きみはかっこいい   作:まなぶおじさん

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ちょびはたのもしい

 

 いつの間にか高校二年になって、あっという間の七月が訪れた頃。

 生徒会の仕事を終え、いったん寮へ帰宅した黄池悟は、敷地内の駐車場にて己がクラシックバイクに腰を下ろし、慣れた手付きでエンジンを始動させる。

 ――そして「目的地」へ向かう途中、コンビニへ立ち寄っては四人分のカツカレーを購入し、ふたたびバイクを走らせた。

 

 フルフェイスヘルメットごしから、風の音がよく伝わってくる。後ろに車がついてきたが、特にこれといった恐怖も抱かない。途中で信号機に捕まり、慣れた調子でバイクを止める。

 横断歩道に、犬を連れたおじいさんがゆっくりと横切っていく。今日も平和で何よりだ――青信号に切り替わり、これまた手慣れた流れでバイクを走らせる。

 そんな平穏の中を走って、だいたい十分程が過ぎただろうか。何度も目にした住宅地へ入って、どこか古めかしい長屋を通り過ぎていき、そこから曲がり角を曲がれば――

 

「ホシノ、いるかい?」

「お」

 

 真新しい白色が目立つ、一階建てのシェアハウスの前でバイクを止める。ドアには「ナカジマ」「ホシノ」「スズキ」、そして「ツチヤ」の表札がひとかたまりで並べられていた。

 そしてシェアハウスの隣には、車が三台ほど並べられそうなガレージが静かに佇んでいる。そのガレージの屋根には、丸文字で書かれた「大洗女子学園自動車部 第二作業所(公式)」の看板がハデハデに健在していた。

 

「来てくれたんだね」

 

 タンクトップ姿のホシノが、整備服を着込んだナカジマとスズキが、車の整備を行いながらで手を振るう。去年知り合ったばかりのツチヤも、微笑しながらで頷いてくれた。

 黄池はバイクのエンジンを切り、ガレージの中にまでバイクを手押ししていく。ホシノは、整備の手を止めて黄池の方に寄ってくる。

 

「整備かい?」

「うん。どこかおかしいところがないか、見て欲しい」

「おっけー任せろ」

 

 バイク修理担当のホシノが、軍手をはいた右手と左手をばちんと叩く。整備をする際の、気合い入れだ。

 見渡す。

 白色に照らされたガレージの壁には、一際目立つウォールキャビネットが飾られている。物々しい工具が沢山吊り下げられており、とてもでないが触れたものじゃない。

 現在のガレージ事情はといえば、校長の事故車(見慣れた)にホシノ一同の白いマイカー、あとは自分のクラシックバイクのみ。今日「は」余裕のある一日を過ごしてきたようだ。

 それでも、大変な作業に違いはない。いまは暑いから、白い扇風機も必死に首を振っているし。

 

「どれどれ……うわー」

「え、なにかまずかった?」

「いや、パーペキ。ほんと、大切にしてるんだな」

「生徒会員だからね」

 

 ホシノは、ガソリンタンクを確認しながらで「さすが」と笑う。

 

「生徒会といえば、今週は何かやったの?」

「人工呼吸の練習を総出でやってた。やるべきことをやれたよ」

「えらいなー」

「どうも。それで、ホシノは?」

「いつもとおんなじだよ。依頼されたバイクの整備に、クラッシュした校長の車修理、あとはレースしてビクトリー」

 

 黄池は、「さすが」と微笑む。

 

「生徒会はやっぱ忙しそうなのな。特に悟はレースにも出場してくれるし、体は大丈夫か?」

「平気平気、ちゃんと睡眠をとってるから」

 

 生徒会は忙しいから、そりゃあ疲れもするし機嫌だって上下することもある。けれどひとたび睡眠をとってしまえば、調子も気分も元通りになってくれるのだ。

 医者志望だからこそ、寝ることの大切さは理解している。

 

「おー、それなら安心だ。でも無理して出場する必要はないんだからな、簡単に切れる縁でもないんだし」

「ありがとう。でも僕は、ホシノとレースがしたいから」

 

 ホシノが、エンジンを点検するために身を屈ませ、

 

「そっか」

 

 黄池のことを見つめながらで、笑顔を見せてくれた。

 

「――うし、見た感じ壊れてるところはなさそうだ。一応、確認はしておくね」

「ありがとう。お代はレース一回、でいいかな?」

「ああ」

「あと、これも」

 

 黄池が、手にぶらさげていたレジ袋をその場で掲げてみせた。

 対してホシノは、困ったように苦笑い。

 

「またカツカレー買ってきてくれたの?」

「バイクの整備をしてくれるんだし、これぐらいは」

「レースをしてくれるだけで十分だよ」

 

 黄池は、首を左右に振るう。

 

「みんなの整備している姿を見ているとさ、こう、本当に大変なんだなってことがわかった。このカツカレーは、ただのおせっかいとして受け取って欲しい」

 

 黄池は、見たままの感想をホシノへ伝えた。

 実際のところ、整備というものは本当に難しい仕事だと思う。決して安くはない車両を預かり、見るも複雑なパーツを確認していっては、どこが異常かどうかを判断しなければならない。そして整備をし終えた後は、みんな例外なく煤にまみれるのだ。

 こんなの、自分には無理だと思う。医者志望だからこそ、心からそう思う。

 だから黄池は、せめてもと四人分のカツカレーを持っていくことにしている。金銭のやりとりが出来ないからこその、苦し紛れの報酬のつもりだ。

 

「……そっか」

 

 けれどホシノは、そんな報酬を微笑んで受け入れてくれる。

 校長の事故車の整備を行っていたナカジマは「いつもありがとね」と言い、スズキは「ゴチになりまーす」と上機嫌になって、ツチヤは寡黙のまま頷いてくれた。

 

「しょうがないなー、そこまで言うならしょうがないなー」

「あとで、みんなで食べてくれ」

「わかったよ」

 

 買い物袋を、ガレージの入口付近に置く。

 

「――で、悟」

「うん」

「それはそれとして、今週末のレースには必ず参加するように」

「ああ、」

 

 黄池は、握りこぶしをその場で作り、

 

「望むところだ。今度こそ、勝つ」

「そりゃこっちのセリフだ」

 

 ホシノが、歯をむき出しにして笑った。

 黄池も、挑戦的な顔つきに早変わりする。

 

「次こそ決着がつくかなー、つくといいなあ」

「嘘みたいだよね、どっちも同じタイムだなんて」

 

 ナカジマとスズキが、「ねー」と顔を合わせる。

 ――そう。

 黄池とホシノは、高校一年の頃からひたすらにバイクレースで競い合っていた。時にはタイマンで峠を切ったり、時には大洗のライダー達に混ざってコースを駆け抜けることもある。

 最初は、ホシノの連戦連勝だったのだ。

 ところがすぐに、黄池はホシノの真横を食らいつくようになった。恋心をガソリンにして、カーブの曲がり方をひたすらに練習しまくったのだ。

 かくして黄池は、二年にして男ライダー達の頂点に君臨している。当時は「生徒会員だよな?」と周囲で騒がれたが、顔見知りのライダーが「期末一位だしな」と呟いたことですんなりと納得された。黄池自身は未だによくわかっていない。

 

「ほんと、いつになったら決着がつくんだろうな」

「最初はホシノが勝ってたじゃないか」

「あれはまだ、あんたが初心者だったからノーカンだ。私は、『大洗一キレる男』に勝ちたい」

 

 そのあだ名を耳にして、黄池が苦笑いする。

 

「なんか乱暴そうなフレーズだけどね」

「そうか? 私は好きだぞ、キレてるんだからな」

 

 エキゾーストの点検を行っているホシノが、感慨深そうに黄池のあだ名を口にする。

 黄池自身は、医者志望としてはどうかなあと思っている。

 

「……ほんとさ」

「うん?」

「何をやらせても凄いよな、悟は。バイクもここ一年ですごく上達したし」

 

 思わず口元をつぐむ。そこまでたどり着けたのも、すべてはホシノへの恋心が原動力だったから。

 ホシノよりかっこよくなって、ホシノの隣へ立てるようになるには、ホシノより速く走らなければならない――それが大洗一速い女への、一番の礼節だと思っている。

 

