そう決めたアブラナは、再びブロッサムヒルの最高司令官と対面する。
彼女の望み通り、騎士団の転属は認められ、後はその日を待つだけだったのだが……?
※「鶏口なれど牛後となるなかれ・前編」の続きです
※誤字脱字、乱文あり
※解釈違い、設定違い
※ご都合主義、ご都合展開
※やや残酷な描写あり
※登場人物である各団長たちのモデルあり
以上のご注意の上、それらが許せる方はお暇つぶしにでもどうぞ
※
※※
※※※
団長に騎士団を辞めると告げたのは、初めての救助任務の翌日だった。
私の言葉を聞いた彼は、諦観と安堵の顔を見せた。そして同時に、辞めようと決めた際に思い浮かんだのと同じ顔を一瞬だけ見せるとそれを承諾した。騎士団の活動が活動であるため、「時間は掛かるかも知れない」と申し訳なさそうに言う団長は、続けて「でもすぐに最高司令官には伝える」と言ってくれた。
「やあやあ、久しぶりだね。騎士学校を卒業した日以来かな? 君の希望した件については遅れて申し訳ない。今日はそれについて進展があったから話に来たんだ」
「お久しぶりです。……進展があったのなら、直接話す必要はないと思いますけれども、最高司令官『殿』?」
けれども、団長が事前に言っていた通り、こうして最高司令官と次に入団する騎士団の話をするに至るまでに一月を要した。
私以外誰もいない事務室にて、あの時と同じように人懐っこそうな笑みを浮かべながら入室してきた彼は机を挟んで対面に座る。以前はこの笑みに騙されたけれども、今日は騙されない。そんな思いで私は大げさに肩を竦めてみせた。
「そんなに畏まらないでくれ。私のことはそう、ハチロク団長とでも呼んでくれたまえ。そっちのほうが気に入っているんだ」
「……口調を崩していいというのならお望み通りに。でも、一応は上司の上司なんだから、司令官と呼ばせてもらうわ」
「つれないねぇ。まあ、直接ここに来た理由は一つ。用事は君だけでなく、ここの騎士団長にもあったからね。……その様子だと、この騎士団がどういうものかも知ったようだ」
「……どうして、あたしをこの騎士団に配属させたの?」
「その答えはあの日、君に伝えたとおりさ」
こちらの問いに、司令官は茶化す様子も無く真っすぐに私を見て言う。
「君には素質があるかも知れない。そして、実際に素質があった。少なくとも彼の報告書を見る限り、私はそう思った」
「でもあたしは」
この騎士団を辞めようとしている。そう言いかけて、口を紡ぐ。それはまるで、私が司令官に引き留めてもらいたいと言っているようなものだと思ったからだ。
……そもそも私は、どうしてこの騎士団を辞めようと思ったのだろう?
辞めようと思い、行動したのは他の誰でもない。間違いなく私の意思。けれども、その理由は何だろうかと考える。
最初は、花騎士の仕事が出来ないから辞めようと思っていた。しかしそれはこの間の任務で色んな意味で経験させてもらった。情報を集め、可能なら救助活動を行い、時に害虫と戦闘する。それは間違いなく、花騎士としての仕事だろう。
けれども、私はそれを知ったが故に辞めようとしているのだ。
そして、その理由が分からないまま、この場にいることに気付く。
「素質はあっても、仕事の合う合わないはある。ほら、得意なことと好きなことは必ずしも一致するとは限らないだろう? 嫌いなことが得意な人もいるし、好きなことでも苦手な人はいる。それに何も合う合わないは仕事の内容だけじゃあない」
人の好き嫌いだってある、とまるで私が辞める言い訳を一緒に考えてくれるかのように話す司令官に対し、私はふと団長の顔を思い出す。
脳裏に浮かぶのは、独りぼっちで寂しそうな顔をする彼。けれども、そんな団長に対して嫌悪感は抱かない。寧ろ、彼が悲しそうな顔をしていると落ち着かない気持ちになる。
そして、どうして落ち着かない気持ちになるのかが分からずに、私は眉間にしわが寄るのを感じた。
「……まあ、君自身が自ら進んで退団を望んだのだ。私がこれ以上とやかく言うつもりもない。過去の話は置いておくとして、未来の、建設的な話をしよう」
一考する私を黙って見つめていたハチロク司令官だったが、短く息を吐いたかと思うと妙に明るい口調で話しかけてくる。内側に向いていた意識をそちらに向けると、彼は懐から赤色を基調とした分厚い本を机の上に取り出していた。それは立派な装丁であり、如何にも重要な本であることを主張している。……というか、そんな本をどうやって懐に仕舞っていたのかしら?
「えーっと。騎士団の退団及び転属願いに関しては、当然ながらそれまでの個人の実績が少なからず影響する。いくらその騎士団での団長評価が高かろうが、害虫を一匹も討伐していないのでは花騎士としての評価は低くなるからね」
「……うっ、もしかして申請が遅れたのって」
司令官は本の頁をめくりながら説明をする。その直球過ぎる揶揄を前に、私は顔がひきつっていくのを感じた。とある頁でその指の動きを止めた彼は「ご名答」と何故か嬉しそうに微笑む。
「ライミ騎士団の表の活動が活動だからね。本当の活動を知るブロッサムヒルの騎士団に空きがあれば良かったのだけれども。ありがたいことに今年はまだ花騎士の戦死者は出ていなくてね。私のコネと彼のツテで他国の騎士団に配属依頼をしたのだよ」
花騎士の戦死者は出ていない、という言葉を聞き、私は脳裏にあの時団長が介錯した人のことを思い出す。……かの団長がいなくなったあの騎士団はどうなっているのだろう?
そんな思考の沼に落ちかけている私の前に、司令官は本を開いた状態で「ほら」とこちらに中身が見えるように向きを変えて渡してくる。それに目を向けると、まず頁の冒頭の書かれた太枠の中の文字が飛び込んでくる。
「ウィンターローズの……騎士団?」
「ウィンターローズのとある騎士団だよ。副団長は、オジギソウ君だったかな? そこの団長はライミ団長……彼の古くからの友人でね。私のコネでコンタクトを取り、事情を説明すると共に彼の名前を出したら少し考えた後に快諾してくれたよ」
そのコネを使った接触に時間がかかったのだけれどもね、とまるでそこが笑い処と言わんばかりに司令官は柏手を打つ。こちらが何の反応も示さないところを見ると、彼は気まずそうな顔をした後、わざとらしく咳ばらいをした。
「とにかく、だ。転属先は決まった。後は君がこれを良しとすれば、契約完了だ。簡単な条件はそこの頁に書いてある通り。決まり事に関しては当然ながら国ごとに違うからね。詳細は転属後に確認してくれ。一応、条件はなるべく同じようにしたつもりだから」
「……了解した場合、移動は何時になるの?」
「そうだね。相手にも色々と準備はあるから、それなりに時間はかかるだろう」
契約内容に目を通し、頷く私に彼は顎を擦り考え事をするかのように視線を泳がせる。
「私の計算では大体二週間程、といったところかな? それまではこの騎士団で仕事を続けて欲しい」
当然ながら本来の仕事もそれに含まれるよ、と念を押すように言う司令官の言葉を聞き、私は一度目を閉じる。
脳裏には再び、あの日あの時の光景が広がる。それを思い出すだけでも軽く背筋に寒気が走る。まさか、このニ週間で似たような事件が起きるとも思えない。今は、大規模な作戦計画もないのだから。
「分かった。この条件でお願いするわ」
「オーケー。確かに承った。さっき話した通り、正式な契約書はこの後すぐに送るよ」
「……その契約書と、ここに書かれていることに相違があるとかは」
「ないない。私は騙されることはよくあるけれども、騙すことはしない主義なのさ」
胸を張って言い切る司令官を前に、私は心の中で悪態を吐いた。
こちらにも落ち度があったとはいえ、私を騙した人が良く言う。
「但し」
すると、それまで気の抜けた顔をしていた彼が急に真剣な表情へと変えた。心の中であるとはいえ、悪態を吐いていた私は見抜かれたかと思って思わず姿勢を正してしまう。
「鶏口なれど牛後となるなかれ、とは言うものの。君が次に所属する騎士団はブロッサムヒルの騎士団ではなく、他国の騎士団だ。上官に対する口の聞き方と態度には注意しなさい。実力や素質があったとしても、君はまだ新人花騎士。牛後の立場を良しとしなければ、この話は無かったものと思いたまえ」
「けいこう? ぎゅうご?」
ややまくし立てるような早口に加え、聞いたことも無い言葉を前に、私は小首を傾げた。それを見た彼は、口角を上げて笑みを見せると「この騎士団の先代団長の言葉だよ」と言った。
「牛後。つまりは牛のお尻を意味する言葉なのだが、それを転じて集団の中で強い者に付き従うことをいう。それよりも、鶏口。そのまま鶏の口という意味だが、小さくとも集団の中の長となった方が良い。
長い人生において、主体的に行動できる場や地位を求めるべきであり、そのためには大きな組織の末端になるよりは小さな組織の頭になったほうがいい。そういう意味だよ」
「はあ」
「けれども、時と場合によっては鶏口よりも牛後。つまりは集団の中で下の地位に甘んじなければならない時もある。本人がそれを望んでいなくともね。それが正に今回の転属となる訳だ。君はそのことを理解しなければならない」
寄らば大樹の陰って言葉もあるしね、と司令官は意味深に片目を閉じて微笑んでくる。何だか小難しい言葉を並べたかと思えばその説明を聞く限り、私は集団活動が出来ない人間と思われているように聞こえるのだけれども?
