001
千葉県某市、とある森林の最奥。
一辺五百メートルの赤く大きな立方体が、森をくり抜いたように建造されている。
それは世界で最も大きな研究施設であり、最も進んだ科学技術であり、最も堅い建造物であり、最も巨大なコンピューターであった。
そんな研究所の、地下五百メートルに位置する会議室に、チームの二人がいた。
一人は、樹生家当主、《禁忌》の異名を持つ小学生、
一人は、《人類最賢》の異名を小学生当時メディアで轟かせた中学生、
チームの最年少二人であり、同時にチームで最も賢い二人でもある。
二人は、というか、樹生研究所は、失踪したチームの三人、彩織とカイン、恵里を捜索していた。
すでに地球、及び太陽系内に存在しないことは判明しており、今は彩織達の教室をシミュレートしていた。
教室で消滅していることまでは解っているのだが、なぜ人間及び身に付けていた衣服、装飾品だけが消滅したのかが解らない。弁当や飲み物は、まるで持っていた人間をすり抜けたかのように落下していたのだ。
りんごと七七七はシミュレートの結果が出るまでの間、どのようにして消滅したのかを思考していた。
りんごは使用人に切らせた梨を頬張りながら言う。
「やっぱテレポだよテレポ! どっかの誰かがお姉ちゃんたちを実験台にしたんだよ!」
いかにも頭の悪い推論を聞き、七七七は「フンっ」と鼻で笑った。
「何もかもが意味不明矛盾不理解極まりないわい。ならなぜ携帯電話は転移して、弁当箱は転移していないのだ? 胃の中身はなぜ転移出来た? なぜ制服は転移出来て体育着は転移出来ていない?」
タブレットで画像を見ながら、七七七は年齢と釣り合わない口調で語る。
「消えたものと消えなかったものの境目が解らん。消滅が狙いなら机も椅子も黒板もまとめて消してしまえばいい。そっちの方が楽だろうに」
《田》から《十》だけを消すより、まとめて消してから《口》と書いた方が楽という理屈だ。
二人は《転移》、《消滅》が可能という前提で話している。
「じゃあ、今流行の異世界転移とかは?」
「若干ブーム過ぎとらんか? 流行っているか解らん……、いやそれはどうでもいいのだが、アホかうぬは。現実と創作の区別くらい付けんか」
「でも刹那お姉ちゃん、たまにエルフとかゴブリンとか連れてうちにくるよ?」
「……よいかりんごよ。現実は小説よりも希なりという言葉はな、今やあやつ専用の言葉なのだよ。刹那とリーダー達を一緒にするでないわ」
あーだこーだと、結論の出ない話し合いが続く中、シミュレーションの結果が、タブレットに送信された。
彩織達が消滅したと思われる時間の、前後二時間を太陽系丸ごと検証したもので、それは人類最賢をして驚くべき映像であった。
七七七とりんごは肩を寄せ合い、彩織達がトータスに転移するまでの瞬間に限りなく近い映像を見た。
魔法陣が教室に発生し、光り輝き、光が病む頃には生徒達と教師が消滅している。
「オイオイオイオイ、まさか本当に異世界転移なんて言うんではなかろうな樹生よ」
「冗談で言ったんだけど、もしかしてもう壊れた?」
二人はこの結果を出した、五百メートル上にあるコンピュータの異常を疑うが、その場合どうしようもない。
現状あれより高性能なものはないのだから。
「……多分、刹那お姉ちゃんがこの先に向かってるはずだから、連絡待ちってことになるのかな」
「魔法のないこの世界じゃ、それしかないだろうの。遠出の準備くらいはしておくか」
「だねー。じゃがりことポッキー持っていこっと」
「リーダー達にも持っていってやれ。きっと喜ぶぞ」
計一京回のシミュレーションを流し見ながら、二人は今後の予定を立てる。
その様はまるで遠足前日。容姿の幼い二人のそれは微笑ましい限りだが、見守るものは居ない。
「あたしの名前は樹也りんご。九つの因果を禁忌して、あたしの使命を執行する」
「妾の名は高天原七七七。九つの因果を理解して、妾の使命を執行しよう」
002
一方その頃、彩織はといえば――
「聞きましたよ! 先生が居ない間に随分と大暴れしたそうじゃないですか!!」
王宮の愛子の部屋で、香織と共に説教されていた。
教会に抗議しに行った際に、二人が血肉の雨を街中に降らせていたことを聞いたらしい。
その時には誰がやったのか解らなかったが、一人目の容疑者であったカインが正直に口を割ってしまった。
