2人は警戒しながら大樹へと近付く。
「『玉犬』」
恵の声と手印により影より白い犬型の式神が召喚される。
「後ろの警戒はこいつがやってくれる。それでも気を抜くなよ」
「分かった。にしても少し肌寒いな。もう少し羽織ってくれば良かった」
季節は4月頭。寒さとは無縁とは言えないが、肌寒さを感じるような時間帯ではなかった。
「呪霊の影響かもな。神社は神聖なイメージと神を畏れる気持ちや神に対する無茶な要求、それが通らなかった場合の負の感情の裏返り、そんなもんでごちゃついてるから。呪霊も割と湧きやすい」
恵はそう考察した。それを聞いた司はそういうもんかと納得した。
「さて、それじゃ調べる訳だが⋯⋯残穢がベタベタ付いてるのに呪霊の気配が全くないな。どうなってんだ?」
恵は首を傾げながら、辺りを調べている。
「あの、二手に分かれて調べないか。その方が効率がいいだろ?」
司の提案を聞いて唸る恵。過保護も良くないか、と考えた。
「そうだな。それが良さそうだ。玉犬と一緒にそっちの方を調べてくれ。何かあれば直ぐにコッチにこい。いいな?」
「分かった」
2人はそれぞれ逆の方へと歩みを進める。司の傍には玉犬がピッタリと張り付いて歩いていた。ばあちゃんの家にいる犬もこんな感じだったと懐かしさを覚えていた。そして、玉犬と戯れながら歩いていると呪霊を発見した。青白い体躯、体に不釣り合いな大きな頭、それに対して異様な程小さい足。顔に収まるべきパーツは口しか付いておらず、その口腔から白い息が吐き出されていた。
恵に連絡を取るために携帯を取り出し、操作しようとする。しかし、一切の反応が無い。どうなっているんだと頭を抱えて調べていると、何か聞こえる。誰か呼んでいる⋯⋯?でも、なんだか眠たくなってきたんだ。雪も降ってるし、もう⋯⋯
「『鵺』っ!!!!」
恵に呼び出された鷲のような式神が
(気付かなかったのか?それとも呪霊の術式の間合いに踏み込んでそのままやられた?くそっ、どうする)
恵は焦っていた。同行者は既に戦闘不能。さらに術式を扱ってくるのならば相手は準1級以上と考えなければならない。恵が決して勝てない相手では無いが、司を庇いながらでは分の悪い戦いを強いられる。
「やるしかない、か。おい、呪霊。悪いが、一瞬で終わらせるぞ」
恵は鵺に司を安全圏まで運ぶように指示を出し、蝦蟇を新たに呼び出す。呪霊はそれを意にも介さず、大口を空けてヨダレを垂れ流している。
「ふっ!!」
恵が一気に駆け出す。それに併走する蝦蟇。手で素早く命令を下し、蝦蟇がポジションへと付く。先ずは小手調べといった具合に蝦蟇の舌に呪力を纏わせた包囲攻撃。土煙が舞い、視界を遮る。
「クソ⋯⋯」
晴れた視界に映ったのは、舌を凍らされた蝦蟇と身動ぎもせずに鎮座する呪霊のみだった。包囲を解き自分の周りに蝦蟇を集める。1匹もやられなかったのは幸運だと考える。しかし、接近戦がメインの恵にとって近付けない相手を倒すのはかなり厳しい話であった。そんな事を考えるていると、ある違和感を覚える。
(こいつ⋯⋯呪力のムラが
その時、司を安全に運ばせた鵺に異常を感じる。それからひとつの結論を導く。
(目の前のこいつは
急いで司の方へと駆け出す。間に合うかどうかは正直自信が無かった。鵺がどの程度耐えられるかどうか。壊されてはいないが時間の問題だろう。
何とか間に合い、現場に到達する恵。地面に転がった司には霜が降りかかり、その横では鵺と呪霊が激しくぶつかり合っていた。鵺が呪霊にぶつかる度に凄まじい風が巻き起こり、呪霊の体を揺らす。しかし、ぶつかった部分が少し凍りついてる。このまま続ければやられる。そう判断した恵は鵺に司を抱えさせ、下がらせる。
(振り出しに戻るか⋯⋯しかし、いつ春夏秋冬の方に行った?気配どころか残穢も無い⋯⋯残穢?)
