真人は呪霊だ。仲間である
もっと身近で、最もおぞましい。そんな存在から産み落とされた。
それ即ち人。人が互いを。同類である人を憎み、恐れた腹から産まれた呪い。それこそ、真人という呪霊に他ならない。
だから、そう。真人は人々の恐れであり、人々の憎しみそのもでなければならない。人にとっての「死」。「人」が忌むべき「死」が真人なのだから、「死」である真人が「人」に恐れることなど、あっていいはずがないのだ。
ヴン———と。どこまでも蒼い、あの呪力が形を成す音がする。
この呪力は。この、混じりっ気の無い、純粋な呪いそのもののような蒼色。これはひどく危ないと。ひどく痛く、恐ろしいものだと。十分にも満たない時間の中、真人は物理的に伴う痛みをもって学んでいた。
どこからともなく。少なくとも真人には知覚できない距離から呪力が走り、形成されたのはステンドガラスを連想させる華奢な剣。
燐光のような尾を引いた剣は十六。首と胴体。正確には心臓の収まっている場所を狙うかのごとく、八つ一組の剣がくるくると。少女が奏でられたワルツを味わうよう、楽し気に回る。
ひと呼吸分にすら満たない時間。八つ一組からなる十六の切っ先がピタリとターゲットをロック。確実に仕留めるためか、人体の急所部分を囲んだ蒼色が一瞬後方へと引かれる。
これをマトモに喰らえば後が無い。
カスカスの。比喩ではなく、正真正銘。中身のすっからかんな足を動かし、真人は地面を蹴り上げる。
目論見通り上空へ逃がした急所は呪いの切っ先から逃れたが、最後まで地面と接触していた足が割を食った。
逃げ遅れた真人の足首を貫いたのは、一拍前まで首級を狙っていた八つの剣。
ガワだけ取り繕った足に激痛が走り、真人の
無遠慮に容赦無く。魂という名の心臓を切り分けるメスへの痛みを喉奥で殺し、真人は姿の見えない追跡者を振り払うかのように疾走する。
こんなはずでは。こんなはずでは無かった。
飛ぶように流れる地面がほの蒼く発光し、真人がほんの少し。大地に足を下ろした瞬間を狙って、負の感情をエネルギーとした巨剣が形を成す。
なんで、どうして。努めて封じ込めなければ溢れだすそれらの感情に頭をふり、術式を用いて己の魂。その形を弄る。
最初は簡単な。それこそ、人間のラベリングで最上位の特級を冠する真人には欠伸が出てしまう程、簡単で退屈なものであったのだ。
人の成りをした両腕から、風を掴むことのできる翼へ。惨たらしい程に削がれ、呪力での保護も補完も間に合わない傷だらけの魂がその姿を変える。
真人が協力者である呪詛師。夏油傑に頼まれた仕事は二つ。
一つは、人間側の協力者が特別性の‘帳‘を下ろしている間。中で暴れまわる予定の花御を囮に、高専からとある物品を回収すること。
もう一つが高専内にいる呪術師、および補助監督を出来るだけ多く、‘帳‘が下りる前に間引くこと。
地面の代わりに空を走ることのできる翼を手に、真人は四方から襲い掛かる剣という針の穴を通っていく。
だから真人は言われた通り、高専関係者が揃って夢中になっている交流会とやらの裏で、ぷらぷらと自由気ままに。肉体が在る以上、当然のように存在する魂を探しながら、出会った呪術師をきっちり殺し歩いていた。ある時は玩具のように。ある時は優しく。また、ある時は遊び心を持たせて。
事が起こったのは四人ほど。呪力のある人間を殺したあとだった。
何の変哲も無かった地面から、蒼い燐光を散らす剣型の呪いが真人をすっぱり。切っ先の向く上から下へ、真人の体を二枚に下ろしたのだ。
呪霊とはいえ、仮にも真人の肉体は人体を模している。それに躊躇いもせず、「死ね」と言わんばかり剣を突き立てた呪力の持ち主に、真人が感心したのも束の間。
スパン、と。そんな小気味良い効果音がつきそうな軽さで、真人の魂が半分に裂かれた。
