001
「グルァァァァァアアアアア!!」
「あっはははははははははは!!」
ベヒモスの赤熱している兜と、彩織の二本の大剣がぶつかり合う。
轟音に混じって聞こえてくるのは、咆哮と笑い声。
そこに技はなく、純粋な運動エネルギーのぶつかり合い。
「私の名は、白崎彩織ィ!!」
「グルァァアア!!!」
彩織が踏み込む
ベヒモスが踏み込む。
「未だ人間に至らずとも!!」
さらに踏み込む。
何かが砕ける音が響いた。
「人でなしであろうとも!!」
「グルァ!?」
踏み込む。踏み込む。
大剣が一本砕ける。
踏み込む。踏み込む。
大剣が一本砕ける。
「家族のためならば!!」
「ガァ!!」
踏み込む。踏み込む。
拳の骨が砕ける。
踏み込む。踏み込む。
兜が砕けちる。
「この身を槍とし剣とする!!」
踏み込む。踏み込む。
脚の骨が砕ける。
踏み込む。踏み込む。
怪物の頭蓋を、砕けた拳が刺し貫く。
「グルァァァァァアアアアア!!」
ベヒモスが、踏み込んだ。
「アアアアアアアア!!」
地から踏み外した彩織は、ぶっ飛ばされた。
カインがかちあげたトラウムソルジャーも、優花が縛り上げ、持ち上げた骨の塊も砕き貫き、階段まで逃げた生徒達を押しつぶした。
彩織は数分、意識を失った。
002
「バカ弟子! 授業の時間だ!!」
「アァン!? アホ師匠こんな時に何言ってんの!?」
「暴力って奴を教えてやるっ!!」
カインは次々湧くトラウムソルジャーを、細い槍で破壊し尽くす。
その様はさながら実寸大一寸法師。爪楊枝のような槍の銘は《
対して、両端にナイフが結ばれた糸を操る優花。
集団で襲いかかってくるトラウムソルジャーを相手に、時に刃で、時に糸で骨身を刻み尽くす。
しかしカインと異なり、武器は特別なものでもなんでもない。
この世界で雑貨屋にでも行けば、どこにでも売っているような料理用ナイフに、護身用に常に持ち歩いているミシン糸だ。
師に倣い、万物を武器とする彼女の異世界より持ち込んだ秘密兵器である。
「暴力ってのはなぁ! 単に乱雑にぶちかませばいいってもんじゃねぇ!!」
骨身が風船のように破裂する。
「知力をもって急所に導き、理解をもって弱みを砕く!!」
突如カインは跪き、地面に槍を突き刺した。
それは決して適当ではない。トラウムソルジャーを召喚し続ける魔法陣の中心地点に、カインは槍を突き刺した。
「いいか優花! これが暴力だ! ――
先端数センチが刺さった槍をさらに深く刺し込んだ。
地面が、否、魔法陣がひび割れ、完膚なきまでに、ぶつ切りに破壊し尽くした。
トラウムソルジャーの召喚が収まる。
「わっけ分かんないっつー、の!!」
残ったトラウムソルジャーの大半を、優花は縛り上げ、一纏めにした。
「暴力とか知ったこっちゃないのよ!! あんたの彼女と一緒に、すんなー!!」
糸の絡んだ五指を握り込み、真上に掲げる。纏められた塊が宙に浮き上がった。
「ハッ! なかなかやるじゃねぇか!!」
「とーぜん!!」
003
気がつけば、自分が立っていたはずの場所には別の者が立っていた。
カインではない。光輝でもない。メルドでも恵里でも優花でも、香織でもない。
ハジメが、ベヒモスの前に立っている。
あの暴力のぼの字も知らなさそうな優しい少年が、私が屈した豪力の権化の如き怪物を前に立っている。
階段まで逃げたもの達がいない。
私よりずっと前に、橋で横並びに立っている。