「ああ、気を悪くしないでくれ。何も君が協調性のない人間だ、と言っている訳じゃあない」
「……じゃあ、どういう意味ですか」
「その言葉の通り受け取ってもらえればいい。君には素質があった。それも私が思う以上にね。けれども、次に行く騎士団ではその素質を活かせないと思ってくれ、という忠告さ」
「素質、ね。結局のところ、その言葉にこれまで振り回されてきた気がするけど?」
「そうかい?」
思えば期待させるようなその言葉が全ての始まりだった、と眉根を寄せて睨む私に対し、彼は意外そうな顔をしてみせた。
「彼は君を高く評価し、君は彼に意見する。それこそ副団長にでもなれば、良い関係になれると思ったのだけれどもね。君の素質や才能は、大規模な騎士団ではなく、小規模の騎士団。……つまりは鶏口でこそ輝くと感じたのだよ」
そうすればこの騎士団も良い方向に向かうと確信していた、と司令官は続けて残念そうな顔をするのだった。
回りくどい言い方だったけれども、つまるところこの人は私にライミ騎士団を変えられるのではないか、という期待があったのだという。
どうやら、この人が今のライミ騎士団を変えたいと思っているのは本当のように感じられた。
けれども本当に、どうしてなのか。
……どうして辞めるのを決めた今になって、そういうことを言ってくるのか。
「あぁ、そうそう。言い忘れていたけれども、当然この騎士団の本来の仕事は他言無用だ。君は口が堅い方だとは信じているが、万が一のことがあった場合はそれなりの処置がある、と覚悟しておいてもらおう」
「……一応、処置の内容を先に聞いておきたいんだけど?」
「あっはっは。それを私の口から言わせたいのかい?」
「……」
「そうだねぇ。一つだけ言えるとするのならば、花騎士としての活動が出来なくなる、が一番穏当な処置になるね」
そんな意気消沈する私を余所に、「聡明な君なら後は言わずとも分かるだろう?」と司令官は朗らかな口調で釘を刺しに来るのだった。
※
※※
※※※
「さて、作戦概要は以上だ。前回とは違って今回は幾分か余裕があるとはいえ、質問があるのなら手短に頼む」
一体全体、本当にどうしてなのか。
運命の神様とやらがいるのであれば、今のこの私の状況はさぞや滑稽で愉快に見えているに違いない。
「……いないようだな。では二手に分かれて行動を開始する。サギソウ、そっちは頼む」
「了解」
事の発端はあの司令官との話から二週間後のことだった。
先方の日程が合わずに一週間転属が引き延ばしにされ、ライミ騎士団の任務を知ったことにより正式な訓練と知識を叩き込まれている時に任務は発生した。
それは、先日失敗に終わったブロッサムヒルとリリィウッドの境目の森で行われた害虫討伐。その再討伐任務が発令されたのだ。
本来であれば、これまでの私たちの騎士団は未帰還の部隊でも出てこない限り動くことはなかった。しかし、今回より試験的ではあるものの、最高司令官の提案によって私たちも最初から任務に同行することとなった。
とはいえ、通常の討伐訓練を受けていない私たちが実際に討伐任務当たることはなく、事が起こるまで後方待機と相成った。……当然ながら、何事もなく終わった場合は無駄骨といえる。
それでも、例え一部隊を動かして経費を無駄に消耗するよりも、もしもの際の迅速な行動によって未帰還の部隊を減らしたい。という、以前より強く主張していたという司令官の意見が通り、今回の運びとなった。
そして幸か不幸か、そんな彼の思惑は嫌な形で実現したと言える。
「何かあったらこっちは俺の指示に。そちらはサギソウの指示に従え。だが当然ながら、原則として自分の命最優先だ。救助出来なかったとしても、必ず全員がもう一度ここに戻って来い。以上だ、行動開始!」
日の出とともに開始した作戦から数時間後。雲がまばらにあるも雨にはならなさそうな晴れの元、一つの部隊だけが未帰還であることが発覚した。
正確には、団長1名と花騎士三名は戻ってきたのだが、残るチームの花騎士ニ名が戦闘時にはぐれてしまったのだという。その報を聞いて、作戦本部にいた司令官は即座に今回の任務を発令したという流れだ。
「悪いな、アブラナ。最後の最後にこんな任務で」
作戦本部のテント前から森へと進む道中で、団長が私にそう言った。
舞台が森の中の討伐任務とはいえ、当然ながら森の中に拠点を構える訳にはいかない。かといって、森を目の前にして設営する訳にもいかない。森を全体的にある程度見渡し、且つ何か異常が起こっても対処行動に出るまでの猶予を得られる距離。
森の入り口から辛うじて作戦本部のテントが見える。そんな場所から私たちは二手に分かれて行動を開始した。
「えぇ、全くよ」
私は返事をしながらも、分かれていくサギソウの部隊を一瞥する。
サギソウをリーダーとした部隊は、拠点から一旦南西へ進み、南から森へと侵入する。つまりは前回私たちが任務の際に突入したルートと同じルート。今回は救助活動までの行動が早く、そちらのほうまで迷い込んでは無いというのが団長の見解だった。しかし、万が一を考えてそっちにも手を回してもらいたい、と司令官が言ったため二部隊に分かれることとなった。
……本来であれば、他の帰還した部隊も救助に回らせたかったそうだが、迅速な捜索活動の開始は帰還した部隊の疲労の回復を待てなかった。
故に、今回の任務は私たちのみで行われることとなった。
「けどまあ、チャンスでもあるのよ」
「何がだ?」
「救助は優先するけれども、ここでもし害虫を一匹でも倒せたら、評価につながるから」
「……そうだな」
サギソウ、ケイトウ、それに前回は非番だったウグイスカズラが目視で豆粒ほどの大きさになる中、私は改めて今回の編成部隊を見る。
と言っても、私に団長、それからガンライコウとメンバー自体は前回から変わっていない。
唯一変わっているとするのならば、この二週間の本格的な訓練と座学によって、私が前回よりもはるかに強くなったと実感していることだった。
※※※
「アブラナ! そっちに行ったぞ!」
「うっ、喰らえっての!」
まあ、そう簡単にはいかないのが実戦というやつで。
団長の指示に従い、ガンライコウがうち漏らした手負いの害虫に何とか一撃を入れて、その動きが止まるのを待つ。それから対象が完全に動かなくなったのを確認し、突剣を引き抜く。
筋繊維と液体が刃に絡まる感触を気持ち悪く思いながらも、付着したそれらを振って払い周囲を再度警戒する。が、視界内に動く者は団長とガンライコウ、それとザンセツしかおらず、私は緊張で止めていた息をゆっくりと吐き出す。
「よし。取り敢えずは大丈夫だな」
「……流石に、ちょっときついわね」
団長が戦闘の終了を告げると共に、ガンライコウがぼやく。けれども彼女の言う通り、前回とはうって変わって森の中を進む度に害虫との戦闘になっている。これでかれこれ三度目の戦闘ともなれば、一言二言ぼやきたい気持ちもよく分かる。
主に彼女が害虫の相手をし、私はその手伝い。団長は全体の動きを見ながら私たちに指示を出す。害虫自体はそれほど手強い感じはせず、また手負いであるのもチラホラ見かけるため、今のところこちらに負傷者はいない。
「討伐任務から時間が経っていないからな。害虫側も気が立っているのだろう。……大型が来ないだけまだマシだが」
団長曰く、本来の任務であれば討伐任務から数時間は経過した後から開始するため、害虫との遭遇はあまりないという。けれども今回に限っては、討伐任務直後の任務。それ故に前回とは違い正面からの突入であるのも手伝って、害虫との接敵回数が多い可能性があるらしい。
言われてみれば、一回の討伐で全ての害虫が倒し切れる訳ではない。そのため弱い害虫たちからすれば、私たちがまた自分たちを倒しに来たのだと勘違いしても当然のこと。そして、そうならないためにも先に攻撃を仕掛ける。それは生物の持つ生存本能としては妥当な行動といえた。
逆に言えば、今は痺れを切らした弱い害虫たちが群がってきているが、奥へと進めば強い害虫や大型害虫も仕掛けてくる可能性があるということ。
「団長」
「どうした? 今の戦闘でどこか負傷でも?」
体感それほど森の奥には進んでいないけれども、これから先はどうなるのか。前回も今回も失敗となる今回の害虫討伐任務。話を聞けば、その討伐対象の害虫は大型害虫であると言っていた。……もし、道中でそんな害虫と出会ってしまったら?
