それは牛の頭をした悪魔だった。あの不死院で対峙したデーモンと同じ様に二つの足で巨体を起き上がらせ、手にはある程度の知性を感じさせる大きな槌を握り。
獰猛な咆哮をあげて飛び降りて来たその牛頭のデーモンは、何倍もの体格と身長を余す事なく誇示すると両手で槌を大きく振り上げて前にいるオスカー目掛けて突進する。彼は言葉にするよりも早く、私の方へと全力で後退して来た。
「逃げろっ!」
それからは私もなりふり構わずに全力で走る。やはり鍛えられた若い男というのは足が速い。重い甲冑を着込んでいてもあっという間に私を通り越して行く。いや、直前に強化した持久力が功を奏しているのだろう。
対して私は、走るのが好きではないし得意でもない。息を切らしながら、それでも足は止めず。ただひたすらに走るが牛頭のデーモンが追いつくのは時間の問題だった。
それに、だ。私達の逃げる先には濃霧が立ち込めている。それも潜れる程優しくはない濃霧が。まるで闘技場にぶち込まれた奴隷騎士のように、私達は戦いを強いられていた。
奴隷騎士といえば、旅をしている最中に寄った国で見た事がある。もう何処の国か覚えてはいないが、確か不死同士を戦わせ、死なずの死闘を見て楽しむ趣味の悪い貴族の嗜みだった。不死の剣闘士の中で特に目立ったあの赤頭巾の奴隷はボロボロの剣と弩、そして身体で最期まで戦っていたな……なんて考えている場合じゃない。
オスカーが先程通って来た塔の梯子を登る。それは名案だ。上の弓兵は既に殺したし、あの上ならばしばらくデーモンも登っては来れないはず。
だが、私が梯子を登る頃にはデーモンの大槌は私を挽肉にして壁の一部にしてしまうに違いなかった。
「君! 早く登りたまえ!」
反転し、デーモンと真っ向から向かい合う私に梯子を登り切ったオスカーは叫ぶ。私は何も言わず、ただメイスと木盾を構えてデーモンを睨んだ。
どうやらデーモンとは、ある程度趣きの分かる奴ららしい。牛頭は立ち止まり、挑戦者たる私に手にした大槌を向けて威圧した。そのまま叩き潰せば良いものを、まるで騎士道でもあるかの様に振る舞う。
ここで、私は道中拾った輝く松脂をメイスに素早く塗る。それは黄金松脂と呼ばれる、雷の力を武器に付与するアイテムだ。
雷とは白教や他の神を信仰する宗教においては特別な意味を持つ。曰く雷とは、神が用いし力。かの大王グウィンはその雷を槍の様にし、古い竜共の鱗を打ち砕いたという。
「ダメだ! 君一人じゃ……」
「黙ってな!」
叫ぶオスカーに叫び返す。女だと思って見縊られては困る。私はいつだって、立ち塞がる難題は力技で解決して来た。それでも無理ならば逃げるだけ。やってもいないうちに逃げるなど、私のプライドが許さない。
デーモンはその様子を見て、ようやく突進してくる。わざわざエンチャントするのを待ってくれていたのだろう。そこらの不死より正々堂々としているぞ。
真っ直ぐに突き刺してくる槌を、斜め前に転がって避ける。直後に石畳に槌が突き刺さると、大きな音と共に石の破片が飛んだ。一撃でも貰えば死ぬに違いない。
「オラァ!」
勇しく片手で持ったメイスを牛頭の足に打ち付ける。いくら小さな人間が振るった心許無いメイスであろうとも、神の力が宿る雷の痺れは無視できないらしい。多少なりとも痛がる様子を見せた後、牛頭は槌を高速で薙ぐ様に横へ振るった。
流石に攻撃の直後であった私は避ける事など出来ぬ。仕方無しに左手の盾でそれを防ぎつつ、後方へと下がって衝撃を殺そうとした。
結論を言おう。こんなチャチな木盾でデーモンの一撃を防ぐべきじゃない。粉砕された木盾はその役目を果たさぬまま、私の身体は宙を舞う。
オスカーの悲痛な声が聞こえた気がした。意識が途切れかける。まるで巨人の拳が突き刺さったようだ。全身を衝撃が襲い、容赦の無い暴力は白い肌を血塗れにして骨を歪めた。
