プラウダとの試合に勝利した、その数時間後――
「疲れた」
疲れた。
部屋に戻って、黄池悟は制服姿のままでベッドに身投げする。
両手両足を広げて、窓から射す夕日に照らされながら、黄池はやる気なく天井を見つめる。しばらくは考え事すらも抜きにしたい、このままでいたい。
――そうして、数分が経過した。
ガタがきていた頭も、だいぶマシになってきたと思う。体もろくに動くようになったし、表情筋だってちゃんと機能している。
電気がついていない部屋の中、ベッドの上で寝そべりながらで、黄池はふつふつとこれまでを思い返す。
大洗学園艦が廃艦になるかもしれない。この情報はまたたく間に日本じゅうへと広がっていって、中核たる生徒会室の回線はすぐさまパンクに陥り、生徒会員もオーバーヒートにまで追い込まれた。
先ず最初に、報道部から取材の電話がかかってきた。これには手練れの広報部が対応してくれたが、生徒からの疑問は、住民からの不安は、生徒会員が何としてでも鎮めなければならなかった。
市民からの声に対して、数十回は「前向きに」答えられたと思う。失言の類は、なんとか漏らさずに済んだと思う。
そして生徒会の誰もが、この事態を重く受け止めていた。
覚悟しきっていた。
こんな大きすぎる隠し事なんて、いつか絶対にばれるだろうと予想していたから。
目を、つぶる。
今頃は、「午後」担当のメンバーが引き続き電話応対を行っているのだろう。自分含め「午前」担当のメンバーは、今頃は家に帰って休んでくれているはずだ。
――帰った、よな。
午前から奮闘してくれた生徒会員達は、18時を回ろうが「まだ残る」と主張した。
けれども自分は、そんな生徒会員達に対して、家に帰って休んでほしいと説得した。
躊躇なんてしなかったと思う。だって生徒会員達の声は、顔は、あきらかに疲れ果てていたから。
数十秒のにらみあいの末に、生徒会長から帰宅「命令」が下された。黄池に抗議していたはずの生徒会員たちも、覇気なく「はい」とだけ。
そうして生徒会室から出る直後、黄池は、生徒会員の一人から「すまん」と頭を下げられた。それに黄池は、「いいんだ」。
天井を見つめる。
温かいものでも飲もうかな、と思う。
重ったるく上半身を起こして、重ったるく伸びをして、けだるい声を口から吐き出して、
ポケットの中にある携帯が、音を立てて震えた。
なんだろうと、黄池は携帯の電源に火をつけて、
送信者:竹原
こんちは、元気してっか? 生きてるか? 足ついてるか?
なんか学園艦がやばいことになってるみたいだけど、俺らレーサーは走って気を紛らわせてるよ。俺らのことはあんま心配しないでくれ。
ってーか、全然余裕に過ごせてる。なんてったって、我らがホシノ達が大番狂わせを繰り返しているからな!
次の相手は黒森峰女学園だけれど、またミラクルを起こしてくれるだろうってみんな笑ってるよ。
だからさ、生徒会のゴタゴタに一区切りがついたらさ、またレース場に来てくれ。歓迎する。
また会おうぜ、お疲れさん。
新着メール:梅宮
送信者:梅宮
こんにちは。生きていますか? 私たちは相変わらず元気だよ。
今の学園艦、何だか大変なことになっているみたいだね。なくなっちゃうかもしれないなんて、なんだか実感が湧かないなあ。
そう思えるのも、ホシノ達が頑張ってくれているからかな。今度、ホシノ達にはカツカレーの一つでもおごってあげなくちゃねえ。
……黄池も、本当にお疲れ様。生徒会も頑張ってくれているんだよね。
私たちは応援することしかできないけど、諦めるつもりもないから。
もしヒマができたら、ウチらのところへ来てね。話ぐらいは聞くからさ。
それじゃまたね、またレースでやりあおうね。
それからも、新着メールの勢いは止まらない。送り主は全てレーサー仲間からのものであり、それに気づけた時は力なく笑ってしまったものだ。
思う、心の底から思う――
新着メール:ホシノ
送信者:ホシノ
こんにちは。書きたいことが多くて長くなっちゃった、ごめん。
いまの生徒会は、色々と大変なことになってるみたいだね。角谷会長から聞いたよ。
……いまの大洗学園艦は、なんだかそわそわしている気がする。
でも、それだけなんだよね。どこも荒れたりしていない、すごい変化なんてない。
それもこれも生徒会が、悟が頑張ってくれているお陰なんだよね。ほんとう、感謝してもしきれないよ。
悟。今まで、本当にお疲れ様。こんな一大事を独りで抱え込むなんて、私にはできない。やっぱり悟はすごい人だよ。
だからこれからは、私たちに全部任せて欲しい。優勝できるその日まで、私たちは戦車道を突っ走り続けるから。
ほんとうに、何も心配しないで。悟は、心を壊さない程度で生徒会の役目を務めてください。それが私の、心からの願いです。
追記。ちょっとした事情ができて、しばらくは一緒に登校できそうにありません。
本当にちょっとした事情なので、気にしないでください。
それでは、体には気を付けてください。返信は不要です。
着信:母
『もしもし? 悟? 大丈夫? いま、学園艦が大変なことになってるらしいじゃない。あなたは生徒会だから、色々苦労してるでしょう……お母さんに何か、手伝えることはない? よかったら何でも言って、遠慮なんてしないでね』
――ホシノと出会えなければ、僕はこうして、安心してベッドに眠れなかっただろう。
――
午前六時半。
西住みほは、ジャージを着込んで今日もジョギングに励んでいる。戦車道をふたたび歩み始めてから、一日たりとも欠かしたことのない日課だ。
だるい、と思ったことはない。もともと体を動かすことは好きだし、時間とともに体温だって程よく温まってくれる。しかも、犬を連れた老婆ともずいぶん仲良くなれた。「西住ちゃんがんばってるねー」「はい!」。
おかげで毎日のように寝覚めが良い。冷泉麻子もやってみればいいのに。
――ふう。
あれから色々と大変だったけれど、自分たちはまちがいなく強豪プラウダ高校に勝ってみせた。「去年」の結果を返上できただけに、みほはある一種の自信を、可能性を信じられるようになっていた。
口元が引き締まる。ペースは保ちつつ。
次はいよいよ決勝戦、相手は西住まほ率いる黒森峰女学園だ。
別に驚きはしない、むしろこうなるだろうとは思っていた。それほどまでに、黒森峰は強い。
そして、心の底から思う。
姉は、未だに戦車道だけを強く見据えているのだろうか。友達とか、遊びとか、そういったものにはやっぱり興味がないのだろうか。
だとしたら、姉はやっぱりすごい。
だとしたら、妹として心配になる。
余計なお世話だろうけれど、私はそう思ってやまない。だっていまの自分は、とても幸せだから。
「あ」
大洗女子学園前に差し掛かろうとした時、実に見慣れたグループがみほの目の前に入り込んだ。
こんな朝早くから珍しい――そう思いながら、みほはグループへ駆け寄る。
「おはようございます、レオポンの皆さん。こんな朝早くから、どうしたんですか?」
「ん? ああ、戦車の整備をいち早く済ませようと思ってね」
制服姿のホシノが、親指で校門を指す。流石にまだ早すぎるのか、校門はまだ閉じていたけれど。
「こ、こんな時間から……? い、いいんですか?」
「いいよいいよ。好きでやってることだし、ねー?」
同意を求めるように、ホシノが一同めがけ視線を向ける。
ナカジマも、スズキも、そしてツチヤも、「ねー」と同調した。
