練習目的でもあります。
「いじめ」
僕の中学生活を一言で表すならばこの言葉だった。実際の所はそんな生温い物では無かったかも知れないけれど、こう考え無ければ僕の心は持たなかった。
原因は未だに分からない。しかし、いつ始まったのかは憶えている。嫌、憶えているどころかその時の状況を鮮明に思い出せる。「それ」は入学式が終わってから一週間も経っていない、学校説明等のガイダンスが終わった次の朝から始まった。ようやく学級委員などの委員を決め、通常の学級らしくなり始めた日だった。
僕の通っていた中学校は小学校と学区がほぼ同じで、4月からそこに引っ越して来た僕を除いて全員が小学校からの同級生だった。だがしかし、入学式の日まで悶々としながら過ごしていたか、と言えばそうでも無い。転勤族の親を持ったお蔭で小学生の頃から引っ越しも、それに伴う転校にも慣れっこだった。しかし一応、クラスに馴染めるか等の心配はしていた。
自分と言う者を意識し始めた正に思春期の僕にとって、クラスでどれくらい馴染めるかが自己を護り切れるかどうかの瀬戸際だった。難しく表現しようとしている(その目論見は破綻してしまっている)が、平たく言ってしまえば独りぼっちになるのが怖かったのだ。連日ニュースで流れて来る「いじめ、不登校、自殺」の3点セット、どれか1つでも恐ろしいのに来る時は大抵3つ揃ってやってくる。まぁ、そんな心配事は後日最悪な形で返答が来るのだが。
「それ」は唐突に始まった。「それ」以前に彼等が僕の事を知る機会があるならばそれは自己紹介の時だ。自己紹介とは、名の通り自己を紹介する事。自分の趣味趣向(学生の間、自らを構成する最も重要な事。)を話すのがメイン。好きな物一つから共通の話題が生まれ、友達が出来ていく切っ掛けを作る時間。なので決してしくじる訳にはいかず、繰り返し体験した転校の中でどんな自己紹介は受けが悪いのか研究(そして実験)した。なので、その研究が外れてしまい何か皆んなを怒らせる事でも言ってしまったのかと思った。しかし自己紹介にそんな要素が有ったのかと言えばそうでは無かった。当たり障り無い普通の自己紹介をした筈だが、何が駄目だったのだろうか。クラスの人達は見慣れた集団の中の見ず知らずの「異物」と言う事で少し、面食らってはいたが話したのはせいぜい名前と長野から引っ越してきた事、後は無難に好きな物くらいだ。自己紹介をした当日は、多少は話しかけられる事もあったし気の合いそうな奴もいた。しかし、その日を境に彼等は突然話し掛けなくなって来た。まるで示し合わせたかの様に突然、一切話掛けて来ることが無くなったのだ。
初めは僕が彼等に対して何かしてしまったのかと考えた。ふとした時の言葉で彼等を自分が考える以上に傷つけてしまったのか?何か彼等の癇に障る事でも言ってしまったのか?そんな事を考えていた。しかし、日が経つにつれクラス全体から無視されてる事に気が付いた。一学期の間あっという間に過ぎた様なその期間中に、クラス中から無視される様になった。二学期には他のクラスにも無視される事が出て来た。一年の終わりには学年中から無視される様になった。それでも一年生同士の事に関係の無い部活の先輩達は僕の事を気に掛けて相談に乗ってくれた。2年生になると親身になってくれていた3年生の先輩達が卒業してしまい、とうとう学校で僕に話し掛ける人は居なくなってしまった。
きっと、僕と話す所を見られるとそいつもいじめられるのだろう。そう思うと納得は出来なくとも理解は出来た。しかし、そんな中でもいじめを恐れず僕に話し掛けてくれる女の子が1人だけ居た、何時も朗らかに笑う笑顔の素敵な子だった。僕はその子に唯一の救いを見つけた気がした。日が経つにつれて無味乾燥な物へと変わって行く日々の中で、彼女だけは何時でも変わらぬ色彩を放ってそこに居てくれた。彼女だけが……
次第に僕は彼女と話を合わせる為に躍起になった。彼女の放つ言葉に合わせて自分が変わろうと努力を続けた。「彼女が烏は白いと言えば全ての烏を白く塗りあげる」そこ迄は行かないにせよ、心情的にはそのレベルだった。僕の、その時期の学校生活はやる事なす事全てに彼女の意思が関わっていた気がする。
こんな関係は長くは続かないだろうと思っていた、まるで「主人と奴隷」の様な関係は。しかし、予想に反してこの関係は長く続いた。彼女の僕の扱いが上手かったのか、僕に元よりそんな素質が備わっていたのかは今でも定かでは無い。
そんな歪なようで噛み合っていた関係は中学卒業を切っ掛けに無くなってしまった。高校も同じ所に行きたいと考えていたが、流石に女子高には進めない。僕も僕で、新しい道を探さなければならないのだろう。
幸いな事に高校受験は無事成功し、いじめに悩まされた中学から離れた高校に進学出来た。あの中学時代のいじめを経験しそれを乗り越えた僕ならば、どんな事があっても耐えられると言う自信があった。しかし、予想に反してそこではいじめは起きず普通の学校生活を送れていた。唯一の関係を失わない様に必死に趣味を人に合わせる必要も無く、自分の本当に好きな事が出来るのだと密かに心躍らせた。だが、残念な事に中学生時代の癖は抜けず人に合わせて趣味をコロコロ変える性格は治らなかった。そしてそれを友人に指摘される度に、苦笑いしながらも思い知らされるような気がするのだ、あの時同じ趣味だと喜んでくれた彼女の為に東奔西走していた自分はもう必要ないのだと、彼女が喜んでくれる姿を見る為にだけ生きていたあの時の自分は最早必要無くなったと。そんな、彼女だけが心の支えだった日々はもう終わったのだと……そう自覚しておきながら、まだ自分はその頃のまま変わっていないと。
振り返ってみれば3年間にも及ぶ中学生活の中で、話したと言える相手は彼女しか居なかった。しかし当然彼女には他に交流のある友人もいた、彼女1人しか友人と呼べる者が居なかった僕はひたすらに彼女に話しかけて貰える時を待った。自分から話しかる事など結局卒業まで一度も出来なかった。ただひたすらに彼女からの言葉を待ち、ただひたすらに彼女の喜ぶ話題を提供し、ただひたすらに彼女の許しを待った。何の事に対する許しなのかは全く判らないが、当時心の弱っていた僕は彼女との会話が無ければ生きる事さえ難しかったと思う。その点では生きていても良いという許しなのかも知れない。
結局僕は「自己の確立のために」と言う大義名分に隠れて孤独を恐れ、彼女との交流を維持する事に必死になって一番大切にしてたはずの僕自身の自己を蔑ろにしてしまっていたのだ。そこまで理解してからやっと気付けた、最早僕なんて「物」に自分自身なんて「者」は残ってなかったんだ。僕の自己なんて「物」はとっくに彼女によってズタボロにされていた、ズタボロになりながら生きながらえているような自己によって動いている僕なんて「物」は僕と言う「者」では無くなってしまっていたんだ。高校生になってから感じる喪失感の様な物は、彼女との繋がりの様な目に見えない「物」が消えたからでは無くて、小学校の頃の僕と言う確かな「者」が消えていたせいだったんだ。今の僕は自己のある「者」では無い。
あぁ。
僕はもう僕の「者」では無かった
実体験を基にしていない作品です。