え……? そんな風に真人が自分の身に起こった、本来ならば有り得ない。有るはずのない現実に戸惑いの声を上げる間も無く、一歩遅れて伝達されたのは驚くほどに鋭い痛み。真人の天敵たる人間に与えられた痛みよりも大きな、魂に直接刃を入れられたかのような痛みであった。
そこからはまさに、真人にとっての苦境そのもの。塞き止めていた水が激流となって押し出されたかのごとく、真人の魂は斬り飛ばされていった。
魂。人間たちがそう呼ぶモノを真人は唯一、そこに在るモノとして知覚することが出来る。
それは真人という呪霊が人の腹から産まれたものであったからだ。
人が互いを憎み、畏れるのは当然の道理であり、一種の自然の摂理と言い換えても良い。なぜなら人間という生物は、魂を見ることが出来ない。魂を知覚できない。つまり魂の代謝行為である感情が分からないから、自分以外の他者が抱える感情を想像する。
そんな人から産まれた真人が、人間の根源である魂の知覚を許されたのは必然だったのかもしれないし、皮肉だったのかもしれない。
真人にとって、魂とは肉体と同じ様なもの。特別でも無い、ただそこに。当たり前のように在るものだ。けれども真人の産みの親である人間にその魂は見えないし、まして知覚することも叶わない。
形而下のものを形而上の存在として捉えている人が、それに触れられるわけがないのだ。
例外として真人の天敵。呪いの王と呼称される別個の魂と共存し、その器として機能している少年、虎杖悠仁。彼のように自分以外の魂をその身に宿した結果、無意識にその輪郭を知覚。魂の形ごと、叩いてくる存在もいるにはいる。
けれどそれは例外中の例外。虎杖悠仁はまるで示し合わせたかのように宿儺の器として機能しているが、本来一つの肉体に二つの魂が共生するなど不可能だ。自分という存在。簡単な言葉にすると、
で、あるというのに。この蒼い呪力の持ち主は真人の魂を。例外中の例外である虎杖悠仁でさえ、輪郭を叩くことに留まっていたといういうのに。
「なんで……」
スパンッ……と。ピンポイントで降った五月雨のように。頭上から降り注ぐ蒼い剣が、またもや真人の肉体と魂に刃を通していく。
「直接、俺の魂に干渉できるッ!?」
直接。真人と同じように。人が見えないと認識する魂に、ダイレクトにダメージを入れられるのか。
開幕に喰らった一発目の経験を踏まえ、呪力によっての魂の保護は勿論やっている。それでも、魂に届く燐光の剣は焼け石に水とせせら笑うかのごとく、いとも容易くなぶるように。真人の魂をじわじわと殺していく。
一向に止む気配の無い剣の雨。夏油作の特別性の‘帳‘はつい数分前に下り、中では五条悟の注意を引くため、仲間である花御が単身で踏ん張っているはずだ。
けれど当の真人はこの呪力を振り切ることも出来ず、源である呪術師の魂すら見つけられていない。
掠った呪力は魂にやすりをかけ、肉体を裂いた呪力は魂を斬り飛ばしていく。
じわじわと。滴ったインクが落ちない染みを広げるよう、天敵と認めた人間と命の取り合いを演じた時にも感じなかった感情が、真人を蝕んでいく。
「(───い)」
真人は呪霊だ。人が人を憎み、恐れた腹から産まれたもの。
「(こ──い)」
虎杖悠仁。彼は確かに、真人の天敵だ。
だけれどそこに、天敵ゆえの恐怖や苦手意識といった類のものはない。むしろ殺したい。今すぐにでも殺したい。
真人たち呪霊のプランにおいて、虎杖悠仁が重要な要であると理解していながら、湧き上がるのはもどかしい程の殺意。
何度でも何度だって、その魂を殺したいと真人は思っている。
けれどもそれは、「真人と虎杖悠仁の力が拮抗し、お互いがお互いを殺せる立場にある」といった前提があるからだ。
ただ一方的に、嬲られるように。幼い子が真っ白な興味から、昆虫の足を一本一本抜くように。手も足も出ないまま蹂躙されるのとは、違うのだ。
