ある時──平凡な俺の人生が突然変貌した。
朝起きるとそこは見知らぬ部屋。
はて、俺は実家暮らしの高校生だったはずだが。
ベッドの傍らには仲良さげな家族の写真が建てられている。
遊園地をバックに満面の笑みでピースをしている親二人と子供一人、これはおそらく家族の写真なのだろうと予想が付いた。
俺と両親の写真だ。
しかしこんな写真を撮った覚えも、枕の横に写真立てをおいた記憶もありはしない。
「……異世界に来た、とか?」
いつも娯楽作品に熱中し、授業中も無意味な妄想で己を主人公に仕立て上げていたせいもあってか、急激な環境の変化を前にしてもなんとか取り乱さずにいれた。
しかし動揺はしている──俺はいったいどうなったのか。
先日の記憶はハッキリしている、いつも通り学校に行き珍しく早帰りだった両親と夕餉を囲み、風呂に入った後はゲームやら漫画やらで時間を潰してそのうち寝た。
つまりいつも通りだったのだ。
それが目を覚ましてみればどうだ。
「鏡は──あった。……うん、いつも通りの俺だ」
少し前髪が長くなってはいるけれどスタンドミラーに映っていたのは紛れもなく見慣れた自分自身の姿。
……何かが違う。
自分が知っているいつもの日常とはどこか違っている。
そう考えた俺はクローゼットから取り出した制服に着替え、突如として現れた未知の世界にワクワクしながら、学生証から調べた学校名をマップ検索に入力して家を飛び出していったのだった。
もしかしたら俺いま、主人公みたいに何かに巻き込まれているかもしれない!
◆
簡潔に言うと。
「朝日くん! はいお弁当!」
「わ、私もたまたま作りすぎちゃって……は、はぁ!? アンタのために作ったんじゃないわよ!」
「庶民のあなたの舌に合うよう調整を加えた特製のお弁当です。よろしかったらお食べくださいな」
……引くくらいベタベタな主人公だった。
◆
一週間後。
いつも通り登校しながら、考える。
この七日間の体験をもってして確信を得ることができた。
俺は見知らぬ世界において見知らぬ女の子たちでハーレムを築いている──エロゲみてぇな主人公になっているのだと。
呆れ半分と喜び半分。
少し疲れたが口角はニヤついたままだ。
俺は一般的なモブから一転してモテモテの主役になってしまった。
まさに妄想が具現化したような世界。
彼女らに何かをした覚えはないが、あのヒロインたちは俺に惚れこんでいてあと一押しすればどうにでもできそうな状況だということはもう分かっている。
なんだこれは。
こんなに都合のいいことがあっていいのか。
笑いが止まらない。
「それに、この力はすごいな……」
右手を見ながらぼそりと呟く。
実は今の俺の右手の甲には不思議な紋章が刻まれており、右手に意識を集中させるとこの紋章を数秒間光らせることができる。
それが何だという話なのだが──なんとこの光った状態の紋章を女の子に見せると彼女たちは『ヒロイン』になってしまうのだ。
具体的に言うと俺のことが好きになる。
もはや催眠と言い換えた方がわかりやすいかもしれない。
もともとヒロインではない外野の少女たちをも堕とすことができ、俺はたったの七日間で全校生徒のハーレムを築くことができてしまったわけだ。
今の俺は最強。
元の世界では考えられないくらいの
「おはよ」
「あっ、朝日くん! おはよー!」
教室に入るや否や抱き着いてくる元気な少女。
「遅刻ギリギリよ! まったくしょうがないんだから」
「ご、ごめんね委員長」
「コラそこ! 注意するふりしてすり寄ってんじゃないわよ!」
好意を隠しきれてない委員長キャラを糾弾しながら俺の腕に絡みついてくる金髪のツンデレっ娘。
さっきから本で顔を隠しつつ顔を赤くしてこちらをチラチラ見ている奥手っ娘やクーデレにお嬢様などなんでもござれ。
