もう青い鳥は飛ばない   作:チバ

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まだ

 

 たまに夢を見る。

 私がジャングルジムを登る夢。入り組んだ鉄の棒を掴んで、登る。ただそれだけの夢。でも、ただの一度もてっぺんまで登ったことはなくて、見える景色は鉄の棒に遮られて僅かに漏れる陽の光だけ。

 てっぺんには何があって、何が見えるんだろう。そんなことを思って、あと少しってところで、いつも決まって夢から醒める。

 はぁ、またか。

 そうやって私は夢を過ごす。

 あと少しで見えたはずのテッペンに想いを馳せながら、どうしようもない世界がまた始まる。

 

 世界の終わりでも来ればいいのに。

 

 そうやって、今日もバスを待つ。

 

 

* * *

 

 

「浅倉」

 

 そう声をかけられたのは学校の廊下でのことだった。茶色い髪の、派手なメイクをした、背の低い女子が取り巻き二人を連れて私ん睨んでいた。

 

「なに?」

「おまえ私のシュシュ盗っただろ」

「知らないよ」

 

 本当に知らない。彼女がどんなシュシュをつけていたかなんて、まったく興味がない。

 

「嘘つくなよ。私のトモダチがおまえが取ったのを見たって言ってんだよ」

「見間違いでしょ。本当に知らないよ」

「正直に言えよ。盗ったんだろ」

 

 いくら否定しても食い下がって噛み付いてくる。まるで土佐犬みたいだ。そういえば、ちょっと顔似てるかも。

 いつまでも捕まったままになるな、これ。

 

「ごめん、次授業あるからさ。また今度話聞くよ」

 

 本当にあなたのシュシュなんて知らないけどさ、と心の中で舌を出す。「じゃ」、と手を挙げてそそくさと廊下を駆ける。背後から彼女とその取り巻きたちの怒号が響いている。

 

「浅倉ァ!廊下走んなァ!」

 

 すれ違った盛岡先生が鬼のような形相で怒鳴る。

 

「ごめんなさーい!」

 

 そう言っても速度を緩める気なんてない。教科書を片手に教室に入り始めているみんなは、街中を走る猪を見るような視線を私に向けている。

 私のクラスの教室を通り過ぎたところで、さて何処へ行こうか、と走りながら考え込む。教室で素直に授業を受ければ、評価が減点されることはなくなるけど、シュシュを失くした派手女子の待ち伏せに合うだろう。それだけは勘弁したい。

 階段を一段飛ばしで駆け上がり、踊り場で少し休憩をする。たまたま踊り場で話し合っていた隣のクラスの…名前は忘れた…女子生徒が、500mlの紙パックのコーヒー牛乳を飲みながら、私に「ど、どうも」と声をかける。この娘もサボりだろうか。

 

「こんにちは。ごめんね、驚かせちゃった?」

「う、ううん。気にしないでいいよ。あ、もう授業だ。じゃあね、浅倉さん」

「うん、バイバイ」

 

 危なっかしい駆け足で階段を降りて、教室へと向かっていった。

 壁に背を預けて、熱った体をコンクリートで冷やす。袖をまくった腕に壁がくっついて、気持ちがいい。

 

 さあて、続きだ。

 これから何処に行こうかな。ドラマみたいに屋上に行って早飯をしたいところだけど、屋上は生憎と封鎖されているし、そもそもお弁当は教室にある。

 じゃあ、保健室。いやダメだ。最近体育の森島先生に目をつけられて保健室も見回りの対象内になってるんだ。

 図書室?いい案かもしれない。本がいっぱいあって暇をしないし、静かで落ち着く。いやでも、職員さんから何か報告をされて図書室出禁になってしまっては今後困る。

 

 じゃあ、ここの踊り場にいよっかな。

 コンクリートは冷たくて涼めるし、小窓から陽も当たっていて気持ちがいい。……ああでも、見回りの先生に出会す可能性が一番高い。困ったな。

 

 仕方がない、一番マシな図書室に行こう。

 冷たい感触に名残惜しさを感じながらも立ち上がる。クルーっ、と可愛らしい鳴き声が聞こえた。ふと踊り場の小窓に目をやる。キジバトが小首を傾げて、私を見ていた。

 