そう思って嫌な予感に身震いする中、ガンライコウが団長に声を掛けていた。
「私は大丈夫。けれども、ダイゾーが前の戦闘辺りから調子が悪いの。今回は何とかしのげたけれども、次辺りから怪しいかも」
「……何回か攻撃を受けてくれていたものな。直せるか?」
「分からない。ここで見ても良いけれども、時間が掛かるかもしれない。すぐに直せる保証は無いわ」
「そうか」
ガンライコウの言葉を聞き、団長は考えるように腕を組む。幸い、先程まで戦闘していた場所の視界は悪くなく、不意打ちが来ても対処は出来る。下手に行動するよりもここは彼の指示を待ったほうが良い。
「……一度撤退しようと思う」
しばしの沈黙の後、団長は命令を出した。そして、私はそれに賛成であった。ここまでの戦闘数を考えれば、この先を進もうとすれば戦闘は避けられないと思う。要救助者の発見も大切だけれども、それ以上に私たちの無事の帰還も同じように重要な任務内容の一つ。それに前回と違って、この後すぐに対象人物が見つかるとも限らない。
……以前の私なら、無理を言ってでも任務を続行しようと提案したと思う。けれども、ここ二週間の訓練や座学を経た後も、こうして実戦を経験した私一人ではそれを実行するには実力が伴っていない。一度も戦闘をこなしていないのならともかく、既に三度の戦闘をしているのだ。悔しいけれども、ここで無理を通しても今の私では厳しい。そう強く感じた。
私の我儘でガンライコウや団長を巻き添えには出来ない。この騎士団を退団するのであれば尚の事。救助を優先したいけれども、ここは大事を取るべきだと思う。
「えぇ。賛成ね」
「あたしも賛成」
ガンライコウに続き、頷く。団長もそんな私たちを見て、決心を固めたようで頷き返す。
「それじゃあ、私は先に撤退させてもらうわ。二人とも、気を付けて」
「うん、うん?」
けれども、団長が言葉を発する前にガンライコウはいそいそと撤退の準備を始める。私の耳が聞き間違いで無ければ、彼女は一人で撤退すると言っているように聞こえたのだけれども……。
「……ガンライコウ?」
「言葉の通りよ。私は戦闘に不安があるから撤退させてもらうけれども、作戦自体は続行したほうが良いと思うわ。心配しなくても来た道を戻ればよっぽど害虫と遭遇しないと思う」
「いや、そうではなくてな……」
「団長だって分かっているでしょう? 私たち、戦闘ばかりでまだ話に合った戦闘場所にすら到達していない。作戦を中断するにしても、せめてそこまでは行った方が良いと思うけれども?」
「それは、そうだが……」
ダイゾーを背負い直しながらも、普段口数が少ない彼女が矢継ぎ早に現状を話す。その口調の強さと勢いもあってか、口を挟もうとした団長は押し黙ってしまう。
ガンライコウの言わんとしていることは分からなくもない。事実、先の討伐任務で戦闘があった場所は現在地から更に奥へと進まなければならない。少なくともそこまでたどり着かなければ、要救助者がどこに向かったかのスタートラインにすら立てない。
彼女たちが森を抜けてくれていればいい。けれども最短距離で現場へと向かっている私たちと出会わなかったということは、入れ違いになっていない限り、対象の花騎士たちはまだ森の中にいる可能性が高い。そのため、作戦前に知り得た情報を元に、少なくとも要救助者である二人がどこへ向かったのかぐらいは調べる必要があるという彼女の意見は任務を果たす上で最もな進言といえる。
けれども、ここまで戦闘続きであり、これからも戦闘が予想されるのもまた同じ。ここで戦力が抜けるのは割と問題だと思う。いくら私がまだ戦える体力が残っており、団長も自分の身を守れるぐらいの術を持ち合わせているとはいえ、戦闘を想定したこれ以上の捜索は危険を伴う。
そう思って眉根が寄るのを感じながらガンライコウの様子を見ていると、不意に彼女がこちらを見て微笑んだ。
「彼女はまだ戦える。任務は続行すべきと私は思うわ」
「だが……」
「だからこそ、団長。今こそアレを使うべきではないかしら?」
「アレ?」
その笑みの意味はすぐに分かった。何もガンライコウは無茶をしろと言っている訳ではないらしく、意味深なことを団長に向けて言う。その言葉に釣られて私も彼のほうへと視線を向けると、団長はゆっくりと息を吐くと鞄の中から瓶を一つ取り出した。
瓶の形といい、中に入っている液体の色といい、それには見覚えがあった。
「……出来ればこれは、撤退時に使用したかったんだが」
「でも効果時間も含めてお墨付きでしょう。これから先も戦闘があることを考えたら、今が使用する機会だと思うのだけれども?」
害虫除けの香水。確かにこれがあれば、文字通り害虫を除けつつ活動を続けられる。すぐに作れるものではない分、貴重な品とは以前聞いた。けれども、ガンライコウの言う通り、使うなら今だとは思う。
「……分かった。任務は続行しよう」
彼女の意見に団長は今一度沈黙するも、今度はすぐに答えを出した。
「けれどもガンライコウ。効果時間は減るだろうが、お前にもこれを使ってもらう。それが条件だ」
そして、この場にいる全員に害虫除けの香水を振りまいた後、私たちはガンライコウと別れ、任務を続行することとなった。
※※※
「……アブラナ、どう思う?」
「害虫の気配はないわ。害虫による罠の可能性は?」
「ない、と断言してもいい。小型害虫は論外としても、ここいらの大型害虫がそのようなことをしたという情報はない」
「なら、一気に行くわよ」
「あぁ」
害虫除けの効果は絶大であり、その後の戦闘行為は一切無く、私たちは第一目的である討伐任務の戦闘跡地へと到着した。
私たちが潜む茂みから正面の広場……のように戦闘で荒らされた場所には一人の花騎士らしき人物が横になって倒れていた。
花騎士らしい翡翠色の華やかな鎧を身に纏い、美しい栗毛の長髪をした彼女は、事前情報にあった人物の一人で間違いないだろう。
こちらから見て左腕が上になる状態で背を向ける形になっていたため、その花騎士が生きているのか死んでいるのかは分からない。上半身部分に触れている草花が赤黒く染まっているので、少なくとも負傷しているのは間違いないだろう。
すぐにでも様子を見に行きたいからこそ、今一度周辺の様子を確認。団長と私とで情報をすり合わせた後、素早く茂みから飛び出して花騎士のところまで駆けた。
「……っ」
「……これは」
覚悟はしていた。もしかすると害虫に殺されているのではないかと。
そう思ったが故に、仰向けにした彼女の顔が青ざめてこそいたけれども、微かに動く眉と小さな呻き声に安堵した。
「不幸中の幸いか。自分の体でそこを押さえつける形になったのが止血代わりとなったのだろう。もしくは、意識を失うまでは止血を続けていたのかも知れない」
けれども、彼女の右腕は肘から先が綺麗に無くなっていた。
腕を失った際の出血のショックで気絶したわけではないようであり、団長の言う通りこの花騎士の肘部分には衣類の切れ端のようなものが巻かれている。そしてその巻き方が適切なものではなく、赤黒く染まり切っていたことから相当に余裕が無かったことも見て取れた。
以前の私ならともかく、今の私なら分かる。
彼女は出血のし過ぎだ。戦闘中なのか撤退時なのかは分からないけれども、しっかりと止血をする機会に恵まれなかったのだろう。
それは、仕方のないことだと言える。座学の傍らで読んだ、ライミ騎士団の過去の資料でこの手の話はいくらでも見てきた。戦闘中に負傷し、周囲には味方がいない状況且つ、応急処置を施す余裕もない。そのせいで、救助後の治療が間に合わずに亡くなった花騎士が何人もいたことを、私は知っている。
だからこそ助けたい。
「アブラナ。念のために周囲の警戒を」
「……」
けれども、その想いに反して私の体は動かなかった。団長は私の返事を待たずして、倒れている花騎士の診断を手早くこなしているというのに。
意識は周囲の様子を伺うのではなく、かと言って目の前の花騎士の無事を祈る訳でもない。
ただ単に、診断の後、団長がどう動くかだけが気になって仕方がなかった。
「ショック症状が起こる前に、早急に対処しないと」
「……っ」
団長の言う通り、その花騎士は顔色だけでなく、他の皮膚まで蒼白になりかけている。見れば額には細かい汗が浮かんでおり、呼吸も浅く、短く、そして速い。
対処が遅ければこのまま大量出血による出血死が待っている。だからこそ、急いで輸血をするなり治療をするなりしなければならない。
だが、それはここが病院であればの話。ここはブロッサムヒルの総合病院の待合室では無いし、騎士団の医務室でもない。だからこそ、普通の治療が困難だということは分かり切っていた。
今の私たちに出来ることは、彼女を正しく応急処置を施すこと。一緒に連れて一刻も早く森を抜け、駐屯地まで戻ること。それでも間に合うかどうかが分からない。
それならば、対処としてやることはもう一つ……。
「……血が流れ過ぎだ。このままでは」
「っ!? 駄目よ!」
団長が手際よく鞄から取り出した包帯で彼女の右腕を巻いていく。しかし、ぼやく彼の言葉を聞き、私は咄嗟に制止した。
次のものを取るために鞄に手を入れていた彼は一瞬身体をすくませた後、やや睨むような目つきで私を見る。
「香水の効果があるとはいえ、大声を出すな。大型が来たらどうする」
「で、でも! 団長はその人をどうするつもりなのっ!?」
「……」
私の言葉に団長は目を逸らして俯く。咄嗟に答えられないのか、それとも答えたくないのか。次に彼がこちらへと顔を向けた時、それは後者だったと分かった。
「アブラナ。お前も薄々は分かっているだろう。この傷では――」
「それでも! 私は助けたい!」
「っ!?」
団長の言いたいことは分かる。私だって、彼と同じように現実を見て、その後に学んだからこそ分かる。
けれども、だからこそ!
私は団長を止めなければならない。
本当は分かっている。助かる可能性のほうが低いということも。彼が危険を冒すよりも、私の安全を気にしていることも。そして、私よりもずっと辛い現実を突き付けられてきたこと。
けれども、それでも誰かがやらなければならないから、自分の手を汚してでも仕事をこなしていることも!
「あたしは、あたしは……」
声が震える。
こうしている間にも、負傷した花騎士は危篤状態に陥りつつあるということ。私たち自身にも危険が迫ってきているかもしれないということ。
それらを無視してでも、私は団長に言わなければならないと思った。
何て言うべきだろう。何を言わなければならないのだろう。
頭の中は色んな感情が渦巻き、舌も上手く回らない。それでも団長が彼女を介錯するのだけは絶対に止めなければならないと強く思う。
……それこそ、この任務の後に彼のいる騎士団とは別の騎士団に行くというのに。
「……っ」
団長のいる騎士団を辞める。
そう思った時、私は何故ここまで彼にこだわるのだろうとも思った。
別の騎士団に行くことが決まり、後は目の前の任務をこなすだけ。ならば、ここは団長の指示に従うべきはずなのに。以前の私ではなく、今の私だからこそ、彼の言っていることは何ら間違っていないと分かっているのに。
私はどうして、ここまで助けることにこだわるのだろう?
私はどうして、この人のことがこんなにも気になるのだろう?
