月が地球へ衝突するまであと三十分。
芙二の言葉を聞いて、アイリは鼻で笑う。それは勝利を確信しているから出る油断であった。
「未完成な技で私を止められると本気で思っているの?小さなブラックホールすら対処できないのに?」
「アンタを殺せば、全て片付くだろう。それにこういうのは脳筋戦法の方が良い時もあることを身体に、いや魂に刻んであげるよ!」
そう言って、アイリの元へ駆け出す。全てを見守る霊体の視点では両者の評価は海を陸と同じように駆ける様は艦娘や深海棲艦と同一視する。しかし能力は圧倒的に彼らが上であり、現に自分達は足元にも及ばないと思い知らされた。
アイリは笑みを浮かべ、右手人差し指を内側へ曲げる。その動作のあと徐々に海面が揺らぎ、下から巨大な戦艦が現れて魚雷のように射出される。それだけでなく足元に浮く、自分よりも遥かに大きな瓦礫を放り投げる。今度は左手の人差し指、中指を同時に下へ向ける。
ふわりと上昇した瓦礫は追撃ミサイルの如く挙動でターゲットの姿を追いかける。
芙二は海上を一心に駆け、障害物を飛んで避ける。あるいは刀でバラバラにし難を逃れる。雨が降る様な速度の瓦礫を左右へジグザグに動いて避けてはまたひとつアイリへの距離を詰める。
一歩踏み込んだ瞬間、海中から横一列に目玉がついている巨大な白い鯨が姿を現し、かなりの角度がついた口を開け、飲みこんばかりに飛び掛かってくる。
「こんなんばっかかよ」
目の前に映る巨鯨を前に足を止め息を整えながら、呆れたように呟く。鯨の眼差しがこちらを向いているのを確認し、上へ移動する。しかし口の中から千手観音ばりの白い腕が芙二を掴もうと伸ばす。腕が足を掴む直前に、踏み台としてまた一段高く跳ぶ。
「よっと……うん、いい眺めだな。何かわからねえモンはとりあえず篭にいれておくしかないな?」
上から見下ろすと海上には口を180°開き、白い腕を伸ばす鯨や六つの頭があり、胴体が三つあるイルカが数体見える。餌を待つ鯉のようにそれぞれが口を開け、あるいは白い腕を束ねて、針のように飛ばしてくる。イルカは頭が飛び、目標に対して一直線にしか進まないようであった。
しかし芙二の身体に直撃する前に透明な壁があるのか、吸盤が面に張り付くようにピッタリと動かない。ひとつが飛べば、他の首もロケットのように飛来し同じように張り付く。
次第に鯨の触手もイルカの頭も同じように張り付き、接合部分が混じるように互いに絡み合う。
「さて、と。こんなもんか?空間、爆縮。≪
絡み合う黒い首と白い触手は凄まじい速度で本体への帰還を果たし、一瞬にして小さく赤い雫となって霧散した。しかし芙二は気にも留めず、斜め下にいるアイリの元へ一直線に詰め寄る体勢をとった。それは突き、貫通させる構えである。
刀の切っ先で相手を捉えた後、口角を僅かにあげる。思いきり跳び、切っ先を下にして落下攻撃を行う。その際に、技名を
「アンタに神速、壊滅の一突きを捧ぐ。≪
芙二の身体にバチバチと無数の赤い雷が纏われていく。やがてひとつの雷となり、雷鳴を轟かせながらアイリの元へ落ちた。
しかし神速の一突きすらもアイリの喉を貫けない。はぁ、はぁと息を荒げる芙二の目の前には黒く崩れる物が見えた。それは瀑布の下で噴き出すマグマから熱を少々奪い、沈む鉄屑を元に作り上げた即席の鋼鉄のドームである。海底にあったそれを指先ひとつで自分の前に呼び出したのだ。
(これもダメか。やっぱり一筋縄ではいかんよなあ)
やっと呼吸が落ち着いてきた。ふと後ろへ視線をやると月面がどんどん大きくなっている。このままでは、と思った芙二の側頭部に強い衝撃が加わり、海面を跳ねる。
「よそ見する暇があるみたいだから、意識を私に向けさせてあ・げ・る。大丈夫~?頭、弾けちゃってなぁい?」
数メートル離れたところで起き上がる芙二を見たのか、声が聞こえるであろう距離まで近寄る。
「もういい加減、諦めちゃいなよ。未完成の技を何度も使ってきたからって私は止められない。こんな星、見捨てちゃって一緒に故郷へ帰ろうよ。ね?」
