――救済をもたらす存在として、設計。
アントたちの方へ急いで向かう。
彼らとヴェルダーの距離はさほど離れてはいない。
だが、今までの出来事が幻だったのではないか、というほどに静かだ。
「悪いな」
現場へ向かう最中、ヴェルダーは死体の上で佇む霊魂へ申し訳なく感じていた。
既に時間が経っているのか、皮膚は乾き、肉は腐敗し、人魚と隊員の区別がつかない死体を飛び越える。次第に視界に映るのは、メリアの亡骸を抱くアントの姿。
(何が起きているんだ。まさか、ルナ・ケイジュは本当に裏切り者――)
今までずっとヴェルダーの鼻先に触れていた戦争の匂いは、今や感じられない。
「おやおやおやぁ!? ヴェ・ル・ダー殿! あなたもミライ様への献上品として……贈られてくれますか? くれますよねえ!?」
仲間を手に掛けたルナ・ケイジュの笑い声は甲高く、やけに鮮明に聞こえた。ほんの少し前は仲間を励まし、メリアに対して「家族全員で帰ろう」と言っていた人間のそれではない。
「ついに本性を現したのか。家族同然の仲間を手に掛けるとは、外道な」
ヴェルダーの怒りを前にしても、ルナ・ケイジュの狂笑は止まらない。何が面白いのか、彼は体を仰け反らせ、腹を抱えて笑う。
「アッヒッヒッヒ……笑わせてくれますね。あの娘が、隊員たちが家族? 馬鹿を言わないでくださいよ。あれは、実験動物に他なりません」
彼の言葉にヴェルダーの表情に影が差す。
「だいいち、この惨状を前に私とメリアだけであの場に生きて出られるとお思いで? あの肉瘤から生まれた人魚を前に終わりですよ」
ルナ・ケイジュは黒髪を掻き上げ、ヴェルダーを嘲笑する。彼は赤い目を細め、口角を上げた。
「いや~オウル殿が馬鹿正直で助かりました。彼女たちの情報も教えて頂いたので、ちゃんとした甲斐があったな、と思いましたよ」
ヴェルダーの脳内に、オウルと彼が情報を共有する様子が蘇る。まさか、そこから背信が始まっていたなんて思いもしない。
「いや待てよ。もしや、あのヒーローショーから始まっていたのか? この惨状までの道が!」
ルナ・ケイジュは否定せず、一度首を縦に振る。
ヒーローショーでアントと共に瀕死の重傷を負った。そのあとに幻獣型クローンの彼らとの出会いも、賭博場での一件も。
(ミライとかいう人物の手のひらの上だったのか? だとしたら、この後の展開は……)
なんとなく察しがついた。
これから何が自分たちを待ち受けるのか。
「おンやあ~? 察しがついた、みたいな顔をしてますが……この後も生き残れる、とは私も言ってませんよ?」
馬鹿にするような物言いで、態度でヴェルダーの周りを歩く。
「やってみろよ、その言葉覆してやるから」
もう正体がバレてもかまわない。
この野郎に、
「さっすが――特殊部隊の新人サマだ。ミライ様含め、皆さまが見ている中で羞恥のあまり死ぬ、なんてことがないことだけを祈りますよ」
ハ、とこちらを見下すような視線を送る。
「……自身の無気力感に苛まれているがいい」
くるり、と体の向きを変えて観客席の方へ歩き出したとき。
好機とばかりにヴェルダーは躊躇いなく飛び出し、彼の背を襲う。
「その前におまえだけは許さない」
胸に秘めた憎悪を糧に、心臓へ狙いを定め、手刀で高速の突きを行った――が防がれる。
「なにっ!?」
爪先とルナ・ケイジュの背のあいだ。
そこに透明な障壁が展開されており、触れることができなかった。
またか、と阻む壁を前に舌打ちをする。弾かれた爪先に鋭い痛みが生じ、急いで距離を取った。
「ッ! ……クソ」
ジンジン、と痛む指を摩りながら状況を確認する。アントは変わらずメリアの亡骸を強く抱きしめている。人魚と先行部隊の隊員の死体には変化がない。
(なにより)
眼前にいるルナ・ケイジュを睨みつける。疑いが確信に変わり、どう落とし前をつけてやろうか、とそれだけに思考が支配されていた。
(制限を課している場合ではない)
アイリとカイン。あの二人を前にしているような、強い緊張が精神を縛り付ける。楽観的な思考はとうになく、ヴェルダーはごくり、と生唾を飲む。
不可視の鞘を掴み、抜刀態勢に入りかけたとき。
「それは止めた方がいい。ストレンジ・ヴェルダー……いや芙二凌也と呼んだ方がいい?」
空間中に響き渡る、ノイズに塗れた女の声。
ヴェルダーは自身の名前とコードネームを当てられ、眉が少しだけ動く。
「……ほう」
ルナ・ケイジュの背後にあるガラス張りの観客席の空間。その上の巨大なディスプレイに表情を強張らせた。
ヴェルダーの、人外の視力を以て視る。そこにいるのが誰で、どんな表情をしているのか。また巨大なディスプレイの中にいる人物について。