「……何?」

 

 私の問い掛けに、ハトは右に小首を傾げて答える。

 キジバトは、童謡の青い鳥のモデルになったとされている。そんなことを、中学の国語の授業の時に聞いたことがある。

 

「だったら、幸せの在り処を教えてよ」

 

 涼めて静かで、ついでに何か美味しいご飯がある所とか。

 そう念じると、キジバトは羽を広げて飛んで行ってしまった。追いかけて小窓から外を覗く。あのキジバトは、学校を出てずっと真っ直ぐのところにある公園の方角に向かっていた。

 

「マジで?」

 

 そこに行けってこと?学校から出るの?みんなが授業受けてるっていうのに?幸せを呼ぶ鳥だっていうのに、随分と非行な道に引き摺り出そうとするじゃないか。

 まあでも、面白そう。

 

 音を立てないように、できる限り足早で下駄箱まで向かって、履き親しんだローファーに履き替えてまた駆け出す。先生や、授業を受けてるみんなに学校の外に出るのがバレないように、少し遠回りして、裏庭の2メートルぐらいのフェンスをよじ登って外に出る。

 真っ直ぐな一本道を走って、たまに電柱に手をついて休憩をしつつ、息を整えたら、さっきよりも少し軽めに走り出す。公園の入り口の車止め躱して、平日の昼間の公園に辿り着く。

 本当に来ちゃったよ。

 罪悪感と、濁った水のような開放感を覚えながらベンチに腰を下ろす。さっきのキジバトはもういない。たぶんどこかで人が落とした食べカスを口にしているのだろう。お疲れ様。

 辺りを見回せば、子供連れの主婦と、幼稚園生ぐらいの子供たちだ。子供たちはブランコに揺られたり、意味もなく追いかけっこをしている。主婦の皆様は、この時間にベンチでまったりとくつろいでいる私を訝しみの目で見ている。

 そんな目で見ないでよ。公園ってみんなのものじゃん。

 

「あ」

 

 そこで気づく。この公園にはジャングルジムが無いことに。成長期の訪れてない子供達にとって、自分の力で目線を高くできる、あのジャングルジムが無い。

 気の毒に。

 目線が高くなれば、見える世界は違くなる。たとえてっぺんまで登れなかったとしても、そこに至るまでに見上げる空と、見えないてっぺんはとても綺麗でワクワクするというのに。

 まだ少し冷たい風に当たりながら、肩足のローファーを脱いで、そのローファーを足先で遊ぶ。側面で立たせようとするけどうまくいかない。ローファーをペン代わりにアンパンマンの顔の絵を描いてみたりする。バランスの取れてない歪なみんなのヒーローの出来上がりだ。そのアンパンマンに、一つのシミがかけられた。

 おや、と空を見上げると、灰色に姿を変えた空から一滴の水が私の頬をかすめた。予報ハズレの雨に顔をしかめる。気づけば辺りにはさっきの主婦と子供達は姿を消していて、私一人しかいなかった。

 雨は秒刻みで強くなっていって、クリーニングから解放されて一週間の制服を容赦なく濡らしていく。髪の毛先から滴り落ちる水滴が手の甲を濡らす。

 さすがに帰ろう。立ち上がろうとすると、身体中を濡らしていた雨粒が途端に止まった。見上げると、そこには黒い傘を私に向けてさしてくれている男性がいた。

 

「何してるの、こんな日に」

 

 男性は気さくに声をかける。少し遅れて私は「どうも」と返す。

 

「サボりです」

「サボり?」

「はい。幸せの青い鳥に連れられて」

「へー。でもこれじゃあ幸せじゃなくて、ツいてないね」

 

 確かに、たまたま訪れた公園で雨に濡れるなんてツいてない。授業をサボったバチだと言われればぐうの音も出ないけれど。

 男性は穏やかに微笑んで、傘を再び差し出す。

 

「あげるよ」

「いや、でも」

「いいよ安物だし。あ、僕のことなら心配いらないよ。ここのすぐ近くだから」

 

 さすがに悪い。そもそもは私が授業をサボらなければ雨に濡れずに済んだ話だ。目の前の、名前も知らない彼に良くしてもらって良いはずがない。

 

