ホッシー:こんにちは、ちょびさん。いまだいじょうぶですか?
ちょび:どうしました?
夜の恋愛小説にひっそり浸っている中、机の上の携帯が突如として震えだす。自分は特に驚きもしないまま、携帯の手にとって、「やっぱり」と呟きながらでまずは挨拶。
ホッシー:今日は二つ、伝えたいことがあります
ちょび:なんでしょうか?
そこで、少しだけ間が生じたと思う。
ホッシー:こんな時ですが、こんな時だからこそ、戦車道を健やかに歩むことにしました
ちょび:……そうです、それが一番いいです。戦車道とは、そういうものです
ホッシー:はい。ですが、これだけは言わせてください
ちょび:はい
そしてホッシーは、間すら入れずに、
ホッシー:あなたがいてくれたから、私たちはここまで歩むことができました。本当に、本当にありがとうございました
――これまでのことを思いながら、わたしはひとたび呼吸を置く。
ちょび:もう、教えることは何もありません。あなたは立派な、戦車道履修者です
ホッシー:はい
ちょび:でも、だからといって、これでバイバイはだめですよ?
ホッシー:もちろんです。友達ですから
心の底から、含み笑いがこぼれ落ちる。
ちょび:ありがとう
ホッシー:こちらこそ
ホッシー:……それでは、友人として、一つお伝えしたいことがあります
ちょび:なんでしょう
ふたたび、画面上が沈黙した。
ただ、ホッシーは何か文字を打ち込んでいるのだろう。その証拠に、入力中を示す車輪アイコンが画面下でぐるぐる回っている。
長文か、あるいは書いたり消したりを繰り返しているのか。
ちょびは思わず、真顔になってまで携帯をじっと見つめてしまう。
ホッシー:今週の土曜に、イエローとデートすることになりましたッ!
あまりにもあんまりな内容に、最初は内容をかみ砕くことができなかった。
目をつむって、思いきり深呼吸をする。手をすこしだけ震わせながら、おそるおそる両目を開けていって、渾身のニュースが現実であることを確認し、人差し指で無機質に文字を打ち返す。
ちょび:ほんとうですか?
ホッシー:本当です! ちゃんと約束しましたッ!
なるほど。
ちょび:やったんですね! やったんですね!!
ホッシー:はい! やりました! ぶっちぎりました!
きゃ――――――ッ!!
わきゃ―――――ッ!!
どわ――――――ッ!!
ちょび:で、で! どんなプランを構築しているんですか!?
ホッシー:それなんですが、デートコースはフリー、ということになりました。ライダー同士、自由がいいだろうってことで
ちょび:その選択もアリですね!
ホッシー:はい! それでその、バイクに乗る都合上、ラフな格好でデートをするつもりなのですが……よろしければ、最終チェックをお願いします
ちょび:もちろんです!
もちろんです!
そしてホッシーから、一枚の画像が送信される。撮影場所はおそらく寮の玄関、画面の中央にはモデル立ちを決めているホシノがいて、コーディネートは飾らない青色のジーンズ、紺色のデニムジャケット、差し色として茶色のブーツを履きこんでいる。
ライダーらしい、実にラフなファッションだった。
それを目の当たりにした、感想はといえば、
ちょび:イケメン―――――ッ!!
ホッシー:ええーっ!?
ちょび:やっぱりホッシーさんは、こういうスタイルの方がベストマッチしていますねッ! あ、この画像保存しますね、モデルさんみたい!
ホッシー:やめてください! 焼いてください!
ちょび:いやですー!
ホッシー:どうか、どうか誰にも広めないでッ!
ちょび:わかってますわかってます、これは私だけの宝物にしますから!
ホッシー:うぐぐ……
意地悪を言ったつもりはない、すべて本心によるものだ。
実際のところ、ホシノはカワイイというよりはイケメン寄りだと思う。日焼けと鋭い目つきが、そんな印象を抱かせてくれるのかもしれない。
こんな人に惚れられてしまったら、自分もころっと落ちかけてしまうだろう。
――わざとらしく、まるで意味がない咳をついて、
ちょび:ホッシーさん
ホッシー:はぁい
ちょび:とてもいいシチュエーションになると思います。お二人で、学園艦を走るのでしょう?
ホッシー:ですね。想像すると、なんだかドキドキしてきました
ちょび:わかりますー!
想像する。
想い人と共にバイクを走らせる際、自分は前について先導し始めるのか、それとも後ろから背中を追い求め続けるのか。
前だったら、後ろからずっとずっと想い人に見守られ続けるのだろう。ぜんぜんアリだ、蒸血しそうになる。
後ろも捨てがたい。届きそうで届かない背中に追従していって、ひと時のじれったさを味わうのも風情がある。
どちらでもよかった。
どちらにせよ、ふたりだけの時間を相乗りできているのだから。
――相乗り?
――待てよ?
ちょび:ホッシーさん
ホッシー:はい?
ちょび:私に、とっておきの策がございます
ホッシー:策!?
画面の向こう側から、目が覚めるような音が伝わってきた、気がした。
私は、にんまりと口元を曲げ、
ちょび:それはですね――
―――
送信者:ホシノ
デートの件なんだけれども、悟の方からバイクで、シェアハウスにまで迎えに来てくれないかな?
送信者:黄池
OK
送信者:ホシノ
じゃあ土曜、十時から。デートスポットは臨機応変で。
待ってる!