「そ、そうですか……」
「そうそう。だから西住さんは気にしないで、ね?」
「は、はい。……その、ありがとうございます。レオポンさんチームの整備がなければ、ここまで歩むことはできませんでした」
「やー、お礼を言いたいのはこっちのほうだよ。いつも的確な指示をくれて、大助かりしてるんだから」
笑顔で、こうもストレートに言われてしまっては、みほも照れ笑いを浮かべるほかない。
ほんとう、こういう人がモテるんだろうなあと思う。
「っと、邪魔しちゃったね。朝の運動、がんばって」
「あ、はい! ホシノさん達も、無理をしないでくださいね!」
「あいよー!」
そうしてホシノ達は、手を振ってみほのことを見送ってくれた。
――がんばってるなあ。
みほの表情が、自然と引き締まる。握りこぶしを作って、ふたたび足を動かし、朝のジョギングを再開させた。
□
午前九時。
一時間目が終わって、角谷杏は自席で力なく元気よく背を伸ばす。先日からてんやわんやだったから、とにもかくにも自由時間が恋しい。
朝はほんとう、ほんとう大変だった。報道部からインタビューは食らうし、教室に逃げ込んだところで学友達からは質問責めに合うしで、何度首を鳴らしてしまったことか。
そして今のところは、質問を投げかけてくるクラスメートは誰一人としていない。目が合った友人ですら、気まずそうににこりと微笑むだけ。
気を遣われていた。
まあ、しょうがなかった。
午後の活動に向けて、今日のところはのんびりと過ごそうと思う。杏は椅子の背もたれに身を預け、ぶらぶらと椅子をこぎ始める。
教室は、いつもより静かなものだった。
主にひそひそ話が聞こえてくる。話題はもちろん、廃艦騒ぎについて。杏すら存ぜぬ噂話、もっともらしくない真相、大会への期待と不安、本を前のめりに読んでいるスズキ、ナカジマ、ホシノ、
席から立ち上がる。
「スズキー」
スズキの席に立ち寄り、声をかけてみた。
けれどもスズキは、表情を一つも変えずに本を読み続けている。ページまでめくってみせた。
「スズキちゃーん」
「……あ! 角谷さん、いたんだ」
どうやら、素で気づいていなかったらしい。
だからこそ杏は、かえってスズキに興味を抱き始める。目を丸くするスズキに対して、杏は力なく笑い、
「すごく夢中になってたみたいだけど、何を読んでたの?」
「ああ」
スズキは、快くうなずいて、
「これ」
あっさりと、本の表紙を見せてくれた。
まず目に入ったのは、無愛想なフォントで描かれた「戦車道の基礎」。本そのものも渋い迷彩柄でデザインされていて、ページ数も決して少なくはない。
何だか現実に引き戻されたような感じがして、杏は「へえー」としか言いようがない。
「決勝戦に向けて、日々勉強を、ね」
「へええ……えらいじゃん……」
「これも学園艦を救うためっしょ」
「そっかあ。いやあー生徒会長としてはありがたいね、本当」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「っしゃ! こりゃあ大洗一の装填手を目指すしかないっしょー」
そうしてスズキは、ふたたび視線を本へ落とす。
先ほどまでの気楽そうな表情は、嘘みたいに消え失せている。今のスズキからは、真剣そのものしか伝わってこない。
「……ねー」
「うん?」
そんなスズキを見て、杏は、
「あんまり、無理はしないでね?」
「心得ておくっしょ」
どうしても、一声だけかけておきたかった。そうしないと、何だかやばい気がしたから。
――チャイム音が鳴りひびく。
クラスメートが、足音とともに席へついていく。杏も、自分の席へのんびりと腰を下ろした。
スズキは、教師がやってくるまでずっと本を読んでいた。
□
十五時半。
放課後が訪れて、竹原は夏風を浴びながらでバイクを走らせている。行き先は自動車部のガレージ、本日は愛車を整備させてもらう予定なのだ。
走り慣れた公道を淡々と辿っていき、未だ利用したことがないコンビニを横切っていって、そしてガレージ付近にある信号機に捕まる。ここをスムーズに通過できた経験は、そういえばほぼ皆無だ。
手をつないでいる母と娘が、横断歩道をゆっくり歩んでいく。
フルフェイスヘルメットの中で、竹原は鼻息をつく。
大洗学園艦は、何だかんだで今日も穏やかだ。こうして外を走っていると、つくづくそう思う。
大洗学園の中も、それほど大騒ぎには至ってはいない。そりゃあ全校集会が開かれたり、幾多もの噂話を耳にはしたが、これといって過激なデモだのケンカだのは目にはしていない。生徒会員とすれ違っても、気まずそうに応援の言葉を投げかけるか、そのまま流すだけにとどまっている。
――それもこれも、ホシノ達が頑張ってくれているからだろう。
並みいる強豪を打ち倒し続けているからこそ、少なからの前向きさが、もしかしたらという希望を見いだせているのだと思う。自分だってそうだ。
戦車道専門サイトである戦車道ニュースWEBですら、「大番狂わせ」だの「大洗、強し」だのと保証してくれているのだから、胸の内の不安も少しは霧散してくれる。今日も今日とて、割と上機嫌にバイクを走らせられるというものだ。
信号機が、青になる。
ホシノは大洗一速く、砲手も上手い女だ。この前だってアンツィオのフラッグ車を相打ちで撃破したし、強豪プラウダ戦では真っ先にマークされるほどの「実力の証明」を示してくれた。
だからこそレオポンさんは、これまで以上に慎重に、そして速くなっていくだろう。同じヘマを踏まないのも、ドライバーの得意技であるから。
それ故に、戦車にまつわる心配だのはあまり抱えてはいない。
竹原のバイクが、うなり声とともに走り出す。
あとはホシノが、黄池と幸せになってくれればいい。
自分のするべきことはやった。だから、悔いはない。
――住宅地を駆け抜けて、やがて見慣れたシェアハウスが目に入った。「ここだここだ」と声に出して、竹原はシェアハウス前にバイクを止めてはガレージにお邪魔しようとし、
「――ありゃ」
そして、間抜けな一声が漏れた。
下ろされた灰色のシャッターには、『しばらく、自動車部の活動は停止します ―ナカジマ』と、丸文字で書かれた張り紙が貼られている。
□
十六時。
制服姿の梅宮はめちゃくちゃ上機嫌な顔をしながら、カスタードホイップクレープを街中で味わっていた。
本当は真っすぐに帰宅し、バイクでレース場に向かうつもりだったのだ。ところがクレープ屋ときたら、突如として二割引セールを開催してくれたものだからさあ大変。甘党である梅宮としては、これだけで街へ行く理由に足り得てしまう。
少し時間はかかったが、お安いお値段でスイーツの味に浸れたからそれでよし。これを食べ終えたら、さっそくレース場へ行かなければ。
喜色満面の笑みを浮かべたまま、ホイップクリームから湧き出る甘さを堪能していると、
「――お」
一件の店を横切ろうとした瞬間に、開かれた自動ドアから見知った女の子がひょっこり姿を現した。
梅宮は、思わず足を止める。
「ツチヤ?」
「ん? ああ、梅宮さん。偶然だねえ」
ツチヤが、梅宮めがけ気楽そうな笑みを向ける。梅宮も同じように微笑みながら、
「何を買ったの? ずいぶんと重そうだけれど」
「ああ、いくつかの本を」
ツチヤが出てきた店を、改めて確認する。
せんしゃ倶楽部、という看板が掲げられていた。