「ほら、行った行った」

 

 強引に傘を私に握らせて、彼は駆け出す。バシャバシャと弾かれた水が、彼のダボダボのジーンズの裾に紺色のシミを作る。

 

「あの、名前!」

「ん?」

「名前教えてください。返すので、これ」

 

 足を止めた彼は、濡れた長い前髪を手櫛で軽く分ける。

 

「入江だよ」

 

 と短く呟く。そして手を上げて、また駆け出して去って行った。

 お人好しな人だ。

 濡らされている遊具を眺めながら、心の中で呟く。雨は勢いを止めず、土をグシャグシャにして、アスファルトの穴に小さな池のような水たまりを作る。

 

「帰ろっか」

 

 大きな黒い傘を携えて、素直に学校に帰った。

 

 

* * *

 

 

 翌日、私は授業を再びサボった。4時限目まで受けて、お昼休みのうちに体調が悪いと嘯いた––––––昨日の雨に濡れたせいで本当に熱が少しあったから、先生たちはすっかり信じて私を送り出してくれた。

 晴れている中、大きな黒い傘を片手に学校を出た。昨日と同じ道を辿って、公園の前に着いたところで、入江さんが走っていった道を指差して確認する。

 果たして彼を見つけることができるのか、天文学的な確率だと思うけれど、忘れないうちに返しておきたい。それに平日の昼間に公園に来るような人だ、街中を歩いていても何ら不思議はない。

 そう信じて歩き始めて数分。彼は思っていたよりも早くに見つかった。商店街の中の小さなコロッケ店。そこで彼はコロッケが入っているのだろう、ビニール袋を受け取っていた。若い女性の店員と少し談笑をしていたようだけど、やがて別のお客が来て、彼の方が気遣って軽く頭を下げて足早にその場を後にした。

 

「あ」

 

 私を目にして、幽霊が出たとでも言いたげな声を出す。

 

「どうも、昨日ぶりだね」

「どうも。はい、確かに」

 

 よく見てみると、彼は意外と背が高かった。一八〇はあるだろうか。肩幅は広いけど、贅肉は付いてなくて、どちらかというと細い。ぶかぶかのクリームカラーのニットトレーナーを着ているのもあるのだろうけど、どこか包容感を覚える。長い前髪から除ける少し垂れた目を細めて、私の持っている黒い傘を指差す。

 

「それ」

「はい。これ返しに来ました」

「こんな昼間に?」

「そうです」

「またサボり?」

「今回は、ちゃんと先生に言ってます」

 

 理由は不純だからサボりだけど。

 

「成績、大丈夫なの?」

「うーん、たぶん大丈夫」

「ならいいんだけどさ」

 

 彼の持つビニール袋から良い香りがしてきた。そういえばまだお昼ご飯を食べていなかった。入江さんを見つけて安心したところで、忘れていた空腹感が踵を返したのだ。

 私のビニール袋へ向けられた視線に気づいたのか、「お腹空いてる?」と苦笑した。

 

「はい、お昼ご飯まだ食べてなくて」

「お弁当は?」

「あります。ただ今の時間に家には帰りたくないな」

 

 二日連続早退じゃ母もいい顔はしないのは火を見るよりも明らかだ。

 

「そっか。君」

「浅倉透です」

「浅倉さん、古着って興味ある?」

「古着…」

 

 自室のクローゼットの中には何着か眠ってはいるけど、一段と興味があるわけではない。

 

「まあ、それなりに」

 

 そう言うと彼は微笑んで「ウチの店来ない?」と明るい声で誘う、

 

「ウチの店?」

「僕が働いてるの古着屋なんだ、ここからすぐ近くのさ」

「へー、面白そう」

「休憩所もあるし、そこで食べれば?」

 

 長い前髪を人差し指で掻き分けて「店を広めてくれると助かるし」と付け加える。古着は私の趣味というわけではないけれど、友達に「ここにいい古着屋があるんだよ」と教えれるし、実際に古着が好きな友達もいる。

 

「じゃあ、案内してもらいます」

「うん、じゃあ付いてきて」

 

