自分と彼との関係を。
そして、自分だけでは解決できないと悟った彼女は、友人であるサフランに相談するのだった。
※「命短し歩けよ男児」の別視点
※登場人物及び団長は上記の物語と同じ
※誤字脱字、乱文あり
※解釈違い、設定違い
※ご都合主義、ご都合展開
※登場人物である各団長たちのモデルあり
以上のご注意の上、それらが許せる方はお暇つぶしにでもどうぞ
※※※
「ようやく会えたな。キミが団長か」
「その通りです。初めまして」
初めて彼と出会った時は、色々と勿体ない男だと思った。
身長は少し高めとはいえ、中肉中背。眼鏡を掛けていること以外はこれといった特徴も無い。強いて言えば声から優しさと甘さが感じられるぐらいだろうか。前の情報から同じ貴族であることは知っていたが、何というか覇気というか、男気というか。とにかく、騎士団長らしさは感じられなかった。
庶民的な、と言ってしまうと彼に失礼かもしれない。事前に聞いた話が本当であれば、磨けば光るかもしれない。
しかし、良く言えば中庸な男。悪く言えば平凡な男。
それが私の第一印象であった。
「ベルガモットバレーの花騎士、エキナセアだ。以後お見知りおきを」
「こちらこそ。よろしくお願いするよ」
初対面の人間相手だと奥手になるのか、私の顔ではなく胸元辺りを見ながら応答するのはよろしくない。しかし決して無礼という訳ではなく、先に握手を求めてきたのは彼の方であった。
同じ貴族であるが故か、どうにも人柄を品評しようとしがちなのは私の悪い癖だ。だが、最近の貴族は誇りというのを持っていない。果たして彼が、民や国を守る程の誇りがあるのかどうか。
「キミが私の信頼足りうる人物であることを切に願おう」
釘を刺すような言い方にはなってしまったが、私は差し出す彼の左手を握り返し、思っていたことをそのまま口に出す。
こちらの言葉に対し、彼は少し面を喰らったかのような顔をした。しかし、すぐに顔をほころばせるのだった。
「はは、お手柔らかに」
反発する訳でもなく、余裕を見せるわけでもない。ただ私の言葉を受け止めて笑う彼を見て、やはり貴族らしくない、と思った。
これが団長との出会いであった。
※
※※
※※※
「団長。そんなことでは駄目だぞ」
「……すみません」
私が団長と活動を共にするようになってからしばらくの月日が流れた。けれど、彼に対する第一印象は大きく変わらなかった。というか、本当に色々と惜しい男であった。
痒いところに手が届かない、という言葉があるが、彼は正にそれであった。
事務仕事は得意という程ではないが、期限は守るし、内容も問題はない。戦闘時の指揮も、やや花騎士の個性に任せているきらいはあるが、自身が無理無茶なことをすることを除けば、花騎士たちに無理強いをさせることもない。
だがそれらを抜きにしても、花騎士たちとの対話能力には乏しいと言わざるを得なかった。
花騎士たちとの適切なコミュニケーションを取れないということは、有事の際に問題になる。仮に今までは大したことがなかったとしても、いずれは惨事を引き起こすであろう。
彼の対話能力、交流の改善は早急に行わなければならないと思った。
「ほら、今も、だ。目を逸らさない。会話中に視線を外すのは相手に失礼だし、やましいことを隠していると疑われても仕方がないぞ」
「ぐぅ、仰る、通りです」
団長は決して、人とコミュニケーションが取れないという訳ではない。ならば異性に弱いのかといえば、そういう訳でも無さそうだった。
私が来るまで副団長を務めていた花騎士のワレモコウとは普通に話をしていたし、盤上遊戯もしている仲だ。彼女に話を聞くと、今のところ戦績は84戦81勝3引き分けだという。因みに、その戦績はワレモコウのものらしい。彼はどうやら実戦派のようだ。
そんなワレモコウ以外にも上司である騎士団長と、その副団長であるブルーロータスさんとも会話しているのを見たことがあった。
また他にも、彼の出張で付いていった先、ウィンターローズの後輩騎士団長や、ブロッサムヒルの養鶏業を兼任する騎士団長。バナナオーシャンの騎士団長や、先輩ではあるがほぼ同期で同国の騎士団長とも談話している姿が見られた。
これらの情報をまとめるに、団長は単に人付き合いが苦手なのだと判断できた。
彼自身に質疑応答をしてみると、社交の場に出るのは好きではないという。また、幼少の頃より気の合う同性とはしゃいでいるばかりであった、と述懐していた。
付き合いが長い相手、同性者、恩を感じている相手などには、彼は普通に話せるのだ。けれども、そうではない相手に対しては自ら壁を作ってしまうのだと推測できる。
団長が繊細なのか、人見知りが激しいのかは分からない。しかし、彼が一度その壁を作ってしまうと、仮に同じ騎士団内の花騎士であっても会話がぎこちないものとなってしまう。
別に彼自身が相手を嫌っている訳ではない。寧ろ、どちらかというと相手を気遣い過ぎている、と言ってもいい。壁を作るのも相手に侵入させないためではなく、迂闊に相手の懐に入り込んで自身の醜態を見せないようにするためのように思えた。
壁が何時取り払われるかは分からない。けれども、少なくとも彼が相手を信頼もしくは自制を解かない限りは、薄くなることはあっても取り払うことはないだろう。
「やはりキミには一から教えた方が良さそうだ。いいな?」
「いやでも、それではエキナセアに迷惑が……」
団長の言動の真意に気付こうとするには、それこそ彼の傍で見ていなければ分からない。ワレモコウも、恐らくはそうだったのだろう。
故に、仕事上での付き合いしかしない騎士団所属の花騎士たちが、彼のことを誤解しても仕方がないだろう。誰だって、相手と自分の間に壁を感じるのに会話を楽しもうとは思わない。その状態で気遣いをされたところで、余計なお世話と感じても致し方ないと言える。
社交性や話術があればその辺りも解決できただろう。しかしながら、彼にはそれらが全く備わっていなかった。
「私のことは気にするな。これぐらいお安い御用だ」
「しかし……」
「二度も同じことを言わせない。それに、これはキミのためだけではない。騎士団全体に関わることなのだぞ? ならば、私が手伝わない訳にはいかないだろう」
「あ、はい」
確かに、彼は貴族らしさがない。けれどもそれは、友人であるサフランのような「らしさ」であるように感じた。だからなのか、私は団長に親近感のようなものを抱いていた。
それだけに、彼には期待をしていた。
それは、団長に貴族らしさがないからこそ、既存の貴族たちとは違ったやり方で国を守れるのではないのかという考えがあった。
「騎士団を率いるキミの責任は重い。だが私はキミに期待しているぞ」
「……分かった、努力しよう」
そして同時に、貴族らしさがないからこそ、彼に惹かれている部分があったのかも知れなかった。
※※※
「団長。今日のキミの指揮は素晴らしかったぞ」
「エキナセアのおかげだよ」
結果として、団長への指導は成功した。
社交の場へ出ることへの抵抗感こそ見せているものの、それ以外の社交性や話術、花騎士たちとの円滑なコミュニケーション能力は飛躍的に向上した。
「そんなことはない。団長がちゃんと他の花騎士たちと交流したからこそ、だ」