待ちに待った土曜日が訪れ、黄池はシェアハウスめがけバイクを走らせていた。出来る限りの安全運転を心掛けつつ。
はやくホシノと会いたい。はやる気持ちを抑えつけながら、黄池は最低限の速度を保ち続ける。しかしあらぬ妄想はついて張り付いてくるもので、そのたびに黄池は首を左右に振り回す。
途中で信号機に捕まり、思わず悪態が口から出る。
いかんいかんと、白いフルフェイスヘルメットを小突く。
ひどい恋煩いだ。
けれど、これがホシノへの感情なんだ。
腕時計を見る、十時までまだ余裕だ。このまま走っていけば、順当にシェアハウスへ到着するだろう。
――今日はよく晴れてくれた、気温もほどほどに涼しい。
デートが遅れるか、或いは中止になるなんて、自分の目の前で急病人が発生した時ぐらいなものだろう。それだけは譲れないし、ホシノも納得してくれるはず。
信号機が青になる。
ホシノとデートがしたい、今日もどうか穏やかでありますように。このふたつを考えながら、黄池はシェアハウスまで安全に走っていく。
それから数分がして、無事にシェハアウスの前に到着する。
そこには間違いなく、ラフな格好をしたホシノが上機嫌そうに待っていてくれていた。脇にヘルメットを抱えて、顔には口紅を輝かせて。
黄池はバイクにまたがったままでエンジンを止め、ヘルメットのバイザーを開ける。
「おはよ、悟」
「おはよう、ホシノ。……おお、モデルさんみたいだ」
「わわっ、あんたもそう言うのか?」
あんたも。ということは、何度も言われた感想なのか。
けどまあ、しょうがないことだ。
「悟だってキマってるじゃないか」
「そんな凝った服装じゃないよ」
「じゃあ自然体ってことか? はー、ずるいっ」
「ホシノには言われたくないなー」
「そっかあ?」
ホシノが、にひひひと笑う。
そんなホシノを見て、内心でほっとする。
ホシノ達を説得して以来、付き合い方や距離感などは再びこれまで通りのものとなった。戦車道の実践は二日に一度へ、昼休みになれば自動車部からなんでもないメールが届いて、放課後は峠でてんやわんや。ホシノ達が復帰した時は、レーサー一同からあれこれ可愛がられたものだ。
そして朝になれば、寮の前で待ち合わせをしているホシノと二人で登校。
様々な会話を紡いで、手は未だ繋げず。
そんな日常を、送り続けていた。
「さ、て。そろそろ行こうか」
そうしてホシノが、ごく自然にクラシックバイクの後部座席に腰かける。
黄池は、そうだなと同意して、
「待った」
「え、な、なにかな?」
「……バイクは?」
「え? あ、あー……絶賛故障中」
「昨日のタイマンレースでは、すごく元気いっぱいでしたが」
「えー……あー……」
しかしホシノは、未だに腰を上げようとはしない。ひと唸りするたびに、目が右往左往に泳いでいる。
――近い。
冷静を保とうとするが、かえって煩悩が広がっていく。心臓の音すら聞こえてきた。
かといってホシノのことを、無下にどかすわけにはいかない。このままでいたい。
ひどい矛盾だ、本心はもちろん、
「ほ、ホシノッ」
「う、うんっ」
「わかった、バイクは故障しているんだな? じゃあこのままでいい。なるだけ安全運転に励むけど、怖くなったらいつでも言ってくれ」
下手な躊躇が生じる前に、黄池は一気に本音をまくし立ててみせた。
ハンドルを手で握ったまま、後ろに座るホシノのことをじいっと見つめる。黄池の姿を瞳に映しているホシノは、しばらくは呆気にとられたまま、けれども目を逸らすことはなく、
「――わかった」
そして、いつも通りの笑みを顔に咲かせてくれた。
黒色のヘルメットを被り、そして、
「あ、えーと……きつかったら、いつでも言って、くれよ?」
「う、うん」
後ろから、ホシノに抱きしめられた。
風呂にはちゃんと入った、服にもしっかり消臭剤をかけたはず。そんなことを考えながら、とりあえずはエンジンに火をつけ、街にまでバイクを走らせる。
ホシノからの温かさが、体のすべてに伝わっていく。
□
――そういえば今日は、レーシング誌の発売日だった
――よし。じゃあ本屋に行こう
ホシノに抱きしめられて数分が経ったが、特にこれといってトラブルを起こすことなく、付近の駐車場にまでバイクを停めることができた。
何事もなく二人してバイクから降りて、ヘルメットを外し、目と目が合って何となく笑いあう。気恥ずかしさはあったけれど、それすら心地が良い。
外したヘルメットをバイクにロックしておいて、後はそのまま本屋へ。スキあらば手を握ろうとしたが、それができれば苦労をするはずがなく。
本屋の引き戸を開けて、入店を知らせるベルが鳴り響く。この音も、程よい広さも、薄暗さも、今となってはすっかり慣れたものだ。
そして、店にお邪魔して、
「あっ」
複数の声がハモった。
そして思わず、黄池の背筋がぴんと伸びる。
「おや、やあやあ偶然だねえ、黄池君」
「こ、これはどうも、角谷会長」
生徒会員である黄池悟は、自分の手と手を思わず前に繋げてしまう。そんな堅苦しさを前にした杏は、力なく手をひらひらと動かし、
「いいっていいってー、ここは生徒会室でもないし、そもそも君は