「勉強ができて、生徒会員としてバリバリやってて、こうして気前だっていい。ほんとすごいよ、あんたは」

「え、いやあ、その」

 

 そんなふうに言われて、黄池の意識はあたふたしてしまう。

 ホシノは、物静かな表情で手を動かしながら、

 

「レース中だといつも真横にいるけどさ。でも時折、あんたが遠くに見えることがある」

「――そんなことない」

 

 即答していた、考える前に。

 ホシノが、目を丸くして黄池のことを注視する。

 

「ホシノだってすごいじゃないか。大洗一速い女と呼ばれていて、バイクも車も整備ができて、誰にでも気さくで、だから人も集まってくる。挑戦者だって耐えないんだろう?」

「ま、まあ」

 

 大洗一速い女という称号は、何よりも価値があるものだ。それを奪取しようと、常日頃から挑戦者が耐えない。

 結果はもちろん全勝で、自分はギリギリ引き分けだ。これだけ書くとホシノが孤高のように思えるが、試合後のホシノは例外なく笑顔に溢れていて、挑戦者もホシノを讃えながらいつかのリベンジマッチを申し込む。例外はない。

 一度のレースで友情を結び、お得意様としてバイクを預けていくライダー達を、黄池は数多く見受けてきた。これも、ホシノの人柄があっての流れだ。

 その証拠に、自分が勝負を挑まれた回数はそれほどでもない。

 

「……それに」

 

 そして黄池は、最初から言いたかったことを口にした。

 

「ホシノは、情けなかった僕を助けてくれた。だからホシノは、僕以上に凄い人だよ」

「うえっ!? あ、あれはその、もう昔のことだろ!?」

「僕からすれば、一生の思い出だよ」

 

 黄池が言い切る、ホシノは目を逸らす。ナカジマとスズキは微笑んで、ツチヤからはちらりと一瞥された。

 

「……ま、まあ、それでもいいけど」

「うん」

 

 あの思い出だけは、何があろうとも絶対に譲れない。ホシノと出会えなければ、今頃は一人寂しく優等生を貫いていただろう。

 そしていつかは、どこかで事故を起こしていたに違いない。

 

 そして、沈黙が訪れた。

 ホシノは真剣な目つきになりながら、バイクの整備を行ってくれている。ナカジマとスズキとツチヤは、手分けして校長の車を修復中だ。

 ほんとうにみんな、凄いことをやってのけていると思う。

 何物も万全こそが重要であって、そこまで整えるのは決して簡単な事ではない。生徒会員だからこそ、この事実ははっきりと分かっているつもりだ。

 だからこそ、ホシノ達には頭が上がらない。車という専門性の塊を、盤石なものに仕立て上げてくれるのだから。

 ――だからやっぱり、ホシノはかっこいい。

 

「ふぃー、できた」

 

 ホシノが、額を腕でぬぐう。

 

「生まれ変わったぞ」

「さすが」

 

 ホシノが、その場で緩慢に立ち上がり、

 

「ま、ぜんぜん手間はかからなかったけどな。乗り手に愛されてる証拠だ」

「そうかな?」

「そうさ」

「そっか……じゃあ次も、なるだけ壊さないようにするよ。ホシノに苦労はかけたくないから」

「そんな気遣わなくてもいいんだぞ」

 

 黄池は、首を横に振るう。

 

「これはホシノが直してくれたバイクだ。傷一つだってつけたくはない」

 

 それは、本心からの言葉だった。

 他でもないホシノ(すきなひと)が手掛けてくれたバイクは、黄池からすれば宝物にも等しい。それを不注意で傷つけるなど、あってはならないことだ。

 

「……へえー、そっか」

 

 納得してくれたのだろう。両腕を組んだホシノは、うんうんと頷いて、

 

「……そっか」

 

 とても嬉しそうに、うれしそうに笑ってくれた。

 ――胸の中が痛くなる、視線を逸らしてしまいそうになる。

 やっぱりこの人は、かっこいい女の子だ。

 

「――え、えと、整備は終わったかな?」

「イエス。お帰りはこちらでございます」

 

 ホシノが手品師のようなポーズを決めながら、ガレージの出口を手のひらで差す。

 黄池は、バイクのハンドルを手にとって、

 

「今日も整備してくれてありがとう。じゃあまた今度、レースをしよう」

「あいよ。じゃ、またこいよ」

「了解。お互い、車には気をつけよう」

「ああ」

 

 ガレージの外にまでバイクを押し出し、エンジンをかける。そうしてシートに跨り、ヘルメットを被って、午後五時の帰路を走り始めた。

 夏が近いからか、空はまだ少しだけ明るい。部活帰りなのか、歩道にはぽつぽつと生徒の姿が見受けられた。異常らしいものはない。

 そんな平穏の中で、黄池はホシノの笑顔を思い起こしていた。

 あんな顔をしてくれる人とデートができたら、どれだけ幸せになれるのだろう。正気なんて保っていられるだろうか。

 とてもでないが、良い結果なんてまるで想像できない。ビビリな自分のことだから、ロクなセリフの一つすら言えないと思う。

 

 ――でも、好きなんだ。

 

 バイクの排気音が、帰路に反響していく。

 今日も丸一日、大洗学園艦は平和だった。

 

 

 □

 

 

 ホシノは気楽そうに笑いながら、走り去っていく黄池へ手を振るう。排気音が聞こえなくなるまで、しばらくはそのまま。

 それは、いつもの光景だった。だからツチヤもナカジマも、スズキも声をかけたりはしない。

 ――そして、黄池の姿が完全に遠くまで消えると、

 

「……はぁぁぁぁぁ」

 

 ホシノが、長く長くため息をついた。

 それもいつもの光景であったから、ナカジマもスズキも苦笑いをするだけ。これまで口をつぐんでいたツチヤも、同じようにため息をこぼした。

 

「ホシノォ」

 

 ツチヤの呼びかけに、ホシノが無気力に「なにぃ?」と反応する。

 

「んもー、いい加減にアタックの一つや二つしてよぉ。見てるこっちがハラハラするんだから」

「……だってさあ……」

「黄池さんの方がかっこいいから、デートなんか誘えないって?」

 

 ホシノがその場でうつむいて、力なく唸り声を垂れ流す。

 ナカジマは「まあまあ」とホシノへ歩んでいって、

 

「だいじょうぶだいじょうぶ、チャンスはきっと訪れるから」

「……でもさあ」

「私からしたら、ホシノも黄池も同じくらいかっこいいと思うんだけどなー」

 

 ホシノが、髪を揺らす勢いで首を横に振るう。

 

「そんなことない。あいつは私にできないことばかりできるんだぞ」

「勉強とか? でもホシノだって整備とかレースとかでブイブイ言わせてるじゃない」

「……好きなことしかしてないし……」

「えー? 選んだ道がたまたまそうだったってだけじゃないかなあ? ホシノは好きを貫いて、黄池は義務を歩んだってカンジ?」

「やっぱり悟の方がかっこいいよ……」

「ホシノもかっこいいって」

 

 ナカジマが、よしよしとホシノの頭をなで始める。ホシノは、しくしくと撫でられている。

 そしてツチヤは、疲労困憊の吐息をついた。

 いや実際、本当に疲れているのだ。恋愛未体験者のツチヤからすれば、ホシノと黄池のもどかしいやりとりなんてハラハラドキドキしてしまうから。

 黄池からは「静かな人だね」と評されることもあるが、むしろ性格的に逆だ。単に極度の緊張状態に陥っているだけで、何を言っていいのかがわからないだけ。余計なことを口にして、災いを呼びたくもないし。

 

 この色恋沙汰は、「私達」四人だけの秘密、ということになっている。

 こちらとしては、はやくゴールインして公になってくれと思っている。

 

「……ホシノォ」

「……なにぃ? ツチヤァ」

 

 頭をよしよしされたままのホシノが、ちらりとツチヤに目を向ける。

 

