更新はそんなに早くないので、思い出した時にでも読んでやってください。
起きてる?
学校の外はまだまだ寒い。都会だからか、雪は降っていない。
「初めまして。
冬休み明けの始業式。男は1人、講堂の壇上に立ち自己紹介を行う。
この日の為に買い直したスーツは、新春の大安売りで買った上下セットで8000円の物だ。我ながら良い買い物をしたと内心では賛辞している。
対面の座席──これから教え子になる生徒たちを見る。友人と小話する者、髪の毛をいじっている者、欠伸を晒す者。…なんというか、新任の先生には全く興味がなさそうだ。
(まあ、そうだろうな。俺も学生の時とかこんな感じだったし)
少しだけ落胆したが、それでも笑顔で予定の口上を終える。
演台から離れ、一礼し、彼は壇上を後にしようとしたが──1つ、言い忘れた事に気がついた。再びマイクを持ち、口を開く。
「すみません、あともうひとつだけ。今日から吹奏楽部の顧問も務める事になりました。目標は全国大会出場です。興味がある方は吹奏楽部の部室までお越しください」
******
彼の名前は
28歳を迎えたこの若き青年は、去年の12月31日まで日本一と名高い吹奏楽団「スペリウス・ウインドオーケストラ」に在籍していた。担当楽器はチューバ、その中でも首席奏者を務める程の実力者で、指揮者や他のメンバーからも十二分に信頼されていた。
そんな輝かしい経歴があるにもかかわらず彼は楽団を去った。そして、今年からここ──音ノ木坂学院で教師として第二の人生をスタートさせたのだ。
放課後。
と言っても今日は始業式のみだった為、今はお昼の時間帯である。
「…うーん…どこだここ」
まだまだ場所に不慣れな東一郎。行きたい場所があるのだが全く見つからず頭を悩ませている。辺りを見回しながら長い廊下を歩いていたら生徒会室を見つけることが出来た。安堵の息を吐き、ノックして扉を開けた。
「失礼します」
生徒会室には3人の生徒が仕事に勤しんでいた。
その内の1人、真ん中に座っていた金髪の少女が声をかけてくれる。
「桑野先生じゃないですか。こんにちは」
「え、俺の名前覚えてくれたの?凄いなぁ」
「当然ですよ。さっき講堂で名乗られたの、お忘れですか?」
「あぁ…ちゃんと聞いてる人がいたんだ」
先程はやる気ない生徒達しか印象が残らなかったので、少し驚いた表情で返す。それを見た少女はくすりと微笑んだ。
「君は…」
「生徒会長の絢瀬 絵里と申します」
「おお、会長か…絢瀬だな。よろしく」
「こちらこそ。ところで…生徒会に何かご用ですか?」
「ちょっと道に迷ってしまって。道案内をして欲しいなぁ、なんて」
「あら、お素直な先生ですね。ふふ、私でよければ案内します。どちらへ行かれるご予定でした?」
「吹奏楽部の部室まで」
そう、彼は自分が顧問を務める部活──吹奏楽部の部室まで行きたかったのだ。本格的な授業が始まる前に、吹奏楽部の現状を把握しておきたい訳である。学院に入る前、それとなく理事長に聞いてみたのだが…何故かはぐらかされてしまった事を思い出す。それも含め、出来るだけ早く行動に移したかった。
東一郎の発言を聞いた瞬間、絵里の右隣にいた少女──優木 せつ菜が立ち上がる。
「…桑野先生。…全国大会を目指されるのは本気ですか?」
「もちろん。二言はないよ」
曇った表情の彼女を怪訝に思いつつ、淀みなく即答する。
すると、彼女はますます険しい顔に変わっていく。
「…どうせ無駄ですよ。全国なんて行けっこない」
静かに、否定された。
「お止めなさいせつ菜さん。貴方にそれを言う資格はありません」
東一郎が口を開くよりも早く、最後の1人──黒澤 ダイヤが牽制する。
鋭い瞳でせつ菜を睨めば、彼女は眉を下げて口を噤んだ。
「…?」
少女達のやり取りに東一郎は入り込めず、2人を交互に見る事しか出来ない。
「絵里さん、ここはわたくし達にお任せを」
「ありがとうダイヤ。では桑野先生、行きましょうか」
しかも、足早に進む絵里に追い付かなければならず──結局、不明なまま生徒会室を後にする他なかった。
階段を降りて、再び長い廊下を歩く。
道中、ドアに色んな部活名のプレートが付いているのに気づく。どうやらここの階は部室が固まっているようだ。
「へぇー…色んな部活があるんだな」
「聞いた話ですが、数年前に廃校の危機があったそうで。それを乗り越える為に沢山の部活を作ったらしいです。中には全国大会に出場した所もあって、入学生も増えて廃校の危機もなくなったそうですよ」
「なるほど」
絵里からの話を聞きながら、東一郎は1つの疑問を確かにする。
それは、「音」が聞こえない事だ。
吹奏楽部はその名の通り「音を奏でる部活」である。だからこそ放課後には様々な楽器の音が聞こえるのが当然だ。
それなのに──ここは嫌なほど静かなのだ。
(ミーティングでもしているのか…?それとも、お昼ご飯を食べているとか?)
