春庭四方山話   作:沖津白波

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 ベルガモットバレーの騎士団長をやっている「私」は騎士団合同会議のためにブロッサムヒルまで遠征に来ていた。
 その初日の夜に、「私」は屋台にて「アンプルゥの神様」と名乗る謎の男と出会うのであった。




※誤字脱字、乱文あり
※解釈違い、設定違い
※ご都合主義、ご都合展開
※登場人物である各団長たちのモデルあり

以上のご注意の上、それらが許せる方はお暇つぶしにでもどうぞ



命短し歩けよ男児

※※※

 

 

 ミムイス湖畔から流れる川と、山脈ガルデの裾野に挟まれた世界花、ブロッサムヒル。

 スプリングガーデンに由緒正しき国は多数あれど、その中でもブロッサムヒルは別格と言えよう。何せこの世界で初めて「花騎士」と呼ばれる存在が産まれた場所だ。

 それも、世にはびこる悪である害虫と日夜戦い、勇者と共に世界を救わんとする花騎士たちの始祖なのだ。時代が時代なら神聖視、もしくは聖地として崇められてもおかしくはないだろう。

 その象徴たる世界花のお膝元であるブロッサムヒル王城と、その城下街も年間多くの人々が行き来している。国としても城下街としても最も栄えている場所ではあるが、その界隈に夜な夜なある屋台が出没することはあまり知られていない。

 名前を「夜鳴き蕎麦」といい、そこの目玉商品も同じく「夜鳴き蕎麦」という名前らしい。余程味に自信があるのだろう。

 私は花騎士のウキツリボクに教えてもらわなければ、全くと言っていい程その存在を知らなかった。しかし、その味は絶品であるという。

 

 

※※※

 

 

 その日、というか今日から一週間の間、私はブロッサムヒルまで出張することとなった。各国合同の騎士団長会合参加のためとはいえ、ベルガモットバレーからブロッサムヒルまでは遠い。他の国も似たような事情だったのか、初日は軽い挨拶程度で済んだ。遠征組のことを考えてか、その翌日は休み。本格的な会議は明後日からになるそうだ。

 丁度良い機会だったため、私は噂の「夜鳴き蕎麦」とやらを食べてみたくなった。それ故に、用意された宿で待機して夜を過ごすつもりはなかった。

 その日の夕食を軽めに済ませ、早めの風呂も終えた後に、私は夜の街へと繰り出した。

 

「へい。お待ち」

「ありがとうございます」

 

 事前に徘徊ルートを教えてもらったとはいえ屋台は存外すぐに見つかった。

 私とは初対面であるにも関わらず、気さくな店主から温かい蕎麦の入った器を両手で受け取る。器の熱さに耐えつつもそっと机の上に置いて、箸を手にした。

 普段からナイロール眼鏡を愛用しているため、湯気が立つその器の中の蕎麦こそ覗き込めない。しかし、なかなかどうして食欲をそそる匂いである。期待に胸が高鳴るのを感じつつ、私は他に客のいない屋台で一人、店主の前で「夜鳴き蕎麦」を食そうとした。

 

「失礼。隣、良いかな?」

 

 箸で器の中にあるスープに漂う麺そばを挟み、さあいざ、というところで不意に右隣りから声を掛けられた。

 噂の屋台でこそあったが、店主の意向なのか屋台自体の展開はこぢんまりとしている。屋台本体から離れた場所に机や椅子などは並べていない。

 故に、誰もいないことをいいことに屋台の前に並べられた五つの椅子のど真ん中を占拠していた私にとって、その来客は少々予想外であった。

 これから食事をしようとしていたところに声を掛けられたこともあって、少し眉根が寄るのを感じたのも仕方がないだろう。

 一体どこのどいつだ、と内心思いながら声のした方へと顔を向けると一人の穏やかな笑みを浮かべている男性がいた。

 

 

「……えぇ、どうぞ」

 

 男は私よりも少し身長が高いぐらいだろうか。私自身の身長が春庭の成人男性平均よりも少し高いぐらいなので、その医療関係者が羽織るような白衣に身を包んだその男は服装も相まってガタイが良い様に見えた。

 そしてその顔つきは所謂イケメンと呼んでも差し支えないぐらいには整っていた。可能であれば、可及的速やかに私の目につかない所で爆発四散して頂きたい所存である。

 

「ありがとう」

 

 私が男へと返事をすると、彼は笑みを深くして遠慮することなく堂々と私の隣へと腰を下ろした。

 彼に対する私の第一印象は、勇敢なる者の秘められた力を引き出すと言われる霊獣だった。その霊獣が擬人化して白衣を着たらこんな感じになるのではないだろうか、と感じられた。

 というか、髪型と髪色がまさしくその霊獣、攻のアンプルゥにそっくりだったのだ。

 声色はその人懐っこい笑みに反して落ち着いており、聞く者をリラックスさせると同時に妙な説得力というか、悪く言ってしまえば強制力を感じられるものだった。

 白衣に身を包んでいるだけあって、医療関係者。とりわけ医者であるのならば、彼の患者はその声を聞くだけで安心し、身を委ねるであろう。後は生かすも殺すも彼の心のままに、という訳だ。恐ろしい話である。

 

「おやっさん、いつもの」

「あいよー」

 

 私が失礼なことを考えていると、男は気さくに店主へと声を掛け、店主もまた気さくに返した。常連なのだろうか。

 対するこちらは、完全に一人で食べる心持ちだった。故に注文したものを待つ男が隣にいるのも手伝って、一度伸ばした箸がなかなか動かせずにいた。

 き、気まずい。いや、先客は私なのだから気にせず食べてしまえばいいのだろう。だが何というか、先に食べてしまうと彼に申し訳なく思ってしまう。

 

「君、蕎麦が延びてしまうよ。折角ベルガモットバレーから来たというのに、食べないのかい?」

「あぁ、いえ」

 

 情けないことにそんな隣の彼に諭される形で、私は箸を動かし、初めての「夜鳴き蕎麦」を口にする。

 ……美味い。口の中に麺とそれに合わせた麺つゆがいい塩梅で絡まり広がっていく。舌鼓を打つとはこのことか。貧乏舌という訳ではないが、普段から質素な食生活をしている私にとって、この味は正に無類の味と言えた。

 なるほど確かに。この味ならば隠れた名店として噂になるのも納得がいく。夜な夜な出没する場所を変えているせいか、今でこそ客は二人しかいない。だが、仮に王城の傍にでも店を構えれば連日連夜客で賑わうお店となれるだろう。

 しかし、蕎麦ののど越しを堪能する間もなく、私の脳裏にふと疑問符が浮かび上がった。

 私は隣に座るこの男に、自分がベルガモットバレーから来たことを口にしただろうか?

 

「君、ベルガモットバレーから来た騎士団長だろう?」

「……そう、ですが」

「私も行ったことがある。あそこは良いところだね」

 

 初対面で、お互いにまだ何も分かっていないであろう男が、何故か自分のことを知っている。言葉を詰まらせながらも、警戒する私の心情は推して知るべきである。

 しかし、そんな眉根を寄せて「如何にも私は貴方を警戒していますよ」と顔に出ているこちらの態度に、男はまるで気にしていない様子だった。

 不意に、私たちがいる屋台のある道を秋風が通り過ぎた。年中通して春の気候に似た環境であると言われるブロッサムヒルではあるが、流石に秋口の夜ともなればその風も冷たい。

 そんな、まるで私の今の財布の中身のようにうすら寒い風を受けても、男は最初と同じように穏やかで人懐っこい笑みをこちらに見せていた。

 私にとって、今やその笑みがやや不気味に見えてしまうのは無理からぬ話だ。

 

「何を隠そう、私はアンプルゥの神だ」

「……は?」

 

 男に対する私の警戒心は、現時刻を以て1.65倍になった。

 こちらが何者であるかを知っているだけなら、まだ分からなくもない。私の格好は騎士団長に支給される服装であったし、ベルガモットバレー出身というのもこちらでは分からない何かがあったのだろう。

 まさか、自分でも気づかぬうちにベルガモットバレーの訛りが出たとかではないだろうな?