「馬鹿言え。いちど受けた
手に膝をついて、ゆっくりと起き上がる。
「責任感が強いのは、よいことだと思うけどいい加減諦めたら?あと20分もしないうちにこの星は滅びる。君には悪いけど、この復讐を止めると言うのなら」
「大丈夫だ。そうだな、15分。15分でアンタの首を撥ねてやる」
言い終えた直後に錆びた鉄柱が数本、伸びて芙二を空高く打ち上げる。身体に直撃した鉄柱のうち数本には触れた物の重力を反転させる術が付与されていた。
カインがフェードアウトした原因でもあった。
「そんなに月を壊したいんだったら、特別に壊せるようにしてあげるよ」
空高く見えなくなっていく芙二に対し、小馬鹿にした態度を取りとどめを差すべく、追撃を準備する。土地ごとくり抜かれ、浮遊する島々の元までテレポートして状態を確かめる。
島へ降り立ち、周囲を見渡す。悠々たる自然が目に入る。人の手が一切入っていない事が分かる、自然のあるべき姿。それはアイリの心に良い印象を与え、間引きされずに育つ森は互いに枝を伸ばし、陽の光を通さぬほど鬱蒼としていた。
空中にあるせいか、木々の隙間を冷たい風が通り抜ける。ずっと戦っていた所為か、火照った身体を冷ますにはちょうど良かった。
「……冷たい。何も聞こえない。あの耳障りな音も」
静寂に包まれる。自らの発する言葉はすぐに掻き消える。音が響かない空間に立っているような感覚にアイリは芙二がまだ死んでいないことを察して歩いて森から出て、止まり周囲を見渡す。
「さようなら、美しき自然。ありがとう、私をここへ導いてくれて。そして――死んでくれ、この星の文明よ。今日が滅びの日となることをその目で理解しろ」
目線の奥。島の地の先は崖だ。遥か下には青い海がある。徐々に空へ落ちていく島々を芙二の元まで飛ばして、下へジャンプして降りた。
「……」
芙二は地球の外側へ一直線に進む。灰色の雲を突き抜け、星々が輝く真空の海が目の前に広がりつつあった。自らの身体に付与された術式を無効化させると徐々に勢いが弱まり、停止する。
「干渉してっと。うん、これでいいな」
身体に付着した邪悪な思念を手のひらに集め、小さな球体へ成形すると口の中へ放り込んだ。ゴクンと呑み込み、自らの力に変換させていく。
「ごちそうさんでした。よし、それじゃあ未完成の技――
≪フェーズ:タイマー≫の針がまたひとつ鬨を刻む。
既に発動している
「く、ぅ……やっぱり少し頭が痛む。いや魂に直接リンクしているからか?」
身体の裡と外を繋ぐものであり、魂に蓄積された憎悪を肉体へ注ぐ架け橋を生成した。芙二の身体に直接作用するもので、ただ龍神形態となるわけではない。
白い蛇を表す鱗模様が黒へと染まる。紙に水が染みるように紺桔梗色の古の神官服は淡い青色を変えていく。髪も肩までの長髪となり、色も
頭の角は引っ込み消え、代わりに雲を編んで作られた薄紫色の羽衣を纏う。
顔にも変化が見え、針のように鋭い瞳孔、赤い瞳は藍色の瞳となり十字の瞳孔に変化する。
そして放つオーラが何処か猛々しい雰囲気となり、身体中に巡る憎悪をうまく魔力へ変換させ続けなければならない為、現在の状態ではまともに扱えていない。
「さぁて、あの首を撥ねに行こう。残された時間は少ないのだからな」
琥珀色の刀身を持つ得物の名を≪
ひとつ深く息を吐いて海面を目指し、急降下する。その間で発生する空気抵抗など干渉する能力で全てを無効化させる。目の前に見える大きな浮遊する島を神速の域で貫き、破壊する。
一つの島が壊されれば、他の島は質量の法則など無視し物凄い早さで追撃を始める。互いに衝突し、結果的に巨大な岩々となるも、術が切れていないせいか執拗に追う。
だが、ターゲットを捕まえることなど出来なかった。芙二に破壊されたのももちろんそうだが、空から降る雪のようなものが最もな原因である。
白い雪のようなものが岩や瓦礫に触れると途端にその効力を失い、落下していく。
「さっきから雪か?
