とある泊地に着任した提督のお話   作:ふじこれ

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3章 30話『vs死熾天使』

 

 どこかでパキン、と小さな音が生じた。

 その直後。空間の、全ての音が途絶えた。

 

「……へ?」

 

 ピエロは困惑の声を漏らす。夕立の悲鳴が、鎖を引く音が、振動が感じ取れない。それどころか、自分の息遣いすら聞こえない。

 

 鎖から手を放し、ミライの方を見た途端。彼は光を奪われたように、無様に転ぶ。かなり派手に転んだにも関わらず、転倒音は生じず。

 

「ふっ……ふぐっ」

 

 床に打ち付け、ジンジン、と痛む身体を摩る。

 唯一残る、触覚だけを頼りに伏せたまま、這いずり回る。

 

(何が起こったんだ。わたしの身になにが起きたというのだっ!?)

 

 芋虫のように這いずる。障害物に当たれば、角度や方向をその都度変える。

 視覚と聴覚を同時に失った絶望に、負けず怯まず進む。

 

(こんなところで、わたしが死んでいいはずがないっ)

 

 甘い汁を吸い続けたい、という自分勝手な我儘の為だけに。

 消えない苦痛に苛まれ、冷や汗と脂汗を流しながら両腕を動かす。

 

 どれくらい進んだのか、時間の経過が鈍くなった頃。

 終わりは突然訪れる。

 

 彼の眼前の闇は、ぼやけはじめ、白く温かな光が差し込み始めた。

 

(助けが来たのか――)

 

 温かな光に到達したとき、ピエロは嘲笑う。

 思い起こされるのは、戦場とは無縁の楽園での生活。

 

 与えられた仕事だけをこなし、明け暮れるまで淫靡な、怠惰な生活を存分に味わう。金持ちの道楽につけ込んだ高い酒を浴びる生活。

 

(はは、たかだか艦娘一人を傷つけたくらいでわたしはなにを怯えていたのか)

 

 なんだかんだで、勝ちを収めたという事実に声を出して笑いそうになった。

 

(帰ったら、スケベでもしようか)

 

 鼻の下を伸ばしながら、ピエロは立ち上がろうとする。が、力は入らず、そのまま床に伏せたまま動かない。

 

 視線を下半身へ落とす。そこには既に波に攫われた砂の城が如く、身体は崩壊していた。

 

(へっ? ああ――)

 

 目の前が白く焼けていく。直前の出来事が再生され、彼の夢は二度と覚めない。

 

~~

 

――蛇龍神(オレ)の宝物を奪いし、その罪を輪廻で贖え。

 

 その言葉が、頭の中を満たすとき。凄まじい衝撃と眩い光が周囲を襲う。ヴェルダーの、彼を中心にこの現象は起きており、誰も近づくことはできない。

 

「は!? こ、この風と血の匂いは――が、ぁっ」

 

 アントは自分が吹き荒ぶ嵐の中へ放り込まれた、と錯覚する。服や身体は見えない刃で切り刻まれたように、裂けていた。

 

 自身の腕や胴の具合を見ながら、冷や汗を掻く。

 

「痛ェな……」

 

 痛みに対し、眉間に皺を寄せ、携帯している小さなバッグの中に手を入れて鎮痛剤の入った瓶を探す。ごそごそ、と手探りの中でひとつだけ硬い感触にあたる。

 

「あった。オレよりも、オウルやラビットに使ったほうがいいだろうか」

 

 同じく場所にいる二人の方へ頭を向け、状態の確認を行う。ラビットはほとんど無傷。反対にオウルの夥しい血が背に滲んでいた。

 

 心なしか、顔色が悪く見えた。アントは二人へ声を掛けようとした、そのとき。頭上から温かな日差しにも似た光が差し込み、警戒のあまり見上げる。

 

「あ? ――なんだ、あれ」

 

 そこには人ではない、ナニカが顕現していた。

 

 背中まで長い、藍色の髪。淡い白から染まりし、紺桔梗色の和装。あの存在は、生意気な新人と同一人物なのか、にわかには信じがたい。

 

「――ふ。最初から手加減はしない。いつまで――」

 

 時間を重ねる毎に、服に一本ずつ白線が入っていく。ソレが八本入るとき、すらりと長く黒い尻尾が生えた。

 

「そこで(オレ)を見ている気か?」

 

 二言目の、その言葉は聞く者に魂を震わせる圧をかける。言葉一つで空気を揺らし、指ひとつ動かせないほど、効力を持つ。

 

 目下の者へは一瞥もせず、ディスプレイ上のミライだけを紅く鋭い瞳で見つめる。

 

「驚いた。まさか隠し玉を持っていたなんて、ね」

 

 夕立の傍の、道化の仮面が乗った肉塊を右足で踏みつけ、強気に吹き出す。

 

「ぷっ……あはははっ! 失敬、失敬。そんな強気な表情は初めて見るからさ、思わず堪えきれなかった、よ」

 

 ミライはひとしきり笑い、目元の涙を拭う。その間、空間中に彼女の笑い声だけが響いた。

 

「……」

 

 ヴェルダーはとても低く唸り、ミライを見つめ続ける。彼女の隣に居る夕立は、これまで一度も見た事のない信頼を置ける相手の怒りに、思わず身震いをした。

 

 彼の瞳が、一段と光るとき、ゆっくりと言い放つ。

 

「見つけた。夕立は返してもらう。そして――」

 

 ヴェルダーはふ、と安堵の息を吐く。そしてディスプレイへ向けて、左手のひらを向けた。

 左腕全体が輝きを放つ。アントたちはあまりの輝きを前に、目を覆う事しかできない。

 

「ミライ。アンタは(オレ)が直々に下す」

 