「……ぁ」
その時だった。
頭の中にあった色んな感情の中から一筋の光が目の前を白く染め上げた。
同時に光の眩しさに目を閉じ、私の意識はここではないどこかへ運ばれていくような感覚に呑まれる。
※
※※
※※※
それは入団の書類にサインをした後、ハチロク司令官に連れられてライミ騎士団の事務室まで来た時のことだった。
早速騎士団入り出来るということで、騎士団の詰め所が畜産地区にあるということに然したる疑問も持たず、私は浮かれに浮かれていた。
司令官の紹介の後、私は一歩前に出て団長の目の前で自己紹介をしてみせる。
『アブラナよ、よろしく頼むわ。あたしが騎士学校卒業したての准騎士だからって、テキトーなことやらせたら許さないから、そのつもりで』
所属する騎士団の団長との初邂逅だというのに、私は彼のことをよく見ることなく根拠のない自信たっぷりに話したことを覚えている。
そんな私の言葉を聞き、それまで椅子に座っていた団長が立ち上がり、こちらに右手を差し出してきたところで、初めて正面から彼の顔を見た。
『ここの騎士団長をやっている者だ。こちらこそよろしく』
『……』
そしてどこか陰のある笑顔を見せながらも、こちらを真っすぐに見つめてくる団長を前に、言葉を失った。
『……』
私が黙ってしまったことを疑問に思ったのか、それとも彼自身も思うところがあったのか。団長も私を見つめたまま黙ってしまい、私たちはそのままお互いに次の言葉を発することなく見つめ合った。
だがその沈黙は長く続かなかった。
『何だい、何だい。二人して良い雰囲気になって。今は私もいるのだから、そーゆーのは後にして欲しいものだ』
『ぇ、あっ、いや……』
『はぁっ!? あたしは別に!』
茶化すような司令官の嬉しそうな声に対し、団長は狼狽し、私は反射的に食って掛かる。
……けれども反射的に、そして感情的になったのは、何もからかわれたからではなかった。
何故なら私は、あの時、あの瞬間。団長に、彼に。
※
※※
※※※
「どうした、アブラナ?」
「……あたしは」
団長に声を掛けられ、意識が戻る。
数秒の出来事のようであったものの、こちらが急に黙ったことを気にする素振りを見せる彼に対し、私は口を開く。
思い返してみればそうだ。初めて団長と出会った時から、何かあれば何故か彼のことが頭に思い浮かんだ。彼に嫌われたくないと何故か思っていた。彼が悲しい顔をすれば、私の心も悲しい気持ちになった。
けれどもこれは、つまりはその、認めたくはないけれども。
つまりはそういうことなのだろう。
「あたしは、その人を助けるわ。絶対に」
もう一度、同じ言葉を団長にぶつける。
仕事とはいえ、任務とはいえ、団長にその手を汚して欲しくはない。
私の言葉を聞いて、彼は大きなため息をつく。
「……あのなぁ、アブラナ」
そして先ほどよりも疲れたような顔をして、こちらを見る。続く言葉はさっきと同じ、救助したところで負傷した花騎士の命が持つかどうか分からない、と今の状況を鑑みて言うのだろう。
それに対して私が更に反発し、そのまま平行線を辿ることとなる。
しかし、あの時からずっと彼に感じていた気持ちを思い出し、私は覚悟を決めた。だからこそ、平行線になる前に団長の懐へと飛び込まなければならない。
次の言葉を紡ぐ前に、脳裏にハチロク司令官の言葉が浮かぶ。
鶏口なれど牛後となるなかれ。
そうだ。私には鶏口でこそ才能を発揮できる素質があると言われた。
ならばその言葉通り、私は団長にだって意見をしよう。
助けられるかもしれない命を見捨てるなんて。本人の意志に反して手を汚すのを見過ごしておくなんて。そんなテキトーなことを他でもないこのアブラナが出来るわけがない!
「アンタがそうやって手を汚すのを、あたしはもう見たくないから!」
「っ!?」
「そして、あたしは欲張りで、往生際が悪いのよ! 助けられる命は全部助ける! 文句あるかしら!?」
……あぁ。言った。言ってしまった。
上司である団長の判断に対しての反発。それも戦闘区画のど真ん中で大声を上げて。
ただでさえ危険地帯にいるというのに。ただでさえ一刻を争う事態だというのに。
「……ふん」
だというのに、頭の中は驚くほどに澄み切っており、心は軽くなっていた。
気合を入れる意味と彼の次の言葉を受け止める意味で鼻を鳴らす。対して団長は唖然とした顔で私を見つめていた。その顔は珍しいものを見るようであり、正気を疑うようなものを見るようでもあった。
「お前、なぁ……はぁー。いや、分かった」
少しの間呆然としていた団長だったが、やがて肩を落とすほどの大きなため息を吐く。それから鞄の中から見覚えのあるものを取り出す。
注射器と試験管。それが何であるかを知っていた私は再び頭に血が上るのを感じた。
「分かってないじゃない!」
「これ以上騒ぐな。黙って見ていろ」
騒ぐ私を叱責し、団長は以前と同じように流れるような手つきで、花騎士の左腕へと注射針を入れる。
「っ……ぅう」
しかし、以前とは違って入れた薬の量は半分程度。残った薬の入った注射器も試験官と同じように廃棄し、団長は無言で花騎士の頬を叩く。
痛みによるものなのか、顔を歪ませてから薄っすらとその目を明けた彼女を彼は覗き込んだ。
「あんたを助けに来た。死にたくなければ、生きたいと思え」
「ぅあ……くぅっ!?」
そして花騎士の返事も聞かないまま、彼女の左腕を掴み上体を無理やり起こさせる。抗議するかのように小さく呻くのすら無視し、団長はそのまま肩を組む形を取って立ち上がった。
左手で花騎士の左手首を、右手で花騎士の右腰をしっかりと掴んだ彼は、呆気に取られていた私へと一瞥する。
「どうした? 早く先導しろ。彼女を助けたいんだろう?」
「ぅ、も、もちろんよ! あんたこそ、しっかり付いてきなさい!」
わざわざ挑発的な言葉を選ぶ団長に対して、私はまた違った意味で頭に血が上り背を向ける。それがこちらに発破を掛けているのだと分かっているからこそ、一度深呼吸をし、振り返ることなく来た道を戻ろうと歩みを進める。
「薬によって痛みは緩和させているが、彼女の容体は変わらない。……なるべく急げよ」
「……えぇ」
団長の言葉を背に、私は撤退の先陣を切る。ここ数週間の座学で習った、救助した際の先導人として。警戒しつつも歩調を後ろに合わせ、私は、私たちは森からの脱出を試みた。
※※※
「……っ」
「……」
害虫除けの香水の効果もあってか、行きの連続した戦闘が嘘のように滞りなく撤退は進められていた。
しかし、途中から背後より強烈な悪意を感じ、私の意識はそちらに引っ張られる形となってしまう。後少しで森を抜けられるというのに、先程からそれが気になって仕方がなかった。
一体何時から、とは思わない。気づいたら悪意は私たちの背後にいたのだ。
「ねぇ、団長……」
威圧するような悪意を発する正体との距離は開いているように思えたけれども、その悪意は増すこともなければ減ることもない。完全に付かず離れずの状態で私たちの後を付けている。
まるで何時こちらを襲おうか見定めているように感じられ、私は不安に苛まれる。
香水の匂いがあるから仕掛けてこないのか、それとも……。
「……こっちは大丈夫だ。歩みを止めるな」
「そうじゃなくて」
「分かっている。だからこそ歩みを止めるな。ペースも上げる必要はない」
「……了解」
けれども、息をやや切らしながらも応える団長の言葉を聞き、ゆっくり息を吐いて確実に歩みを進める。私一人で足止めをしようと提案しかけたけれども、この悪意が単体とは限らない。こっちが対処している間に団長たちがやられてしまうことにもなりかねない。
……とはいえ、向こうが攻めてきたらそうするしかないのだろうけれども。
「……ふぅ」
気を張りながらも、短く息を吐く。道には、迷っていない。感覚が鈍っていなければ、もう少しで森から脱出できるはず。
草木を分ける音が大きく聞こえる。落ち着いているはずの呼吸が荒くなる。緊張と疲労で喉が渇いていくのを感じる。
間違いなく、この悪意の正体は害虫だ。しかも確実に私たちを認識している。
「……」
後ろの気配が一向に消えないことに否応なく意識が割かれてしまう。
足が重い。私はちゃんと歩けているだろうか。団長の言う通り、歩みを止めず、早めず、しっかりと森を抜け出そうと足を前に出せているのだろうか。
……後ろにいるであろう、恐らく大型害虫が襲ってきた時、団長たちを庇いつつ戦えるだろうか。
「……っ」
背中から冷や汗が滲み出てくる緊張感が続く中、私の頬を涼やかな風が撫でる。意識を背後から正面へと向けると、木々の先からは草原が見えかけていた。
助かった。
そう、思った瞬間だった。
「$#@%&#@&~!!」
「ひぅっ!?」
後ろの威圧が一瞬消え、それから地を這うような、空気を揺らすような咆哮が背中から全身を突き刺した。悪寒が背面全体を襲う。同時に驚きで呼吸が止まる。
