審神者は憤慨した。
審神者は随分昔に両親を亡くしている。親類は従弟が1人と祖父がいるだけであった。その祖父も先日荼毘に伏した。
祖父には自身が審神者という職務についていることは伝えていたが、幼い従弟には詳しく伝えるわけにはいかず、海外の電波が通じないところにいると伝えた。
その結果、従弟からは外国の辺境にある跳梁跋扈する密林にいると勘違いされているし、審神者はディスカバリーチャンネルから仕入れた、日本では確実に使わないであろうサバイバル術を従弟に教え、その勘違いを加速させておいた。
即席の防弾チョッキの作り方は現代日本ではなかなか使わない知識だろう。誰かと取っ組み合いになったときはパンチよりも肘打ちを食らわすほうが効果が高いという知識をいつか従弟が実行に移すかもしれないが、『やられる前に徹底的にやれ』をモットーに掲げている審神者は特段気にも留めていない。
審神者という職業は機密性が極めて高い。
本丸では外部との連絡は制限され、電話はおろか、手紙も届くまでに通常であれば安全面の確認に2〜3週間の時間を要する。
現代への外出許可もなかなか降りない。
しかし、従弟の運動会には、3ヶ月も前から外出許可を取り本丸の台所で腕を振るう刀剣男子から料理を教わり、弁当をこさえた。
運動会の1週間前から当日確実に晴れるように石切丸を始め、御神刀組を集めて晴れ乞いを行ったおかげで従弟の運動会はいつも快晴で雨天で順延することはなかった。
従弟の誕生日やクリスマスには必ずバースデーカードやプレゼントをしこたま送った。祖父から止められ叶わなかったが、お年玉として帯を巻いた束1つくらいは従弟にあげるつもりであったし、今でも口座を分けて従弟のために残している。
事前に従弟に緊急事態時のみに使用可として政府担当者の連絡先を教えていたため、祖父を送り出す手配は無事にできた。自らの死期を悟っていた祖父から自分が死んでも絶対に来るな、そんな暇があるなら仕事しろと厳命されており、審神者は涙を飲んで仕事に励んだ。
従弟から東京の学校に行きたいと連絡があった時は、まだ小さいのに将来を考えて行動するなんてと親心で涙が溢れそうになった。この時詳しく学校名まで聞いておくべきだったと後悔することになる。
審神者は本丸でのんびりしてると思われがちだが、実際のところ書類に埋もれている。本丸の運営に出陣部隊の記録や始末書、万屋にある目安箱に入れられた意見の確認・調査などすることは山ほどある。
審神者同士意見交換ができるスレッドで、ボタンを押すと自動的に定例文を組み合わせ始末書ができるマクロを披露したどこかの審神者が一時期スレッド内で神になっていたが、すぐに政府側の管理者に見つかり、アカウントをBANされて神から仏になったことは記憶に新しい。
そんなことを思い出していたとき、担当者から緊急連絡が入った。現代に審神者個人名義で借りている私書箱に従弟が亡くなったという書面が従弟の学校から届いたらしかった。
その担当者の言葉を反芻し咀嚼し飲み込むと審神者は立ち上がり、近侍に第一部隊を呼ぶように伝えた。
「主、第一部隊そろえてなにするの…?」
先程とは表情が一変した審神者におろおろしながら加州清光が尋ねる。
「なにって?―――喧嘩を売りに行くの」
審神者の目は据わっている。
夏油は高専の正門の前で一人佇んでいた。
突然虎杖の保護者から高専にいくという連絡があったためだ。
夏油は五条と同じように教師になった。小中学校の教員免許も合わせて取得した。自身の幼少期の経験から、「見える」ことでつらい思いをしている子どもを見つけ、助けることもできている。夏油1人では手一杯であったが慕ってくれている灰原や呪術師の協力で何とか形になった。
夜蛾の助言で、子どもに慣れるため、呪術界の息がかかった養護施設に夏油がボランティアとして行くようになると、同じように「見える」からなのか、呪術師によって保護された美々子と菜々子にいたく気に入られた。
子どもに慕われるのは嬉しくもあった。
夏油が養護施設によく顔を出すようになると夏油とつるんでいる五条も自然と着いてきた。しかし、五条は特段何かするというわけではなく、美々子や菜々子とアンパンマンやおかあさんといっしょをただ見ているだけだった。五条は家の都合で幼少期にそういうものを一切見なかったようで、今更興味を持ったのか、任務の際にアンパンチやピタゴラスイッチをしようとして、夏油にクレームが殺到した。
