チキチキ!しあわせ家族計画   作:支部にいた鯨

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①・後

 伊地知潔高は平凡な人間だ。

 

 呪力と呼ばれる人とは少し違う力があって、呪霊と呼ばれる、普通の人には見えない違った生物が見える。

 

 中学卒業からの四年間。門を叩いた高校でぶっ飛んだ先輩たちに揉まれ、顔と名前をどこぞの最強に覚えられたのが運の尽き。

 

 そこからズルズルと早十年。天上天下唯我独尊を地で行く青春時代の先輩。今となってはかなり長い付き合いになる上司に振り回され、必要不可欠な人間メンタルが鍛えられる日々。

 

 最強の肩書きを背負う人物のスケジュール管理から始まり、経費で落ちないお土産の処理。"(とばり)"を降ろしたものの、派手に壊れた建物や地形についての後処理。めんどくさがって後回しにする書類・報告書作成。気づけば専属ドライバーのようなポジションについてしまった車での送迎。遠方での任務に赴く際に必要な新幹線などのチケット手配。

 

 これでも唯一、あの人が隣に立つことを許した親友の一件から丸くなったものだが、中身と呼べる本質はほとんど変わっていない。少なくとも呪術師、という土俵ではなく、縁の下である補助監督に身を置いた伊地知はそう感じていた。

 

 世に言う持っている側の人間でもなく、特別な人間でもない。ただ少し、非凡な側につま先を置いているだけの一般人。

 

 そんな自分が、尋常ならざる天才のあの人についてこれだけ感じるものがある。

 

 なんだかんだと言ってハナクソ程度には気にかけられているだろうし、そこそこの信頼は得ているのだろう。

 

 時々整いすぎた造形から飛び出るマジビンタが恐ろしすぎる気持ちもあるが、それなりに堅い口と、一般的なソレよりも持ち合わせている情の類がお気に召したのだと思う。その程度にしか、伊地知に誇れるものは無いのだから。

 

 つまり何が言いたいのかというと、伊地知の上司。最強と名高い五条悟にとって伊地知潔高は口が堅い。情に厚い。マジビンタにビビる、使い勝手の良い青春時代の後輩であるということだ。

 

 だからこそ、余程本人の中で深刻な。秘匿せねばならない事でない限り、伊地知は真っ先に巻き込まれるのだ。五条悟(最強)の抱えた面倒ごとに。

 

「(私今日、もしかしたら死ぬかも)」

 

 ミシミシとどこからともなく聞こえる建物の悲鳴。繋げられた木材を無理やり曲げようとするかのような、そんな異様さを感じる廊下。

「ちょっと待ってて」と言われるがまま、飾り気のない扉。高専内に用意された五条の待機室の前で直立して十五分が経つ中、伊地知潔高は震えながら命の危機感じ取っていた。

 

 五条さん、アンタ一体部屋の中で何してるんですか。私、死んじゃう……。

 

 メキメキ。目の前で歪み、亀裂が生まれた壁を見て、伊地知は出てきそうな涙を耐える。

 

 いくら伊地知の胃にダイレクトアタックを仕掛ける張本人であるとしても、五条悟は最強だ。専属ドライバー一歩手前まで来ている伊地知の存在をハナクソ程度にしか思っていないとしても、ちゃんとその命を認識している。

 

 その一方で伊地知が死ななければどうにもならない事態に直面すれば、容赦無く「死んで」と口にする冷徹さも持っている。

 

 人間性は一切信用ならない人だが、こういう所は間違えない人物だ。五条悟がわざわざ伊地知を連れてきて「待ってて」と言ったのだから、多分伊地知は死なないし今起きている超常現象もどうにかなる、……はずである。

 

 大丈夫、大丈夫。そう唱えるもやっぱり小刻みに震える足に、私って本当そういうところなんですよバカ……と心の内で涙すること少々。

 

 フツリと消えた、そこら中を取り巻いていた異様な力。続いてシンプルな扉が開き、目隠しを取った状態の五条が顔を出す。

 

 いつ見てもここばかりは綺麗だと素直に賞賛できる水色の瞳が伊地知を捉え、「あ、いたいた」と笑顔を作った。

 

 白く大きな手が伊地知を招き、人間一人がギリギリ通れる分のスペースを残してドアが固定される。無言のココから通れである。

 

 いや、それなら扉全開にして広々と通らせて下さいよ……と思うも、露出した目が「はよ入れ」と語っていたので大人しく体を細いスペースへ。

 