真人は呪霊だ。人の腹から産まれた、人にとっての鏡だ。「人」が忌むべき「死」が真人なのだから、「人」が「死」である真人を恐れるのは良い。だからこそ、「人」の「死」である真人が、人を恐れることなどあってはならない。
あっては、いけないのだ。
────こわい。
「夏油ッ!!!」
真人の口がその名を叫んだと同時に、地面から大きな唇が突き出す。
生き物特有の生暖かさが真人の全身に張り付き、パクリと。視界が闇に覆われる。
この時の
世界は一体、俺の心臓をなんだと思っているのか。
ドッドッドッと。やかましい程に血液をプッシュする心臓を抑え、篭った爆音と共に振動する棚を睨む。
新作の剣型呪力。もとい、【六眼】先生命名の【
全くもう! ぷんすこだぞ! いや、正確にはぷんすこではなく心臓がドドスコなわけだが、びっくりしたものはびっくりした。
内心では恐る恐る。外では手早く、音と振動の震源地である引き出しに手をかける。
ガッと勢いをつけて木製のそれを開けば、空っぽの空間に寂しく身を震わせる電子機器が一人。
確実に音量設定は最大。小さなスピーカーからは爆音メロディーが流れ、暴れ回っているスマートフォンはきかん坊のようだった。
……えぇ? なにこれ。こんな文明の利器が引き出しの中に突っ込まれてたこと、俺知らないんだけど。というかそもそも、この白いスマホ誰のよ。
誰の物か分からない白色。スマートフォンなんてロック機能はあるにせよ、個人情報の塊みたいなものだ。
不用意に触って後から問題になるのは嫌だし、どんな用途でスタンバっていたのかも分からない物品とか触りたくもない。
そんなことを思っている間にも言語化し難いメロディーは止まず、小刻みに移動する長方形が停止する気配もない。
個人的にはこのまま、引いた棚をそっと戻し、耳を塞いでも全然構わないのだが……。
どうしたものか、と。俺がそう決めあぐねている内に痺れを切らしたのか。それとも、元々規定されていた時間を過ぎたのか。あんなにも一人で暴れていた白色がピタリと。電池が切れたかのように黙り込む。
喧しく部屋を満たしていた音がプツリと途切れ、数分越しの静寂が下りる。
静かな空間。先程までのギャップからか、やけに耳の奥が痛い。
静まり返った部屋の中、うーんと悩んでそろり。心做しかじめっとした空気に手を入れ、生ぬるくなった電子機器を摘む。
メタリック特有の光沢が全面に出ている裏側と、液晶のある表側。何の変哲もない、ありふれたスマートフォン。
取り敢えず、電源だけ手早く切ってしまおう。また急に鳴り出しても俺の心臓が困るし、シンプルにうるさい。白いスマートフォンについては伊地知さんが来た時に聞けば良だろう。
不在着信のお知らせが表示されている液晶を眺め、どこかにあるはずの電源ボタンを探す。
チカチカと光る液晶。手当たり次第に機種から生えているボタンを押し込んでいれば、またもや鳴り響く爆音メロディー。
自己主張の激しい液晶に目を向けると、見覚えのない十一桁の数字。そして数字の上部に表示された、「僕」という漢字一文字。
いや、誰だよ。どこの僕だよ。
見覚えのない番号に、意味のわからない発信者。イメージアイコンに収まっているパンケーキの画像も相まって更に意味がわかない。
分かったのは、これを設定した奴は突き抜けた馬鹿であることぐらいだ。
瞬く間に静寂を殴り飛ばしていった爆音はうるさい。はよ電話出ろと言わんばかり手の中で振動するスマホはうざい。
さっさと電源を切って密閉空間に戻そうとしたが、止めだ。諦め悪く長々とコール音を聞いてるであろう馬鹿の声。その一つや二つを聞いてから電源をブッチしたとて遅くはあるまい。
そんな思いで、機体に比べると冷たく感じる液晶をスライド。持ち上げた機器を耳に当てる。
形の無い音に乗ってきたのは、若い男の声だった。
