真実のノート   作:紫 李鳥

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 ――三年が経っていた。野上は編集長と喧嘩をして、すでにM出版社を辞めていた。他の出版社に面接に行く気にもなれず、取り敢えずフリーターまがいの生活をしていた。

 

 そんな時、総会屋の首領(ドン)と呼ばれる、梶原幸三郎(かじはらこうざぶろう)の電撃結婚が写真週刊誌に載っていた。梶原の傍らで微笑む女を見て、野上は目を丸くした。

 

〈正妻の座を射止めたのは、元ホステスの矢口雅子さん、三十三歳。雅子さんが勤めいていた銀座のクラブで出会い、――〉

 

 ……やっぱりだ。

 

 野上は、上品な笑みを湛えた雅子の顔を凝視(ぎょうし)した。華やかな雰囲気の中に馴染(なじ)んだ、その容姿は、暗いイメージだったあの頃の雅子とは別人のようだった。

 

 ……はて、どっちが雅子の本質なんだ?

 

 間もなくして、野上の中に、雅子への疑惑が芽生えた。

 

 もう三年前に解決した事件だ。だが、曖昧模糊(あいまいもこ)ではあるが、あの事件には何かしら虚偽のようなものが介入していたのではないか……。

 

 野上は一人、隔靴掻痒(かっかそうよう)とした。

 

 確かに、ミナちゃんを殺したのは岩水だ。だが、岩水を犯行に掻き立てたのは、目に見えない雅子の指示(・・)があったのではないだろうか……。

 

 野上はなぜかしら、そんな妄想を抱いた。――

 

 

 久しぶりに伊東と呑むことにした。一杯目のチューハイを飲み干す最中に伊東の顔が見えた。氷の音と共に空にすると、軽く手を上げた。

 

 野上がビールとチューハイを店員に注文すると、伊東がテーブルを挟んだ。

 

「よっ、久しぶりだな。元気だったか」

 

「いやぁ。Mを辞めてからはこの歳でフリーターですよ」

 

「ま、独身だから、よしとしよう」

 

 置かれたビールを手にした伊東がチラッと見た。

 

「梶原氏の結婚のこと――」

 

 野上がそこまで言うと、

 

「はい、お疲れ」

 

 と、野上の手にしたグラスに当てた。ゴクゴクと(うま)そうに飲み干すと、例の、あ~が出た。この、あ~が出るまでは自分のペースを優先させたいようだ。タイミングを見計らって野上は話を繋いだ。

 

「雅子と結婚――」

 

「ああ。俺も驚いたよ。総会屋の大物の相手が、幼児虐待で取り調べた、あの雅子様だもの」

 

 野上の食べかけのホッケに箸をつけながら、皮肉まじりに言った。

 

「梶原氏はそのことを知った上で結婚するんですかね?」

 

 野上は、ゴシップ好きな野次馬になっていた。

 

「その辺は分からんが、たぶん、隠しているだろうな。俺の推測では」

 

「万が一バレたらどうなりますかね?」

 

「つまり、梶原の度量を知りたいのか?」

 

「ええ、ま」

 

「女遊びも卒業して、最後に選んだのが雅子だ。雅子の過去を知ったところで離婚はないだろな」

 

 黄土色の門歯の隙間から小骨を抜いた伊東は、おしぼりで指を拭いながら野上を見た。

 

「……」

 

 考えるように野上が(うつむ)いていると、

 

「なんだ、また雅子熱が発症したか」

 

 伊東が嫌味を言った。

 

「そうじゃなくて。なんて言うか、……あの頃の雅子とは別人のようで」

 

「そりゃそうさ。梶原が見初(みそ)めるぐらいだ、美人の最上級、超美人じゃないとな。着るものや化粧に金をかければ別人のようにもなるだろよ」

 

 爪楊枝(つまようじ)をくわえながら、ビールを注いだ。

 

「それだけじゃなくて、なんて言うか、内面的にも、陰から陽に変わった感じだし」

 

 上手に説明できない野上は苛立(いらだ)った。

 

「人間なんて、そんなものだろ。状況や環境が変われば、そりゃ内面も変わるさ」

 

 野上の食いかけの揚げ出し豆腐に箸をつけながら、一瞥(いちべつ)した。

 

「そう言うことじゃなくて……」

 

 雅子への疑惑の旨を露骨に伝えられない野上は、半分諦めた。

 

「……もしかして、ミナ殺害は雅子の意図だと考えてるか?」

 

 伊東の目が光った。野上は、ゆっくりと(うなず)いた。

 

「うむ……」

 

 伊東は腕組みをすると、考えるような顔で、空になったビール瓶に目を()えた。それを機に、野上は自分の考えを聞いてほしくて、伊東の好物を注文した。

 

 二本目のビールと刺身の盛り合わせが到着すると、伊東は一流のカウンセラーにでもなったかのように悠然(ゆうぜん)と構えた。

 

「……雅子は自分の手を汚さないで、岩水にミナちゃんを殺させた。そして、自分が殺したと虚偽の自白をした。だが、逮捕されたのは岩水。つまり、一事不再理(いちじふさいり)を狙った」

 

 だが、伊東は聞き役に徹しただけで、明確な回答はくれなかった。なんだか、イカサマ占い師みたいで腹が立った。

 

 結局、当てが外れた格好で帰宅した。三十三になる野上は、独身の上に彼女らしきものいなかった。ワンルームマンションで自炊しながら、古本屋で(あさ)った好きな小説を読み、登録している派遣会社からの単発の仕事をしていた。

 

 出版社を辞めたことを後悔していたが、今更、謝って復帰する気はなかった。他社に再就職するにしても、面接の場面を想像するだけでうんざりした。コネがないわけではないが、電話して頼むのも億劫(おっくう)になっていた。

 

 フリーター癖がつくと、定職に就くのがめんどくさくなるものだ。だからと言って、生活に余裕があるわけではなかった。バイト料も、毎月の家賃と食費に消えてしまう。伊東と飲んだ居酒屋の払いも大きな出費だった。金が欲しいのは山々だ。

 

 簡単に金儲けできないものか……。あっ!そうだ。

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