恵里だ。恵里が魔法使いのチームを作り上げた。生徒達に混じり騎士も魔法を放つ準備をしている。
「――《錬成》!」
頭部を石中に埋めているベヒモスを、ハジメがさらに錬成して埋める。
ベヒモスは足を踏ん張り力づくで頭部を抜こうとするが、今度はその足元が錬成される。ずぶりと一メートル以上沈み込む。更にダメ押しと、ハジメは、その埋まった足元を錬成して固める。
メルドは回復した騎士団員を呼び集め、光輝達を担ぎ離脱しようとする。
「待って下さい! まだ、南雲くんがっ」
撤退を促すメルド団長に香織が猛抗議した。
「坊主の作戦だ! 安全地帯を作ったら魔法で一斉攻撃を開始する! もちろん坊主がある程度離脱してからだ! 魔法で足止めしている間に坊主が帰還したら、上階に撤退だ!」
「なら私も残ります!」
「ダメだ!」
「でも!」
なお、言い募る香織にメルド団長の怒鳴り声が叩きつけられる。
「坊主の思いを無駄にする気か!」
「ッ――」
香織は決死の思いでハジメに背を向け、メルド達と共に離脱する。
「なんだよあれ、何してんだ?」
「あの魔物、上半身が埋まってる?」
遮っていた者達がいなくなり、露わになった光景に生徒達が疑問の声を漏らす。
「あの南雲ハジメが戦っている!! 笑いモノの愚者がチャンスを生み出した!! 好機を逃すな敵を撃て!! 撃ち殺せ!! 撃ち殺せ!! 撃ち殺せ!!!!」
恵里の腹の底まで響くような声に気を引き締め直す生徒達。
――その中に檜山大介も紛れていた。自分の仕出かした事とはいえ、本気で恐怖を感じていた檜山だけは、直ぐにでもこの場から逃げ出したかった。
しかし、ふと脳裏にあの日の情景が浮かび上がる。
香織は、とある部屋の前で立ち止まりノックをした。その扉から出てきたのは……ハジメだった。檜山は頭が真っ白になった。檜山は香織に好意を持っている。しかし、自分とでは釣り合わないと思っており、光輝のような相手なら、所詮住む世界が違うと諦められた。
しかし、ハジメは違う。自分より劣った存在(檜山はそう思っている)が香織の傍にいるのはおかしい。それなら自分でもいいじゃないか、と端から聞けば頭大丈夫? と言われそうな考えを檜山は本気で持っていた。
ただでさえ溜まっていた不満は、すでに憎悪にまで膨れ上がっていた。香織が見蕩れていたグランツ鉱石を手に入れようとしたのも、その気持ちが焦りとなってあらわれたからだろう。
その時のことを思い出した檜山は、たった一人でベヒモスを抑えるハジメを見て、今も祈るようにハジメを案じる香織を視界に捉え、
――ほの暗い笑みを浮かべた。
004
南雲ハジメが死んだ。
南雲ハジメが殺された。
南雲ハジメが落ちた。
南雲ハジメが落とされた。
南雲ハジメが思い知った。
南雲ハジメが思い知らされた。
南雲ハジメが恨みを見た。
南雲ハジメが恨まれた。
南雲ハジメは、落とされ、殺された。
「離して! 南雲くんの所に行かないと! 約束したのに! 私がぁ、私が守るって! 離してぇ!」
飛び出そうとする香織を優花が手足を縛り拘束する。香織は彩織を彷彿とさせる、細い体のどこにそんな力があるのかと疑問に思うほど尋常ではない力で、何重にも重なるミシン糸を引きちぎろうとする。
このままでは香織の体の方が壊れるかもしれない。しかし、だからといって、断じて離すわけにはいかない。
