「私が地方送り?」
「あぁそうだ。今の君の脚の状態では中央のデビューは難しいというのが上の判断だ」
これはいつかの私の記憶。今となれば遠い昔のことだか、あの日のことは鮮明に覚えている。
あの日受けた屈辱、恥辱は忘れることはない。
今覚えば、あのときのそれが私の原動力になっているのは間違いない。だからといってあの怒りを忘れているわけではないのだが。
「それで納得しろと? 私のプライドはどうなる」
「納得するしないは関係ない。私はありのまま事実を伝えているだけだ。それに脚部不安は誰のせいでもない、君自身の問題だろう?」
これは八つ当たりだ。目の前の皇帝様も、家の決定を私に伝えているだけ。そんなことは分かっている。
それでも言わないではいられなかった。
「あぁ、分かった。頭の固い皇帝様は精々ふんぞり返っていれればいいさ」
人のために動くことを是とするこの皇帝様が家を前にしては、私一人庇ってくれないという事実が何よりも腹立たしかったからだ。
そうして私はシンボリの名前を捨てた。
向かった先は金沢レース場。地方の中でもレベルが高いとは言い難い場所だ。
そしてあの人と出会った。
あれは友人もできなかった私が一人で走り込んでいた時のこと。
「君が噂の娘か。なるほどひどいフォームだな」
「あなたは誰だ?」
私の脚部不安は昔からのこと。そのせいで走る姿はお世辞にも綺麗なものとは言いがたかった。どうしても脚の出が窮屈になるからだ。
だから、フォームがひどいと言われること自体は気にしてはいない。それよりも、初対面でそんなことを本人を前に堂々と言える、目の前の人物が気になっていた。
「俺か? まぁそんなことはいいだろ。よし、決めた。君は俺が担当する」
「そんな急に決められても困るんだが」
どうやら目の前の人物はトレーナーだったらしい。
私の人生で最も恵まれたことはシンボリの家に生まれたことだが、次点はここでトレーナーに出会ったことなのは間違いない。
そんなこんなで決まったトレーナー。正直、第一印象はよくなかった。
だけど彼は天才だった。少なくとも金沢の中では並ぶ相手すらいないほどに。彼から教わったことは、数えきれないほどある。そのどれかが欠けていても、今の私はなかったのは間違いないだろう。
とにかく彼のもとでトレーニングを積み、ついに私も走る時が来た。
デビューはクラシック級の4月。私の脚ではここに間に合わせるのが精一杯だった。
ただ、私の実力は金沢では抜けていた。余り言いたくはないがもとは中央でシンボリの名前を背負う予定だったウマ娘だ、ここでは言葉通り役者が違っていた。
そして、迎えたダービーグランプリ。私を語るときには外すことはできないレースだ。
「なんだあのウマ娘、跛行しているぞ」
金沢では当たり前だった私の不恰好な歩き方も、この地では当たり前だが珍しかったようだ。人気こそ2番人気だったが、ウマ娘のレースに詳しい人間ほど私を評価していなかったように思う。
「よぉシロ、調子はどうだ? いつも通りひどいフォームだから大丈夫だとは思うがな」
「トレーナー、あなたはいつも一言多いな。調子は悪くないさ、今日は勝たないといけない一戦だから」
このレースは地方のオールスター戦と言ってもいいメンバーが揃っていた。
東京ダービーウマ娘ディライトフル。そして金沢の重賞で私に土をつけた高崎のリュウノクイーン。
それに当時は目立たなくても今振り返ればかなりのウマ娘が参戦していた。
「さて、シロ。お前にアドバイスをと言ってやりたいところだが、残念ながらお前に言うことは何もない」
「ついに放任かトレーナー?」
「本来の力を出しきればお前が負けることはないからな。コースロスだろうと構うな、大外分回してこい」
「それをアドバイスと言うんだよ、トレーナー」
思わず苦笑が漏れた。この人はいつもそうだ、自分の一言がどれだけの影響を持っているかというのを分かっていない。少なくともあの時の自分はその言葉を聞いて安心してレースに臨めた。
迎えた本番。
『シロヤマルドルフが大外からスパート。逃げ粘るリュウノクイーン。大外からシロヤマルドルフ、シロヤマルドルフが差しきってゴール』
