あのあと、失神した叢雲を介抱したサラトガは無言で芙二を睨む。叢雲の顔は火照り、身体は至る所が濡れていた。時折聞こえる声は、高熱に魘されているかのよう。
「いくら芙二さんでもこれはちょっと、ないんじゃない?」
今までのやり取りを時雨から責められる。サラトガは叢雲を抱え、襖の奥へ去り、不機嫌な時雨を清霜と夕雲が落ち着かせようとした。
青い目を潤ませ、口を開く。
「魂の契約だっけ? 僕だって、叢雲と同じようにしてほしかった!」
まさかの言葉に、二人は立ち止まる。
「時雨、それはできない相談だ。あの状態の叢雲を鎮めるにはこれしか思いつかない」
不機嫌の正体を知りつつ、そう返事をする。彼女のキレ具合を知っている時雨は、静かに頷く。
本音は好きな人を心配させたくない、嫌われたくない。なので物理的に繋ぐ必要があった。どちらか命を終えれば、相手も死ぬ。もはや呪いの類だ。
「あと叢雲には
「肩代わり? 航行の燃料を消費しなくなるとか?」
「そういうのじゃない。艦娘による深海化、克服状態をノーリスクで使い続けられる点。こちらが肩代わりできるのは生命力。それだけだ」
あっけらかんとした表情で言う。深海化は未だ謎が多い現象だ。艦娘が死する、あるいは死と同等の衝撃を受けたとき、肉体と精神を再構築する際に魂を守る殻として歪んだ状態で出現する。たまに姫や鬼と呼ばれる存在として降臨するメカニズムは判明していない。
「ふぅん。神様ってなんでもできるんだね」
ヴェールヌイは興味なさそうに言った。しかし芙二は首を横に振り、否定する。
「それでも、だ。芙二司令官のような存在になれたら私の見える世界も変わってくるのかな」
彼女は顎に両手を乗せて、溜息を吐く。そんな様子のヴェールヌイに対し、芙二はもしもの話を振る。
「ヴェールヌイはどういう世界を見たい? みんなが切磋琢磨して、練度をあげて多くの作戦をやり遂げた後の世界か……姉妹や友人とたまの休暇を満喫するような、ちょっぴり幸福な世界か」
「断然後者だ。この戦争は、
ヴェールヌイは空色の目を閉じて、寂し気に笑う。もう言う事がないのか、気まずそうに銀髪の先をいじる。
「そうだ、それでいい」
胸の奥が、少しだけ締め付けられた。彼女の姉妹はまだうちで建造していないが、いずれ機会が巡るだろうと思い、立ち上がる。
ヴェールヌイの元へ近づき、しゃがんで頭を撫でる。
「大丈夫だ、
撫でる手を止めて、小指を出す。ヴェールヌイがきょとんとまばたきしていると、清霜と夕雲が同時に「芙二さんの前に小指を出して」と言った。
言われるがままに、小指を出すと芙二が握って優しく小さな声で、
「約束。だから、そんな悲し気に笑うなよ。お前さんは笑ってる方がよっぽど似合う」
笑いかける様に、呟いた。少しの間が空いてから、ヴェールヌイは赤面する。だが、先ほどまでのどこか冷たい表情はなく静かに俯く姿があった。
~~
この一週間の中で様々な出来事があった。ひとつは谷部提督の後釜から連絡があったこと。その人物は
『谷部提督殿に変わり、北第八の後釜……いえ、候補生の私がお伝えします。東第一泊地の艦娘すべてを東第三鎮守府に預けよ、とのことです。そして東第一泊地は無人の状態にせよ』
成上は紙を見ながら言っているのか、ボソボソと聞く声もはっきり聞こえる。
『……本日を以て、提督の私物は我々の物となる。資材も何もかも全て、だそうです。冷葉殿、何か質問はございますか』
冷葉は険しい顔をして、携帯を睨む。彼の荷物は宿舎に置き去りになっている。候補生時代に使い込んだノートやペンといった小物から今亡き家族の集合写真など。
「一つだけ取りに行ってもいいですか」
絞りだすような小さな声に、成上は残酷な事実を告げる。
『宿舎に何か私物がおありでしたか……申し訳ない。既に艦娘の職者と提督、憲兵、職員方々の宿舎は既に無く更地となっています』