「カイン、そのまま縛り付けていなさい。私は冷静さを欠こうとしています」
そして彩織も、カインに縛られていた。ミシン糸だけではない。持ち込んだ麻糸やロープも使って、より厳重に。
「暴れても良いんだぜ、彩織。その程度で愛想尽かしたりしねーよ」
ハジメがベヒモスや橋の残骸と共に奈落の底に落ちてすぐのこと。ベヒモスと相打ちし両足を負傷した彩織は腕力だけで跳び上がり、檜山に尽くせる暴力の限りを尽くした。とはいえ鼻を砕き、目蓋を片方膨れさせるのみであったが。
仲間への暴行を働いた彩織をメルドが抑え、カインに拘束させた。
その直後に香織が飛び出そうとし、優花に拘束された流れである。
「……ごめんなさい、香織。私がもっと強ければ。もっと早く対策できれば。私がもっと上手ければ。……ハジメを落とさせなんてしなかった」
懺悔である。
彩織は脚から文字に起こせぬ異音を鳴らしながら、顔を濡らしながら姉に懺悔する。
「……彩織は悪くないよ」
彩織の懺悔に、香織も幾らかの冷静さを取り戻した。
「優花ちゃん、もう良いよ」
「え、でも……」
「泣いてる妹を放っておくほど、私は弱くない」
香織の言葉を信じ、メルドの震えの混じった「縛りつづけろ」という声を無視して、優花は糸を解いた。
雫の手を借り立ち上がった香織は、彩織に歩み寄り涙を拭う。
目元を腫れさせた彩織の目を見て、香織は精一杯笑って見せた。
「信じよう、彩織。南雲くんが死ぬわけないよね。穴の底に、落ちた、……くらいで、死ぬわけないよねっ」
今にも崩れそうな笑みを浮かべる香織に、彩織は頷いて見せる。
「ええ。我々の隣人たる彼の死が落下死だなんて、私が許しませんとも」
脚からの異音が収まると、彩織は自身を縛り付けるものを引きちぎりながら、立ち上がった。
「フ――フフ。ウフフ――ウフフフ――ウフフフフフフ――ウフフフフフフフフフ」
彩織は笑い、笑い、笑う。
「ええそうですそうでした! この程度でハジメが、いえ、彼の者が死のうはずがありません!! なぜなら私の名は白崎彩織! 存在そのものが存在証明にして生存証明!」
正気を取り戻したかのような様子を見せる彩織と香織が笑い合う様子を、狂ったのかと勘違いする者がいた。
「南雲はもう無理だ! 落ち着くんだ! このままじゃ、体が壊れてしまう!」
それは、光輝なりに精一杯、香織を気遣った言葉。
しかし、言葉は届けども気遣いは届かない。
「無理って何!? 南雲くんは死んでない!」
誰がどう考えても南雲ハジメは助からない。奈落の底と思しき崖に落ちていったのだから。
「天之川光輝、問答は不要ですよ。私の言葉に説得力は無く、あなたの言葉には正当性が欠けている。夢見る乙女に現実を知らしめるほど、あなたは下衆ではないでしょう?」
「いや、香織は――
彩織の言葉は、光輝が認めるわけにはいかないものだ。なぜなら認めることは、香織のハジメへの好意を認めてしまうことと同意義なのだから。
「さあ帰ろっか! みんな怪我が治ったわけじゃないんだからのんびりしてる暇はないよ! お腹が空く前にさぁ帰ろー!」
恵里が先導すると、地面に腰を下ろしていたクラスメイト達はノロノロと立ち上がる。
気を取り直した光輝も必死に声を張り上げ、クラスメイト達に脱出を促した。メルド団長や騎士団員達も生徒達を鼓舞する。
005
全員が階段への脱出を果たした。
上階への階段は長かった。
