2月某日。相変わらず金沢の冬の寒さは厳しい。こればかりは関東にいた私にとって慣れるものじゃない。
特に屋外の冷たい風はこたえる。
もっとも目の前でトレーニングをしている一際小さなウマ娘には関係ないようではあるがな。
「よぉ、チビ調子はどうだ?」
「サ、サウスヴィレッジさん。おかげさまで悪くないですよ、次のフェブラリーSももうすぐですし」
あの強度のトレーニングをしても息も切らさないのかこいつは。
それにしてもフェブラリーSか。当たり前のようにG1レースに出走するなこいつは。私も慣れたが、冷静に考えればまったくおかしい話だ。
「そうか。ところでチビ、前走の東京大賞典以降、私を避けてるだろう? まさか負けたことを引きずっているんじゃないだろうな」
「いえ、それはまったく無いんですけど」
あっけらかんと目の前のカナメは言う。昔みたいにしょぼくれてたら喝でも入れてやろうかと思ったが、杞憂だったな。それに昔は私にビビり散らかしていたっていうのにいっぱしの口を利くようになったじゃないか。
「それはそれで失礼な話ではあるけどな。せっかく私とシロヤマがアシストしたっていうのに6着ってのいかがなもんかねぇ」
「単純に私が弱かったです、それに関しては言い訳できません」
「ッハ、冗談さ。心配しなくでも私もシロヤマもお前の実力は認めている。じゃなきゃ、あんなことに協力なんてするわけないだろ?」
あぁ、こいつは強い。適正舞台なら私にも多少の目はあるだろうが、あいつの土俵で戦えば勝ち目は皆無だ。それは私だけじゃなくてグリンやシロヤマでも同じ。恐ろしいまでの才能と実力、本人がどう思っているかは知らないがそれが金沢でのカナメの立ち位置だ。
「ありがとうございます」
「ところであいつはいないのか?」
「トレーナーさんですか? 今日は練習に来れないみたいですよ」
「それは好都合だな。今から、らしくないことを言うが黙って聞いておけよ」
本来はあいつに話そうと思って来たんだが…。いないならいないで仕方ない。それにこいつにも直接伝えるのが礼儀だろうからな。
せっかくだ、少し昔話でもしてやるとするか。せめてもの餞別としてな。
「お前も知っているとは思うが私は元々中央で走っていた。だから当然、才能のある連中をたくさん見てきた。例えば私が惨敗したメイクデビューの勝ちウマ娘は後に重賞ウィナーになった。三戦目ではのちの桜花賞3着ウマ娘に負けた。そして中央最後のレースは後のフェブラリーSウマ娘にコテンパンだ」
思えば中央で走っていたのも大分昔になってしまったな。金沢に来たことに後悔はないが、中央で活躍した連中を見て羨ましいという気持ちがないと言えばウソになる。もちろん、私にそれができる実力が無かったのだから仕方がないことではあるが。
「サウスヴィレッジさんでも、中央で勝つのは難しかったんですね」
難しい…か。正確にはそれでも甘いくらいだ。勝てる可能性が無いと判断されたからこそ私たちはここにいる。G1レースで勝ちきれないお前とは全く状況が違うんだけどな。
「…そうだな。いいか、基本的に地方のしかも金沢に流れてくるウマ娘っていうのは敗者だ。だがお前は勝者のメンタリティーを持っていた。それが私がお前を気に入っている理由だ。グリンもシロヤマもそして私も中央から蹴落とされた身だ、だからどこかで中央に負い目がある。本人も知らないところでな」
特にシロヤマはそれが強い。あいつは1人の競技者としては尊敬できるし、その実力も認めている。ただやつの独善的な気質は丸くなったとはいえ消えてはいない。いつか、それが原因でトラブルが起きるかもしれないが、まぁこいつなら大丈夫か。
それに必ずしもそれが悪いというわけでもないだろうしな。
「だからだろうな、私もシロヤマも無意識にお前に期待をしている、言ってしまえば重荷を背負わせているわけだ」
「お言葉ですけどサウスヴィレッジさん。私は誰かのために走るのはやめたんです。私は私だけのために走ります。その結果に金沢のみんなが思いを馳せるのは自由ですけどね」
私の言葉を聞いたカナメが。それまで曖昧に向けていた目線を私に向けて宣言する。
空気が変わったか? 1年前のこいつなら当たり障りのないことを言って流していたはずだが、これがこいつの矜持か。
いいね、私もその考えは嫌いじゃない。
「あぁそれでいい。お前が本当に金沢を背負う器なら、ただ走るだけで十分だ。あとはお前の背中をみて、勝手に他の連中が夢を見るさ。それに私が見てきた才能のある連中にはお前も含まれているんだぞ?」
お前には夢を見せる資格がある。いや、既に魅せられている連中は大勢いる。その筆頭がシロヤマでありお前のトレーナーなんだけどな。まぁ、あの二人はいささか入れ込み過ぎだが。
「…どうしたんですかサウスヴィレッジさん。失礼かもしれないですけど、サウスヴィレッジさんがこんなこと言うなんて」
やっぱりガラじゃないことはするもんじゃないな。いや、やっぱりしてよかったか。おかげで心置きなく宣言できる。
「私は今年で引退だ! 正確には今年の白山大賞典、そこで一区切りをつけることにした」
「…引退ですか。お疲れ様でしたでいいんですかね」
お疲れ様でした…か。確かに頑張ったと言えるのかもな。元々の夢は叶えられなかったが、ここで最強の座をつかんで友も期待の後輩もできた。そういう意味では充実した競技人生だった。
「ただ、サウスヴィレッジさん。失礼かもしれないですけど、私から一言いいですか?」
「なんだ?」
てっきり、感謝の言葉でも掛けてくれるのかと思ったが、その予想は悪い意味で裏切られることになった。
「今のサウスヴィレッジさんからは昔はあった凄みが感じられません。それが引退の理由ですか?」
「凄み…?」
何を言っていこのチビは。私の引退の理由はそんなもんじゃない。アメリアともーーー
「やっぱり自覚はありませんでしたか。思えば東京大賞典の時からおかしいと思っていたんです。昔の、いや白山大賞典の前のサウスヴィレッジさんなら絶対に私に協力なんてしませんでした。そうしてそこまで腑抜けたんですか?」
「腑抜けただと。私の引退の理由はそんな安い理由じゃない! 私の引ーーー」
私の思考、言葉を遮ってカナメは言う。
「サウスヴィレッジさん。引退レースは白山大賞典でしたね? だったらそこで引導を渡します。あなたの引退レースは華やかなものにはなりません、私に蹂躙されて土に塗れるみじめ姿をさらすことになります。距離も舞台もサウスヴィレッジさんに分がある舞台です。まさか逃げませんよね」
「…上等だ。芝ならともかくその舞台でお前が私に勝てるわけないだろうが」
勝てるだろうか? いや、後輩にここまで言われたんだ。勝つしかないだろうが。
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「これでよかったんですかグリンさん? 結構、キツかったんですけど」
「上出来よ、カナメちゃん。女優さんかと思ったわ。でも半分はカナメちゃんの本音でしょ?」
「そ、そんなことないですよ。それにしても、どうしてこんなことを?」
「そうねぇ、本来引退するしないは本人の自由だからいつしてもいいんだけどね。ただ今のあいつは何かおかしいのよね。それを見極めたくてね。カナメちゃんに発破をかけられれば少なくともトレーニングはするでしょ」
「はぁ。グリンさんも大概独善的ですね」
「そうよ、とくにあいつに関してはね。知らなかった?」