「……よしっと。とりあえずはこんなモンか?」
「ええ、そうですね」
机やイス、コピー用紙の束に機材や未開封のダンボールなど、とにかく重い物で職員室の出入り口を塞いだ。外から高城の泣き声に釣られてやって来た〈奴ら〉の呻き声が聞こえてくるが、このバリケードが破られる可能性は低いだろう。
「……皆、疲れ切ってますね」
出入り口を固め終えた後、呟いた小室の言葉に一真は頷いた。見れば、皆一様に疲れた表情で適当な場所に座り込んでいた。静香なんかは、自分のデスクにぐだーっと突っ伏している。無理もない、と一真は思った。
唐突に終わりを迎えた世界。
いつ自分が死んで〈奴ら〉の仲間入りしてもおかしくない状況下に置かれ、逃げるために〈奴ら〉と戦った。体力的にも精神的にも辛い。束の間とはいえ、休息するだけの余裕ができたのはまさに僥倖と言えるだろう。
「鞠川先生、車のキーは?」
「あ、えっと、確か私のバッグの中に……」
問い掛けた小室に、静香が顔を上げてデスクの脇にかけていた自分の鞄を漁り出した。
「静香さんの車じゃ、全員は無理だろ?」
「うっ、そ、そう言えば……」
「部活遠征用のマイクロバスはどうだ? 壁の鍵掛けにキーがあるが……」
平野が窓から駐車場を見下ろした。
「バス、あります」
「それはいいけど、どこへ?」
「家族の無事を確かめます。近い順に皆の家を回るとかして、必要なら家族も助けて、その後は安全な場所を探して……」
「安全な場所か。そんな所が本当にあればいいが……ん?」
一真は、備え付けられてあるテレビを見て固まっている宮本に気が付いた。
「どうした、宮本?」
「な、何なのよ、これ……!」
固まったままの宮本の代わりに、冴子が近くにあったリモコンを手に取ってテレビの音量を上げる。映っているのは緊急報道をしているニュース番組だった。
『……全国各地で頻発するこの暴動に対し、政府は緊急対策の検討に入りました。しかし、自衛隊の治安出動については与野党を問わず慎重論が強く……』
「暴動ってなんだよ、暴動って!」
小室が声を荒げた。冴子はリモコンを操作してチャンネルを変えた。次に映し出されたのはとある県の放送局が流す緊急報道で、女性リポーターの後ろではストレッチャーに乗せた遺体を運ぶ救急隊員と警官の姿が映し出されていた。
『……ません。すでに地域住民の被害は1000名を超えたとの見方もあります。知事により、非常事態宣言が──』
ここまで女性リポーターが読み上げたところで、現場の状況が一変した。突如銃声が鳴り響き、現場は騒然とし始める。
『は、発砲です! ついに警察が発砲を開始しました! 一体、何に対して……!』
と、カメラが銃を構える警官の視線の先を映し出した時だった。ストレッチャーに乗せられ、死体袋に入れられていたはずの遺体が次々と起き上がった。立て続けに鳴り響く銃声、乱れるテレビ画面、マイクに拾われる女性リポーターの悲鳴。その悲鳴が断末魔に変わるとプツリと現場の映像が途切れ、『しばらくお待ちください』というメッセージが映し出された数秒後に映像がスタジオに強制的に戻されてしまった。
『……何か問題が起きたようです。こ、ここからはスタジオよりお送りいたします。どうやら、屋外は大変危険な状況にあるようです。可能な限り自宅から出ないよう注意して下さい。中継が復旧次第、改めて現場の状況を現地キャスターに報告していただきます』
「それだけかよ……どうしてそれだけなんだよ!」
ドンッ、と小室がデスクに拳を強く打ち付けた。彼の言葉に答えたのは、高城だった。
「パニックを恐れてるのよ」
「今さら?」
「今だからこそよ」
洗面所で血に塗れた顔を洗い、いつの間にか眼鏡を掛けていた彼女は、その眼鏡をくいと指の腹で持ち上げる。