「い、いえ、角谷会長のおかげで、学園艦の平穏は保てていますし……」
「ちがうよー、それはみんなのお陰」
そして杏は、ちらりとホシノに目配りし、
「キミだって、色々頑張ってくれたでしょ? これでおあいこってことで」
「は、はあ……どうも」
「にひひ。で、君たちはどんなホンを買いに来たの? 私はーこれっ」
杏は見せつけるように、二冊の本を前に提示する。
右手には「グルメスペシャル」と書かれた料理雑誌に、左手には「やさしい戦車道(著:島田千代)」とプリントされた専門書。
左はともかく、右は意外だなあと思う。
「――料理、作るんですか?」
ホシノの質問を前に、杏が「んむ」と頷く。
「自分で作った料理ほど、おいしいものはないからね~。趣味みたいなものだよ、うむ」
「へえ、いいですね。今度、私にも教えてくださいよ」
これは意外だと思ったのか、杏から真顔が漏れる。
そして杏は、まずは黄池の方を眺めて、次にホシノに視線を置いて、「はーはーなるほどねえそういうことねえ」と呟きだす。実に実に楽しそうな笑みを浮かばせて。
「な、なんですか?」
「いやいや~、気にしないでいいよ~。……で、君たちは何を買いにきたんだい?」
「ああ。レーシング誌を買いに来ました」
ホシノの返答に、杏が安心したように頷く。
「そっか、そか。だよね、やっぱり趣味は、とてもいいものだよね」
「――ですね」
杏の意図を察したのだろう。ホシノは、悪くない苦笑いをこぼした。
「ホシノちゃん」
「あ、はい」
そして杏は、ホシノに近づく。身長の差なんて、まるで感じられない――
「いつも戦車を整備してくれて、ありがとね」
「……いえ、そんな」
「学園艦を一番に考えてくれたこと、忘れないよ」
どう返せばいいのか、わからなかったのだろう。
ホシノは微笑んだまま、首を縦に動かした。
「部費の件も、特別にちゃちゃっとしとくよ」
「あ、いえ、あれは私たちが勝手にやったことで、」
「言ってなかったっけ? 成績優秀者には、いろんな特典が施されるってこと」
杏が、二冊の本を左手に持ち直し、
「もう、無茶なんかしちゃだめだよ」
角谷会長の右手が、そっと、ホシノの肩の上に添えられた。
「――はい」
そして杏は、そっと距離を置いて、
「いやージャマして悪かったね。ささ、あとは二人でごゆっくり~」
そして杏は、何事もなかったかのように会計まで歩んでいった。
なんだか清々しい時間が過ぎ去ってしまったようで、黄池とホシノは、名残惜しそうに苦笑いする。
□
本屋で買い物を済ませたあと、ホシノからの「あ、そだ」により、せんしゃ倶楽部へ赴くことになった。
その都合上、黄池のバイクは大洗学園艦の街中に入り込む。色とりどりの店は何事もなく開店しており、歩道には生徒や親子連れが平穏そうに行き交っている。対向車線からは、絶えず車やバイクが走り去っていった。
廃艦寸前とはとても思えない、真っ当な日常がここにある。
それを実現できているのも、生徒会が幾多の対応をこなしてきたから。ホシノ達が、決勝戦まで勝ち進んでくれたから、なのだろう。
「ありがとう」
「え?」
「この街を、守ってくれて」
「――うん」
ホシノからの熱が、さっきよりも上がっている。気がした。
――しばらくして、ようやくせんしゃ倶楽部の前にたどり着く。黄池とホシノは、自動ドアを潜り抜けて、
「お、いらっしゃいホシノさん。いい本、仕入れてあるよ」
「あ、どもー。でも今日は、別のものが欲しくて」
棚の上に砲弾の模型を置いていた店長が、手で挨拶をする。口ぶりから察して、決して安くはない専門書を何度も購入していたのだろう。
追及は、しない。
「ほおー……」
そのとき、店長から興味津々に見つめられた。何か顔についているのかなと、頬を軽くはたく。
「うん。今日は一品だけ、お安くしておくよ」
「そ、そうですか?」
「ああ」
そういうことになった。
店内はといえば、せんしゃ倶楽部の名の通り戦車に関するものならいくらでも置いてある感じだ。戦車の専門書はもちろん、山ほどの戦車模型、パンツァーリートが収録されたCDの束、戦争映画のみが差し込まれている棚。
そのとき、ホシノが「これこれ」と、棚に引っ掛けられてあった革手袋を手にとってみせた。名札によると、本来は戦車兵が使うものであるらしい。
お値段を見てみて――いい感じだったので、黄池が財布を取り出そうとする。
「待った待った」
すかさずホシノからコールを受けて、けれども黄池も決して主導権を譲ろうとはしない。
日頃のねぎらいだの、頑張ってくれたお礼だのと口にはするが、実際はいいカッコがしたいだけだ。男とは、たったそれだけの理由で金を使うことだってできる。
しかし、ホシノだってそう簡単には退かない。勝手にやっただけとか、部費を使い込んだとか、ありとあらゆる反論を浴びせられ、結局はワリカンということで落ち着いた。
――その際に、
「仲がいいねえ」
イイ笑顔とともに、三割引きされた。
お次は、通りがかった映画館へ出向くことにした。上映時間が最も近い映画を見ることにしたのだが、何の運命か恋愛映画が引っかかった。しかもタイトルは「戦車と恋」、現実の境遇とピッタリすぎてホシノが「うう」とうつむいてしまった。