その夏油はつい1時間前まで、現在、呪術を使いこなせるよう訓練に励む美々子と菜々子に課題を出し、ブーイングを浴びていたはずであった。
虎杖の件については夏油も把握しているし、虎杖に交流会までに力をつけさせることには賛成であった。
しかし、虎杖の保護者への説明という仕事を五条は『傑にまかせる』と言ってとんずらし、夏油にお鉢が回ってきた。
夜蛾からその連絡が来たとき夏油は額に青筋を立てた。
待ちぼうけながら夏油は保護者にどう言い訳しようかと考えた。
高専のサーバーがハッキングされ、でたらめな書面を作成した挙句、なにも知らない職員が、正式な書面と誤認し郵送してしまったというのはどうだろうか。かなり苦しいごまかしだがそういうしかなかった。虎杖本人の元気な姿を見せれば、納得して帰っていくだろう。
虎杖に来る保護者について軽く聞いたが、従姉で、海外に在住で、この情報社会で携帯の電波も届かないような辺鄙なところにいるらしい。
遠くから車が高専に向かって走ってくるのが見える。
所謂高級車の部類に入る車種で、虎杖の従姉は案外高給取りなのかもしれない。車は正門に近づくにつれてスピードを緩め、夏油の前で静かに停車した。後部座席のドアが開き、上等そうな色留袖を纏った人物と目があった。
「―――、お久しぶりです、夏油さん」
夏油が定期的に検診を受ける原因を作った審神者がそこにいた。
「……久しぶり、宮内庁からは監査の連絡はなかったけど、今日はどうしたんだい?」
「本日は審神者としてではなく、保護者として参りました。虎杖悠仁は私の従弟です」
夏油はさっきまで考えていたごまかしが役に立たなくなったことを一瞬で悟った。
一切のごまかしが効かないため、正直に言うしかない。
軽めのジャブとして現在の虎杖の状況を伝える。
「…悠仁は一瞬死んでたけど、今は生きてるし元気だよ」
夏油のその言葉の真意を探るように審神者は目を細める。
詳しい話は担任の五条から…と言いつつ、虎杖と夜蛾がいる応接室に案内する。さっき夜蛾から『悟、捕獲』の連絡が来ていたため五条もいることだろう。
先程の刺すような空気は若干和らいだが、会話はない。
どうしようかと考えあぐねていると、審神者から話しかけられる。
「ーーあの後、大丈夫でしたか?」
夏油は前回審神者から食らったパンチの事だと自然とわかった。
「あれ、どうやったんだい?最悪な味を感じなくなって驚いたよ。おかげでMRIを何回も受けることになったけれどね」
「あぁ、成功したようでよかったですね」
さらりと言われたその言葉に夏油は足を止めた。
「…ちょっとまって、失敗する可能性もあったってこと?」
「無味になるか土の味になるかで半々の確率でした」
「…本人の許可なくするってどういうことだい?」
「だから、文句を言われないようにさっさと退散したでしょう?」
五条は夜蛾に捕獲され、応接室のソファで足を大きく開き行儀悪く座っていた。目の前には虎杖がそわそわとしている。
「ねー、悠仁の従姉ってどんなひと?美人?」
虎杖はその下世話な五条の言葉に首を縦に振った。
「どんなって言われても…んーあんま怒ったところ見たことない。あと、料理がうまい」
「ふーん」
従姉との再会に胸を躍らせている虎杖には申し訳ないが、五条は心の中で小さくガッツポーズした。
五条も夏油も自身の容姿の良さに自覚がある。
夏油を保護者の出迎えに行かせたのも思惑があった。夏油はパッと見は紳士的で保護者受けもいい。虎杖も無事に生きているし、止めに五条普段つけている目隠しを取り、安心させるようなことを囁けばころりと落ちるだろう。虎杖の従姉はおとなしい性格のようなので、呪術界のアマゾネスたちと普段やりあっている五条や夏油なら訳ない。
そんなことを考えていると応接室のドアがノックされた。
五条はいそいそと目を覆っている黒い布を取り、女性にウケのいい笑顔を張り付けた。
「―――あら、こんにちは、五条さん」
額に青筋を立てた審神者の鋭い瞳が五条を捉える。
審神者の背後では夏油が五条に向かって手を合わせていた。
夏油は審神者に、虎杖に対するこれまでの五条の数々の所業をちくっておいた。