壁の外に落とされなかったのは幸運だった。私は数十メートルほど吹っ飛ばされた後に石畳を転がり、糸の切れた人形のように私は動けない。当たり前だ、普通なら死んでいる。体力を上げておいて正解だった。上げていなければ即死していたはずだ。
何とか首だけを動かしデーモンを見れば、まるでご馳走を前にする人間のようにゆっくりとこちらへ迫っていた。趣味の悪さも人並みだ。
早く立ち上がらなければならない。今の私にはエスト瓶があるから、これを飲んでしまえば傷は癒える。だがそうするには猶予がなさ過ぎる。ここは一度死を覚悟するべきか。
その時。デーモンの後頭部に矢が突き刺さった。地味な攻撃に割と痛がる牛頭が振り返れば、塔の上から弩を放つオスカーが見える。どうやら先程倒した弓兵から奪ったようだ。
デーモンは私よりもオスカーを優先したのだろう、踵を返して彼の方へと向かっていく。でかしたぞ騎士様よ。
「こっちだデーモンめ!」
勇しく彼は塔の下で何もできずにいるデーモンをチクチクと狙撃していく。勇ましいのは良いが、やり方としてはどうなのだろうそれは。
ともかく、猶予は十分に得られた。折れた骨など無視して立ち上がれば、エスト瓶をソウルから取り出し手にする。あぁ、右手の小指が千切れているな。震える手で中身を飲めば、生きる活力と共に傷が癒える。だが完全では無い。だからタリスマンを取り出し、回復の奇跡を唱えた。
あれだけ酷かった傷は全て癒えた。これも不死がなせる業。さて、オスカーはどうなったのだろうか。
なんとデーモンが跳躍して塔の上へと登っていた。
圧倒的な地の利は最早無く。より狭い場所でオスカーは牛頭相手に戦わなければならない。
「この!」
オスカーは牛頭の足に剣を突き刺すが、まるで岩を斬っているような感覚だ。生物の皮膚としてはあまりにも硬過ぎる。デーモンはそれきり興味を無くしたのだろう、ひたすらに手にする大槌をオスカー目掛けて振るう。彼は紋章の盾でそれを防ごうとするも、デーモンの膂力とはあまりにも強大過ぎる。一撃を防ぎ、二撃目を防いだ所で彼の疲労は溜まりきり、大きく隙を晒してしまった。
そしてそんな彼を、デーモンは容赦無く掴み上げる。
私はどうするか悩んでいた。今あの場に行ってオスカーに助太刀しても、正直言って狭いしデーモンの皮膚は硬いしで戦力にならない。唯一の戦力たる黄金松脂の効能も、既に切れてしまっている。だがここで何かを待っていてもどうしようもないのは確かで。
そんな時、デーモンの大きな手がオスカーを掴んだ。そして叫ぶ彼をまるで球技をしているかの如く真上へ放り投げると、大槌を勢い良く振り被って……
「ぐあぁああああああ!!!!!!」
そのままオスカーを打ち上げる。それもこちらの方向へ。
「ウッソでしょ!」
慌てる私へ吹き飛ばされたオスカーは容赦無く迫り、巻き込まれた私の体ごと背後へと投げ出され石畳へと激突する。なんと無様な事か。デーモンは片手で大槌を肩に担ぎ、もう片方の手で帽子のヒサシよろしく飛んで行った人間達を見つめた。時代が時代なら良い球技選手になっていたに違いないだろう。
吹き飛ばされた私の上にオスカーが覆い被さる。騎士の鎧は重く、しかしそれ故頑丈だ。それに彼の鎧はかなり高価で上質なものらしく、あれ程の攻撃を受けても多少のへこみしか目立った傷は見られなかった。
「うぅ……」
良い鎧で良かったなオスカー、瀕死のようだが。気絶した彼を無理矢理退かすと、痛む身体を無視してエスト瓶を飲む。今の彼は戦力にはならない。やはり私がどうにかしなければならないのだろう。
そうして立ち上がれば、デーモンはやはりこちらに向かって来ていた。焦り、何か使えるものが無いかを探す。そして、やはり私は悪運が強いらしい。