ホシノの心境を考慮して、黄池は別のデートスポットへ導こうとしたのだ。けれどホシノは、最初は聞き取れない声で、耳を澄ませてみれば「見る」とはっきり口にしてみせた。
そうしてホシノとは隣同士で座ってみせて、間もなく映画館内がブザー音とともに暗くなっていく。そうして「戦車と恋」が上映されたのだが――
主人公の男は平凡なサラリーマンで、ヒロインはとても身分の高いご令嬢。とてもでないが地位が釣り合っていない。
けれど二人は、互いに良いところをよく知っていて、相思相愛であることをスクリーン越しからこれでもかというぐらい見せつけてくれる。
「ほおお……」
隣の席から、感嘆の声が聞こえてくる。
映画は止まらない。主人公とヒロインは時に笑いあい、時には譲らず、時には離れ離れになっていく。けれどやっぱり好きあっているから、顔と顔とがどうしても向き合うことになるのだ。
対立を乗り越えたからこそ、主人公とヒロインは心から惹かれあう。心を覗かれることを、望み切っている。
夜の草むらの中で、互いの手と手は音もなく繋がりあい、やがて踊りあう――
「はぁ……」
隣の席から、声にならない声が反響した。
そして、映画は遂にクライマックスに突入する。
業を煮やしたヒロインの父親が、旅客機を用いてヒロインを遠くにまで飛ばそうとしたのだ。主人公との仲を冷やすためだけに。
このオヤジはハナから政略結婚を企んでおり、この映画的にはれっきとした悪役に値する。それぐらいは理解している学年トップの黄池はといえば――猛獣のように歯を食いしばっていた。まだ若い。
「ンだコイツ」
隣の席に至っては、敵意さえ示す。
しかし主人公は、恋の為なら何だってする男だ。
だから主人公は、空港までの悪路を乗り越えるために、女友達から戦車を借りてきた。機種はティーガー1、ちょっとやそっとの問題なら56口径で解決してしまう頼もしい相棒だ。
――本来、戦車とは女性のためにあるものだ。
けれど主人公は、何のためらいもなくティーガー1へ飛び込んでみせる。暗黙の了解よりも、もっと大切なものを抱えているのだから。
そうして主人公は、悪路を無限軌道で突っ切り、邪魔な岩なんぞは主砲一発で処置してしまう。
「っしゃ」
長い長い道のりの末に、ティーガー1は空港へ到着し、ヒロインと抱きしめあう。そんな中でヒロインのオヤジから電話がかかってきたが、主人公の「俺と勝負しろ!」の一言であえなく退散してしまった。
そして、キスシーンをもってめでたしめでたし。
スタッフロールには、「協力:日本戦車道委員会」の文字がよく目立っていた。
映画が終了し、館内が明るくなっていく。ホシノはどうなっているのかなと、隣を見てみれば、
視線が、重なり合った。
めちゃくちゃ恥ずかしくなってしまって、つい、何も映し出していないスクリーンへと視線を逸らす。
これは戦車映画でもあるが、根はやっぱり、恋愛映画だった。
□
何事もなかったかのように映画館から出てみると、ほぼ同時に黄池の腹が鳴った。
気づけば昼過ぎ、どうしたものかなあと街中を見渡してみれば、
「悟。ほら、あのスイーツ店へ寄ってみない?」
「お?」
ホシノの指さした先には、桃色のペイントがよく目立つスイーツ店、「74アイスクリーム」が建っていた。
生徒会員として、名前だけは見聞きしている。スイーツハンター梅宮曰く「ちょーうまい」とのことだが、客入りの良さからして、その言葉は正しいらしかった。
ホシノを見てみれば、その顔には「食べてみようよ」と思いきり書かれている。
それもそうだなと、黄池は黙って頷く。
――横断歩道を渡って、ようやく74アイスクリームの自動ドアを潜り抜ける。まずは沢山の女子生徒が目に入って、女性店員から「いらっしゃいませー」と挨拶され、
「あっ!」
ホシノと、列に並んでいた西住みほが声を上げた。
よく見てみれば、あんこうチームの皆がみほに寄り添っている。やがてチーム全員から注目され始めて、ほんの少しだけ動揺してしまった。
「こんにちは、ホシノさん!」
「や、みほさん」
出会えて嬉しいのか、みほがいっぱいの笑顔を咲かせる。後ろに並んで欲しいのか、小さく手招きまで。
それを見たホシノは、遠慮せずにみほの後ろへついて、
「ほら悟、こっちこっち」
「あ、うん」
何の因果か、男一人女子六人という構図になってしまった。あまつさえ74クリームの主客は女性であるから、ヘンに緊張感を覚えてしまう。
男女合同の生徒会活動ですら、これほどの差に埋もれたことはない。将来のことを考えると、今のうちに慣れたほうがいいのかも。そんなことを考えつつ、みほの後ろにつく。
「それで、みほさんは何をしてたの? 遊んでた?」
「はい。週末はいつもこうして、みんなで歩いているんです」
「おっ、やっぱりそうだよねえ。やっぱり遊ぶのが一番いい」
「……宿題のことも忘れずにな」
ホシノが、うへーと困った顔をする。秋山優花里が、力なく笑う。
列が少し動くが、まだまだ先は長い。けれども客は、他愛の無い話なり携帯なりで時間を過ごしている。
「ホシノさんは、休みの日はいつもどこに?」