「さっきから黄池さんのことをかっこいいかっこいいって言ってるけど、ナカジマの言う通りホシノもかっこいいと私も思うよ」

「えぇ……世辞ですか……?」

 

 レースではトップを張っているのに、恋が絡むとこれだ。まあフクザツなものだし、仕方がないのかもしれないけれど。

 ツチヤは、両肩でげんなりと呼吸して、

 

「黄池さんは立派な生徒会員で、勉強もできて、大洗一キレてて、カツカレーをくれるほど気前が良い。だからかっこいいと思ってるんでしょ?」

「うん」

「対してホシノは、大洗一速くて、イケメンで、ライダー仲間も多くて、車やバイクの整備もお手のもの。それに昔は、黄池さんのことを助けたこともある、そうでしょ?」

「うん、まあ……イケメン?」

「じゃあホシノの方が、かっこいいポイントは上じゃない」

「いや」

 

 即座に否定された。

 

「あいつには昔、助けられた覚えがあるんだ。ちょっとドジって怪我をした時に……ね」

「へえぇ」

「今でも忘れてないよ」

 

 なでなでから離れたホシノは、そっと右の膝に手を触れた。

 ――音もなく微笑むホシノを目にして、ツチヤは声も出ない。

 

「……ツチヤが私のことを、評価してくれるのは嬉しい。けれどあいつは、私と同じくらい……いや、私よりかっこいいと思うんだ」

「むつかしいね」

「だからこそ、レースで勝ってあいつよりもかっこよくならないといけないんだ。じゃないと、正直自信がね」

 

 そういうものなのか、とツチヤは思う。

 恋とは、かくも遠回りになりがちなんだなあと思う。

 

「――でも」

 

 突如として、凛々しい声がガレージに響き渡る。一同は、声の主めがけ一斉に注目した。

 

「この本によれば、ああいう生まじめタイプこそ密かにモテるって書いてあるよ」

 

 「恋愛攻略書」と書かれた本を片手に、スズキが間に入ってくる。

 無視できない台詞だったのか、ホシノが「いやいやいや」と食いつく。

 

「なに言ってるんだよ。あいつから、そんな話は聞いたことない」

「どうかな。もしかしたら、片思いしている女の子はいるかもしれないよ」

「い、いるのかそんなやつ!?」

 

 寸前違わず、ツチヤとナカジマとスズキがホシノめがけ視線の十字砲火を浴びせる。

 ホシノは、しおしおになるほかなかった。

 

「ま」

 

 スズキが、本を片手で本を閉じて、

 

「時には差なんて考えずに、アタックしてみるのもぜんぜんアリだと思うよ。私からすれば、ホシノも黄池も同じくらいかっくいいと思うけどね」

「……どうかなあ……」

「私も賛成、はやくデートして告白して幸せになってほしい。見ててほんっとドキドキするんだから」

「煽らないでツチヤ……」

 

 ナカジマが「まあまあ」とツチヤをなだめる、ホシノは人差し指と人差し指を一つにくっつけはじめる。

 

 入学直後の頃、根っからのレース好きだった自分のことを、自動車部の面々は快く受け入れてくれた。そしてホシノから「せっかくだからさ」と誘われて、こうしてシェアハウスで寝泊まりさせてもらっている。

 みんな気がいいし、車への愛も感じられて、毎日がすこぶる楽しい。けれど至近距離の恋だけは、どうしても慣れない。

 そんな恋のことを、ホシノはまるで手放す気がなさそうだ。

 

 恋って、そんなにいいものなのかなぁ。

 

 

―――

 

 

 鼻歌混じりでお風呂に入り、舌鼓を打ちながらで夕飯のピザを味わったあとは、ほんのちょっとの宿題を済ませて学生の本分を終了させる。

 そうした後は、寮自慢のふかふかベッドに寝転がって恋愛小説を読むに限る。これがあるから明日も頑張れるのだ。

 さて。

 栞がはさまった恋愛小説を、広げようとして、

 

 充電中の携帯が、軽快なメロディと共に震えだした。

 

 なになにとベッドから起き上がり、いそいそと学習机に移動して、どれどれと携帯を目にし、

 

 ホッシー:こんにちは、ちょびさん。いまだいじょうぶですか?

 

 緩慢気味だった意識が、一気にはたき起こされた。

 充電器を引っこ抜き、携帯を片手にベッドへ腰掛ける。パスワードを0.6秒で入力してロック解除、

 

 ちょび:はい。もしかして、イエローさんのことですか?

 ホッシー:はい! それで今日、彼とお話したんですよ

 ちょび:本当ですか!? どうでしたどうでした!?

 ホッシー:普通にお話しました!

 ちょび:それでそれで?

 

 間。

 察する。

 

 ホッシー:……それだけです

 ちょび:……ホッシーさぁぁん

 ホッシー:スミマセン……

 ちょび:恋は待ってくれないんですよ、横入り上等な世界なんですよ

 ホッシー:きょう、友達からも忠告されました

 ちょび:でしょ? じゃあ次こそはアタックしないと! 私も応援しますよ!

 ホッシー:でも……彼はかっこいいんですよ、私なんかとは比べ物にならないくらい

 

 苦笑いする。

 

 ちょび:性格がいい、勉強ができる、生徒会員として頑張ってる、レースも上手い、ですよね?

 ホッシー:はい……

 ちょび:それ何度も言ってますけど、ホッシーさんも十分かっこいいと思ってますよ

 ホッシー:それも友達から言われました……

 

 ふむ。

 

 ちょび:ちょっと整理しましょうか

 

 自分は、これまでに聞かされた情報を思い起こしながらで文字を打ち込んでいく。

 

 ちょび:時間があれば、二人で登校しているんですよね?

 ホッシー:はい

 ちょび:イエローさんの、大切なバイクの整備を任されているんですよね?

 ホッシー:はい

 ちょび:共にバイクレースで競い合っているんですよね?

 ホッシー:はい

 ちょび:互いの美点を、把握しあえている仲なんですよね?

 ホッシー:はい

 ちょび:ちゃんと、あなたの目を見て話しかけてくれるんですよね?

 ホッシー:はい

 

 ふう。

 

 ちょび:差なんてありません、あなたはイエローさんと結ばれるべき人です

 ホッシー:そ、そうですか?

 ちょび:はい。判断力第一の、戦車道履修者の一人として、そう言わせていただきます

 ホッシー:そうですか……

 

 ホッシーはきっと、ここではないどこかの学園艦で、自分と同じ画面を見つめているのだろう。

 どんな表情をしているのか、それはわからない。けれどなんとなく、安静めいたものは伝わってくる。

 

 ちょび:はじめての恋ですから、不安を抱いたり、自信が持てなくなるのもわかります

 ちょび:そういう時は、このログを見返してください。イエローさんとの差なんてないことを、実感してください

 

 間、

 

 ホッシー:ありがとうございます、ちょびさん

 ホッシー:あなたのお陰で、卑屈さは消えてなくなったと思います。あとは行動に移すだけの自信、ですね

 ちょび:そうです。決して簡単なことではありませんが、きっと良い結果が出せるはず

 ホッシー:……あなたには何度も、助けられてばかりですね

 ちょび:いえいえ。あなたの友達だからこそ、あなたには幸せになってほしいんです

 ホッシー:……すごいですね

 ちょび:え?

 ホッシー:的確な言葉で、誰かの自信を育ませるなんて。かっこいいです、ちょびさん

 ホッシー:戦車道を歩んでいると、そうなれるんですか?

 ちょび:そうですね、戦車道はいいものですよ。あとは恋愛小説の受け売りです

 ホッシー:そうでしたか……いいですね、とてもいいです

 ホッシー:戦車道、やってみたかったです

 ちょび:無いんですか?

 ホッシー:はい。残念ながら

 ちょび:そうですか……ですが大丈夫です、レース道を突き進んでいけば度胸が鍛えられるはず

 ちょび:自分で選んだ道に、間違いなんてありません

 ホッシー:はい!

 

 時計を見る。もう、良い子は寝る時間になっていた。

 

 ちょび:私はそろそろ眠ります。また相談がありましたら、いつでも声をかけてください

 ホッシー:はい。いつもお世話になっています、この恩は絶対に忘れません

 ちょび:イエローさんと結ばれれば、私は大満足ですよ

 ホッシー:がんばります!