先が暗闇で見えない程ずっと上方へ続いており、感覚では既に三十階以上、上っているはずだ。魔法による身体強化をしていても、そろそろ疲労を感じる頃である。先の戦いでのダメージもある。薄暗く長い階段はそれだけで気が滅入るものだ。
そろそろ小休止を挟むべきかとメルド団長が考え始めたとき、ついに上方に魔法陣が描かれた大きな壁が現れた。
生徒達の顔に生気が戻り始める。メルド団長は扉に駆け寄り詳しく調べ始めた。フェアスコープを使うのも忘れない。
その結果、どうやらトラップの可能性はなさそうであることがわかった。魔法陣に刻まれた式は、目の前の壁を動かすためのもののようだ。
メルド団長は魔法陣に刻まれた式通りに一言の詠唱をして魔力を流し込む。すると、まるで忍者屋敷の隠し扉のように扉がクルリと回転し奥の部屋へと道を開いた。
扉を潜ると、そこは元の二十階層の部屋だった。
「帰ってきたの?」
「戻ったのか!」
「帰れた……帰れたよぉ……」
クラスメイト達が次々と安堵の吐息を漏らす。中には泣き出す子やへたり込む生徒もいた。光輝達ですら壁にもたれかかり今にも座り込んでしまいそうだ。
しかし、ここはまだ迷宮の中。
メルド団長は休ませてやりたいという気持ちを抑え、心を鬼にして生徒達を立ち上がらせた。
「お前達! 座り込むな! ここで気が抜けたら帰れなくなるぞ! 魔物との戦闘はなるべく避けて最短距離で脱出する! ほら、もう少しだ、踏ん張れ!」
少しくらい休ませてくれよ、という生徒達の無言の訴えを、ダンッ! という、彩織の足踏みが黙らせた。
「帰りますよ。私はお腹が空きました」
渋々、フラフラしながら立ち上がる生徒達。
肩を貸し隣を歩くカインと彩織が率先して先をゆく。道中の敵を、騎士団員達が中心となって最小限だけ倒しながら一気に地上へ向けて突き進んだ。
そして遂に、一階の正面門となんだか懐かしい気さえする受付が見えた。迷宮に入って一日も立っていないはずなのに、ここを通ったのがもう随分昔のような気がしているのは、きっと少数ではないだろう。
今度こそ本当に安堵の表情で外に出て行く生徒達。正面門の広場で大の字になって倒れ込む生徒もいる。一様に生き残ったことを喜び合っているようだ。
だが一部の生徒――ハジメと親しかったり、縁有ったチームの面々や香織、雫、優花なんかの表情は決して明るくない。
そんな生徒達を横目に気にしつつ、受付に報告に行くメルド団長。
二十階層で発見した新たなトラップは危険すぎる。石橋が崩れてしまったので罠として未だ機能するかはわからないが報告は必要だ。
そして、ハジメの死亡報告もしなければならない。
憂鬱な気持ちを顔に出さないように苦労しながら、それでも溜息を吐かずにはいられないメルド団長だった。
006
ホルアドの町に戻った一行は何かする元気もなく宿屋の部屋に入った。幾人かの生徒は生徒同士で話し合ったりしているようだが、ほとんどの生徒は真っ直ぐベッドにダイブし、そのまま深い眠りに落ちた。
その日の夜のこと。
中村恵里は、男子の部屋に呼び出されていた。
呼び出した者の名は、天之川光輝。その目は怒りに満ちていて、今にも恵里を押し倒しそうな雰囲気であった。
「な、何かな天之川君。いくら君でも、流石に男の子の部屋に女の子を招くっていうのは――
「本性を見せろ中村恵里! 檜山から聞いたぞ! お前が南雲を殺すように檜山を脅したんだろう!!」
(なるほどそう来たか〜!)