「南雲くんのことを罵ったり、嘲笑ったりした人を先生も決して許せませんが! しかし決して誰かを傷つけていい理由にはなりません!!」
「傷つけたのではありません。黙らせたのです」
床に正座している彩織が表情一つ変えることなく言った。
「屁理屈です彩織さん!! そして黙らせるのもダメです!! せいぜい謝らせるくらいにしなさい!!」
「口だけの謝罪にどれだけの価値があると?」
「口だけの罵倒にも意味はありません! いいから口答えせず、一人一人に謝りに行きますよ!!」
愛子は座っていたベッドから立ち上がり、見下しながら言うが、姉妹は揃って面倒臭そうな表情をした後、
「「先生、足が痺れて動けないので、先に行っててください」」
一言一句違えず、揃えて言った。双子ということもあり、その光景はどこか滑稽。
「私だけが行っても意味ないじゃないですか!!」
「私や香織が行っても無駄だと思いますよ。目も耳も口も手も足も、あらゆるコミュニケーション手段を一族郎党未来永劫封じたので」
「一族郎党未来永劫封じたんですか!?」
「封じました。私が治癒魔法で傷ごと閉じたので、痛みはないはずです」
日本では女神の如く心優しかったはずの香織の発言に、愛子は顔を青くさせる。
「むしろ、鼻と魂と性器だけでも無事なのですから、感謝してほしいくらいです」
「なんでそれだけ残したんですか!?」
「何言ってるんですか先生!! 妹にそんなもの見せられるわけないじゃないですか!!」
「一族郎党未来永劫封じておいてですか!?」
「性器さえ残しておけば、生殖は可能ですから。繁殖を禁ずるほど香織は鬼ではありません」
「二人とも十分に鬼の所業です!! グリム童話の姫ですか!!」
「先生、グリム童話って、なんですか?」
「…………日本に帰ったら調べてみてください」
香織の純真無垢な疑問に、愛子は疲れ果てた様子で項垂れた。
再度ベッドに腰をおろし、そのまま横になった。
003
畑山愛子、二十五歳。社会科教師。
彼女にとって教師とは、専門的な知識を生徒達に教え、学業成績の向上に努め、生活が模範的になるよう指導するだけの存在ではない。もちろん、それらは大事な仕事ではあるのだが、それよりも味方であること、それが一番重要だと考えていた。具体的に言えば、家族以外で子供達が頼ることの出来る大人で在りたかったのだ。
家の外に出た子供達の味方であることが、愛子の教師としての信条であり矜持であり、自ら教師を名乗れる柱だった。
しかし現状はどうだ。
異世界召喚などというファンタスティックで非常識な事態に巻き込まれ呆然としている間に、クラス一カリスマのある生徒に話を代わりにまとめられてしまい、気がつけば生徒達は戦争の道具になっている。
それに目を離した隙に一人の生徒が同じ生徒を殺し、女子二人が血で手を染めている。(一人はおそらく日本にいた頃からだが)
生徒達を守る! と決意したにもかかわらず、生徒達は望まぬ方向へと自発的に動いてしまう。
毎日、遠くで戦っているであろう生徒達を思い、気が気でない日々を過ごす。聖教教会の神殿騎士やハイリヒ王国の近衛騎士達に護衛されながら、各地の農村や未開拓地を回り、ようやく一段落済んで王宮に戻れば、待っていたのはとある生徒の訃報だった。
この時は、愛子は、どうして強引にでもついて行かなかったのかと自分を責めに責めた。結局、自身の思う理想の教師たらんと口では言っておきながら自分は流されただけではないか! と。もちろん、愛子が居たからといって何か変わったかと言われれば答えに窮するだろう。だが、この出来事が教師たる畑山愛子の頭をガツンと殴りつけ、ある意味目を覚ますきっかけとなった。
《死》という圧倒的な恐怖を身近に感じ立ち上がれなくなった生徒達と、そんな彼等に戦闘の続行を望む教会・王国関係者。愛子は、もう二度と流されるもんか! と教会幹部、王国貴族達に真正面から立ち向かった。自分の立場や能力を盾に、私の生徒に近寄るなと、これ以上追い詰めるなと声高に叫んだ。
結果、何とか勝利をもぎ取る事に成功する。戦闘行為を拒否する生徒への働きかけは無くなった。
だが、そんな愛子の頑張りに心震わせ、唯でさえ高かった人気が更に高まり、戦争なんてものは出来そうにないが、せめて任務であちこち走り回る愛子の護衛をしたいと奮い立つ生徒達が少なからず現れた事は皮肉な結果だ。