基本知識がなかったことも幸いしたのか、真綿が水を吸収するが如く、団長は私の教えを覚え実践してみせた。
やはり前情報の「花騎士を大事にする精神を持つ者」、という彼の上司評価は間違っていなかった。まだ戦場の花騎士たちを庇う、または自身を危険に晒して作戦を遂行しようとする行為こそ見られるものの、私が期待した通りの男だったと言える。
私が団長の真摯な態度に好意を抱いているのを自覚するのと同時に、彼自身が褒めて伸びるタイプだと感じた。
故に私は、彼が成功を収める度に私自身の素直な好意や感想を述べて、団長を褒めた。
時に執務室で。時に二人だけの作戦終了後の打ち上げ会で。そして、この日は夜の団長の私室で。
私は私の思っていること、思ったことを正直に彼への賛美として口にした。
「いやいや。その、他の花騎士たちと交流できるようになったこと自体が、君のおかげなんだ。本当に、ありがとう」
室内にある簡素なテーブルを挟んで向かい側に座っていた団長は、バツが悪そうに頭を掻く。そして、深々と頭を下げた彼はそのまま椅子から立ち上がり、逃げるように奥のベッドへと腰かけてみせた。
本人は知ってか知らずか、それは分からない。だがこれは彼の癖だ。
注意や叱責は甘んじて受ける団長ではあるが、褒められるのには慣れていないらしく、こうして逃げてしまうのだ。
夜の時間帯だけあって、本人がおもむろに寝る態勢を取ってしまえば、相手もそれ以上踏み込みはしまい。三大欲求の一つである睡眠だ。それを邪魔する者はそういない。それが叱責ではなく賛辞であるのならば、相手も切り上げ時だと思うだろう。
実際そういう言動で、多くの者たちを煙に巻いたに違いない。実際、私も最初の頃は気付かずに話を中断していた。
「……やれやれ。言葉だけでは駄目のようだな」
だが、今日は逃がす訳にはいかない。
今日の討伐は、彼の戦況分析から状況判断、各花騎士たちへの指示が素早く行われたからこそ、惨事を回避し勝利出来たのだ。直接伝えはしないが、私も少し危ないところがあった。
言葉で伝わらないのであれば、直接触れて、感じてもらおう。
「えっ? ……ぅわわっ!?」
私が席を立ったことで安堵の表情を見せた団長であったが、歩を進めた先が扉ではなく自分の横とは思わなかったようだ。お互いの身体が触れている距離。私は彼の左隣へと腰を下ろした。
私から見ても少し大胆なことをしている自覚はある。けれども、団長にはそれだけのことをしたということを分かってもらわなければならない。
驚いて離れようとする彼の手を握り、私はその動きを制した。そして、握った手を両手で包み込み、明らかに混乱している様子の団長を見つめて口を開く。
「確かに色々と教えたのは私かもしれない。けれども、それを実戦でこなして見せたのは他でもないキミだ」
「ぁ、う……」
「そして、今。この場で称賛されるべきは団長であり、私の誇りでもあるキミだ」
「ちょっ!? ……ぅ、え、エキナセアっ!?」
「だから、どうか自信を持ってくれ」
両手で包み込んだ彼の手を、私の胸元へと触らせる。心臓の音。その、憎からず思っているせいか、その鼓動はやや速い。
しかし、鼓動の速さも、私がここにいるのも、彼がこうして立派になったからだ。貴族の誇りにかけて、そんな団長と共に民や国を守ろう。そう思うぐらいに、私は感極まっていた。
「……っ」
私の言動に彼は俯く。感動で身体を小刻みに動かしていると思いきや、顔を上げる。その顔は覚悟を決めた男の顔であり、初対面で会った時の頼りなさは一切感じられなかった。
その顔に見惚れてしまい、私は団長から目が離せなくなった。
「エキナセアっ、エキナセアぁ!」
「きゃあっ!?」
どうやら感極まったのは私だけでなく、彼も同じだったようだ。
と、思ったのも一瞬であり、私は彼に押し倒されてしまった。
……そしてその勢いのまま、彼に性的な意味で身体を許したのであった。
※
※※
※※※
「……うん。話をまとめると、彼に愛の告白をさせたい、ということでいいかしら?」
「何を聞いていたんだ、サフラン。彼の気持ちを知りたいだけであって、私は別に愛の告白など……」
秋になり、昼下がりであっても寒さがより一層深まってきた、ウィンターローズ城下街。
街中でも有名なカフェテリアにて、私と相対する位置の席に座った友人であるサフランは、こちらの答えに対してどこか意味深な笑みを浮かべた。
彼女との付き合いが長いからこそ分かる。あれはきっと、私が言っていることを訝しんでいる顔だ。
けれども、親友とも思っている彼女にまさか、「団長と身体を重ねたが、事後、当の本人にそのことを謝り倒された。それ以降、どこかよそよそしいので彼の真意を聞きたい」と正直に説明する訳にもいかなかった。
後者はともかく、前者に関しては口が裂けてもサフランには言えなかった。
「でも、されたいのでしょう?」
「ぅ、まあ、その……団長が、彼が、真剣に想いを伝えてくるのであれば、そういう関係になるのは、やぶさかではない」
「ふぅーん?」
そのため、後半部分をやや脚色して伝えた上での相談だった。けれども、こちらの真意は早々に見抜かれているようであり、私は何も言い返せなかった。
このまま話を続けると、私がその、彼と、せ、性行為したということすらバレかねない。
押し黙るこちらを見たサフランは、「まあ、いいわ」と何かを察したのかすぐにいつもの笑みに戻す。こういう時、彼女が友人で本当に良かったと思っている。
「けれども意外ね」
「何がだ?」
「貴女のことだもの。自分の気持ちに気付いたのなら、そのまま直接彼に告白するものとばかり」
そして一呼吸置いてから、「それか、彼の気持ちを直接問いただすか」と思い出し笑いをするかのように彼女はクツクツと笑う。
恐らく、サフランは私と出会った頃のことを思い出しているのだろう。
貴族の中でも上流に位置する大貴族。王家との繋がりも少なからずある地位にいるといっても過言ではない。そんな息女が貴族らしくなかったのだ。本人と直接会う機会を得られたら、それは問いただして然るべきだと思うのだが。
けれど私だって、初対面のサフランに貴族の在り方を問いただしたように、直接彼にその気持ちを聞けるのであれば苦労はしない。
団長がどこかよそよそしいように、私も最近、彼と二人きりでいると落ち着かないのだ。
だからこそ、こうして話を聞いてもらっている訳だ。
しかし、サフランの言うことも正しい。以前の私であれば、すぐにでも団長の気持ちを本人に問いただしていたと思う。
理由は分からない。けれども、今の私にはその勇気がないのだ。
故に私は、視線を手元のティーカップに落として呟くような声しか出せなかった。
「私らしくないのは分かっている。だからこその相談のつもりだったんだ」
「あら? あらあら?」
「……な、なんだサフラン。何故そんな顔をする?」
すると、サフランから本当に意外そうな声が漏れたのを耳にして、私は思わず顔を上げた。その視線の先には目を輝かせながら彼女が笑みを浮かべていた。
「本当に、彼のことが好きなのね、エキナセア!」
「ぇ……ぁあ。そう、なるのか。うん、そう、なるな」
勢いよく立ち上がらんばかりに身体ごと顔をこちらに寄せてきたサフランに気圧され、私も身体を反らす。