「んー、主にレーシング誌を買いに行ったり、峠で走ったりしてるかな。ホント、レースばっかりだよ」
そのとき、武部沙織の目がぎらりと光った、気がした。
その存在感は極めて大きく、黄池もホシノもぎょっと目を見開いてしまう。
「レース……いいなあ、かっこいいです」
「みほさんだって十分かっこいいじゃないか」
「いえ、そんなこと……」
「謙遜しないしない。誰よりも速く走ることも、みんなを導くことも、同じくらいかっこいいって私は思う」
さらりと言ってのけるホシノに対して、みほの顔が真っ赤に染め上がり、力なくうつむいてしまった。
そんなみほのことを、五十鈴華が微笑ましそうに眺めている。
「……あ、ありがとう、ございます。ホシノさん……」
「こちらこそ、いつもありがとう」
そうしてみほは、ゆっくり、ゆっくりと顔を上げていく。
戦車道では無敗を築き上げていくみほも、日常となれば恥じらいも憧れも覚える普通の女の子でしかない。そんなみほの顔を守ることもまた、生徒会の役目だ。
「……ホシノさん」
「うん?」
「その、変な質問かもしれませんけど……」
「うん」
「いま、すごく楽しく、過ごせていますか?」
「――うん」
意図を察したホシノは、はっきりと笑い、きっぱりとうなずいてみせた。
それを見て安心できたのだろう。みほは、胸に手を当ててひと息つく。
「……正直、とても心配していました」
冷泉麻子が、首を縦に振る。
「プラウダ戦以来、ホシノさん達は誰よりもがんばってて、戦車だって毎日動かせるよう必死に整備してくれて、その上で自主練までこなしてくれて」
胸に当てたままの手が、ぎゅっと握られる。
「ちょっとだけ――いえ、とても心配でした」
みほは、やりづらそうに笑っている。けれどもその瞳は、間違いなくホシノのことだけを捉えていて、ホシノもその視線から逸らそうとはしない。
「わたし的に、なんですけれど」
「うん」
「……もう、十分がんばったと思います。実力も、黒森峰と比例するレベルに至っていると、そう考えています」
ホシノからの反論はない。
他でもない、西住みほからの言葉だから。
「ですから」
「うん」
そして、みほはぎこちなく、
「決勝戦が来るその日まで、いつも通りに過ごしてください」
けれども精いっぱいに、笑いかけてくれた。
だからホシノも、同じような顔をして、
「わかった」
その返事だけで、もう十分だった。
「次のお客様、ご注文をどうぞ」
「あ、すみません」
いつの間にやら先頭に立っていたらしく、一声かけられたみほがカウンター上のメニュー表をしっかり見定め始める。他の面々も、みほと同じようにメニューを吟味し始めた。
そして黄池は、ホシノに目を向ける。気づいたホシノが、横目だけで黄池のことを見返す。
「これでもう、心配なんていらないね」
「だな」
ホシノから、肩で笑われた。
「――次のお客様、どうぞ」
店員から呼ばれて、黄池とホシノがカウンターの前にまで進む。
そうして、ホシノがどれどれーとメニュー表を覗き込むと、
「お客様」
「はい」
そして女性の店員は、それはもう清々しい笑顔を差し出しながら、
「いまならカップル限定、ジャイアントラブラブアイスクリームがおすすめですが、いかがしますか?」
「カップル?」
「カップル?」
そしてもちろん、ホシノと顔を見合わせた。
そしてまもなく、互いの顔面が赤く染まる。
「い、いえっ、その……悟とは……」
「そうでしたか? それは申し訳ありません」
カップルではない。
まだ、カップルではない。
けれどもここで、カップルではないと断言するのも、それはそれで間違ってはいる。だって自分はホシノのことが好きで、ホシノからの告白を受け入れるつもりでいるから。
ここでカップルであることを否定してしまうと、ホシノとは一生交際できない気がする。愛ほど、自信満々に貫くべきものであるはずなのに。
ホシノの目を見る。
ホシノが、申し訳なさそうに苦笑する。
「店員さん」
「あ、はい」
息を吸う。
「ジャイアントラブラブアイスクリームひとつ、お願いします!」
瞬間、店員の顔がぱあっと明るくなって、
「かしこまりました!」
そして、ホシノの方を見やる。
――自分の顔なんて、今ごろはひどいくらい真っ赤だろう。力みすぎて、真顔になってしまっているに違いない。
「あ……あり、がとう……」
けれどもホシノは、両手を胸に当てながら、ふわりと笑ってくれた。
「――あ」
そして、今さらになって気づく。そうも離れていない位置で、アイスクリームを待つみほ達の存在に。
みほは、両手で口を覆ったまま。麻子は、口を三角にして観察中。優花里からは思いきり目を逸らされ、華に至っては喜色満面の笑みを与えられて、
「……あ、アイスクリーム来た! きたよ! ささ、私たちはあっちで食べましょうかー……ちゃ、チャオー」
「え? 沙織さんっ?」
「いいからいいから。ホシノさんとはまた今度だよ、みぽりん」
「は、はいっ。それではまた、ホシノさん」
沙織は、各々がたの背中を押してまで距離をつくってくれた。
そのデキる対応に、心の中で敬礼を示す。
「――悟」
「あ、ああ」
「……その、無理させちゃった、かな?」