――本当にいくつかの本を購入したのだろう。迷彩柄のレジ袋の底が、本の重みでずいぶんと垂れている。
「……もしかしてそれ、ぜんぶ戦車道に関するやつ?」
「うん。お使いで頼まれたやつを、ちょっくらね」
「へえー……」
ちょっくら、では済まされないだろう。梅宮はそう思う。
「やる気満々ね」
「でしょー? これでもう優勝間違いなしじゃないかなー」
「私もそう思う、レオポンさんバリバリ活躍してるしね」
梅宮の言葉に、ツチヤが嬉しそうに口元を緩ませる。
「大洗は今たいへんだけど、私たちに任せておけば大丈夫! 期待しててねーせんぱーい」
「うむ、頑張るんだぞ可愛い後輩よ」
ハイタッチ。
「まあ、私らは自主練に整備とちょっくら忙しくなるから、しばらくはレースには出られないかも」
「えマジ?」
「マジ、らしいよ」
ツチヤが、力のない苦笑いを浮かばせる。
「みんな、優勝に向けて張り切っててね。それまでは走ることはお預けだーって言ってた」
「……ほんと? レースしなくて、いろいろ大丈夫なの?」
梅宮が、生真面目な声でツチヤに質問する。
ホシノは、ナカジマは、スズキは、そしてツチヤは、根っからのレーサーだ。それこそ、最低でも週に二回ほどレースをするぐらいには。
だからこそレースを二の次にしてしまうなんてことは、それはもう立派な「我慢比べ」に他ならない。
――問われたツチヤは、やはり笑顔を崩さないまま、
「大会が終わるまでだから、別に大丈夫だよ、うん」
「……気負いすぎてない?」
「そんなことないない、みんな戦車に乗ったり撃ったりするのを楽しんでるよ」
みんな。
笑みで糸目になっているツチヤを見据えながら、梅宮は、ひとつ上の先輩として、改めてこう聞いた。
「――あなたは、大丈夫なの?」
迷彩柄のレジ袋が、重々しく揺れる。
「大丈夫だいじょうぶ。……んじゃ、そろそろ私は行くから、みんなにはよろしく言っといて」
そうしてツチヤは、手を振りながら背を向け、学校のある方面へと歩んでいった。
そんなツチヤの後ろ姿を眺めたまま、梅宮は食べかけのクレープを片手にただただ突っ立っている。
「無理は、しないでよ」
無表情な声で、祈るように本心を口にした。
そうして立ち去ろうとした時、なんとなくせんしゃ倶楽部が目に入った。店内には、店長らしき人物以外は見受けられない。
はあ、
今日は帰って、のんびりと過ごそうと思う。
クレープは、ほんの少しだけ味が薄れていた。
□
二十一時。
ちょうど風呂から上がったところで、机の上に置いてあった携帯が小刻みに震えた。
もしやホッシーからのメッセージかなと予感しつつ、携帯を手にとってみせる。
――口元が、自然と緩んだ。
ホッシー:こんにちは、ちょびさん。いまだいじょうぶですか?
ちょび:どうしました?
ベッドの上に、ぼふんと腰を下ろす。
ホッシー:その、いきなりであれなんですけれども。ちょびさんが知り得る戦車道の極意、みたいなものを教えていただきたいんです
ちょび:え? どうしてまた
打ち終えてから、「あ」と声に出してしまった。
そうだ、いまの大洗学園艦は――
ホッシー:もっともっと、戦車道で強くなりたいんです。ですから、教えられる範囲だけで良いので教えてください
教えられる範囲。つまるところ、アンツィオと密接に関わっている秘訣等は文字にしなくても良い、そう気遣っているのだろう。
そういうの、何かあったかな。隠し通すものなんて、秘伝のタレぐらいしか思いつかないけれども。
ちょび:わかりました。長文になるかもしれませんが、良いですか?
ホッシー:かまいません
ちょび:あとは、そうですね。参考になる本も教えておきます
ホッシー:ありがとうございます、ちょびさん
すかさず、
ちょび:友達でしょう?
ホッシー:ああ。そうですね、ですよね
それから自分は、戦車道にまつわるありとあらゆる知識を無遠慮に書き込んでいった。
時には短編小説じみた文字数になってしまうこともあったが、それでもホッシーは貪欲に、むしろ「他には?」と食らいついて離れない。
戦車道に対する素直な姿勢を目の当たりにして、同じ履修者だからこそ指が躍る、顔も弾む。時には質問も挟み込んでくるから、自分としても良い刺激にさせてもらっていた。
――最初の頃は。
ちょび:ああ、もうこんな時間ですか。そろそろ休ませてもらってもいいですか?
ホッシー:はい! 今日はお時間をとらせていただいて、本当にありがとうございます。明日になったら、さっそく実践してみます
もともと熱意溢れるホッシーのことだ。今日までに教えたことは、今にでも実行に移したくて仕方がないのだろう。
それが義務と「思っている」のなら、なおさら。
ちょび:ホッシーさん
ホッシー:なんですか?
ちょび:あなたの事情は、理解しているつもりです。ですがくれぐれも、無理はしないでください
間、
ホッシー:大丈夫です。徹夜なんて二度としません
ちょび:そうですか? ……ああ、あと、戦車道ばかり突っ走らないように。私は一年の頃、それをやって失敗した経験があります
思い出す。
元はと言えば自分は、アンツィオ戦車道を蘇らせるために、直々にこのアンツィオ高校から特待生として呼び出されたのだ。
優遇措置、戦車隊隊長としてのキャリア積み――断る理由なんてなかった。だから自分はアンツィオへ入学することを決め、とにもかくにもアンツィオ戦車道を復活させることに躍起となっていたのだ。
その結果、一年の頃は何の成果も挙げられなかった。そもそも戦車道が厳しかったというのもあるし、何より必死すぎたのだ。私は。
そんなふうに焦りに焦っているところで、たまたま通りがかった屋台から――ペパロニから声をかけられ、昼飯まで奢られた。それはめちゃくちゃおいしくて、ペパロニもよくよく話を聞いてくれて、ついには情とノリと勢いでペパロニがついてきてくれたのだ。
あの経験がなかったら、自分なんていまごろ潰れていたと思う。
ちょび:……このあたりの詳しい事情は、また後日にお話します。ですがホッシーさん、これだけは、ほかの何よりも覚えておいてください
ホッシーからの返答は、ない。
ちょび:目的のためだけに生きていたら、いつか絶対に心が壊れてしまいます
間――
ホッシー:わかりました
会話が終了する。携帯を充電器に差し込んで、呆けたようにベッドの上で仰向けとなる。
真っ白い天井をしばらく、じいっと眺めながら、私は心の底から思う。
あなたは、もう十分にがんばってるよ。
―――
廃艦騒動が知れ渡った、その数日後――
「ナカジマ」
最低限の昼食をとりつつ、ナカジマとスズキとホシノは、今日も机の上で分厚い専門書を広げていく。ナカジマの今日のタイトルは「戦車道指南書(著:西住しほ)」だ。
レビュー曰く「慣れた人向け」とのことだが、なるほどその通りだ。いくらページをめくろうとも、専門用語の羅列が記述がいつまでも止まらない。
が、レーサーからしてみれば、このテの「解読」はお手の物だ。
読み進めてみると、この指南書は頷けることばかりしか書いていない。なるだけ客観的に書いているつもりなのだろうが、ところどころに経験者ならではの私見もチラホラ散りばめられている。だからこそ、かえって信用ができる本だとナカジマは思う。
「ナカジマ」
「――あ、ああ、ごめん。なに?」
呼ばれている事に、いま気づいた。
昼休み。声をかけられたナカジマは、専門書から友人――松坂へと視線を変える。