「着きましたよ」
1番奥の突き当たりの部室。プレートにはちゃんと「吹奏楽部」と書かれてあった。
「ここが…吹奏楽部…」
「鍵は…職員室に無かったので空いている筈です。それでは私は失礼しますね」
「あぁ。有難う、絢瀬」
去っていく絵里を見送り、意を決して引き戸を開ける。
ガラガラと、音が響いた。
「失礼します…」
断りを入れて一歩ずつ、ゆっくり入っていく。
室内には──人の姿は見えなかった。
「…?」
真っ先に目に映ったのはピアノ、マリンバ、ドラムセット、ティンパニ、他──所謂、打楽器たち。近くにあったバスドラムの上部分を軽く触れる。埃はついていなかった。
次に全体を見回してみる。何個か棚が並べてあり、楽譜や雑誌がぎっしり詰まっている。黒板には何も書かれていない。端っこには毛布が積まれている。それだけだった。
それしかなかった。
「…どう言う事だ…」
吹奏楽は打楽器の他にトランペットやフルートなどの管楽器が必須だ。なければ吹奏楽部ではない。それなのに──ここは、管楽器はおろか、部員が座るであろう椅子すらも1つもなかったのだ。
そこから推測出来ることは──…
「まさか…部員は1人もいないんじゃ…」
「んなー…」
自分のじゃない声が、聞こえた。
バッと振り返ると、毛布がもぞもぞ動いているのに気付く。
恐る恐る近づき、毛布を1枚、ゆっくり剥がすと──…
少女が1人、すやすやと寝息を立てているではないか。
「…誰だ…この子…」
猫のように丸まっている少女を観察する。
艶やかな紫苑の髪を乱雑に2つにまとめている。上着は着ているが前は開いており、中のカッターシャツは更にだらしない。上2つのボタンは開きっぱなしで豊満な胸がチラリと見えてしまっている。普通の生徒ならば学年毎のリボンを着用している筈だが、何故か彼女は紺色のネクタイ。そのため、学年を判別するのは不可能だった。
「全くわからん…」
この素性が分からない少女、とりあえず話を聞こうと肩を揺らして起こそうとする。んん、妙に色っぽい吐息が聞こえ、不本意だがドキリとした。少しだけ。ほんの少しだけ。
「んー…」
「すまん、君。起きてくれないか」
「…んへ…?」
声をかけるとようやく目を覚ましてくれる。
ゆっくりと瞼をあげ、おっとりめの翡翠の瞳が東一郎を捉えた。
「…おはようさん」
「おはよう。初めまして。俺は桑野 東一郎。今日から吹奏楽部の顧問になったんだ」
「…はあ」
「……。君はここの部員かい?」
「……ん…」
「……起きてる…?」
「…おやすみなさい」
しかし、再び閉じられる。
またもや眠りに落ちそうになる少女を、そうはさせまいと肩を掴んで必死に揺らす。
「ちょ、寝ないで、起きて!お昼だよ!お昼ご飯食べよう!?俺奢るから!?」
「ほんま!?お兄さんええ人やな!ほなウチ肉まん食べたい!」
先程の眠たそうな態度はどこに行ったのやら。東一郎の発言に食いついた少女は信じられない程勢いよく飛び起きた。毛布に隠れていた鞄を引っ張り出して、東一郎の左腕を掴む。
「ほないこ、お兄さん!近くにコンビニあるで!ファミマやけど!」
「え、あ、ちょ…」
「奢ってくれるんやろ?レッツゴーやん♡」
「ああ、もう…!分かった行こう。俺ファミペイだから大丈夫だし!」
結局、少女のゴリ押しに負けて、一旦学校を後にする事にした。