「そんなことない」
即答。
「そんなこと、ない」
あえて、二度言う。強調する。
人付き合いの上手いホシノのことだ。自分の本心なんて、とっくに見抜いてしまっているに決まっている。
「そっか」
けれども、
「やっぱり悟は、かっこいいな」
ホシノは、それだけの言葉で留めてくれた。
□
フレーバー山盛りジャイアントラブラブアイスクリームを二人がかりで、慎重に完食したあとは、それはもう思いつく限りの場所にまでバイクを走らせていったと思う。
まずはボウリング場に寄り道してみた。最初こそ和気あいあいとスコアを競い合っていたのだが、実力がほぼ拮抗しているという事実に気がついてしまい、いつしか無言無表情の真剣勝負が始まってしまった。元からライバルめいた関係であったから、こうなることも必然だったのかもしれない。
ホシノは思いきりの良い投げっぷりでスコアを荒稼ぎし、黄池はその場のその場の学習能力で着実と点数を重ねていく。周囲も「なんかやべえぞ」と察したのだろう、数人ほどがひっそりと見物し始めた。
黄池がホシノのスコアを追い抜くたびに、小さな歓声が。ホシノが黄池を出し抜くと、感嘆の声が溢れる。しかしそれでも、黄池とホシノの表情は頑なに変わらない。互いしか意識していない。
――そして、僅差でホシノに負けた。
がっくりとはしたが、結果そのものにはうなずける。なぜならばホシノは、大洗一の砲手だから。
ほんとう、楽しかった。こんなにも熱くなれたのは、久々だった。
だから黄池は、ホシノは、ほぼ同時に笑いあって、手と手を握りしめる。観客たちの拍手で、争いの幕が閉じられた。
それからも、何でもない買い物で私が買う僕が買うと足を引っ張りあって、ふたりして公園のベンチで日向ぼっこを堪能して、行き先もなくバイクで走ったりして、そろそろ夕暮れ時が差し掛かってきて――
「お、ホシノと黄池じゃん」
いつもの場所に出向き、いつもの面々に出迎えられる。梅宮から手で挨拶を交わされ、黄池も同じように返した。
「ちょうどよかった。ホシノ、私と一緒に走ろうよ」
「え? あー、今日はバイク、持ってきてないんだ」
梅宮が、心底意外そうに目を丸くする。
「え? じゃあ、ここまでどうやってきたの? 歩き?」
「あ、あー、それは、だね」
「僕のバイクで、二人乗りで来たんだ」
言葉の意味を自覚しているからこそ、黄池はあえて、気楽そうに告げた。
峠から、車の爆音だけが響き渡っていたと思う。
竹原と梅宮が顔を見合わせ、他のドライバーも無表情に突っ立ち、ジュースを片手に戻ってきたナカジマとスズキと目が合い、
「黄池クン」
竹原から、生真面目に呼ばれた。
「今日は、レース目的でここにきたわけじゃないんだね?」
「う、うん」
「ホシノと、二人きりであちこち走ってきた。そうだね?」
「は、はい」
「つまるところ君は、ホシノと?」
うなずく。
間。
「マジで!?」
竹原の驚愕を引き金に、峠全体から、ありとあらゆるひそひそ話が乱立した。
しかして内容が内容だからか、竹原と梅宮以外のドライバーからは一定の距離を保たれている。目があったナカジマからは、ご機嫌そうに手を振るわれたけれども。
――動揺が抜け切れていない竹原が、何やら感慨深そうに、首を上下に動かす。
「そ、そう、かー……ついに、かー……」
「つ、ついにって……」
「まあまあ竹原、それ以上言うな」
梅宮が、竹原の背中を軽く小突く。
「そっかそか。……じゃ、勝負はまた今度ってことでいいかな?」
「そ、そだね」
「じゃあ、私は二人に向けてエンターテイメントをお届けしようじゃない。さーみんな、私と勝負したいやつはおるかー!」
梅宮が赤いヘルメットを掲げる。瞬間、あちこちから俺が俺が私がの叫びが峠に反響した。
こんな時期だというのに、ドライバー達は今日も我が道を走っている。特設モニターは、トップ争いを繰り広げている車の大群を変わらず映し出していた。一位はツチヤ、必殺のドリフト音が学園艦に降り注ぐ。
隣で立っているホシノを見る、目と目が合う。
この相変わらずな光景を目の当たりにして、黄池はくしゃっと笑えた。
ホシノも、同じような顔をしてくれた。
「――ホシノ」
「お、松坂」
「私たちは、今日も元気よくやれてるよ。あなたのおかげでね」
「……そっか」
「そういうこと。だから、あんまり気負わないようにね。絶対だよ」
「はいよ」
松坂が眼鏡を整え、そのままナカジマとスズキの元へ戻っていく。
それからは、ライダー仲間からは「あとで評価してくれ」、「期待しててくれよ」、「俺を見てくれー!」とたくさん主張された。気力しか伝わってこない雰囲気に、黄池だって盛り上がる。ホシノもいけいけーと囃し立てる。
思う。
クラシックバイクに乗って、ほんとうによかった。
ツチヤの車が、ゴールラインを突っ切る。続けて数々の後続車が峠を渡り終え、観客たちが大きな歓声を上げていった。
□
数々のモータースポーツが峠を駆け抜けていって、気づけば数時間も経っていた。
空は夕暮れを通り越して、すっかり薄暗い。紺色混じりの夕日を眺めてみて、なんとなく夕飯のカレーが食べたくなる。