松坂は腰に手を当てながら、これまた機嫌がよさそうに笑いかけてきて、
「放課後、空いてる? よかったら峠で走りましょう。ここ最近はランカーにまで登り詰めて、腕には自信があるの」
カードライバーの松坂とは、お気楽に雑談を交わせるほど、厳しく評価しあえるほど仲が良い。それこそ、嘘なんて一言もついていないと断言できるほどには。
同じカードライバーであるナカジマからすれば、松坂の提案は確かに魅力的だ。そもそも、レース関連なら喜んで二度返事だってする。
――普通は。
「ごめん、今日の放課後は自主練があって」
「え、また?」
「うん。ごめんね、また今度にして」
「……ナカジマ」
松坂が、眼鏡の鼻をかけ直しながら、
「ここのところ、そればかりじゃない。たまには走らないと、ドライバーとしての気分が晴れないよ」
「戦車で走れてるから」
「操縦手はあなたじゃない」
「相乗りもいいものだよ」
「嘘。ハンドル握らないと気が済まない人種じゃない、私たちは」
気楽な雑談。ナカジマの両目は、ずっと見据えられたまま。
松坂は心配してくれているのだろう。時々でいいから走りに来い、学園艦も大事だが気晴らしも必要だ。
それは、わかってはいる。
「まーそうだけどさ。でも今はホラ、大洗をお助けするお仕事があるからね」
けれども、「そういうのは」後からでもいい。
「……ねえ」
「んー?」
「万が一、万が一だけど、」
松坂は、ナカジマとホシノを一瞥して、
「ここがなくなっても、私はあなた達のことを責めたりはしないよ。よくここまで導いてくれたって、逆に感謝してるくらい」
「はは、そうかい?」
「ええ。あなたのような友人を持てて、私は誇りに思う」
「そっかあ。……でも、ごめん。こればかりはね」
「……ナカジマ」
だって大洗学園艦には、仲間たちが集う場所があるから。
大洗学園艦にしか、あらゆるものが積もりに積もったコースは存在しないから。
「……そこまで言うなら、これ以上は言わない。応援はするけどね」
「ごめんね、ありがとう」
「ただ」
「ん?」
「自主練するにしても、タダじゃないんでしょ? 戦車って、動かすだけでもだいぶお金がかかるんだよね?」
「あ、うん」
「しかも、弾まで撃つんだよね? 放課後になったらどっかんどっかん響くほど」
「まあね」
「どっからそのお金は出てるの。生徒会から支援でも来てるの?」
「え、あー……部費から、ちょっとね?」
「……一度につき、いくらぐらい?」
松坂が、ぴくりと眉を動かす。
――松坂は気の強いカードライバーだ。本当のことを口にしない限りは、どんな風に取り繕ったところで疑いの姿勢を和らげてはくれないだろう。
観念したように、ナカジマは長い長い溜息をおいてから、指で数字を作る。
「……こんぐらい」
「は――」
ナカジマが知らない間に、ホシノの想い人はずっとずっと大洗学園艦を守り続けてくれた。
だからこそ、今度は自分たちが運命に抗う番だ。そのためなら、ちょっとやそっとの浪費なんぞは惜しまない。
少なくとも、自分はそうだ。
「ちょ、ちょっと、それっ」
「あ、校則的にはセーフだよ? 学園艦外では使ってないし」
「じゃなくて、それだけ浪費し続けたら、本来の活動に支障をきたすわ。間違いなく」
「ちょっと我慢すれば、またもと通りになるよ」
「……そこまで、しなくても」
「するよ」
ナカジマは、にこりと笑う。
「黄池はボクの友人だ。友人を助けるためなら、ちょっとやそっとの無茶なんてへっちゃらだよ」
廃艦発覚から数日が経った今、3ーCの教室は普段通りの賑やかさを保てていた。
昼休みだからと、空いた席に腰かける女子グループが楽しくおしゃべり。窓際に寄りかかっている二人組が、放課後の予定を組み立て中。何を思っているのか、頬杖をついたままのクラスメイト。暑いからと解放された窓から、なまぬるい風。
そして目の前の
まるで、恐ろしい事実でも見聞きしたかのように。
「……ナカジマ」
「うん?」
松坂が、一歩近づく。
「無茶なんて、絶対しないで」
「え? うん」
「もう一度言うけど、勝敗関わらず、あなた達を責めることなんてしないから」
「ありがとう」
「じゃあ……ちょっと、気分転換してくる。じゃあ、ね」
「うん」
そうして、松坂が教室から立ち去っていく。
――さて。
ナカジマは、戦車道指南書へ視線を戻す。時間が惜しい、学ぶべきことはたくさんある。西住みほにはかなわないかもしれないけれど、せめて背中ぐらいは追い続けたい。
それぐらいできなければ、黒森峰の一両すらも撃破できないと思う。それほどまでに、黒森峰女学園のスペックは高い。
いつの間にか、チャイムが鳴る。
はやいなあ。
チェッカー模様のしおりを本へ挟み込み、それを学生かばんの中へしまいこむ。そして何事もなかったかのように、机の上には教科書とノートを敷いた。
次は歴史か。
放課後になったら、指南書の実践をしないと。
そうして授業が始まって、ぼんやりと教師の言葉を聞き取っていく中。ふと、前斜めに座っている松坂の背中が目に入る。
授業態度は極めてまじめで、成績も優秀。生徒会からスカウトされたこともあるらしいが、本人はカードライバーとして生きると言い切り、断った経歴を持つ。
だからこそ松坂は、積極的にナカジマへ話しかけてくれるのだ。
――ここがなくなっても、私はあなた達のことを責めたりはしないよ
それじゃあ、だめなんだよ。
ボク達は恋するホシノにも、生徒会員である黄池にも、幸せになってほしいんだから。
□
学級新聞を作る都合上、今日も帰る時間が遅くなってしまった。こちらとしては、ネタはあるだけあった方が良いのだが。
腕時計を見る。針は十八時を指しているが、夏空はまだまだ黄色い。昼頃より涼しいだけあって、なんだか風情があるなあと王大河はぼんやりと思、
学校の向こう側から、なにかが弾ける音が反響した。
校門をくぐり抜ける女子生徒たちは、特に驚いたりもしない。またやってるねーとか、そんなのんびりとした反応を示すだけ。
そして大河も、また自主練か、と思っていた。
放課後における日常茶飯事になっていた。
そして大河は、何事もなかったかのように校門を渡る。
ーーそれにしても。
廃艦を前に、熱心になるのはわかる。自分だって、事件が発覚した当初はあっち行って取材したりこっち行って取材したりしたものだし。
けれど、無茶を押し通した覚えはない。不法侵入なんて一度もしでかしてないし、どんなに忙しけれど夜の九時にはちゃんと眠っている。こう見えて夜には結構弱いし。
聞き慣れた発射音が、ふたたび夕暮れに響き渡る。
それなのにレオポンさんチームは、自動車部の活動を停止して、あまつさえ身銭をきってまで戦車を動かしているらしいじゃないか。
あくまで学園艦内で部費を費やしている形だから、校則違反には引っかからない。だからこそレオポンさんチームからは、危うい熱意がいやというほど伝わってくる。
報道部である自分ですら、そこまでは頑張れない。
発射音。
たぶん、明日も同じことを繰り返すのだろう。この学校を優勝に導くその日まで、すべてを投げうってまでも。
練習場を背に歩みながら、大河はつくづく思う。
あの人たち、大丈夫なのかな。
□
「おっ、黄池じゃーん!」
放課後。
久方ぶりの走り屋専峠にバイクで駆けつけてみれば、黄池は瞬く間に人という人に囲まれた。
