夏油は美々子と菜々子の任務に引率としてついていったはずだが、無事に任務完了したご褒美として近くのケーキ屋でケーキを奢らされている。
特級呪術師として稼いでいるため懐は全く傷まないが、2人を幼い頃から見ている夏油としては、我儘に育ってしまわないか心配で仕方がない。
五条には既に手遅れと言われるが、その度に五条と夏油は呪術を使わない肉体言語で話し合っている。
以前お互いに呪術を使って話し合ったときには、高専の敷地内の山がひとつふたつ消し飛んだ。そして、夜蛾から拳を落とされ、罰として五条と夏油で手を繋いだまま1日過ごすように言われた。
家入や生徒には写真を撮られ、その日は終日死にたかったし、今でもその日のことを思い出すたび吐きそうになる。
夏油としてもいい大人が情けないとは思うが、自分が育てたと言っても過言でない2人のことを貶されるのは我慢ならない。
五条からは夏油が2人に甘いことが原因だと言われるが、ご褒美は一度につき、1人1万円までと決めているので問題ないはずだ。
五条がそれでもあまりにひどく言うので、ついには学生時代に2人で結んだ鉄の掟、どちらかが死んだ時は残った方がパソコンのHDDの中身を削除するという約束を反意にする覚悟をするまでになった。
HDDの中身を悟の葬式の最中にプロジェクターで流す。
態度を改めなければ、という前置きをし、そう伝えると五条の顔色は真っ青に変わった。
「はっ!?ばっ……おま……ぇっ?…」
言葉になっていない音を並べ五条は慌てふためいた。
自身で最強と謳う五条でも流石に焦ったのか口調が以前のものに戻る。
「――っ!お前それ本気でいってんのか!?」
「だから言っているだろう?2人のことを悪く言わなければしないって」
夏油はわざとらしく肩を竦めた。
「お前そんなことのために、あの鉄の掟を破るのか…!」
「私にとっては、そんなことではないんだよ」
「っ!あー!!もう!わかったっ!いわないから!それだけはやめろ!」
夏油は満足気に微笑んだ。
そんな、自身で酒の肴にするまではまだ時間がかかるであろう、クソみたいな思い出を夏油は美々子と菜々子に連れて行かれたケーキ屋でバスクチーズケーキをつつきながら、何故か思い出していた。
「…あっ」
菜々子が窓の外を眺めながら言う。
その菜々子の視線の先を辿ると、夏油も声には出さずとも、おやっと思った。
ひとりの男の子が道にいたほぼ無害と言っていいような呪霊を避けるようなぎこちない動きをしている。
少年の視線は低く地面に落とされ、長めの前髪と相まって陰鬱な印象を与えた。
少年の服装はTシャツにズボンというもので、ズボンのポケットに雑に財布を突っ込んでいるため、きっと近所に住んでいるのだろうと推測できた。
まず高専に報告して、などと少年にどう近づくか夏油が考えていると美々子が言う。
「夏油先生、菜々子が行っちゃった」
「は?」
美々子の横の席を見ると、既に菜々子の姿はなく、辺りを見回していると、美々子は窓の外を指差した。
菜々子があの少年に話しかけている。
夏油はすぐさま行動に移せる若さが羨ましくなった。
そのまま放っておくことはできないため、夏油は店員に諭吉を1枚押し付けお釣りは不要ですと言い残し、美々子と共に急いで店を出た。
「だーかーらー、それをどうにかする方法教えてあげるっいってんの」
「…僕、あの、今日お金持ってなくて」
側から見れば完全にカツアゲの現場である。
「菜々子、ちゃんと説明してあげないと」
美々子が2人に声を掛けると、少年はこちらの方に視線を向け、顔色を更に青くした。
吉野としてはコンビニに週刊少年ジャンプを買いに行こうとしたら、道に時々見える変な物体がいて、目を合わせないように通り過ぎると、急に派手な女子に話しかけられたといった状態で、ついに知らない人にまでカツアゲされるようになったのかと思っていた。
どうにか切り抜けるしかない。財布にはジャンプ代しか入っていなかった。目の前の女の子に自身の財政状況を伝えているとさらに人が増える。
2人の中学生と思われる女の子を連れた黒い服の180㎝オーバーの成人男性が1人。
事案でしかない。
カツアゲならまだしも美人局とは吉野も初めての経験だった。
美人局と言っても手さえ触れていなかったが。
