お気に入り、感想、評価、よろしくお願いしますm(__)m
「ねえお兄ちゃん」
八月の初旬、よく晴れた夜のことである。八幡がだらけきった姿勢でソファに寝転んでスマホゲームをしていると、同じくだらぁっとソファでテレビを見ていた小町は、テレビを見たまま口を開いた。
「んー?なんだい小町ちゃん」
「お兄ちゃんって恋愛したことあるの?」
唐突な質問に、八幡はスマホをいじっていた指をピタリと止めた。
「恋愛ですか。まずどこからが恋愛と呼ぶべきラインなのか定義してから」
「ああはいはい。んじゃあ好きな人っていたことある?」
八幡の返しを予期していたのか、小町は適当にあしらって質問を変える。
すると、八幡は少しだけ考えたあと、はっとしたようにスマホから顔を外し、小町に振り返った。
「ま、ままま、まさか、な……はは……」
震える声で首を横に振り、八幡はそんなわけはないと乾いた笑みを浮かべた。
そう。まさか小町に好きな人が出来たのではないか。さっきの質問は恋愛相談だったのではないのかと、八幡は一瞬頭に過ったのだ。
しかし小町は、そんな八幡の心中を察してか「ないない」と手を振った。
「いや、違うよ?小町、好きな人とかいないからね?」
「ほ、本当かっ!?」
「うわーなんかすごい嬉しそうだなこの人。シスコンすぎて小町的にポイント低いよ、お兄ちゃん」
小町がうげぇっと嫌そうな顔をつくる一方で、八幡は安心のあまりホッと胸を撫でおろした。気のせいか、うっすら涙すら浮かんで見える。
「そんで、いたことあるの?好きな人」
「いやまあ、そりゃあるんじゃないの知らんけど。今思えばただ憧れてただけだと思うけどな」
「あー、ちっちゃい時って確かに憧れと恋愛感情をいっしょくたにしちゃうよね。女の子が昔『将来はパパと結婚するー!』っていうのもそれと関係あるのかも」
「それはなんか話違くない?じゃあ小町が昔、『将来はお兄ちゃんと結婚するー!』って言ってたのも憧れか?」
「やめてお兄ちゃんやめて」
プルプルと背筋を震わす小町は、本当に嫌そうに顔を引きつらせた。
「まあ兄妹なんてそんなもんだろ、知らんけど」
「そだよね。この歳にまでなると兄妹で恋愛って絶対ないって思うもん。お兄ちゃんもシスコンではあるけど、小町が裸で過ごしててもなんも思わないでしょ?」
「そりゃな。アニメとか漫画だと兄妹恋愛ってよくある話だけど、実際目の前で小町が全裸でいてもミロのヴィーナスがいるくらいにしか思わんし」
「なにその例えキモすぎ」
「それな。自分でも思ったわ」
くだらない話に花を咲かせ、二人はくっくっくと笑い合う。
いつもとなんら変わらない会話だ。どちらかが話しかけると、適当に返して話が逸れていく。とりわけ今日は、兄妹では滅多にしない恋愛についての話だ。真面目に話すのも照れ臭い話題はこうやって話題を逸らしていくことでなんとなく消化する。
しかし、今回はそうもいかなかった。
一頻り笑い終え、リビングが静寂に包まれた後、小町はまた口を開いた。
「小町ね、たぶん好きな人がいたことないの」
深刻そうな顔をするでも、おちゃらけるでもない。
八幡にとって、それがむしろ、しっかりと話を聞かなければならないと思わせた。
「小町ももう中三じゃん?普通の女の子なら、好きな男の子の一人や二人、いたことはあるもんじゃん。小町にはね、それがないの」
八幡は、小町が持ち掛けた「恋愛をしたことがあるか」という質問を思い出した。
そして、まさか小町にそんな悩みがあるとは知らずに適当に聞き流していたことを軽く後悔した。
「それこそ、ちっちゃい頃にお兄ちゃんに憧れてたとかそんくらい」
八幡は呆気にとられたままで忘れていたが、自分がソファに寝ころんだままだったことを思い出した。ゆっくりと、寝転んでいた身体を起こし、ソファに座りなおした。
「ねえお兄ちゃん」
そう切り出した小町の声は、先ほどとは違って張りつめていた。聞くものの意識を全て吸い寄せるような、そんな緊張した声。八幡は、俯いた小町の顔を注視した。
そして、ゆっくりと、小町は震える唇を持ち上げる。
「小町って、本当は冷めてるのかな」
その言葉に、八幡は目を瞠って息を飲んだ。
「冷めている」というのは、きっと男に対してのことだろう。小町は女子男子共に友達が多い。それは同学校だけでなく、高校生の結衣や雪乃、他学校の川崎大志など幅広い。そんな交友関係の広い小町が、恋愛をしたことがないというのは確かに意外とも思える。周りだけが恋愛をしているのに、自分だけが異性を好きになることがないということに、小町は焦りを感じているのだ。人への共感性が強い小町だからこその悩みといえる。