ライダーはもちろん、カードライバーからトラック乗り、はては常連の観客にまで黄池に寄ってくる。なんだか気恥ずかしい気持ちになってしまって、黄池はつい苦笑い。
「よお、生きてたか?」
竹原の軽口に、黄池は「まあね」と返答する。
「生徒会で大変だったんでしょ。だいじょぶ? 飴ちゃんあげる?」
梅宮から飴玉を受け取りつつ、「ひと段落着いたよ」とだけ。
もちろん、問い合わせがこれだけで済まされるはずがない。レースのジャンルをかき分けて、ありとあらゆるドライバーがあれやこれやと質問を投げかけてくる。
「優勝すれば、ホントに廃艦取り消しなんだよな?」
「ああ、それは間違いない」
「生徒会どだった? やばいくらい忙しかったでしょ?」
「そうだね。外部からの電話も絶えなかったし」
「体壊さなかったかー?」
「そこは重点に置いてたから大丈夫。ここまでバイクで来られる程度には元気だよ」
「なー、何か出来ることはないか?」
「応援してくれるだけで十分だよ」
「ここが消えるなんて、俺はヤだぜ。お前含め、いいドライバ-と巡り合えたってのに」
「そうだな。……きっと、ホシノ達が何とかしてくれるだろう」
質問内容は色々だったけれど、黄池のこの返答に関しては、場にいる誰もが黙ってうなずいた。
――そういえば、
「ホシノ達は?」
見渡す。
峠からはいつもの爆音が響き渡っているし、竹原も梅宮も相変わらず元気そうでいる。トラック乗り兼野球部の椿も、最近スイーツにハマりだした楠木老人もそこに。
けれどホシノが、ナカジマが、スズキが、そしてツチヤだけは、どうしても見つけることができなかった。
――黄池の質問に対し、竹原が険しい顔を表にする。
「来てないな、ここ最近になってから」
「え」
「それどころか、自動車部の活動も停止してる」
「え? ほ、本当か?」
「ああそうか、生徒会忙しかったもんな」
竹原は、納得したように腕を組んで、
「……だから、ここ数日はホシノ達と会えてない。お前はどうだ?」
「……時折、メールを交わしてそれきりかな」
「そっか、お前もか」
どうして。
そう思った瞬間、黄池の記憶が嘘みたいに回り出し始める。ポケットから携帯を引っこ抜いて、急いで検索を駆使した結果、
『追記。ちょっとした事情ができて、しばらくは一緒に登校できそうにありません。
本当にちょっとした事情なので、気にしないでください。
それでは、体には気を付けてください。返信は不要です。』
「黄池」
梅宮から声をかけられる。夕暮れと溶け込んでしまいそうな、重く暗い顔。
「ここ最近のホシノはね、休み時間になっても、ずっとずっと戦車道の本ばかり読んでる。あれだけ真面目な顔をしたホシノなんて、まるで見たことがなくて、」
梅宮が、両肩で大きく息を吐く。
「――声をかけることすら、怖い」
安易な返事をすることすら、できなかった。
「黄池」
声に視線を向けてみて、黄池の口から小声が漏れた。
今まであまり接する機会がなかった人物――松坂から、深刻な表情を向けられたから。
「ナカジマは、ナカジマ達はね、放課後になっても、戦車道に関する自主練を繰り返してる」
「……知ってる。ホシノとは、時々メールを行ってるから」
「そう。それで、自主練代として部費を用いている話は知ってる?」
「……うん。そのことについて、ホシノをメールで問いただしたこともある。本人曰く『ちょっと使うだけ』って返されたけど」
今まで生徒会から問題視されていないのも、あくまで部費を学業の一環として利用しているに過ぎないからだろう。校則的にも、何ら問題はなかったりする。
ルールの穴を突くことも、レーサーの得意技の一つだ。
が、
松坂の無表情は、やはり晴れない。
「具体的な数字は、聞いていないのね?」
「う、うん」
「……一回につき、これぐらい、だそうよ」
「は――」
松坂が、携帯を黄池に突き出す。画面には、4ケタぎりぎりの数字だけが入力されている。
場に、どよめきが走った。
黄池が、声にならない悲鳴を漏らす。
そんな黄池の動揺を、松坂は察したのだろう。松坂は、前に一歩踏み出し、
「お願い」
松坂は、頭まで下げて、
「ナカジマ達を、説得して。あなたの言葉なら、きっと聞いてくれる」
松坂の言葉に、この場にいる誰もが沈黙で応えていた。
もちろん、黄池悟も。
「黄池、私からもお願い」
「俺からも、頼む」
「――わかった」
迷う理由なんて、もちろんあるはずがない。
自分は医者の卵だから、
「必ずホシノ達を止める。もう十分だって、そう伝える」
ホシノ達の、友人だから。
自分はきっと、正しさを口に出来たのだろう。だから梅宮も、松坂も、ようやく安心したように笑えている。他のドライバー達もそうだ。
――竹原が、黄池に歩み寄ってくる。気楽そうな調子で、肩をぽんと叩かれた。
「やっぱ、お前に頼んで正解だったな」
「そうかい?」
「ああ」
そして竹原は、これといった特別さを抱えていない様子で、
「ホシノのこと、よろしく頼むな」
「――わかった」
そして黄池は、片手に持ったままだった携帯に火をつける。
この問題を解決するには、大洗女子学園に所属している生徒会員の力が必要だ。
頼みごとをスムーズに聞いてもらうには、なるだけ知り合いの方がいい。
だから、
少し急ぎ気味で、けれども冷静にアドレス帳を引っ張り出して――あった。
「……あ、もしもし、サキュバ子さんですか? いつもお世話になっています。忙しい中で悪いのですが、頼み事が二つほどありまして――」
―――
目を覚ました。
暗がりの中でデジタルの目覚まし時計を確認してみると、時刻はジャスト五時五十五分。あと五分もすれば、アラームが鳴るはずだった。
早起きにも、ずいぶん慣れてしまったものだ。意識もきっぱりとしているし。
それもこれも、大洗学園艦を失いたくないという使命感によるものだろう。
そして何より、黄池悟の事を手助けしたいという本心がそうさせるのだろう。
ホシノは、ベッドの上で伸びをする。この行為も、ここ最近になって習慣化した。
やがて、部屋のカーテンを軽やかに開ける。朝の日差しが、部屋じゅうを薄く白く染め上げた。
――さて、朝メシ食って朝イチで整備を済ませてしまおう。
制服姿に着替え、シェアハウスのリビングへ降り立つ。するとそこには、トーストをかじっているナカジマ一同の姿があった。
「よ」
「よ」
スズキとあいさつを交わしあい、
「直す戦車はどれだけあるっけ?」
「二。アリクイさんとアヒルさんのやつだね」
「二両か。十分にいけるね」
ホシノの意気込みに、スズキが機嫌よく笑いかける。
ここ最近の日課はといえば、朝は修理しそこねた戦車の修復、昼は専門書の精読、午後は戦車道の授業、放課後は修理を行いつつ夜の七時まで自主練、帰宅後はなるだけ早く寝る。
やはり勝負どころは放課後で、自主練の時間帯は最低でも一時間は確保している。そのため、どうしても修理しそびれてしまう戦車が出てきてしまうのだ。
だからこそ、朝イチの修復はやはり欠かせない。自主練も重要だが、もっと大事なのはみんなでレベルアップすること、なのだから。
――ナカジマからパンと、牛乳入りのガラスコップを受け取る。
「さ、てー。調子はどうですかナカジマさん」
「この前にホシノが勧めてくれたあの本、すっごくいい。戦車長としてのコツが、これでもかってくらい書かれてある」
「おー、いいねえ。スズキは?」
「んー、もっとタイムを突き詰めたいねえ」