「ねぇ、なんで一発目から出ないの信じらんないんだけど。同じ番号にかけ直したのとか、僕の人生通してお初だよお初」
ブツッ。
窓から射し込む日差しが静かな空間を照らし、ガラス越しの蝉の声がやけに響く。
…………おかしい。いつの間にか通話が切れている。きっとスマートフォンの調子が悪いんだな。
ツーツーと無意味な音を垂れ流す電子機器を耳から離し、ロックのロの字すらされていなかったスマホをベッドの上に投げ捨てる。
軽いバウンドを繰り返す長方形。丁度反発力皆無な毛布に乗り上げたのか、ぽすりと柔らかな生地の中に金属が埋まる。
なんとなしに耳をかき、口が空いたままの引き出しを押し込む。
木面の擦れ合ったような音に安心したのも束の間。
今度の震源地はベッド。大音量の呼び出しメロディーがまたもや、主張を始めた。
ぺたぺた。靴下もスリッパも装着していない足で床を叩き、のそのそと毛布に埋まっていたスマートフォンを拾い上げる。
つい数秒程前に行ったような気もする動作。親指を液晶に走らせ、耳元に運ぶ。
「……はい」
「なんで切ったの馬鹿じゃないの」
「馬鹿はアンタだよふざけんな」
「は?」
「あ?」
初っ端から繰り出されたのは、喧嘩上等と言わんばかりの文句。苛立ち混じりの低い声に、自ずとこちらも低いものが出る。
「ちゃんと分かりやすく"僕"って書いてあったでしょ。頭大丈夫?」
「それで一から十まで伝わると思ったアンタの頭が大丈夫か」
「僕以外に僕がいると思ってるの? いないだろ?」
「世界の中心はアンタじゃねーんだよ現実見ろ」
なんだこれ。なんだこれ。頭痛がしてくる。
「で、オマエこれ壊せる?」
「どれですか」
「これ」
「どれ」
「これだよ」
いや、だからどれだよ。【六眼】にシンクロ機能とか無いから。そんなあたかも、「自分が今見てるものが相手にも見えてるのが常識」みたいな声出さないでもらえるかな。マイルールが過ぎるだろ自重しろ。
「あんまり時間かけたくないんだよ僕。ふざけるのは後ね、あと」
はい、じゃー下りている"帳"をご覧くださーい、と。マイペースに理不尽なマイルールを押し付けてくる電話口の男に、そろそろ活発化した血管が切れそう。
早くー。ほらほらー、はやくはやくー。
急かす目的二割、煽り目的八割で構成されたフレーズの腹立たしさよ。俺の頭に煙突があったら一瞬で噴火するレベルである。
「ねー、はやくー。ちょっとその部屋からは遠いかもしれないけど、オマエなら問題ない距離なんでしょ? パパッとやっちゃてよ」
オマエなら問題ない距離。サラッと出された一言に一瞬、思考が止まった。
なんでコイツが。五条悟が俺の
だけれどコレ。見通す目、【千里眼】については、一言も情報を漏らした覚えはない。 【歪曲】や【六眼】と異なり、【千里眼】は発動の有無に関わらず、分かりやすく見える形で瞳に変化が起こることは無いのに。
一体どこで【千里眼】を知られたのか。【六眼】にシンクロ機能とか、同じ目を持っている人間限定で頭の中が覗けるとか、そんな機能無いよな? と。有り得ないと分かっていても、そんな心配が頭を過ぎってしまう。
想定もしていなかった情報にフリーズする俺を置き去りに、電話向こうの最強は絶好調。口ばかりではなく、快活とした手拍子も聞こえてくる。
どう答えるべきか。シラを通すべきか、沈黙のまま流すべきか。開示した覚えのない能力が知られていたという事態は、やられた側からするとわりと深刻だったりするのだ。
「あ、わかった!」
思考の海に沈む中、まるで閃いた! と言わんばかりの声が弾ける。
「オマエ、壊せないんでしょ。出来ないんでしょ。
「…………は?」
ガツン、と。頭の奥底。心臓の奥底。人々がプライドと呼ぶ部分を力いっぱい、殴られたような気がした。
脳みそが沸騰したように熱い。
無意識の内に開いていたのか。肉眼の映した狭まった世界とは別に、もう一つの。高専の有する敷地全てを収めた千里の世界が、頭のどこかに映し出される。