「恐怖は混乱を生み出し、混乱は秩序の崩壊を招くわ。そして秩序が崩壊したら……どうやって動く死体に立ち向かえるというの?」
高城の説明の差中に、冴子が再びチャンネルを変えた。アメリカ国内の放送で、全米でもこの異常事態は発生しているようだった。否、日本やアメリカだけではない──世界中で、この地獄が起きているのだ。
「世界中で〈奴ら〉が……」
「朝、ネットを覗いた時はいつも通りだったのに……」
一連の放送を見終えると、やはりというべきか、全員の顔が絶望に青ざめられていた。冴子の手が、一真の制服の裾を弱々しく掴んだ。
「信じられない……たった数時間で、世界中がこんなことになるなんて……」
宮本が縋り付くように小室に歩み寄る。
「ね、そうでしょ? 絶対に安全な場所、あるわよね? きっとすぐいつも通りに──」
「──なるワケないし」
「そんな言い方することないだろ、高城っ」
「パンデミックなのよ、仕方ないじゃない!」
「パンデミック……?」
高城の言葉に小室は首を傾げる。
「感染爆発のことよ! 世界中で同じ病気が大流行してるってこと」
「インフルエンザみたいなものか?」
「1918年のスペイン風邪はまさしくそう。感染者が6億以上、死者は5000万人になったんだから。最近だと新型インフルエンザが大騒ぎになったでしょ?」
「どちらかって言うと、14世紀の黒死病に近いかも」
「その時はヨーロッパの3分の1が死んだわ」
「……どうやって病気の流行は終わったんだ?」
「色々考えられるけど、人間が死に過ぎると大抵は終わりよ。感染すべき人がいなくなるから」
しかし、死んだ者はみんな動いて襲ってくる。感染の拡大が止まる理由は無いに等しい。
「あ、これから暑くなるし、肉が腐って骨だけになれば動けなくなるかも」
「どれ位でそうなるのだ?」
「夏なら20日程度で一部は白骨化するわ。冬だと何カ月もかかるけど、でもそう遠くないうちには……」
「だが、動く死体なんてのは医学の対象にはならない。腐るかどうかなんて分かったものじゃないな。……下手をすると、永遠に活動を続ける可能性もある」
誰かが息を飲む音が聞こえた。分からないことは増える一方だ。
「家族の無事を確認した後、どこに逃げ込むのかが重要だな。ともかく、好き勝手動いては生き残れまい」
そうして、生き残るために出された結論。それは、チームを組むこと。
休息は終わり、一真達は立ち上がる。その手には自家製の釘打ち銃が、金属バッドが、モップの柄が、木刀が握られている。
「……出来る限り、生き残りも拾っていこう」
「……ああ」
出入り口を塞いでいたバリケードを撤去し、出る準備を整える。外から聞こえてくる〈奴ら〉の呻き声に、七人の間に緊張が走った。
「行くぞ!」
一真の合図と同時、職員室の扉が開け放たれた。一番近くにいた数体の〈奴ら〉を平野が釘打ち銃で倒す。円状の陣形で高城と静香を護衛するように武器を持つ者が周囲を囲み、無用な戦闘は避けながら立ち塞がる者だけを排除して進んでいく。
目指すは駐車場。
生き残りを懸けた逃走劇が、始まった。
◇
「──キャアアアアッ!!!」
二階から一階へと続く階段を降りていると、そんな少女の悲鳴が聞こえると共に、〈奴ら〉に取り囲まれている数人の生き残りを発見した。一真達は静かに、無駄のない動きで〈奴ら〉を制圧。生き残りを救出し、彼らを連れて一階に降りた。階段を降りるとすぐ目の前は正面玄関だが、ここで一つの問題が発生した。
「……やたらといるな」
階段の踊り場から正面玄関を見下ろして、一真は小さく舌打ちをした。正面玄関は混乱が起こった際、特に人間が集中した場所だ。その時に〈奴ら〉が現れたようで、今までとは比べ物にならない数の〈奴ら〉がそこには蔓延っていた。
「見えてないんだから隠れることはないのに……」
「じゃあ高城が証明してくれよ」
「う……」
