翌日。モデルルーム 五日目。
レンジがセラフィム殺しをやってのけてからというもの、夕立と過ごす日常に変化はない。定刻になれば食事が同じ量、同じメニューで提供される。
相変わらず自由に外出を認められており、夕立自身が外へ興味を持ち、
「外へ行きたい」
と一言告げれば扉の施錠が外される。ガラス越しでこちらを観察していた職員も視線が僅かに反応をするだけ。それ以外は何もしてこない。
夕立が着替えをする間、レンジは大浴場とは違う処置をした。あのコートでは怖がらせてしまう、と判断してのこと。夕立自身への認識を僅かに変える。軽度の改変を行った。
「レンジさん、もう少し待って!」
「あいわかった。別に上の店は逃げねえから焦んなくてもいい」
時折聞こえる、夕立の声に相槌を打つ。
(こいつらは
待つ間でレンジは外を観察し、二つの違いを見出す。
職員は何度もペンを起こして、バインダーに書き続けていた。
(ここ以外にも部屋はあるンだもんな。右から左に人や物が動いて忙しねえや)
研究者のような恰好からファンタジーに出てきそうな恰好まで幅広く散見された。その中でも何分かに一度、フロア内を赤子の泣き声が響く。
”おぎゃあ、おぎゃあ”
と。その時だけは赤子の声以外のフロアの音が一斉に消える。先ほどまでペンを走らせていた目の前の職員も、手を止めて声のする方を向いたまま動かない。
(確かここの総称が繫栄実験室だっけか。成功しちまったのが、残念だ)
レンジはおもむろに左手を伸ばし、ガラスへ触れる。そしてほんの少しだけ力を入れると、すぐに壁を貫けて上半身が外へ出た。
「っと地味に制御が難しいな」
だらり、と垂れ下がる半身を起こして目の前の職員を見た。
「――は?」
今までずっと赤子の声のする方を見ていた職員は唖然とする。それもそのはず、厚さ七センチはある透明な壁を無衝撃で抜けてきたのだから。
「ふは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔だぜ」
レンジは職員の反応を愉しむ。今度は全身を出してやろうか、と考えた時。彼は臀部を引っ叩かれた。
「むー! レンジさん、遊んでないでいくよ!」
首を少しだけ向けたら、頬を膨らませた夕立の姿があった。一目見ただけで、白露型の制服を着た夕立という少女の面影は存在した。
「はーいよ。わかった。わかった、からケツを叩くんじゃあないよ」
にゅるん、とタコが穴抜けをするように室内へ戻る。レンジは夕立へ軽く謝罪を入れ、次は二人で扉の外へ出て行く。
「な、なんだあれ……あっ! 穴がない!?」
そこに異形が貫き出た穴はなく、職員は新たな事象を記録し続けた。
~~
レンジは再び大浴場周辺へ足を運ぶ。階段を踏み抜かないように注意して、繫栄実験室のフロアを出た。二人の姿を前に衆人は際へ避けた。
(あからさまだなあ~……ここまで露骨だと逆に規則に触れてそうだけどな)
そう警戒する。レンジとは視線を合わせず、ひそひそと陰口を話す声が聞こえた。
「ふんふ~ん♪」
気が付けば隣から鼻歌が聞こえる。彼は気になって斜め下を向く。そこには上機嫌の夕立が視界に入り、楽し気な様子に毒気が抜かれた。
(っと今は
彼女から視線を外し、周囲を見渡した。
そのとき、噂話を続ける人々を掻き分けるように一人の女性が現れた。
「ンん……?」
満月色の髪の、青いカーディガンを羽織った女性。端正な顔立ちの彼女は、レンジと夕立を交互に見て青い目を大きく見開いた。が、すぐにレンジの顔を真っ直ぐ見つめる。
「なぁ、あんた……リネか? どうしてここに――」
そう手を伸ばすが、満月色の髪の女性は何度も頭を下げる。伸ばした手は行き場を失い、代わりに夕立の頭へ着地した。
「うん? レンジさん、どうかしたっぽい?」
夕立は頭の上に置かれたレンジの手に触り、本人へ尋ねる。
「いやなんでもねえ」
そう言いつつ、レンジは夕立の頭を二回軽く撫でた。状況が飲み込めない彼女だったが、特に気にすることなく再び鼻歌を歌い始めた。
(あぁ? いねえな)
再び満月色の髪の女性がいた方へ視線を向けたが、既に彼女はおらず、衆人たちは別の事で盛り上がり始めていた。
”ねえ、あれってルールを破ったってことじゃない?”