さすがに疲れも溜まってきたのだろう、人の数もまばらになってきた。そもそも暗がりの中でレースを行うのは危険だから、今の峠は単なるドライブコースと化していた。
こんな今だからこそ、そんなのんびりとした時間すら愛おしいと思う。余韻めいた気分に浸りながら、黄池はゆっくりと自販機の前に立ち、二人分の缶コーヒーを購入した。
「ホシノ」
「うん? お、これ」
「微糖のコーヒー。飲めるよね?」
「うん。じゃあお金を、」
「ああ、いいよいいよ」
「え~?」
「かっこつけさせてよ」
財布を取り出そうとしたホシノが、しょうがないなあと苦笑いする。
そうして、二人してプルタップを開ける。そっと、中身を口にしていく。
静か、だった。
コースから車の走る音が聞こえてくるからこそ、よけいにそう思う。
黄池とホシノに向けられた爆音祭りも、いまとなっては名残すら見えない。また一人のドライバーが、峠から姿を消していく。
それが寂しくて、現実味があって、心地が良かった。
「うまいな」
「うまいね」
黄池のつぶやきに、ホシノも小さく応える。
それだけの時間がしばらく、しばらく経過すると、ガードレールの傍で談笑しあっていた自動車部の面々と視線が重なり合った。
近づいてくる。
「や、ホシノ、黄池」
「どーも」
「今日はどうだった?」
スズキの質問に、黄池は親指を立てる。
「新記録、おめでとう。フォーミュラトラックはダイナミックでいいね、音がいいよ音が」
「サンキューっしょ!」
ナカジマが、にこりと笑い、
「私もトップをとれた。これもホシノ様と黄池様のおかげさ」
「そうかい?」
「ああ。やる気が出るものだよ、知り合いから見られると」
そしてナカジマは、どこか安心したように両肩を落とし、
「私たちはそろそろ帰るけど、ホシノ達はどうする?」
「ん? んー……私はー……」
ホシノから、横目で様子見される。
黄池は、もちろん、
「まだ、もうちょっとだけ走ることにするよ」
「うん、わかった」
即答だった。
「じゃ、夕飯は冷蔵庫に入れておくからね」
「ありがと」
そしてナカジマは、黄池を見やり、
「ホシノのこと、よろしくね」
「わかった」
そうしてスズキとナカジマが、駐車場に停めてある車へ足を進めていく。
――ツチヤと、向き合う。
「やあ、ツチヤ」
「や、黄池」
やはりどこか、控えめな声。
けれど黄池は、ツチヤの心強さをよく知っている。あの日の説得なんて、ツチヤがいなければ今ごろどうなっていたか。
「どうだった? 私の走りは」
「カッコよかった。あのドリフト音は、クセになるね」
「そっか、ありがとう。……じゃ、私も帰るよ」
短いやりとりだったが、レーサーはこれだけで十分通じる。
「ホシノ」
「うん?」
「応援してるよ」
そしてツチヤは、ホシノの腕を軽くスキンシップした。
ホシノは、軽やかに笑い返した。
自動車部が、愛車とともに峠を下っていく。街頭に照らされた駐車場には、もう数台の車ぐらいしか残されていない。
それを見て、そろそろ一日が終わるんだなと実感する。
だからこそ黄池は、やるべきことをやろうと決意した。
「ホシノ」
「うん?」
「まだ、帰らなくても大丈夫?」
「ああ、私は大丈夫。悟は?」
黄池は、覚悟を決めるように深呼吸し、
「僕も大丈夫」
もうちょっと走ろう。
――違う。
「まだ、ホシノと一緒にいたい」
そう言われたホシノは、最初はどうしていいかわからずに沈黙した。
「――わかった」
そして、どこか気恥ずかしそうに笑いかけてくれた。
黄池のバイクへ二人乗りをして、そのままあてもなく学園艦を走り始める。すでに良い子は帰る時間だったが、今日はデートだ。どうか許してほしい。
□
何分ぐらい、ふたりで走っただろう。
空は満天の星空に彩られていて、街中もすっかり静寂に包まれている。昼と違って、行き交う人もほとんどいない。特に見るものなんて無いまま、二人きりのドライブデートは続く。
――そうだな。
せっかくのデートだ。もっと、広々と走っても良いかもしれない。
だから黄池は、学園艦の隅を目指してバイクを走らせる。あるのはせいぜい展望台ぐらいなものだが、意味なんて元々求めていない。ホシノと走れれば、なんでもいい。
そうして走って数分、右手にはまったく見慣れない住宅地が、左手には海がよく見える。塩のかおりが、鼻をくすぐった。
「はじめて来たなあ」
「うん」
後ろから、ホシノのささやきが伝わってくる。
「だいじょうぶ? 迷ってない?」
「平気。アプリもあるし、生徒会としてだいたいの地理は把握してるから」
「そっか」
はじめて見る定食屋が、食欲をそそる。
「……なんだか、懐かしいな」
「え?」
抱きしめる力が、ぎゅっと強くなる。
「あんたと出会った頃は、色々大変だったよね。迷子になっちゃってたし」
「……うん、まあ」
「でも今のあんたは、道に迷ったりしない。……頼もしくなっちゃった、よね」
バイクのスピードを、ほんの少しだけ下げる。
ホシノからの言葉を、もっと聞きたいから。
「ほんとう、あんたはさ、たくましくなったよね。私が困ったら、いつだって問題を解決してくれる」
「それは、お互い様だよ。ホシノがいなかったら、僕の青春なんてぜんぜんつまらないものになってた」