広がったのは遥か頭上からの景色。一番に目立っているのが、半円のような。球体のような丸いヴェールに覆われた黒色の結界。
ズームしていけば結界の上部付近に、銀髪の目隠し男。五条悟がジャージスタイルで片手をポケットに突っ込み、耳にスマートフォンを当てている。
多分、これだ。馬鹿の一つ覚えのようにこれこれ言っていたモノは、この黒い結界のことだろう。
そして同時に、ふざけるなよと。そんな憤りがふつふつと感情を揺らしていく。
こんな、こんな薄っぺらい暗幕すら。俺には壊せないと。俺の力では壊すことは叶わないと。そう、本気で言っているのかこの男は。
ふわふわとした。空のような万華鏡が熱を持ち、色の溢れていた視界が白と黒の。モノクロで描かれた紙面へと変わる。
アンタの瞳に映った俺は。
そっと。白黒で描かれた線画に指を寄せる。
一度はその首に手をかけた俺は。
美しい蝶の羽を摘むよう、墨色で塗りつぶされた半円を引っ張る。
アンタにとってはその程度の認識なのか。
「
くしゃり。摘み上げた平面が、捻れた。
赤と緑の螺旋が帳のように垂れ下がる結界を舐め回し、この世の常識。
ああ、壊せるとも。曲げられるとも。
────────バシュンッ。
森の一部を占拠していた黒。一つの
「……なんだ、できるじゃん」
電話口を通ってきた声は、どこか機嫌が良さそうだった。
「……用件はこれだけですか。さっさと切りたいんですけど」
立ちっぱなしであった足を折り、随分と見慣れたものとなってしまったベッドに腰掛ける。
「ん? あー、だめだめ。必要になったらまた声かけるから、僕が良いよって言うまで繋げといて」
そう言ったきり、通信状態を示す画面は静かなものだ。ポケットにでも突っ込んだのか、基本的にBGMが遠く鈍い。
耳から白いスマートフォンを離し、スピーカーマークをぽちり。ざわざわとしたはっきりしない雑音がポロポロと零れるも、泣き出した着信音の方が遥かにうるさい。
ゴソゴソ。そう大して間も置かず、何かを漁るような音がする。
「あ、もしもしー? 見えてる?」
何がだ。頭の痛くなるようなアンタのマイペースっぷりがか。
なんだよ「もしもし、見えてる?」って。「もしもし、聞こえてる?」が一般的な口上なんじゃないの? それともなにか? 俺の常識が間違ってるのか? アンタの常識がおかしいのか? 絶対に後者だろ後者だよな、後者だと言ってくれ。
「目から枝の生えたブスいるじゃん?」
目から枝の生えたブス。そんなブスいるの現実に。
恐らく主語は「さっき壊した結界の中に」であると思うのだが、目から枝の生えたブスを見つけられる気がしない。
「あ、雑草でも良いんだけど」
雑草……? え、ブスなんじゃないの。雑草なの? 植物? アンタ本当に俺と同じ世界を見てる? もしかして俺の【六眼】とアンタの【六眼】ではカメラワークが違かったりするわけ?
「で、その枝の生えたブスはここで祓っときたいから、死ぬまで押さえてて」
あ、カウントは三秒ね。
自由気ままに自分勝手に。唐突に始まったカウントダウン。
さーん! とスマホから聞こえる無慈悲な残り秒数。片っ端から【六眼】で感知した呪力の持ち主を【千里眼】で確認していく。
ツンツン、ポニテ、茶髪にフード。裸族に三節棍、そして目から枝の巨人……。
本当にいたわ目から枝の生えたブス。しかも呪霊じゃん、ゴミだゴミ。さっさと片付けよう。
「にぃー!」
とりあえず逃走防止のため【無下限】で枝の生えた呪霊を押さえつけ、変な横槍を入れられても困るので、近くにいた裸族とフードも【無下限】で縫い止める。
押さえた呪霊と大きな呪力反応。恐らく虚式の予兆である場所から経路を逆算し、【無下限】でレールを引く。
「いーち!」
構築した無限は全部で三層。放たれた【
よっしゃこい!
