――翌々日のマルマルマルゴー 陸軍棟
時刻は夜中の十二時過ぎ。
職員はほとんどおらず、冷たい静寂のみ存在する独特の空間。
高さ三メートル弱、有刺鉄線とフェンスを組み合わせた塀を見上げ、息を呑む。
(予定の時間よりも、ちと早いが問題なさそうだ)
芙二は左手首の腕時計を確認し、陸軍棟のエントランスへ足を進める。
「すみませんが、お待ちください。ここは陸軍棟です。一般の方の入場は禁じております。そのまま後退していただけないでしょうか。私はあまり気が進みません」
扉の前に立つ女性の憲兵が言う。
目深に被られた帽子、茶色のマスクにより相手の表情は分からない。
だが、あまりよい雰囲気を感じない。
それどころか彼女の全身から殺気めいたものを向けられてさえいる。
「こんばんは、お嬢さん。私はスト……ヴェルダー。織間閣下の勅命により、参った者だ。もしかしてアンタが案内人かい?」
芙二は付けられたコードネームを名乗る。
名前を聞いた彼女はスマホを取り出して、操作していた。
そのあいだ、沈黙が続く。
「……確認ができました。ヴェルダーさん、私についてきてください」
胸ポケットにスマホをしまうと、彼女は芙二に一礼して歩き始める。
姿を見失わないよう、一定の距離で後を追う。
彼女の殺気めいたものが、なりを潜めていく。
(第一関門は突破か? 彼女は、八崎さんみたいな人だな)
前からは分からなかったが、彼女は黒髪で短めのポニーテール。
黄土色の帽子を被り、軍人らしからぬ華奢な体を隊服が包む。
腰の辺りには拳銃があり、非常時に備えているふうに見えた。
「なんでしょうか、ヴェルダーさん。人の体をジロジロ見ないでください。私のような人間は見慣れているでしょうに」
「うちには憲兵が二人しかいなくてな。物珍しさ……と言うのは失礼かもしれないが、つい見とれてしまった」
そう言うと彼女は足を止めて、睨む。
先頭が止まったので、自然と芙二の足も止まる。
「見とれた、なんてお世辞が上手ですね。見た目麗しい艦娘に囲まれてるの知ってますよ。先程、物珍しさと言ってましたね? この顔を見ても言えますか?」
帽子とマスクをとり、芙二の方を向く。
今まで、見えていない部分が露わになる。
その仕草に芙二は心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。
彼女の顔はひと言で纏めると、醜い。
右眉から右頬のあたりまで縫合傷があり、鼻と口元は火傷の痕が目立つ。
「なんだ、綺麗じゃないか。その傷を……よければだが、傷を治してもいいか?」
予想とは全く異なる返答に彼女は固まる。
「なっなにを言いだすんですか!
この顔の傷を見て、誰がお世辞を言えと言ったんですか!
あなたは私を傷つけまいと、思っての発言でしょう。
逆にその発言が傷つけるとどうして分からないのですか!
それに治すというのはどういうことでしょうか。言っていることの理解が――」
地下一階と二階を結ぶ空間によく響いた。
トンネル内で反響させたように怒声が絶えず聞こえる。
「そのままの意味だ。
冷静に芙二は傷を見て、自分の考えを口にした。
やや興奮気味の彼女は、喉に言葉が詰まったような声をあげる。
「それは――言えません」
彼女は顔を俯かせ、口を閉じた。
「ふむ、そうか。それで、顔の傷は治した方がいいか?」
腕時計を見る。織間との約束の時間まであと、十二分。
なるべく早くに到着しておきたい、というのが芙二の考え。
「まだそんなことを……! 治せるものなら、今すぐに証明してください! 嘘でしたら、容赦はしな」
声を張りあげる彼女の元に近づき、左手で顔に触れた。
「動くなよ。手元を狂わせたくないんだ」
左手からオレンジ色の光を放ち、顔だけでなく全身を包み込む。
春の日差しのような優しい温もりに警戒心を解き、殺意も消滅させた。
「なんでしょう、この心地よさ。ヴェルダーさん、あなたはいったい」
眉を八の字に、目はとろんとして、やや蕩けた声色でつぶやく。
「ただの元提督だよ。よし、これで施術は終わりだ。顔の傷に触れてみてくれ。きっとシールのように瘡蓋がめくれるはずだ」
蕩けた思考のまま、言葉に従う。
おそるおそる彼女は自身の顔に指を近づけ、赤黒い瘡蓋の端をつまむ。
――ぺリ、ペリ、ペリ
商品品フィルムを剥くように、古い瘡蓋が剥がれ、下には傷のない肌が見える。
変な痕も残らず、傷は元々なかったと思わせるほど。
「う、そ……傷が無くなってる」
「そうだろう、そうだろう。
ニカっと得意げに笑う。
彼女は別の意味で硬直していた。
「背中と腰が痛くない? なんで、どうしてここが無痛なの?」
顔の傷が無くなるよりも、困惑しつつも嬉しそうに自身の下腹部を撫でる。
「それは慢性的な痛みだったのか? 医師免許証未取得の似非療法だから、後日病院へ。特にそこは産婦人科がいいんじゃないか?」
芙二の言葉に頷くうちに、ついには涙を流して顔を覆う。
その様子を見て、納得したような表情をして言った。
「ありがとう、ここまででいい。既に迎えは来ていたみたいだ」
彼女は顔をあげて芙二を見つめる。
だが、芙二の視線は階段の下へ向いていた。
そこには気恥ずかしそうに立つあきつ丸の姿があった。
「あ、あのう……約束の五分前になっても来てないので織間さんの命令により、お迎えに来ました。そ、そのお邪魔だったでありましょうか?」
顔をひきつらせ、気まずそうにする。
「いや、そんなことはない。案内人を二人にさせてしまって申し訳ない。ではあきつ丸さん。行きましょう」
芙二は女性の憲兵に一礼すると、あきつ丸と共に地下三階の一室へ降りていく。