けれど、一度団長のことを考えてみると、確かにその通りであった。
自分でも半信半疑な気持ちではあったが、サフランに指摘されることでようやく確信が持てたような気がする。
そうだ。私は彼のことが好きなのだ。
そして、団長が私を抱いたのは好意によるものなのか、そうでないのかが分からないから、彼を問いただすのが怖い。
だからこそ、彼の口から真意を聞きたいのだろう。
理由はそれ以外にもありそうではあったが、第一がそれなのだと理解した。
「ふふっ」
「むぅ。変なことを言ったつもりはないが……そんなに私が恋をすることがおかしいだろうか?」
私の中の恋心を自覚したところで、サフランの笑い声が聞こえた。タイミングがタイミングなだけに、私が恋をするということを笑われたのかと思い、眉根を寄せてしまう。
すると、サフランは「とんでもないわ」と首を横に振った。
「寧ろ私は嬉しいわ。エキナセアの恋だもの! 友人として協力するわ」
「……そうか。ありがとう」
深く頭を下げてお礼を言う私に、「ちょっと、ちょっと」とサフランが制した。
「お礼を言うのは、上手くいった後に、ね?」
「あぁ、それもそうだな。しかし具体的にはどうすればいいんだ?」
以前にもサフランとのお茶会にて、団長が社交的ではないことを話題にしたことがあった。それ故に、彼女がどんな方法で彼から気持ちを聞き出すのか想像つかなかった。
こちらの疑問に対し、サフランはどこか不敵に笑ってみせる。
「任せて。少し前だけど、ブロッサムヒルで行われた晩餐会があったの」
「ふむ?」
「そこで知り合った騎士団長の中に心当たりがある人がいるの。その人とは騎士団を通じて今もやり取りをしているから、彼に相談してみるわ」
※※※
「やぁ。こんにちは、サフラン嬢」
「こんにちは。ブロッサムヒル騎士団の最高司令官様」
「最高司令官はよしてくれ。この間も言った通り、その肩書きは見せかけのようなものだよ。様付けもいい。……そうだね、私のことはハチロクとでも呼んでくれると嬉しいかな」
サフランに相談をしてから次の休日のことであった。
私は彼女の誘いによって、ブロッサムヒル王城内にあるブロッサムヒル騎士団作戦本部会議室。通称、「円卓会議の間」と呼ばれる部屋まで案内された。
そこで出会った騎士団長は、彼女が言う通りブロッサムヒル騎士団の最高司令官であった。
彼は騎士団長に支給されるマントではなく、何故か白衣を騎士団長服の上から纏い、にこやかな笑みを見せる。周囲には何故か霊獣を漂わせており、失礼ながら、本人もその霊獣である攻のアンプルゥが人になったかのような印象を受けた。
後で詳しく話を聞いたり、調べてみたりしたところ、実際の最高司令官は別にいるのだとか。しかし、その最高司令官とは他でもないブロッサムヒルの女王であるため、実質の最高司令官は結局彼なのだという。
騎士団長に就任してから、驚異的な速度で手柄を集め、尚且つこれまでの任務に大きな失敗はない騎士団。彼自身がサフランと同じで、ブロッサムヒル王家との繋がりもある大貴族であるためか、トントン拍子の出世。気が付けば就任してから僅か三年で最高司令官になったのだという。
かくいう私も彼の武勇伝はいくつか耳にしており、機会があれば直接話をしたいと思っていた。だがその機会は中々訪れることはなく、今日は私自身の用事で来たため、その話は別の機会に持ち越しとなりそうだった。
「じゃあ、ハチロク団長さん」
「うん、いいね。私としてはその呼ばれ方のほうが好きだね。堅苦しくなくていい。何より、君のような美女にそう呼ばれるのが良い」
「うふふ」
「むー」
「ほら、ハツユキも拗ねない、拗ねない」
「別に、拗ねていませんよ。つーん」
そんな彼の左隣には花騎士のハツユキソウが唇を尖らせてそっぽを向いている。サフランと同じウィンターローズの花騎士であるため、ブロッサムヒルへと移籍する前は何度か顔を合わせたことがあるはずなのだが……何やら今日は機嫌を損ねているらしい。
しかし、問題は彼女ではなかった。
司令官殿の右隣に立つ、まだ幼いながらも凛とした表情の少女。少し外側に跳ねた優しい色合いの金髪と、その頭上に輝くティアラ。丸く可愛らしい金色の瞳に、同性である私からしても美形と思える顔立ちからは気品と高貴さも感じられる。
身にまとう服装こそ、貴族のお忍び用を想起させる質素な白と黄を基調としたドレス姿ではあった。だが、少し離れているところからも分かる刺繡の細かさや、装飾品から相当な身分の者だと思われた。
私の知らない少女。けれども、ブロッサムヒル騎士団の最高司令官ともなる身分の者の傍にいるのだ。彼女も高貴な身分でありながら花騎士であるのには違いなかった。
そして、私が出会った花騎士の中で類似する雰囲気を持つ女性たちは、皆、王族ばかりである。その中で私が出会ったことのない王族で花騎士ともなると、候補は限られてくる。
「うん、まあ。後はサフラン嬢の横にいらっしゃるご令嬢が、今回の相談主でいいのかな?」
「エキナセアです。私的なこととはいえ、相談に乗って頂き感謝します。……失礼ながら、そちらのご令嬢はもしや?」
「あぁ。やはり彼女のことが気になるよね」
「お初にお目にかかります、私はヒツジグサ。本日はよろしくお願いします」
「ロータスレイクの女王陛下でしたか。こちらこそ、よろしくお願いします」
ロータスレイクの水上都市女王のヒツジグサ。まだ幼いながらも一国の女王として、花騎士として、民を守る少女。
最近ブロッサムヒルにて、そんな女王である彼女が一つの騎士団に所属した、という噂を聞いたことがある。王族関係の貴族たちを通しての噂ではあったが、ロータスレイク自体は開国してからまだ日が浅い。
故にロータスレイクの花騎士ならばともかく、女王直々に騎士団所属の身となるのは想像できず、私自身は半信半疑であった。
しかし、目の前にいる彼女とその隣にいる司令官殿を見るに、その噂は本当だったようだ。
「畏まらないで下さい。今日はその、お忍びと言いますか、彼のところへ遊びに来たところ、たまたま居合わせただけですので」
「それは、その、すみません。私事で邪魔をしてしまったようで」
「いいえ。私の方こそ、前から取り付けてあった訪問でしたのに、割り込んでしまって申し訳ありません」
貴い身分であるのは間違いないはずなのだが、気づけば私と彼女はお互いに頭を下げあう形となった。
まだ女王としては幼いためなのか、それとも民草に優しい性格がそうさせるのか。それは分からないが、少なくとも彼女の雰囲気や印象からすると後者なのだと思える。
だからこそ、私の個人的なお願いを聞いてくれる司令官殿に同伴しているのだろう。……それだけに、申し訳なく思ってしまう。
わざわざ一国の女王が自らの所属騎士団とはいえお忍びで、他の国の騎士団長に会いに行くのだ。
いくら恋愛に疎い私であっても、それだけで彼らの関係性ぐらいは察することが出来る。
彼女のためにも、早いところこの話を終わらせたいと思った。
※※※
「ふむ。では彼の気持ちを知るために、微力ながら私も動かせてもらおう」
「ありがとうございます」
立ち話も悪いということで、相談はお茶会を開くような形で行われた。
