燃え尽きたぜ……真っ白にな…………。
独特の悪臭が満ちる薄暗い地下道。壁を挟んで聞こえる水音に、歩く度に跳ね返る靴音。
あのパワーインフレの塊たるスペースゴリラから逃げ延びて七日。体は元気だけど
逃げ切って川に落ちたあたりから記憶がほとんど無いが、目が覚めたら衣服含めて傷がまるっと治っていたのは嬉しい誤算だった。
多分寝こけている間に【六眼】先生がなんとかしてくれたのだろう。流石【六眼】先生ェ!
土壇場で解禁された術式反転【赫】は反転術式と呼ばれるものらしく、それを応用すればあの程度の怪我は治せて然るべきもの。
なにがどうやって無限を扱う術式が反転すると治癒のオプションが付くのか謎だが、現にこうして傷ついた体も治っているわけであるし、考えるだけ無駄である。
壁沿いを伝いながら歩き、刀袋へ手をかける。
無駄……。無駄と言ったら思い出すのはあのスペースゴリラだ。
袋の口を縛る紐に指を絡ませ、ゆっくりとその結び目を解く。
なにあの強さ。なんであんなのが人間として生まれてきたんだ。一人だけ人間界の法則ガン無視しやがってあのジャージ野郎。
しゅるしゅると肌を伝う縛り紐をそのままに、開いた口元から覗く純白の柄に触れ、分かれ道となっている曲がり角と共に一閃。
───キンッと、鍔と鯉口の重なる金属音。
「ア"……? アァ"……、ギレ……ィ…………?」
曲がり角からこんにちわ。出てきたのは不細工な形をした、人型に近い呪霊だ。
綺麗なものがある。だから壊したい。そんな欲を隠しもしない複数の眼差しを俺に注ぎ、熱に浮かされたように伸ばしてくるちぐはぐの手を払い除ける。
障害物を避けること無く直進すれば、当然ながら出会った呪霊は目と鼻の先。
そしてトン……と。うっすらと見える黒い直線を人差し指で叩き、
選択肢
・邪魔
▷・どいて
・触らないでくれる?
自分から触れておいて「触らないでくれる?」は理不尽の権化すぎない?
「どいて」
ピシリと、呪霊の内側から裂ける音。
そして次の瞬間、クパァと薄黒い切れ目に沿って呪霊の体が割れる。
ゆっくりと引力に従い、左右へ開かれる呪霊だったものを
なんか汚い液体を出しながら同色の糸を引く発生源。まあ、パックリと綺麗に裂けたど真ん中なわけだが。そんなところを通れば俺の体にも汚い粘液の一つや二つ引っ付きそうなものだが、なんとも綺麗なものだ。
反転術式を使えるようになったためか、今まで必要な場面でだけ使っていた【無下限】を四六時中使えるようになったらしい。
そのお陰で俺の体には常に無限の層があり、汚い粘液も水も、攻撃だって当たらない。ただしあの化け物野郎は除く。
四六時中呪力で生み出した無限を纏っていれば一発で正規の呪術師に感知されそうなものだが、そこは【
呪術師からは呪力を感知されず、仮に不意打ちの攻撃を受けたところで纏った【無下限】によって止められる。
いやー! 反転術式様々だな!!!! これはもう勝ったも同然でしょ。天上天下唯我独尊! 天を
……………………なぁーんて、手放しで喜べたら良かったんだけどなあ。
川辺でネギの似合わない美人さんに寝ているところを起こされ、さらには「息子の朝ご飯にって思って買ったんだけど、君の方がよっぽどお腹減ってそうな顔してるからあげる」という謎の理由により菓子パンを貰ってから七日。
そう、七日だ。七日も経っているのに、どうしても一瞬、垣間見えた遠く輝く瞳が忘れられない。
あの男、あの化け物、あのジャージ野郎。強かった。どうしようもなく、途方もなく、
条件は不本意にも同じだったはず。俺自身記憶がスッカラカンなため、術式の種類だとか呪術の仕組みだとかは分からない。
だけど戦っていて分かった。アレは俺と同じ術式、同じ無限、同じ程の才能。そして恐らく、同じ
顔が見えなかったので実際の年齢までは不明だが、体のつくりから見てとっくに成人した大人。年齢の差はあれど、俺には【
呪力という存在が僅かにでも関係するモノであるならば問答無用で絶大なアドバンテージを取れる、当たれば勝ち確の【
年齢差分の場数と経験もあるのだろうが、それでも全てにおいて足りなかった!
【無下限】の扱い方も、体術の練度も、瞬間的な判断力でさえだ。
それがどうしようなく悔しい。この両眼を抉りとってなお、この憎悪にも似た屈辱は消えはしないだろう。
胸の内からフツフツと湧き上がるのは、激情なんて言葉では言い表せないぐちゃぐちゃの感情だ。
辺り一面、この地下道一帯を更地にでもしてしまおうか。と、そんな暴力的感情が頭を支配する直前、ふと脳みその奥底がスッと冷える。
…………………………いや物騒すぎない???