 

 会話が終了する。

 携帯の画面を切り、学習机の上に置いて、そのままベッドの上に軽く飛び込んだ。

 

「……いいな」

 

 手足を広げ、オレンジ色の照明をぼうっと見つめる。

 

 自分は日頃から、恋愛相談サイトを見渡す傾向があった。恋に恋しているから、少しでもそういった感情に触れてみたかったのだ。

 そうして目にした数々の悩みに、正解なんてものはなかったと思う。その両思いは勘違いかもしれない、片思いで終わらせてもいいのか、振られて傷つけてしまったら、分からないままでいいんじゃないのか――何て書けば良いのか、自分はぜんぜんわからなかった。何を言っても無責任なアンサーになってしまう気がして、文字を打っては消したりの繰り返し。

 戦車道隊長を務めていても、分からないことはあるものだ。

 

 しばらくしたあとで、自分はサイトでホッシーと出会った。そのときのホッシーのテキストは、とにかく不慣れでてんやわんやで、けれども真剣に必死で必死な感じだった。

 それを見た自分は、放ってはおけないと真っ先に思った。だから自分は、ホッシーの相談役になろうと決めたんだ。

 最初は恋の相談を、気づけば雑談を交わし合っていて、いつの間にやら相談役から友達同士になっていったっけ。

 

 ホッシーはとにかく活発的で、面白い話を持ってきてくれて、時にはレースという刺激的な世界を教えてくれた。恋の話になると自信をなくしてしまうのも、それはそれで可愛いとさえ思う。

 ホッシーの方も、私の話をよく聞いてくれた。他愛のない身の上話に対して感情的に返したり、恋愛小説についてきゃあきゃあ言い合ったり、戦車道に関して真剣に励ましてくれたり――楽しいんだ、ホッシーと付き合うのは。

 寝転がる。

 ホッシーはきっと、友達が多いんだと思う。レースで連勝を重ねているらしいから、自信も存在感もあるはずだ。

 ――けれど、そんな人でも、恋にかかれば臆病になってしまうらしい。

 イエローという人と会うたびに、ホッシーは緊張とか不安を抱え込んでしまうのだろう。なんとかしたい、けれどもどうにもできない、そんなふうに悩んでいるに違いない。

 

 けれど、イエローのことを話すホッシーは、すごくこう、明るいんだ。

 宿題しろって口うるさくて、またレースで引き分けました、整備中にすごいすごい言われてやだもー、あいつやっぱかっこいいんですよ――

 

 ――枕元に置いたままの、読みかけの恋愛小説を目にする。

 

 ホッシーは私のことを、かっこいいと言った。

 わたしは、恋するあなたのことがうらやましい。

 

―――

 

 日々が巡りまわって、待ちに待った夏休みが訪れた。

 だからツチヤは、実家のベッドで寝転がりながらレース雑誌をのんびり読み漁っている。宿題をほっぽいて。

 

 ――来週にレースか、絶対行こう。うん

 

 もちろん、宿題を処理しなければと思ってはいるのだ。休み終了まで三日を迎えて、大騒ぎするのなんてこりごりだし。

 だから、数分前は真剣に宿題と向き合っていた。

 そして数分後、ツチヤは義務ではなく自由の道を歩んでいた。

 けっして逃げたわけではない。そうもなってしまった理由は、もちろんある。

 「問題がわからない」。この壁のせいで、ツチヤのモチベーションはガタ落ちしてしまっていたのだ。

 ――また、三日前に騒いじゃうのかねえ

 レース雑誌を、力なくめくっていって、 

 

 着信音が、自室に反響した。

 「着信:ナカジマ」の名前を目にして、「はい」と応じたところ、

 

『こんちは。ねね、宿題はかどってる?』

 

 そんなわけがなかったので、「まあね」と力なく返事した。するとナカジマは、軽やかな声で「だろうねー」。面倒そうにあぐらをかく。

 

『明日、時間ある? よかったらみんなで宿題やらない?』

「おー、いいね。いつものメンバーが集まるの?」

『うん』

 

 ツチヤの口元が、にこりと緩んだ。

 一人よりみんなでやるほうが、やる気も解決策も見つけやすいだろうから。

 

「で、どこでやるの?」

『黄池ん家』

「期末テスト一位、だったよね?」

『そう』

「勝った」

『勝ったね』

 

 ツチヤは、意気揚々と宿題一式をバッグへ詰め込んでいく。これでもう宿題で泣きを見ることはない、みんながいれば上手くやっていける。

 

 

―――

 

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 いけてなかった。

 

 黄池宅へお邪魔して、黄池から「や、みんな待ってるよ」と出迎えられたのが数分前。黄池の母から「ゆっくりしていってね」と、人数分のオレンジジュースを提供されたのが約五分前。皆がこぞってジュースを手にしていく中、ホシノと黄池の指が重なって「ひゃっ」「あっ」、互いに気恥ずかしいやら気まずいやらの沈黙が現在進行系で続いている。

 ――昭和か

 いつものフィールドが成形されたことにより、ツチヤは早速ハラハラしていた。ホシノと黄池は向き合うように座り込んでいるのだが、目が合うたびに視線をノートへ移す。かれこれ六回ぐらいはそうしているだろうか。

 胸があつい。

 セミの合唱がすごい。

 へんに集中してしまっているせいで、かえって宿題が捗ってしまっている。ヘタなことをしたくないツチヤだからこそ、「勉強する」という安全策をとり続けているのだ。

 ナカジマを見る、苦笑いで二人を見守っている。

 スズキを見る、「黄池ーここ教えて欲しいんだけどー」とノートを指でさした。その笑顔はどこか苦しく見える。

 黄池は、スズキの質問に対して懇切丁寧に応じている。答え自体は、自分で発掘させるスタイルのようだ。

 そしてホシノは、黄池のことを見たり逸らしたり。終始無言だからこそ、どう動くかがまるでわからない。

 ――ああああドキドキするはやくゴールインしてよぉぉ

 思わず、額を手で支えてしまい、

 

「あっ。だいじょうぶ? ツチヤ」

「あ、あー、だいじょうぶ」

 

 だいじょうぶじゃない。

 

「あんまり無理はしないでね、横になってもいいからね」

「うん」

 

 そしてホシノが、己がジュースを手にして、

 

「飲むか?」

「へーきへーき、ホシノも体調に気をつけてね」

「う、うん」

 

 そうして、また沈黙。

 

 ほんの少しの不調すら見逃さないとは、まこと恐れ入った。黄池の、医者になりたいという情熱は間違いなく本物だ。

 ふと、ホシノを見る。

 黄池を上目遣いで盗み見しながら、くすりと笑っていた。

 ――だろうね。こんな人だもん、好きになるに決まってるよね。

 ツチヤの顔も、思わずほころんでしまった。

 

 そうして数分後。

 場は相変わらずぎこちなかったけれども、宿題そのものは割と進んだ。良くも悪くも意識がはっきりとしてしまうせいで、集中も続くし手だって動くのだ。

 分からない箇所があっても、黄池が解答のヒントだけを出してくれるのがありがたかった。自分で答えを導き出せれば、学も身につくしモチベーションだって維持できる。たぶん黄池は、そういう事を分かっているのだろう。

 

「あ、黄池。ここ、なんだったかな」

「どれどれ」

 

 黄池が、隣に座るナカジマの教科書を覗き見る。瞬く間にナカジマとの距離が狭まるが、これといった気恥ずかしさだの何だのは見受けられない。

 顔と顔との距離も近くなるが、二人とも教科書にしか目を傾けていない。黄池の助言にナカジマがうなずき、ナカジマの答え合わせで黄池が喜ぶ、まさに平和の1コマだった。

 

「あ、悟。これわからないんだけど」

「え? どれどれ」

 

 ホシノのノートを目にするために、黄池が首を伸ばす。そうして必然的に、ホシノとの距離が近くなっていって、

 二人がぴたりと止まった。

 目と目を見つめあっていた。

 テーブルを一枚挟んでいるだけの距離感、だった。

 ドキドキする、ハラハラする。こういう場面は苦手なのに、やっぱり見てしまう。

 

「……それで、わからないところって?」

「あ、ああ! すまないナカジマ。で、この英文なんだけれど、これがわからなくて」

「ああ、これはね……絶対、という意味なんだ」

「へー。となるとこれは……あなただけを愛しています、絶対に、」

「!」

「!」

 

 あああああああ!!!!

