「七海さん、その症状はどれほど前から?」
「……わかりません。物心ついた頃には既に…」
絞り出すような小さな声だ。
「具体的にどんなものですか。例えば、自分自身の姿をしているとか図形をしているとかありますか」
「見たことはないものばかりです。映画でも見たことがない…」
時折雑談を交えながら見えるものとその時の状況を話す。今まで他の精神科でも繰り返してきた質問もあり、焦れた七海は単刀直入に訊ねる。さっさと薬をもらって帰ってしまいたかった。出された薬をしこたま飲んで、今日はもう休みたい。それほど七海にとって自身の心の内を話すことや探られることは吐き気を催すほどの苦痛を伴った。
「脳腫瘍を疑ってMRIもCTも病院で調べました、けれどどれも違った…っ、先生、これは、この幻覚は治りますか…」
「――七海さん、少し休憩しましょう」
「……はい」
もう時計の短針は2を指している。随分と話し込んでいたようだ。
「七海さんが良ければ、近くの公園で昼食でもどうですか?」
その日は風が柔らかく、陽の光に当たれば包み込んでくれるような優しさを感じる穏やかさがあった。もう昼を過ぎているからか公園にはサラリーマンの姿もなく、東屋は空いていた。
安藤に促され、東屋のベンチに座ると、自分が何も持ってきていないことに気が付き慌てる。コンビニに買いに行こうとする七海を押しとどめ、安藤はランチョンマットを広げる。安藤の話によると料理が趣味で、いつも多く持ってきてはクリニックの職員に分けているのだという。
確かにランチボックスはいくつもあり、彩が良くサンドイッチが詰められている。料理をするというのは本当らしい。
勧められ手に取ったサンドイッチは柔らかく煮込まれた肉が入っておりボリュームがある。マヨネーズにはからしが混ぜられているのかピリリとした刺激が食欲をそそった。卵や胡瓜も挟まっているがパンは水っぽくなっておらず、うまくまとまっている。
そう言えば朝はコーヒーだけだったと今になって思い出していた。
「どうだい?今回のは自信作なんだけれど」
「…おいしいです。中に入っている肉は…」
「あぁ、牛のすね肉だ。厚手の鍋を使って弱火でじっくり煮込めば、驚くほど柔らかくなるんだよ」
安藤は七海と同じサンドイッチを口にし、上出来だと頷いた。
「…先生、なぜ私を昼食に誘ったんですか」
「あぁ君と腹を割って話したくってね。
―――私にも君と同じものが見える、といったらどうする?」
七海は息を飲んだ。
「――なんだ、これは…」
思わず夜蛾の口から出てしまった言葉はその部屋に静かに染みていった。現場から一時的に退室させた警察官にその言葉を聞かれなかったことに胸を撫で下ろす。
その現場は一見呪霊の仕業のように見えた。指紋も足跡もない。近くのコンビニエンスストアの防犯カメラにも被害者2人以外の人物は映っていなかった。ただ2人が買い物し、帰っていくのが映っていただけだ。
被害者たちの遺体は、15㎝づつ輪切りにされている。それだけではない。そのパーツを交互に重ねられ、まるで1つの達磨落としのように天井に届きそうなほど高く積まれていた。
「うわっ、これは…呪霊の仕業ですか?」
扉から入ってきた高専1年の庵が遺体から目を反らし言う。
「――わからない。並みの呪霊にはこんな風に人体で遊ぶような知能はない…はずだ」
「ということは、知能がある呪霊か、あるいは呪詛師の犯行か…」
「……」
高専に戻り報告書を書く。もう窓の外は薄暗く、夕焼けのぼんやりとした赤色が仄かに空気中に漂っていた。
夜蛾は昼間の事件について考え込んでいた。有名な呪詛師の手口は情報化され職員には共有されている。呪詛師にも種類がある、快楽からそれを行う者、金銭のために行う者。
実際今回の被害者となった2人は俗にいう鼻つまみ者だったようだ。恨みを持つ者の犯行ならもっと被害者を嬲る。依頼を受けた呪詛師の仕業か?
そう答えを出しかけた時に携帯が着信を知らせた。電話の相手は被害者の遺体を解剖を任せた高専の保険医だ。まだ職員室にいるならすぐにこっちに来いと告げられる。
解剖台がいくつも並んでいるこの場所が夜蛾は苦手だった。遺体が腐敗しないように室温は低く、季節を問わずひんやりとした空気が籠っている。
2つの解剖台には今日運ばれてきたばかりの被害者が安置されていた。重ねられていた体はそれぞれの場所に戻されている。
「話とはなんだ」
「明日でもよかったんだけどね。被害者の遺体で足りない部分があるの」
「足りない?」
「こっちは下腿部…つまり膝から足首の間。そっちは肝臓がない」
「呪詛師が依頼人に任務遂行の証明として出す…とは思えないな」
「それならもっと持ち運びがしやすいやつを選ぶでしょ。指とか。それにね、肝臓取られなかった方も一度開いた形跡があるの」
「なぜ取られなかった?」
「それはもうわかってる。こっちの人、肝臓癌だった」
「癌…か」