「へ?」
キョトンと、恵里はわざとらしく首を傾げて見せた。
そして思考を巡らせる。
宿に入る直前、光輝は檜山に、部屋に来るよう言っていた。南雲を落としたことに関することだろう。
彩織が檜山を殴った時から、生徒達は檜山が犯人なんだと半ば確信していた。(もちろん日頃の行いも有ってのことだ)
檜山は汗をにじませながら、コクコクと頷いていた。
そして聞いたのだろう。欺瞞と悪巧みに満ちた、恵里を真犯人に仕立て上げるでっち上げの言い訳を。
(なるほど、ボクを次のいじめられっ子に、つまりは南雲ハジメの後釜にしようってわけか。まぁボク可愛いし? あわよくば輪姦学校に洒落込もうって魂胆かな)
思案する恵里に、光輝は言う。
「なんで俺達を騙したんだ!! なんとか言え!! 言うんだ!! 言ってくれ!!」
恵里の両方を掴み、乱暴に揺する。
「なんで騙してたか、ねえ」
恵里は光輝の腕を払い、微笑んだ。
「君の勘違いじゃないかな。確かにボクは人を騙すのが得意だけれど、それでもボク達は南雲ハジメの味方だったんだよ? 殺すなんてあり得ないよ」
「う、嘘だ! オタクの南雲に味方なんているわけがないだろう!」
当然のことのように、光輝は叫んだ。
「それこそ嘘だよ。ボクに嘘で挑むだなんて、無謀にもほどがある――
恵里は、部屋に備え付けられている椅子に腰掛ける。
――君より早く、ボクは嘘をついている」
007
「君は騙されている。ボクでも無く、南雲ハジメでも無く、自分自身に、正義を疑わぬ自分の正義に騙されている」
恵里の雰囲気がいつもと違うことに、光輝は気がつく。
「南雲ハジメは嫌われ者だというのは嘘だ。香織ちゃんが南雲ハジメに優しいのは慈悲深さ故だというのも嘘だ。――君は騙されている」
「嘘だ!!」
「いいや、嘘じゃない。嘘つきが嘘しか言わないほど、この世界は優しくない」
恵里は語る。
「君以外は真実を理解しているよ。みんなが教室で南雲ハジメに憤っていたのは、香織ちゃんとさっさと結ばれないからだ。だからまぁ暴走したり勘違いする男子が少数現れても仕方ないけれど、例えばそれが檜山大介だけれど、それも真実を知って尚受け入れたくないだけだ。女子の方はシンプルな苛つき。オタクでキモいとか、南雲ハジメが不真面目で愚かで汚らわしくて下等であるとか、そんな嘘に騙されて、踊らされて、騙して、踊ってるのは君だよ」
「そんなことない!! あり得ない! 南雲はオタクだ!!」
(そんなこと真面目に叫ばれても……)恵里は思いを秘めずに言い放つ。
「《オタク=気持ち悪い》なんてのは今や老害の戯言だよ。時代遅れ。君が汚らわしいと言って止まない彼の趣味は、ボク達を中心に布教され女子達に流行っている」
「そん、な……」
「今度は『俺の女を汚すな!』とでも叫ぶ? それもいいだろうね」
「嘘だ……、嘘だ嘘だ嘘だ!!」
「老害はみんなそう言うんだよ。君、おじいちゃんっ子でしょ」
恵里は半ば冗談だが、真実ではある。
天之川光輝の正義マンな人格が形成されたのは、敏腕弁護士だった祖父・完治の影響によるところが大きい。
美化した表現を用いて語られた祖父の輝かしく美しくかっこいい体験談だけを胸に刻んだ光輝は、現実では通用しない理想的な正しさを抱いたまま成長してしまったのである。
「まあそんなこと、ボクはどうでもいいんだけどね。でもボクは南雲ハジメと違っていじめに耐えられないから、全力で弁明させてもらおうかな」
「何を、言ってるんだ……」
「真実を言っているんだ。恵里はなんも知らねぇテメェに真実を言ってんだよ」
いつの間にか居たカインが言った。
閉まっていたはずの扉も窓も開いている。音も気配もなく、入ってきたのだろう。
恵里はされるがままに、カインに頭を撫でられる。
「ったく、女が一人で野郎の部屋に入るんじゃねーよボケ」
「ど、どうして祈和がここにいるんだ!!」
当然のことを当然のように叫んだ。当然のことである。
「娘がクソ野郎の部屋で怒鳴られてんだ。助けられる親が助けに来るのは当然のことだろうが」
「……親?」
キョトンと、光輝は首を傾げた。