意識を逸らしてすぐの出来事であったことと、それまでとは違う行動をしたと耳と肌で感じてしまったこと。それらが緊張の糸を切ってしまい、気がつけば私は焦りと恐怖から森の外に向かって駆けだしていた。
「っ、アブラナ!」
後方から団長の声がした。その言葉に我に返り足を止めようとするも、言うことが利かない。頭では「止まれ」と命令を出しているはずなのに、足は完全に「逃げろ」と言わんばかりに大地を踏みしめ、土を蹴り上げて前へと進む。
その矛盾を目の当たりにし、私は下唇を噛み締めた。けれどももう止まれない。少なくとも森を抜けるまでは。
「く、ぅっ!」
後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、私はその足の赴くままに森から草原へと転がるように飛び出した。
威圧感もとい悪意の塊は、私が足を止めないままに振り返った際に、その正体を現した。
「&#%&$$#%~!!」
「っ!? 大型、害虫!」
大地を揺らし、敵は私が飛び出した森から木々をなぎ倒し、言語化出来ない叫びを上げる。それらが不協和音となってこちらの全身を包む。
数か月にわたってこの森で行われていた本来の任務。害虫討伐の対象である大型の蠍害虫がこちらに向かって突っ込んできた。
「ぅ、ああぁぁっ!」
そんな真紅と紫、そして黒色をした外殻の害虫を、私は左手側に大きく跳んだことで回避した。胸から地面に飛び込む形とはなったが、そのまま寝ている訳にもいかないのですぐに立ち上がる。
振り返ると目標が捕らえられなかったせいか、害虫は先程まで私がいた場所から少し通り過ぎたところで制止する。まるで地面を耕すかのように足を止めたところから目算で十メートル程抉り、一度動きを止めた。
「はっ、団長!? 団長は!?」
害虫が何を考えているのかは分からない。けれども、そいつが停止している間に息を多少整えられた私は、団長の姿を探す。
しかしながら、彼の姿は見えない。私は大型害虫の圧に耐えられずに駆けだしてしまった自分を恥じる。
「……っ、けど!」
救助中で両手がふさがっていたとはいえ、あの団長が簡単にやられるとは思えないし、思わない。思いたくもない。
それに、害虫は今、私だけを認識しているように見える。ならば私がここで引き付ければ、彼ならその隙に救助を完遂してくれる。
ならば今の私に出来ることは、一つしかない。
「えぇい!」
「$%#?」
地面に落ちていた拳一つ分の大きさを無造作に掴み、害虫へと思いっきり投げる。小気味いい軽い音と共にその外殻へと当たった石に気付いた害虫は、その巨体をゆっくりとその場で旋回させてこちらを見た。
改めて見ると、凶悪な害虫だと分かる。高さは私の二倍以上。横幅も馬車が数台並んでいるかのように思えるぐらいの大きさ。外殻には数多の武器による攻撃跡が残っており、甲殻自体が剥がれかけている部分が見える。
また私から見て左側の前足に当たる鋏の部分は大きく欠けて、最早挟むことすら出来なさそうに見えた。更には蠍害虫の特徴ともいえる尾の先端にある勾玉のような形をした針は無く、切断された跡だけがあるというのに威嚇するように持ち上げている。
パッと見たら、傷だらけで後一押しで倒せると思わせるような状態。それにも関わらず、相手の戦意は全く喪失していない。
そこまでしても倒せない害虫を、これから相手をしなければならない。
それを思うと、正直なところ闘志よりも恐怖の方が勝る。
恐怖で足が竦む。震えで歯の奥が鳴る。顔から血の気が引いていくのを感じる。けれども、そんな惨めな思いをしたのは後にも先にも、騎士学校時代の実践訓練だけでいい。
「私はこっちよ! このウスノロ!」
「&$%~!!」
自分を奮い立たせ、害虫が完全にこちらを認識したのを確認後、私は身を翻す。追ってくるであろう害虫を背に、走る先は自分から見て左手側の森でも、右手側の拠点でもない。
北へ向かう。そこが私たちの戦場だ。
「%&##¥~!!」
「くぅうっ!?」
しかし、その目論見は早くも崩れ去ることとなった。思っていた以上に近く聞こえる害虫の咆哮に振り替えると、地響きを鳴らしてすぐ近くまで迫ってきていた。
私の足と、害虫の足の速度がまるで違う。
こちらの疲労が思っていた以上に速度を落としてしまっていたのか、それとも相手の速度が私をはるかに上回るのか。あるいはその両方か。
どちらにせよ、戦う場所を変えるなどもってのほか。私の作戦はただ、相手を引き付けただけの生贄の羊となっただけだった。
「ぐっ、ぅうっ!」
山を下りている時に、巨岩が上から転がってきたかのような地響きが全身を震えさせる。軽鎧越しにでも分かる程の圧に加えて、目論見が外れたことによる焦りと恐怖。
ふと脳裏に浮かぶのは、数か月前の同討伐任務における唯一の殉職者であるあの団長。花騎士を助け、両足があらぬ方向へとへし曲がった彼の悲惨な姿が私の恐怖を助長させる。
……あぁ、そうか。きっと彼は、あの大型害虫に轢かれたのだろう。
「&$%#~!」
「ふっ、うぅううううっ!」
地響きや圧に加え、背面全てに感じる咆哮に耐えかね、私は左手側に大きく跳ぶ。本当は拠点がある側ではなく、森の方へ誘導するのが正解だと思う。
しかし、その森の中にまだ団長たちがいると思うと、咄嗟の判断でつい反対側へと跳んでしまった。
跳んだ真後ろから咆哮と地鳴りが通り過ぎる。間一髪の回避に脳は痺れ、膀胱が緩む感覚に陥る。それでも身体はまだ動いた。
「ぐっ!? くぅうっ!」
二度目の地面との接触だったけれども、今回もすぐに起き上がる。頭を振り、下腹部に力を入れる。息を整えている暇はない。すぐに振り返って害虫の様子を確認する。
「!? #$&……$$%&#~!」
相手も流石に馬鹿ではないようであり、私の姿を見失ったのを見るや即座に旋回。巨体に似合わぬ身軽さを見せて再び私の方へと向き直る。
けれども、見れば相手も相当に疲弊しているようにも思えた。巨体故に身軽に見えるものの、地面を転がすというよりは抉るような無理やりの旋回だったからだ。
「……っは」
数か月に分けて行われた討伐任務。何度も襲撃を受けては花騎士を撃退し、傷ついた体。しかも今回はその討伐のすぐ後なのだから、疲労が蓄積しているのも当然と言える。……まあ、害虫に疲労という概念があるかどうかは分からないけれども。
とにかく。一度横に跳んだ私を見失ったのも、先程の回避に対応が間に合っていないのも、そういうことなのかも知れない。戦意が衰えていないことばかりに目がいっていたけれども、活路は見えた気がする。
私自身も疲弊しているとはいえ、相手をすると決めた以上はやるしかない。
「考えてみれば、それもそーよ、ね!」
恐怖を勇気に変え、震えを武者震いへと奮い立たせる。鞘から突剣を抜いて、私は害虫を見据えて構えた。
害虫もそんな私を見て、体を震わせる。似たような相手に何度も襲撃されれば、警戒して見せるのも不思議ではない。だからこそ、そこが狙い目だと害虫に向けて突剣の切っ先を向けたまま突進する。
「やぁああああぁぁっ!」
「%&!? $&%#~!」
大型害虫との正面衝突など、愚策でしかない。寧ろ、正気を疑われるだろう。
中には正面からやりあって倒し切る花騎士もいるとは思う。ブロッサムヒルでいうのならばサクラやウメ、モモ辺りならば、恐らくは。
けれども、私はそこまでの実力はまだないし、戦闘経験も少なすぎる。特に大型害虫を相手取るなど、今回が初めてだ。
私の装備である突剣も、あの装甲は貫けそうにない。打撃武器でもあれば話は別だっただろうけれども、ないものねだりしても仕方がないし、そもそも私は打撃が得意でもない。
だが、私にはライミ騎士団で培った、経験を元にした知識がある。それを元にして、この状況で私の取るべき手段は一つ。
「っ……ふっ!」
「##%!?」
衝突間近で、私は相手が先に伸ばしてきた右側の鋏に突剣の切っ先を当て甲殻を縫うようになぞる。その行き先に剣を身体ごと突っ込ませる。
相手の勢いをそのまま利用して、滑るように回避する。敵は攻撃の動作を止められた訳ではないので、即座に対応は出来ない。後はすり抜けざまに攻撃すれば。
「……っ!」
事前のイメージ通りに害虫の攻撃は紙一重で回避することが出来た。少し甲殻と鎧が擦る形にはなったものの、横をすり抜けることに成功する。
続いて先に空を切った突剣を横に振り、相手を斬りつけた。
「っ!? くっ!」
が、その剣から伝わった感触は堅い甲殻。避けることに集中し、前を見ていただけに無造作な攻撃となったのが仇になった。
「けどっ!」
完全に相手とすれ違いを確認した後で、私は確かな手ごたえを感じた。走る速度を落としつつ、足に負担が掛からない程度に旋回し、振り返る。相手もまた同じように急停止し、旋回しようとしているところだった。
「はぁっ!」
大型であるが故に、旋回には時間が掛かる。それを待っていられるほど悠長に事を構えてはいられない。害虫が旋回し切る前に、私は再び突撃する。