ふわふわと漂う雪のようなものに触れると小さく火花を散らす。掌の上で静電気の如く、輝きを放ち即座に消えていく。
ゾッとして辺りを見渡すと、いつの間にかそこら中に爆ぜる雪が吹雪のように舞う。すぐに範囲の外へ出なければ、と思うもそんな事をしては限界が来てしまう。
(どうする? いやしかしあの量は大したことないな?今の
思考すること一分。時間が惜しい為、そのままアイリがいる海上まで降下することを決めた。吹き飛ばされたら、それはそれで転移すればいいとも考えていた。
「このまま、落下していく瓦礫を足場にして……!」
トン、トン、トンッと大きな瓦礫を足場にして、下へ下へ向かう。だが肉体の限界が近づいたのか、目と鼻から血が噴き出てきて驚きのあまり足を滑らせる。
(ァッ、ガ……く、くそ。ちょっと考えたのが原因だってえの――なんだ、ありゃあ!?)
自分がいる場所の目下、海上に巨大な魔法陣が展開されており何重にも陣が回転し、何か大きな攻撃が放たれる寸前であった。
何十メートル下にいるアイリと目が合う。彼女はクスクスと笑いながら、更に大きな魔法陣を描く。芙二はハッとして足を滑らせ、落下していることを思い出すや、すぐに空中を足場とみなして奥の瓦礫へ跳び乗る。
「≪アンクリダ――」
「≪
割と近くにいるアイリの声よりも遥か後ろにいるはずのカインの声が周囲へ木霊する。呆気にとられたその瞬間、圧倒的な光量に包まれる両者。
圧倒的な光量と熱量の前では流石のアイリでも防御せざるを得ない状況だった。光が収まる頃には、芙二はアイリとの距離を詰めていた。目と鼻の先の距離。琥珀色の刀身が一際輝きを放つ。
自分は防御で精一杯だったのに、所々焼け焦げてもそれでも動く芙二の様子にアイリは観念した態度で口を開いた。
「あっぱれだよ、ほんとうに」
「そりゃあ当然、
刀の刃先が下の状態で斬り上げる際に、刀全体から雲のような靄が生じアイリの視界を奪う。視界が晴れて、両の目が見たものは酷く斬り裂かれ黒ずみ、消滅していく自らの肉体であった。
(あぁ、結局復讐は果たせずじまいかあ……)
視界が暗転し、言葉を紡ぐことすらままならなくなる頃、意識は闇へと消えていく。
アイリの意識が消滅した。迫る月の落下は止まり、また空に佇む島も浮力を失い、ただ下へ落ちる。島が元の位置に戻ることはなく、また高波や渦も生じた。空間ごと食らう小さなブラックホールもアイリの死により消滅した。その結果、不自然な形で空間が形成されていた。
「終わったか。さてと、それじゃあ戻りますか」
≪
少しやることがある為、戻ろうと足を進めようとしたとき、ばしゃんと海面から音が鳴る。
(なんだあ?……カインか。動いてない所を見るに死んだか?いや気絶しているだけのようだ。っしゃあねえな。よっと。軽いねえ、中身入ってんのか?)」
うつぶせになっていた彼女の肩を揺らすも反応はなく、気絶しているだけと判断し肩に担ぐ。ゆっくりとした足取りで施設のあった島へ向かったのだった。
すべての戦いを見ていた霊体たちは戦いの勝利を泣いて喜ぶ。自分達では傷一つ付けられなかった相手ふたりを重傷を負って倒すさまは救世主のようであったと誰かが言った。
ただ既に死んでいる身、ゆえにこの沸き上がる喜びを発散させることができないことを物悲しく思うのだった。
次回、最終章、最終話。