”アダム様が伝えた規則を破った女がまた一人”
”最近の白苑は違反者が多いなあ”
レンジは夕立の背中を軽く押して、進む合図を出す。
夕立は頷き、レンジの手を握る。
(ふむ。あとで彼女について調べた方が良さそうだ)
二人の歩幅が揃い始めた時、おかっぱ頭の男がレンジを指さして叫ぶ。
”だ、だけどよ!”
”あいつはセラフィムを殺したっつう噂まで立ってる超ド級の危険人物だぜ”
”嘘かもしれないだろう? ならば――望むか、粛清を!”
別の騒ぎが起きており、周囲の声色はセラフィム降臨を望むコールが湧き上がっていた。
~~
「付き合っていられん。なんだ、あの異常な空気は……」
気怠そうに頭を掻く。
ようやく二人は昨日訪れた場所へ。
昨日の騒ぎはなかったように、利用客で賑わう。香ばしい匂いと心が躍り出すリズム。レンジの脳内には昔日の記憶が呼び起こされる。
「祭事、か」
心地のよい風が首筋を撫でる。張り詰めていた意識が途切れ、一瞬感傷に浸りかけた。
「レンジさーん!」
はっとして頭を振るう。ぼんやりとする頭でレンジは声のする方を見つめる。そこには夕立がおり、ある出店の前で手を振ってレンジを呼ぶ。
何かあったのか、とのそのそ歩いて向かう。
「レンジさん、この美味しそうなの食べてもいいって! だから一緒に食べよう?」
夕立は店の人間から紙コップと爪楊枝を二つ受け取り、ひとつをレンジの前に差し出した。
「……おい」
「はい、なんでしょう?」
「いいのか?」
「わたくし共は誰にでも提供いたします。それが件のセラフィム殺しの貴方様であっても」
目を細め、笑みを張り付けたような表情。紙コップの中身は白い衣の唐揚げ。爪楊枝を刺して、口の中へ入れて咀嚼する。
「んん……不思議な味わいだ」
「お肉のような?そうじゃない感じ~」
二人はそれぞれ感想を述べる。一口大の唐揚げなのに、食感は里芋を食べているよう。味は鶏肉や豚肉に酷似している。
「絶妙な塩加減もいいな、これ」
試食分はあっという間に無くなり、レンジは物欲しそうに爪楊枝の先を見る。
「もう一度食べたい!」
「ダメだぞ。これは試食と言って――」
「けち」
レンジに断られた夕立は頬を膨らませる。
「誰がケチだ」
二人のやり取りを他所に、
「お気に召していただけて幸いです。それともう一つ特別な食事がございまして――」
店員は別の容器を取りだす。大皿に乗せられた、肉料理。ローストビーフに似た料理を切り分けていく際、肉の断面はほんのりと桃色。じわじわと肉汁が溢れだす。
「あ! レンジさん、わたしもそれ食べたい!」
隣から目を輝かせた夕立が顔を出す。
「店員さん、それ二つ頂戴」
「……かしこまりました」
最後にシャリアピン風ソースを回しかけて、完成。店員は素早く取り分けて、提供した。
夕立の期待値は限界突破し、「美味しい」と大声を上げる。
「うむ、美味いな」
レンジも彼女と同じように舌鼓を打つ。店員は二人の様子に微笑む。
あっという間に平らげ、二人は感謝を伝える。
「またのご利用お待ちしております」
次の美味なる食事を求めて、手当たり次第にあたるのだった。