小室の反論に高城が押し黙った。『〈奴ら〉は音に敏感』、『〈奴ら〉は目が見えない』等の情報は彼女が職員室に来る前に実験して得たもので確かな事実ではあるが、だからと言ってやれと言われて素直にやる者は相当肝が据わっている。
それに、正面玄関には音を出しやすいものが多い。人数も考えると、静かに進むことは不可能だろう。となると強行突破しか方法がないわけで、誰かが〈奴ら〉の注意を引く必要がある。
そう、誰かが。
それはあまりにもリスクが大きく、危険しかない。
そんなことを、後輩にも静香にも──冴子にもやらせる訳にはいかない。
「……俺が行く」
「一真……!?」
「そんな! 片桐先輩が行くよりも、僕が行った方が!」
「いや、小室は残って皆を守れ。ここは素直に先輩に任せておけ」
こんな時だけ先輩風を吹かせるなんて嫌な先輩だな、と場違いなことを考えて一真は心の中で自嘲する。
「一真……」
冴子は今にも泣きそうに表情を歪めていた。その顔は暗に『行かないで』と告げている。一真は、冴子のその長く綺麗な紫色の髪に手を置いた。
「大丈夫、俺は死なない」
その一言だけ。あまりに簡素で呆気ない言葉だが、冴子の表情はその一言で和らいだ。そして、笑顔に変わり、
「すぐに戻って来てくれ」
「ああ」
笑顔で返す。階段を一段、また一段と降り、正面玄関に辿り着く。後方で平野が申し訳程度に援護の体勢に入ったが、あの釘打ち銃も音が出るので下手に撃てないだろう。しかし、その気持ちだけでもありがたい。平野の気遣いに感謝しつつ、一真は〈奴ら〉の群れの中心へと歩を進めた。高城の言ったとおり、やはり〈奴ら〉は視覚が無い。周りの〈奴ら〉は、立ち尽くす一真に見向きもしていなかった。しかし、その内の一体がこちらに向かって来るのを視界の隅で確認し、一真は身体を硬直させた。全身に冷や汗が伝う。向かって来るそれは、やはり一真のことは見えていないようで一真のすぐ真横を通り過ぎるだけだった。声に出さない程度に盛大に安堵の息を溢す。後ろの方でも、誰かが息を吐いたのが聞こえた。
(あとは、こいつらをこの場から引き離すだけ……)
足元に無造作に転がっていた上履きを拾い上げ、正面玄関から離れた場所に投げる。遠くまで飛んでいき、床に落下した上履きは小さな──しかし断末魔すら聞こえなくなって静寂に包まれた校舎内においては大きな音を響かせた。その音に釣られ、正面玄関を彷徨っていた〈奴ら〉が次々と離れていく。
今だ。一真は階段に振り返り、合図を送った。合図を確認した小室達が他の生徒を引き連れて降りて来る。一人ずつ静かに外へと誘導し、ようやく校舎から外へと脱出できたと、誰もが安堵した。
その油断が、命取りとなった。
──カァァァン………!!
『──ッ!!?』
途中で拾った生き残りの男子生徒の一人が持っていた刺股。それが玄関の戸口にぶつかり、大きな音を生み出してしまった。
外の〈奴ら〉、中の〈奴ら〉。その全ての視線が、一斉に一真達に向けられた。
「「──走れっ!!」」
一真と小室が叫んだのは、ほぼ同時。二人の叫びを聞いて、全員がマイクロバスのある駐車場に一目散に駆け出した。
「なんで声出したのよ! 黙っていれば手近な奴だけ倒してやり過ごせたかもしれないのに!」
「あんなに音が響くんだもん、無理よ!」
「話すより走れ! 走るんだ!」
正面に立ち塞がる〈奴ら〉だけを排除しながら、一真、冴子、小室を先頭に駐車場を目指してひた走る。何とかバスまで辿り着いたものの、途中で二人の犠牲者を出してしまった。
「静香さん、早くキーを!」
「わ、分かったわ!」
静香がバスのドアを開け、高城たち非戦闘員が先に乗り込んだ。バスの車窓から平野が援護射撃を開始する。
「一真、全員乗った!」
冴子の言葉に頷いて、一真達もバスに乗り込む。
「………てくれぇっ!!」
