? ってなにをムギュ――
語りかけるハジメの言葉に耳を傾けていた香織は、席を立ち、ハジメの頭を胸に埋めさせるように抱きしめた。
「南雲君は強いよ」
「あの、ちょっと――
「弱くなんてない。みんなが知らないだけで、カインくんとか彩織に負けないくらい強いって、私が知ってる」
香織がハジメを離すと、トマトのように顔を真っ赤にさせたハジメが瞳に収まる。
「中学二年生の時に、カインくんの劣化版みたいな人に土下座してた。飲み物をかけられても、踏まれても止めなかった。檜山くん達に虐められた時だって、絶対に歯向かわずに耐え続けてた」
香織は優しげな眼差しをしており、その表情には侮蔑も嘲笑も皆無だ。
だがハジメは軽く死にたい気分だ。厨二病を患っていた時の黒歴史とタメを張るくらい最悪のシーンを見られていたらしい。寝ぼけて彩織にライトノベルとエロ同人誌を間違えて渡した時と同じくらい、……いや、それほどじゃ、ないか。夜に長文のメールで感想が届いたあの瞬間は死を覚悟した。自殺か他殺かは、言うまでもなく。
「南雲くんは妹と義弟が強いって言うけれど、二人には絶対真似できないよ。知らない誰かに、自分をいじめる人にもまで優しくできるのは間違いなく南雲くんの強さだよ」
「な、何かの間違いじゃないかな、なんて……」
「南雲くんの底無しの優しさは、立派な強さだよ。私が、教えてあげる」
彩織を揶揄うときに似た、妖艶な笑みを浮かべた香織がそう言った。
「薄々わかってはいたからね。私がなにを言っても、南雲くんは結局行っちゃうんだろうなって。だから、せめてその前に――
深夜、香織がハジメの部屋に入ってから、数時間後に出ていくまでを無言で見つめる者がいたことを誰も知らない。その者の表情が醜く歪んでいたことも、知る者はいない。
002
現在、生徒達は《オルクス大迷宮》の正面入口がある広場に集まっていた。
皆、薄暗い陰気な入口を想像していたのだが、まるで博物館の入場ゲートのようなしっかりした入口があり、受付窓口まであった。制服を着たお姉さんが笑顔で迷宮への出入りをチェックしている。入口付近の広場には露店なども所狭しと並び建っており、それぞれの店の店主がしのぎを削っている。まるでお祭り騒ぎだ。
露天を虱潰しに爆買いしている二人に他人のフリをしながら、メルド団長の後をカルガモのヒナのように付いていった。
迷宮の中は、外の賑やかさとは無縁だった。
一行は隊列を組みながらゾロゾロと進む。しばらく何事もなく進んでいると広間に出た。ドーム状の大きな場所で天井の高さは七、八メートル位ありそうだ。
――と、その時、物珍しげに辺りを見渡している一行の前に、壁の隙間という隙間から灰色の毛玉が湧き出てきた。
「よし、光輝達が前に出ろ。他は下がれ! 交代で前に出てもらうからな、準備しておけ! あれはラットマンという魔物だ。すばしっこいが、たいした敵じゃない。冷静に行け!」
ラットマンと呼ばれた魔物が結構な速度で飛びかかってきた。
灰色の体毛に赤黒い目が不気味に光る。ラットマンという名称に相応しく外見はねずみっぽいが、二足歩行で上半身がムキムキだった。八つに割れた腹筋と膨れあがった胸筋の部分だけ毛がない。まるで見せびらかすように。
間合いに入ったラットマンを光輝、雫、龍太郎の三人で迎撃する。その間に女子二人、中村恵里と谷口鈴が詠唱を開始。魔法を発動する準備に入る。訓練通りの堅実なフォーメーションだ。
光輝は純白に輝くバスタードソードを視認も難しい程の速度で振るって数体をまとめて葬っている。
龍太郎は、空手部らしく天職が《拳士》であることから籠手と脛当てを付けている。これもアーティファクトで衝撃波を出すことができ、また決して壊れないのだという。龍太郎はどっしりと構え、見事な拳撃と脚撃で敵を後ろに通さない。無手でありながら、その姿は盾役の重戦士のようだ。
雫は、サムライガールらしく《剣士》の天職持ちで刀とシャムシールの中間のような剣を抜刀術の要領で抜き放ち、一瞬で敵を切り裂いていく。その動きは洗練されていて、騎士団員をして感嘆させるほどである。