 その瞬間、ディスプレイの中には誰もいない。夕立もミライの姿も、忽然と消えていた。発光から一分が経つ頃。ザザザ、と大音量でノイズを出したのち、映像は途切れる。

 

「何が起きたんだ……あっ!」

 

 爆発のような眩しさは止み、各々は周囲の確認を行う。その中でラビットはひとり、声を上げてヴェルダーを指す。

 

 彼の前には、無数の槍先が寸でのところで静止していた。球状の結界に覆われ、先端では火花が散る。

 

「チッ! 引き寄せられないか!」

 

 予想外の状況に舌打ちをし、ヴェルダーを囲む青い槍を振り払う。その拍子に、槍は放たれた矢のように、雨が降る様にアントたちへ降り注ぐ。

 

 槍先は風を裂き、一直線に扉の方へ飛ぶ。ルナ・ケイジュやアントから悲鳴が上がる。オウルは瀕死の中でラビットだけは、と庇う姿勢に入り、メリアは自身を蔓で覆う。

 

「堪えよ、我が同志たち」

 

 アントたちの耳に、そう聞こえたのも束の間。

 

 ヴェルダーは槍が届くよりも前に現れた。空中では確認できなかったが、左右に非対称の黒い角が生え、和装は鱗のような模様が目立つ。

 

「――せいッ!」

 

 槍を前に怯まず、どこからか薙刀を取りだし、勢いよく横に払う。見えない壁を斬るように、空間に亀裂が生じ、先ほどよりも強烈な衝撃が槍を砕く。

 

「なんっだ、これは……予想外だ。新人の範疇を超えている」

 

 ばらばら、と砕けた破片が舞う。未知の光景にルナ・ケイジュは深く感動する。彼の背に、一本の蔓が迫っているのにも関わらず。

 

「ヴェルダー……君はいったい何者なんだ?」

 

 オウルが小さな声で、疑うように呟く。彼の目つきは新人を見るような、仲間を思いやるものではない。ルナ・ケイジュの裏切り以上の何かが、息遣いから見え隠れしていた。

 

「それは」

 

 ハッと言葉を止める。今までの積み重ねを台無しにした気持ちを今になって味わっていた。

 仲間からの視線に堪えかねた彼は観念した装いで続きを口にした。

 

(オレ)は人間――」

 

「はいはいはぁぁ~~い! 私に注目!!」

 

 喉元まで出かけた言葉を隠すように、ミライの言葉が空気を塗り替える。

 全員が声の方を見るなり、ただひとり彼の表情からは殺意が溢れた。

 

「忘れていた、アンタの存在を。息を殺していればいいものをッ」

 

 髪も服も、全てを黒一色で統一している長身の女性――の隣にいるリードで繋がれた夕立。ディスプレイ上ではない対面。あまりの恥ずかしさからか、彼女は項垂れていた。

 

 幸いにも亜麻色長い髪がカーテン代わりに肉体を隠す。

 上機嫌で、かつ元気溌剌なミライ。鋭い目つきのヴェルダーとは違い、彼女の表情は余裕さを醸し出していた。

 

「一難去ってまた一難! と言う事で! 芙二君は夕立ちゃんと情事に耽ってもらいます!」

 

 ミライは小声で「キャ~言っちゃった! 言っちゃった!」と気恥ずかしそうにもじもじする。誰もが言葉の真意を理解できない。

 

 その言葉にヴェルダーの怒りは限界を迎えた。

 

「黙れ」

 

 瞬く間の閃戟。彼は無表情で、いつの間にか握っていたクレイモアを振るう。

 

「下劣な喉は――それか、焼き切ってやろう」

 

 言葉が言い終わるのと同時に、クレイモアは黒い炎に包まれた。メリアに撃ち損ねた、不可視の断罪剣。その名を――。

 

「≪断罪せし、浄滅の巨炎剣(カークス・ラディーレン)≫!」

 

 迷い一つなく、ミライの首を斬り飛ばす。吹き飛ぶ頭、焼き焦げる断面。弧を描くように、炎が彼女の肉体を舐めた。

 

 キン、とクレイモアの切っ先が床に触れる。

 ヴェルダーは「ふーっ」と深く息を吐き、クレイモアを虚空へ収めた。

 

「≪絶死改竄(アルテラシオン)≫」

 

 飛んで転がったミライの頭が、呪文を吐く。炎に舐められた肉体と邂逅を果たし、焦げた皮膚も破裂した眼球も全てが元通りに形作る。

 

「ねえ――気は済んだ?」

 

 目を大きく開け、息を吞むヴェルダーの瞳を覗き込む。確実に魂も焼き切ったはずなのに、と驚きを隠せない。ミライの次の行動を予測しようにも、得られた情報はひとつのみ。

 

【死熾天使アズラエル】

 

「アズラエル? それは――」

 

 目の前の存在が人間ではなく、死を司る天使。よもや神話の存在が、今こうして顕現している事実に頭が痛い思いをし始める。

 

 ミライは白い四対の翼を生やし、舞い上がる。天井付近まで到達し、眼下の者共へ別れの挨拶を行う。

 

「それじゃあ終わりにしようか。ああ、安心してよ。君たちは死なない。全員、解剖して次へ生かすから。記憶は引き継がれる。胸に秘めた思いも、必ずね」

 

 そう慈しむように、優しく微笑む。

 ミライは右手を上に掲げ、淡い光の玉を形成していく。

 

「≪存在終筆(シュライブレヒト)≫。――君たちの冥福を祈ろう」

 

 光の玉が弾け、視界は白く染め上げられる。

 存在すら書き換わる恐怖を目の当たりにしたヴェルダーは自身を守ることしかできなかった。

 

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