血の気の多く、今最も不安と心配を掛ける三人、彩織とカインと香織が同行すると言ってくれたのが、不幸中と言うか、皮肉中の幸いである。
「もうこの街ですることはありません。恵里の報告によれば、じきに私の仲間が此処に来るそうなので、血柱肉柱の一本や二本建てておきたいんです」
その仲間の一人が、いつか愛子が出会ったメイドだと言うのだから驚きだ。
そんなこんなで現在では、オルクス大迷宮で実戦訓練をつむ光輝達勇者組、居残り組、愛子の護衛組に生徒達は分かれていた。
004
愛子達農地改善・開拓組一行は、馬車に揺られながら新たな農地の改善に向かっていた。目的地は湖畔の町ウルである。
「愛子、疲れてないか? 辛くなったら遠慮せずに言うんだぞ? 直ぐに休憩にするからな?」
「いえ、平気ですよ。デビッドさん。というかついさっき休憩したばかりじゃないですか。流石にそこまで貧弱じゃありません」
広々とした大型馬車の中、愛子専属護衛隊隊長のデビッドが心配そうに愛子に話しかける。それに対する愛子の返答は苦笑いが混じっていた。
「ふふ、隊長は愛子さんが心配で堪らないんですよ。ほんの少し前までは一日の移動だけでグッタリしていたのですから……かという私も貴方が心配です。ホント遠慮をしてはいけませんよ?」
「その節はご迷惑をお掛けしました。馬車での旅なんて初めてで……でも、もう大分慣れましたから本当に大丈夫です。心配して下さり有難うございます。チェイスさん」
当初、馬車での移動という未知の体験に色々醜態を見せた愛子は、過去の自分を思い出し僅かに頬を染めながら護衛隊副隊長チェイスに礼を言う。
頬を染める愛子に、悶えるように手で口元を隠したチェイスは、さり気なく愛子の手を取ろうとして、ナイフのように鋭い眼光にその手を止められる。止めたのは愛子の斜め前に座っている女子生徒の一人園部優花だ。
馬車の中という密室にイケメン軍団と愛子だけにしていては何があるかわからないと他にも数名のメンバーが乗り込んでいる。
ちなみに、この馬車は八人乗りであり、彩織達は別の馬車だ。騎士達に危険人物扱いされており、愛子に近づこうものなら街に現れた猛獣の如き扱いを受ける。
「おやおや、睨まれてしまいましたね。そんなに眉間に皺を寄せていては、せっかくの可愛い顔が台無しですよ?」
そう言ってイケメンスマイルで微笑むチェイス。
「愛ちゃん先生の傍で、他の女に可愛い? ロリコンですね間違いありません。愛ちゃん先生、この人きっと、……師匠並に女癖悪いですよ。気を付けて下さいね?」
優花は惚れた女の前で他の女に可愛いなんて言葉を使うヤツはろくでもないと考えているが、身近に、恋人の前で平気で他の女に愛してると叫び、髪に気安く触れる男がいることに気がついた。
「そ、園部さん? そんなに喧嘩腰にならないで。それと、せっかく先生と呼んでくれるようになったのに愛ちゃんは止めないんですね……。普通に愛子先生で良くないですか?」
「ダメです。断固拒否します。これは全人類の総意にして遺伝子に刻まれた本能。愛ちゃん先生は愛ちゃんなので、愛ちゃん先生でなければダメです」
「ど、どうしよう、意味がわからない。これが、ゆとり世代の思考なの? 頑張れ私ぃ、威厳と頼りがいのある教師になるための試練よ! 何としても生徒達の考えを理解するのよ!」
一人で「ふぁいとー!」する愛ちゃん先生に、馬車内のギスギスしていた空気がほんわかした。
これこそ愛子が愛ちゃんたる所以なのだが、愛子が気づくことはない。
威厳ある教師への道は遥か彼方だ。
もっとも、頼りがいという面では生徒達は、愛子を頼りにしている。
彩織とカインですら、愛子を頼らなければならない事態というのがあるのだ。
だからこそ説教を逃げることなく受けるし、基本的に愛子の頼みを断らない。
馬車に揺られること四日。
遂に一行は、湖畔の町ウルに到着した。
道中、口説き睨みを繰り返して愛子にほんわかさせられ……。というのを繰り返しており、妙に疲弊していた彼らに香織までもが呆れた。
旅の疲れを癒しつつ、ウル近郊の農地の調査と改善案を練る作業に取り掛かる。
いざ農地改革に取り掛かり始め、最近巷で囁かれている《豊穣の女神》という二つ名がウルの町にも広がり始めた頃、愛子の精神を圧迫する事件が、二つ起きた。
一つは生徒二人による、町民への暴行事件。
こちらは即座に香織と愛子によって沈められたが、もう一件――生徒が失踪したのである。