 しかし、私の出身や騎士団長であることを言い当てるならまだしも、よりにもよって自らを神と名乗るとは完全に不審者のそれである。

 こちらの露骨なまでの「何言ってんだ、こいつ」という顔を見てもまだ、男は笑みを崩さない。というか、寧ろ私の反応が意外とすら思っているようにも見えた。

 

「知らないのかい? 私は君のことなら何でも知っている」

 

 何せ神様だからね、と男は肩を竦めてみせる。

 いやいや。仮に神様だったとしても、アンプルゥの神様にこちらの個人情報が筒抜けなんてことはないだろう。よしんば筒抜けだったとしたら怖すぎるのだが。

 

「冗談でしょう?」

「ご両親の名前や、しょっちゅう近所の女の子の乳ばかり見ていたこと。騎士団長養成学校時代のあだ名。養成学校時代の淡い初恋。騎士団長になれた際の記念飲み会でのはしゃぎっぷり」

「なっ!?」

「騎士団長になってからの初めての花騎士はワレモコウで、今回の出張で連れてきた副団長のエキナセアとの出会いは、そこから更に経った半年後」

「うそ……だ」

「そんなエキナセアとの仲はそれこそ良好ではあるものの、恋人という訳ではない。何を今更、彼女に遠慮しているというのかね」

 

 夫婦がするソレは当の昔に済ませているというのにね、と傍にいる店主に配慮したのか、彼は声を潜めてウインクして見せた。私はそんな男の言葉によって、これまでの人生での思い出が脳裏に浮かび上がり、顔が引きつるのを感じた。

 それどころか、副団長であるエキナセアとのアレやコレに至るまでの事情を把握されていることに思わず叫び声を上げたくなってくる。

 が、流石に近所迷惑になるのでそこは騎士団長らしく耐えた。

 

「お、大きなお世話です。貴方には何も関係がない」

 

 何とか虚勢を張って、男へと言い返す。眼鏡がズレ、髪も乱れている様な気もしたが、言葉の通りだ。相手が仮に神だとしても、その神様が私とエキナセアの関係にどう口を挟めようか。

 勝った。と、自分の中で目の前の彼の存在にマウントを取る。私とエキナセアの関係の外にこの問題を放り投げることで精神の安寧を保とうとしたが、当の男はどこか虚空を見つめていた。

 この怪人、こちらの話を聞いていなかったのか?

 

「もうすぐアンプルゥたちとの会合だ。それが私の仕事ではある。だがこのご時世、アンプルゥの神としてやっていくのには、それだけではいささか心許ない」

「はぁ」

「このままではいけない、と私は思った。だからこそ慣れないアレやコレやに手を出しては見たのだよ。けれども根が真面目な私はついつい深入りし、頭を掻きむしることとなった。まるで本末転倒だ」

「すみません。話が全然見えません」

 

 一体全体何の話なのか。というかそもそも、神様の事情など知ったことではない。向こうがこちらの事情に詳しく、思わず口走ってしまったことによる謝罪のつもりだろうか。で、その罪滅ぼしのつもりで事情を話した、と。

 それこそ私にどうしろというのか?

 まさか、神様の仕事を手伝わされるのではなかろうか。いや、というか目の前のこの男が神である前提で話を進めているのが、そもそもの間違いではないだろうか。

 落ち着いて考えて見ると、正直ただの奇人変人の類であると思われるのだが。

 

「つまり、だ。私はアンプルゥの神としてではなく、新しい神様としてもやっていかないといけないという訳だ」

「それは大変ですね」

 

 心底どうでも良い話だった。何が哀しくて目の前の美味しい蕎麦を食すことを中断して、神様の世知辛い実情を聞かねばならんのだ。

 この男の話を真面目に聞くだけ損をする。そう私は判断し、彼の言葉に生返事をしながら目の前の蕎麦と向き合った。少し冷めてしまったやも知れないが、今ならまだ十分に美味しく頂けるだろう。

 

「そして私が選んだ仕事とは……男女の縁を結ぶ仕事だ。『永遠の誓い』とやらもあるし、何よりも皆が幸せになれる。良い仕事だと思うのだが、どうかな?」

 

 二口目であっても美味しい、と完全に男から関心が無くなったところで、隣から何か重いものでも置いたかのような音が響いた。

 独り言だけなら無視できるが、流石にこれは無視する訳もいかない。机の上に置かれたのが万が一にでも殺傷能力のあるものであれば、私は速やかに我が身を守らなければならないからだ。

 本来であれば、騎士団長たるもの護衛の花騎士の一人や二人付けるのが普通である。出張に来ている私の場合は、同行しているエキナセアを連れてくるのが筋と言えるだろう。流石に休日であればそんなことはしなくて良いし、何かあっても自己責任で終わる。

 しかし、いくら今日の業務が終了したとはいえ、一応まだ勤務日である。そのため、ここで何かあったら責任問題になりかねない。

 だが、今夜の散歩がてらの屋台探しはそれこそ此度の出張における、密かな楽しみの一つだったのだ。

 これは言ってしまえば個々人の趣味の領域だ。流石にそんな個人の何某に彼女を付き合わせる訳にはいかなかった。

 今日は上役無しの各国の騎士団長同士の顔合わせで終わったので、それ程疲れていないかもしれない。だが、エキナセアとて休日の前の夜ぐらいゆっくり過ごしたいだろう。

 

「見たまえ」

 

 男の言葉に、私は諦めた面持ちでやや警戒しながら音のしたほうを見ると、そこには何やら赤を基調とした分厚い本が男の目の前のカウンターに置かれていた。

 良く言えば立派な、悪く言えば仰々しいデザインの装丁だった。魔導書、の類ではなさそうだ。取り敢えず、危険は無いと判断できる。

 彼は私がその本に目をやったのを確認すると、男は嬉しそうに口角を釣り上げた。それから、これ見よがしに本をめくって見せる。小難しい内容でも書かれているのかと思いきや、その中身は白紙の中央に何やら人名が書かれている様な簡素なものであった。

 彼はそのまま何ページかめくった後に止まり、その開いたページを私に見えるように見せてきた。

 

「ここに君と君の副団長であるエキナセアの名前がある。そして隣には他の騎士団長とその副団長である花騎士の名前。分かるかい?」

「どういうことですか?」

 

 事前に用意してあったのかは不明だが、確かにそのページには私とそしてエキナセアの名前があった。

 その並びから少し離れたところにはウィンターローズ所属の、私にとっては後輩騎士団長である者の名前。そして、その彼の副団長であるディモルフォセカの名前があった。

 更にはページをまたぐ形で、ブロッサムヒル所属であり、騎士団経営の傍らで養鶏業も営む知り合いの騎士団長の名前も見えた。当然のように、そんな彼の副団長、アブラナの名前が隣に記してある。

 よく見れば、バナナオーシャンに旅行へ行った際にお世話になった団長と、その副団長であるオオオニバスの名前もあるではないか。彼には交通の便も含めて大変お世話になった。今度また会うことがあればお礼をしなければならない。

 同じベルガモットバレーの騎士団長であり、私にとっては上司に当たる人とブルーロータスさんの名前も見受けられた。

 ……ちょっと待て。性癖的な意味でこちらが勝手にシンパシーを感じている、此度の会議で出会って色々と意見交換したカウスリップ団長の名前もあるではないか。

 一体全体、どうなっている?

 いやしかし、私を含めた彼らの名前とその副団長である花騎士たちの名前が並んでいるだけである。男が一体何を言いたいのかが分からないが、これではただの騎士団ごとの名簿のようなものではないだろうか。

 頭に疑問符を付けた私は、そのままの意味のつもりで視線を彼に向けた。そんな私を一瞥した彼はどこか不敵に笑う。

 

「思いのほか阿呆だねぇ」

 

 え、何で今サラッと馬鹿にされたの? というか、馬鹿にされる要素あった?

 まあ確かに、途中から話半分に聞いていたから、察しが悪いのはこちらが原因だ。しかし、騎士団長の名簿以外に一体何があるというのだ。

 ……いや待て。私が二口目の蕎麦を食べる前、彼は一体何を言っていた?