会議の中央にある円卓の場ではなく、扉側に近い部屋の隅で用意された白い丸テーブル。その上に紅茶やお菓子を用意し、テーブルと同じ色の椅子にそれぞれが座り、私が話をする形となった。
相談自体は私がサフランにしたのとほぼ同じ内容で話した。
それを聞いたハツユキソウは興味津々で、逆にヒツジグサ女王はどこか恥ずかしそうに聞いていたが、それでも真剣に聞いている様子を見せているように思える。
そして、司令官殿に関しては、「同性の方が何かと踏み込んで聞けるだろう」と私のお願いを快諾してくれた。
「なぁに。各国の騎士団長が集まる、合同会議も近い。彼もその会議に選ばれるのだろう?開催はブロッサムヒルで行われる予定だから、その折にでも接触を図ろう」
「えっへん。どうですぅ? 私の団長さんはすごいのですよ」
頭を下げる私に対し、彼の左隣に座っているハツユキソウが何故か誇らしげに自慢げな表情を見せる。
「ハツユキ」
「あっ、はい。すみませんでした」
が、彼の優しいながらもきっぱりとした呼びかけに一瞬で委縮して申し訳なさそうな顔を見せた。しかしながら、どこか嬉しそうにしているのは気のせいだろうか。
ヒツジグサ女王と司令官殿の関係性は分かったものの、彼女との関係は謎が深まるばかり。傍から見ていると恋人というよりは、しっかり者の兄とお調子者の妹のように見えるのだが。それにしては容姿が似ていない。もしや二人は血の繋がりが薄いか、無いかの兄妹か何かだろうか。
……いけない、いけない。また勝手に人の評価や関係性を探ってしまっている。話を戻そう。
「では、彼の特徴を――」
「あぁ。それなら大丈夫だよ」
「と、言いますと?」
団長同士での会議であれば、自然に接触が出来るはず。そう思って団長の身体的特徴を伝えようとするも、司令官殿に制される。
流石に前情報無しで本人を探すなど探偵でも無理な話だ。しかし、彼は名誉あるブロッサムヒル騎士団の最高司令官。もしかすると、他国の騎士団長に詳しいのかも知れない。
「何故なら私は、アンプルゥの神だからね」
「は、はぁ……」
だが、我が団長も他国の騎士団長に顔を覚えられるぐらいに成長したのかと思った矢先、返ってきた言葉は小首を傾げるものであった。
……彼なりの機知に富んだ小粋な冗談なのだろうか。
確かに貴族であるのならば、こういった小粋な冗談が社交の場で必要になる時はある。場を和ませる場合や、相手の緊張をほぐしてあげる時、それらは活用されるだろう。
もしや、司令官殿から見た私はそこまで緊張しているように見えたのだろうか?
「ふふっ、団長様。まだそのお遊びをされていたのですね?」
「えー? 駄目かな。私は結構、このネタは気に入っているのだけれども」
「団長さん。知らない人にもつい言っちゃいますからねー」
すると、彼の言葉にヒツジグサ女王が笑みをこぼす。その反応を見た指揮官殿は童心に帰ったかのように嬉しそうな笑みを返し、ハツユキソウもそれに乗っかる形で破顔した。
「うふふ」
「……」
「ん、エキナセア?」
彼らのやり取りを傍から見ているだけで、三人はとても良い関係なのだと理解できる。私の隣に座るサフランが屈託のない笑声を上げているのだ。それは間違いないだろう。
だからこそそんな彼らが羨ましく、こうして邪魔をしてしまっていることが申し訳なく思ってしまう。
私が団長に対して恋心を自覚した時点で、彼に告白なり、自分のことをどう思っているのか聞けば良かったのに。
フラれる可能性があったとしても、それはそれで受け止められる覚悟はあるはずなのに。
彼らのひと時を邪魔してまで、私は一体、何を恐れているのだろうか。
「本当にすみません。臆病な、私の恋愛相談のせいで」
貴方たちの時間を使ってしまって、と続く言葉は口から出なかった。
何が「深い愛」だ。自分のことも、感情もまともに整理出来ないのに。
この体たらくでは、私自身に与えられたこの花言葉も返上しなければならないではないか。
「夜は短し恋せよ乙女」
「……ぇ」
楽しそうに笑い合う彼らの顔を見るのも申し訳ない。顔を俯かせ、ゆっくりと目を閉じた時であった。
聞きなれない言葉が耳に入ってきたので顔を上げると、そこには司令官殿の優し気な目が私を捉えていた。
「異世界から流れてきたという本に書いてあった言葉なのだけどね。うん、そうだ。割とこの言葉は気に入っているんだ」
「どういう、意味でしょうか?」
聞き返す私の言葉に、彼は少し気恥ずかしそうな微笑を浮かべた後、口を開いた。
「我々が思っている以上に、時間の経過というものは意識していないと早い。夜なんかは特にね。私も朝が来なければいいのに、と思ったことが何度あったことか。……まあ、それは置いておこう。
そんな訳で、夜は短いのだよ。ああ、その。ここでいう夜という単語には二つの意味があって……いや、説明しなくても聡明な貴女なら分かるだろうね。
とにかく、だ。それならば、恋愛をしたほうがいい。その方が、ほら、人生楽しいだろう?
年齢とかはそれこそ気にする必要はない。男性がいくつになっても、変わるのは玩具の値段だけであるように。女性も、いくつになっても恋をしたらそれは乙女なのだから」
「……」
「私は感銘を受けたよ。だからこそ、それで悩む者の助けになれるのであれば、私は喜んで協力しよう」
笑みを深くして言い切った後、「最後はちょっと格好つけすぎたかな?」と司令官殿は口に手を添えて隣にいるハツユキソウに小声で聞く。
しかしながら、私は「大丈夫ですよ、格好良いです。団長さん!」と小声で聞いたのを台無しにするような声量で彼女が返したのも気にならなかった。
夜は短し恋せよ乙女。
その単語と意味が、私の頭の中でぐるぐると駆け回る。
そうだ。私は、彼に恋をしているからこそ怖かったのだ。私の方から彼の真意を聞くことが。
身体を重ねた後に、それを理由にして付き合うなど、お互いに負い目を背負うようなものだ。それが、行為の後に「一方的な行為だった、本当に申し訳ない」と相手が謝罪しながらそう思い込んでいるのなら尚の事。
……彼は優しい。それ故に、私からの告白や真意を問いただせば、恋人として付き合うのもやぶさかではない姿勢を見せるだろう。
しかし、負い目があるままに付き合うなど、それこそ先が見えてしまっている。
けれど、だからこそ、だ。
だからこそ、私は彼の方からちゃんと気持ちを伝えて欲しいのだ。
私のことを何とも思っていないのなら、それでもいい。あの時の行為は、そういうことだった、と自分の中で処理できる。
だが、彼が私のことを憎からず思っており、好意的にそのことを伝えてくれるのであれば。改めて彼の気持ちに応えよう。その時には団長自身、負い目は無くなっているだろう。そうでなければ、彼は自らの想いを秘して黙する男だ。
「団長様。エキナセアさんにはちゃんと伝わったようですよ」
「え? 本当? オッサン臭いとか思われていないかな?」
一度目を閉じ、自分の中で整理した後にゆっくりと目を開く。その様子を見たであろうヒツジグサ女王は、私に向けて微笑を見せた。
そしてそんな彼女の言葉を聞いた司令官殿は、何故か摘まんでいたハツユキソウの両頬から手を放し、ヒツジグサ女王と私とを交互に視線を向ける。
改めて見ると、何だか不思議な人だと思った。