吉野の脳内ではこのまま脅され、素寒貧にされた挙句、腎臓を一つ売らされるところまでは想定ができた。
指一本触れていないのだから、腎臓だけは勘弁してほしい。
ここまでベタな展開はB級映画でもなかなかないが、事実は小説より奇なりというし、腹をくくるしかない。
男に立ち話もなんだから…と言われ、近くの喫茶店に連れて行かれた。コーヒー代すら払えないため水でよかったが、男に私が払うからと言われ、男と同じものを注文した。
吉野を逃がさないようになのか、吉野の横には黒髪の女の子が座り、テーブルを挟んで男と先ほど話しかけてきた女の子が座っている。地獄の4者面談だ。
「えぇっとね。さっきの話なんだけど」
男が言う。
「…あの、僕、その子には指一本触れてませんし…」
実際無実であるが、少しでも罪を軽くしたかった。 吉野は周りの音に掻き消えそうなかすかな声で言う。
その言葉に他の3人がきょとんとする。
すぐに理由がわかったのか男がふき出して笑った。
「もしかして、君は私たちが君を脅そうとしてると思ってたのかい?」
その男の言葉に首を縦に振った。
それに怒ったのは初めに話しかけてきたお団子の女の子であった。
「はーー?信じらんない!」
その語気に吉野は体を小さくさせる。
「菜々子のその言い方が悪いんじゃない?」
「私悪くない!」
言い合いをする女の子たちを見ると顔が良く似ている。
その2人を横目に男は自己紹介を始めた。
「私は夏油傑。東京都立呪術高等専門学校で教員をしている」
「学校の先生…?」
そういわれるとそう見えてしまうのが人間の不思議なところである。さっきの恐怖が少し薄れた。
「と言っても普通の学校とはちょっと違ってね。君、「見える」だろう?」
その言葉にびくりとした。
「…なんで…」
「私たちも一緒だからさ」
吉野は視線を上げて初めて男の、夏油の顔を見た。
夏油は吉野が興味を持ってくれたことがわかり、呪力や呪術について教えた。
「この子たちはまだ中学生だけど、ちゃんと呪力や呪術を使いこなせるように教えているんだ」
言い合いをしていた2人が、話題が自分たちの事に変わったことに気が付いたのか吉野の方に視線をよこした。
「私が菜々子で、そっちが美々子」
まだ腹に据えかねているのか、ぶっきらぼうに菜々子が言う。
吉野はまだ自身が名前さえ言っていないことに気が付き、名乗った。
「で?あんたどうしたいの」
「?」
吉野には菜々子が言いたいことがわからず頭に疑問符をつける。
「今のまま下級の呪霊にもビクビクおどおどした生活をするか、そうでなくなるか、どっちがいいの?」
投げかけられた質問に吉野は答えられない。
「菜々子、そんなことすぐ決めれるわけがないだろう?」
夏油は諌めるように言う。
「念の為、私の携帯番号を伝えておくよ。決めたときでなくてもいい。なにか困ったことがあれば連絡して」
その言葉に吉野は頷き、自身の携帯番号も夏油に伝えた。
「そうだ。先に言っておくけど、呪力の使い方を知りたいと決めたときには、菜々子たちと同じ高専の近くの中学に転校してもらうことになる。近くと言っても車で移動しないといけない距離だけどね」
「…僕、高校生なんですが…」
「マジで?私らと同い年かと思った。童顔ヤバくない?」
「菜々子、言い過ぎ」
夏油は軽く謝っていたが、2人に止めを刺されちょっと落ち込んだ。
夏油からは今の高校から高専に転校することになることと高専には寮があり、寮で生活することになると伝えられた。
吉野にはシングルマザーの母親がいる。
母親は吉野よりも朝早く出勤し、夜遅くに帰ってくることもある。
学校に行けず、昼間もぶらぶらしている息子を怒るでもなく、見守ってくれている。
始めは母親に心配を掛けないように意地でも学校に行っていた。しかしある日、制服を着て鞄を持ち玄関に立つと体が動かなかった。
今日も昨日と同じように殴られるのかと思うと一歩が踏み出せなかった。陽が落ち、母親が帰ってくるまで、そのまま玄関で立ち尽くしていた。
ベッドに寝転がり、今日の話を反芻させる。
母親に負担を掛けないようにと転校は考えたことがなかった。
しかし寮生活となると母親が一人になってしまう。
それに高専に入るといつも見えているあの変な物と戦うことになる。映画が好きで、アクション系のものも沢山見てきたが、自分が戦う姿がどうしても想像できなかった。