愛子は奔走する。大切な生徒のために。――その果てに、衝撃の再会と望まぬ結末が待っているとも知らずに。
005
「モッシー、りんごたーん。ななみんいるー?」
《いるよー。ちょっと待ってねー》
深夜のとある町。
妙に可愛らしいメイドが、手のひらに収まる程度の板を耳に近づけて、何者かと会話していた。
《うむ、替わったぞ、刹那。して、なんの用かの?》
「エリたんと会ったよ。イオリンとカインもいるって」
《……マジか?》
「超マジ☆」
《……わかった。もう大方準備は出来ておるのでな、近々、
「私が言うべきじゃないだろうけど、どうやって来る気?」
《うぬが行ける場所に行けぬわけがなかろうが。GPSを嘗めるでない》
「そんなミラクルテクノロジーな技術じゃなかったと思うけど。ってか、私の端末がイカれてんのかなんなのか知らないけど、イオリンとこにいつまで経っても着かないんだけど」
《イカれてるのはうぬだろうに。……わかった。予備の端末も持っていくとしよう。他に要る物はないか?》
「じゃがりことポッキー」
《既にりんごが詰め込んでおったな。ブームか?》
「海外旅行したら誰しも故郷の味が恋しくなる物でしょ?」
《よいのか? 故郷の味がポッキーとじゃがりこで》
「あとはカインがいればこっちでも作れるでしょ」
《食材は十分にあるのか。了解した。ではまたな》
「ん、またねー」
ピッという音を最後に、声は聞こえなくなった。
「さてさて、つまらなくなってきやがった」
町の展望台の屋根に立つメイドは、眼下の町を眺めながら退屈そうに溜息を吐いた。
006
「はぁ、今日も手掛かりはなしですか……。清水君、一体どこに行ってしまったんですか……」
悄然と肩を落とし、ウルの町の表通りをトボトボと歩くのは召喚組の一人にして教師、畑山愛子。
普段の快活愉快な様子がなりを潜め、今は、不安と心配に苛まれて陰鬱な雰囲気を漂わせている。心なしか、表通りを彩る街灯の灯りすら、いつもより薄暗い。
「気を落とすには早すぎますよ愛子。例のメイド、神刺刹那は平気で数年行方をくらませた後に、東京バナナ片手に帰ってきたりしますから。そういう人間が一人増えたくらいで気にしすぎです」
元気のない愛子にそう声を欠けたのは、《チーム》のリーダー、彩織だ。周りにはおなじみの面々がいる。
「そのうちフラッと、嫁と娘と孫を連れて戻ってきますよ」
「それもうこの世界に永住してますよね!?」
彩織なりの励ましだと理解している愛子は、たとえ空元気であろうとも軽快にツッコミをいれる。
クラスメイトの一人、清水幸利が失踪してから既に二週間と少し。愛子達は、八方手を尽くして清水を探したが、その行方はようとして知れなかった。町中に目撃情報はなく、近隣の町や村にも使いを出して目撃情報を求めたが、全て空振り。
当初は彩織の起こした事件に巻き込まれたのではないかと騎士が囲んだが、証拠は一切見られず、魔法についても高い適性を持っていたことから別の事件に巻き込まれたという可能性も低かった。
元々、清水は大人しいインドアタイプの人間で社交性もあまり高くない。
友人はおらず、愛ちゃん護衛隊に参加したことも驚かれたぐらいだ。
かけられる気遣いの言葉に、愛子は内心で自分を殴りつけた。事件に巻き込まれようが、自発的な失踪であろうが心配であることに変わりはない。
傍にいる生徒達を不安にさせるどころか、気遣わせてどうするのだと。それでも、自分はこの子達の教師なのか! と。愛子は、一度深呼吸するとペシッと両手で頬を叩き気持ちを立て直した。
「皆さん、心配かけてごめんなさい。そうですよね。悩んでばかりいても解決しません。清水君は優秀な魔法使いです。きっと大丈夫。今は、無事を信じて出来ることをしましょう。取り敢えずは、本日の晩御飯です! お腹いっぱい食べて、明日に備えましょう!」
「その前に愛子、仕事があと二件残っています。教職に真面目なのはいいことですが、任された仕事を放棄するのはよくありません」
「「「…………」」」
「……さっと行ってさっと片付けてきますので、皆さん先に食べててください」
彩織の言葉に、明らかにショボーンと落ち込んでしまった愛子。居た堪れなくなる生徒達に騎士達は存分に励ますが、それがまた愛子をじわじわと苦しめていく。
彩織と共に現場へと向かう小さな背中を、静かに見守った。