首置いてけ、なぁ。   作:奥の手

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第4話

朝日が差し込む森の中を、二人の人間が走っていました。

一人は朱色の鎧甲冑に身を包んだ男。もう一人は動きやすい大正袴の女の子です。二人は木々の間を縫うように全力で走っていました。

 

「と、豊様、ちょっと速く無いですか!?」

「なんの、こんくらいじゃ遅いくらいぞ」

 

豊久の言葉に、蘭の顔が青ざめます。もうすでに息が上がっているようです。

枯葉を踏みしだき、急な坂道を転げるようにして下る蘭と、その横をこともなく飛んでいく豊久、そして。

 

ひゅん。

 

つい先程まで二人のいたところを、小石が貫きました。罠です。小枝を踏み抜いた瞬間に、木の影からたわんだ竹の力で射出されているようです。当たれば少々痛いでしょうし、皮膚が少し裂けるかもしれません。

死ぬほどでは無いですが当たっていいものでは無いでしょう。

 

 

「じじどん、こんくらいの鍛錬じゃったら(おい)はぜんぜん応えんど」

「そのようじゃな。蘭の方はどうかの」

「わ、私は……ぜんぜん、ダメ、です……」

 

山を登っては降る訓練を始めて三日が経ちました。初めこそ豊久と蘭は肩を並べて走っていましたが、いつしか蘭は豊久の背中を追いかけるのに必死です。息も絶え絶えに降りてきて、一休憩しているところです。

 

山の空気は薄く、また育手の老人——師匠の仕掛けた罠もあちらこちらに点在しています。意思を持たない突然の攻撃を反射的に避けながら、それでも足を止めないという訓練のようです。

二人の体力差は明らかでした。

 

「これはちょいとテコ入れが必要かもしれんの。豊久どのはどうする」

「俺は俺で稽古が必要じゃってん、手を休めることはなか。じじどんと手合わせでもええど」

 

かっかっかと笑う師匠に、おずおずと蘭が言葉を挟みます。

 

「あの……私は全く着いていけないんですが、どうしたらいいんでしょうお師匠様」

「そうじゃの。強いて言うなら呼吸じゃ」

「呼吸?」

「息の仕方を意識せい。肺を全部使い切り、身体中に空気を巡らせるんじゃ」

「??????」

 

蘭は首を傾げますが、言われた通り意識して息を吸い、そして吐きます。

何となく、体に力が湧いてくるような気がしました。やってみるものです。

 

「そいじゃ、蘭はもう一周じゃの」

「はい! やってみます」

(おい)はどうすっかの。じじどんの剣術でも習おうかの」

「お主、十分に鍛えとるようじゃが。足らんか」

「足らん」

 

キッパリと豊久は言い切り、腕組みをしました。

真面目な表情で続けます。

 

「合戦に“足る”は無きぞ。何でんやって己の体ば鍛にゃ、何と戦こうても首ばもげん。首ばもぐために何でんすっど」

 

勇ましい男じゃのうと独りごちた師匠です。

 

「では、蘭は行け。豊久どのは儂と手合わせじゃ」

 

 

小川のほとりの古屋の前に、二人の人間が立っています。二人とも木刀を手にしていました。

 

「ほんに打ち込んでええんか、じじどん」

「良い。本気で来るんじゃ」

「うぬ」

 

ず、っと。

姿勢を低くし、土を踏みしだいた豊久は、一息に間合いを詰めました。

勢いをそのままに袈裟斬りします。神速で迫る木刀を、

 

「ほっほっほ」

 

師匠は容易く躱しました。ぬるりとした動きで豊久の喉元に木刀が迫ります。

豊久も負けじと体を捻——らず、そのまま木刀を顎に食らいながらもう一度振りかぶりました。振り下ろした先に師匠はいません。豊久の二手三手先を読んでいるかのような動きで間合いを開きます。

 

「なんちゅう男じゃ。顎が砕けるぞ」

「そいはなか。じゃっどん、真剣じゃったら(おい)は死んどった。こん勝負じじどんの勝ちじゃ」

 