部屋の端にはメイドさんも控えてるしなんなら別のクラスからも数人こちらを覗きに来ている。
この学校にいる女子たち全員が俺のことを好いているのだ、これを楽園と言わずしてなんという。
……流石に肉体的なアレコレは何もしていないけど。
いやいやこの状況だけで十分だ。
決して俺がヘタレだとか童貞だとかそういうわけじゃない。ちがうちがう。
すぐに手を出す抜きゲーの主人公と比べられては困る。
俺は紋章の力できっかけを作っただけで、そこから先の……あの、成人向けなアレはしっかり彼女たちを攻略して踏んでいくつもりなんだ。
うん、心の準備は大切だからな。うん。
「はーいみんな来てるわねー。つぎ全校集会だから体育館に移動しなさーい」
女教師の一言でみんなゾロゾロと移動をし始める。ちなみにあの先生も俺のことを以下略。
道行く女の子たちみんなが俺を見たり声をかけたり、はては体をくっつけてきたりする。
ふふ、フハハ。
俺は異世界で王になったんだ──
「そこ、邪魔」
どん、と誰かがぶつかった。
「あっ」
「……なに?」
「い、いや、なんでも……」
「そう」
しどろもどろになっているうちに彼女はスタスタと先に行ってしまった。
俺の肩に当たったあの長い黒髪の少女。
彼女だけは紋章を見せてもヒロインにはならなかった。
言葉を選ばずに言えば催眠が効かなかった。
王の力をもってしても攻略できない少女──やる気が出るじゃないか!
いずれ絶対に堕としてやるからな……!
「あ、ちょっとごめん、トイレいってくるから」
「付いて行っていい!?」
「わたしも!」
「いくいくー!」
「さ、流石にダメだって! 先に行ってて!」
……ハーレムもちょっと考え物だな。
◆
手洗いを済ませてふと洗面台の鏡を見る。
なんだか前髪がさらに長くなっているような気がする。
不思議と目に入ったりはしないし前も見えるんだけど、鏡を見た時とかにだんだん自分の目が見えなくなっている。
エロゲの主人公っぽいって言われたら確かにそうなのだが。
しかしこの世界に来てからまだ一週間しか経っていないが、立ち振る舞いによって風貌も変わってくるものなのだろうか。
まぁ気にするほどの事でもないか──そう思ってトイレを出ると、一人の女子生徒が目の前に立っていた。
見覚えのある豪奢な金髪、彼女は催眠を使う前から俺のことが好きだったお嬢様ヒロインだ。
「あれ、どうしたの?」
「──朝日さん」
ゆらりと顔を上げた彼女は真顔で俺の名を呼んだ。
まるで瞳孔が開くほどに目を見開いていて、首をかしげている。
「最近よく女性の皆様に好かれているご様子ですね」
「う、うん、まぁね」
「どうですか?」
「え?」
いつの間にか超至近距離まで彼女が近づいている。
金髪からふわっと香ってくる甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
「お気持ちが聞きたいのです。美少女たちを侍らせて気持ちがよかったですか? この学校は特に顔やスタイルの良い娘たちばかりですよね」
「……そ、そうだね。いやーこんなにモテちゃって困るなぁ……あはは」
「幸福でしたか?」
「う、うん」
奇麗な女の子に詰め寄られるのは嫌いじゃないが、この質問の意図が分からない。
なんだろう、もしかして嫉妬しているのかな。
だとしたらこう……なんか可愛いな。
「それはよかった。ところで朝ご飯はお食べになりましたか?」
「え? 食べてないけど……」
「私もです。おなかがすいてきたかも」
「そ、そう。ならこの後売店で」
「人を幸福にしたならば相応の対価があってしかるべきですよね?」
「……え、えっと」
なんだ?