 

 ――終始心臓に悪かったけれども、宿題そのものは滞りなく進展した。それもこれも、ナカジマとスズキのフォローがあってこそだ。

 黄池かホシノか、あるいはその両方が(これが一番多かった)硬直してしまえば、すかさずナカジマが「で、わかりそう?」と聞いてきて、その後で「やるねぇホシノ」と囃すのだ。

 そうした奮闘もあってか、何とも言えない空気が何とか言える空間にまでほとほと落ち着いてくれた。後でアイスでも奢ろうと思う。

 

「……あー、英語は終わったなー」

 

 ホシノが、ソファに寄りかかって伸びをする。宿題自体はまだ残っているものの、ひと教科が終わっただけでも大快挙だ。

 みんな似たようなことを考えているのか、ナカジマもスズキものんびりした顔でジュースを飲んでいる。黄池も疲れ果てたらしく(そらそうだ)、頬杖をついていた。

 

「みんなお疲れ様。ここまでやれたのも、みんなのやる気があったからだ。ほんとうお疲れ様」

「お互い様さ。悟がいなかったら、ここまで進められなかったし」

 

 そうそうと、スズキが頷く。

 

「正直、一人でやる宿題ってあんまりやる気出ないからね。いや助かった」

 

 なんだ、ナカジマもそんな感じなのか。

 親近感からか、口元が思わず緩む。

 

「……さて」

 

 ホシノが天井を見上げたまま、どこか遠い目をちらつかせている。

 一体なんだろうと、一同がホシノを注目した。

 

「なんか、予定ある? 旅行とか」

 

 あー。

 

「私は来週、レースを見に行くつもり」

「あ、私も。隣町のでしょ?」

「私も私も」

 

 ツチヤも、こくりと首を振るう。

 流石というか、レース界隈に関するアンテナは万全であるらしかった。

 

「へえー、レースか。見てみようかな」

「おお、見に行くの? 近いうちに誘おうとしてたんだけれども」

「うん、行く」

 

 そう言う黄池の目は、どこか光って見える。生真面目であろうとも、やっぱり男の子なんだなあとツチヤは思う。

 

「そっか。よし、現地集合でいいか?」

「――ん? ホシノは黄池と一緒に行かないの?」

 

 そこでスズキが、何気なさそうに疑問を発した。

 黄池とホシノは、高らかに「へ?」と発した。

 

「ん? 違うの?」

 

 ――!

 気づいた。スズキは、顎で黄池を差している。ホシノもスズキの意図に気づいたらしく、「うえっ?」と戸惑う。

 

「あ、いや、その、いや、べつに、なあ?」

「そ、そうだよ。現地集合の方がやりやすいんじゃないか、なあ?」

 

 ホシノと黄池が、「ねえ?」と顔を合わせる。

 ――薄々思うのだが。実はこのふたり、両思いなんじゃないだろうか。

 

「……そお? じゃあ、現地にしようか、現地現地」

 

 スズキが不満げに、唇を尖らせる。ナカジマは苦笑いして、スズキの肩を軽く叩いた。

 空気が瞬く間に弛緩していく。ツチヤは、床に手をついてくつろぎ始める。

 

「あとは何かあったっけ?」

「んー、レース以外は特になにも……」

「寂しい夏休みだなー」

 

 ナカジマとスズキとホシノが、盛大にため息を漏らす。いやちょっと待て、ホシノに対してはちょっと突っ込みたいぞ。

 

「――ああ、そういえば」

 

 黄池の前振りに対して、一同が目で「なに?」と聞く。

 

「三日後に、商店街で夏祭りが行われるんだけれど、どう?」

「え」

 

 思わず、ツチヤの口から声が出た。

 地元民ナカジマも、スズキも、ホシノも、いま思い出したのか、「あ」。

 ――自動車部は、レース以外のアンテナは割と低い。

 

「……へえ」

 

 そして、最初に笑ったのはホシノだった。

 

「もちろん行くよ。夏祭りか、そういえば最近行ってなかったなー」

「いい気分転換になると思う」

「そだな」

 

 その時、スズキの口元が強烈に歪んだ。

 思わず、己が姿勢を正してしまう。

 ナカジマも気づいたらしく、スズキの動向を横目で見守り始める。

 

「へえ、いいじゃん夏祭り」

 

 スズキは、ごくごくなんでもないような口調で、

 

「二人で行ってきなよ、絶対に楽しいよ」

 

 意図ありまくりの提案を、二人へ持ちかけた。

 ――当然、

 

「ああ、いいかもな、」

「うん、そうかも、」

「――!! いやいやいや! みんなで行こうよ! 何言ってるんだよ!」

「――!! そうそう! 二人よりみんな……まあ二人……いやみんながいい!」

 

 ほらな。

 スズキがものすごく不満そうにホシノを見つめている。ホシノは、両手を合わせて謝罪し始めた。

 そして黄池はといえば、うつむきながらで「デート、デート」と呟いている。それは単なる独り言か、或いは未練を抱いているのか。

 

「……ま、いいよ。みんなで行く夏祭りも、いいものだしね」

「ありがとぉスズキ」

 

 スズキが、敬礼の角度で手のひらを曲げる。

 その一連を目にしたナカジマは、力なく笑いつつも、

 

「しっかし夏祭りかー……あれでしょ? すんごい規模が大きいあれ」

「そうそう。商店街全体を使うから、とにかくボリューミーなお祭りなんだよね」

 

 黄池とナカジマが、そういえばそうだったと笑い合う。

 スズキも夏祭りに赴いたことがあるのだろう、「昔、迷子になっちゃってさー」とけらけら笑って、

 

「迷子――」

 

 ぞくりとした。

 スズキの口が、三日月のように歪みきっていたから。

 

「……スズキ?」

「ああ、なんでもないよ」

 

 黄池の呼びかけに対し、スズキは本当になんでもない様子で頷いてみせて、

 

「じゃあ三日後、現地で落ち合おうか。迷子になったらだめだぞー」

 

 スズキの言葉に、一同は笑顔で同調した。ツチヤもとりあえず笑っておいた。

 ――無言で、スズキと目を重ね合わせる。

 スズキは、何も言わずに親指を立てた。何か妙案を思いついたのだろう、その表情はとてもとても楽しそうに見える。

 

―――

 

 はやくも、夏祭りの日がやってきた。

 集合時間より十分前に、黄池は会場前まで難なく到着した。普通なら時間潰しを強いられるところだが、ここは祭りの会場だ。見るべきものは沢山ある。

 例えば、客数の多さ。家族連れから老夫婦、そしてカップルまで、とにかく年齢を選ばない。話によると、隣町までやってくる人もいるのだとか。

 そして、いい表情。ここに来る誰もが、祭りの熱気を体で堪能している。かくいう自分も、先ほどから口元が緩みっぱなしだ。

 つぎに、数々の屋台。毎年恒例の夏祭りは、とにもかくにも規模が大きい。盆踊りはもちろん、花火だって打ち上げられる。そして活気を狙って、商店街を埋め尽くさんとばかりに沢山の屋台が設置されるのだ。

 ありとあらゆる食べ物が大集合するおかげで、食べ歩きツアーとしても機能しているらしい。

 ――そうした祭りのひと時を目にして、黄池は上機嫌そうに笑っていた。やっぱり祭りはいい、みんなが幸せになれるから。

 

「おーい」

 

 聞き覚えのある声が、喧騒に乗ってやってきた。

 ゆっくりと視線を向けると、ラフな私服を着たナカジマとツチヤが、スズキは手を振っていた。

 

「や、おまたせ。……ホシノは?」

「うん? 一緒に来ているものとばかり」

 