「「「暗き炎渦巻いて、敵の尽く焼き払わん、灰となりて大地へ帰れ――《螺炎》」」」
三人同時に発動した螺旋状に渦巻く炎がラットマン達を吸い上げるように巻き込み燃やし尽くしていく。「キィイイッ」という断末魔の悲鳴を上げながらパラパラと降り注ぐ灰へと変わり果て絶命する。
気がつけば、広間のラットマンは全滅していた。他の生徒の出番はなしである。どうやら、光輝達召喚組の戦力では一階層の敵は弱すぎるらしい。
「ああ~、うん、よくやったぞ! 次はお前等にもやってもらうからな、気を緩めるなよ!」
生徒の優秀さに苦笑いしながら気を抜かないよう注意するメルド団長。しかし、初めての迷宮の魔物討伐にテンションが上がるのは止められない。頬が緩む生徒達に「しょうがねぇな」とメルド団長は肩を竦めた。
「それとな……今回は訓練だからいいが、魔石の回収も念頭に置いておけよ。明らかにオーバーキルだからな?」
メルド団長の言葉に魔法支援組は、やりすぎを自覚して思わず頬を赤らめるのだった。
その頃、生徒達唯一の師弟コンビは――
「あー! ちょっと師匠! こっちに血ぃ飛んできたんだけど!?」
「アァ!? 知るかバカこっち近寄るからだろうがボケ!!」
「アァン!? 誰がボケよ!! あんたが叫ぶから魔物が寄ってんじゃないの音割れスピーカー!!」
「誰がスピーカーだこの野郎!!」
露店で買ったもののゴミであろう串で魔物を粉砕するカイン。
同じくゴミであろう瓶で魔物を撲殺する園部優花。
――鬼神の如く舞う二人に、クラスメイト達は遠い目をする。
(((料理してただけであの強さ!?)))
ただ一人、彩織はつまらなそうにその戦いを眺めていた。
003
そこからも特に問題もなく交代しながら戦闘を繰り返し、順調に階層を下げて行った。
そして、一流の冒険者か否かを分けると言われている二十階層にたどり着いた。
彩織やカインを除けば皆、戦闘経験こそ少ないものの、全員がチート持ちなので割かしあっさりと降りることができた。
「よし、お前達。ここから先は一種類の魔物だけでなく複数種類の魔物が混在したり連携を組んで襲ってくる。今までが楽勝だったからと言ってくれぐれも油断するなよ! 今日はこの二十階層で訓練して終了だ! 気合入れろ!」
メルド団長のかけ声がよく響く。
ここまで、彩織はなにもしていない。ハジメですら、一応、騎士団員が相手をして弱った魔物を相手に訓練したり、地面を錬成して落とし穴にはめて串刺しにしたりして、一匹だけ犬のような魔物を倒したのだが、彩織は剣を抜きもしていない。ただ一言、「殺しなさい」と魔物に命じるだけで、殺し合いを始めるのだ。疲弊した最後の一匹を踏み潰すことが、唯一彼女の攻撃だろう。
騎士団員は檜山との一件以来、彩織に多大な期待を置いていたのだが、良い意味でか、否かはそれぞれだが、存分に裏切っていた。
小休止に入り、彩織はふと横を見ると、姉と共に幼なじみである雫と目があった。いつの間にか最後尾の方へきていたらしい。
「ご機嫌斜めね、彩織ちゃん。何かあったの?」
「……いえ」
彩織は素っ気ない態度をとり、雫と目を合わせない。
雫と最も仲が良いのは誰かと聞かれれば十人中十人が香織と答えるだろうが、雫が最も可愛がっているのは香織よりも彩織の方なのだ。
故に、彩織は雫に頭が上がらない。
「愛しの恋人が盗られて心中穏やかでない、とかかしら」
「分かっているなら言わないでください。雫は優しいのでしょうが、いささか優しさに欠けます」
彩織の言葉に、近くにいたハジメが肩をビクつかせたが気がついたものはいない。
「迷宮で言葉遊びなんて余裕じゃない」
「実際余裕ですよ。理解のできぬ言葉に従うような畜生なぞ、手を下すまでも有りません」
「足は踏み下ろすのね」
「歩を進めるのは生きとし生けるものの義務ですから。……たとえそれが人でなしであろうとも」