そんなことをずっと考えていたからだろうか。
普段は学校の下校時刻には会いたくない奴に見つからないよう外に出ないが、その日は上映が終わったにも関わらず、映画館でぼんやりと考え込んでおりそのことに気が付かなかった。
不意に背中を蹴られた。
俯いていた吉野はそのまま体勢を崩し、アスファルトに両手を着く。
背後から下品な笑い声が響く。
「吉野ちゃーん、俺たち金欠だからお小遣いくれなーい?」
その声を聞いた途端、息が浅く、早くなるのを感じた。
叫び出したいのに、声が出ない。
「おまわりさん!こっちです!人が急に蹴られました!」
不意に女性の悲鳴交じりの声が響いた。蹴った本人たちも自分の事だと気づいたらしく慌ててどこかに行ってしまった。
「いつまでそんなとこに座ってんの」
声をかけられ顔を上げると以前と同じ仏頂面をしたお団子の女の子が立っていた。
マックの店内で菜々子はジュースを飲むでもなく、ストローを齧りながら吉野を睨む。ちなみにドリンク代は吉野が出した。
「あの…さっきの、お巡りさん待たなくてよかったのか?」
吉野が恐る恐る訊ねる。
「あぁ、あれ嘘だから問題ない」
あっけからんとした表情で菜々子は言った。
「そんなことより、アンタのせいで夏油先生が元気ないんだけど」
「…?」
「だーかーらー、アンタからの電話をうきうき待ってるのに、なかなか掛かってこないからだんだん夏油先生の前髪が萎れてきたんだけど」
「僕のせいじゃなくない…?」
「どっちでもいいから連絡すればいいのになにしてんのよ」
「あんな大事なことそんなにすぐ決めれるわけないだろ」
「悩むだけ時間の無駄じゃない?」
「だって任務って危ないんだろ」
「危ないっていっても最初から自分より強い呪霊に当たらせるわけないに決まってんでしょ。そんなのチュートリアルが終わってすぐのヒノキの棒持った雑魚にボス戦に行かせるようなものじゃん」
「雑魚…」
「あんな奴らに蹴られたまま我慢してる奴なんか雑魚で十分」
「好きで蹴られてるんじゃない…」
「反撃もしないからドMかと思った」
「ドMって…反撃っていったって、体も大きくないし…」
「?、アンタ馬鹿でしょ。なんで物理で反撃しようとしてんの。私より腕細いくせに」
「僕だって筋肉ぐらいある。……物理以外?…」
「なんなら協力してあげてもいいよ」
「なんでそこまで…」
「これ以上夏油先生がしおしおになってハゲたら困る」
菜々子のその理由になぜだかやる気がでた。
同情でも憐れみでもない理由だからかもしれない。2人でそのまま遅くまで話し合った。
帰る間際に菜々子と腕相撲したら吉野が秒で負けた。
吉野は顔にも体にも青あざや切り傷を作り満身創痍で、母親には少し泣かれたが、気分は過去最高だった。
学校では全校集会が行われているが吉野は出ていない。
吉野と菜々子がしたことはごく単純なことであった。
吉野が暴行を受けている場面を菜々子が撮り、証拠として残して様々なところに送りまくった。念の為、病院で診断書も書いてもらったが結局使うことはなかった。
教育委員会や警察、テレビ局に新聞社、地元議員全員に地元の有力者、OBOG。SNSやYouTubeで捨てアカウントを何個も作り、動画や画像を張りまくった。揉み消されたら困るため学校関係者へは最後に送っておいた。
鳴り止まない学校の電話に教員たちは慌てふためき、学校中で様々な噂が流れた。
切手代やもろもろの雑費は懐に響いたが、まぁいいかと思えた。あの大雑把な菜々子の考え方がちょっと移ったのかもしれない。
「あーー!!ざまあみろ!」
この件で学校で校長と担任に呼び出された後、廊下で思いっきり叫んでやった。
「こっちは順平の担任の五条悟。言動はあれだけど、特級呪術師だから安心して」
夏油は目隠しをつけた男を紹介した。
「言動はあれってひどくない?」
「えっ?夏油さんが担任じゃないんですか?」
「私も一応特級呪術師なんだ。任務でなかなか忙しいからクラスは受け持ってなくってね。美々子と菜々子に時々教えるだけで手一杯」
「よろしくねー。僕、最強だから安心して。今はもやしの順平も僕が鍛えればムキムキになるから」
「夏油さん…」
「ん?なんだい?」
「チェンジで」
2人が手を繋いでいる写真は家入によって高額で転売され、様々な場所で酒の肴になっている