司令官殿の年齢こそ、私の団長とさして変わらないように見える。けれども雰囲気や話し方、そしてその考え方はまるで長い年月を生きた賢者のように思える。
最初は冗談でアンプルゥの神様を自称していたようにみえたけれども、案外本当にアンプルゥの神様なのかも知れない。
……実際、彼の周囲には今もアンプルゥたちが好き好きに漂っている。仮に彼が本当に神様もしくは神に近い存在と契約をし、アンプルゥを操れるようになった、と言われたとしても納得できる。
それとも単に、彼の声色がそういった考えに至らせる不思議な説得力に満ちたものであるかも知れなかった。
「ありがとうございます。おかげで、見えていなかったものが見えたような気がします」
「そうか。いや、なら良かった」
「ですから、私からも今一度お願いします。どうか、彼の真意を彼自身の口から聞きたいので、協力してください」
「うん。任せてほしいな」
私の決意の前に司令官殿は破顔して見せ、改めて頭を下げると彼は優しい声色で応えた。心の底から安心してしまいそうなその声に、気が緩んでしまいそうになる。
しかし、彼が協力してくれるからと肩の力を抜いてはいけない。寧ろ、ここからが本番なのだ。
※※※
「ありがとう、サフラン。おかげで色々と助かった」
「もう、エキナセアったら。まだ上手く行ったかどうかも分からないでしょ? ……でも、どういたしまして」
その後、普通にお茶会をしたところで彼らとは別れることになった。話が上手く行ったら、後日またお祝いのお茶会をしようという約束をヒツジグサ女王とハツユキソウにねだられたものの、上手く行くかどうかはそれこそ分からないので丁重にお断りをした。
ブロッサムヒルを抜けて、ウィンターローズまで向かう馬車の中、私はサフランに改めて礼を重ねた。
「それもそうだが、私の気持ちに気付けたのはやっぱりサフランのおかげだからな」
「ふふっ。上手く行くといいわね」
「そうだな」
馬車自体は貸し切りであるため、私たち以外には誰も乗っていない。ルート開拓と最近の害虫出没報告もあってか、私たちは花騎士としてではなく、貴族としてその馬車を利用していた。
相談も無事に終わり、少し気が緩んでいたのだろう。対面に座るサフランは、そんな私を見て嬉しそうな微笑みを浮かべた。
「……」
「ん? どうした、サフラン」
しかし、肩を竦めてみせる私を見て、彼女は急に笑うのを止め、こちらを見つめた。そして、私が声を掛けにも反応せずに上から下までじっくりと観察されるように見られた。
「……駄目ね」
「……何が?」
それから、口元に手を当てて考える仕草をしたかと思うと、急に目つきが鋭くなった。
その目つきには覚えがあったので何となく嫌な予感がしつつも、私は聞き返す。するとサフランはこちらへと顔を近づけ、真剣な表情で口を開いた。
「エキナセア。服装を変えて、化粧をしてみない? あぁ、いえ。貴女の団長さんの場合、香水の方がいいかしら? とにかく、彼から真意を聞くには今のエキナセアでは駄目かも知れないわ」
「……具体的ではあるが、やけに漠然とした提案だな。もっと詳しい説明を求めたいのだが」
あぁ、やはり。
サフランの目に火が付いたような錯覚を感じた私は、やや諦観気味に思った。
大貴族であるのに、庶民的な生活を好み、貴族らしからぬ言動のサフラン。そんな彼女でも譲れない、というよりも信念に近いものがある。
「彼が貴女に告白もしくは真意を話すにはやっぱりその気にさせる必要があると思うの。
言葉を選ばずに言うのなら、誘惑ね。その時の周辺環境やシチュエーションも大事かも知れないけれども、やっぱり男の人をその気にさせるには見た目から入るのは重要だと思うわ。
見た目。つまりはそう、服装のことよ。
エキナセアは顔もスタイルも抜群なんだから、少し着飾ったり化粧や香水をしたりすれば絶対にもっと綺麗になると思うのよ。
というよりも、貴女は動きやすさや機能美ばかり意識して、もう少し着飾ることを覚えた方が良いわ」
「い、いや。気持ちは分かるのだが、何もそこまで……」
「そんなことはないわよ。古今東西、服装やその時の服の色、時と場合に合わせた化粧や香水、小物類はとても重要なの。これから男の人に告白されるというのに、相手か自分が着ぐるみ姿のまま告白してきたらどうかしら? 雰囲気が壊れると思わない?
……いえ、これはこれでありかも知れないわね。ありがとう、今後の服飾デザインの参考にするわ。
えっと、何の話をしていたかしら? そうそう、告白時に悪臭を漂わせながら汚い服装の相手がしてきたら嫌でしょう?
そして、それは相手にとっても同じことが言えると思わないかしら?」
やや早口気味ではあるものの口調は終始穏やか。しかし、反論どころか口を挟む隙すらない。
王室御用達でもあるファッションブランド、アスファルの娘なだけあって、彼女に服装の話をさせたら右に出るものはまあいないだろう。
無論、彼女も誰彼構わず、こんな調子でまくしたてるように話をする訳ではない。サフランがこんな調子で話すのは、それだけ私に気を許している証拠でもあるし、信頼している証左でもあった。
そして、同時にそれだけ自身のブランドやアスファル、服装に関して熱意と自尊心を持っているのだろう。
……そうだ。私だって、熱意と自尊心を持たなければ。それこそ彼に失礼ではないだろうか。
「……」
「あっ、私ったらつい。ごめんなさい、エキナセア」
「いや」
こちらが考え込んでいるのを見て、サフランは我に返ったように驚き、姿勢を正す。これ幸い、というわけではないが、私も姿勢を正し、目の前の彼女を見据えた。
「サフラン。キミの言うことももっともだと思う」
「エキナセア……」
「だからその、お手柔らかに、お願いする」
「えぇ、任せて!」
そして、頭を下げてお願いをすると、サフランは満面の笑みで応えてくれた。
※
※※
※※※
サフランに化粧の仕方や香水の適量等を教わってから、数日が経った。
司令官殿の言う通り、各国の騎士団合同会議が開かれることとなり、私たちはブロッサムヒルへと遠征していた。
初日は長旅をしていた国の騎士団に考慮され、各国で選ばれた新進気鋭の騎士団の団長たちで交流を深める意味合いも込めて自己紹介や近況報告で終わった。
「えっと、ここを、こう。で、後はこの香水を少々……」
その夜。私は夕食を済ませた後、宿泊先の個室へと戻った後に団長を夜の散歩にでも誘うための準備をしていた。どのタイミングになるかは分からないが、司令官殿もこの合同会議中に彼へと接触を図ってくれるだろう。
けれど、司令官殿に任せっぱなしという訳にもいかない。私は私で団長がその気になるようなアプローチをするために動くべきだ。好機とは良い機会のこと。その機会を座して待つのではなく、自らの手で掴もう。
「ふむふむ」
洗面所にて、鏡を見ながらサフランに教わったことを実行していく。
私も貴族の娘であるため、一通りの一般教養や貴族としての振る舞い、女性としての基本的なことを学んだつもりではある。
しかしながら、流行に聡いどころか、流行の先駆けとなるブランド力を持つアスファルの娘であるサフランから学ぶことは色々と新鮮味があった。
化粧の仕方一つ、香水の付け方一つにしても、今では様々な方法や効果があるのだと感銘すら受ける。私が今まで覚えてきたのは本当に基礎の基礎なのだと、思い知らされた。