お互いに勢いを殺さずに走ったために、相手との距離はそれなりにあった。けれども、このまま走り切れば間に合う。
「これ、でぇ!」
「&%#!?」
害虫が旋回し切るのと同時に、私は接近に成功。そのまま先ほどと同じようにすれ違いながら、今度は甲殻と甲殻の間を斬りつける。今度は確かな手応えを感じる。固い繊維を何本か斬った感覚が剣を握る指に伝わった。
突剣なのだから、本当は突き刺す方が効果的だとは思う。けれども、突き刺したまま抜けない可能性を考えると、斬った方が確実にダメージを与えられるとも思った。
後はこれを相手が倒れるまで、こなすだけ。……こなせるかどうか、だけ。
「……ふっ!」
害虫の悲鳴にも似た咆哮を尻目に、私はある程度の距離を駆けてから振り返る。その際も突剣を構え、相手の突進の警戒を忘れない。
以前の私であれば、大型害虫に一撃を入れたことを手放しに喜んでいたかも知れない。しかし、今はそんな余裕はない。花騎士候補生の頃に行った実地訓練の時のように、周囲には誰一人としていないし、何よりもまだ相手を倒してもいない。
「……」
「……」
肩に力を入れての警戒だったけれども、害虫は鉄をこすり合わせるような音を出すだけでこちらを見据えているだけであった。けれどもその目は戦意を失っているようには見えない。
だけど私を警戒するような、見定めるような制止はこちらとしても好都合だった。
……戦意喪失して森に帰るのならば、その方がもっと好都合なのだけれども。
「……ふー」
害虫に気取られないように、ゆっくりと息を吐く。当然、相手から視線を逸らさないし、突剣の構えも解かない。
あの時切れてしまった緊張の糸をもう一度切る訳にはいかない。しかし、先程のような心身を削るような攻防を何度も行える体力が残っているかと自問すると、否の一言で自答出来る。
だからこそ、小休止にもならないこの一呼吸がありがたく思える。新しい空気が肺を満たし、状況を把握できるから。
団長は無事に作戦本部まで逃げ切れたのかどうか。確認する術は今のところないけれども、どうか無事であって欲しい。私がそう願うだけの時間を稼げているのであればいいのだけれど。生憎時間の感覚もよく分からなくなっているのが正直なところだった。
しかし、私の心はもう決まった。
絶対にお互い無事に帰還して、私は団長に私の決心を聞いてもらう。それくらいの我儘は聞いてもらう。
「$#%~!」
「っ……上等ぉ」
こちらの想いの上から塗りつぶすように、害虫の咆哮が全身を包む。
けれども先ほど感じた恐怖は私の中にはもうない。あるのは、覚悟とそれを成すための勇気と武者震いだけであった。
「やっ、あぁああぁぁっ!」
「$$%&!」
馬鹿の一つ覚えか。それともそれしか出来ないのか。地面を揺らし、先程と同じように突撃してくる相手に軸を合わせて、私も突撃する。
一歩、二歩、三歩。
害虫の速度とこちらの足の速さを目算し、タイミングを合わせる。後はさっきと同じようにすれ違いを狙うだけ。
「$#%!」
「なっ!?」
そして、突剣の切っ先が左の鋏に触れたのを見てから身体を左にずらしたところで、一瞬害虫の動きが止まる。鋏に当たった突剣は甲殻をなぞるように滑らすことが出来ず、また勢いを殺すことも逃がすことも出来なかった。
武器を離す訳にもいかず、かと言って走るのを止めることも出来ない。
「くぅうっ!」
まるで鉄壁にでも剣を思いっきり突いたかのような衝撃を前に、右腕が痺れ、肩に痛みが走る。それを嫌って、私は無理やり突剣を左方向へ逃がすことで対処する。
それからそのまま害虫の横をすり抜けようとした。
「##$&!」
「う゛っ、ぁ゛っ!?」
けれども右半身に強烈な衝撃を受け、その勢いのまま空を仰ぐこととなった。
それが害虫の体当たりによるもので、不意の攻撃で宙を舞う羽目になっていたことに気付くのは背中から地面に落ちてすぐのことだった。
「あぎっ!? っ――がっ、はぁっ!?」
頭こそ打たなかったものの、背中からの強い衝撃によって一瞬だけ呼吸が止まる。仰向けに倒れたことによって、肺の空気が全て押し出されるような錯覚を感じる。またそれと落下の衝撃によって、脳が混乱したのか、無理やり口を開かせて呼吸を再開させようとした。
「ひゅっ、ぎぃっ!? あ゛ぁ゛ああぁっ!?」
それにより、空になった肺に急速な空気が送られ、同時に思い出したかのように全身に痛みが走る。
逃げ場のない痛みを前に、本能が動かないようにと警鐘を鳴らす。
「あぎっ、ぁがっ……ぐっ!」
「$&%~っ!」
「っ!? ぐっ、ぅううっ!」
しかし、害虫の咆哮を耳にし、私は下唇を強く噛み締める。そうだ。ここで醜くのたうち回る訳にはいかない。そんな暇はない!
「ぅぁあ゛ああぁ゛っ!」
両手の指先に力を入れて土を掴む。その動きだけでも全身の神経が逆巻くような痛みが走るが、それをかき消そうと叫び声を上げながら無理やり上体を起こす。
「だぁ゛あ゛ぁああっ!」
「%%$#!」
そして、そのままの勢いで立ち上がる。初めてその段階で右手に握っていた突剣が無いことに気付くも、どこにあるかを確認する前に害虫の咆哮が背中越しから全身を包む。
「うぐっ……そう、よ、ね」
「&%#%~!」
痛みを堪えて振り返り、敵の姿を確認。同時にそれが三度私に向かって突撃してくるのも見えた。突剣がどこにあるかは、分からなかった。
相手が手負いだったこともあり、私でも立ち回って傷を負わせたこともあり、ほんの少しでも勝てると思ってしまった。
それが今の状況に繋がったかどうかは分からない。けれども原因の一つではあると思う。
「どこまで、やれるかは分からない、けど!」
徒手空拳。武器も、道具も、いつかは壊れて使い物にならなくなる。それが戦闘中の時もあるが故に、自分の身体を使って戦うのは最後の手段。
そう、騎士団の座学で習ったことをふと思い出し、構えを取る。
相手を制すのではなく、相手の攻撃をいなし続けるために。
一分でも一秒でも、時間を稼ぐために!
「$#%#!」
害虫が、私目掛けて突撃してくる。対する私は痛みもあって、構えるだけでその場から動かなかった。
単に突撃してくるのであれば、直前で大きく横に跳ぶ。タイミングを見誤ることがなければ、避けるのは容易なはず。鋏を使った攻撃であれば、ある程度の距離で突撃を止めるはず。尾撃は、先端部分が切断されていることもあって、まず仕掛けてこないだろう。
そんな思いで相手の挙動を注視する。速度は、変わらない!
「んぎっ!? ぃいやぁあ゛ぁ゛っ!」
相手との距離が縮まったところで、私は右横に跳ぶために一歩を踏み出す。地面を踏みしめた際に右足から激しい痛みが走るも、立ち止まる訳にもいかずそのまま跳躍する。
距離は思った以上に伸びない。けれども、痛みに耐えた甲斐あってか敵の追撃もない。回避には成功した。
「ぐっ!? ……ぐぅっ!」
だが、喜びは跳躍先の地面を踏みしめた際に雲散霧消する。両足に痛みが走り、ふくらはぎ、太もも、腰とそれが伝達される。
額や背中に嫌な感じのする汗が流れ出るのを感じた。出来ることならば、もうこれ以上動きたくないと全身が悲鳴を上げる。
「&%#$……」
「……」
痛みを我慢し、害虫へと意識を向けると、相手はもうこちらへと向き直っていた。もう少しぐらい休息が欲しいと思ったけれど、そんなことは害虫には関係ない話。
指先が震えるのが分かる。それでも相手をけん制するように手を前に突き出して構えを取った。
先ほどは回避できたけれども、次は回避できるかどうか。
そして、次を回避できたところで、その次はどうか。
「%$#~!」
「……はっ、はっ、はっ」
害虫が咆哮する。対する私は、痛みを誤魔化すように短い呼吸を繰り返すばかりだった。
どうしたらいい。どうすれば攻撃を避けることができるの?
一体全体、どうしたらこの状況を打破できるの?
「……くっそぉ」
先ほどまで確かにあった余裕や活路が雲散霧消する。それも、害虫の動作一つで逆転されたのだから、動揺を隠せない。
いっそのこと森に逃げ込んで相手を撒くべき?
……否、今の私であの害虫を振り切れるとは思えないし、そもそも相手がこちらを逃がしてくれるとも思えない。
そんな状況下でわざわざ視界も足元も悪い森に入るなど、それこそ死へと飛び込むようなもの。
「&%$!」
「っ!?」
害虫の咆哮と地鳴りによって、動揺や複雑怪奇と化した脳内の考えが消える。相手は真っすぐにこちらを目掛けて突っ込んでくる。対する私は棒立ちのまま、それを迎え撃つ形となってしまった。
幸い、今ならば距離は十分にある。また横に跳ぶべきか、それとも急停止を予想して横に逃げる動作で引っ掛けるべきか。
駄目。考えが決まらない。まとまらない。害虫の次の攻撃や行動が予想できない。……完全に追い詰められた。
「……」
予想が出来ない焦りと目前に迫る恐怖を前に、両足は震え、完全に止まる。害虫との距離は後僅か。
私は、ここまでだというの?
まだ団長に、何も、伝えられていないのに?