今日はやけに積極的というか、何が言いたいのかイマイチ分からない。
というかよく見ると目が光っているような──
「私は悪いことをしていませんね? 幸福を与えたという言質を取りましたね? 悪霊ではない正しい。わたしは正しい。よい存在だ」
「あ、あの」
「みてくださいこれを」
彼女は目の前で自らの胸元の服をちぎり、ブラジャーに覆われた乳房を晒す。
「ちょっ!?」
動揺する俺とは正反対に彼女は真顔のまま胸の中心をこちらに見せつける。
そこには刺青のように──俺の左手にある紋章と同じマークが刻まれていた。
「……え?」
「こひゃ、えだ。これだ。えひ」
「な、なに……?」
「これでオレの証明になる。オレのもんだ。おむ。おも。おま、オレのエモノだ。つばつけた。さきにツバつけたのがオレだ」
ぐちゅり、と眉間の間の肉が剥けて中から眼球が出てくる。
「おぽ。ぐびっ、い゛っ。いたい゛」
ブチブチ。と奇怪な音を立てながら彼女の頬肉が裂けていく。
「ぶっ、ふふぶっぷ……」
喉奥からロープのように長い舌が垂れてきた。
さらに舌先が二つに分かれて、まるでそれぞれが意思を持っているかのように蠢いている。
言葉を失い後ずさる。息を呑んでようやく理解したのは、俺の背には壁があるということ。
なんだこれは。
「んみっ、み食う。ひさしぶりだなぁ。オレ耳垢すきなんだよなあ。そうじしてないよな?」
「……、っ」
動揺の声も困惑の抗議もかなわずただ呼吸をすることしかできない。
下を見るといつのまにか彼女の足が変貌している。
人間の足ではなく蛇のような、ナメクジのような軟体のひと固まりになっている。
ヒトで言うところの一歩なのか、ずりずりと俺との距離を着実に縮めてきている。
血の気が引くとはこのことを言うのか。
手足の末端にまるで感覚がない。
痺れてしまったかのようにその場から動けず、ただ辛うじて理解できている恐怖という感情が俺の歯をカチカチと鳴らしている。
「……きっ、昨日、掃除しっ、たばかりだ」
一種の防衛本能なのか、俺は虚勢を張るかの如く口を開いた。
それが火に油を注ぐ結果になるなんてどう考えても当たり前のことだというのに。
「ア?」
「ひっ……」
「まあいいやどうせ食うんだ。肩から」
肩?
聞き返す間もなく裂けた口を大きく開く。
いつのまにか犬歯のように鋭い牙ばかりが生え揃っている。
顎から絶え間なく涎を垂れ流し、金髪の美少女だったナニカはそのまま俺の肩を喰いちぎる勢いで覆いかぶさってきた──
「ウブァっ!!」
そのまま鋭い牙で息の根を止められるかと思いきや、予想外にもバケモノはまるでゴミ箱を開けた瞬間悪臭に襲われた人間のごとく悲鳴を上げて俺から一歩後ずさった。
なんだ?
「うぷっ、ウゲっ……! な、なんでオフダが肩に!?」
「お、お札……?」
反射的に左肩を見てみると──本当だ。
怪しげな文字がこれでもかというほど刻まれた御札が肩の後ろに張り付いている。
こんなの、いつの間に。
「オマエ! 除霊師のナカマだったのか!」
そんな怪しげな人物を仲間に引き入れた覚えなどこれっぽっちもない。
しかしどこかの誰かが肩に張り付けてくれたこのお札のおかげで助かったのは事実だ。
「ウグ……だがショセン時間稼ぎ程度のザコ札! 今度こそ喰らってや──」
「そこまでだ」
──どこからともなく声が聞こえた。
「えっ?」
横を向く。
するとそこにはいつの間にか一人の男性が立っていた。
俺のすぐそばに高身長でお坊さんのようにツルツルの坊主頭な青年が立っていたのだ。
「オマエはッ!?」
「……ぁ、あなたは」
「フッ」
鼻を鳴らすように青年が微笑んだ刹那──
「ぐあァっ!?」
俺を喰らわんと涎を垂らしていたバケモノが、まるで突風に吹き飛ばされたかのように後方へ吹っ飛ばされて壁に直撃した。
肺から空気が漏れ出すように悲鳴を上げたバケモノは立ち上がることもできないまま、睨みつけるように顔だけを上げる。
「おっ、オマエェ……!」
