番外編、最終話です。
施設内を散策している軽井達であったが、見るに堪えないひどい有様であった。腐乱臭の匂いもきつく鼻だけではなく、目にも染みる。あまりのひどさに散策に出た面々は咽るほどだった。
足元に気をつけて歩かないと、死体を踏んづけてしまいぐちゃぐちゃと気持ち悪い音を聞く羽目になる。たまに見知った仲の死体を見るとこみ上げてくるモノがあるが、感傷に浸れる場合ではないと皆が皆、割り切る。
軽井「おぉぉい!誰かいないのかあ?」
喉が枯れるまで泣き叫んだことにより、傷がついてしまい発される声はしわくちゃの老人のようであった。多くの戦闘により、異能を使った軽井は満身創痍であり気を抜くと倒れかねない。
セーレ「軽井さん、やっぱり一度休憩をしたほうがいいんじゃないですか?」
藤尾「セーレさんの言う通りですよ。軽井さん。これからのことを考えて、今は休むべきです。最低限の警戒は私たちがしておきます」
軽井の様子を見てか、心配した様子で話しかけてくるセーレと藤尾を一瞥せずにこう言った。
軽井「心配してくれてありがとうございます。でも、今はもう少しこの施設を見て回りたいんです」
その言葉を聞いて、アンリエルが軽井が着ている服の袖を引いた。血と炎で汚れた白衣の裾が天幕のように張り詰める。踏み出しかけた足を元の位置に戻して、振り向こうとした瞬間。
軽井「ん?誰か何か用――」
アンリ「軽井さんがそこまで意固地だなんて思わなかった」
思い切り後ろへ引っ張られてしりもちをつく。ドスン、という音と共に腰へ強い衝撃が加わる。突然の痛みに軽井は思わず呻く。白衣をめくって腰をさすり少し苛立った表情で口を開く。
軽井「誰だ、急に!何か用があるならこんなことをせずに直接言ってくれ!」
アンリ「言ったわよ、直接。セーレさんと藤尾さんが。でもあなたは聞いてくれないじゃない。だからこうして強硬手段に出たというわけ。文句があるなら聞くけれど?」
アンリエルは軽井を見下ろすように名乗りでる。死体を扱う彼女と同じ気を察知し、距離を取ろうとするもうまくいかない。一度座るときに腰を強打した所為か全くと言っていいほど足に力が入らず、立とうとしてもよろけてしまう。
軽井「……わかった。ここで少し休もう。どうせ誰も居やしない。ここまで歩き、声をかけても誰も反応しないのは私たち以外はみんな、死んでしまったのだろう」
頭を掻きながらため息を吐く。猫背になりながら、落胆の言葉を漏らす。
※
軽井達が休憩を始めて15分が経過する。夕方になったのか、陽は傾き橙色の眩い輝きが照らす。水平線向こうに見える太陽を見て、軽井はふと思い出しとても小さな声で呟いた。
軽井「宮部前所長…前所長は今頃どうしているのだろうか」
リリア「きっとひとりでどこか逃げていると思うわ。突然交代する発言をした後にこれだもの。きっと事前に予測したのか、情報を仕入れたのか…もういいわよ、あんなやつなんて」
苛立ちを隠さないリリアは長い溜息を吐き、目をつむる。彼女もまた此度の騒動により仕事を失った一人である。ヲ級たちのことも残念だが、何よりも特殊すぎる仕事を失ったことが一番心の負担となっていた。
アンリ「そんなに眉間に皺を寄せなくてもいいわ。本土に帰ることができればどうにかなると思うの。死体をどうにかするよりも技術に注視しましょ」
リリア「本土に帰れば、ねえ。……はぁ」
アンリエルが励まそうとするも、リリアは遠くの水平線を見ながら呟いた。彼女たちが言った「本土に帰る」ことができれば、ということは誰もが考える事だった。しかし艦娘と特殊部隊の急襲により、ありとあらゆる行動手段を徹底的に破壊されてしまってはどうすることもできない。
軽井「いっそのこと海賊のような手段を取るか?興味本位で近づいてきた船を奪って、本土へ帰るか人質をとって運ばせればいいんじゃないか?」
その言葉に全員が目を丸くする。軽井がそんなことを口にするとはこの場にいる誰もが思わなかったからだ。皆の表情を見てドヤ顔をしかけるも、セーレが否定する。
セーレ「その手段は現実的ではないですよ、軽井さん。いまどきどんな船にも通報する手段があります。一昔前ならば通用する時代でしょうが、今ではダメだと思います。それに本土へ帰れたとしても、すぐに特定されてしまいゲームオーバーです」