 

「私は縁結びの神として、この中からカップルを誕生させようと思っている」

「……なっ」

「要するに、君たちか彼らかのいずれか一組だ」

 

 含みのある笑い方をする男の言葉に合わせるかのように、再び夜の風が街中を通り過ぎるかのように駆け抜けていく。こちらから見て、彼の背中の後ろには城下に続く街の家々の影が重なっていた。そして、その影を作り出している黄金にも似た輝きを見せる満月が浮かび上がっている。日輪ならぬ、月光を背負うというやつだろうか。

 正に神の如き姿、と言ってしまうとやや過剰表現な気はするが。

 しかし、彼の衝撃的ともいえる言葉を前に、私は不思議とそれを疑おうとは思えなかった。

 分かってはいたものの、我ながら阿呆である。しかし、全ては信じていない。まだ半信半疑で留まっている。

 

「へい。お待たせしました」

「ありがとう。……希望があれば、私のところに来なさい。そのためには、ほら」

 

 呆然と男を見つめる私に対し、彼は運ばれてきた蕎麦入りの器を店主から受け取り、子どものような笑顔で中の蕎麦を見つめる。

 それから私を横目で一瞥し、どこからともかく現れた妖精のようなものをこちらへと寄越した。

 ……いや、この妖精。否、霊獣には見覚えがある。

 春庭を守護すると言われる霊獣の真の姿。限界を極めた者の前のみに現れると言われる伝説の命のアンプルゥ・上だ。

 上とはすなわち上級やら上位やらの略語であり、その名の通り、命のアンプルゥの上位的存在である。かく言う私も、過去に一度しかお目にかかったことがない。

 命のアンプルゥですら滅多に姿を現さないというのに、その上位存在であるアンプルゥを使役するとは……この男、只の怪人ではなかったというのか。

 まさか、本当にアンプルゥの神様だとでも言うのだろうか?

 

「案内はその子がする。君の中で答えが出たのならば、声を掛けなさい」

「は、あ……」

「但し。知っての通り、霊獣は気まぐれだ。私は神様だからこの子たちを待たせることが出来る。しかしながら、長いこと待たせることは出来ない。急かすようで申し訳ないが、明日までに結論を出してくれたまえ」

 

 こちらも忙しい身だからね、と男はこちらが声にならないことを気にせず、受け取った蕎麦を食していく。対して私は、自分の蕎麦に手を付ける事も出来なかった。

 寧ろ、水を掬うような形を取った両手の上でくるくると楽しそうに回るアンプルゥを見て、実は化かされているのではないかとこの状況自体を疑い始めていた。

 そうだ。私はきっと、まだ宿舎を出ていないに違いない。ベルガモットバレーからブロッサムヒルまでの長距離遠征。挨拶だけとはいえ慣れない者たちと会議をしたことで、疲労がたまっていたのだ。

 故にこれは宿の布団で仮眠を取るつもりが熟睡してしまい、こんな夢を見ているのだ。

 私は頬を抓り、太ももを抓った。が、痛みはあるし風景も変わらなかった。

 つまり、今のこの状況は現実に違いない。

 

「命短し歩けよ男児。君も男であるのならば、バシッと決めてみせたまえ」

 

 私が眉間にしわを寄せてあれやこれやと考えていると、男は快活に笑ってこちらの背中を叩いた。その後、「ごちそうさま」と店主に金銭を渡して立ち上がる。

 ……はやっ!? もう蕎麦を食したというのか。正に神如き所業である。

 いや、単に自分が考えすぎていただけで、思いのほか時間が過ぎていただけかもしれないが。

 

「あ、あの」

「私のことは気にしないで結構。それよりも、蕎麦が勿体ないよ」

 

 一体、何が何だか。理解が追い付かない。

 男を呼び止めて詳細を聞こうにも、彼はササっと店主に代金を支払ったかと思ったら「風に舞うふふんふーん」と鼻歌混じりにこの場を後にした。

 蕎麦の料金が後払いである以上、男の後を追う訳にもいかない。私は、男の背中が闇に消えるのを見送るばかりであった。

 

「……」

 

 一人寂しく……否、店主と男から渡された命のアンプルゥはいるのだが。とにかく私は自身が注文した蕎麦と向き合い直し、考えた。

 しかし、いくら男の言葉を整理したところで、考えが上手くまとまらない。

 取り敢えず、もう冷めてしまったかも知れない蕎麦をちゃんと完食した後にじっくり考えようと思う。

 

「それにしても……」

 

 あの怪人、否、アンプルゥの神を名乗った男は確かに言った。

 縁結びの神様として、私とエキナセアか、それ以外の者たちかの縁を結ぶ、と。

 

 

※※※

 

 

 夜鳴き蕎麦は冷めていたとしても十二分に美味しかった。だからこそ、温かいまま食べられなかったのが残念でならない。

 それでも腹は膨れたので、私は店主に挨拶と同時に代金を支払い、一人宿舎へと夜道を歩く。

 

「縁結びの神様、ね」

 

 その道すがら、脳裏に浮かぶのは先ほどの屋台で出会った神を名乗る男の言葉と、男にズバリ言い当てられたこれまでの人生についてだった。

 私は幼少の頃から特に何か秀でた才能がある訳でもなく、成人するまで同じような性癖を持つ男たちとはしゃいでいるばかりであった。

 しかし幸いにも実家は裕福な方であり、末席とはいえ貴族であった。そして、多くの貴族の淑女たちが花騎士の適性を持っていたように、私自身も騎士団長の適性があった。それ故に他の者に知られたら怒る者もいるやも知れぬが、それ程労さずして花騎士の団長となることが出来た。

 民を助け、国を助け、世界を救うという大役の助けになる。そして、それ以上に美人か可愛いか、もしくはその両方の花騎士たちと恋に愛に大忙しになれる。

 双方の理解と養える財力さえあれば、重婚が許される春庭において、騎士団長というのは正にハーレムの主となれる職であろう。

 そう高をくくっていた当時の私は、今から考えてみても手の施しようのない阿呆であった。

 

「……」

 

 騎士団長の仕事自体は、それなりにこなすことが出来た。事務仕事は嫌いではなかったし、戦闘にしても怪我人こそ出してしまっているが、死者は未だにいない。それが私の密かな誇りであるのは言うまでもない。

 だが、それとは別に問題があった。それは、花騎士たちと爽やかに交流するということの難しさである。

 原因は私が幼い頃より女性の乳ばかりを見て、肝心の会話術を磨いてこなかったせいであると思われた。だが、そこを突かれると片腹痛いどころでは済まないので棚に上げておく。

 無論、上げたまま降ろす予定は今のところない。

 とにかく、会話のキャッチボールどころか、わざわざ話題を振ってくれた花騎士の話についていけない。それならまだよかったが、こちらから出す話題の悉くが面白いものではないのも致命的だった。かといって、花騎士同士の会話に混ざる度胸もなかった。

 会話の輪に入るための話術や社交性をどこか他所で身に付ける必要があるように思われたが、それに気づいた時には既に手遅れ気味であった。

 結果、私は私の騎士団であるにも関わらず、浮いた存在になりかけていた。

 こんな私に付き合ってくれるのは、最初に出会った花騎士のワレモコウぐらいであった。

 そんな駄目に駄目を重ねたような私の前に現れたのが、彼女、エキナセアだったのだ。

 

「遅かったじゃないか、団長」

 

 気が付けば私は用意された宿舎の玄関前まで来ており、その扉の横で彼女が腕を組みながら壁に背を預けていた。そのせいか、腰まで伸ばしたやや癖毛気味の綺麗な銀髪は靡いてはいなかった。

 私が気付くと彼女は壁から背を離す。しかし、腕は組んだまま無言でこちらへと向かってくる。その服装は騎士団に所属した際に来ていたものであった。つまり、花騎士として正式な装いであり、いつでも出撃できるという心根の表れでもある。

 しかし、いくら世界花の加護があるとはいえ寒くないのだろうか。

 肩を出し、きめ細やかな腕を露出、見事な二つの北半球どころかその谷間まで拝める格好。それどころか、腹部と太もももバッチリ見えてしまっている。

 服についてはあまり詳しくはない。だがその服装を例えるのならば、黒の社交ドレスの台襟から腹部辺りまで大きく切り取り、胸の部分だけベアトップにしたようなものだろうか。何にしても、私にとって目の保養であり毒であることに変わりはない。