一行は二十階層を探索する。
二十階層の一番奥の部屋はまるで鍾乳洞のように氷柱状の壁が飛び出していたり、溶けたりしたような複雑な地形をしていた。この先を進むと二十一階層への階段があるらしい。
そこまで行けば今日の実戦訓練は終わりだ。神代の転移魔法の様な便利なものは現代にはないので、また地道に帰らなければならない。一行は、若干、弛緩した空気の中、せり出す壁のせいで横列を組めないので縦列で進む。
すると、先頭を行く光輝達やメルド団長が立ち止まった。訝しそうなクラスメイトを尻目に戦闘態勢に入る。どうやら魔物のようだ。
「擬態しているぞ! 周りをよ~く注意しておけ!」
メルド団長の忠告が飛ぶ。
その直後、前方でせり出していた壁が突如変色しながら起き上がった。壁と同化していた体は、今は褐色となり、二本足で立ち上がる。そして胸を叩きドラミングを始めた。どうやらカメレオンのような擬態能力を持ったゴリラの魔物のようだ。
「ロックマウントだ! 二本の腕に注意しろ! 豪腕だぞ!」
メルド団長の声が響く。光輝達が相手をするようだ。飛びかかってきたロックマウントの豪腕を龍太郎が拳で弾き返す。
直後、
「グゥガガガァァァァアアアアーーーー!!」
部屋全体を震動させるような強烈な咆哮が発せられた。
「ぐっ!?」
「うわっ!?」
「きゃあ!?」
体をビリビリと衝撃が走り、ダメージ自体はないものの硬直してしまう。ロックマウントの固有魔法《威圧の咆哮》である。魔力を乗せた咆哮で一時的に相手を麻痺させる。
まんまと食らってしまった光輝達前衛組が一瞬硬直してしまった。
ロックマウントはその隙に、傍らにあった岩を持ち上げ香織達後衛組に向かって投げつけた。
咄嗟に動けない前衛組の頭上を越えて、岩が香織達へと迫る。
香織達が、準備していた魔法で迎撃せんと魔法陣が施された杖を向けた。避けるスペースが心もとないからだ。
しかし、発動しようとした瞬間、香織達は衝撃的光景に思わず硬直してしまう。
なんと、投げられた岩もロックマウントだったのだ。空中で見事な一回転を決めると両腕をいっぱいに広げて香織達へと迫る。
香織も恵里も鈴も「ヒィ!」と思わず悲鳴を上げて魔法の発動を中断してしまった。
「こらこら、戦闘中に何やってる!」とメルドが叫ぼうとした時――
「私の姉になにをしようと言うのです?」
「控えめに言って可愛くないのよ。出直しなさい」
翼を顕現させた彩織が、投げられたロックマウントと同じように生徒達の頭上を跳び超え、ロックマウントを片手で受け止めた。重力に従い落ちようとしているそれを、遅れて飛び越えてきた雫が切り伏せる。
前衛組に降り注ぐ血の海を――
「汚い離れて――《ばりあ》」
恵里が結界魔法で跳ね除けた。
「あ、ありがとう恵里ちゃん!」と香織は言ったが、いまだ顔が青褪めていた。
そんな様子を見てキレる若者が一人。正義感と思い込みの塊、我らが勇者天之河光輝である。
「貴様……よくも香織達を……許さない!」
どうやら気持ち悪さで青褪めているのを死の恐怖を感じたせいだと勘違いしたらしい。
「バカッ! やめなさい光輝!」
「万翔羽ばたき、天へと至れ――《天翔閃》!」
幼なじみの声を無視して、光輝は大上段に振りかぶった聖剣を一気に振り下ろした。
瞬間、詠唱により強烈な光を纏っていた聖剣から、その光自体が斬撃となって放たれた。逃げ場などない。曲線を描く極太の輝く斬撃が僅かな抵抗も許さずロックマウントを縦に両断し、更に奥の壁を破壊し尽くしてようやく止まった。
パラパラと部屋の壁から破片が落ちる。「ふぅ~」と息を吐きイケメンスマイルで香織達へ振り返った光輝。
香織達を怯えさせた魔物は自分が倒した。もう大丈夫だ! と声を掛けようとして、彩織の鉄拳を食らった。
「へぶぅ!?」
「元の世界に帰りたくないからと、私たちをダンジョンに生き埋めにでもするつもりでしたか? でしたら残念でしたね。あなたが思うほど、この世界は甘くないみたいですよ」