セーレはそのへんに落ちていた棒を拾ってきてコンクリートの床に簡単な図を描いた。彼女の説明を受けて「確かに」と誰もが納得するがこの場を脱する具体的な案はない。
腕を組み、猫背になりながらも何かいい案はないと唸るも何もでない。皆が皆、詰みを実感し始めていた所へ一つ足音が響く。コツコツという踵を鳴らす、足音。死体と瓦礫が溢れかえるこの場所に不釣り合いなほど響く軽快な靴の音。
?「……見つけた。ここにいたんですね、皆さん」
緑色のオールバックに、狐のような細い目、陽に焼けた肌に少し頬がこけた青年が立っていた。しかし彼は白い軍帽、黒い海兵の服を着ており傍から見れば捉えに来た側としても受け取れる。
故に皆、緩んでいた心を奮い立たせ、警戒心を高める。軽井に至っては本調子でないなりに武装を纏い、相手の行動に全神経を集中させる。
藤尾「あなたはどこの誰ですか?見たところ海軍の関係者のように見えますが……」
リリア「ヲ級ちゃんのようなことはもう二度とさせない。絶対に」
?「ふぅむ?そこまで警戒されるとは思いもしませんでした。それに私は皆さんと同じですよ。宮部さんからの指示でこんな僻地に足を運んだというのに……とりあえず皆さんが生きているようなのであの方の指示を伝えますね」
そういいながら、自身の上着のポケットからレコーダーを取り出す。端側を押す仕草をするとレコーダーから宮部の音声が再生される。
『えっと私の声が聞こえているかね?君たちにはこれから地獄のような展開が訪れるだろうが、生き残ってくれると私としては嬉しく思う。もし仮に全員生きていると考えるその時はイツキを派遣しよう。イツキとはこのレコーダーを持つ緑髪の青年だ。さて本題に入るが――』
レコーダーを片手に持つ青年の名はイツキと呼ばれた。彼は微笑み、軽井達に「イツキでーす」なんて言いながら手を振っている。デジタルノイズがひどい為、全容を聞き取ることはできないが、そこまで言われると理解できる。イツキという青年がここへ派遣されて、生存者がいる状況。ならば示す答えは本土への帰還ということだろう。大方イツキが乗ってきた船があるはずだ。
……彼が艦娘のように海を走るタイプの人種でなければだが。
宮部の話が終わるとすぐにレコーダーを仕舞って軽井達の方を向き直り、今後について話す。
イツキ「宮部さんの指示は以上です。一度、私と共に本土へ帰還します。各々の実力と経歴にあった場所へ配属されると思いますが、詳しい説明は後に。それと私は艦娘や深海棲艦のように海を駆けたりはできませんよ」
心を読んだかのような発言をした後に、ムッとした顔で心外ですと付け加える。だがすぐに元の表情へ戻り、軽井達を本土へ帰還させるために手引するのだった。
※
軽井達は本土にある非情派と揶揄される人間が運営する研究所へ戻るや否や別々に連れて行かれてしまう。あの地獄からの帰還となると研究員たちからの軽井達を見る視線が刺さる。
特に軽井なんかは宮部しか知らない秘薬を施され、人間を辞めているのだから。休息などそっちのけで検査、検査、検査の毎日であった。そして本土へ帰還してから二か月が立つ頃にはあの場で亡くなった彼女ら以外を思い出すこともなくなった。
研究所の廊下にて
軽井は歩きながら今先ほどの出来事を思い出していた。朝早くから呼び出されて、向かったと思えば再三検査したというのに見たことのない結果を前にして研究者たちが顔を真っ青に叫んだ。
「素直に来るな、化け物!!」と。機械から出力されたデータと軽井を見返していた。
そうして部屋を後にして、今にあてもなく廊下を彷徨うという事実に至る。また今日に至るまで軽井は自身の中でひとつの答えを見出してもいた。それは研究者を辞めて、適当に生きる。これまで慌ただしい人生だったが、これを機に足を洗うのもよいだろうと思ったのだ。
しかし軽井の頭の中で一抹の不安が消えないのである。それは宮部の代わりに就いた髪が薄い小太りの爺さん……
軽井「……新しい所長に伝えに行くのかあ。あの人、絶対に拒否するだろうなあ」