 エキナセアの戦闘スタイル的に身軽の方が良いのだろう。けれどもそのせいか、彼女が少し走るだけで特盛の山二つが揺れるのだ。エキナセア自身は気にしていないようだが、その横に並んでいる大きなお餅は常日頃からそっと支えたいと思っていた。

 どこかに女性の乳を下から支えるだけの仕事がないものか。

 そんな阿呆な考えを脳内に巡らせていると、彼女が私の足で二歩ほど先のところで立ち止まっていた。見ればその美しい眉根を寄せており、静かな憤りを感じられた。

 

「全く。どこか出かける時は私に声を掛けるように、と言わなかったか?」

「あ、あぁ、済まない。全くの私用だったから、迷惑になると思ってね」

 

 容姿端麗、英華発外。その落ち着いていて耳触りの良い声には説得力、この場合はかなりの正論力があった。本人の深い愛を感じられる性格も相まって、彼女のファンクラブまであるとの噂を聞いたのは、エキナセアと出会ってすぐのことだったと思い出す。

 

「迷惑なものか。キミに何かあったら、困るのはキミや私だけじゃない。騎士団全体の問題になる」

 

 深い愛と例えたが、彼女が八方美人という訳ではなく、今のように手厳しいことも言ってくる。しかしながら、それは相手を想っての言葉である。エキナセアは例え叱る時も真摯に接してくれる。なるほど、エキナセアが人から好かれるという訳だ。

 だが、私はとある理由から彼女に少々の苦手意識……というよりは、遠慮してしまうようになっていた。

 

「本当にすまなかった。以後、気を付けるように努めるからどうか許して欲しい」

「……そこまで責めているつもりはない。分かればいい」

 

 色々と駄目な私に対し、色々と世話を焼いてくれたエキナセア。そのおかげか、騎士団内で孤立気味だった私は見事に立場を回復。それどころか、現在では当初の脳内妄想であった花騎士たちと爽やかに交流が出来るまでになっていた。

 当時から今に至るまで、エキナセアには頭が上がらない。であるにも関わらず、彼女は待遇の向上や給与の増額は要求してこなかった。これも貴族の務めだと言い、私に期待しているからこそ協力したのだと言う。

 貴族であることに誇りを持ち、公の場での責任を持ち、それらを美徳として彼女はその道を歩いていた。

 私はそんなエキナセアの期待に応えようと努力し、気高く生きる彼女に恋心を抱いた。

 

『私に、このようなこと……許されるとお思いか?』

 

 そしてあろうことか、彼女を、エキナセアを犯してしまったのだ。

 許されるのか許されないのか、それは分からない。……などと当時は言ってはみたものの、どう考えても許されない行為である。彼女も感じたのだからセーフ、などという世迷言じみた言い訳はしない。れっきとした強姦という犯罪だ。

 エキナセアが訴えていれば、私は今頃牢の中で己を罵倒し、残りの半生を過ごしていたに違いない。

 しかし、彼女はそれをしなかった。それどころか、相も変わらずこうして夜遊びに出かけた私を出迎えてくれる。

 犯罪を起こして自ら鎮火してしまった恋心に、再び火が付いたのは無理からぬ話であろう。だが、それはあまりにも勝手が過ぎやしないか。

 私がエキナセアに恋をするのは回避不能の事象であったとしても、彼女がそれを良しとするかは話が別である。というか、いくら何でも厚かましすぎるだろう。

 こちらの犯罪行為を許し、今までと変わらず接してくれる。それだけでもエキナセアの深い愛が伝わってくるのだ。なのにそこから更に先を求めようというのか。恥を知れ、然るのち死ぬるべきである。

 故に私は、自分を律して彼女と清く正しい付き合いをしていくべきなのだ。

 恋の火花が心の内に弾けていようとも、すぐさま水を掛けて消化する。この想いを伝えたところで、迷惑を被るのは彼女ばかりではないか。

 けれども、縁結びの神様こと、アンプルゥを使役する謎の怪人は確かに言った。

 こんな私とこんな素晴らしい彼女との縁を結ぶのだと。

 そんなことがあってたまるかと思う一方で、万が一にもそれが本当であるのなら、と思う自分がいる。だからこそ、ここは自室に戻って色々と思考を練るべきなのだ。

 真偽のほどは定かではない。ならば、ありとあらゆるケースを想定してから次の一手を決めるべきである。神様に頼ってお願いをしに行ったところ、「やーい、引っかかったー」などと言われる可能性だってある。

 

「んっ、どうした? そんなに私の顔をじっと見つめて」

 

 けれど、けれどもである。

 今宵のエキナセアはとても色っぽく、文字通り釘付けになっていた。

 水を掛けて沈静化したはずの恋心が再び火花を出すような感覚だ。いやまあ、普段から彼女は色っぽいのだが。仕事のある日の朝に執務室で出会った時から、仕事が終わって別れるまでずっとそう思っている。

 問題はその普段よりも更に色っぽいである。以前の犯罪行為が実行されなかったとしても、今ここで起こしてしまいそうになっていた。

 服装こそいつもの格好ではあるものの、ほんのりと化粧でもしているのだろうか。唇当たりなんかは何時にも増して艶っぽく思える。

 加えて良い匂いもする。私が柑橘系の香りが好きというのもあるが、その爽やかな匂いに何だか甘い香りも混じっている気がする。男を誘う匂い、と言われてもイマイチ想像し辛いが、仮にあるのだとしたらこんな匂いなのだろうか。

 そう錯覚するぐらいには、まるで誘惑するかのような匂いがエキナセアの周囲から感じられた。というか、厚手のズボンでバレていないだろうが、その匂いのせいで我が息子ことトムが肥大化と硬質化している。ビッグ・トムの名をほしいままにし、春庭全土を席巻するのも時間の問題と思われた。

 阿呆の冗談はさておく。ともかく、そんなトムのおかげで、私はやや前かがみの姿勢を取ることを強いられている。思案することもあるし、可能であればこの醜態がバレる前に自室に戻りたいのだが。

 

「いや、今日も可愛いなと思って」

 

 故にここで披露すべきは、敢えての誉め言葉。エキナセアに怒られた後だというのに、安易に容姿を褒めるなど逃げの一手に思われても仕方がない。話を濁して、怒りの矛先を逸らそうというばつが悪くなった者が使う常套手段。

 だが、この場はこれでいいのだ。

 嘘は言っていないし、何なら毎日思っている。そして、主を差し置いて勝手に盛り上がる我が息子の不始末を隠すために、この場から逃げたいと思っているのも事実だ。

 彼女の怒りを買ってでも、ここはこうするのが一番であると思われた。

 

「いつも可愛いと思っているけれども、今日は一段と可愛く感じてね」

 

 よし。いいぞ、私。歯に衣着せぬ物言いのミルフィーユ。普段の花騎士たちとの爽やかな交流。その際にたまに出る余計過ぎる一言だが、現状においては最適解だ。

 後はエキナセアには悪いのだが、彼女が怒ってくれさえすれば当座はしのげる。

 

「ぁ、う……」

 

 と、思ったのだけれどもねぇ?

 ちょっと待って頂きたい。ここでそんな耳まで顔を真っ赤にさせて目を逸らし、俯き加減になるのは反則ではなかろうか。こんな展開になるとは思ってもみなかったし、その仕草は見たことがない。

 春庭片思い条例違反である。法廷を開け。弁護士を呼べ。検察は何をしている。

 

「……っ」

 

 可愛い。ものすごく可愛い。可愛いが過ぎる。

 エキナセア強姦事件や、先のアンプルゥ怪人事件が無ければ、即刻エキナセアを抱きしめているところだ。当然、そのまま彼女を部屋へと連れ込みベッドインする。そんな衝動に駆られるぐらい、理性が水を掛けられた角砂糖の如くドロドロに崩れていく。

 脳内に危険を知らせる警報の鐘が鳴り響くのを確かに聞いた。エキナセアを犯した私は今、いわば執行猶予中の身であるも同然だ。既に罪が確定しているというのに、ここで更に罪を重ねるというのか。

 それだけはあってはならぬ。私の将来よりも何よりも、大切な彼女ために。

 

「……あっ、あ~、すまない。ちょっと明日の準備をしなければ」

「ぇ、あ……っ」

 

 気が付けば歯を食いしばり、身を切る思いで彼女の横を通り過ぎた。その際に何かを期待し、それが外れて少し落胆するような声が聞こえた気がした。が、聞こえなかったフリをする。そうでもしないと、もう理性の糸がプツンと切れてしまう。というか、エキナセアが残念がっている、と勝手に私がそう思っているだけで脳内妄想かもしれないのだ。

 というか、そうと決めつけないとトムが下半身から分離してしまう!

