冷葉「準備は終わったな。青葉、大淀さん。そっちはどう?」
大淀「私の方はもう既に終わっています。青葉さんはどうですか?」
青葉「私ももう終わりそうです。あ、妖精さん! そのボタンが押されたら、システム起動の合図ですので!それ以外は触らず、待機していてくださいね!」
各々の準備工程が終わったところで冷葉は二人を呼び寄せる。最後に改めて自分達のやることを確認する。
特定のチャンネルだけを解放し、あとは割り当てられたことをやるだけ。
さきほど神城から冷葉宛てに「東第一泊地は泊地の防衛及び周辺地域の警備、防衛せよ」
その二つを任され、すぐに承諾の旨を返信した。
神城へ送った後ですぐに準備に取り掛かる。
あっという間に時間は昼を超え、夕方となっていた。
明日は早いということもあり、大淀と青葉に「解散!明日からが本番だから絶対に!徹夜はダメだぞ」と釘を刺してなお、自分の体調を気遣う二人を執務室から追い出した。
扉を閉める前、何か言いたげに振り向いた二人と目が合う。ひと月以上寝たきりであったのに、負傷前と同じように考え動く冷葉を心配している様に見えたので、つい言葉が出て来てしまった。
冷葉「指揮官に対して、そんな顔をするんじゃない。大丈夫だ。俺の、俺の体調のことは。だから二人は明日からの激務に備えて英気を養ってくれ」
誰もいなくなった部屋の中に差す、夕焼けは冷葉の心に沁みる。
これまでは芙二という立場が同じ者に弱音を吐くことが出来たが、現在はそれが出来なくなっていた。
立場上、彼女らを頼るのは特に気が進まなかった。
作戦前日だというのに、弱音を吐いて情けない一面を見られたくない
と言うのが本音でもあるが。
なので、誰かに見られたくない、聞かれたくない一心で足早に窓際へ移動してはカーテンを乱雑に引っ張り、光を遮って部屋を薄暗くさせた。
そして溜息を一つ吐き「やることはいつもと変わらない、か」
艦娘という少女の姿をした兵士を指揮する人間らしからぬ、様子。その顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きそうであり、これから艦娘に激しい戦闘を強いる立場の人間に似合わぬ姿。
冷葉「……いや」
すぐにその”いつも”を肯定する存在がいないことを思い出す。
既にいない存在。
雲よりも遠い場所へ行ってしまった親友。
空母の艦載機でも人工衛星でも追えないほど遠くへ。
冷葉「あいつが、芙二が、命を懸けて護って遺してくれたこの場所を護って次へ繋ぐことが俺の役割か」
弱々しい表情が変わる。それは切り替えるため。
両手で挟み込むように頬を叩いた。
それも何度も、何度も。
心の中で逃げたい、辞めたいと叫ぶ弱々しい自分に言い聞かせる為に。
そんなことは作戦の後で、何度でも出来るから、と頬を叩きながらそう言い聞かせる。
冷葉「俺が、このままでいいわけが――」
最後の一回。既に頬は赤く、熟れた果物のようになっていた。
それでも根底にある気持ちを切り替えるにはあと、一回足りないと感じている。
故の行動。力いっぱいに頬を叩いたとき。
大淀「冷葉補佐! 執務室内でなにを――」
何度も繰り返し、響く音の正体を掴んだ大淀と青葉が強引に扉を蹴破って執務室内へ入ってきた。
バッチィィン
そんな音が冷葉の頭から聞こえた二人は大慌てで駆け寄り、顔を見て状態を確認する。
大淀「頬が真っ赤じゃないですか! 誰に叩かれたんですか!?」
冷葉「いや自分でやった」
青葉「じゃあなんでそんなになるまで、叩いたんですか!? 私、誰か呼んできます。冷葉補佐、頬の下あたりが赤紫色に変わっているじゃないですか!それに鼻血も垂れてきて…」
大淀「青葉さん、お願いします! とりあえず私のハンカチで拭いますね。失礼します」
冷葉をソファへ座らせると白いハンカチで鼻血を拭う。しかし一度拭ったくらいでは血は止まらず、赤い染みを次々に作っていく。「すまない」その言葉を口にしようとしたとき、大淀が言葉を被せていく。
大淀「追い詰められていたのですか、このような奇行に及ぶほど」
冷葉「作戦前に余計な心配を掛けさせた。しかしこれは自分の気持ちを切り替える為の行動だ」
大淀「だからといって、何もそこまでご自身を傷つけなくても」
冷葉「この際だから正直に話そう。俺は怖い。戦うことが、大淀さんたちを戦わせることが」
誰かに知られる前に、心の奥へしまいたかった気持ちが言葉になって外へ出て行く。
少し前のありきたりな日常では気丈に振舞い、困ったことがあれば共に悩み解決してくれる。