 細いフレームレンズから見える景色。扉を潜って見えた室内は異常の一言に尽きた。

 

 壁や天井は至る所が抉れ、浅い深いの違いはあれど全て一様に、何か大きな力。その片鱗に触れたかのように抉り取られたような跡が刻まれている。

 

 しかもそれだけでは無い。凄惨な有様の床には鉄クズのような、プラスチックのような。本来あるべき姿から無理矢理曲げられ、捻じ切れたかのような欠片が、あちこちに打ち捨てられていた。

 

「なんッ……」

 

 ガチャリと閉まった後方のドア。反射的に漏れた声を慌てて抑え、頭一つ分以上高い場所にある五条に必死の形相で訴える。

 

 なんですかこれは!? と。横から突き刺さるソレを察知したのか、伊地知とは天と地も離れた白皙の美が動き、癖のある真っ白な髪がひょこりと揺れた。

 

「あー、これ? 子どもの癇癪」

「カッ、癇癪!?」

 

 目を剥いて驚くどころか、今すぐにでも白目を剥きそうな伊地知を他所に、五条はピッと長く白い指先を立てた。

 

「そう、癇癪だよ。あの子の」

 

 形の良い爪が向けられた先。真っ直ぐに伸ばされた指先が示すのは、四角い空の見える窓際の一角。

 

 最初に飛び込んできた部屋の様相に気を取られて気づかなかったが、前に伊地知がこの部屋を訪れた時には無かった物がポツンと。正方形の形に近い木造の空間の中、四方の隅のひとつに見覚えのあるベッドが増えている。

 

 真っ白なベッド。シーツも布団も枕も白い、伊地知の先輩である女医が駐屯する医務室にあるはずのもの。保健室のベッドだ。

 

 色彩ゆえか、空白のような一角を指す五条の指先を辿れば、行き着いたのはこれまた真っ白な子。

 

 ふわふわとした、柔らかそうな綿毛のごとき白い髪。豊かすぎるほどにビッシリと生え揃った淡雪の睫毛。口は小さく桜色がちょこんと。見慣れたようなそうでないような整いすぎたベビーフェイスに、無窮の空を切り取って嵌め込んだのではないかと思うほどの美しい瞳。風の悪戯により流れた銀糸から覗いたのは、空色の欠けた、どこか痛々しく感じる罅の入ったガラス玉。

 

 枕で作った背もたれに体を預け、じっと。感情の伺えない凍てついた静けさを纏った子どもが、そこにいた。

 

 五条悟と揃いの色彩。五条悟と瓜二つな顔。五条悟と同じ淡い瞳には、あんぐりと大口を開けて。虎杖悠仁が生き返った時よりも衝撃の大きそうな、人生に一度あるかないかというレベルの呆け顔を晒す自分が映っていた。

 

「ゴッ、ゴッ、ゴッ……!」

 

 言葉が張り付いて出ない伊地知に、「なに? 削岩機?」と素なのかおちょくっているのか分からないコメントが五条の口から出る。

 

「ごごごごご」

「午後ティー?」

「違います! 五条さん!!!」

 

 飛び出た伊地知の目を掴んで離さないベットの子ども。なんとか意識を引き剥がし、クワッと。特急列車ばりの勢いをつけて、伊地知の首が子どもとそっくりな色素と顔をした先輩の方へ回転。

 

 伊地知潔高・26歳、独身、男。苦労してそう、とよく言われるフツーの顔だ。そんなフッツーの顔であるが、……いや。そんな顔だからこそ、神の造りたもうた芸術品の如き圧倒的美を体現する顔面相手にも、言わねばならぬ時がある。

 なぜならばそれこそが大人。広く日本に浸透している一般常識を履修したマトモな大人として、ケジメをつけなければならぬ時が来たのだ。

 

 スーツの内ポケットからゆっくりスマホを取り出し、三桁の番号を浅い息で入力。

 

 大丈夫。自分の常識を信じろ私! 