準備が整ったのとほぼ同時に【六眼】が映したのは綺麗な、美しい呪力の流れ。紫色の火花が舞い散り、周囲の空気がまるで線香花火のようにパチパチと爆ぜゆく。
仮想の蕾が花開き、解き放たれたのは理論上の大質量。
見惚れたのは一瞬。放たれた仮想の質量はニュートラルな第一層を触れた傍から破りつつ加速。
最大出力でつくった第二層は暴れ狂う紫色の嵐を目的地へと運び、対象を飲み込んだと同じタイミングで弾けた。
深い傷跡の刻まれた大地の痛々しさよ。綺麗さっぱりえぐり取られたその光景に、思わず口端が引き攣る。
うわあ、エッッグ……。
イェーイ! 一件落着! なんていう弾んだものが電話口からも聞こえるが、少なくとも森へ深刻なダメージを叩き出したのは今である。
役目の終わった【無下限】を解き、拘束していた裸族とフードも同じく解除。
後は電話相手からオーケーが出れば、晴れて俺もスマートフォンから手が離せるわけだが……。
五分、十分、十五分と。忙しない感じの音は聞こえるが、待っても待っても五条悟からの連絡は無い。
もういいかなあ、切っちゃっていいかなあ。スピーカーのままベッドに転がっているスマホを定期的に確認しつつ、【幻影剣】をテンポ良く作っていく。
それさら更に二十分後。長らく放置されていた電話から部屋に響いたのは、
「あれ? まだ切ってなかったの。何か用?」
そんなきょとりとした、阿呆の声だった。
…………コロスぞ。
もう今日はお布団から出ない。本当にお布団から出ないからな。ふて寝? なんとでも言うが良い。ただし俺が包まるのは現実の毛布ではなく、心の毛布なんだがな!
溢れ出る殺意のままにスマートフォンをベッドに叩きつけ、それから黙々と。布団の中に籠る
ヴン、なんていう電子音に似た効果音を重ねていき、なんだかんだともうすぐ蒼い剣で部屋が埋まりそうだ。
案外、術式以外に用いる呪力操作においては、【六眼】が欠けていたとしても大して影響は無いのかもしれない。
強度、規模、長さ、形……。敢えてそれらの要素をバラバラにしてつくった蒼色の群れを消し、元の色彩を取り戻した正方形をぼんやりと見上げる。
そう言えば結局、片付けたあの呪霊はなんだったのだろう。姉妹校交流会とやらのバトルゾーンに現れたのなら、高専側が事前に放った標的とかじゃないのか。
自然に近い、どこか不思議な感じのする呪力で出来た呪霊ではあったが、見た感じそこまで強いモノでも無さそうだった。俺が目を覚ました一面の廃墟には、アレと同じくらいの存在はわんさかいた気がする。
まあ、意味わからん状況と意味わからん自分というコンボに見事なパニック状態だったけど。それでも多分、俺のいた方ではあまり珍しくも無いモノだったのだろう。
座っていた体勢から後方へ上半身を倒し、手持ち部沙汰から意味も無く窓枠のカギを開ける。
パチッという解除音がかすかに聞こえ、ちょいちょいとズラしたガラスからは蝉の声。
ミンミン、ミーンミン。数を減らすどころか、日数の経過によりどんどん勢いを増してきているような大合唱。
冷たい空気に浸された部屋の中に生温い風が入り込む。
元気だなあ、と。やんやと騒ぐそれに耳を傾け、暫くの間、白いシーツの波に身を預ける。
すると小さく。大半が夏特有の大合唱によって掻き消されているが、蝉では無い誰かの話し声が聞こえてきた。
しかも一人ではない。複数人が言い合っているような、そんな人の声。
高専関係者だとは思うが、偶然見つけた
視点位置は丁度、俺のいる部屋付近の外側。
数は全部で四。男が三人、女の人が一人。その内、男の方は五条悟、伊地知さん。残るご老公、おじいちゃんと女性の方は見たことがない顔だ。いや、顔見知りとかいるのお前って言われたら「いないです」って答えるしかないのだけれども。
各々から感じ取れる馴染み深い力に思わず、天井を映していた両眼が細まる。
いやぁ、汚いよ? 散らかってるよ? 性格の悪さがそのままソックリ、滲み出てるだけなんじゃないの。でもさ、ほら! あんな本やこんな本が出しっぱかもしれないし! 夜蛾学長に見つかった時が楽しみね。おじいちゃんには刺激が強いかもしれないし! うるさいからそろそろ黙ってくれる?