長時間何かをするわけではないので化粧は薄め。ほんの少し、いつもとは違うという印象を相手に抱かせるためにする。
次に香水は、自分が好む香りよりも相手が好むものを首元と両手首に少量。彼の場合は柑橘類の匂いが好きだということを事前に把握していたので、しつこくならない程度のものを使わせてもらった。
「うーん。まあ、いいだろう」
服装は、私の我儘でいつも通りにさせてもらった。
サフランはもう少し綺麗なもので、とは言っていたが、そこはそれ。私たちは今回、遊びに来ているわけではないのだ。貴族としての社交界の場ではない以上、花騎士としての本分は忘れてはいけない。
それに、このいつもの服装は彼に褒められたものでもあるのだ。急に色気を出されるよりも、自然体の方が団長の好みなのでは、と思っている。……思いたい。
改めて鏡を見て、おかしなところがないかを確認する。
とはいっても、少し化粧をしたのが分かるぐらいでいつもと何ら変わりない様にも見える。香水に関しても良い匂いなのは分かるのだが、果たして本当に効果があるのかは分からない。
けれども、これ以上鏡の前で唸っていても仕方がない。後は覚悟を決めて、彼を夜道の散歩に誘うだけだ。
「うん。散歩に誘うだけだ。その中で自然に、それとなく、真意を促せばいい」
鏡に映る、普段から見慣れている顔に向かって、言い聞かせるように呟き、気合を入れる。後は彼の部屋まで行って、誘うだけだ。
※※※
「……遅い」
私としたことが失念していたと言わざるを得なかった。
鏡の前で何度も確認したのは良かった。彼の部屋に行くまでの間、どう誘うかの言葉を練ったのも良かった。
けれども、そもそも団長が部屋で待機していなかった場合のことまでは想定していなかった。というか、街中とはいえ、他国の夜道を一人で出歩くんじゃあない。心配するじゃないか。
「……」
宿泊先の受付人によると「夜風に当たってくる」とのことだったので、私は入れ違いを恐れて玄関先で彼を待つことにした。扉の前で立つのは流石に他の利用客の邪魔をしてしまうため、扉傍の壁に背中を預ける。
不意に晩秋を思わせる夜風が左から右へと通り抜けた。
花騎士である私は、世界花の加護によって多少の暑さ寒さには耐性がある。だが、今宵の風は何故だか冷たく感じてしまう。まるで彼に行為の後に謝られた時のような気持ちになる。
思えばあの時から、団長とはすれ違いばかり起こしている気がする。お互いに仕事と趣味はキッチリと分けるタイプであると思う。そのため、騎士団にて仕事をする際はそれ以前もそれ以後も何ら変わりはなかった。
だが、あの日から私事に関してはお互い変に意識をして避けていたように感じた。少なくとも、何かあったとしても夜に相手の部屋を一人で訪問することは無くなった。そして、それがだんだん広がっていき、今では仕事上だけの付き合いとなりかけていたと思う。
私が団長の真意を聞くのを恐れていたように、彼もまた何かを恐れているようには感じた。けれども、そこに気付いたのは私自身が彼に対して恋をしていると自覚した後であり、当時は自分のことで精一杯だった。
「んんっ? だっさん、だっさん! 何か悩んでいそうな、もきゅいお姉さんがいるよ。しかもだっさん好みの、おっぱいが大きなお姉さん!」
「そんなに叩かないでくれ、カウスリップ。それにいきなり失礼だよ。そもそも自分は別に……」
果たして彼はどれくらいで戻ってくるのか。私はどれくらい待ちぼうけになるのか、と頭の中で色々と考えているところに、右手側から声が聞こえてきて我に返る。
驚いて身を起こし、声のする方へと視線を向けると二人の男女が私の傍まで歩いてきていた。向こうは私のことを知っているようであったが、私も彼らには見覚えがあった。
「あれ? お姉さんもしかして」
「ん? 君は確か合同会議の時の……」
男性の方は、少し赤みがかった橙色のショートカットと明かりの下で明るく見えるものの濃い褐色の瞳。服装はブロッサムヒルの騎士団長のそれであり、彼はその上から明るい伽羅(きゃら)色のカーディガンと赤いマフラーをしていた。
顔立ちはかなり整っており、さっぱりとした髪型と相まって清涼感のある青年に見える。背丈は隣の女性よりも少し高いぐらいであり、私の団長とほぼ同じように思えたが、ガタイは彼よりも少し良い様にも思えた。
対して女性の方は私よりもほんの少し背が高く、明るい薔薇(そうび)色のツインテールに、同じ色の瞳。服装は隣の男性とは逆に、女性騎士団長用の上着の下に明るい伽羅色のカーディガンを着ており、その下は赤色のミニスカート、お洒落なハイソックス、ブーツと続く。
少し距離があっても分かるぐらいのスタイルの良さに加えて、何よりも自己主張の強い胸がどうしても視界の中に入ってしまう。私はあまり胸の大小を意識したことはないが、そんな私から見ても大きいと思えた。
そして、彼らがこちらの前まで来て立ち止まった頃に、私は彼らのことを思い出した。
「キミたち、いや失礼。貴方たちは確か、会議の談合時に私の団長と同席した、ブロッサムヒル代表の騎士団長と、カウスリップ、だったか? 何故こんな夜の時間に?」
「あったりぃ! そういうお姉さんはベルガモットバレーのエキナセアさんだったね。アタシたちは夜の見回りだよ。合同会議だからって、コキ使ってくれるよねー」
「合同会議だからこそ、だよ。カウスリップ。あの養鶏団長も、今日は見回りに配置されたぐらいだからね。しかし、君の方こそ、宿の入り口でどうしたんだい?」
私の言葉に二人は破顔し、私の様子を伺う。
お互いの距離を詰めたせいか、カウスリップは会話の後にスンスンと鼻を鳴らし、その後に感づいたような顔をこちらに見せた。
その後、何だか妙に嬉しそうな顔に変わったので、私は咄嗟に視線を逸らしてしまう。彼女は人の仕草、匂い、そして表情の機微に聡い花騎士だ。直感でそう思った。
……恐らく気遣ってくれるだろうが、先に色々と話しておいたほうがいいだろう。そのほうが早く済みそうだ。
「あぁ、その。私のところの騎士団長が、夜遊びに出かけてしまって。ここで少し待たせてもらっていた。そうだ、彼をどこかで見なかったか?」
何とか声が上ずらないように平静を装うと、「んっふふ~」と頬を緩ませていたカウスリップは何かを察したのか少し視線を泳がせた後、考え込む仕草をする。どうやら、こちらの意図を組んでくれたようだ。
対する騎士団長の方も、腕を組んで思案顔をする。そして少しの沈黙の後に、思い出したかのような顔をしてこちらへと視線を向けた。
「……あぁ、あの人か。そういえばさっき後姿を見かけたけれども、そのまま追い越してしまったよ。声を掛けようかとも思ったのだけれども」
「何やら色々と考え込んでいたみたいだから、だっさんとアタシはそっとしておくことにしたの」
「自分たちが追い越しても気づかないぐらいに集中していたようだからねぇ。歩き方自体は迷いが窺えたけれども、足取り自体はしっかりしていたから、もうしばらくしたらここに戻ってくると思う」
「そうか。いや、ありがとう」
ございます、と彼らに頭を下げて礼を言う。カウスリップがまだ名残惜しそうにしていたものの、騎士団長の方が「どういたしまして。じゃあ、自分たちはこれで」と話を切り上げてくれた。