 ナカジマが首をかしげる。

 

「まあ遅刻しているわけじゃないし、このまま待ってみようよ。いつも通りにしていれば、時間なんてあっという間だろうし」

 

 スズキの言い分に、黄池は笑って応える。

 ツチヤは寡黙だが、その表情は真っ当に明るかった。

 ――それからはほんとうに、いつも通りの時間を過ごした。来週に開催されるレースへの意気込みとか、宿題の進行具合の報告、花火見てるとドラッグレースやりたくなるよね、何の変哲もない流れが来客とともに過ぎ去っていく。

 そのとき、ツチヤが驚いたような声を出した。

 黄池は、ナカジマは、スズキは、ツチヤの視線をゆっくり追っていって、

 

 いつも通りが、あっさりと破壊された。

 青い着物を着たホシノが、そう遠くない場所に居たから。

 

 声が出ない。ナカジマもスズキも、ツチヤも、黙ってホシノを凝視している。

 濃い視線に困ったらしいホシノが、小さな唸り声を漏らす。視線なんて斜め下に泳いでしまっている。

 

「ホシノ」

 

 黄池は、なんとかして声を形にした。

 たったそれだけで、ホシノの両肩が震える。

 

「――綺麗だ」

 

 そして、黄池悟の本心がころりと転がった。

 その本心を受け取ったホシノは、声を上げて、うつむいて、しばらくの沈黙が訪れて、

 

「あ、あり、がとう」

 

 上目遣いで、そう返してくれた。

 

 いつものボブカットは、頭の後ろにきゅっとまとめられている。それを彩るかのように、たんぽぽのかんざしが一つ添えられていた。

 青い着物には、白柄のたんぽぽが刺繍されている。それは決して派手ではないからこそ、着物姿のホシノが視界いっぱいに溶け込んでしまっていた。

 祭りは続いている。けれど今の黄池には、絶え間のない来客も、祭りを彩る笑顔も、商店街を騒がす屋台も、何もかもが蚊帳の外。ホシノのことしか見えていない。

 近づく。

 ホシノが、緊張するように口を閉じる。

 

「今日はその、とてもいい感じだね、うん」

「あ……そ、そうか? だよな、この着物ってばいい感じだよな」

「き、着物もホシノもいいと思う」

「うえ!? そ、そ、そんなこと、あ、ある?」

「ある」

 

 胸の内から、なんとか本音を引きずり出す。

 

「あ、あー……そうか、そっか……悟が喜んでくれたのなら、いいや、うん」

「うん」

 

 頷き合う。これ以上、言葉なんて見つけられない。

 喧騒が、ただの音として聞こえてくる。目に映るは、ホシノのことばかり。

 

「――おお、おお、いいねえホシノ。すごい似合ってる」

 

 そして良いタイミングで、スズキが横から入ってきてくれた。

 いつものスマイルを貫いていたからだろう。ホシノも、やがてはいつも通りの顔になってきて、

 

「だろー?」

「うんうん。センスいいよホシノ」

 

 ナカジマも近づいて、至近距離で着物の柄を眺め始める。

 ホシノは、気軽そうに笑いながら、

 

「なー、さすがはちょび、」

 

 げほん。

 

「……私のファッションセンスは抜群だろ?」

 

 ナカジマもスズキもツチヤも、うんうんと頷く。少し気になるところはあったが、黄池も「うん」と同意した。

 

「やー、ホシノってばこんな才能があったんだ。今度教えてよ、私はそういうの疎くてさ」

「えー? ナカジマは今のままでもいいと思うけどなあ」

「いやー。ホシノを見て、イメチェンもいいなーって」

「そーお? でも一番いいのは、やっぱり雑誌を買うことじゃないかな」

「雑誌かー」

 

 いつの間にか、日常が元通りになっていた。

 喧騒がよく聞こえてくる。ナカジマはホシノと会話を楽しんでいて、ツチヤとスズキはホシノの着物をじっくり拝見している。その光景が、微笑ましくすら思えた。

 ――それから、ほんの少しの時間が経って、

 

「んじゃ、そろそろ祭りを楽しもうじゃないか」

 

 スズキの一言に対し、一同は笑って頷いた。

 そして古風なサンダルをはいたホシノが、ちびちびとした足取りで、自分の隣にまでやってくる。

 緊張感が溢れ出てくる。

 誰もが異論なんて唱えない。

 隣のホシノのことをちらりと見つめ、目が合って、無言の時間がまた湧いてきて、

 

「よし、行こう。ホシノ、今日は一緒に楽しもうな!」

「え、」

 

 言うべきことを、言えたと思う。

 

「――わかった」

 

 だからホシノも、元気よく笑ってくれたんだ。

 

 □

 

「なっかしいなー、この味」

 

 ホシノがご満悦そうな顔を浮かばせながら、わたあめを口にする。黄池もうなずいて、口の中でわたあめを溶かし始めた。

 

「次何食う?」

「気が早いなあ」

「祭りだから、沢山食わないと損するだろ」

「まあねえ」

 

 スズキはおしるこを、ナカジマは焼きおにぎりを、幸せそうな顔をしながらで頬張っている。ツチヤは、メロンジュースをストローごしに飲み干していた。

 それを見て、黄池はやっぱり上機嫌が止まらない。

 

「やっぱり、祭りはいいな」

「ああ、いいものだね」

「地元なのもいい」

「わかるわかる」

「やっぱり僕は、大洗が好きだよ」

「ああ、私も好きだ」

 

 好きという言葉を口にして、ふと、ホシノと目が合った。

 動揺してしまったのだろう。ホシノの目が、驚いたように見開いている。

 そしてツチヤは、ラムネを飲んでいた。

 

「……うん、まあ、祭りはいいよね、祭りは」

「ああ、いいよな、うん。いい」

 

 何とかして、いつもの空気を取り戻す。

 せっかくの夏祭りなのだから、何の悔いもなく楽しみたい。

 

「お、金魚すくいだ。悟はやらないの?」

「あー……僕はやらない、かな」

「どして?」

「知識も無いし、責任が取れるかどうか、がね」

「――ああ、そっか。そだな、それがいい」

 

 言いたいことを察してくれたのか、ホシノが納得したように頷いた。

 

「ホシノはやらないの?」

「私もいい。たぶん、無理だと思う」

「そうか。そうだね、そうだよね」

 

 ホシノは、そっと苦笑いした。

 命について、真剣に考えてくれる――それが、ほんとうに嬉しく思う。

 

「おー腕相撲大会だ。悟、出ろ」

「えー? 無理無理負けちゃうよ、出場者もみんな強そうだよ」

 

 商店街のひと角で、バッドアスな筋肉を持った男達がこぞって集まっている。誰もが自信満々なのか、笑顔がやたらめたらと眩しい。

 これも、夏祭りならではの光景といえよう。

 

「えー? 出ないのー?」

「無理無理」

「大洗一キレてるからいけるっしょ」

「腕まで切られたくない」

 

 スズキとナカジマが、特に残念そうな顔もせずに「ちぇー」と口にする。ツチヤは、バナナジュースを味わっていた。

 

「あ、見ろよ。あそこでカラオケ大会やってるぞ、参加しなよ」

 

 お返しとばかりに、「歌自慢大会、飛び入り参加OK!」と書かれた看板を指差す。特設ステージ上では、年が同じくらいの女の子が歌謡曲を披露していた。

 そしてナカジマは、スズキは、ホシノは、自分めがけ「私ら自動車部にそんな色っぽいこと期待してるんですか?」と言いたげな眼差しを向けてきた。その答えとして、首を横に振るう。

 そして一同は、なんだかおかしくなって笑ってしまった。

 それを眺めながら、ツチヤはいちごジュースを吸っている。

 

 ――それから一同は、無計画に会場内を歩いては無節操にグルメを楽しんでいた。祭りとなると腹も空きやすくなるのか、いくら胃に入れても満腹にならない。

 ホシノは「太るだろーなー」と言いながら、楽しそうな顔をしてチョコバナナを食べている。健康第一の黄池も、今日ばかりは好き放題にものを口にしまくっていた。ちなみに好物はうどんである。

 