 ここで立ち止まったり、振り返ったりしたらもうおしまいだ。そのやんちゃっぷりが私の中では有名となっているトムに、我が身の主導権を握らせたら何をするのか分からない。

 間違いなく、次は「許されるか許されないか、それは分からない」どころの騒ぎではなくなるだろう。

 背中にエキナセアの視線を強く感じる気がしたが、私は立ち止まらず、振り返らずに用意された部屋まで早足で目指すのだった。

 

 

※※※

 

 

「ふう……っくし!」

 

 部屋に戻ってから、即座に洗面所で冷水を頭の上から掛けた。おかげで頭の熱は引いたものの、ベッドの上に行くまで三回ほどくしゃみが出た。

 寝巻に着替え、ベッドの上で胡坐を掻いて腕を組む。そして、「夜鳴き蕎麦」で出会ったアンプルゥの神様とやらとのやり取りを今一度思い出し、考える。

 

「霊獣は……うん、いるね」

 

 一通り彼とのやり取りを振り返ったところで、ふと右に顔を向けるとそこには変わらず命のアンプルゥがいた。ふと思って手を伸ばして触れると、少しだけ涼しい感触が指先から伝わった。どうやら幻覚や幻術の類ではなさそうだ。

 エキナセアと出会った時に彼女が反応しなかったという謎は残るが、その時は姿を消していたのだろう。何しろ霊獣だ、何でもありな部分があっても不思議ではない。

 ならばここまで来たら疑う余地はあまりない、と思われる。

 屋台で出会った彼は、自称した通りアンプルゥの神様なのだろう。そして、未だに信じ切れていないので再三の確認にはなるのだが、彼は「縁結びの神」としても働くという。

 その仕事の手始めとして我々騎士団長たちの中から一組を選ぶとも言っていた。

 

「えーっと」

 

 私とエキナセア以外の組み合わせは誰がいたか、とあの時見せてもらった本に書かれていた名前を思い出す。

 団長たちの名前と副団長の名前を並べると混乱しそうになる。故に、副団長の名前の後に「団長」とまとめることにした。

 その上でまず思い浮かんだのは、ウィンターローズのディモルフォセカ団長だ。

 団長歴としては私よりも浅い彼ではあるが、その実力の程は折り紙付きである。加えて花騎士でもあり、大貴族でもあるサフランに近い身分、所謂上流階級出身だった。

 しかしながら、サフランと同じように彼は別に自分の地位を盾に偉ぶることは無く、品行方正折り目正しい好青年であった。

 常に笑顔を絶やそうとせず、その笑顔にも嫌味が感じられない。周囲の嫌なことから目を背ける訳ではなく、受け止めた上でそれらのマイナス感情を表には出さない。それでいて、明るく振舞える芯の強さを持った人物。

 それが彼と何度か交流した際に感じた私から見た、ディモルフォセカ団長の人物像であった。

 無論、あくまでもそれは私自身が感じた彼の一面である。故にもしかしたら、この評価はまるで見当違いなのかも知れない。

 ただまあ、私が確実に言えることが一つだけある。

 

「うーん」

 

 それは彼が爽やかな好男子であることであった。同性の私が言うのである。彼は間違いなく端正な顔立ちをしている。上級貴族の上に性格が良く、顔も良い。そりゃディモルフォセカや、花騎士のオステオスペルマムからモテる訳だ。

 可能であれば、蜘蛛の糸ともに地獄へ落ちて、神様にエンターテインメントを提供して頂きたいところである。……無論、冗談ではあるが。

 何が言いたいのかというとつまり、だ。別に縁結びの神様に頼らずとも、彼は自然な流れで副団長であるディモルフォセカとくっつくであろう。

 故に縁結びの神様の加護は必要あるまい。

 

「よし、次だ」

 

 縁結び候補を一人減らせたところで、肩の荷が軽くなるのを感じつつ他の組み合わせを思い出す。

 次に思い浮かんだのはブロッサムヒルのアブラナ団長であった。

 何を思ったのか、騎士団業務以外に養鶏業も営む変わり者の団長である。私もそれを知った時は「何故そんなことを?」と、彼に質問したのを覚えている。

 その際は、少し愁いを帯びた表情で「騎士団業務と関りがある仕事だから仕方がない」と言われた気がする。

 何だか聞いて欲しくは無かったかのような答え方に、密かな闇を感じてそれ以上踏み込むのは止めようと思ったものだ。

 絶望の先端を覗いてしまい、それでも尚、折れずに戦い続ける戦士の顔。普段の快活さとは裏腹に、その整った横顔にはどこか危うさがチラついていた。

 それはそれとして。彼が目鼻の整った顔であることは言うまでもない。

 その陰のある愁いを帯びた顔からの連想にはなるが、先日古本市で購入して読んだ異世界から流れ着いたという小説の登場人物を思い出す。

 その小説の主人公のやらかしによって、王様に磔にされて主人公を待つという友。そんな彼が主人公を待って三日目の日暮れが過ぎたところで、入れ替わって欲しいと思ってしまったものだ。

 特に深い理由はない。だが私の心の安寧のために死んでくれ、セリヌンティウス。

 

「……ふむ」

 

 そんなやや隠しきれていない、個人的な感情による殺意の冗談は置いておこう。例え私が常日頃から「ともあれイケメン滅ぶべし」と思っていたとしても、今は関係がない。

 だがまあ、色々と大変であろう彼だからこそ、直截にものを言ってくるアブラナとの相性が良いのだと推測される。というよりも、彼が単にアブラナのような「口は悪いが何だかんだで面倒見の良い幼なじみ」な女性に弱いのもあると思われた。

 つまり、アブラナが彼を好意的に思っているのであれば、彼らが付き合うのは時間の問題と思われる。

 そして、問題の焦点となるアブラナの彼に対する好感度はというと……。彼女自身が素直になれないだけで、傍から見ていたら十二分にその好意を隠しきれていないように思えた。

 というか、合同やら何やらで数回彼らに会っただけの私がそう思うのだ。

 後は何かきっかけさえあれば、刀が鞘に収まるように、二人は付き合うことになるだろう。

 ……何だ。彼らにも縁結びの神様の力なんぞいらないではないか。

 

 

※※※

 

 

「こんなところかな」

 

 その後も、私の上司であるブルーロータス団長や、バナナオーシャンのオオオニバス団長。シンパシーを勝手に感じているカウスリップ団長。同期であり、同じ性癖を持つであろうキンレンカ団長。ロータスレイクの『人形遣い』と名高いコオニタビラコ団長など、名簿には見受けられなかった団長たちと副団長のことも想起した。

 だが、いずれも恋人や夫婦になるのは時間の問題である団長たちばかりであったところで結論が出た。

 当の本人たちからしたら余計なお世話かも知れない。しかし、キンレンカ団長とカウスリップ団長に至っては、早く副団長の好意に気付けと声を大にして言いたい。

 

「……」

 

 ……いや待て。何で私が、それこそ縁結びの神様のような真似事をしているのだろうか。問題はそこではなかったはずだ。

 とにかく、だ。どう足掻いてもこれ以上進展しそうのない関係。それは私とエキナセアだけであり、他の者たちは大丈夫ということが分かった。

 それでいて私が彼女と強く付き合いたいと願ってやまないからこそ、縁結びの神様の加護とやらは私に相応しいのだ。

 決心がついたところで、心変わりをする前にアンプルゥの神様のところまで行こうと思った。

 しかし思考の海から這い上がって我に返って時計を見ると、その針は深夜零時を回っていた。流石の神様もこの時間にはおやすみになられているであろう。下手に起こして加護を貰うどころか天罰を喰らうような真似はしたくはない。

 

「他の団長たちは時間が解決します。どうか私とエキナセアとのご縁を結んで下さい」

 

 当初は変人だの怪人だの言いたい放題だったのに、現状の掌返しっぷりに内心苦笑する。その態度は霊獣相手とはいえ、アンプルゥに対してまで恭しいまでの言葉遣いに現れているのだからもう何も言うまい。

 溺れる者は藁をも掴む、とはどこかで見た言葉ではあるが、正に今の私がそれであった。

 負い目があるが故に、エキナセアとの仲がこれ以上進展出来る気がしない。けれども、そんな彼女を諦めきれない。

 ならば、普段は祈りもしない神にすがるのも致し方ないことであろう。私はそう自分に言い聞かせた。

 願わくは、この想いが通じて、神様のお力が借りられますように……!