「カインはボクの、今のお父さんでお母さんで、お兄ちゃんでお姉ちゃんだからね。詰まるところ、家族ってやつだよ」
複雑な家庭環境である。もちろん血縁があるわけではないが。
「そ、そんな、気持ちわ――
光輝が顔を青ざめさせながら言おうとして、
「ぶっ殺されてぇのかテメェ!!」
カインに殴り飛ばされ、窓から飛び出していった。
外から酔っ払い達が慌てる声が聞こえてくる。
008
「あーあ、やっちゃった。中途半端に終わっちゃった。もし小説なら怒られちゃうよ。あーあ、ボクだけでも大丈夫だったのに。どうするの? 虐められるよ?」
「知るか!! 呑み行くぞ恵里も来い!!」
「ボク達未成年だよ!?」
「なら歳取れ今すぐに!!」
「無茶言わないでくれる!?」
「恵里の武器は嘘だろうが! テメェ身体ぐらい騙しやがれ!」
「プラシーボ効果が聞いて呆れるよ泣いて詫びるよ! ボクはジュースしか飲まないからね!」
「オレの酒が飲めねえってのか!」
「アルハラ!? この年でされるとは思わなかった!!」
「パワハラならいつもされてるじゃねぇか」
「されてるけども! 暴力に屈しまくって従いまくってるけども!!」
「かっはっは! 愛してやるから気にすんな!!」
二人の家族は手をつないで、宿を出た。
「ねえママ」
「百歩譲ってパパにしてくれ。できれば千歩譲ってお兄ちゃん、万歩譲って兄貴、億歩譲ってカイン」
「一歩譲ってお姉ちゃん」
「殴るぞ」
「ごめんなさいパパ!」
「もう九千九百九十九万九千九百歩譲ってくれよ。……で、なんだ」
「……大好き! 愛してる!!」
「あぁ、オレもだよ!!」
009
時間は少し遡る。恵里とカインが酒場にくりだす数刻前のことである。
「ん……、んぅ……、んっ」
香織と雫の部屋で、手足を包帯でグルグル巻きにされている彩織は、香織に膝枕されていた。
香織の手には日本のものとは多少異なる形状の耳掻き棒が握られており、彩織の耳穴にねじ込まれていく。
傍らの清潔な布には微小の耳垢と土が混ざった多量の血の塊が積まれていく。
彩織は喘ぎ声を抑えようと香織のお腹に埋める光景が、雫の庇護欲を加速させる。
「もう、何日溜め込んだの?」
「んっ……、せいぜい三日くらい、かと」
彩織の返答に、雫と香織は呆れたようにため息をついた。
「どれだけ浴びたらここまで溜まるの」
日本ではいつもの光景であったこれは、異世界であろうとも変わっていなかった。
潔癖症ではないものの、身の回りくらいはなるべく清潔を保ちたい彩織だが、耳掻きに関しては大の苦手なのだ。
自分でやろうものなら、部屋が一つ、血で染まることになる。
しかし誰かにやってもらうのも、それはそれで苦手であった。
であるから、香織やカインは毎度何かしら妙案をもって耳掻きするのだ。
今回は、彩織の怪我の治療。
彩織は迷宮のあの長い階段を、タコのごとく骨の機能していない脚で登ったというのだ。筋肉を骨の代用品にして歩いたというのだ。縛られていた時の異音は砕け散った骨を元の位置に動かす音だというのだ。
なるほど人でなしである。人間がやっていいことじゃない。
そこまでの負傷を治す条件として、彩織は香織に甘えることを強要されている。
雫は観客だ。条件なんてなくとも彼女は彩織を甘やかしまくる。
「……んんんっ! ……んぅ」
「うん、こっちは全部取れたかな。彩織、反対向いて」
「ん、……はい」
彩織は後頭部を香織のお腹に預ける方へ向いた。
雫の目に、とろけた表情の彩織が映った。
「香織、終わったら彩織ちゃん抱っこさせて」
「いいよー」
ベキベキと、雫の耳に聞こえるほどの音が彩織の耳から鳴る。
「んんんー!!」
乾いた血の壁を破き、掻き出す音
手足を砕かれても悲鳴一つあげなかった彩織でも流石に痛いのか、目を見開き苦悶の声が漏れた。
「よしよし。あとは気持ちいいからねー」
彩織の頭を香織が撫でる。
落ち着いたのか、彩織は小さく欠伸をして目を閉じた。
「これはちょっと、彼に嫉妬するわね」
雫は彩織の恋人たる男に、少なからず嫉妬の念を抱いた。
「ん、……おね、ちゃ、……。しず……」