「アブラナ! 上だ!」
その時、後方から声が聞こえてきた。よく聞いた、男性の声だった。
「っ!? ~っ!」
「$%!?」
彼の声が耳に届くと同時に、私は視線を斜め上に向ける。
そこには今まさに振り下ろされようとしている切断面の見える尾があり、咄嗟に右へと跳ぶことでそれを回避できた。
轢き殺されるとすら思っていた害虫の突進はいつの間にか速度が緩んでおり、尾撃の後の追撃は確認できない。恐らくは、今の一撃のために制止したのだろう。
「団長!」
驚きと声を聞けたことによる安堵。それから隠そうにも隠し切れない喜びの声色を以て、私は声の主である団長の方へと振り返る。
……思わず、振り返ってしまった。
「アブラナ!?」
「ぇ? ――ぁがっ!?」
そして、驚愕の表情で私の名前を叫ぶ団長の姿を確認できたと同時に、私は右半身に強烈な衝撃が走った。
目の前の景色、団長がぼやけて、歪む。
「アブラナぁああっ!」
衝撃の勢いは止まらず、私は地から足を浮かして宙へと舞う。不意の一撃によって視界は完全に暗転し、反面思考を含めた脳内は真っ白になった。
辛うじて分かったのは、今の自分が宙に浮いていることと、そんな私を呼ぶ団長の声だけであった。
「っ!? ……ぁ」
続いて強い衝撃が左半身を襲うが、最早声も上げられなかった。視界だけでなく意識まで暗転するかのように遠のいていく中、私は何故か安心していた。
団長が無事だった。
それが分かっただけでも、今の私にとっては十分だった。
「俺の花騎士にぃ! それ以上近づくんじゃねぇええええっ!」
「っ……」
そして、これまでに聞いたこともない怒気の孕んだ団長の叫び声を最後に、私の意識は完全に途絶えたのだった。
※
※※
※※※
結論から言うと、あの後、私は助かった。
団長の話によると、私は振り下ろされる尾撃を回避した後、そのまま横に掃うような追撃に対処できずに吹っ飛ばされた。
その後は団長の時間稼ぎが功を奏し、他の騎士団の救援が来たのだという。その騎士団が他でもない、あのハチロク司令官だというのだから複雑な気持ちになったのは言うまでもなかった。
「はぁ~。ヒマねぇ」
あの日の救助任務から二日経った後の昼下がり。私は用意されたベッドの上で上体だけ起こし手持ち無沙汰となっており、退屈すらも持て余していた。
昨日の早朝に意識を取り戻した私の状態は、診断によると軽度の打撲や擦り傷、そして脳震盪だという。意識を失ったのは緊張の連続からの頭を打ったことによるものであり、症状が軽いとはいえ、私は三日の入院と治療。それから問診や検診を余儀なくされている。
今回の任務の功労花騎士ということもあって、私は個室を与えられた。それは良いのだけれども、無駄に広くて、無駄なものが何もない。同期の花騎士であるイチゴがロマンチックな恋愛物語の本を持ってこなければ、昨日一日は耐えられなかったと思う。
そもそも症状自体も世界花の加護のおかげで、それこそ病院内を歩き回れる程度に回復している。けれども大事を取ってか、外出は認められなかった。
「……ヒマねぇ」
ベッドの傍にあるイチゴが持ってきてくれた本に手を伸ばし、数頁めくる。
しかしながら、複数冊ある恋愛物語は全部読んでしまっており、生意気で自信家の花騎士が後の恋人となる騎士団長に食って掛かるシーンで本を閉じる。
……別に急ぎとかそういうのではないけれども。あの時、彼に伝えようとしていたことを思い出し、会いに行こうとベッドから降りる。
そう、別に団長を意識しているつもりはない。養鶏騎士団と揶揄されたこの騎士団に残る旨については、昨日何故かお見舞いに来たあの司令官には伝えてある。その話は既に彼の耳に届いているだろう。
「よいしょっとぉ」
だから別に、改めて団長にそのことを話す意味はない。けれども、私は彼がそのことについて理由を聞きたいだろうから、それに答えるために会いに行くのだ。
決して、彼に、会いたいなどと、思った訳ではない。
「……うん、よし」
今の私の姿は白の患者衣とはいえ、一応身だしなみを確認する。個室の壁際に設置された鏡の前で一度回って見せて、問題がないことに頷き、私は団長の病室へと向かうために部屋から廊下へと出た。
※
団長の病室は私と同じく個室とはいえ、花騎士用の病棟から一般病棟まで歩くこととなった。とはいえ、これは仕方のないことであり、私はリハビリだと思うことにした。
私の部屋から一度階段を下り、渡り廊下を歩き、そこからまた一階分の階段を上る。階段先の廊下を突き当りまで歩き、そこから右に曲がって二つ目の個室が彼に与えられた部屋であった。
「どうぞ」
個室の広さは私の部屋と同程度と考え、強めのノックをするとすぐに扉越しからぐもった返事が来た。
「入るわよ」
「っと、アブラナか」
扉を引いて中に入ると左手奥のベッドの上で団長が上体を起こしていた。私の姿を見るや、少し意外そうな顔をした後、バツが悪そうに視線を横に反らす。
「おや。お前の花騎士が来たということは、私たちはお邪魔だな」
「そうみたいですねぇ~」
彼の視線の先には二人の男女がベッドの傍に立って入室した私を一瞥し、男性の方は肩を竦めてみせ、女性の方は相槌を打った。
女性、というよりは私とそう変わらない年齢の彼女が花騎士であることは確認するまでもないことだった。
独特な杖を背負い、何故か枕とクマのぬいぐるみを手にした少女。透き通った橙の髪に綺麗なアメジストを想起させる瞳。一見すると寝巻……のように見える白と青を基調とした服装は花騎士のもので間違いはないと思われた。
対する男性の方は団長と年齢が変わらない見た目をしており、外に跳ねた浅く染めた緋色のショートカットに、夏の澄み切った空を想起させる瞳。身長からすると細身だが体つきはしっかりしており、黒色の長袖服に迷彩柄のようなズボンも相まって、端正な顔立ちに反して肉体派な印象を受けた。
二人は私を見るなりお互いの顔を見て微笑み、帰り支度をするかのようにベッドから離れようとする。
「おい。もう行くのか? 来たばかりだろうが」
「怪我人なんだろ? 大人しくしてろよ。それに、お前の無事を確認しに来ただけで、二人の時間を邪魔する程野暮じゃあないさ」
「友達がいのない奴め」
「減らず口が叩けるのならすぐ治るだろ。退院したら飲みにでも誘ってくれ。友達がいのあることはその時にでもしてやるよ」
「もちろん、『植木屋』の、お前の奢りだよな?」
「ウィンターローズまで来たらな、『養鶏』君。そうでないのなら、快気祝いはブロッサムヒルまでの交通費で差し引いて、いつも通り割り勘だ」
「……遠慮のない奴だな」
「気の置けない奴、と言ってくれ……お邪魔したね」
「ごゆっくりどうぞぉ~」
団長の呼び止めにも応じず、二人は仲睦まじく寄り添うように私の前まで来る。
それから扉の前からどいた私に対して会釈をすると、そのまま彼の方へと振り返ることもなく退室した。……なるほど。彼の言う通り、団長にとって遠慮が必要のない関係と言える。
あの人こそが、ハチロク司令官が言っていた、私の転属先の予定だった騎士団の団長。そして、団長の友人ということになる。
ウィンターローズの騎士団と聞いていたけれども、団長のためにわざわざブロッサムヒルにお見舞いに来るような間柄。ともすれば、今後も彼らとの関係は続いていきそうな予感がする。
普段、というには付き合いが短いけれども、団長の違った一面を少し見ることが出来たような気がして、私は少し頬が緩むのを感じた。
「……あー。まあ、なんだ。そんなところで立っていないで、話をするならもう少し近づいてくれ」
「分かったわ。『養鶏』団長さん」
「ぐぅ」
神妙な面持ちをした団長の言葉にからかうような返事をすると、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せた後、諦めるように大きなため息を吐いた。
そんな団長の様子を見るのが嬉しく、また彼が拗ねないうちに私はベッドの傍まで歩を進めた。
「無事でよかった」
「っ……それは、お互い様でしょ」
しかし、彼が身体をひねってベッドの奥から持ってきた椅子に腰かけたところで、不意の言葉を掛けられ、私は思わずそっぽを向いてしまった。先ほどの団長の顔のように、バツの悪そうな顔になっていたかも知れなかったからだ。
……ずるい。その言葉は私が先に言おうと思っていたのに。
「そうだな。お互い、無事で本当に良かった」
そんな私の心境を余所に、団長は何事も無かったかのように話を続ける。気まずい思いをしているのがこっちだけ、というのが嫌だったため、私も何事も無かったように装い口を開く。
「他の子たちも無事だったみたいね」
「あぁ。ガンライコウも、サギソウたちも。……後は、あの花騎士も、な」
「……うん。本当に、よかった」
団長の言葉はどれも私が目を覚ました際に司令官から聞いたものと同じだった。
けれども、それを団長の口から聞くことにより、改めて全員が無事に今回の任務を終えたという実感が湧いてくる。その喜びを噛み締めるように安堵と共に肩の力を抜いていると、彼が黙って私を見つめていることに気付く。
「な、なによ」
「いや、本当に。今回は色々とお前に助けられた。ありがとう」
また何か小言を言われるのかと身構えると、団長は顔だけでなく体もなるべくこちらを向くようにすると深々と頭を下げた。
「べっ、べつに! あたしはアンタのためにやった訳じゃあ……!」
「そうだったな。だが、結果として今回の任務に携わった者たち全員が生存できた。だから、ありがとう」
「うぅ……」
感謝の言葉も意外であれば、その真摯な礼も意外過ぎたため、つい顔を背けてしまう。
というか、さっきから私が言いたかったことを先に言われている。
団長が無事で良かったことも、あの時私の意見を聞いてくれたことの感謝も。こうして先に言われてしまうと、言い辛くなってしまう。
……ううん。以前の私なら先に言われたとしても、その後にちゃんと自分の言いたいことを言えていたはず。
それなのに。団長と一緒に死地を乗り越えて、こうして再び話し合えているというのに。
どうしてこう、上手く言葉が出てこないのだろう。
「ところで司令官から話は聞いた。ここの騎士団を辞めないそうだな」
「え? え、えぇ」
それどころか、まともに団長の顔も見られないと思ったところで話が変わり、彼の言葉に視線を戻しながらも頷いた。
騎士団を辞める、辞めないについては、私の中でハッキリと決まったことの一つだったので、既に終わっている話だった。けれども、それはあくまでも私の中で完結しているだけであって、団長からしてみればどういった心境の変化なのかを問いただしたいと思うのは当然のことだろう。
「理由を、聞いてもいいか?」
「それは……」
いつになく真剣な表情。答えをはぐらかしたり、誤魔化したりするのは許さないと言わんばかりの団長を前に、私は一度喉を鳴らす。
けれども、私は団長に対して何と言うべきか、答えに窮していた。
「それはその……あれよ」
「うん」
「あぁ。えぇっと……その~」
団長を初めて見た時から気になっていた。でも仕事の内容とそれを淡々とこなす姿に勝手に失望し、そんな仕事をする団長の近くにいるのが辛いで辞めようと思った。
それでもやっぱり気になっていたし、初めて見たあの時から実は団長のことを好きになっていたのを先の任務で思い出し、この騎士団に残る決心がついた。
団長の傍にいて、団長を支えたい。そう思ったから。
そして、今はまだ無理かも知れないけれども、いつかは彼を振り向かせたい。私のことを好きだと言わせてみせる。
「……」
「アブラナ?」
……いや、言えるわけないでしょ!