ここ最近のスズキはといえば、帰宅して早々ダンベルトレーニングに励むことが多くなった。当初はひいひいと悲鳴を上げていたものだが、ここ最近はダンベルのサイズもデカくなり、それに伴ってかダンベルの色も段々と黒ずんできている気がする。
本人曰く、「トラック乗りらしくなってきたっしょ」とのこと。いいことだ。
「で、ツチヤ」
「ん、うん」
牛乳をゆっくり飲み干していたツチヤが、その手を止める。
「どう? 操縦の方は」
「んー……まあ、以前よりはいけてるって感じはするかな。ベストポジションにつく速度も、縮められてきてるし」
ツチヤの言い分に対し、ホシノ一同はこくりと首を縦に振った。
いきなりこんな境遇に巻き込まれて大変だろうに、それでもツチヤは自分たちについてきてくれた。やっぱりツチヤに操縦を任せて、良かったと思う。
「私だけじゃない、みんないい感じになってきてると思う。正直、黒森峰レベルになってきてるんじゃないかな?」
「そうかな」
「そうさ」
そしてツチヤは、いつも通りに微笑みながら、
「だからさ、今日は気分転換に峠でも走ってみない?」
その言葉がリビングに響き渡った瞬間、スズキの目が丸くなった。牛乳を飲んでいる最中だったナカジマが、そのままで止まった。
そしてツチヤは、「あれ?」と首をかしげる。まずいことでも言ったのだろうかと、苦笑とともに眉まで曲がる。
「あ、ああ……そっか」
そしてホシノは、ツチヤの言葉を頭の中で解していって、
「ツチヤ」
「う、うん」
「ごめん、やっぱりちょっと、キツかったかな」
「え、あ、うん……まあまあ?」
「我慢しなくていいよ。むしろ、よくここまでついてきてくれたんだなって思ってる」
「へ、」
ホシノは、心の底から精いっぱいに笑ってみせる。
「今日は私たちだけで何とかするから、ツチヤは気にしないで走ってきて」
ナカジマも、スズキも、ホシノの言葉に賛同するかのようにうなずいてみせた。
けれどツチヤの顔は、今一つ晴れない。むしろ、先ほどよりも陰りめいたものが増している。
「あの」
「うん?」
「……ホシノも、ナカジマも、スズキも、一緒にどうかな? 同じことばっかりは、さすがに飽きちゃうでしょ?」
ナカジマが、「ああ」と手をぽんと叩く。
「もしかして、気遣ってくれてる? 気にしなくていいよ、私たちはやりたいようにやってるだけだから」
「そうそう。黄池とホシノには、幸せになってほしいからね」
やめろよーと、ホシノがスズキを小突く。スズキは、楽しそうに笑う。
そしてツチヤは、未だ無表情を貫いたまま、
「ホシノ」
「う、うん?」
「昨日のホシノ、いい感じだったと思うよ。あんな遠距離から、十三発も撃って十発も的に当てたんだから」
「そうかな?」
思わず照れ笑いがにじみ出る。
が、
「でも、あのままじゃだめ。十三発中十二発は当てないと」
ホシノは、当たり前のように目標を口にした。
――それを聞いたツチヤの目は、いっぱいに見開かれていた。
「……ごめん、さっきの話はなかったことにして」
「え? いいよいいよ、ツチヤは楽しんできて」
「いい。ほっとけない」
「……そか」
操縦に関しては、少なくとも黒森峰とも引けはとっていないと思う。
ただそれ以外となれば、やはり話は別なのではないのか、とも思う。
何せ相手は、生粋の戦車道履修者なのだ。自分にいい感じの才能があったところで、やはり経験者相手に敵うかどうかは割と怪しいものがある。
だからこそ、練習に次ぐ練習で上手いところ差を埋めねばならないのだ。これはレーサー界隈でも変わらない。
「ツチヤ」
「うん?」
「ありがとう」
「……うん」
だからこそ、付き合ってくれるツチヤには頭が上がらない。
ツチヤこそ、自動車部の次期部長に相応しい。そう思う。
□
早朝の通学路は今日も涼しい。まだほんの少しだけ薄暗いが、この寂しい雰囲気もなかなかどうして悪くはない。
隣で一緒に歩いているナカジマ曰く、「晴れもいいけど、特に雨の日が好き」とのことだが、今にしてその感性がよく理解できる気がする。
私も変わったなあ。
――ずっと前から、変わってしまっていたか。
静かな住宅地の中で、そっと黄池の姿を思い起こす。自分には絶対に成しえない事柄を、その身一つで成してしまう男の人。
そんな人だというのに、黄池はいつもいつまでもホシノのことを気にかけてくれた。だからこそホシノは、恋に落ちることを選んだ。
今でも誓っている。
バイクへの想いと、黄池への恋だけは、何物にも譲るつもりはない。
この意思を貫き通すためならば、この身を捧げてもかまわない。
そしてホシノ一同は、学校へ続く横断歩道を渡りぬく。学校から朝練の声が響き渡ってきて、スズキがやる気満々に手と手をぶっつけあわせ、学校まであと数歩というところにまで近づき、
校門の前に、黄池悟がいた。
まず最初に、ホシノはそう思った。
よく見てみると、後ろに手に組みながらで、まだ閉鎖中の校門前にじっと突っ立っていた。
男が女子高の前にいる。それだけでも違和感がすごいのに、よりにもよって黄池悟その人が、大洗女子学園の門前に堂々と直立しているだなんて。
そして、当然のように気づかれた。目と目が、合ってしまった。
助け船を求めるように、ホシノはナカジマに視線を向ける。ナカジマも困ったように、視線を右往左往。
スズキもツチヤも、口をぽかんと開けたままで硬直しきっている。このどうしようもない場を、何とかできる人物は――自分か。
ひとつ、ざーとらしく咳を漏らす。
そして、まるで友人にでも話しかけるかのような調子で、黄池へと歩み寄っていって、
「やあ、悟」
「ああ、ホシノ」
そして黄池は、絵にかいたような無表情を顔に貼り付かせたまま、
「待ってたよ」
その言葉に、ホシノの背筋がぞくりと震えた。
「な、なに? 私たち、何かやっちゃった?」
「悪いことは、何もしていない」
その言葉を聞いても、少しの安心感すら覚えられない。
それほどまで、いまの黄池には「妥協」というものが感じ取れなかったから。
「ただ、伝えたいことがあってここに居る。――ああ、ちゃんと角谷会長から許可は降りているから」
その言葉に、ホシノは口を強く塞ぐ。
大洗女子学園の最高権力を借りてまで、こんな1チームに何かを口にしようとしているのか。
自然と、固いこぶしが作り上げられる。ホシノの後ろにいる面々からも、強い緊張感がほとばしっているのがわかる。
「ホシノ、ナカジマ、スズキ、ツチヤ」
なに。
「今日まで頑張ってくれて、本当にありがとう」
一礼。
――へ、
「君たちはもう、十分に努力を積み重ねた。僕はもちろん、レーサー達もそう認めてる」
「え、いや、」
「だから、猛特訓はここまでにしよう。決勝戦がやってくるその日まで、いつも通りに暮らそう」
「ま、待った!」
最初に口を開けたのは、スズキだった。
「そんなのんびりなんてできないっしょ。相手はあの黒森峰、生半可な練習じゃあ何ともならない。それは黄池もわかってるはず」
「いや、君たちはもう十分に鍛えられた。あのプラウダにも勝ったんだ、それが努力の証明だよ」
「いやいやいや、黒森峰はその上だから。だからもっとがんばらないといけないっしょ!」
間髪入れず、だったと思う。
後ろ手だった黄池は、一枚のプリントをホシノに突き付けてきた。
それに首をひねったスズキは、よく首を伸ばし、文字に注目して――抗議が、止まった。
