高専の保健室には、眠り姫がいるらしい。
誰が言い始めたのかも分からず、噂の出処も定かではないコレが出回り始めたのは、丁度三日前くらいだっただろうか。
「失礼します」
ノックした声掛けに返事が返されたのを聞き、呪術高専東京校の一年生。
中にいたのはお馴染みの女医である、
そしてその背後には、いつの間にか真っ白いカーテンの引かれていた怪我人用のベッドがある。
「なに? 今日はどうしたの」
「真希先輩との打ち合いで足が滑って、直撃を貰った腕が折れました」
ぷら〜んと力なく動く片腕を指すと、家入は呆れたようにため息をついた。
そして座って、と伏黒に空いていたイスを進めると、煙草に火を着けながら折れた腕を確かめる。
「あー、ほんとだ。折れてる。でも綺麗に折れてるね、これなら直ぐにくっつくよ。負担が少なくて良いね」
そう嬉しさを微塵とも感じさせない声音で話す家入に相槌を返しながらも、伏黒の目は遮断された奥のカーテンに釘付けだ。
あまり口数が多い方ではない伏黒だったが、人の話はちゃんと聞くし、合間合間に反応を見せる子だ。
どこぞの最強を相手にするような相槌を不信に思ったのか、家入が治療の終わった腕から伏黒の視線の先。自分の背後にあるカーテンへ目を向ける。
「……気になる?」
「えぇ、まぁ」
「意外、貴方でも出回る噂は気になるんだね」
「そういうわけじゃないですけど、一週間前に来た時はカーテン。引かれてなかったよなって」
「東堂君にボコられた時?」
「ボコられてません」
聞き捨てならない一言に伏黒が噛み付くも、当の本人はぷかぷかと煙をくゆらせ、気になる? とニコチンの燃える口火をカーテンの向こうへ向けた。
コクリ、と伏黒の喉が鳴る。
気になるか気にならないかで言えば、気になる。噂の存在もあるが、何故か伏黒の目を惹き付けてやまないのだ。
言えば先生は、あの無粋にもベッドを遮るクロスを引いてくれるのだろうか。
「…………気に……」
「お疲れサンマー!!!」
パァンッ! と。気配も予兆も無く、背後の扉が凄まじいテンションで開け放たれた。
誰に? そんな事は決まっている。
「あれ? 恵どったの」
「……五条先生」
呪術界最強と名高い男。恵の所属する呪術高専東京校一年生担任、五条悟にだ。
不審者丸出しの黒い目隠しに、長袖長ズボンの全身の真っ黒スタイル。間違いなく伏黒の担任教師だ。
だが何故ここに? と伏黒の頭に疑問が浮かぶ。
ここは保健室だ。怪我を負った生徒や職員、体調の悪くなった者が訪れる治療の場。
術式の関係上、基本的に無傷がデフォルトな五条が来るには、あまりにも不釣り合いに見える。
五条先生、どうしてここに? と伏黒の口が動く直前。今気がついた! と言わんばかりにポンッと軽く手を打った五条が口を開く。
「そういえば今さっき、野薔薇が恵の事を探してたよ。頼んだジュースがうんぬんって怒ってたけど」
「あ」
しまった、と伏黒が思った瞬間、折りよく遠くから釘崎の「伏黒ォ──!!」という雄叫びが聞こえた。
伏黒が保健室に行く前、釘崎は先輩のパンダと狗巻にフライアウェイされており、目敏く訓練を抜ける伏黒を見つけた釘崎はついでに自販機に寄ってジュースをよろしく。と力の入った顔でメッセージを押し付け、景気よく空を舞っていた。
ポケットからスマホを取り出して見れば、いつの間にか十分を経過している。
パシッたまま帰ってこない伏黒に痺れを切らせ、本人が怒り心頭で徘徊し始めてもおかしくない時間だ。
ヤバい。
「すいません、俺はここで失礼します。治療、ありがとうございました」
「え、恵怪我したの? ウケる」
余計な一言を付け加える担任へ熟練したスルーを決め込み、伏黒は早足で開きっぱなしのドアを潜った。
じゃあ私は一服してくる。
短くなった煙草を咥え、白衣のポケットに健康阻害商品の詰まった真新しいケースを突っ込みながら、十年来の同期はフラリと五条へ背を向けた。
可愛い教え子を唆そうとした姿にイラッとするが、五条自身もそろそろ隠し通すのは限界だとも感じている事に違いはない。
まだ治りきってないどころか、張り切って運動した瞬間にも開きそうな傷をそこかしこに抱え、五条は分厚く引かれたカーテンをそっと動かす。
真っ白なヴェールが取り払われた先にいたのは、これまた真っ白な少年。
透けるような白銀の髪に、けぶる淡雪のまつ毛。
白い頬に色は無く、小さく上下している胸と小さな唇だけが、目の前の子どもの生命を示している。
触れたのは唇。僅かだが息がかかる。
次は胸元。かけられた毛布からトクリ、トクリと鼓動が手のひらを伝う。
「まだ起きないの、君。もう三日だよ」
反応は無い。