八幡は少しの間考えた後、いつものトーンで小町の質問に答えた。
「心配すんな。小町は年齢の割に中身が人より大人だからな。同じ学年の男子に恋愛感情抱くのは難しいだろ」
「……そうなのかな。でも小町より頭がいい男子とかも全然いるよ?」
「成績がいい=大人ってわけじゃない。どれだけ成績が良くてもその年代の男子はみんな精神年齢五歳だと思っていい。ソースは俺。成績は学年二十位とかだったが全人類を支配できると本気で思っていたからな。男ってのは見かけによらず子どもなんだよ」
「……そういうもん?」
「そういうもんだ」
上目遣いで不安そうに見つめてくる小町に、八幡は腕を組んでうんうんと頷いた。
結局は冗談を言って安心させようとするのがなんとも八幡らしい。
きっと、小町は大人すぎるのだ。八幡というダメな兄が近くにいるからそうならざるを得なかったというのが大きな理由だろう。全てはこのダメ兄貴のせいである。
しかし、そんな適当さが、小町には心地が良かったりすることもあるのだ。
「じゃあ、もうちょっと待てば小町も恋愛できるかな?」
「そうだなぁ……。まあ高校生になっても雪ノ下という前例があるからなぁ。あいつも大人びてるせいで恋愛とは無縁だろうし。まあ、雪ノ下の場合恋人どころか友達すらできないほど性格拗れてるから一周回って子供まであるけどな」
「それ言ったらお兄ちゃんもそうでしょ……」
「違いない」
八幡はふっと笑うと、小町もつられて笑った。心に引っかかっていたものが取れたような笑顔だ。
「ありがとねお兄ちゃん。さすが小町の兄」
「どういたしまして妹よ」
「あーあ、お兄ちゃんがこんな拗れずにかっこいいお兄ちゃんのままだったら兄妹ラブコメの線あったかもなのに」
「思ってもないこと言ってんじゃねえよ」
「きゃー、バレたー!逃げろー!」
すっかり元気を取り戻した小町が、だだっとリビングを颯爽と飛びだしていった。夜も遅いし自室へ戻ったのだろう。時計を見れば午後11時を回ったころだった。
八幡は、小町の悩みを解決できたことに安心し、明日提出の宿題をやって風呂入って寝ようと、自室へと戻った。
▼△▼△▼△▼△▼△▼
科挙くらいある宿題を終えると既にてっぺんを過ぎていた。朝にシャワーを浴びようか迷うところだが、その分早起きをしなければならないことを考えて、くらくらする頭で一階の浴室を目指した。
小町の部屋を通り過ぎると、閉められた扉の隙間から光が漏れている。心がすっきりしたのか、遅い時間まで受験勉強に勤しんでいるようだ。
風呂から上がってまだ起きていたら寝るように催促しようと決め、階段を降りる。
ふあっとでかいあくびをしつつ、浴室の扉を開けた。すると、
「………………」
「………………」
小町がいた。
ちょうど上がったところだったのか、衣類は一切身につけておらず、全身はお湯で濡れていた。
小町は首だけでこちらに振り向いて八幡の姿を認めると、石のように硬直した。
なんのことはない。一緒に住んでいればよくあることだ。大体「おお、すまん」と言ってすぐに八幡が退室するだけだ。小町側も特に気にしないので、青春ラブコメでよくある「なに見てんのよこのスケベ―!」といって殴られることもない。が、少しだけ、反応が遅れてしまったのだ。遅くまで勉強していたことや眠たかったことが原因だろう。だから、退出するまで時間がかかってしまった。
しかしそれでも、小町が「出てってくれる?」と言ってくれれば済む話だ。が、小町からもその言葉は出なかった。その間があったせいだろう。
小町の顔は、見る見るうちに赤くなっていた。わなわなと唇を震わせて、咄嗟に前部分をバスタオルで隠した。
その意外な反応に、八幡は何故か戸惑っていた。
赤面する小町を見た途端、八幡は自分の顔が紅潮していくのが自分でもわかったのだ。
「す、すまんっ」
咄嗟に、勢いよく扉を閉めた。
ドクドクと、心臓が脈打つ音が耳に痛い。
──なんだこれは。
八幡は焦っていた。焦っている自分に焦っていたのだ。
すぐに忘れようと、八幡は頭を振ってその場を離れた。
しかし、目に焼き付いてしまった光景は頭から離れてくれない。
髪から落ちた水が伝う、背中から腰にかけての曲線や、臀部。
肉付きの良い太もも、タオルから覗く鼠径部、控えめに膨らむ胸。
そして何よりも、小町の、赤面した顔。
それを思い出してしまって、八幡はまた顔が熱くなった。
「なんだよこれ。キモすぎんだろ」
八幡は、自嘲するとも違う悲しそうな表情を浮かべた。
この瞬間、実の妹を意識したことに、自覚してしまったのだ。