 そんな気持ちで私は泥のような眠りにつくのであった。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 私は自身が阿呆であると、まだ自覚している方であると思っている。

 故に、阿呆なりに悩みに悩んだ後は脇目を振らずに突っ走ると決めていた。

 しかし、その決心が早くも揺らぐ事態が訪れた。

 

「そうか、今日は予定があったのか」

 

 神様にお願いをしようと決めた翌日の朝のことであった。

 宿泊施設の食堂にてお互いに朝食を摂ろう、という話から、私たちは机を挟んで向かい合って座り、互いに食事をすることとなった。

 その際の何気ない会話の中で、今日は休日だということで好きに行動しようではないか、と提案したところにエキナセアから予定を聞かれたのだ。

 これはもしや巷で噂のデートのお誘いというものではないのか?

 と、一瞬だけ舞い上がったが、私はその更に先の関係を望める道にこれから進もうとしているのである。

 苦渋の判断でお断りをしたところ、何だか少し悲しそうな声色で落ち込んだ様子を彼女が見せたのだ。

 

「あ、あぁ、すまない……少し用事が出来てしまってね」

 

 ぐぎぎ、ぎぎっぎっぎぎっ。辛い、辛すぎる。一体どうしてエキナセアのこんな悲しそうな顔を見なければならないのか。

 それもそこも、全ては約束の期限を今日までに設定したあの神様が悪い。いや、神様のせいにしたら縁を結んで貰えなくなるやも知れないので、やっぱり今のは無しで。

 彼女の悲しそうな顔を見ることになるし、何だか胃が痛いし、今飲んでいる食後のコーヒーの味がしないしで散々な朝である。人生の中で下から数えて五番目ぐらいに最悪な朝だ。

 可能であれば、神様との面談などほっぽり出してエキナセアとのお誘いに興じたいところだ。否、興じたいし、遊びたいし、一緒に過ごしたい!

 けれども、けども。一時的な享楽に耽ってはならぬ。今を楽しむか、これから先のことを考えるか、二つに一つである。ならば、胃に穴が開くような思いをしてでも、私は彼女との未来を取りたい。勝利と共に彼女の手を掴みたいのである。

 

「……いや、すまなかった。私ももっと早くから予定を聞いておくべきだった。本当にすまない」

「こちらこそ、急な話で決まったものだからね。期待に応えられず申し訳ない」

 

 机を挟んでお互いに申し訳なさそうに頭を下げ合う。

 何だこれ。どうしてこんな思いをしなければならないのか?

 これではエキナセアとの縁を結ぶどころか、お互いの距離が精神的にも物理的にも遠のくばかりだ。話が違うではないか。

 それともあれか。既に縁結びの神様と邂逅したからこそ、昨日の件や今のように縁を結ぶ運気が向いてきたというのだろうか?

 気持ちはありがたいが、気が早すぎる!

 本当の意味での有難迷惑というものを実感しつつ、私はエキナセアと別れるまでの間、しきりに彼女へ頭を下げることしか出来なかった。

 

 

※※※

 

 

「お、おい。本当にこっちで合っているのか?」

 

 エキナセアと別れた後、私は宙に浮いて先を行く霊獣に導かれるままに歩みを進めていた。

 ブロッサムヒル自体は何度か訪れてはいたものの、大きな都市なだけあってその全容は未だに把握していない。それだけに霊獣の行く先に不安しか覚えなかった。

 単に私が知らない道や区画に行くのならまだしも、現在歩いているところはブロッサムヒル王城。その城内なのだ。

 騎士団長であるが故に、城門や城内自体は許可証込みで通ることは可能ではある。

 だが、いくら騎士団長とは言っても入ってはならぬ場所、というのは流石に存在するのだ。それ故に、自由気ままに我が物顔で飛び回る霊獣の後姿に不安しか覚えない。

 

「……嘘だ、ろ」

 

 そうして、傍から見たら不審者のそれにしか思えないであろう足取りが、とある部屋の前で止まった。扉の前で霊獣はこちらに対してご丁寧にお辞儀をした後に扉をすり抜けて行ったが、私はただ茫然と立ち尽くすばかりである。

 絢爛で重々しい雰囲気すら感じられる扉の先の部屋は、由緒正しいブロッサムヒル騎士団の総本山とも言うべき場所なのだ。確か、ブロッサムヒルでも上層部の者たちが会議に使用する場所だと聞いていた。

 以前の王城案内で簡単に説明を受けた際、その内容を覚えていた自分の記憶力に感謝。けれども、それ故においそれと足を踏み入れる訳にはいかない。

 出来ることなら、今すぐにでも「いやぁ~迷っちゃいました。ははは」などと大きい独り言を呟きながら退散したいところである。だが、それが簡単に出来れば苦労はしない。

 確かに案内してくれた霊獣は、ここで部屋の中に入るように消えた。つまりは、神様が御座します場所はここに違いない。というか、なんて場所を指定するのだ、アンプルゥ神様は。

 仮に自らの力を示すためにここを選んだのだとしたら、大仰が過ぎる。

 いやしかし、本当にどうしたものか。

 

「ん?」

「……」

 

 そうして足を踏み出せずに思案をしていると、不意に扉が開く音が聞こえた。意識をそちらに向けると、半開きになった扉の隙間から何やら白いフードが見えた。いや、その縁に水色のラインが入った、白いフードを被った少女がこちらの様子を伺っている。

 光の加減で空色にも見える雪を思わせる柔らかそうな白髪に、透き通るような碧眼。私を警戒しているのか、表情を読み取らせないように口元こそ袖で隠している。

 何やら美少女の気配を感じるが、それ以上に恰好が怪談の類で聞くような雪女のそれである。

 フードと同じように白を基調とし、ところどころに水色のラインが入った和装。それに加えて、首元の周りには何故かしめ縄のようなものが見える。足元こそ彼女が上半身のみを見せているせいで分からない。だが、仮に幽霊のように足が無かったとしても驚きはしない。

 これはきっと、強すぎる力を持つが故に封印された妖怪か何かであろう。

 そのため、私は彼女と同じかそれ以上に警戒してみせた。

 神様の次は妖怪と来たか。つくづくどうなっているのだ、ブロッサムヒルは。魔境か何かか?

 

「……怪しいですね」

「ハツユキ。お客さんが来ているのだろう? 失礼のないように」

「ひゃい!?」

 

 互いに見つめ合い、彼女がこちらと同じ感想を呟いたところで部屋の奥から声が聞こえてきた。その声には聞き覚えがあったが、それ以上に目の前の少女が明らかに狼狽してみせたのが気になった。跳ねるように姿勢を正す彼女の素顔は良く見ると美少女のそれであった。

 そこで私は極めて合理的に考えた。

 なるほど。神様である以上は妖怪よりも上位の存在であるのは間違いない。そして、理由こそ定かではないが、神様が妖怪を使役していても何ら不思議ではない。神様事情は知らないが、私のような一般的な人間では分からない何かがあるのだろう。

 しかしまあ、妖怪とはいえこんなにも可愛らしい美少女を使役するとは羨ましい限りだ。流石は神様と言ったところか。

 是非ともその恩恵にあやかりたいものである。

 

「失礼。ここにいらっしゃるという神様に会いに来たのですが」

「へ? あ、あぁ~。なぁんだ、貴方がそうでしたか。そうならそうと早く言ってくださいよ、もー」

「ハツユキ」

「はいぃ! 今、扉開けますので。さあどうぞ、どうぞ。中へどうぞ~」

 