これじゃあほとんど愛の告白と変わらないじゃない!
というか、何で私がわざわざそんなことを団長に言わなくちゃあいけないのよ!
これで「お前の気持ちは嬉しいが……」とか言われてフラれたら私が馬鹿みたいじゃないのよ!
「はぁー……それはね」
「ああ」
……うん、落ち着きなさい。落ち着くのよ、アブラナ。
別に今、団長に告白する訳じゃあないのよ。ここはそう、花騎士としてのキャリアに傷が付くからという尤もらしい言葉で濁しておくのよ。
団長はこういう時、無駄に察しが良さそうだから訝しむだろうけれども、まさか「貴方が好きだから辞めたくないです」とか歯が浮くような言葉を伝えたくはない。
……でも、だからと言って団長に全くこの気持ちを伝えられないというのは、それはそれで寂しいし悲しいわ。
それに、私はまだまだ団長のことを知らない。そして、この「好き」という気持ちが本当にそうなのかどうかも分からない。
私はそれを知るためにも、団長のことをもっと知りたい。もっと一緒にいたい。もっと傍にいたい。また、それと同じぐらい私自身のことも知ってもらいたい。
「……あんたをあのまま、放っておけなかったから」
だから私は、それこそ自分でも驚くほど小さな声になってしまったが、まずは真っ先に思った言葉をそのまま口にした。
恋とか愛とかを抜きにすれば、一番気になったのはやはり団長の内面のことが気になったからだ。
誰からも理解されず、誰からも支持されず、誰からも望まれず、そして誰もやりたがらない。時に人を助け、時にその助ける対象である人を介錯するという矛盾した仕事を続けていれば、いつか人の形を保ったまま壊れてしまう。
団長のことを好きになったから、というのもあるけれども、見知った人が壊れかけていることを知ってしまった以上、この私が見て見ぬふりを出来る訳がなかった。
「……」
「……」
団長の顔は見えなかったし、顔は火に炙られたかのように熱かった。今の言葉に対する彼の反応が知りたいと思うのに、自分が期待していた反応とは違う反応をされるが怖い。
けれども、これが今の私が言える精一杯。これ以上口を開けば、また素直になれない部分が出てしまって、誤解を招くことになるかも知れない。
今の言葉以上の理由を追求されたとしたら、後は先ほど考えたように言葉を濁す。そう思って彼の言葉を待った。
「……アブラナ」
「……っ」
一秒か、十秒か。一分か、十分か。
体内時計が狂うほどの間を置いた沈黙の後、団長はゆっくりと私の名前を呼ぶ。それはまるで、廊下を歩いているこちらを見かけて声を掛けるような、そんな優しい声色だった。
だからこそ、怖かった。
私の気持ちが伝わったのかと思う反面、その気持ちに答えられないからこその優しさなのか。団長は優しいからこそ、今の仕事に神経を擦り減らし、疲れ切っていた。
そのため、私のこの想いを否定する時も、今のように優しく話しかけてくるのかも知れない。
そう思うと、顔を上げて彼の顔を見るのも躊躇われた。
「すまん。よく聞こえなかった。もう一回言ってくれ」
「……は?」
しかし、こっちの勝手な杞憂を余所に、続く言葉は驚くほどに拍子抜けするものだった。
団長の言葉を聞き、一瞬その意味を理解できず、顔を上げる。私の視線の先にはいつもの顔をした彼がおり、こちらの言葉を待っているかのように口を閉ざしていた。
「はぁあああっ!?」
だが、団長のその態度が逆に私の緊張の糸を切った。気づけば身を乗り出して大声を出していた。眉もつり上がっていたように思える。
……私も悪いのは分かっている。勝手に頭の中で色々と考え、やっとの思いで口にした言葉が小さいともなれば、彼の耳に届かなかったのも仕方がない。
けれど、けれどよ?
乙女心を理解しろとまでは言わないけれども、もう少しこう、こっちの気持ちを汲んでも良くないかしら?
いや、というか聞こえなかったのならもっと申し訳なさそうな顔をしなさいよ!
「アブラナ。病院で大きな声は……」
「大きな声を出させているのはアンタのせいでしょーが!」
「? いや、何をそんなに怒っているんだ?」
「っ!? ~っ! このバカ! あんぽんたん! 鈍感男!」
眉根を寄せて小首を傾げる団長に、私は勢いよく椅子から立ち上がり罵詈雑言を浴びせる。こちらの怒りと憤りをぶつけられた団長はますます眉間のしわを深くし、困惑しているように見えた。
あぁ、もう!
私はどうしてこんな人を好きになってしまったのか。どうしてこんな鈍い男なのに嫌いになれないのか。
真面目に告白しかけた私が馬鹿みたいじゃない。
「とにかく、あたしはこのまま騎士団に残るの! 何か文句でもある!?」
「あ、あぁ。文句も問題もない、が」
「ならそれでいいわね!」
「アブラナ、一体どこへ?」
「自分の病室に戻る! お邪魔したわね!」
そう言って、扉の取っ手へと手を掛けたところで我に返る。
これでは駄目だ。一人で勝手に盛り上がって、空回って、気持ちを汲んでもらえずに憤る。
それでは今までと何も変わらない。せめて、せめてそう……何か団長に伝えないと。ちゃんと私の何かを伝えないと。
頭の中で言葉が上手く整理できない。かといって、このままでは勢い余って廊下に出てしまう。
ええい、ままよ。
そう思って私は取っ手を握ったまま振り返る。
「いいかしら!」
「うん?」
「あたしは絶対に、アンタを振り向かせてやるんだから! 覚悟しておきなさい!」
「お、おう……?」
「それじゃあ!」
私の言葉に遠目にもはっきりと分かるぐらいに疑問符を顔に浮かべていた団長を尻目に、今度こそ勢いに任せて部屋から飛び出す。
近くに誰かいたら迷惑だったろうけれども、幸い廊下には誰もいなかった。
「……」
足早に廊下を歩き、わざと音を鳴らすように階段を下りる。それから無言のまま渡り廊下の真ん中まで歩いたところでようやく足を止められた。
「うっ、わぁああああぁぁ……っ!」
それから周囲に人がいないことを確認した後で、顔を両手で覆ってからその場にしゃがみ込んだ。
言った。言ってしまった。
頭の中で言葉が整理できなかったとはいえ、勢いに任せてつい言ってしまった。
散々、告白のようなものはしないと心に決めておきながら、結局伝えてしまった。ここが渡り廊下ではなくて自身の病室のベッド内であれば、間違いなく悶えてもがいていたと思う。というよりも、今も似たようなものだと思う。私の自尊心が許すのならば、今この場で寝転がって駄々をこねるように手足をばたつかせたい。
顔どころか、耳まで熱い。頭の中は熱によって今にも蕩けそうな気分だった。
団長からしてみたら、生意気な新人が自分を認めさせると息巻いているように見えたかも知れない。それならそれで良いけれども、でもやっぱり私の気持ちが届かなかったという意味でもあるからそれならそれで良くもない。
けれども、素直に告白と捉えられたら?
「それでも良いけれども、やっぱり良くはないぃ!」
明日以降、一体全体どういう顔をして団長と会えばいいのか。
「うぅ……」
いずれにせよ、私は自身の気持ちをハッキリと彼に伝えた。そして、私自身の気持ちも改めて自覚した。
ならば、先程の言葉を彼がどう捉えたとしても、こちらのすることは変わりない。
私の実力を団長に認めさせ、私の魅力も彼に認めさせる。
そのために、団長の、彼の騎士団に残ることを決めたのだから。
「……よぉし。見てなさい」
今一度状況を整理した後に、自身を落ち着かせる意味も込めて深呼吸する。
それから気合を入れるために両手で両頬を二度叩く。顔を上げて、正面を向いて、立ち上がる。自分のことで陰鬱な気持ちになるなんて、それこそ私らしくない。
「鶏口なれど牛後となるなかれ、ね」
気持ちを切り替えたところで、ふと思い起こされるのは以前の司令官の言葉。その言葉を口にし、私は自分の病室へと足を踏み出した。
私はその言葉の通り、他の騎士団へと移って末端の花騎士になるよりも、今の騎士団を代表する花騎士になる道を選んだ。
それが良いことなのか、悪いことなのかは、分からない。自分の恋のために、目の前にある栄光を蹴ってしまったのかも知れない。
けれども、この選択に後悔などない。
それに、花騎士としての栄光も、私自身の恋心も。そのどちらも諦めるつもりは毛頭にない。
私、アブラナという花騎士は我儘なのだから。そのどちらもいつかは手にして見せる。
それこそ、かつて読んだ絵本に登場する花騎士が、花騎士としての栄光と、勇者の愛の二つを手にしたように。
終わり
参考文献
・映画「イノセンス」
・単行本「ニワトリと暮らす」
・単行本「自給養鶏Q&A」
・単行本「生き物の死にざま」
・事典「死を考える事典」
元ネタとなってくださった団長の皆様方(敬称略・順不同)
・アブラナ団長
・ハツユキソウ及びヒツジグサ団長
・オジギソウ団長
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。