色々と聞きたそうな顔をしていただけに、「だっさんのいけずー。ケチー。おっぱい星人ー」と愚痴をこぼしていたが、「えっ? えっ? 何が?」と聞き返す彼の左横からは離れようとはしなかった。
二人が並んで歩き去っていく後姿が微笑ましく、また羨ましく思えたのは言うまでもない。
「……そうだな」
私も、彼が戻ってきたのならば説教などはせずに温かく迎えよう。その方が、彼も色々と話しやすいだろう。
そう思い、私は再び宿泊所の入り口横の壁へと背中を預ける。
戻ってきた彼に、どういった言葉を掛けるべきか考え、選びながら。
※
※※
※※※
翌日の昼。サフランも此度の合同会議に呼ばれていたということは事前に知っていたため、無理を言ってその日の昼を一緒にしてもらった。
折角だから、とランチもやっている庶民的な食事処で待ち合わせ、席を確保。注文も取った後で私は、対面に座った彼女から色々と聞かれる前に結論だけを先に述べた。
「サフラン。私は、駄目なのかもしれない」
「えぇっ。いきなりどうしたのよ?」
私の言葉にサフランは面を喰らった顔をしながらも訊ねてくる。あまり思い出したくないことではあったものの、今回の件で色々と協力してもらっているだけに、彼女には包み隠さず話すことにした。
昨晩、戻ってきた団長を温かく出迎えるつもりが、何故か緊張してしまいいつも通りに接してしまったこと。途中でそれが不味いと思ったところに、彼から「可愛い」と言われたこと。そのおかげで、これまで考えていた誘いの言葉や気の利いた言葉が全部吹き飛んでしまい、普通に照れてしまったこと。その間に、団長が先に部屋へと戻ってしまったこと。
その後は自身も部屋に戻って反省会をし、今一度誘おうと思った翌朝に用事があるとのことで断られてしまったこと。それどころか、逆に気遣われてしまい、今こうしてサフランとお昼を付き合ってもらっていること。
……話をすればスッキリするかと思ったが、昨日今日の話であるが故か、話せば話すほど「あそこでああしておけば」という後悔の念に苛まれる。
「うーん。でも、話を聞く限りだと彼も気がない訳じゃあなさそうね」
「と、私が思いたいだけで、気づかないうちに話を盛っているのかも」
「あぁ。ほらもう、そんなに落ち込んじゃって。らしくないわよ、エキナセア。それに、まだ焦る必要はないと思うわよ」
「しかし」
「大丈夫よ……あっ、あの料理は私たちが注文したものね! ウェイトレスさん。こっち、こっち!」
こちらの話を真剣に聞いてくれているであろうサフランだったが、それはそれ、これはこれ、であるらしい。
ふと視線を別のところに向けたかと思うと、そちらに向かって大きく手を振った。
以前の彼女であれば、気づかなかったか、気づいても何も言わなかっただろう。その変化に不快感は覚えなかったが、意外には思った。
だが、話の腰を折ってくれて寧ろ助かった。あのままサフランがこちらの話を聞いてくれるのであれば、私は延々と落ち込んでいただろう。
「あっ、ごめんなさい。話の途中だったのに」
「いや、いい。それにサフランの言う通りだ。少しの行き違いで落ち込むなんて、私らしくなかった」
「うん、そうね。でも、初めての恋をしたのだもの、貴女だって落ち込むことぐらいあるわよね」
それが少し意外だっただけ、と申し訳なさそうに言いつつ、ウェイトレスが運んできた料理を受け取るサフラン。
私も同じように料理を受け取り、ウェイトレスへとお礼を言った後に良い機会だと思い、彼女へ質問をすることにした。
「意外と思ったのなら、それは私も同じだ」
「どういうことかしら?」
「以前から、キミは貴族にしては自由さや快活さがあるとは思っていたが、今のサフランからはそれ以上にそう感じている」
「あー、なるほどね」
私の言葉に対して、サフランは少しだけバツが悪そうに視線を泳がせる。その後で、周囲を確かめてから頬を染めて視線をこちらへと戻した。
「……笑わないでね。それはきっと、私も恋を知ったからだと思うの」
「サフランが? 恋を?」
思いもよらぬ返しの言葉に、私は少し調子の外れたような声を上げてしまった。
「意外だったかしら?」
「あぁ、いや……そうか。だから私に協力してくれたのか」
「それもあるけれども、第一は貴女が私の友達だからよ」
「む。ありが、とう?」
「ちょっと。どうして感謝の言葉が疑問形なのかしら?」
「そ、そういう訳では」
少しムッとした表情を見せたサフランに、そんな顔も見たことがなかったと思いながらも慌てて弁明しようとする。
だが、思わぬ言葉を前に上手い返しが出来ないでいると、彼女はすぐにいつもの笑みをみせた。
「ふふっ、冗談よ。料理が冷めちゃうし、食べましょう。お話はその後でも、ね?」
「あ、あぁ。そうだな。そうしよう」
そう言って「いただきます」と料理に手を付けるサフランを見ながら、私はやはり彼女は変わったと思った。そして、そんな恋を知ったサフランから見て、彼に恋をした私は変わって見えただろうか、とも思った。
それとも、何も変わっていないのだろうか。
彼女に見せたのは恋に悩み、弱気になった自分だけ。いつもと違う姿という意味では、変わったところを見せただろう。
けれどもそこで終わってしまったのならば、それこそ応援と協力してくれたサフランに申し訳ない。
そうだ。一度や二度の失敗で何を落ち込む必要があったのか。まだ彼にフラれた訳でもないというのに。
「いただきます」
けれどもまずは、サフランの言う通りに目の前の料理を片付けよう。
腹が減っては戦が出来ぬ、とはどこかで見た言葉ではあるが、現状は正にその通りだ。
空腹の時には碌な考えが出てこないし、弱気にもなる。
そう思い、私はフォークに手を伸ばした。
※※※
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
その日の夜。
あの後、食後に店へとなだれ込むように駆けてきた団長に誘われ、私たちは「夜鳴き蕎麦」という屋台でその店名と同じ名の蕎麦を並んで食べることとなった。
正直、彼が私を探してくれたことは嬉しかったし、こうして食事に誘ってくれたのも久しぶりに思えた。
「おやっさん。美味しかったです。また機会があれば来ますので、よろしくお願いします」
「あぁ。なら、ついでだ。ハチロクの旦那にもよろしく伝えておいてくれ」
「ははっ。分かりました」
「まいど。またのお越しを」
割り勘にしようと提案はしたものの、誘った以上は自分が持つ、と彼はその店の店主と会話を弾ませながら会計を済ませた。
少し離れていたところでそのやり取りを見ていた私は、店主がこちらへと視線を向けたところで軽く頭を下げた。
「待たせたね」
「そんなことはないさ。ごちそうさま」
「どういたしまして。それじゃあ、宿に戻りますかね」
「あぁ」
顔を上げると彼は私の前まで来ており、そのまま自然な流れで宿の方へと足を踏み出した。街中を通り過ぎる秋風が、温かい食事の後に火照った体をゆっくりと冷ましていくようだな、と思いながら、私は彼の左隣を歩く。
……今の私たちの姿は、他の者から見てどう見えるのだろうか?
少なくとも、昨日のカウスリップと騎士団長ぐらいの関係には見えるだろうか?