レースは後方からすすめた私の向こう正面からのロングスパートが決まり快勝。余談だが、この向こう正面からのロングスパートはトレーナーの教え子なら誰もが身に付けているものだ。特に金沢ではこの仕掛けにトレーナーの名前が付けられているくらいだ。
「シロ、もう俺の指導は終わりだ。お前は少なくとも地方では一番のウマ娘になった。ここから先はお前の好きなようにしてくれればいい」
「ありがとう、あなたのお陰で少しは溜飲が下がったよ。私をこんなところに送り込んだシンボリ本家の連中の見る目の無さが証明できたからね」
まさに、ざまぁみろと言った感じだ。特に私の代のシンボリには他にめぼしい活躍をしたウマ娘がいなかったこともあって、なおさら誇らしかった。お前らが捨てた私が一番の出世頭だってね。
ただ、私のこの発言は失言だった。
「こんなところね。まぁ、お前から見たらそう思うんだろうな」
今のは完全に金沢を下に見た発言だ。もちろん、私がそう思っていないかといえば嘘にはなる。それでも、金沢で働くトレーナーの前でする発言でないことくらいは分かる。
「すまない、そういうつもりは無かったんだ」
「いや、気にするな。金沢が中央より下なのは明確な事実だ」
そう言って自嘲気味に笑うトレーナーの顔は今でも忘れられない。金沢では天才と呼ばれるトレーナーも中央とは縁がない。
それからの私は金沢を中央に負けない場所にしようと努めた。ファンとの距離を近付けてより身近な存在にしたり、金沢内でスターを生み出すように悪どいこともやってきた。
その甲斐もあってか金沢の人気も以前に比べて上がってきたのは間違いない。
ただ、どこかで心につかえができていた。
私のやっていることは正しいのだろうか?
「なんだこの温いレースは。こんなんだから地方の連中はバカにされているのも分からないのか? レースっていうのは勝つためにやるもんだろうが」
中央からやってきたウマ娘、サウスヴィレッジはそう言った。
「シロヤマさん、変わりましたね。私は昔みたいに血走っていたあなたの方が好きでしたよ」
金沢の古豪グリンフォレストはそう言った。
「私、負けたままで終わりたくないんです。南関東や中央のウマ娘たちは、私のことなんて眼中にもなかった。嫌な言い方も知れないけど、金沢自体が見下されていたんです」
次世代のスター候補だと思っていたカナメはそう言った。
きっと、私のやっていたことも間違いではないのだろう。それは分かる。実際に金沢の経営状態を見ても上向いているのは確かだ。
ただ、誰よりも私が私のしていることにストレスを感じていただけだ。
いくら取り繕っても、私の本性はシンボリを追い出されたあの日と変わらないのだから。
「トレーナー、やりたいことができた。もう一度鍛えて欲しい。できるか?」
「シロ。当たり前だろ、なんせ金沢の天才トレーナーだからな。それでいつまでにだ?」
宣言するのはもちろんあのレース。
カナメに感化され、サウスに持ち込まれたあの勝負。聞けばグリンも参加するらしい。
「スプリングカップまでにだ!」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ふと昔のことを思い出していた。
大一番のレース前にはよくある、自分が自分でなくなるようなこの感覚。思えばダービーグランプリの時もこうやって過去のことを思い出していたのかもしれない。
舞台は大井2,000m。天候は晴れ、バ場は良。
冬の乾燥した気候も相まって、かなりのパサパサダートだ。
正直、望んでいたコンディションではない。それでも、私たちのやることは変わらない。
バ場入りを目前にサウスに声をかける。
彼女には色々と聞きたいことも言いたいこともある。
「サウス、君はいつかレースっていうのは勝つためにやるものだと言っていただろう。どうして今回、協力してくれたんだい? はっきり言って、君に勝ち目はないだろう」
「なに勘違いしてんだシロヤマ。私は金沢の勝ちのために走るんだ。今回はそれで納得することにしただけだ」
「なるほど。いやすまない、失礼なことを聞いたね。それで勝つための準備は万端かい?」
「それこそ失礼な話ってやつだ。任せておけ」
「そうか、ありがとう」
このありがとうは一体何に対してのありがとうだったと思う? その答えは私だけが知っていればいい。