 

 フゥーーー……と、震える空気を吐き出し、ひっそりと己を鼓舞しながら腹に力を込める。そして……、

 

「五条さん、今まで大変お世話になりました。ヒトクローン技術規制法違反です……ッ!」

「そうきたかー」

 

 手早く落とされた拳骨は、夜蛾学長に負けず劣らず痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、いうわけで(めぐる)。僕が出張から帰るまでの四日間、お前のめんどうをみてくれる伊地知クンです! 拍手ッ!!」

 

 わー! ぱちぱち。

 

 一人分の拍手が正方形の室内に反響し、頬のコケた面長の眼鏡男性が目を白黒とさせている。その様は正しく、何が起こっているのか分からない、と言わんばかりのもので、事前情報や前フリすらゼロの状態で連れてこられたのだと確信できる。

 

 コイツ、頭おかしいんじゃないだろうか。

 

 一人楽しそうに手を叩く男。思わず半目になる俺の瞳。段々と潤んできたレンズの奥に見える細長い眼球。きっとイジチさんとやらは苦労人気質だ。間違いなく。

 

 ベッド上の枕に背を預けたまま、頭に見事なたんこぶを咲かせたイジチさんに涙が出そうになる。出ないけど。

 

 不自由な視界。じっとりとした眼差しを同じ色彩の男に向けていれば、拍手の言葉と共に紹介された伊地知さんとやらが前に一歩。

 終始ビクビクしてるし、落とされた拳骨が効いているせいかレンズの縁に光るモノがチラチラ。キッチリとしたスーツを着ているはずなのに、何故かくたびれて見える不思議。

 

 真ん中で別れた五分五分の前髪から額が覗き、おずおずと。そんな動作で、イジチさんは色々と散らかってしまった床に片膝を着いた。

 

 なんだろう。どうかしたのか。お腹痛いの? 

 

 そんな事を考えていれば、あの……と。視線を細身の彼へ移せば、「うわ、静かな五条さん……」と余計な一言が聞こえる。もしや喧嘩を売られているのだろうか。分類次第で対応が違うぞ俺は。

 

 浮かんだ思考と連動するかのごとく細まった両眼。色のある方と失せた方の直線上にいたコケた頬が引き攣り、「ヒッ、やっぱり五条さんそっくり」と小声の早口。いい度胸してる。デコピンかましてやろうか。

 

 またもや細身のスーツが震え、視線を合わせスタイルであった片膝立ちから、そろそろといつの間にか両膝を揃えた正座に。嬉嬉としてスマホを取り出した真っ黒ジャージ野郎は見なかったことにした。

 

「……えー、初めまして、ですね。私、呪術高専にて補助監督をしています。伊地知潔高(いじちきよたか)と申します。まずは君の名前を教えてくれますか」

「……(めぐる)です」

「巡くんですね。では巡くん、君とそっくりな顔をしているそこの人との関係性は……? アッ、いや、言いにくいのでしたら結構ですので!」

 

 チラチラと遠慮がちな目線が上と下を行ったり来たり。完全に気を遣われているとひと目で分かる対応の仕方。

 

 普通の感性を持った人間ならば、ここで横から口を挟むなんて無粋な真似は死んでもやらないだろう。非難の眼差しを向けられのは確実であるし、下手な箱を突っついてわざわざ出てきた流れ弾を喰らいたくないものだ。

 

 だが残念なことに、この部屋には一人。世間体というものを一切鑑みない最強がいた。

 

「息子だよー。僕の息子 」

 

 カシャカシャと煩い音を立てていた端末をようやっと下ろし、無造作にポケットへ突っ込んだ淡い空色が軽く。歌うように俺との関係性に名前をつける。

 

「言ってなかったけ? 半月くらい前に捕獲して、諸々のめんどうな手続き込みで書類やら地位やらを作るつもりだって」

 

 だから伊地知、僕と硝子以外の人間に巡の存在バラしちゃダメだよ? 

 

【歪曲の魔眼】で曲げに曲げた物体共を踏みつけ、一歩二歩と長い足が出口を目指し、ドアノブに大きな手がかかる。

 

 ぴょこぴょこ跳ねた銀糸が零れ、揃いだった二つの【六眼】が俺の欠けた瞳を貫いた。

 

「巡」

 

 静かな、逃げることは許さないと言外に訴える淡い色彩の声に、少しだけ体が強ばる。

 

「いくらお前が嫌だと耳を塞いでも、僕は五条の名以外を背負うお前を認めないよ。駄々こねて癇癪起こす元気があるなら、マイナスの体調をゼロに戻せ。本番での醜態は尾を引くからね」

「…………」

「返事は?」

 

 返す言葉も無く、肯定を紡げる程の整理もついていない。納得、なんてものは今の俺から一番遠いものだ。

 

『邪魔なもの全て、ねじ伏せてみせろ』

 

 荒ぶる感情の螺旋に入れらたメス(言葉)に異論は無い。

 