 入江さんの背後をついて歩く。背の大きい彼の後ろに立つと前が彼のオーバーサイズのクリームカラーのニットトレーナー以外に何も見えなくなる。私はどちらかというと背が高い部類に入るので、こういう感覚は新鮮だった。

 だから前が見えないから、彼が止まったことにも気付くのに少しラグがあるわけで。

 

「あてっ」

 

 彼の背に鼻をぶつけたと同時に、そんな空気の抜けた風船みたいな感触の声を上げてしまう。

 

「あ、ごめん」

「いえ、気にしないでください」

 

 鼻が少しヒリヒリする。くしゃみが出そうにもなったけど寸前のところで我慢して息を吸う。

 

「ここここ。ウチの古着屋」

 

 彼が指差す先には、ここの商店街でよく見る風貌のお店だった。店の前にはキャリー付きのカートに靴が積まれていて、九九〇円と破格な値段で売り出されていた。気になるデザインの靴は無かったけど、なんとなくお店の雰囲気が掴めた気がした。たぶん、最近よく見る全国展開型のリサイクルショップよりも近寄りやすい気がする。

 

「ささ、どーぞどーぞ」

「お邪魔しまーす」

「いらっしゃいませ」

 

 私を出迎えてくれたのは初老の男性だった。赤と黒のチェックシャツと黒いジャケットがよく似合うステキな人だ。

 

「どーも。あ、お客じゃないんです、すいません」

「お客じゃない?」

「浅倉さん、この人はここの店長兼僕の父親。父さん、この人は…」

「浅倉透です、はじめまして」

「はじめまして。礼儀正しい子だ」

 

 私に人の良い笑みを浮かべると、入江さんにはギロっと厳しい目を向けた。「じゃ上でお昼ごはん食べてるよ」とお父さんの機嫌を伺うように微笑みを浮かべたまま私の背を押してお店の奥にある階段を登らせる。

 お店の中は芳香剤の香りで溢れていて少し頭が痛くなったけど、二階に辿り着くと少し香りが和らいでいくらか気が楽になった。踊り場で手摺りにもたれながら店内を見下ろしていると、奥からひとつ手前の部屋の扉を開けた入江さんが手招きをして私を呼んだ。

 

「この部屋って?」

「休憩室。奥が父さんの部屋で、ここの斜め目の前の部屋が第二倉庫…という名の空き部屋。第一は下にある」

 

 休憩室は六畳ほどの畳部屋で奥手に流し台と小さな冷蔵庫が並立してある。真ん中にはステレオタイプなちゃぶ台が無造作に置かれていて座布団が4枚、これまた無造作に置かれていた。部屋の隅には小さな白いラジカセと、赤色のナイキのボストンバックが寂しげに影を被っていた。入江さんは冷蔵庫から五〇〇ミリリットルのペットボトルの烏龍茶を取り出してちゃぶ台の上に置く。どうぞおかけになって、の合図らしい。

 

「じゃあ…失礼します」

 

 彼と対になる形で腰を下ろして、鞄からお弁当箱を取り出す。今日の献立は白米に朝ごはんにも出た焼き鮭、プチトマト二つにポテトサラダ、大学芋の計五種類だ。彩鮮やかでいかにもお弁当という感じ。今日は当たりな日だ。

 

「コロッケ食べる?」

「いいんですか?」

「うん、僕あまり食べないから、半分くらいなら」

「いただきます」

「そのコロッケ、お気に入りなんだ、僕の」

「あ、美味しい。…うん、私も気に入りました」

「ホント?」

「はい。お母さんが作るやつに一歩及ばないけど、すごい美味しい」

「手強いね、お母さん」

「そりゃあ胃袋掴まれて十六年だから、逆らえませんよ」

「勝ち目なしじゃん」

「でも美味しいのはホントです。今度個人的に買いに行きます」

「ん、そうしてそうして」

 

 そんな、当たり障りのない、バケツに溜まった水道水みたいな会話をただ繰り広げた。水道水みたいに味気がなくて、重さもなくて、軽くもない。触れてもただ触れたという事実しか残らない程度の、そんな会話。

 入江さんの方が先に食事を終えて、パックと割り箸をゴミ箱に放り込んだところで、部屋の隅にひっそりと佇んでいた小さな白いラジカセを手に取った。

 