 私の言葉に、ハツユキと呼ばれた少女は目を丸くして明らかに安堵して見せた。それでも、奥から聞こえてくるあの時の神様と思わしき声によって姿勢を正す。

 ……ん? いや、気のせいか。ハツユキ、とは何か聞き覚えのある名前だ。最初に聞いた時は単なる妖怪の呼び名かと思ったが、どうにも引っかかる。

 それによくよく考えて見れば妙な話だ。神様と妖怪が何故ブロッサムヒルの王城に居を構えているのか。

 あまり考えたくはないことではあるが、私はひょっとすると何か大きな勘違いをしているのではなかろうか。

 ハツユキの手によって大きく開かれる扉。その入り口側から見ても広いと感じるその部屋の中央には、円卓とも言うべき巨大な丸テーブルが設置してあった。

 

「……あっ!?」

 

 私から見て、円卓の最奥。人の身長を軽く超えるような背もたれのある椅子に腰かけていたのは、紛れもなく昨夜出会った神様であった。だが白衣こそ変わっていないものの、その下の服装は騎士団長のそれであった。

 そして、彼の元へと向かう途中で気付く。その胸元に輝く勲章の数々は私の微かな記憶の中の騎士団長勲章と照合一致する。

 神様もとい、彼はブロッサムヒル騎士団の最高司令官である御方であったのだ。

 私が声を上げたところで彼は不敵な笑みを浮かべて見せた。それから椅子から立ち上がると、こちらに右手を差し出してきた。

 

「ようこそ。我らがブロッサムヒル騎士団作戦本部会議室へ。君の来訪を歓迎しよう」

 

 

※※※

 

 

「ふむ。あいわかった。君とエキナセアとの縁を結ぶことに協力しよう」

「ありがとう、ございます?」

 

 神様、ではなくて司令官との談合はただの恋愛相談で終わりそうな予感がした。

 彼から見て、円卓の左隣の席に座った私は昨日の夜から深夜にかけて悩み抜いた話をすることとなった。そうして出した結論を聞き、彼は満足そうに頷くだけであった。

 というか、本物の神様ではなかった時点で私の期待が大分薄れていたのは言うまでもない。こんなことならば、あの時大人しくエキナセアの誘いに乗っておくべきであった。後悔は積もるばかりである。

 しかしながら、彼の協力は得られそうではあった。腕を組んだまま嬉しそうに大きく頷いた司令官に対し、私は半信半疑ながらも頭を下げて礼を言った。

 名誉あるブロッサムヒル騎士団の最高司令官とは言ったが、実際のところは現場監督に近い身だよ、と彼は笑っていた。

 だが、花騎士であるハツユキソウを始め、彼の指揮下には選りすぐりの花騎士たちが集まっている。ロータスレイクの水上女王である、あのヒツジグサ様ともつながりがあると知ったのは後になってからであった。

 そんな彼の協力が得られるのだ。神の力は無くとも、相当に練られた恋愛術でも教えてくれるのだろう。

 

「では、そうだね。まずはこれを」

「これは、一体?」

 

 頭を上げると彼は私に掌サイズの藍色の箱を渡してきた。箱は何やらフカフカしており、上下に分かれるような切れ目が入っているのが見て取れた。

 司令官の方へと視線を戻しても、彼はただ頷いているだけであったので、私はそっとその箱を開ける。

 中にあったのは宝石付きの指輪であった。

 

「何だか、婚約指輪みたいですね」

 

 仮にも貴族の末席である私ではあったが、あいにく宝石の知識は持ち合わせてはいない。それだけに、透き通った薄い橙色の宝石付きの指輪に対し、月並みな感想しか出てこなかった。

 

「そうだね。それは君に渡しておこう」

「良いのですか? こんな手の込んだ高級品を」

「うむ。だから今日にでもエキナセアをディナーに誘い、良い雰囲気になったのならそれを渡して思いの丈を伝えなさい」

「はぁっ!? ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 いや、本当に待って欲しい。この男は一体全体何を言い出すのか。

 あれだけ神様だの何だの言っておいて、まさかのまさかであった。

 私の反応に対して、彼は不思議そうに眉根を寄せて顎を擦る仕草をした。

 

「このプランでは駄目かな?」

「いや、おかしいではありませんか! これではただの正攻法ですよ!」

「良い雰囲気にならなかったら、渡すのは後日でも良い」

「そういうことを言っているのではありません!」

「駄々をこねなさんな。こうした布石も大事だよ」

「貴方、縁結びの神様を名乗ったでしょう!? 他にもうちょっとやり方があったはずです!」

 

 もっと言いたいことは山ほどあったが、頭の中は酷く混乱しており、上手く言語として口から出すことが出来なかった。

 するとそんな私を見た彼は、ここにきて肩を竦めて少し申し訳なさそうな顔を見せた。

 

「すまない。アンプルゥの神様というのは嘘だ」

「もう既に知っています!」

 

 妙に茶目っ気のある言い方を前に、私はただ勢いよく立ち上がってツッコミを入れることしか出来なかった。

 その後、脱力して崩れるように椅子に座り直したのは言うまでもなかった。

 

「ぐっ、くっ、くぅ~……」

 

 何でこうなってしまったのか。いや、協力してくれたことは素直にありがたいが、思っていたのと違う。

 彼に悪いと思いつつも、私は顔を机の上に伏せて頭を抱えた。

 だが、この人の言う通り、エキナセアを振り向かせたいのであれば正攻法で行くのが一番だろう。私が恋い慕う相手は、誇り高く、真摯で、深い愛を持つ彼女なのだ。

 変な搦め手は逆効果。下手をすれば好感度を上げるどころか下げるというのは、他ならぬエキナセアとの付き合いがある私自身が一番知っている。

 けれども。けれども、だ。

 私にはその正攻法で彼女にアプローチする度胸が無いのだ。それこそ、こうして神頼みをするぐらいには臆病者なのだ。

 エキナセアに負い目があるから、というのも理由の一つではあった。

 だが、それ以外に私の中で上手く説明できない、それこそ形に出来ない不安がある、というのが最大の理由であった。

 その不安が何なのかが分からない。

 故に私は、何時までもエキナセアに好意を伝えられなかったのだ。

 

「命短し歩けよ男児」

「……ぇ」

 

 それは酷く優しい声色であった。

 どこかで聞いたことのある言葉に私が顔を上げると、そこには先ほどまでの笑顔だった男の姿はなかった。こちらを真っすぐに見つめる瞳。真剣な表情。

 それはさながら、難病持ちの患者に向き合う医師の顔つきのようであった。

 

「我々は花騎士たちの力を借り、民を守り、国を守り、そして世界を守る。

 だが、時には勝利ではなく敗北することもある。もしかすると、大怪我をして騎士団を去る花騎士を出す知れないし、死なせてしまうかも知れない。

 しかしそれは、害虫という存在がこの世界に蔓延る以上、花騎士に限らず誰にだって起こり得ることだ。

 もしかしたら花騎士と共に戦場を駆ける我々とて、明日の命は無いのかも知れない」

 

 そうなるのはごめんだがね、と彼は苦笑しながら肩を竦める。

 彼の言葉には説得力があり、その声の良さも相まって、私は気づけば姿勢を正していた。

 

「命が保証されていないからこそ、我々は歩みを止めてはいけない。故に、『命短し歩けよ男児』だ。

 良い結果にしろ悪い結果にしろ。君がエキナセアとの関係を進めたいのであれば、こんなところで立ち止まっている場合ではないだろう。

 それとも君は、“まだ”彼女との関係を進めたくないのかい?」

「っ!?」

 

 彼の言葉に、私は頭からつま先にかけて電流を浴びたかのような衝撃を受けた。

 けれどもそれは、同時に私の中にあった不安の正体がハッキリした瞬間でもあった。

 私は自身が阿呆であると、まだ自覚している方であると思っている。否、思っていた。

 だがまさかここまで阿呆とは思ってもみなかった。

 しかし、阿呆なりに悩みに悩んだ後は脇目を振らずに突っ走る、というのはこれまでもこれからも変えたくはない。

 私は居ても立っても居られずに、勢いよく椅子から立ち上がる。

 

「ありがとうございます。そして、この指輪、使わせて頂きます」

「もういいのかい?」

「はい!」

 