腕組みをしながら鼻を鳴らす豊久に、木刀を杖代わりにしながら立つ老人が訊きます。

 

「なぜ儂に剣が届かんか、わかるかの」

「わからん。見当もつかん。じゃっどんなんかこう、じじどんの剣は人を斬るための殺法に思えん」

「ふははは、殺法とは言い得て妙。いかにも、儂のこれは鬼を殺すための剣技にあって、人に迫れるものでは無い」

 

何度か頷きながら豊久の周りを歩き、見上げます。

 

「蘭にも言ったが、お主はお主で呼吸が必要じゃ。人を斬るためでは無い、鬼を滅するための呼吸じゃよ」

「難しか」

「なに、すでに剣技のなんたるかはわかっておるからに、ちいとばかり研鑽すりゃお主は大丈夫じゃろ」

「剣を習うなんざ、何年ぶりかのう。楽しか」

「それはよかった」

「蘭の方はどうかのう? (おい)にはその、鬼狩りの素質とやらはようわからん。あやつは成れるんかの」

 

ふむ、と。

一つ考え事をするかのように息をついた師匠でしたが、次の瞬間には笑顔で、

 

「あやつはあやつで大丈夫じゃろう。素質はある。儂の使う呼吸とは違うかもしれんが、芽は必ず出る」

 

 

それからと言うもの、蘭はひたすら山を登っては降り、登っては降りる訓練を積み重ねます。

師匠に言われた通りの呼吸を意識し、咀嚼し、努めて理解し、体に染み付けようと努力しました。

一方で豊久は「鬼を切るための呼吸」というものを習い、その習得も目前というところまで来ました。身に付けたものは師匠の使う“水の呼吸”とは似ても似つかないものになりましたが。

 

ある日のこと。

 

「この大木を一刀にして切れれば、呼吸も、鬼を滅することもできるじゃろう」

 

日の光が差し込む森の中に、二本の大木がありました。縄がかけられ、身幅の五倍はある大木を前に、蘭は息を飲みます。

豊久は。

大木を前にするや息を吸い込み、深く深く吸い込み、止めたかと思うと、

 

「きいいいいいええええあああぁぁぁぁッ!」

 

猿叫もかくやという大声をあげて、いきなり切りかかりました。果たして、刃はずこんという音ともに大木を真一門に切ります。断面からずるりとずれた音と、刀を鞘に戻す音が重なります。

 

「切れたど」

「うむ。豊久どのは、もうええじゃろう。あとはその呼吸を極められい」

 

頷く豊久を、蘭は「本当に人間ですか?」という目で見ましたが、当の本人はまるで当たり前のことかのように立っています。

師匠は刀を持ち出し、

 

「蘭はこれから刀を持ち、これを振る訓練をせい。ただし——」

 

差し出された刀は、短刀でした。意匠のない燻銀のような渋い短刀です。

 

「おそらく、お主には打刀よりこちらが良いと思ってな。どれ、振ってみい」

「わ、わかりました」

 

短刀を両手で持ち、鞘から抜き放ちます。それはまるで数十年寄り添ってきたかのように、ひどく手に馴染みました。

 

腕の延長のように。体の一部のように。呼吸に呼応する肺のように。蘭が受け取った短刀は、恐ろしく蘭と一体です。蘭にとっては初めて手にする明確な武器でしたが、初めて手にしたような感覚はありません。

 

すうっと。

蘭は目を細め、意識を集中させ、呼吸を整えて、目の前の大木に切りかかってみます。

 

すこん。

果たして刃は幹の半ばまで届き、そこで止まりました。

 

「まだまだ、修行が足らんの」

 

森の中に、師匠の笑い声が響きます。

蘭は悔しそうに口元を結び、そして短刀を鞘に収めました。

修行はまだまだ続きます。

 




豊久、単行本二巻で普通に木の幹を一刀両断してましたからね。薩摩兵子怖すぎる。
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