「間に合ってよかった。さて、退散の時間だぜ──悪霊」
しゃらん、と懐から数珠を取り出す。
青年の現代風な服装とはミスマッチなデカい数珠を手に持ち──瞬間。
「破ぁッ!!!」
目に見えるほどの衝撃波が巻き起こり、彼の数珠から発生した光の衝撃波はまるで
そしてある程度のダメージを与えると青年は数珠を構えなおし「南無」とだけ呟き、その瞬間周囲に光が迸りあっという間に悪霊は消滅してしまった。
「大丈夫だったかい、少年?」
「ぁ……」
振り返った青年に手を差し伸べられてようやく気が付く。
どうやら俺は腰が抜けて座り込んでしまっていたらしい。
「い、いったい何がどうなってるんですか……?」
だがこの短時間で恐怖だのなんだの感情が忙しいことになっていた俺は彼の手を取ることができず、そのまま廊下の隅で動けなくなってしまった。
すると青年は俺が動けないことを察してくれたのか、隣に腰を下ろした。
「アイツはこの世界に巣食う人喰らいの悪霊だよ。勝手に特別な力を与えて、その対価として精神を乗っ取ろうとしてくる。対象の霊力が強くて乗っ取りができない場合はさっきみたいに直接物理的に喰おうとしてくるんだ」
「と、特別な力……? ──あっ」
とっさに左手を見る。
そこにはあの紋章が……いや、既に消え去っていた。
あの悪霊と同じマークだったこれは、もしかして。
「察しがいいね。キミが女の子たちを催眠にかけていたその力はヤツが与えたものなんだ」
「そんな……俺、そんなロクでもない力で女の子たちに何てことを……」
「いんや、その力を強制的に使うようヤツに精神を若干操られていたから、とんだマッチポンプだよ。キミの意志ではない」
だから気を落とさないで、と肩に手を置く青年。
振り返ってみればおかしなことだらけで、いつの間にか手に入れた力を王の力だとか言って女子たちに使ったり、異常な速さで伸びていく前髪に気が付かなかったり、催眠が通用しないあの女子を堕としてやるだとか考えたり──そんな肉食系の男じゃないのに、ともかく『違和感』を殺されていたようだ。
「……も、もしかしてこの肩のお札は貴方が?」
「まさか、それを張る余裕があったら先にヤツを祓ってたさ。それを貼ったのは俺の妹でね、この学校で不愛想な黒い髪の女の子を見かけなかった?」
「あ、いましたさっき!」
トイレに行く前に俺の肩にぶつかってきた、あの催眠の効かない無表情な女の子が俺を助けてくれたのか。
このお札が無かったら青年は間に合わず俺は今頃バケモノの胃の中で溶かされていたことだろう。
命の恩人だ、あとでお礼を言わなきゃ。
……あっ、恩人といえば。
「あのっ、ありがとうございます! 助けてくれて!」
「礼には及ばないよ、この世界に迷い込んだ異界の魂を守護する事こそ除霊師たる俺の使命だからね」
──この世界はとある悪霊が生み出した特殊な世界だという。
俺のようにいつの間にか眠っている人間をこの世界へ誘い、他の悪霊の餌にしている、と彼は語る。
どうやら普通の人間はここに来た時点で記憶を奪われてしまうらしいのだが、俺は偶然にも霊力が高いおかげで記憶消去を免れたらしい。
「……ところで、あなたの名前をうかがっても?」
「あっ、そういえば名乗ってなかったね、ごめんごめん」
よっ、と立ち上がった青年は明るい笑みをたたえて、もう一度俺に手を差し伸べてくれた。
「俺の名は大道寺タケル! ヒトは俺を
彼の手を取って立ち上がる。
不思議と彼につられて俺も笑う。
おどけた風に振る舞うタケルさんの──Tさんの後ろに眩い輝きを放つ太陽が見えた気がした。
「寺生まれの誇りにかけて必ずキミをもとの世界に帰してみせるよ。悪霊の相手なら安心して俺に任せてくれ」
この安心感。
絶対的な信頼。
力だけではなく精神的にも強靭なこの青年を前にして、俺は思うのだ。
「そう言えばキミの名前は?」
「……俺は」
寺生まれってスゴイ──
「朝日大河です。よろしくお願いしますTさん!」