地下楽園 下層 【信託の間】にて。
白く無機質な空間に、白い外套の女神と黒衣の異形が相対する。
「……はあ。貴様が、くだんの存在か」
無貌の女神は、レンジを見下した。
くだんの、という言葉を耳にしたレンジは眉をひそめる。
「おまえも同類か」
無貌の女神を見上げ、つまらなさそうに言う。
「ワ、ワボウ様に向かって何たる――」
まるで聞き捨てならない、と言わんばかりに信者が叫ぶ。
「ワボウ? それが、おまえの名前か」
根も葉もない噂から始まった、架空のハナシ。
各所に散りばめられた噂話が、真実への導線を生み出した。
「そうだ。我はワボウ。其の者らが、信ずる神の名よ」
無貌の女神が話す。
途端に、ワボウを信奉する者は片膝をつき、頭を垂れる。
「ほう。では、
レンジは勢いよく、黒衣を剥がす。
僅かに視線が隠されたその隙に、着替える。
「――己が名は、
黒い軍服に身を包む、藍色の長髪の青年が立つ。
針のような、瞳孔。
何より、射貫くような紅い視線。
「ミライを、討つ者……だと?」
「あの傲慢な小娘を糾すのか? いや、糾せるのか?」
凌也の圧に当てられ、信者たちはどよめく。
「ええい、静まれェい! ワボウ様の御前であるぞ、貴様らッ!」
信者の視線を奪う、迫力のある言葉が響いた。
「す、すみません神託者さま」
ある者は、神託者と呼ばれた男へ謝罪をし、
「あの者に裁きが下せる、存在という甘言に惑わされそうになりました」
またある者は、凌也へ冷たい視線を向けた。
凌也は周囲を見渡し、コロシアムで感じた視線と同じような、ものを視た。
「――証拠は必要か?」
無貌の女神が答えるより前に、神託者が叫ぶ。
「ワボウ様の前で嘘偽りを申す、その軽い口! みすみす、見逃すわけには行かぬわっ!」
神託者は、配下の者から槍を受け取る。
凌也へ向けて、槍先を突き出して駆けた。
「よい。続きは、我が見届けよう」
~~
地下楽園 上層 【繫栄実験室】にて。
一枚の壁、それ以外は三面ガラス張りの部屋の中で、裸の少女は問う。
「ねえ、どうしてあなたはわたしに命令しないっぽい?」
ひどく困惑した顔。
少女の主からの命令はひとつ。
『醜悪なモノに処女を捧げ、子を成せ』
頭の中にこびりつく、自身の価値を図る言葉。
実行以外の行動を持たぬ、少女の瞳は潤む。
「そんな顔をしてもだめだ。
代わりに、と。
そう言わんばかりに、少女の目尻に溜まる雫を拭う。
「わたしはそんなことを望んでいないっぽいっ! ……ぽい? どうして語尾が変なの?」
無意識のうちに出た言葉。
それについて、少女は自問自答をした。
「今は大丈夫だ。焦る必要はない、夕立」
静かに、その名を口にする。
「ゆ、うだち?」
少女は、何かがつっかえたような表情をした。
胸がちくちくと痛み、両手で押さえる。
「余計な事を言ったな、すまない」
少女の手の上から、異形の手が重なった。
得体のしれない安心感に襲われる。
「ち、近づくなっぽい!!」
全身に鳥肌が立ち、距離を取る。
そのとき、少女は見た。
――怪物はひどく傷ついた表情をしていた、ことに。
~~
地下楽園 中層 【選別の間】にて。
醜悪な怪物は、人を屠る。
老若男女、問わず。時には子供でさえ、手に掛けた。
「ひっでぇことをしやがるな!」
「でもよ、今日の試合で噂の怪物が出てくるってよ」
「マジ? それなら、今日の労働を少しばかりサボっても文句言われないだろうな!」
「いやいや。それはダメでしょ。言い訳にならないよ」
地下楽園の中では、まことしやかに噂話が立つ。
そんなコロシアムの待機室。コンクリートの壁に背を預ける、異形の男がいた。昆虫と軟体生物を合わせたような、その姿に名前がつけられた。醜悪な怪物、通称レンジ。
「子供ですら手に掛ける、極悪非道の怪物ぅ~?」
気心しれた戦友に、自身がそう呼ばれていることを聞かされた。
「衆人たちの眼には、そう映るみたいだからな。アンタだけだぜ、見破ったの」
レンジはへらへら、と笑う。
「だがな、真実から目を背けていては見える景色も見えてこないぜ」
適度なストレッチを行いながら、戦友を見て言う。
戦友は、静かにレンジを見つめる。
「……」
言葉に詰まる、というより。
同意、と受け取れた。
「……さぁて、と。
確かに、そこには決意の視線が存在した。