後部から照らされているのか、黒い影だけが見える。
「なんか、むかつく。それに偉そうだな」
ガラス張りの空間内の人間は、全員能面をつけており、表情は視えない。ならば、とディスプレイの中の人物の情報を視ようとしたとき。
「ぐっ!?」
突然、ヴェルダーは強烈な右目の痛みに襲われる。右手で右目の辺りを押さえていると、温い液体が穴から溢れ出す。
「流石にその行為は見過ごせないよ。ただでさえ、舞台外の観客が舞台に乗り込むことに目を瞑っているのにさ」
ディスプレイの中の人物は椅子に腰かけ、溜息を吐く。
「――、と言ってもだ。そこの彼。ケイジュ君が私の名を明かしている以上、隠す必要ないのかもしれないけど」
そう言うと、ルナ・ケイジュの肩が大きく震える。彼は顔面蒼白で奥歯をガチガチと鳴らし、先ほどとは態度が打って変わった。
「み、ミライ様……申し訳ございません」
彼はその場に膝を折って座る。
その顔は涙や鼻水で塗れ、黒髪はつむじの中心から徐々に白く変わっていく。
「さて、雑談はこの辺にしておいて。私たちはケイジュ君の、贈り物を堪能させてもらおうかな」
ディスプレイの中の人物――ミライは子供じみた態度で笑う。まるで期待と興奮を抑えきれない者のように、感じ取れた。
「はい。準備は完了しておりますとも。ずっとジーク・ドミナンテが彼女を温め続けてたおかげで、根を張ることに成功したようです」
その言葉の節々に悪意が見て取れる。ヴェルダーはアントの方へ振り向いたとき、そこには彼の身体と融合しつつあるメリアの姿があった。
「あ、が……メリ、ア……」
彼の表情は苦痛に満ち、しかし癒着状態にあるゆえの諦めも表情から見て取れる。
アントとメリアはお互いに青い茨で絡まり合い、共生関係化の植物のように皮膚や肉を溶かす。
「アントッ!!」
「では、私も特等席で見させていただきましょうか」
ヴェルダーとルナ・ケイジュは互いに逆方向へ進む。
急いで、二人の元へ駆け寄る。
「アント、しっかりしろ! 意識を保て!!」
メリアの肉体からアントを引き剥がし、力なく項垂れる彼の口を無理矢理開く。虚空に手を伸ばし、躊躇わずお手製の丸薬を飲み込ませた。
その際、悪態をつくどころか、一切の抵抗も感じ取れない状況下に危機を感じる。
「縺ゅ≠縺ゅ≠」
ヴェルダーが戻らないアントの意識を呼び起こそうと動く。突然、栄養源を奪われたメリアの肉体は呻き声を上げて、周囲の死体へ茨の蔓を伸ばす。
人魚、人間など無関係のように。容赦なく死体からすべてを吸収していく。
「縺?≧縺?≧縺?≧」
メリアの肉体は徐々に張りと艶を取り戻す。それと同時に死体は薄っぺらい皮しか残らない。
意識の戻らないアントをこの場に残してはおけず、一度扉の前へ移動していく。
「……アハハハハッ!」
離れる際、狂喜的な声を背後から聞き取る。しかし決して振り返らず、すぐそこに待機している二人へ意識のない彼を連れて行く。
~~
急に現れたヴェルダーの表情は焦りが浮かんでいる。
「オウル、ラビット! すまん、アントを頼む!!」
彼に背負われたアントは服が破れ、所々に痛々しい傷跡が覗く。
「おい、何がどうなっているんだ!」
会話を聞いていた二人でも、急激な状況の変化に戸惑いを隠せない。そんな表情をしているように見えた。
「
オウルは、妙に納得したように頷く。反対にラビットは、酷い現実を受け入れられず、耳を手で覆い悲鳴をあげる。
「冒涜的な行為を許すことはできない」
ヴェルダーは人間の姿をしたまま、龍神形態へ移行する。仰々しい言い方をしているが、いつもと何ら変わらない。しかし龍神への変化は周囲の人間を畏れさせる。
「ヴェ、ヴェルダー……? どうしたの?」
「う、ううん……あ、れ? めりあは? なんで、おれ」
彼を見て怯えるラビットの胸の中でアントがうめき声を上げ、目を覚ます。二人が彼の名を呼ぶなか、ヴェルダーは達観したような目つきで言う。
「アント。現実から目を背けるな。今はそれがおまえにできる彼女への弔いだ」
そう言い残すと元の姿よりも何十倍に巨大化した
~~
空間の中央に佇むのは、メリア。しかし人間のそれとは、異なり桃色のワンピースに身を包む。衣服の隙間から緑色の肌が見え、下半身は巨大な黄色いかぼちゃのような見た目。
そのような巨体が、浮遊している。
「クローンだけじゃないのか、この施設は……」
呆れるように溜息を吐いて、見上げる。ふいに彼女の、橙色の目と合い、彼女は蠱惑的な表情を見せる。
「アハッ♡ あなたもワタシの栄養にしてあげる♡」
言うや否や、凄まじい速度で茨の蔓を伸ばしてくるのだった。