冷葉は目を丸くさせ、動かなくなる。か細く小さな声で「父さん、母さん、はるちゃん……嘘だ。嘘だ、絶対に」そう何度も呟き、膝を折る。
『冷葉殿? どうかされましたか? 電波が悪いのでしょうか。もしもし――』
成上が心配そうに声をかけるが、当の本人は蹲り、否定の言葉を吐いていた。
見かねた芙二が、咳ばらいをして携帯を持つ。
「こほん、失礼。冷葉は今、急用のため
『そこまでは分かりかねますが、聞いてみますのでしばらくお待ちください』
待機BGMが流れ始め、芙二は一度携帯を机の上に置く。こちらもミュートにして、冷葉へ声をかける。
「冷葉、大丈夫か。まだ何とかなるかもしれない。だから諦めるな」
励ましの言葉をかける。冷葉が頭を上げて、芙二を見つめる。彼の顔は涙で濡れており、どれだけ辛いかが伝わる。
それでも、「最悪は
完全オリジナルの現物には劣るかもしれないが、形見が残る方がいいはずだと言い聞かせる。
『もしもし、聞こえておりますか?』
携帯のミュートを解除して、応じる。
「はい。私物は残っているか?」
『残念ながら全てゴミにして燃やしたみたいです。灰すら残っていないみたいですが、大丈夫でしたか?なにかあったら』
無情の告白。冷葉の顔が悲痛に染まる。だが、
「ふひ、あはははは!」
『ひ、冷葉殿? どうされましたか? 何か、おかしなことでもありましたか』
目を丸くさせる芙二から、携帯を奪い成上へ告げる。
「いえ、少し面白いことがあっただけです。まさか自分のツボがそこまで浅いとは思わなかった。急に申し訳ない」
ククク、と笑い目尻を拭う。冷葉の目つきは鋭く、胸の辺りから紫の光があふれ始める。
彼は続けて、
「内々の事情は分かりました。わざわざ教えていただき感謝します。それと東第三鎮守府へ第一泊地の艦娘を一時的に預けることについては――」
『はい。その件は、許可するとお言葉をいただいております。……その他に質問はございますでしょうか』
成上の言葉に、短く「ありません」と返す。
「分かりました。では、これにて失礼します。――ああ、そうだ。神城提督に伝言をお願いします。【鷹と蛇には気をつけろ】です。よろしくお願いします」
なにか、物騒な伝言を頼むと成上は通話を終了した。
冷葉は静かに、携帯を机の上に置く。
その様子に芙二はなんと声をかけたらいいか、分からなかった。
「芙二。今の俺は、人間じゃないんだっけか」
突拍子もない言葉に頷く。続けて「一部だけな」と言った。
「俺がみんなの仇を取ってやるからな」
芙二に俯く冷葉の顔は見えない。ただ、言えることは一つだけ。
「復讐なら、手を貸すぜ? 冷葉」
ぴくりと肩が動く。俯いていた首をもたげ、芙二と目が合う。
「マジかよ。そこまで付き合ってくれるとか、流石
にこっと笑う、冷葉の目の下には僅かに血がこびりついていた。
だが、それ以上に彼を変えてしまった罪を自覚する。
~
時間はあっという間に過ぎ、当日を迎えた。現在の時刻は午前零時十七分。
集合時刻の朝六時――マルマルロクマルまで六時間もない。
叢雲たちや冷葉、紅雪にはまた後で伝えるとして、パラディーゾとレイニーナへ令を下す。
『おまえたちは裏方に回れ。ただし、最前線で戦う彼らのケアを忘れるな』
巨大な二人は片膝をつき、頷くと姿をくらませる。
誇大解釈はしてないことを祈るが、彼らの事だ。きっとノルマ以上の働きをしてくれるだろう、と期待に胸を膨らませた。
芙二は屋敷の庭を物音立てず静かに歩く。誰かを起こすか、不寝番の者に余計な気を使わせたくない思いで。
生け垣を軽々と飛び越え、そのまま空を駆ける。ある高度まで進み、振り向くと屋敷と周辺が一望できる場所へとつながっていた。
「【鷹と蛇には気をつけろ】か。成上候補生……おまえはどちらの側に立つ?」
新たな人物への問い。敵か味方か、あるいは。
「考えても仕方ないな」
そう言って、芙二は階段を下りる様に屋敷の門目指して歩き出した。