うんざりした顔をして肩を落とす。大事な決断は早めにした方がいいと考えるもやはり気は思く。足が自然と所長室とは別の方へ向くのを必死に阻止する。しかし観念したように小さく息を漏らし、所長室へ向かった。
※
軽井が所長室の前に到着し、扉を三回ノックする。しかし返答がないので今は留守にしているのかと思い立ち去ろうとしたとき扉は弾かれたように開き、中から一人の黒髪の少女が飛び出した。
軽井「へ、なに?ぅうわっ!……君、ボロボロじゃないか。中でいったい何があったというのだ」
廊下に投げ出された少女の状態を見るとその身体中傷だらけで呻いている。とても小さな声で何か呟いているが、今の軽井には聞き取る余裕がない。しゃがんだまま、開け放たれた扉の奥を凝視するとどすどすと音を立てながら新品同然の制服に身を包んだひとりの老人が現れる。
阪柳「かぁーーっ!薄汚いコソ泥でワシのコレクションに手を出すとは何事だ!貴様のような乳臭い子供でもマニアには売れるのでな!ここへ泥棒で入ったことを後悔して、汚泥の中で死ねい!」
ぐったりと動かない少女を何度も踏みつけながら怒鳴る。黒い靴の跡が服を汚すと今度は長い髪を鷲掴みにして「なんとか言わんかあ!」と激しく揺らす。
軽井「こほん、阪柳新所長。すみません、少しいいですか?」
阪柳「いったい誰だぁ!このワシの邪魔をして――貴様は軽井、だったか?平の平がなんのようだ。あの地獄のような環境から生き残ったことに対して褒賞が欲しいのか?ん?」
軽井「いえ私は研究者の人生を終わりにしようと思います。今日はそれを伝えに来ました」
阪柳「フン、そうか。それで?話は終わりか?ならば荷物をまとめて失せろ。ワシはこの小娘をどう処分するかで忙しいのだからな」
では失礼します、と言いながら阪柳の手から少女を奪った。その際に少女の髪を切ってしまい短くしてしまった。ゆっくりと軽井の中で静かな怒りが湧き上がる。誰の所為など問うまでもない。目の前にいる最初のよりも醜いとさえ思う老人。隙を見て、手ごと切り落としてもよかったが今は目の前にいる少女を解放する。それだけが目標であった。
呆気に取られている阪柳に背を向けて、
軽井「……とりあえず荷物纏めますので失礼します」
俯いたままの少女の手を引いて自身が寝泊まりしていた部屋へ向かう。やっと正気に戻った阪柳が何かを叫んでいたが、一瞥もせずに後にした。
軽井(やばいな。衝動的にやってしまった。……しかしどうにも)
右手の先にいる見知らぬ浮浪者の様相をしている少女を見つめる。ジッと見つめられているのか、恐る恐るこちらを見上げる少女の顔が視界に移る。光を無くした黄金の瞳、瘦せこけた白い肌。髪はパサパサで艶がない。
今はそんなことを考えている時ではないのに、と思うが思考と行動が収まりを知らない。
元々私物はほとんどない。小さな手提げバッグひとつに収まるほどだ。そして少なくはない手切れ金を受け取り、黒い髪に黄金の瞳を持つ少女と共に研究所を後にするのだった。
※
アイリ「諸君、こんな夜明けに集まってくれたこと感謝する。全国、果ては世界中のろくでなしがこの場に集まってくれたことが私は嬉しい。君たちがこれから行うことはこの国を変える事なのだ。素晴らしい活躍を期待している」
演説が終わる。沸き立つロクデナシども。武器を片手に叫ぶもの。報酬を前にして夢や妄想を膨らませて耽るもの。その中にあの日、助けた少女はいない。彼女は私の帰りを待つのだから。
――私はいったい何をしているのだろうか。今更こんな手段をとってもあの世にいる彼女が喜ぶはずもないというのに。それに騙し合いと穢れた欲望しか知らない義理の娘と共にこの選択をしてはいけなかったんじゃないか。
考えてもしかたがない。子は親を選ぶことはできないし、親も運命というものには逆らえないのだから。軽井という苗字から片岡という苗字へと変えた。今までの研究者としての男はもうこの場にもこの世にも存在していない。今いるのは復讐に燃えるロクデナシだ。
片岡「私たちが向かう先は東第一泊地か。確か非情派の研究員が何人か連行されていたな。提督も補佐も若いと聞くが、これもまた運命なのだろう。彼らには悪いが、死んでもらおう」
私の中で見知らぬ人物への哀れみが消えた。意識を殺戮者としての私に切り替え、仲間と共に車へ乗り込むのだった。