【千里眼】は見ること専門の能力だ。だから当然、見ている人物達の会話や音なんかを聞き取ることは出来ない。
今回はあべこべにしか見えない四人が俺の方。つまり建物の方に近づいてきたから、外で繰り広げられている会話の一部を拾うことができただけだ。
身振り手振り。時折オーバーにも感じるリアクションを交えながら銀髪があれこれと言葉を重ね、それを鬱陶しそうに返す女性。前を行く伊地知さんなんかは真っ青な顔で、後ろから着いてくるおじいちゃんは完全無視の無言である。
伊地知さん大丈夫かよ。呪術師に虐められたの? 適当に埋めてあげようか? と。呪術師であろう二人と、あわよくばの気持ちを込めて五条悟ごと吹き飛ばしてやろうか。そう思った時、統一性の無い四人が扉の中に姿を消す。
どこの扉? 決まっている。伊地知さん曰く、生徒たちは立ち入り禁止である教員専用の棟。俺が今いる部屋が収まっている、この建物に、だ。
…………あれ、もしかしてヤバいのでは。
仰向けに寝っ転がっていた体を起こし、極力音を立てないようベッドに乗り上げる。
石のように固まったまま耳と神経を澄ませていれば、コツコツと。複数人らしき足音と、窓の隙間から零れ聞いた二種類の声が段々と近づいてくる。
念の為。念の為だから。内心でそんな言葉を呟き、そろりと。気紛れに開けた時とは違い、開けられる範囲まで窓を押す。
ムワッとした不愉快感。距離を詰めてくる足音。
そしてとうとう、漫才じみた男女の会話が薄いドアを隔てた位置までやってきた。
ダメですねこれは。
ガラスの可動レールである枠に手を付き、体を翻す。ドアノブが回る音ともに、目いっぱい開けた窓から五体を踊らせる。
着地の際に大きな音を立てるのはNGだ。【無下限】で体を覆い、地面との距離が数ミリ。落下の勢いが完全に止まったことを確認し、クッションの代わりとして出した無限を解く。
一歩、二歩、三歩。四階付近に相当する飛び降り口を見つつ後退。
どこかに身を隠せる場所はないか、と周囲に目を走らせつつ部屋から距離を取っていく。
じわじわと伸びていく距離。誰も顔を出す気配のない窓枠に、ホッとした息が零れる。
とりあえず、さっき盗み見た森の方に行こうと簡単な方針を立てたと同時に、どんと。背を向けていた方向から硬い。けれどコンクリートなどの冷たい硬さではない、反発力のある硬いもの。例えばそう、ミチミチに詰まった筋肉そのものにぶつかったような、鈍い衝撃。
「すいませ……」
反射的に口を突く言葉。慌てて振り返れば、夏の太陽光を反射するグラサンが一つ。
黒い服の上からでも分かるミッチミチの筋肉に、手入れのされた厳つい顎髭。かけられたグラサンは眩しく、ツルの真上にある眉間には深い渓谷が刻まれている。
「…………」
「…………」
前方から発せられる圧の強い沈黙の帳。太ましい丸太のような腕が太陽を背に持ち上がり、動けないでいる俺の肩へ。
グッと重くなった肩と、粉砕が目的なんじゃないかと疑ってしまうレベルの力が篭った指に冷や汗が流れる。
外の暑さによるものか。それてもこの状況によるものか。急速に口が乾いていく中、俺に言えたのはこんな一言。
「…………ひ、人違いです」
「不合格だ」
仰ぎ見た空は遠く、沸き立つ入道雲は白かった。