五章 21話『非日常の侵蝕Ⅰ』
七月一日 午前八時 四十七分 東第四泊地、執務室にて。
未曾有の事件から数時間。たった一夜で死者は百名近くに上る。資材こそ余裕はあるが、それでも艦娘である彼女達の装備倉庫が燃やされた現在では危機的状況である。その事実を知った月見は報告に来た不知火に何度も確認する。
月見「……」
不知火「提督、大丈夫……ではないですよね」
月見は少し焦げ付いている椅子に座って足を組み、考えがないか思案している。ぼそっと小さな声で「他のところに応援を――」と言いかけたところで強く弾かれるようにドアが開く。「昨日始まった事件だ。他の鎮守府、泊地も応対していることだろう」と顔色の悪いグラーフが室内に入ってきた。
月見「グラーフ……他の子たちの状況は?」
グラーフ「信じられない事に全員、生きてはいます。ですが中には意識の戻らない者もいました。呼吸は安定しているのに意識だけ戻らない。医療物資や人員が手薄なこのとき……再度、あのような怪物が攻めてきたら――」
月見「確実に死ぬ、でしょう?」
グラーフ「はい。だが、先ほどの変質者……が駆け付けて来てくれたら。いえ、そんな甘い考えは捨てるべきだな。申し訳ない」
月見「いえ、仕方ないです。あのような常軌を逸脱している怪物と善戦できる方に救っていただいたこの命。なんとしても、次へ」
『そんなことがあると思う?』
バカにするひと言と共にクスクスと笑い声が部屋中に響く。その声の主が誰かを知っている三人は顔を強張らせて声の発生源を探っている。
『アハハハハハ……驚いた。あのキメラが一体も息をしていないなんて!元は人間だから無理矢理に縫合したのがいけなかったのかな?一晩も越せないほど脆いなんて。私は思わなかったよ』
そう言葉が耳に届くもどこにもいない。月見はとうとう現実離れした出来事に精神が病んでしまったのか、と思っていた。しかし拍手が二回、室内に響く。それはグラーフの後ろであった。そこにいたのは白色のフードのついたコートを着た不知火と変わらない背丈の少女。
その場にいる全員が表情を探ろうにもフードを目深に被っているせいで無駄なのはすぐに分かった。しかし月見の知る人物の姿と異なるので少女の顔を確認すべく、椅子から降りて少女の方へ進もうとしたときだ。
アイリ「おっと、それはいけない。この娘の正体はまだ明かすわけにはいかない」
月見と少女――カインの間に立つようにして現れたのはアイリであった。しかしアイリの顔には
月見「! あなたはアイリ……一体何処から!? それに隣にいる少女は――」
アイリ「やぁやぁ、月見提督。私自らが作ったお人形を使ったお遊戯会は楽しんでくれたかな?
月見「ふざけないで! あなたの所為でどれだけの職員の方が傷ついて犠牲になったのか、分かるんですか?それにあの方がいなかったら……今頃」
アイリ「あの方?それは――あぁ彼か。彼の所為でここに配置した人形は影も形もないのか。んー、納得したしこの有様を理解したよ」
月見「なにを言っているの……グラーフ! 応援を呼んで! 今ならまだ拘束は出来るはずだから」
アイリ「ふ、拘束ね。いいよ、動ける艦娘でも職員でも連れてきたらいい」
月見「この場で自首をするんですね? ……いい判断だと思います。法廷で裁かれてください」
部屋内でまったく動かないカインとアイリを拘束するべく、月見はグラーフと不知火に頼んで動けそうな職員、艦娘を見かけたら集まるようにと命令をした。命令を受けた二人は顔を見合わせて頷き、それぞれでどちらを分担するか話し合いながら退室していく。
アイリ「あーあ、ほんとに出て行っちゃったね。いいの? 気が変わって殺されちゃうかもよ? それに私の事が怖くないの?」
月見「なんで当たり前の事を聞くのですか?……怖いにきまってます。でもあなたに殺された挙句、生き人形みたいにされた職員の皆さんの苦痛と比べたら私はまだマシだと思います」
アイリ「ふーん? 既に死んだ人間のことを労われるなんてあなた、みんなに大事にされてそう。正直、すこしだけ羨ましい。私だって、こんなところに行きつかなければもっとマシな人生だったと思う」
月見「こんなところ?それはどういう意味ですか」
アイリ「そのままの意味さ。んー、これを言っても言わなくても変わらない、か。月見提督には特別に話してあげる。私とそこの子がどうしてここにいるのか。まぁ話し過ぎても結末は変わらないでしょ」
月見「……同情を誘うつもりなら、先に無駄だと言っておきます」
真面目な表情でそういう月見の顔を見てアイリはわざとらしく「そんなんじゃない。ほんとうに私の気まぐれ」と声のトーンを少し落として話し始めた。元々異世界に住んでいた、と詰まらなそうに身の上を口にした。どの話しも月見には冗談に聞こえたがアイリは本当のことのように続けた。
小面を着けているアイリの表情は分からないが、突然、フードを目深に被っている少女が鼻を啜りながら嗚咽を漏らし始めた。そして月見の目には一瞬だけ表情が見えた。瞳に大粒の涙を溜めている。溜めきれなくなったのか、それらは薄汚れた床に落ちて消えた。
月見「そんな、ことがあったのですか。目的は分かりました。でも、もっと方法があったのでは――」
アイリ「遅いんだよ。もう。あなたみたいな人が私たちを救ってくれたらまだマシな人生だった……だからこそ、そんな過去の思い出は捨てる為に聞かせたんだ。
月見は何とも言えない気持ちとなり、自分の気持ちに整理をつける為に押し黙ってしまった。その頃となると少女の嗚咽は収まっているがまだ肩が少し震えている。そんな空気を破る様にタイミングよくグラーフと数名の憲兵が部屋内に入ってきた。
月見「この二人を拘束して詰め所にて勾留します。その後は憲兵、警察に渡して判断を仰ぎましょう。憲兵の方々、よろしくお願いします」
憲兵はカインとアイリを拘束し、室外へ連れ出した。その間にアイリの顔につけた小面を外そうとしたが、まったく外れなかった。なので諦めて詰め所まで連れて行くのだった。
月見「……」
グラーフ「どうした? 提督よ。あの少女と話したのか?」
月見「えぇ少しだけ。アイリたちの話には信憑性を感じるものがありました。ですが、法の裁きは非情なものを告げるでしょう。あの子たちがこうなる前なら――」
グラーフ「こうなる前、か。提督、情に流されるな。私はアイリを決して許さない。人を遊ぶように殺したのだ。許されていいやつじゃない」
その声色は怒りが滲み、また拳を握りしめていた。月見自身も同情をするなら無駄と言った手前なのにも関わらず、感情移入しつつある自分を反省していた。ゆくゆくは憲兵に拘束され、艦娘に包囲されながらここを出て法の下で裁かれる。
彼女が罪を償い終えた後、また新たな人生を進めてほしいと思っていた。そして恐ろしい事件はこのまま何もなく収束すればいいと思うのであった。
首謀者①が拘束され、テロリスト集団涙目!で終わればなんとも簡単なことか。