「生徒会の権限を使って、ここ数日における自動車部の部費の増減について調べさせてもらったよ。この調査結果は、角谷会長も認めている」
決して安くはない数字を見せつけられて、ろくな言葉も出せない。こうもテキストで示されると、浪費したというリアリティをいやでも自覚してしまう。
たぶん、それが狙いだ。
けれども、否定なんてできやしない。
「これ以上部費を使ったら、車の燃料代やタイヤ交換に手間がかかると思う。これ以上、戦車道に投資するのはやめたほうがいい」
そうかもしれない。
けれどもホシノは、決して頷かなかった。黄池を幸せにしたい、その一心で踏みとどまり続ける。
「……悟っ」
名前を呼ぶ。次に何を言うのかも、考えないまま、
「私はっ、私は――私は、それでもいい」
「ホシノ、」
「この学園艦を守るためなら、黄池が守ってくれたこの学園艦のためなら、自動車部だってなんだって捧げる!」
理性では、まちがいなく黄池には勝てない。
だからこそホシノは、本能のままに言葉を走らせる。
「ホシノ。いい、いいんだ。どんな結果であれ、僕たちは君を責めたりはしない」
「そんなこと関係ない。私は悟のために、何とかしたいんだ!」
「じゃあ、僕の言うことを聞いてくれ。また一緒に、バイクで走ろう。みんなが待ってる」
「だめだ」
「どうして」
「生徒会員としての悟も、守りたいんだ!」
黄池が、まばたきを繰り返す。
「私は、大洗のレーサー達を守りたい。あの場所をなくしたくない!」
絆は、何よりも尊い。
「戦車隊のみんなだってそうだ。試合に勝って、みんなで笑いあいたい!」
友情は、何よりも温かい。
「何より、」
何より、
「私は、悟のすべてを守り通したい。生徒会員としての実績も、居場所も、ぜんぶ守りたい! そのためならなんだってする! するよ!」
「どうして、どうしてそこまで」
「――悟のことが、悟のことが、好きだからッ!」
愛は、何よりも大切なものだから。
車の走る音が、遠くから静かに響き渡った。
まだ朝が早いからか、校門の前には黄池とホシノ達しかいない。そんな嘘みたいな場面に、目と口を開けたままの黄池が、泣いてしまいそうに歯を食いしばっているホシノがいた。
永遠に、このままが続くかと思った。
「――ホシノ」
何の前触れもなく、沈黙はぷつりと途絶えた。
「今は、今は、その言葉を受け入れるわけにはいかない」
「ど、どうしてだよ!」
「君は十分に頑張った、だからだよ」
「そんなことない! 見てよ、体だってちゃんと動く!」
「心の方は、そうでもないんじゃないのかい? 歩んでばかりじゃ、どうしても疲れるよ」
「――そんなこと、そんなことない! ……たとえ疲れても、私は悟のために何とかする!」
「ホシノ、」
「この身を捧げたっていい!」
「ホシノッ!」
ホシノの体が、心が、びくりと震えた。
「いい、いいんだ」
黄池は、首を左右に振るう。ゆっくりと。
「
「こ、こんなことって。何を言っているのか分かってるの!?」
「わかってる」
「わかってない! 悟は、学園艦がどうなってもいいっていうの!?」
愛は、何よりも大切なもので、
「私は、悟の為ならなんでも、」
「命より大切なものなんてないッ!」
何よりも正しい言葉を前に、ホシノのすべてが停まった。
おもう。
黄池が口を挟んだのなんて、これが初めてだ。いまの黄池は獰猛に呼吸を繰り返していて、その目は鈍く鈍く輝き続けている。
「……頼む」
そして、黄池はうつむく。
「もう無茶なんてしないでくれ、このままじゃ、絶対に心を壊してしまう」
――それなのに勉強勉強って、もう嫌だよ
ホシノの中で、フラッシュバックが瞬く。
忘れかけていた、はじまりの思い出。
「ホシノは、かつての僕のようにはなって欲しくない」
黄池の姿勢が、ゆっくりと崩れていく。
「頼む、この通りだ」
ナカジマが、スズキが、私からどよめきが漏れる。
土下座を、された。
「責任はぜんぶ生徒会が、僕がとる。だから君たちは、元気よく健やかに、今日を生きて欲しい」
私はいったい、なんてとんでもないことを叫んでいたのだろう。
命がなくなってしまえば、友情を尊ぶことも、愛を育むことも永遠にできなくなる。それなのに私は、悟のために命を差し出すだの何だのと口走ってしまった。
――よりにもよって悟に、医者の卵である黄池悟相手に。
「……みんな」
後ろから声がして、ホシノは心の底から驚く。
振り返ると、ツチヤが、明るい苦笑いを顔ににじませていた。
「私は、黄池の意見に賛成。正直しんどかったしさ……あ、あはは」
ツチヤが、一つ下の後輩が、無理をして笑いかけてくれている。
そんなツチヤを見て、私はようやく、まちがいを自覚できた。
「ごめん」
考えるよりも先に、ツチヤを抱きしめていた。ナカジマもスズキも、できるかぎりの謝罪をツチヤと黄池に繰り返す。
ゆっくりと立ち上がった黄池は、「いいんだ」と、それだけを言ってくれた。
□
終わった。
ホシノ達を止めることができて、心の底から安堵している。気まずそうに笑いかけてくれるホシノが、ナカジマが、スズキが、そしてツチヤのことがとても愛おしい。
そうだ。人間の身と心と比べれば、学園艦の一隻ぐらいなんてことはない。
こればかりは、絶対にそう思う。生徒会員に怒られようとも、この意見だけは断固として譲れない。
深呼吸する。朝っぱらだというのに、ずいぶんと暑い。
ーー改めて、ホシノのことを見つめる。
さっきは、すごいことを聞いてしまった。
間違いなく、告白というものをされた。
気の迷い、などではないのだろう。その証拠に、ホシノからすっかり目を逸らされてしまったし。
「ホシノ」
ホシノが、びくりと震える。
「その、さっきの言葉、だけれども」
ホシノ以外の人物が、表情で身構えだす。
ーー僕だって男だ。女の子から想いを告げられた以上、本心本音で返事をするのが義務であることぐらいわかっている。
だから、言う。中学三年の頃から、胸の内でずっと抱えてきた想いを。
「僕は、」
「あの、黄池さん」
首がごきんと鳴ったと思う。
自分の背後には生徒会員が、サキュバ子がおどおどした様子で立っていた。
「少しだけ、動いてもらっても構わないでしょうか。校門を開けたいので……」
「す、すみません……」
「……許可をもらっているのは分かっていますが、あまり長居しないほうが良いと思います」
「そ、そうですね……そうですよね」
サキュバ子が、小さく頷く。
「……それで」
そしてサキュバ子は、己が口にそっと手を添えて、
「説得は?」
「できました」
「……よかった」
サキュバ子の口元が、ふわりと緩んだ。
「こうなれたのも、すべてはサキュバ子さんのおかげです。どうお礼をしていいものか……」
「いいんです。日射病で倒れた時の恩返し、と思っていただければ」
「……はい」
男が女子高の前に突っ立っていられるのも、女子高の部活について調査できたのも、すべては女子生徒であるサキュバ子が手引きしてくれたお陰だ。
こんなにも忙しい中で、よくぞ私情に付き合ってくれたと思う。体力も時間もかかっただろうに、サキュバ子はたった一つのお礼で全てを清算してくれた。
何かあったら、必ず自分がサキュバ子を助けよう。生徒会長も、きっとそれを望んでいるだろうから。
――何事もなかったかのように、サキュバ子が校門の前にまで移動する。学生鞄から重そうな鍵束を取り出してみせては、何ら迷うことなく校門の鍵を差し込み始めた。