そんなひとの見たことのない冷葉の表情、いつもとは違う声音。
聞いていた大淀の手は止まり、赤い染みがあるハンカチを持ったままひざ元まで下がっていく。何拍か開けた後に、小さな声で「そして死ぬことが怖くなってしまった」と言った。
大淀「それは、それは当たり前です。艦娘である私であってもそうなのですから、人間である補佐でなくとも誰だって死ぬことは怖いし、戦うことは怖いのは当たり前の思いで」
冷葉「……ここがそう強く思わせる。目が覚めてからずっと」
大淀「! そこはっ」
あの夜に撃たれた位置。
一つの弾丸が心臓を貫いて、更に謎の技術で腐ってしまった為に芙二の能力が使用できなかった箇所。
心臓の代わりに与えられた擬似器官は最初こそ、作成者の説明通りでしかない。しかし作成者本人が死ぬ直前で最高地点へと到達してしまった。なので本来の効果とは異なる変化が訪れ始めている。少しずつであるが、脆弱な凡人の肉体、精神へ交わり始めていた。
冷葉の心臓は既にただの擬似器官ではない。
最高地点に到達しうる異郷人が、授けたモノは生半可な力を与えない。
故にそれが引き金で最後は破滅が眼前に出ようとも。
短期間でも異界の神秘を見せられ、当てられ続けた人物の精神はその異常さに順応する。
特に意識していなくても、だ。
既にそうあるのが当たり前、そう思い込んでいた。
冷葉「死ぬことがとても怖い。だけど、不思議と力が湧いてくる気がする。だからもう大丈夫。……俺は一応明石の所へ行ってくるよ」
しゃがみこむ大淀の手を握っていつもどおりの表情で「ありがとう」というと執務室を出て行った。
大淀「冷葉補佐、一体どうしたのですか……?」
一人勝手に執務室を後にした冷葉を追う気力はなかった。
ほんの少し前、駆け付けたときとはまったくの別人になったよう。
どこか違いがあったのかと思い出すが、記憶の中ではまったく変化はない。
いつも執務を共にした上司の一人であり、青葉と共に来て会話した時までは普通だったのに。
未知の感覚が背後から襲ってきたような、嫌な感覚に鳥肌が立つ。
青葉「あっ大淀さん! 冷葉補佐はどちらへ行ってしまったんですか!」
声の先には青葉と長門がいた。それ以外にも榛名、龍驤、那珂と大勢で来たようだ。
耳を澄ませずとも、部屋の外から騒がしい声が聞こえる。皆、心配で集まったのは分かる。
しかし既にいない冷葉の所在を聞かれたのでひと言
大淀「明石さんの所へいってくるそうです」
そう伝えた。
座り込んだ大淀の元へは長門と青葉がかけ寄って来る。
長門「本当にそれだけか? 大淀、あなたの表情を見るだけだが、それだけではないように思えてくるのだが」
指摘されるも立ち上がり長門へ「それだけですよ。ご心配をおかけしました」と作り笑いで対応する。
廊下からは室内を心配する声が聞こえる。このままでは扉を壊して雪崩のように入って来るのが容易に想像できた。
大淀「青葉さん、駆け付けた皆さんに心配ないことを伝えて解散させてください」
青葉に話しかけると、彼女は扉へ向かって退くように伝える。また心配がないことも、当の本人は今ここにいないことも大声を出して伝える。
彼女が喋っている間はシンと静まり返って、皆で青葉の話す言葉の一つ一つを真剣に聞いている様に大淀からは見えた。
最後に「……というわけで解散してくださ~い!」その一言で執務室前から離れる足音が聞こえ始めた。
大淀「青葉さん、長門さん。すみません、心配させました。私はこれから食堂へ向かいますが、お二人はどうされますか」
長門「私も一緒にいいだろうか。明日からとても忙しくなる。美味しいものを食べて備えたいと思っていたところだ」
青葉「私もそうしようと思っていたんですよ。補佐と大淀さんと一緒に準備していたので、もうペコペコで」
向かう場所が決まった。大淀は戸締りをして、執務室を後にする。
先ほど感じた嫌な感覚は気のせいだと、気が立っていただけなのだと、自分に言い聞かせて二人の元へ急ぐ。
八月某日。朝から快晴で日差しが強く、視界は良好である。
艦載機一つも見落とすことはない。
機体に搭乗する妖精はそう思っていた。
時刻は朝六時。冷葉、八崎たち非戦闘員はもちろん所属する艦娘全員、いつでも出撃できるよう支度をも終えている。
ついに大本営発表の作戦は、
『これより反撃を行う。皆、気を引き締めて深海棲艦を殲滅させよ』
総司令部からの一声から決行した。
久しぶりの投稿
ここからが後半戦ですね。
どこかで中編終わります、なんて書いたとおもうんですけど次からが後半です。
すみません。