俺としては考えられない程の激情。暴力的な破壊衝動を抑え、ちょっと自分の情緒が信じられなくなる。
確かにあのゴリラは強かった。後から【六眼】先生で確認した【メインクエスト】のタイトルは【最強との邂逅】。
どこの誰さんかは一切分からなかったが、それでも【最強】の称号を冠される人物ではあったのだ。
その称号を背負っているならばそれ相応の強さはデフォルト装備であるし、まだ二十にも満たない俺に打ち倒せる訳でもなし。
こんなクソバイオレンスな感情を抱く程の事では無いはずんだが……。最終目標である五条悟だったわけでもあるまいし。
ストレスでも溜まっているのだろう。そうに違いない。
なんて言っても、光の射さない地下へ逃げて五日。風の感じられない地下に篭って五日。新鮮な空気と別れを告げて五日だ。
そろそろ俺の人間としての本能が地上を求めてしまってもおかしくはない。
だがそんな人間の本能に反して、どうしても外に出られない事情がある。いや、出来たと言う方が正しいかもしれない。
なんかねぇ……、見られてるんですよ。
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きっちり一分の乱れなく
程なくして止まるエレベーターに乗り込み、スイートルームと呼ばれる最上階へ続くボタンを押し込む。
ポケットから出した右手。二桁の数字が刻まれた場所へ触れる手は、半分が無機質な医療品で覆われている。
これは別に五条悟がいい歳してあの病を発症した 、だとか再発したから、とかではない。
僅かにズキリと痛む患部を額に当て、上昇するエレベーターの内部に寄りかかる。
ぐんぐんと遠くなる地上をガラス張りの向こうから眺め、一週間前に出会った自分と同じ色彩の子を思い出す。
『はじめまして、こんばんは。俺のために貴方を殺します』
静かな声、冷たい雰囲気、凍てついた殺意を乗せた瞳。歳は多く見積って十八あるかないか。あのベビーフェイスとピクリとも動かなかった表情のせいで分かりにくかったが、自分の勘を信じるならば、恐らく伏黒や虎杖たちと同じ十五か六。
それにしては備わった強さも、術式の扱い方も突き抜けていて、あの厄介な刀型の呪具の扱いに至っては神の領域に踏み込んでいる。
人を寄せつけない、冬の気配がする子どもだった。
アレは……、あの子どもは間違いなく五条の子だ。本家分家、二親等三親身とか関係無く、五条悟に最も近しい場所から生まれた子どもだ。
なんとなく。そう、なんとなくだが、そう思えて仕方がない。
だけれど生憎、この年になっても五条は家庭を持っていないし、一時期柔らかな異性に慰めて貰っていた時期があったとはいえ、無責任にポンポコ新たな命をつくるほど落ちぶれもいない。
浅く抉れた腕と、スッパリ斬られた手を抱えもう一度生家に突撃したが、やっぱり誰も知らないし心当たりなんて無いと言う。
「(……やっぱり、硝子からの報告を待つしかないか)」
サングラスから覗く六眼で眼下の街を見下ろしても、やはり自分そっくりなあの子どもの痕跡は見つからない。
はじめて会った時も呪力のじゅの字すら感じなかったし、なにかしらカラクリがあるのだろう。
考えられるとすれば、あの特級呪具だが……。刃ではないとすると、もしかしたら鞘の方に何かあるのかもしれない。
チンッ、と軽い音と共に重厚な造りの扉が口を開ける。
この七日間、何度も味わったため息を押し殺し、五条は目的の部屋へ向かう。
豪奢ながら品の良さを感じさせる扉を形式上ノックし、そのままドアノブを回し部屋へと踏み込む。ノックの返事? そんなもの生まれてこの方、待ったことはない。
フローリングからカーテンのちょっとしたデザインまで、最上に近い贅を凝らした部屋に土足で上がり、景色を一望できる大きいガラス張りの窓。その正面を陣取るソファ。真ん中に優雅に腰掛けるのは、まるびを帯びた艶やかな女性ライン。
「おや……? レディの部屋へ入る時はノックを。そう習わなかったかい? 五条くん」
「したよ。したけど我慢出来ずに入っちゃった」
「ふふふ、他でもない君が我慢とは……。そんなに気になるかい? 最強たる君に手傷を負わせたその子が」
面白そうに肩を震わせる女性に口を尖らせる。
「そりゃもう。僕の
小さなガラステーブルに盛られたお菓子の籠。その中から一つを適当に掴み、ペリリと包装を破く。
「だからさ、早く見つけてよ
──────
その言葉と共にソファに身を沈めた女性─── 一級呪術師
「私としても君がそこまで言うほどの子だ。君からの口だけでなく、生の本人を見てみたい気持ちもある」
だけどねぇ……。と、
よくよく見れば彼女の顔には疲労が滲み、限界が近い事は察せられる……が、五条悟にそんなことは
ポリポリとカラメルの焼かれたクッキーを頬張り、五条は自分の預金残高をザッと数える。
「なあに? もしかしてまだ足りない? もう二・三割増やせば確実に見つけられる?」