うん。
一区切りついて、黄池はふたたびホシノと対面する。
瞬間、さきほどの告白が頭の中で何度もリフレインし始めた。
「……あ、えと、ホシノ。それで、その、あの、さっきのことなんだけれども」
「あ、い、いいよ。人も来たし……」
周囲を見てみると、たしかに女子生徒の姿がまばらに目立ってきた。これから、朝練なりを行うつもりなのだろう。
流石にこの状況では、告白なんて出来るはずがない。下手なことを口にしてしまえば、まず間違いなくホシノが晒し者になってしまう。
通りすがりの女子生徒が、女子校の前で堂々と
だから、そろそろ立ち去ろう。やるべきことは、やれた。
「じゃあ、みんな」
「うん」
「今日から、また自動車部を再開させてほしい」
ホシノが、いつも通りの笑顔を咲かせながら、
「わかった」
背後で、校門が開かれていく音が鈍く唸った。
大洗女子学園への道が、ようやく開かれる。
「時間か。じゃあ、僕はこれで」
せっかくここまで来たんだ、たまには朝イチの学校も良いかもしれない。
だから黄池は、そのまま大洗学園の方へと歩みだす。両足は無意識に動かして、頭の中は告白のことでいっぱいにしながら。
どうしよう。いつ、返事を返そう。
三歩、四歩、五歩――
今すぐ、となるとメールか電話が現実的か。頭を振るう。ホシノは想いを直接伝えてくれたのだから、自分も言葉で返すのが義務だ。
となると、放課後か。
あらかじめ待ち合わせの場所を決めておけば、余裕も出来るし覚悟だって据えられる。よし、これがいい、
「悟」
数センチほど飛んだと思う。
振り向けば、そこには目と口を丸くしたホシノ、がいた。
「ご、ごめん、驚かせた?」
「い、いや、大丈夫。そ、それより、なにか用?」
「あ、ああ、うん」
そして、ホシノの言葉に鈍りが生じはじめる。視線は斜め下に、指と指を突き合わせて、ええっと、その、あの、うんと。
あまりの恥じらいっぷりを前に、黄池はすかさず、
「落ち着こう。時間はある」
「あ、は、はい」
改めて、場所を再確認する。
校門から少し離れた位置についていたから、男がいても特に注目はされないだろう。
――よくよく覗ってみれば、校門の前でナカジマ達がじっと立ち続けている。視線から察するに、ホシノのことを待っているのだろうか。
「はー、はー……っし、よし」
何度かの深呼吸を行い、いくらかの調子は取り戻したようだ。
「さ、悟」
「な、なに?」
ホシノから、真剣そのものの表情を突きつけられる。
一語一句たりとも聞き逃さないよう、黄池は頭に力を込めた。
「あ、あ、あのさ」
「うん」
ホシノから、色濃い緊張感が伝わってくる。顔なんてもう赤い。
「あの……あのっ!」
これから何を言おうとしているのか、それはわからない。
けれどホシノは、とても大切な言葉を振り絞ろうとしているのだろう。
告白と同じぐらいの、何かを。
「さ、悟!」
「う、うん」
「週末、暇か!?」
「暇、だと思う。いや、作るッ」
何も考えないまま言った。
そしてホシノは、音も立てず、胸に手を当てる。両肩でゆっくり、ゆっくりと息を吸う。
いまのホシノは、指先だけで割れてしまいそうな繊細さがあった。
けれどもその瞳は、ずっとずっと自分のことだけを映しとっていた。
「――悟」
「うん」
「今週末、デートしないかっ?」
「もちろん」
――、
「え? で、でーと?」
ホシノが、力んだ顔でうなずいた。
「ぼ、僕なんかと? どうして……?」
「ほ、ほら、私らって無茶ばっかりしてきただろ? だから気晴らしに、ぱーっと遊ぼうと思って、な? その、な?」
じゃあ、自動車部のみんなと遊んだほうが、
口にまで出かかったところで、校門前に立つ自動車部の面々と目があった、気がした。
おそらく、ナカジマかスズキから「背中を押された」のだろう。あるいは「提案」をされたのか。
――どちらでもいい。
「うん、僕でよければ喜んで」
「あっ」
ホシノと二人きりになれるのなら、なんだっていい。
――よし。
黄池は、決意の成すがままに言葉を紡いでいく。
「そのときに、告白の返事もする。絶対にする」
「……ほんと?」
ホシノが、不安そうに苦笑いする。
対して黄池は、一切迷うことなく胸に手を置いた。
「この命に誓うよ」
「――うん」
ホシノは、顔いっぱいに笑ってくれた。
「うし。じゃあ、私はそろそろ行くよ」
「ああ、うん。悪いね、気を遣わせてしまって」
「いいっていいって」
そしてホシノは、一歩、二歩だけ後ろに下がって、
「ああ、あとな、悟」
「うん?」
「僕なんか、とか言うな。私は、悟がいいんだよ」
□
「ただいまー」
上機嫌な顔をしたホシノが、ようやくツチヤ達の前にまで戻ってきた。
ホシノの表情を見てみれば、結果なんてわかりきっている。けれどホシノは、言いたそうに言いたそうに口元をひくつかせていた。
ナカジマが、顔で「しょうがないなあ」を表現しつつ、
「どうだった? 結果は」
瞬間、
ホシノが、勢いよく親指を立ててみせた。あまりの勢いに、風すら発生したと思う。
もちろんナカジマは、嬉しそうな顔をしながらホシノの背中をぱしぱし叩く。続いてスズキも、喜色満面の笑みとともに背中を抱いてみせた。
ツチヤも、よかったねと首を縦に振る。
「やったね、ホシノ」
「ああ」
「デートでいい感じに盛り上がって、またホシノの方から告白すれば、絶対いけるっしょ。吊り橋効果みたいなカンジで」
「う、うん……たぶん」
そもそも最初にデートを提案したのは、すっかりマニュアル魔と化したスズキだ。
先ほどの「いい感じ」を察したスズキは、立ち去っていく黄池の背中を見つめては「!」と閃き、ホシノに黄池とのデートを勧めた。
最初こそ無駄な抵抗を示したホシノだったが、恋路を見守ってきたスズキからの理論攻撃を食らい、だいじょうぶだいじょうぶとナカジマから背中をぽんぽん押され、こうして現在に至る。
「じゃあ、とっておきのオシャレとか、あとデートスポットも考えておかないと。……スポットは黄池が考えるの?」
そのとき、ホシノの顔から一切合切の色が消失した。
あまりに急すぎて、時間すら止まったかのように思う。
「……オシャレ?」
「え、うん」
「……デートスポット?」
「え、うん」
まるで遠い国の言葉を口にしているかのような、見事なまでのカタコトっぷりだった。
ナカジマ、スズキ、ツチヤが、無表情に朝空を見上げる。
いい時間帯になってきたのか、空がだいぶ青みがかっていた。おそらく、今日も晴れ日和だろう。
ナカジマ、スズキ、ツチヤが、ホシノめがけ視線を落とす。ホシノの身が、びくりと縮みこむ。
「ホシノくんっ」
「は、はい!」
スズキが、すごく張り切った声を出す。
「帰りにファッション雑誌を買おう!」
「りょ、了解です!」
「あとデートスポットもね! まあここは黄池と相談して決めてね!」
「わかりました!」
「んー、あと何をすべきかなあ、どう思うナカジマ」
「えー、そうだなーなにかなー、んー……」
いつもの四人で肩を並べながら、いつも通りの通学路を歩んで、いつもと少し毛色が違う会話を楽しげに交わしあう。
校内には、既に何人かの女子生徒がまばらに歩いている。あと少しもすれば、グラウンドから朝練の声が響き渡ってくるだろう。
あれこれ言われているホシノだが、なんだかんだで面白がるように笑っていた。
――恋って、やっぱり楽しいのかな。