悪癖がでました。
召喚したケルベロスが去る瞬間を見た芙二は溜息を吐き、娘の亡骸を抱く菜央に問う。
彼女は涙で目元を腫らし、怯えと憤怒の篭る目で睨みつける。
「……これで
空気はとても重く、二人の周囲には濃密な死の気配が満ちていた。
虹のかけ橋自体は崩れずとも、先の戦闘により欄干や道は汚れ、壊れている。
山の入口はケルベロスが得物を追い回した為に木々が焼け、草花は灰になっていた。
「……どうして。どうして私から娘を奪ったのっ?! あの子の幼い命を奪う必要はあった!? 必要なかったでしょう!」
菜央は憎らし気に睨みつける。
芙二を見つめる瞳には激しい怒りが滲む。
「だが、先に鮫島という男たちを嗾けしかけてきたのはアンタだろう? …………
芙二の言葉に菜央は言葉を詰まらせる。
彼女の脳裏には自らで下した早すぎた決断の代償が、
一番判りやすい形で存在している、その事実が重くのしかかる。
「見たところ、そこの使用人たちも事切れているな。せっかくだ。埋葬してやるよ、アンタの娘共々。海の下か、土の下か……好きな場所を選ばせてやる」
菜央の元へ近づき、凛の亡骸の付近で血の池に沈む者共を見て伝えた。
先ほど、苦しみ悶える凛に対して、蘇生を考えていたのは事実。
しかしただの家政婦ではない、という事実が芙二の考えを変えさせた。
「――ッ! 返して、返して。私の娘を、返せええええ!!」
娘の遺体を投げ置き、殺気を孕んで芙二に飛びかかった。
「それがアンタの答えか? つくづく馬鹿だな、実力の差を理解しないなんて」
呪詛を吐く菜央の攻撃に応じる。
怒りのあまり我を失い、ありとあらゆる手段で復讐を試みる彼女の姿は芙二から醜く見えた。
(自らが蒔いた種だというのに)
道端の瓦礫を投げつけられようと、使用人が使っていた猟銃を、やけくそで放たれても。
ときに口汚く罵り、息を荒げる菜央に対して問う。
「……なあ気は済んだか? それともまだ済まないか」
芙二は菜央の動きに冷静に対応した。
だが決して鈍くないその動きに違和感を覚える。
(家政婦にしては動きがいい──この女、何者だ?)
徐々に勢いを失い、しまいにはその場に膝を折る。
「この化け物め……いっそのこと、私も娘と同じ場所へ行かせなさい。そうでないとっ! 」
いつの間にか、握っていた刃物をちらつかせる。
「赦さないって? この
芙二の凶悪な笑みに、気圧される。
ぞっとしたのか、菜央はその場に座り込む。
彼女の表情は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
顔に深い絶望を浮かべて愛娘の遺体を抱きしめ、聞き取れない言葉をつぶやく。
(さてこれで反抗心はへし折れたか? ちっと素人相手に、少しやり過ぎたか? それでもヤクザをけしかけてきたのはあっちだしな。その結果で死傷者を出して
思ったよりも、悪い方へ事が運んでしまったが為に、芙二は葉月を恨む。
そして芙二は死を懇願する相手を、ましてや知人の亡骸を放置する趣味はない。
衝動的になり普段とは違う事をしたので補給が必要だと考えていた。
「はぁ。長々と放置していて申し訳ない。だが、ひとつ伝える事がある。それは生命を長く続かせた方が、その魂の旨味はずっと保たれるということだ」
白い軍服の姿を変えて黒いコートを羽織り、ペストマスクをつける
虚空へ手を伸ばすと、空間が歪み、白い大鎌を取り出す。
――ガリガリガリ
大鎌を軽く振るうと、異音を生じさせ歪んだ空間にひびのような模様が入る。
菜央は、今になって自分は閉じ込められていた、と気づく。
「ハハハッ メインディッシュを戴こうか」
笑みを浮かべた芙二の身体へ飛んで来た飛来物をが頬を掠める。
衝突した先へ視線を向けると橋の欄干にめり込んでいた。
――ッカァン! カァンッ!
突然の音に菜央は耳を悲鳴をあげて娘を庇う形で覆いかぶさる。
――カンッ カンッ カンッ!!
(この短時間で何回も狙撃? でもこの周囲には殺気なんて感じられない。一体何処から……? いっそ空間ごと引き裂いて喰らってしまおうか)
弾を払いつつも、芙二には撃った者の気配が一切掴めなかった。
だからこそ、芙二は菜央と遺体を共に抹消させる、と考える。
「あ、でも葉月さんの知り合いか? いや先に喧嘩を売ったのはあっちだしな。難しい問題だがく……喰わない方がいいか。残念だ」
頭の隅で、葉月の顔がちらつき思いとどまった。
大鎌をゆっくりと振り下げ、同時に芙二たちの反対側で爆発が起きる。
「な、なに!! あっちは止めていた車がある方角……!」
……どこか遠くで、硬い靴音が一度、橋を鳴らした。
(お~? 殺意を抱いた存在が出てきた。しっかしあれは誰だ? 鮫島の仲間か? だとしたら……殺すか)
黒煙を上げ、燃える車両。
黒煙の中から、白い髪を背に束ね、袴風のスーツを着崩した背の低い女。
「
芙二は彼女の言葉と表情を前に理性的な部分を取り戻した。自身と菜央の半径一メートルの範囲に簡易結界を高速で張り巡らせ、衝撃に備える。
「な、なにをしてっ」
彼女はいきなり半透明のドームに閉じ込められたことに、ひどく怯えた態度を見せる。
「いいから黙って動くなよ」
紅雪と言われた女が、目にも止まらぬ速さで近づいてくる。
ただ真っ直ぐ走るのではなく、欄干を走り、時には自分で蹴り上げた平たい瓦礫の上に飛び乗ってこちらへ来る。
そして何処から取り出したか分からない、大太刀を抜刀して菜央がいる簡易結界の上で得物を振るう。しかし刃が結界の上を滑り、二人の後ろへカーブするように着地する。
「なるほど。あなたが若頭の言った異界のお友達ですか。実力は申し分ないようですが、どうかお引き取りを。ですが、断るのでしたら
さきほど空中で抜刀した大太刀を納刀して、背に携える。芙二は直感で理解する。
――だからこそ、殺す必要もないという事実も理解できた。