 実際俺は。以前の俺(■■巡)はかあさんを救うために。五条悟(父親)を殺すためこの生を費やし、強く鋭く。ただひたすらに己自身を鍛え、磨ぎ続けてきたのだ。

 

 いつか母を。かあさんがまた、なんでもない平凡な空の下で笑ってくれる姿を夢見て。

 

 だからその為の力が何であれ、かあさんの生きる未来に繋がるのならば、振るうことに一切の躊躇いはない。あの日に繋がる道を築いたのが父親だったから。かあさんが冷たくなったあの部屋に、かあさんを導いたのが俺だったから。手っ取り早く二つの道を潰すため、アイツを殺したかった。殺さねばならなかった。いや、殺さねばならない(・・・・・・・・)

 

 折れた(ちから)を打ち直して、再刃して、磨ぎ直して。また、かあさんの生きる空を夢見る。

 

 だからといって、俺が五条の名を。家名を。五条悟の息子として、再編した自身を受け容れられるかどうかは別の問題だろう。

 だってあの家は。組子障子に囲まれたあの部屋は。俺にとっても以前の俺(■■巡)にとっても、焼き付いて離れない三界の地獄そのものだ。

 

 今だってまだ思い出せる。欠落した一部分が戻ってきたからこそより鮮明に。

 

 虫が。かあさんに(たか)蛆虫(呪術師)が。キィキィと耳障りな音を立てかあさんを食い散らかし、耳を塞ぐことも。目を閉じることも。泣くことすらできなかった幼い、無力な自分の非力さを。

 

 そんな家に、俺はもう一度足を踏み入れなければならないと、この男は二つ揃った淡色の万華鏡で言うのだ。殺したく殺したくころしたくて仕方が無い、けれども殺せなかった最強が、俺にその名を背負えと言う。

 

 頭がどうにかなりそうだ。いっそ、どうにかなってしまった方が楽なのだろう。全部殺して、虫はちゃんと駆除して、全て(すべ)て、まっさらにすれば全部終わる。

 

 だけれど俺には、それを押し通すだけの力が足りない。押し留めるだけの力(五条悟)が生きてるから。

 

 あえて逸らした視線。狭まった視界からドアに手をかけた同じ色彩の男を消す。

 

 嫌だ。何度思考しようが、俺は五条の名前を隣に置きたくない。あそこに戻るのはどうしようもなく、いやだ。

 

「返事」

「…………」

 

 強制力の伴った単語。増した圧力に視線も意識も外し、口を閉ざしたまま沈黙を貫く。

 

 お互いの呼吸音すら耳につかんばかりの静けさ。不規則なグラフを描く感情の波と、ヒリヒリと肌を舐める圧力。

 

 手元のよれた毛布。折れたのは遠くにいた銀色だった。

 

「……カァーーー! 頑固者だねぇお前! まあ、いいや。嫌だイヤだって駄々こねても引き摺って連れて行くことは決定してるし。……伊地知ィー! この通りめんどくさい子だけど、僕が帰るまでよろしくね」

 

 薄い隙間の出来た扉に滑り込む黒色の衣服。パタリと閉まった音がやけに大きく聞こえ、僅かにドアノブが軋んだ。

 

 最後まで離さなかったシーツから目を動かし、斜め下に映ったのは気の毒なくらい顔色を無くした眼鏡の男性。

 

 そういえば居たなあ……と。目尻から光る成人男性の涙にスルーを決め込み、曲げてゴミ屑にしてしまったイスの代わりにベッドの余白を勧める。

 

 改めて部屋を軽く見回してみるとひどい有様である。ちょっとリフォームし過ぎた感がある。謝らないけど。だって悪いのアッチだし。

 

 伸ばした爪先が若干沈む感覚。白から青へ変化したイジチさんが、言葉通り残骸の床から足元側のベッドに居を移したのだろう。

 

 開けて、閉じて。口はハッキリしなくもごもごと。きょろきょろと細い目が落ち着きなく左右を行き来し、真ん中で分けられた額からは水滴がタラリ。

 

「……(めぐる)、と」

 

 ばね仕掛けのように飛び上がった細長の面。

 

「そう、呼んでもらえますか」

 

 生憎とほとんど動かない表情筋だが、どう話せば良いか葛藤していたイジチさんには充分だったようだ。

 

 パァ! と。これぞ天からの助け! 蜘蛛の糸! と言わんばかりに華やいだ顔面は見事な半泣きであった。

 

 


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