彩織の言葉に、光輝は「ぐっ」と悔しげに声を漏らす。
「気持ちはわかるがな、こんな狭いところで使う技じゃないだろう。崩落でもしたらどうするんだ」
メルドの優しい言葉が、返って光輝を苦しめる。
その時、ふと香織が崩れた壁の方に視線を向けた。
「……あれ、何かな? キラキラしてる……」
その言葉に、全員が香織の指差す方へ目を向けた。
青白く発光する鉱物が花咲くように壁から生えていた。まるでインディコライトが内包された水晶のよう。
「ほぉ~、あれはグランツ鉱石だな。大きさも中々だ。珍しい」
言わば宝石の原石みたいなものだ。特に何か効能があるわけではないが、その涼やかで煌びやかな輝きが貴族のご婦人ご令嬢方に大人気であり、加工して指輪・イヤリング・ペンダントなどにして贈ると大変喜ばれるらしい。求婚の際に選ばれる宝石としてもトップ三に入るとか。
「素敵……」
香織が、メルドの簡単な説明を聞いて頬を染めながら更にうっとりとする。そして、誰にも気づかれない程度にチラリとハジメに視線を向けた。
「カイン、あれ、とって来てください」
「宝石の加工は流石に専門外なんだが」
「なら要りません。銀細工が見事なあなたならと思ったのですが」
「石と金属を一緒にすんじゃねーよ」
彩織の身につけているネックレスやブレスレットは、全て銀製であり、カインの手作りなのだ。彩織は、カインの手作りであると言う点にこそ価値を見出している。故に、綺麗なだけの石に彩織は靡かない。
「だったら俺らで回収しようぜ!」
そう言って唐突に動き出したのは檜山だった。グランツ鉱石に向けてヒョイヒョイと崩れた壁を登っていく。それに慌てたのはメルド団長だ。
「こら! 勝手なことをするな! 安全確認もまだなんだぞ!」
しかし、檜山は聞こえないふりをして、とうとう鉱石の場所に辿り着いてしまった。
メルド団長は、止めようと檜山を追いかける。同時に騎士団員の一人がフェアスコープで鉱石の辺りを確認する。そして、一気に青褪めた。
「団長! トラップです!」
「ッ!?」
しかし、メルド団長も、騎士団員の警告も一歩遅かった。
魔法陣は瞬く間に部屋全体に広がり、輝きを増していった。まるで、召喚されたあの日の再現だ。
「くっ、撤退だ! 早くこの部屋から出ろ!」
メルド団長の言葉に生徒達が急いで部屋の外に向かうが……間に合わなかった。
部屋の中に光が満ち、視界を白一色に染めると同時に一瞬の浮遊感に包まれる。
皆、空気が変わったのを感じた。次いで、ドスンという音と共に地面に叩きつけられた。
彩織は周囲を見渡す。クラスメイトのほとんどは尻餅をついていたが、メルド団長や騎士団員達、光輝達など一部の前衛職の生徒は既に立ち上がって周囲の警戒をしている。
巨大な石造りの橋の上だった。ざっと百メートルはありそうだ。天井も高く二十メートルはあるだろう。橋の下は川などなく、全く何も見えない深淵の如き闇が広がっていた。まさに落ちれば奈落の底といった様子だ。橋の横幅は十メートルくらいありそうだが、手すりどころか縁石すらなく、そんな巨大な橋の中間にいた。橋の両サイドにはそれぞれ、奥へと続く通路と上階への階段が見える。
それを確認したメルド団長が、険しい表情をしながら指示を飛ばした。
「お前達、直ぐに立ち上がって、あの階段の場所まで行け。急げ!」
雷の如く轟いた号令に、わたわたと動き出す生徒達。
しかし、撤退は叶わなかった。階段側の橋の入口に現れた魔法陣から大量の魔物が出現したからだ。
「オイオイオイオイ、んだよこれは!」
更に、通路側にも魔法陣は出現し、そちらからは一体の巨大な魔物が……
その時、現れた巨大な魔物を呆然と見つめるメルド団長の呻く様な呟きがやけに明瞭に響いた。
――まさか……ベヒモス……なのか……
004
通路側の魔法陣は十メートル近くあり、階段側の魔法陣は一メートル位の大きさだが、その数がおびただしい。