「そうかな?」
「うん」
うなずく。
ホシノが居たからこそ、自分は人並みの男子になることができた。
ホシノが居てくれたから、恋の病をわずらうことができた。
「私も、」
それは、耳元からそっと聞こえてきた。
「私も悟がいるから、こんなにも楽しくて、必死にもなれた」
どんな言葉よりも、その声がよく聞こえてくる。
「――いかないで」
ホシノから、強く抱きしめられた。
ホシノにはナカジマが、スズキが、ツチヤが、戦車道履修者のみんながいる。けれどホシノは、僕のことをずっとずっと見ていてくれていたんだ。
一切の卑屈なんて、捨てよう。
本心からの想いに、応えよう。
「ホシノ」
「うん」
「君のことが、大好きだよ」
ホシノの震えが、背中を通して伝わってきた。
「大洗で一番速くて、モデルみたいで、人気者で、バイクの整備をしてくれて――みんなを助けてくれる君のことが、かっこいい君のことが大好きだった」
ホシノの呼吸が乱れてくる。体も、血も、熱くなっていく。
「ずっと前から好きだった、好きだったんだ。でもホシノは僕よりもかっこいいから、だから告白できなかった。意気地なしになってた」
「悟」
ホシノの顔が、背中にそっと添えられていく。
「あんたのことが、ずっと大好きだった」
ハンドルを、強く握りしめる。
「学園艦のために頑張ってくれて、勉強だって教えてくれて、大洗で一番カーブが綺麗で、カツカレーをくれて――みんなを守ってくれるあんたのことが、かっこいいあんたのことが大好きだった」
カツカレーと聞いて、ちょっとだけ口元が緩んでしまう。
けれど恋にかかれば、それすらも引き金と足り得てしまうのだ。
いまなら、わかる。
「悟は私よりもかっこいいから、ずっとずっと告白ができなかった。怖かったんだ」
――いつの間にか、学園艦の端にたどり着いていた。
駐車場にバイクを停め、黄池とホシノは無言でバイクを降りる。そうして少し歩けば、海を見渡せる展望台に辿り着く。
そのまま展望台の柵に寄りかかって、星に照らされる海をふたりでじっと眺めて。やがて何のきっかけもなく視線が重なって、やっぱり笑ってしまって、
そっと、肩と肩とを掴みあって――
――
あと数時間も経てば、黒森峰との決勝戦が開催される。
だからか、部屋の電気を消したところでぜんぜん眠れやしない。覚悟だの何だのは決め込んだはずなのに。
ベッドの上で、黄池は大の字になる。
時計を見てみれば、まだ午後の九時。
いまごろホシノ達は、連絡船の中で作戦なり何なりを練っているのだろうか。素人なりにマニュアルVer.3を手渡してみたが、見当はずれなことを書いてはいまいか心配だ。
――辛抱たまらなくなって、黄池はベッドから身を起こす。
充電器に差し込んでいる、携帯を手に取ろうとして、
携帯が震えた。
すげえびっくりした。声まで出た。
闇の中で照らされる画面を見てみれば、「着信:ホシノ」のメッセージが。
「はい」
『あ、もしもし? いま、だいじょうぶ?』
「平気平気。むしろ、いまホシノに電話をかけようとしたところ」
『え? そうなの?』
「うん。……心配に、なっちゃって」
『……そっか』
ホシノ達のことを信用しているのに、この言い草はどうだろう。
けれどもホシノの返事は、どこか嬉しそうだった。
『ありがとう、気にかけてくれて』
「当然だよ。だって僕は、」
友達だから、
「ホシノの、恋人だから」
『――うん』
ホシノの顔が、簡単に想像できる。
それが、すごく嬉しい。
「……それで、どう? マニュアルは役に立ててる?」
『もちのろん。なー、マニュアル役に立ってるよなー? なー?』
ホシノと同じ部屋に、自動車部の面々が寝泊まりしているのだろう。ナカジマが「いいよー」とコメントし、スズキが「素晴らしいっしょ!」と喜び、ツチヤは「ありがとう、すごくいい」と言ってくれた。
心の底から、安堵する。
生徒会員としての責任を、全うできたようだ。
『そういうわけだから、何も心配しないで。でも応援には来て欲しいな』
「もちろん。何があっても行くよ」
『うん、ありがとう』
「こちらこそ、ありがとう」
言うべきことは、すべて言い終えた。
あとは電話を切って、明日に備えればいい。
「……ホシノ」
『うん?』
「その、がんばって。ホシノならできる、ぜったいできる。だって君は、僕を救ってくれたヒーローだから」
小学生の頃、僕は医者になるためにひたすら勉強ばかりし続けてきた。遊びもせず、友達も作らず。
けれど、ある日を境に不満が暴発し、無計画な家出を実行してしまった。そして案の定、見知らぬ住宅地で迷子になってしまったのだ。
――そんなとき、僕の命を、僕の心まで救ってくれたヒーローがいた。
そして今度は、大洗学園艦という世界を救おうとしてくれている。
そんな愛しいヒーローにできることは、心からの言葉を投げかけること。それしかできないけれど、それが正しいと僕は思う。
『――悟』
「うん」
『必ず、勝つよ。絶対に勝つ。あんたが守ってくれた世界を、今度は私が守る』
そして、ホシノは、
『この命に、誓うよ』
僕にとっての、かけがえのない言葉を投げかけてくれたんだ。