「君の言うクソ親父……まあ、僕なんだけど。この通り仕留め損なってピンピンしてる。あれだけの大口叩いてコレって悔しくないの」
やはり冬景色のような真っ白な子に、反応は無い。散々死ねだの殺すだのお行儀の悪いスラングを吐いていた口は呼吸を繰り返すだけで、五条と似ているようで異なる空色の万華鏡も閉じられたままだ。
しばらくジッと見つめ、今日も目の前の子に変化が無い事を確認。
収穫無しか、詰まんないの。と一人呟き、カーテンを戻そうとした五条だが、気まぐれに。本当にただの気まぐれに、長い手をある部位へ伸ばす。
伸ばしたのは髪の毛。顔も瞳も色も、どこもかしこも五条そっくりな子が持つ、些細な違い。
ふわふわとした、綿毛のような銀糸を指で梳き、小さな形の良い丸い頭をくしゃりと撫でる。
だからなんだ、という話だ。大人しい子どもの姿が珍しくて。自分の同じ色彩の人間が珍しくて、興味本位に手を伸ばしただけ。
なにが変わるわけでもない。変わるわけでは……
「……なぃわけが……ないだろ…………」
掠れに掠れた、とても青い春を駆け抜ける若人とは思えないしわがれた声。
ゆっくりと淡雪が解け、きらきらと輝く空色の瞳が顔を出す。
「……悔しくないわけが、ないだろ…………」
ぼんやりと。けれど段々とはっきりとした光が美しい万華鏡に宿り、阿呆面晒した五条が映る。
ハッ……と。無意識に零れた空気により、いつの間にか息を止めていたことに気がつく。
ゆっくりと空色の瞳が動き、自分と同じ色彩
の男を映したところでぴたりと止まった。
「俺は……、諦めませんよ。貴方を殺すことを、諦めません……」
「……僕に負けたのに?」
「負けても、です」
乾いた唇が紡いだのは、五条悟へ向けた殺害予告。
ぶれねぇなコイツ、かわいくない、と。洒落にならない怪我を現在抱えている最強は、自分の口が引き攣るのを感じた。
「貴方を殺します。いつか必ず、俺とかあさんの
殺します。
「…………なにそれ、君には無理だよ」
だって僕、最強だから。
そう続く言葉は、あまりにも強く刺さる薄暗い万華鏡の眼光と、苦しげに吐き出された子どもの声によってしゅわりと消えた。
「最強だと、強いのだと。誰もが認める力を持っていたなら何故、帰ってきてくれなかったの……」
パタリ。赤味の乗らない眦に一つ、透明な雫が湧き出る。
「どうして、かあさんを助けてくれなかったの」
パタリ。すっかり目の前の子の体温を奪ってしまったシーツに、小さな染みが浮かび上がる。
「どうして、負けたんだよ…………とうさん」
パタリ。震える小さな声。
小さく、力なく投げかけられた子どもの言葉に、五条が返せるものは決まっている。
「知らないよ、そんなこと。だって僕、君の知ってるとうさんじゃないし」
そう、知るわけが無い。この子があれだけ向けた憎しみも、激情も、求めた温もりも。それは全て、目の前にいる
ここにいる五条悟が知ることではない。
だけど、と。やはり自分そっくりな阿呆面を披露する息子へ、五条は意地悪く笑ってやる。
「理由が知りたいなら、直接君の目で確かめればいいんじゃない? ちょうど呪術界は万年人手不足だし、戦力になる呪術師を遊ばせておく余裕なんて無いわけ」
片側に罅の入った万華鏡。もう片方には傷一つ無いお揃いの瞳。
映っているのは勿論、目の前にいる五条悟。
「はじめまして、いつかの僕が辿る彼方先から来た君。僕の名前は五条悟。自他共に認める最強で、ひと月くらい前に物騒な息子が出来たグッドルッキングガイ」
君の名前は、なんていうの?
「おれ、の……おれの名前は────」
────────────────
コツコツと。今朝押し付けられた慣れない服を見に纏い、軽くなった肩に少しの寂しさが……。うそ、嘘です。かなりの寂しが絶賛進行形で募ってます。
開け放たれたステレオタイプの窓からは温い風が入り込み、周囲に自生している植物たちからは虫の声が飛んで来る。
ぱたぱたと風に持っていかれる銀糸を耳へかけ、にわかに騒がしくなった教室へ向けて足を進める。
じんわりと汗の滲む廊下の壁に背を預けしばらく待つと、入っていーよー、という軽い言葉。
指示通りに木製の扉を引けば、刺さるのは三対六個の視線。
俺の容姿を見て、底意地の悪いにやけ顔をしている担任との間を行ったり来たりする三者三様の顔。
だけれど皆、貼り付けている感情は同じものなのだから笑ってしまう。
まあ、そらそうだよなあ……と。内心苦笑いを零し、俺はそっと口を開いた。
「はじめまして。
チキチキ! 息子君の幸せ家族計画 ──完──
pixivの方に載せていた本編分を載せ終わって思いました。ハーメルン、使い方マジでわかんねぇな、と。これがチベットスナギツネ……oh......。