小さな無数の魔法陣からは、骨格だけの体に剣を携えた魔物《トラウムソルジャー》が溢れるように出現した。空洞の眼窩からは魔法陣と同じ赤黒い光が煌々と輝き目玉の様にギョロギョロと辺りを見回している。その数は、既に百体近くに上っており、尚、増え続けているようだ。
しかし、数百体のガイコツ戦士より、反対の通路側の方がヤバイと、彩織は即座に察した。
近い既存の生物に例えるならトリケラトプスだろうか。
メルドが呟いた《ベヒモス》という魔物は、大きく息を吸うと凄まじい咆哮を上げた。
「グルァァァァァアアアアア!!」
彩織は頭領として、矢継ぎ早に指示を出す。
「カイン! 優花! 即座にトラウムソルジャーを殲滅なさい! 恵里! 全力でベヒモスを足止めしなさい!」
カインと優花は即座に動き出し、恵里は魔法部隊達に声かけする。
正気に戻ったのか、メルド団長も矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「アラン! 生徒達を率いてトラウムソルジャーを突破しろ! カイル、イヴァン、ベイル! 全力で障壁を張れ! ヤツを食い止めるぞ! 光輝、お前達は早く階段へ向かえ!」
「待って下さい、メルドさん! 俺達もやります! あの恐竜みたいなヤツが一番ヤバイでしょう! 俺達も……」
「馬鹿野郎! あれが本当にベヒモスなら、今のお前達では無理だ! ヤツは六十五階層の魔物。かつて、《最強》と言わしめた冒険者をして歯が立たなかった化け物だ! さっさと行け! 私はお前達を死なせるわけにはいかないんだ!」
メルド団長の鬼気迫る表情に一瞬怯むも、「見捨ててなど行けない!」と踏み止まる光輝。
どうにか撤退させようと、再度メルドが光輝に話そうとした瞬間、ベヒモスが咆哮を上げながら突進してきた。このままでは、撤退中の生徒達を全員轢殺してしまうだろう。
「アハハッ! 死にたくないなぁ!! ボクの名前は中村恵里! 九つの因果と笑いあい! ボクの使命を執行する!!」
その場で唯一笑う恵里を筆頭に、生徒達が魔法を放つ。
「エリリン笑い事じゃないよぅ!!」
鈴は隣に立ちツッコミながら、小型結界を手裏剣の如く飛ばす。
しかして、ベヒモスはそんなもの効かぬと言わんばかりに、むしろ勢いをまして突進してくる。
「「「全ての敵意と悪意を拒絶する、神の子らに絶対の守りを、ここは聖域なりて、神敵を通さず――《聖絶》!!」」」
二メートル四方の最高級の紙に描かれた魔法陣と四節からなる詠唱、さらに三人同時発動。一回こっきり一分だけの防御であるが、何物にも破らせない絶対の守りが顕現する。純白に輝く半球状の障壁がベヒモスの突進を防ぐ。
トラウムソルジャーは三十八階層に現れる魔物だ。今までの魔物とは一線を画す戦闘能力を持っている。前方に立ちはだかる不気味な骸骨の魔物と、後ろから迫る恐ろしい気配に生徒達は半ばパニック状態だ。隊列など無視して我先にと階段を目指してがむしゃらに進んでいく。
「オレの名は祈和歌夢! 九つの因果と生き歩みっ、オレの使命を執行する!!」
「だーもー!! いつまで続くのよコレー!!!」
普段と違い、武器である槍を豪快に振るい殲滅するカインと、糸と投げナイフを巧みに使い、トラウムソルジャーの骨身を切り刻む優花は、逃げ惑う生徒達とは真逆の方向へ殺戮していく。
しかし次々と召喚され、減って増えてを繰り返すトラウムソルジャー。
彩織はその様子を見た後、結界を破壊せんとしているベヒモスを見据える。
「ど、どうするの彩織!」
妹が逃げていないからと、逃げずにいる香織が叫んだ。
それを聞いてか、彩織は銀翼を広げ、大剣二本を抜いた。
「私の名は白崎彩織。九つの因果を身に宿し、九の使命を執行する!!」
「い、彩織?」
飛び出した彩織は翼で滑空し、ヒビの入った結界を蹴り砕き、ベヒモスの前に立ちはだかった。
「なにをしている!!!」
メルドの怒号が彩織に飛ぶが、聞く耳を持たず、大剣を翼のように構えた。
「どきなさい。そこは私たちの道ですよ」
「グルァァァァァアアアアア!!」