「あー、楽しいな」

「な、最高だよな」

「いつまでも、こんな日々が続いて欲しい」

「うん。それは思う」

 

 ちらりと、着物姿のホシノを横目に、

 

「やっぱり、その、似合ってるよ」

「うえ!? ま、また言う!?」

「あ、あー……なんだかその、言いたくなってしまって」

 

 何が「なんだかその」、だ。見惚れるがあまり、もう一度言いたかっただけのくせに。

 

「そ、そうか……そっか……」

 

 そしてホシノは、うつむいてしまいながら、

 

「……着て、よかった」

 

 一日じゅう、忘れられないことを口にした。

 ――沈黙が訪れそうになる。黄池はざーとらしく咳をついて、

 

「な、なあホシノ、何か食べたいものはないか? おごるよ」

「え? いやいいよ別にそんな」

「いいからいいから」

「そ、そうか? んー……なあナカジマ、次は何か、」

 

 次なんてなかった。

 ホシノを除くいつもの面子が、どこにもいなかったから。

 

「あ、あれ?」

 

 困惑したホシノが、ナカジマの名前を大声で呼びかける。黄池も、ツチヤとスズキの名前を連呼した。

 呼びかけに対し、誰も応えなかった。大声に対し、誰も気にも留めなかった。

 そして黄池は、すかさず携帯を手にしてナカジマ宛ての番号をタップする。邪魔にならないよう電信柱の傍にまで移動して、じっくりと携帯に耳を当て始めた。ホシノも耳を近づけている。

 

『おかけになった電話番号は、使われていないか、電波の届かない……』

 

 切る。

 ホシノと目を見合わせ――思った以上に顔が近かったもので、情けない声が漏れた。ホシノもわきゃあと驚く。

 

「す、すまない」

「い、いや、たまたまだよたまたま。……っかしナカジマ達はどうしたんだ?」

「さあ……電波が混雑するような場所だっけ? ここ」

 

 その時、携帯を片手にあれこれ談笑している兄ちゃんが通りがかった。友達と合流地点を決めているらしい。

 

「……電波は問題ないらしいな」

「一応、メールを送信してみる」

 

 腕相撲開場前にいるから、そこで落ち合おう。

 そうした文面を、ホシノはナカジマめがけメール送信した。

 ――数分後、

 

「だめだ、反応がない」

「どうしたんだろう」

 

 それにしたって、どうしてナカジマ達とはぐれたことに気づけなかったのだろう。流石に三人とも道に迷うなんて考えられないし、

 ホシノと、目が合う。

 そういえば先ほどから、ホシノとしか話していない。着物姿のホシノに舞い上がってしまったせいで、ほかが見えていなかったのかも。

 

「あー、しまったなー……」

「え、何が?」

「! ああいや何でもない。それよりも、ナカジマたちを探したほうがいいかも」

「……だな」

 

 べつに事件に巻き込まれたわけでもないからか、ホシノは気楽そうに笑う。

 そうして黄池とホシノは、二人で夏祭りの中を歩んでいく。ナカジマ達を探しながら、屋台巡りも行いつつ。

 

「この焼きうどんうまいな」

「ね。いくらでも食べられるよ」

「悟はほんと、うどんが好きだよな」

「これを作った人のこと、尊敬してる」

「なんだそれ」

 

 立ち食いしながら、二人してけらけら笑う。なにも変わらない笑顔、いつものやりとり。

 

「あっ、まーくんチョコついてるよ」

「え? ほんとう?」

「……えいっ」

 

 そして黄池とホシノは、非日常を目撃した。

 着物姿のお姉さんが、着物姿のお兄さんの口元を指先でぬぐい、それを口にしたのだ。

 誰も、その一瞬を気にも留めない。

 その一瞬は、夏祭りのひと場面として流されていく。

 ――黄池とホシノを除いて。

 

「な……なんだか……」

「あ、ああ……」

「……今気づいたんだが」

「な、なに」

 

 ホシノは、怯えるように何度もまばたきをする。

 目と目が合った瞬間、ホシノはちらりと目を逸らして、

 

「……わたしたち、デートみたいになってないか?」

 

 騒がしい夏祭りの中で、ホシノのつぶやきが確かに聞こえた。

 声も出ない、反論やごまかしなんて考えられない。ホシノの言うとおり、ここにいるのは自分と彼女しかいないのだから。

 

「……そう、かも」

 

 だからこそ、心の底から肯定した。

 だって今の状況は、自分が望んだ光景、だったから。

 

「……あれ?」

 

 そしてホシノは、首をかしげ口をへの字に曲げ始める。一体どうしたのだろうと、黄池は無言で見守り、

 

「――は、はめられた!?」

 

 突如の大声に、黄池の口から動物めいた悲鳴が漏れた。そのせいで、少数の通行人から動揺めいた注目を浴びてしまう。

 なんでもないんですなんでもないんです、黄池とホシノは苦笑いで対処しつつ、

 

「……それで、何が、はめられたって?」

「あー……」

 

 ホシノは、腕を組みながらで長考し始めた。何か心当たりでもあるのか、両目をつむって歯まで食いしばっている。

 何がなんだかよくわからない。だから黄池は、そんなホシノのことを黙って見届けるほかなかった――大声に備えて、耳穴めがけ指を当てつつ。

 

「……あー……」

 

 ホシノの右目だけが、ちらりと開く。黄池は、びくりと反応する。

 

「ま、いいや」

 

 その一言で、ホシノの表情がしんみりと柔らかくなった。

 力なく両肩をすくめてみせて、淀みを吐き出すようにため息を一つ。そうして「っし」と、己が両頬をばちん。

 

「な、悟」

「うん?」

「……よかったらさ」

「うん」

 

「私とふたりで、えと、夏祭りを歩いてくれないか?」

 

 黄池は、すぐには答えを口にできなかった。

 願ってもないことを、ホシノの口から提案されたから。明るく元気の良いホシノの顔が、どこか赤いように見えたから。

 

「ホシノ」

「あ……な、なに?」

「僕も君と、ホシノとふたりで夏祭りを楽しみたい」

 

 きっと自分は、正しい答えを口にできたのだと思う。

 だってホシノは、言葉にできない笑顔を、僕に見せてくれたから。

 

 □

 

 ホシノと初デートを行って、かれこれ数分は経ったと思う。

 

「いやまー、悟さまさまだよ」

「どうしたんだい、急に」

「いやさ、いくつかの宿題は終わらせられたわけじゃない? だからこう、心に余裕みたいなのがあるというか、素直に夏祭りを楽しめてるというか」

「ああ、わかるわかる。面倒事を残すのは、いろいろ負担がかかるもんね」

「だろー? まあ毎年、悟には付き合ってもらってるけれど」

「もう、少しは一人で片付けて。ホシノは、やるべきことをやりとげられる人なんだから」

「わるいわるい」

 

 気安いやりとりをいつまでも交わしあって、相変わらずの笑顔を目の当たりにして。

 

「……お、あそこにりんご飴売ってるな。食べたことないんだよなー食べてみようかなー」

「いいんじゃないかな」

「おっけー、悟は?」

「……これ以上食べたらやばいかも」

「そっかー」

 

 このままの関係が、ずっとずっと続いていた。

 隣でりんご飴を買っているホシノが、近くて遠いように見える。

 違う。ほんの一歩踏み出す勇気が、自分に足りていないだけ。

 何か気の利いたことを言え、触れ合え。この夏祭りでは、そんな行為も許されるはずだ。

 りんご飴を手にしたホシノと、目が合う。「どした?」と声をかけられ、自分は「おいしそうだね」と無難にごまかす。りんご飴をなめて、幸せそうな顔をするホシノ。

 

『間もなく、花火大会が始まります。空を見上げてください!』

 

 グズグズしていた意識が、アナウンスの声にはたき起こされた。

 ホシノと黄池が、商店街の片隅でじいっと夜空を見上げる。満天の星々が、今日も大洗の空を彩っていた。

 

『弾着! 今!』

 

 鼓膜を震わせる発射音とともに、一つの閃光が地から空へとゆっくり、ゆっくり登っていく。そして1コンマほど光が消滅して、黄色く輝く火花達が円状に舞い踊った。

 