自由に動かせる金が無くなるのは少しばかり困るが、日夜舞い込んでくる仕事量を考えると二・三ヶ月もすれば勝手に戻るだろう。
金は勝手に戻ってくるし、必要になれば稼げばいい。
だがあの子どもは違う。待っていれば顔を出してくれるわけでもないし、出て来てくれと思ったところで目の前に現れるわけでもない。
だからこそ、かなりの代償を支払って彼女に頼んだのだが……。
「いいや、これ以上重ねられても
あれだけのものを貰ったんだ。是が非でも見つけてみせるさ。
一級呪術師
彼女の術式は烏を操る「
烏を操るだけの術式であるが、同時に操っている烏との視覚共有を可能とする索敵にはもってこいの術式でもある。
だからこそ、五条悟は彼女に仕事の依頼を出した。
あの子どもを見つけるため。冬の気配がする同じ色彩の子どもに会うため。宝石へと偏光する万華鏡の瞳を持つあの子を捕まえるため。
五条悟と
一つは、五条悟の探し人を
一つは、
これらの"縛り"により
常ならば数十匹の烏の操作が限界だとしても、この"縛り"が課せられている間は日本全土。それに近い数の烏を支配下に置き、それらとの視覚共有を可能とする。
通常の呪術師ならば、この条件下での"縛り"はほとんど効力を発揮せず、無意味なものになり下がるだろう。
だが
期待通り
けれども大きな力には、それ相応の負担が課せられるもの。対象の身体的情報を元に取得情報を制限しているものの、莫大な情報を受け取る脳みそ。その疲労は徐々に限界に近づきつつある。
元々白い顔を更に青白く染め上げ、僅かに伝う冷や汗を拭うこともしないまま、
「目立ちたがり屋の五条くんと違い、君の探す子はかくれんぼが上手なようだね。まるで正反対に慎ましい性格だ」
「ちょっと
「そのままの意味さ、他意は無いよ」
気晴らしにか
ついでにお菓子の入っていた籠をテーブルからむしり取り、膝の上を新たな定位置と決めて個袋の包装を摘む。
チョコレートブラウニーだ。
しっとりと染みたチョコレートと埋め込まれたチョコチップに舌鼓を打ち、初期位置から動かされていないリモコンを足で引き寄せる。
天井付近に設置されている大型テレビに向かって電源を押し、丁度いい高さまで落ちてきたモニターを見つめる。
「…………五条くん」
「いいじゃん、この部屋だって元々は僕が用意したんだし」
「……、音量は控えめにしておくれよ?」
はーい、と。適当に返事をし、チャンネルを回す。
某ホテルの最上階。一番上等なスイートルーム。元々ここは五条が
余計な邪魔が入らぬよう。ソレだけに集中できるよう、貸し切った部屋。
貸切にしたのは自分だし、金を払っているのも自分なのだから、そこに置かれた菓子類を食べ散らかしても、自由にテレビを見たって誰も文句は言うまい。
しばらくお菓子をボリボリと齧り、適当に止めたチャンネルで番組を観ていると、ピクリと。ソファに身を沈める女性の指が動いた。
「見つかった!?」
喜々として聞けば、違うと冷たく返される。
「君の最近のお気に入り……、
「あぁ、悠二?」
「そう、丁度彼が見つかったよ。なんだか毛色の違う呪霊と一悶着してるみたいだね」
毛色の違う呪霊……。しばらく考えてようやっと煽り耐性ゼロの火山頭と、不気味な花畑マンの二匹を思い出す。
その後に起きた出来事が衝撃的すぎて完全に忘れていた。
虎杖は何かと持っている子であるし、もしかしたらその二匹以外の変わり種を引き当てたのかもしれない。
表向き彼は死んだことになっているし、単独で任務に行かせられるほど強くはない。
まあ、この最強が付きっきりで鍛錬に付き合っているのだから、あとひと月もすればそこら辺の呪術師よりは強くなるが。
同行者は確か呪術高専時代の後輩。脱サラ出戻り組の七海だったはず。
「同行者は確か七海だったはずだし、心配はいらな……」
い、と。
続く言葉は烏の女王に遮られた。
「五条くん」
「? なに?」
するりと長く整った指が"いち"を形作る。
「君の探す子は、君と同じ天然物の銀髪である」
に
「君の探す子は、刀型の呪具を持ち歩いている」
さん
「君の探す子は、君とそっくりな顔をしていて、君と同じ眼を持っている」
長いまつ毛が震え、アーモンド色の瞳がゆるりと孤月を描く。
「見つけたよ、君の探し人」
ありがとー!!!
そう言ってピュンと消えた己の担任の姿を白い目で見ながら、
「…………お前、なんか五条先生に目ェつけられることでもしたのか?」
「心当たりすらねぇよ……」
うげぇ……! という、年頃の女子がするものではない顔を披露するは
「…………なんか、様子おかしくなかったか?」
「ハァ!? あの先生いっつも変でしょ」
いつも通りに見えるけれども、どこか狂気染みた雰囲気を纏っていたように感じたが気のせいだったようだ。
「それもそうか」
伏黒はひとつ頷いて返事を返し、二年の先輩達が待つ校庭へ向かう。
それにしても今回は何をやらかしたんだか。
あんな小指くらいのカプセルを指して、「