目の前を警戒しつつ、後ろに倒れ込んだ司を調べる。全身に呪霊の残穢がこびりついている。しかし、それとは別に首の辺りに呪力を含んだ印が付いている。それに気付き、少しだけ迷い、呪力を手に纏わせて印を潰す。印そのものはあっさりと消えた。そして。
(⋯⋯やられた)
恵はゆっくりと立ち上がる。異様に寒い空間。領域ではないようだが、居続けるのは危険だろう。目の前にいるのは先程の呪霊。ニタニタと気色の悪い笑顔を顔に貼り付けて、恵を煽る。
「なんだ、そんなに嬉しいか」
恵の問に、呪霊はケヒケヒと笑い声で答える。呪霊は確信していた。この人間も外で転がる人間も今までと同様に自分の餌だと。それは決して間違えではない。間違えではなかったが。
「布璃部由良由良────」
恵の呪力が高まる。空間そのものが震える。怪物の誕生、それを想起させる不気味な呪力。呪霊は焦った。餌だと思っていた人間の胃の中に化け物が居たのだ。すぐ様、恵へと背を向けて逃げ出す。すると、恵の視界は先程までいた神社を映す。
「はっ、案外怖がりだな」
恵は足に力を込めて思い切り跳ねる。呪力を拳に込めて、呪霊の背中を力の限り数度殴りつける。呪霊はボールの様に地面を転がり、血を流して地に伏せる。グズグズと体が塵になっていく。
「ふー、何とかなったな。おい、春夏秋冬。しっかりしろ、無事か?」
祓った。あの呪霊は死んだ。恵はそう思った。思ってしまった。恵が切り札を残していた様に呪霊にも奥の手があった。ただ、それだけだった。
「ぐっ、がはッ!?」
恵の体が地面に叩きつけられる。何かが体を掴んでいた。自分を掴んでいる腕を辿り正体を探る。それは先程の呪霊と少し似ているが、異なる呪霊。新たな呪霊だった。
(2体目っ!!!クソ、どうなっている!!先程まで毛ほどの気配もなかったはずだっ!!)
恵を掴んでいる呪霊は先程の呪霊とは違いしっかりと人型であり、頭の形が雪の結晶の様になっていた。その呪霊から目を離し、後ろに視線を向けると確かに先程の呪霊はグズグズと崩れ去っていた。
(こいつ、まさかアイツが死ぬ事によって活動し始める縛りでも付けられていたのか⋯⋯だとするならコイツは自然発生の呪霊なんかじゃない。
ウォオオオオオと呪霊が叫び、恵を何度も地面へと叩き付ける。頭から血を流し、ほぼ瀕死といったところだった。そんな時に地面の揺れと呪霊の影響から解放された司が目覚める。
「な、何をしているんだっ!!!」
司の目はボヤけており、恵が呪霊では無く、誰かに襲われている様に見えた。そして、司は。
「俺からこれ以上何かを奪おうとするなら⋯⋯誰であろうと、殺すっ!!」
手を呪霊へと向けて呪力を練り上げる。それに反応した呪霊は手に握っている恵を素早く司へと向ける。それを見た司が身を震わす。
「ためら、うなぁ!!そのままやれぇ!!」
恵が喉に血を絡ませながら、何とか叫ぶ。司がここでしくじれば、2人とも死に、呪霊による被害が更に増える。それは防がなくてはならない事態だ。恵の叫びを聞いた司は静かに目を伏せて、声を出した。
「大丈夫、もう何も失わない。
呪霊の上に暗雲が現れ、呪力が爆ぜて雷が落ちる。一面が白に塗りつぶされて轟音が神社を揺らす。雷の衝撃で帳が砕ける。残ったのは、恵を握っていた呪霊の手と2人のみだった。
「酷い傷だ、じっとしていろ。その方がやりやすい」
キズだらけの恵に司が手をかざすと、ぽおっと淡い光が恵の傷口を照らし、傷を塞ぎ始めた。それを見て、『司』は一安心する。意識がはっきりとしないが、どうやら成功していた様だ。目の前の男は分からぬが、同士で間違いないだろう。
「ぐ、久々の目覚めだ。力を使いすぎたか⋯⋯少し、寝る」
どさりと地面に倒れ込み、そのまま『司』は眠りへと付いた。