「浅倉さんって音楽聞いたりする?」

「んー、人並みに。流行りモノからは少し逸れてるかも」

 

 食事中の会話で少し敬語が解けてきた。入江さんも特に気にする様子もないので、少し敬語を抜いたりしながら話す。

 入江さんはナイキのボストンバックからCDを取り出してラジカセにセッティングする。しばらくノイズ混じりの音が鳴っていた(私はこの雑音が好き)。するとギターの綺麗なサウンドが鳴り始めた。

 綺麗なギターのサウンドだ。けれど漂うのはモノクロな世界で希望から後ずさっているような、そんな、どちらかというと暗い雰囲気。ギターの音は綺麗で、メロディーもキャッチーなのに、そこに希望という言葉がない。

 

「この曲好きなんだ」

「綺麗なギターの音」

「ギターもいいし、全部いい」

 

 しみじみと、初めて聞く穏やかな声で笑う。

 サビだろうか、一段とキャッチーなメロディーだ。

 

 すばらしい日々だ

 力溢れ

 すべてを捨てて僕は生きてる

 君は僕を忘れるから

 その頃にはすぐに君に会いに行ける

 

 ネガティブとポジティブが入り乱れた、嵐の後の川のような歌詞だ。ポジティブが入っているけど、結局後味はネガティブで、思わずため息を吐いて缶コーヒーをひと飲みしたくなるような感じだ。

 

「不思議な曲」

「だから好きなんだ。希望を歌ってないのに、絶望も歌ってない。ただただ世界はすばらしいと歌ってるだけなんだ」

 

 この曲に対してはネガティブな曲だという印象を抱いた。でも、大好きな曲でもあった。愛や友情を歌うよりも、こっちの方が寄りかかりやすい。

 

「私、入江さんと音楽の趣味合うかも」

「ホント?」

「うん。だって、この曲好きだし」

「それは、嬉しいな」

 

 入江さんは、気の緩んだ、言ってしまえば幼い笑顔を浮かべた。口角の筋肉が緩みきっていて、今までの大人っぽさが嘘みたいだ。

 

 へー、意外。

 

 彼はボストンバックに手を突っ込んで新しいCDを探している。その後ろ姿も、さっき見た時よりも小さくて、無邪気に見えた。

 

 こういうところ、あるんだ。

 

 いわゆるギャップというやつに興味が湧いて、彼の緩んだ笑顔をじっと見つめていると。

 

「もしもし」

 

 と、部屋にノック音が飛び込んできた。扉を開けたお父さんが、入江さんを呼んで「そろそろ休憩終わり」と手短に伝える。

 入江さんは子供のように口を尖らせながらもナイキのボストンバックから乱雑にCDを何枚か取り出して、私に差し出す。

 

「これ、よければ聞いて」

「え、いいんですか?」

「うん、返すのは今度でいいから。とりあえず聞いてほしい。趣味合う人初めてでさ」

 

 文法がおかしいけど、きっとそれだけ興奮しているのだろう。私は差し出されたCDを全部引き取って鞄に詰め込む。

 

「帰ったら聞いてみます。感想は……そうだな、ここで」

「うん、是非」

 

 それから彼は今日会った中で一番の陽な声をあげて私を見送った。「またね」なんて、あんなウキウキした声で言われたらこっちも近いうちに来てしまいたくなる。

 お父さんが丁寧に客でもない私に頭を下げてくれていて、少し申し訳なかった。今度はここにもう何人か連れて来ようかな。

 そう思ってメッセージアプリを開いて友達にメッセージを打とうとしたところで、指が止まった。

 

「……なんか、なぁ」

 

 今日、あの部屋で繰り広げた水道水のような会話を思い出す。

 ここのお店のことを––––––というよりも、彼を、入江さんのことは、私の胸の内にしまいこんでおきたかった。外に出したくないし、他人に知られたくない。

 何もやましいことなんてないし、なかったのに、誰かに話そうとすると、胸の動悸が激しくなって指先がチリチリし始める。

 

「……また今度、ね」

 

 そのままスマホの電源を落として、帰路に着いた。

 気がつけば、もう下校時刻だ。

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