「……」
「……」
夜風に当たりながら、私たちはゆっくりとした足取りで進む。会話は無く、お互い無言ではあったが、何かを率先して話そうという気にはならなかった。それだけ、今の雰囲気が心地よく感じられたというのもあったが、個人的に思うところがあったからだった。
……正直に言うと、昼間に店内で告白をされるのだと思っていた。
その時の雰囲気もそうだし、彼の決意に満ちた顔もそう思わせるには十分だったと思う。だからこそ、という訳ではないが、団長に食事へと誘われたことは嬉しくもあり、同時に肩透かしを食らった気分になったのも確かだった。
いや、彼に食事を誘われたこと自体は嬉しい。そこは間違いない。
「……」
うん……焦る必要はない、か。いや全くその通りだ。
恋を知らず、その道の歩き方をまるで学んでこなかった私がここまでやってこられたのだ。今宵はここまでにしよう。
今後もこうして、団長と色々誘い誘割れをすれば、いつか彼の真意を聞けるだろう。
何せ、夜は短いのだから。
「ん。どうした、団長?」
司令官殿から教わった言葉を思い出しながら決心すると、隣に彼がいないことに気付く。振り返るとそこには街中にある街灯の下で立ち止まって、どこか迷っている様な顔をしている団長がいた。
そしてそんな顔を見て、もしかして先ほどの屋台に財布を置き忘れているのでは、と思った。
それと同時に妙に肩に入れていた力が抜けるのを感じつつ、彼らしいやらかしに顔がほころんでいくのが分かった。
「もしかして忘れ物か?」
「いや、そうではないけれども……うん」
仕方のない人だ、と思いつつも、そんな団長が愛おしく感じる。彼の元へ行き、なるべく優しく聞こえるように問いかけると、団長は一度だけ視線を伏せた。
けれど、その後すぐに頷き、右手を騎士団長服の左側、内ポケットに入れながらも私を見つめてきた。
何だろう、とその動作を訝しみながらも、彼がそこから小さな箱を取り出したのを確認する。そしてそのまま、私が見える位置まで持ってくると、その藍色の箱を開く。
中には、宝石の付いた指輪が入っていた。透き通った薄い橙色の、綺麗な宝石。私の好きな色合いだ。
これは確か、インペリアルトパーズと呼ばれる貴重な宝石ではなかったか?
そんな貴重な宝石を際立たせるためか、それ以外の指輪の装飾は控えめであり、それ故に美しいと感じた。
それこそ、心奪われるようなこの指輪を婚約指輪のように渡されたのであれば、女性としてこれ程嬉しく、幸せなものはないだろう。
……うん? 婚約指輪、だって?
「ぇ、あっ、だんちょ? これ、は?」
「その、こういうやり方は私らしくないのは分かっているのだけれども」
想定外過ぎる箱の中身ではあったが、彼の雰囲気やこの場の空気。それが何を意味するのかぐらいは流石の私も知っていたし、気づいた。
それ故に、頭の中が真っ白になりつつあるのを感じる。それでも、団長がそうする理由を聞きたくて私は彼の言葉を待った。
「エキナセア。結婚を前提に、君と――」
「っ、わああああぁああ!」
「っ!? エキナセア!?」
けれど、けれどもだ。
彼が照れながらも真剣な眼差しでこちらを見つめて、私が期待していた言葉を言いかけたところで限界が来た。
気づけば私は団長の手から指輪を箱ごと奪う形で取ってしまい、我に返ると彼の驚く顔が目に入ってきた。
しかし、いきなりのことで心の準備が全く出来ていなかった私は、顔はおろか全身が熱湯の中に沈んだかのように熱くなっていくのを感じ、それどころではなかった。
何かを言わなければ。というか、咄嗟の行動とはいえ、指輪を奪ってしまったことをまず謝らなければ。いや、それ以前にまずは指輪を返すところからで……。
「……」
「エキナセア、さん?」
頭の中で必死に次の行動を考えようとするも、一向にまとまらない。まるで風邪を引いた時のように頭の中が熱く、また濃霧に覆われたような感覚に陥る。
何とか思考の渦から這い上がろうとしても、目の前に心配そうな彼の顔が映り、思考が停止する。
それと同時に、私の中で何か糸のようなものが切れた。
「……へ」
「へ?」
「返事は! 明日まで、いや、一週間程待ってくれ!」
「え。それって、つまり」
「では私は先に宿に戻る!」
「ちょ、エキナセア!? いや、エキナセアさん!?」
一方的に条件を言い渡すと、私は彼が呼び止める声も聞かずに宿へと駆けだした。
走ることによる以外の意味での体の火照りは、通り抜ける風でも冷ますことは出来ないように感じる。
あぁ。私は今、何て馬鹿な真似をしているのだろうか!
自身の行動に後悔しながらも、それでも走るのを止めることが出来ない。
いや、指輪を受け取った時点でそれはもう彼の告白に応えたも同然なのでは、というどこか妙に冷静なもう一人の私の存在すら感じる中、私はただひたすらに宿を目指して走る。
「ふっ、ふふふっ」
後ろから彼の声が聞こえなくなり、体で風を切る音すら耳に入らなくなった頃。私は気づかぬうちに笑っていた。
それは途中までとはいえ、団長から告白された喜びでもあり、同時に予想外過ぎた出来事を前に笑うしかなかったというのもあった。
そして、彼の前では返事の期限を一週間としてしまったものの、やはり明日までには返事をしようと思った。
「あぁ。でも、何てことだ」
しかし、そう決心したところで、私の火照った頭の中に一つの言葉が思い浮かぶ。
その言葉が今まさに、別の意味を持って我が身に降りかかっていることに眉根が寄るのを感じつつ、私は嘆くのであった。
恋する乙女にとって、夜は何と短いことか!
※
※※
※※※
その後、私が彼とどのような関係になったのかは語るに及ばないだろう。
ただ、あの後にサフランとお茶会をした時は、彼女から満面の笑みで祝福されたことから察してもらいたい。
とにかく。蓋を開けてみれば私も彼も、きっかけが無くて一歩が踏み出せなかっただけであり、お互いに右往左往していたことが分かった。
その結果、今回のような行き違いが発生してしまい、また想定外のことが連続して起こることとなってしまった。
それに関しては、協力してくれたサフランやハチロクと呼んで欲しいと言った、司令官殿には申し訳なく思う。
けれども、その後の彼らとはお茶会はおろか話し合う機会には恵まれず、感謝の言葉は手紙で伝えることとなった。返ってきた手紙には私たちの関係を祝福するものであり、嬉しく思うのと同時に身が縮むような思いもした。
何にせよ、サフランたちのおかげで今の私があり、彼との関係はこうして続いている。
「よし。それじゃあ始めますか。エキナセア」
「あぁ。キミの期待に応えて見せよう」
そして、今日も今日とて。左手の薬指に光る宝石の輝きのような心持ちで、私は彼と一緒に過ごしている。
あの日以来、私が夜を短く感じることは無くなった。
成就した恋は、夜の帳すらも取り払う。
終わり
テーマは「右往左往」
そのまま真っすぐに恋路へと走れば最短距離でお付き合いが出来る二人ではあったが、お互いがお互いに変に意識するあまり、すれ違い、遠回りしてしまう、というお話でした。
団長のモデル及び出演を快諾してくださった皆様に感謝を。
また勝手にモデル及び(現状名前だけとはいえ)出演させてしまった皆様には笑ってお許し頂ければ幸いでございます。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。