「おおーッ!」

 

 ホシノが歓喜する、他の客も大きく明るく声を上げた。

 それから、次々と花火が打ち上げられる。色とりどりの爆発が空で表現されるたびに、ホシノも客も、黄池からも声が出た。

 うん、いい迫力だ。

 そうして、隣にいるホシノのことを様子見する。花火に照らされたホシノの目は、子供のようにきらきらとしていて、それが花火よりも眩しく見えて、視線が重なった瞬間に胸が爆発しそうになって――

 首を、横に小さく振るう。

 

「……綺麗だな」

「ああ」

 

 ――なにが「ああ」だ。ホシノの方が、とか言えないのかこんちくしょう。

 歯を食いしばる。

 ここは夏祭りの世界だ。

 ちょっとやそっとの事は、許される。

 ホシノの手を見て、つばを飲む。

 あと一発、花火が打ち上がったら手を握るぞ。

 意味なんてないかもしれないけれど、ホシノに見てもらいたいんだ。

 まだホシノの速さに追いついていないけれど、せめてこれぐらいは――

 

「お母さん、お母さん、どこー?」

 

 体が、びくりと震えたと思う。

 消えてしまいそうな女の子の声を耳にして、考えるよりも先に周囲を見渡す。秒も経たないうちに、半泣きでさまよい歩いている女の子を発見した。

 いけない。

 黄池は、そっと、そっと近寄って、

 

「君、どうしたの? 迷子かい?」

 

 黄池は、微笑みながらで姿勢を屈める。自分の膝くらいの女の子は、すぐにでも頷いてくれた。

 

「わかった。じゃあお兄さんが、お母さんに会わせてあげる」

「え……ほんとう?」

「ほんとほんと」

 

 黄池の後ろから、ホシノがぱたぱたと近づいてくる。その表情は、やっぱり明るい。

 

「迷子センターに行けば、すぐにでも会えるよ」

「そうなの?」

 

 ホシノの言葉に、黄池がうんうんと頷いて、

 

「心配しないで。お兄さんとお姉さんは、嘘をついたりはしない」

 

 そっと、己が胸に手を当てる。

 

「この命に誓うよ」

 

 ほんのちょっとだけ、間が空いて――

 

「ありがとう! お兄さん! お姉さん!」

「よし! じゃあ記念に、このりんご飴をあげよう!」

「やった!」

「歩いて疲れたでしょ? 肩車、するよ」

「やったー!」

「歩いている間に、私が面白い話をしよう! 絶対笑うよー」

「やったッ!」

 

 そのとき、待ちに待った花火が上がった。

 肩の上にいる女の子が、黄色い声を上げる。やがては消えていく花火を目にしたあとで、ホシノと目が合う。

 

「あのさ」

「うん?」

 

 いつもと違う、目を細めた笑みを顔に出しながら、

 

「――かっこいい」

 

 そう言われて、ぼくは何も考えられないまま、

 

「ホシノも、かっこいいよ」

「……そっか」

 

 

 □

 

 

「かーっ、うまいっ!」

 

 花火を見ながらのトマトジュースは最高だ。ホシノと黄池を二人きりにすることが出来たから、なおのこと美味く感じる。

 これが、勝利の美酒というやつなのかもしれない。

 

「いやー、綺麗だねえ」

「ほんとほんと」

 

 ナカジマもスズキも、達成感に溢れた眼差しで花火をじっと眺めていた。

 ――そりゃあそうだよねと、ツチヤは思う。

 

 スズキが立案した作戦は、こうだ。最初はいつものメンバーで会場入りして、スキあらばホシノとはぐれて黄池と二人きりにする、というもの。

 こうでもしなければ、デートなんて一生できないだろうとスズキは主張した。

 そうかもしれないと、ツチヤとナカジマは同意した。

 ――そして当日、ホシノは着物姿になって姿を現した。元々センがしっかりしているホシノだからこそ、モデルか何かだとつい錯覚してしまったものだ。

 そしてツチヤは、改めて決意した。何としてでも、ホシノと黄池を二人きりにしなければならない、と。

 だからツチヤは、スズキは、ナカジマは、意識を凝らしてスキを探った。ホシノは感性が鋭いから、ヘタな動きをするとあっさり見抜かれてしまう可能性があったのだ。

 

 が、

 

 思った以上に、ホシノとはあっさりお別れすることができた。それも、ホシノが黄池のことばかり見つめていたから。

 聞き耳を立てた感じ、あれは完全に二人だけの世界に入っていたと思う。黄池がホシノの着物を改めて評価し始めて、ホシノが悲鳴を上げたところなんて特にそう。あれはハラハラドキドキした。

 ――とまあ、そんなことがあったお陰で、スズキの作戦は無事にあっさりとゴールインしたわけだ。よかったよかった。

 

「……あのふたり、今はどんなふうになってるのかな」

 

 ツチヤの一言に対し、満たされた表情をしたスズキは、

 

「きっと、うまくいってるっしょ。ホシノは言いたいことを言えるから、きっと……うん、言えてる」

「だといいねえ……」

 

 どこかお母さんっぽい雰囲気をかもし出しながら、ナカジマがジュースをちびちび飲んでいる。

 

「……手、つないでるのかなあ」

「ありえる」

「か、肩を抱いてるとか?」

 

 スズキが、ツチヤへ首を向ける。

 

「もしかしら、もしかしたら」

「も、もしかしたら?」

 

 スズキが、ウインクして唇を指差す。

 どきっっっとした。

 

「や、やめなよスズキ!」

「えー? いいじゃん幸せになって欲しいんでしょ?」

「ま、まあそうだけどぉ……」

 

 そのとき、会場内にお知らせのチャイム音が鳴り響いた。

 ナカジマが、「ん」と反応する。

 

『迷子センターで、さくらちゃんが待っています。お父様とお母様は、迷子センターまで起こしください』

 

 やっぱりこれだけ大きいと、迷子も出るのか。ツチヤは、無事を祈りながらジュースを飲む。

 

『引き続き、連絡します』

 

 ナカジマが、「ん?」と反応する。

 

『……ッ、お、黄池悟くんと、ホシノちゃんが……ブヘッ、迷子センターで待っています。ナ、ナカジマ様とスズキ様、ツチヤ様は、迷子センターまで起こしください』

 

 明らかに笑いを堪えられていないアナウンスを背に、自動車部一同は土煙を立たせてまで迷子センターへ駆け込んでいく。

 己が責任と潔白を証明するために、あと恥を拭うために。

 

 □

 

「黄池ー! なんてことしてくれたのまったくぅ……」

「ごめんごめん。ホシノが提案してきて……」

 

 迷子センターで散々頭を下げたあと、スズキは黄池めがけぷんすかぷんぷんしていた。黄池は苦笑いとともに弁解を口にしているが、たぶんウソはついていないのだと思う。

 たいへんだねえ、彼も。

 ――ナカジマとホシノめがけ、耳を傾ける。

 

「いやーごめん、ごめんよホシノ。この通り! ソース焼きそばおごるから!」

「ったくー」

 

 ナカジマが両手を合わせ、ホシノがげんなりとため息をつく。しかして拒絶はしないあたり、長年培った関係が垣間見えた。

 

「……で」

「で?」

 

 ホシノが、面倒くさそうな顔をする。

 対してナカジマは、にっこりと微笑みながら、

 

「どうだった? デート」

 

 そしてホシノは、視線を逸らしながらで「あー」と声を上げた。ナカジマは促さず、急かさず、けれどもホシノのことを決して見逃さない。

 

「そう、だな」

「うん」

「そうだな」

 

 そしてツチヤは、ナカジマは、この瞬間から息すらも止まった。

 

「よかったよ」

 

 花火に照らされたホシノが、音もなく、笑顔を咲かせたから。

 

 ――恋というのは、そんな顔にさせてくれるものなのかい?

 

―――

 

 ホッシー:ちょびさん! ちょびさんのコーディネートのお陰で、彼といい感じになれました!

 ちょび:アウグーリーーーッ!(おめでとう)

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