 そして、協力してくれた彼に礼を言い、エキナセアの元へ走って向かうことにした。

 

 

※※※

 

 

「はっ、はっ、はっ!」

 

 城内の廊下を走り、勢いよく城門を駆け抜け、私は城下街にいるであろう彼女を探した。

 別れ際に、エキナセアは親友であるサフランとお昼をすると言っていた。

 時刻は丁度その昼頃であり、人通りも少ない。いくつかランチをやっている高級店を回れば、きっと彼女と会えるだろう。

 

「……」

 

 私は、自分に言い訳をしていた。

 確かに、エキナセアを犯してしまったという負い目はあった。だからこそ、そんな犯罪行為に走る私は彼女に相応しくはない、と勝手に諦めていた。

 本当にエキナセアがそのことを許さないのであれば、私はこうして未だに騎士団長をやれていない。

 けれども私は、それを彼女の「深い愛」によるものだから、と思い込んだのだ。

 私は負い目があるから、エキナセアを諦めようとしていたのではない。

 負い目のある私が告白をすることで、“エキナセアとの今の関係”が崩れてしまうことを恐れていたのだ。

 思いの丈を伝えて、それを彼女が受けてくれれば関係は一歩前に進む。それは喜ばしいことであり、私が今まで何度も頭の中で思い描いてきた妄想でもあった。

 しかし、彼女が受けてくれなかったとしたら?

 真面目なエキナセアのことだ。私のことを想って、私の騎士団から去ってしまうだろう。

 彼女が私の前からいなくなってしまう。

 私はそれが一番怖かったのだ。

 

「……うーん、いない。次!」

 

 けれども、もう迷わない。

 アンプルゥの神様の言葉の通り、我々は明日も分からぬ身の上なのだ。

 仮に迷惑だったとしても、私のこの想いはエキナセアに伝えたい。

 それによって、もし彼女が私の前からいなくなったとしても、悔いはない。

 ……いや、嘘です。めっちゃ引き摺ります。

 しかし、この想いを伝えないままで、自分の気持ちを見てみぬふりをするだけはもうしない!

 

 

※※※

 

 

「い、一体どうしたんだ、団長? そんな汗だくで」

 

 エキナセアを見つけたのは、まさかの八件目の店だった。

 貴族なのだからお高い店にいるのだろう、と勝手に思っていたが、庶民の生活に興味を持つサフランが食事相手なのだ。そこら辺は考慮して店選びをするべきであった。

 全身の穴という穴から汗が噴き出る感覚を気持ち悪く思いながらも、私は丁度食後で談笑していたであろう彼女の元へと歩いていく。

 こちらの様子に酷く驚いていたエキナセアではあったが、同時にどこか嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか?

 けれども、まずは落ち着け、私。

 

「こんに、ちは、サフラン。お楽しみの、中、いきなりで失礼」

「こんにちは。お久しぶりね、団長さん。貴方のエキナセアをお借りしているわ」

「こ、こら、サフランっ」

「いや、こちらこそ。今から少しだけエキナセアをお返し頂きたいので」

「あら。まあまあまあ」

 

 エキナセアと向かい合って椅子に座っていた、サフランと言葉を交わす。

 私自身が貴族であるということと、エキナセアの親友ということもあって、彼女とは何度か顔を合わせることがあった。……ついでを言うと、サフランの所属している騎士団の団長とも知り合いなのだが、今は関係のない話だ。

 それ故に、まずは彼女に断りを入れる必要があった。

 親友との会話中にその親友の騎士団長が現れて、思いの丈を伝えるという現場を目撃することになるのだ。

 こちらの言葉に何やら目を輝かせるサフランに軽く一礼し、私は改めて意中のエキナセアと対面した。

 突然のこと過ぎたのか、私の目に映る彼女は未だにこの状況に混乱している様子であった。

 

「エキナセア。急に本当にすまない」

「いや、全くだよ。どうしてこうキミは――」

「君にどうしても伝えたい想いがあって、居ても立っても居られなかった」

「っ……そ、そうか。ならば、話を聞こう」

 

 よし、第一関門は突破した。

 ここでエキナセアが私の突然の来訪に気分を害していたら、それこそここで説教が始まるところであった。そうなってしまうと告白もクソもなくなってしまう。

 問題はこの次だ。

 走ってくる間に、色々と言葉を考えてきたのだ。

 エキナセアと出会ってからこれまでのことを話すと長くなる。そんな長々と昔話をされた後の告白など、一体誰がロマンティックを感じるというのだ。

 故にこれは却下とした。

 しかしだからと言って、「貴方が好きです!」とド直球に伝えるのもアレだ。端的過ぎるし、意味が分からないし、何より私のスタイルではない。

 だからここは、手短に、それでいてスマートに、己の想いを伝えるのだ。

 

「ぁ、えっと、その……です、ね?」

「ぅ、うん……」

 

 成功しようとも失敗しようとも、最初から最後まで私らしさを出し、それでいて紳士的に。そう。脳内でのプランは完璧であった。

 だが、いざそれを実践に移そうとすると上手く言葉が出てこない。

 何やら期待して少し頬を染めているエキナセアの可愛らしさも手伝って、私はそれまで綿密に練ったはずの計画が脳内で音を立てて崩れていくのを感じた。

 いけない。何か、何か言わなければ。

 言え。言うのだ、私!

 ここで言わなければ、ここで伝えなければ以前と同じだ。

 目の前の彼女は私の言葉を待ってくれているのだ。

 ああ、畜生。今日も可愛いな、エキナセアは!

 

「……そのっ! いきなりでほんと、申し訳ないのだけど」

「ぁ、あぁっ」

「今晩、私と一緒に『夜鳴き蕎麦』を食べに行かないか!?」

「はい……はい?」

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 その後、エキナセアと私がどのような関係になったのかは語るに及ばず。

 ただ、あの後に出会った私の同期、とりわけキンレンカ団長やカウスリップ団長からは「孫に囲まれて老衰で死ね!」と罵詈雑言を浴びせられたことから察して頂きたい。

 というか、私からしたら眉目秀麗のお前たちこそ、ガチョウ母さんの童話にあるコマドリになってくれ、と声を大にして言いたい。代わりにミヤマガラスには私がなろう。それでおあいことしようではないか。

 閑話休題。

 とにかく。あのアンプルゥの神様を名乗る妙ちくりん……というと失礼極まりないか。神様を名乗ったブロッサムヒル騎士団の最高司令官によって、私はエキナセアに思いの丈を伝えることが出来た。

 それに関しては感謝の言葉しかない。

 ……しかしながら、いくつか疑問に残るのも確かであった。

 それは何故、彼が私のことを事前に知っており、そして私に声を掛けたか、ということだ。アンプルゥを使役する才能か能力かも相まって、謎は深まるばかりである。

 もしかすると、何か私のあずかり知らぬところで謎の巨大組織が動いたのか?

 という妄想を働かせたものの、あれから当の本人と話し合う機会は訪れず、真実は闇の中となった。まあ一端の地方騎士団長が、最高司令官とサシで話し合うなど、私の上司が聞いたら笑い飛ばすところであろう。

 何にせよ、彼のおかげで今の私があり、私とエキナセアの関係は続いている。

 私は阿呆であると自覚しているが故に、彼の言葉は自戒として何時までも覚えていようと思う。

 

「よし。それじゃあ始めますか。エキナセア」

「あぁ。キミの期待に応えて見せよう」

 

 そして、今日も今日とて。左手の薬指に指輪をしたエキナセアがいる執務室で、私は幸せを噛み締めながら、その言葉を小さく呟くのであった。

 

 

命短し歩けよ男児。

 

 

終わり

 




参考文献

・アニメ「四畳半神話大系」
・小説「夜は短し歩けよ乙女」
・小説「蜘蛛の糸」
・小説「走れメロス」
・童話マザーグースより「誰がコマドリを殺したの」


元ネタとなってくださった団長の皆様方(敬称略・順不同)

・ハツユキソウ及びヒツジグサ団長
・ディモルフォセカ団長
・アブラナ団長
・オオオニバス団長
・ブルーロータス団長
・コオニタビラコ団長
・カウスリップ団長
・キンレンカ団長


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。



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