ドアを閉めようと手を掛けたその時、一真達の耳に声が届いた。すぐに周囲を見渡すと、50mほど離れた所から別の集団がこちらに向かって走って来ているが見えた。数にして六人。その内の一人、先頭を走っているのは……。
「あいつは──紫藤か……!?」
「──ッ!!?」
一真の言葉に、宮本が表情を強張らせた。紫藤達の姿を確認した小室がエンジンを掛けた静香を止める。
「静香先生、もう少し待って下さい!」
「でも前にも来てる! 集まり過ぎると動かせなくなる!」
「踏み潰せばいいじゃないですか!」
「この車じゃ何人も踏んだら横倒しよ!」
「くっ……!」
大きく歯噛みし、彼らを助け出そうと小室がバスを飛び出そうとした時だった。宮本が、小室の肩を捕まえる。
「あんな奴、助けることない!」
「麗!? なんだってんだよ一体!」
「助けなくていい! あんな奴、死んじゃえばいいのよ!!」
バスを出して! と、宮本は静香に告げた。静香は本当に出していいのかあたふたと狼狽える。
「静香さん、彼らも拾っていく。まだ出さないでくれ」
「片桐君!? 何で、どうして!? 片桐君も知っているでしょう!? あいつがどんな奴か!!」
静香を制止した一真に、宮本が食って掛かる。一真の胸倉を掴み上げ、恨みの篭った瞳を向ける。
「ああ、そんなことは分かってる。忘れるはずないだろう。だが、もう少し冷静になれ宮本。あそこにいるのは紫藤だけじゃない」
「──ッ」
宮本がハッと目を見開いた。彼女の気持ちは痛いほど分かる。この中の誰よりも知っている。一真と冴子が所属していた3年A組の担任、紫藤浩一。彼がどんな人間で、かつて宮本に──彼女の家族に一体何をしたのか。
一真に諭され、ようやく宮本も一旦の落ち着きを見せた。しかし、納得はしていないだろう。口論の間に紫藤は他の生き残りの生徒達と共にバスに乗り込んでいた。
「静香さん、今だ!」
ドアを閉め、運転席の静香に告げる。静香は大きく頷くと、アクセルを思い切り踏み込んだ。バスは瞬く間にその速度を上げて発進し、閉ざされた校門目掛けて一直線に走り抜ける。
その進路を大勢の〈奴ら〉が塞いでいたが、それでも止まるわけにはいかない。
「……もう、人間じゃない……」
静香は深呼吸して呟いた。自分に言い聞かせるように、迷いを吹っ切るように、同じ言葉を繰り返す。
「人間じゃない!!」
アクセルを思い切り踏んでバスを更に加速させた。速度メーターが100キロを振り切り、あたかも巨大な弾丸の如く、眼前の〈奴ら〉を次々と撥ね飛ばしていく。衝撃が車内まで響き、一真達は近くの手すりにしがみ付いた。激突の影響で少しスピードが落ちたが、静香はすぐに再びアクセルを踏み直してスピードを先ほどよりも速くしていく。巨大な弾丸と化したマイクロバスは、閉じ切った鉄柵門をいとも容易く突破し、一真達はようやく学園からの脱出に成功した。
「……どうにかだな……」
マイクロバスの速度が徐々に落ちていくのを肌で感じて、小室が大きく息を吐いて座席に体重を預けた。彼に触発されたわけではないが、他の者からも安堵と脱力の吐息が漏れ出す。
「助かりました。リーダーはやはり片桐君ですか?」
そんな中で紫藤が立ち上がり、ゆっくりとした足取りで一真に歩み寄ってきた。一真はわずかに表情を歪ませるが、それを気取られないようにポーカーフェースを決め込んだ。
「……そんなものはいません。俺達はただ、生き残るために協力しただけです」
本当は、彼に敬語を使うのも憚られる。
「それはいけませんねぇ……生き残るためには、リーダーが絶対に必要です。全てを担う、リーダーが……」
耳に纏わりつくような彼の声も、邪悪に歪んだ彼の顔も。何もかもが、一真にとって気に食わない。
学園を脱出した一真達。しかし安心するにはまだ早いと。
一真は一人、拳を固く握り締めた。