私は全力でデーモンへと走る。すると奴もまたこちらとの全力の勝負をお望みのようで巨体を揺らし轟音を鳴らしながら走ってくる。
そんなに勝負好きならさせてやる。お前一人でやってろ、この牛野郎め。
右の、通路の切れ目スレスレに私は走る。少しでもバランスを崩せば壁の下へ落下死していくだろう。しかしデーモンはそんなことにも気がつかない。
私は急制動をかけてその場に止まった。そしてデーモンを真っ直ぐ見据える。背後には、ただの崖。
「ンモォオオオオオ!」
大きな咆哮を上げてデーモンが体当たりをかまそうとしている。それが当たる直前、私は横へと転がった。刹那、デーモンが先程まで私がいた石畳を通過する。それもとんでもなく驚いた顔で。
これこそ私の作戦、崖落とし。デーモンは私に気を取られ、私の背後の断崖絶壁を見逃していた。そうして奴は止まる事など出来ず、無様に暴れて落ちていく。
断末魔は、やはりデーモンでさえも哀れなものだ。デーモンの情けない咆哮は見えないくらいに下へと落ちると次第に遠ざかり、最後には何も聞こえなくなった。私はどっと身体に降りかかる安堵と疲労を感じれば、それを無視して言ってやる。
「ホームインだ、牛野郎! 一人でやってろ!」
叫ばずにはいられなかった。馬鹿にしたようなジェスチャーも忘れずに決めると、その場にへたり込む。まだ鐘を鳴らす以前の問題だが、もう使命を投げ出したい。あの心折れた騎士が言っていた事も今ならよぅく分かる。
ガラリ。そんな音がした。
気がつけば、私の座る石畳に亀裂が走っている。マズいと思ったのも束の間、急激に石畳が崩れ出す。これだけ風化や老朽化が進んだ石畳だ、巨体を誇るデーモンが全力疾走すれば崩れもする。
私は何とか逃げようとするも、運悪くその崩落に巻き込まれる。そして私もデーモンの後を追う寸前、何とか崖っぷちを掴み落下死を免れた。
問題は、片腕だけで登れるほど筋力がない事だ。
必死にぶら下がる私は、何とかならないかと寝ている騎士様に向けて叫ぶ。
「オスカーッ! オスカー、あんたいつまで寝てるのさ! 助けなさいよッ!」
何と情けない姿だろう。しかし仕方ないのだ、人はか弱く一人では生きてはいけぬ。そして今まさにその事を身に知らされているのだから。
もう腕が限界だ。持久力は非力であり、筋力も無く、ただ今は役に立たぬ少しばかりの技量があるだけ。死ぬのは構わないが、それでまた亡者姿に戻るのは嫌だ。あんな干上がった顔など、もう見たくも無い。
「貴公、手を貸そう」
不意に。私の手を掴む者が現れた。金属製のグローブを見てオスカーが助けてくれたのだと思い、初めて心の底から彼に感謝をする。その腕は私を容易に引き上げてみせた。やはり男は腕っ節が強いに限る。
生を実感し多少なりとも神に感謝した私はほっとした笑みを引き揚げてくれた男に向ける。向けて、ギョッとした。
「貴公、無事か」
それは、私の知るアストラの上級騎士では無かった。バケツ頭の普通の兜に何ら変哲も無い鎧……の胸に描かれたお手製の太陽。彼はどこか父性を感じさせる声色で私の身を案じる。
私は精一杯警戒しながら、一歩後退り頷いた。それを見て彼は良かった良かった、と言って笑う。何なんだこいつは。
ふと、オスカーの身を案じた自分がいた。もしこいつが見かけだけの悪烈な輩ならばオスカーの身が危ない……が。彼は相変わらず気絶している。おまけにこの太陽の騎士がやったのかは知らないが、仰向けに丁寧に寝かされている。
「そんなに怖がる必要はないぞ貴公。俺は何もデーモンのように取って食おうなんて考えてはおらんからな、ハッハッハ」
豪快に笑う彼を見て、どうにも調子が狂う。どうやら本当に悪人ではないらしい。それどころか、かなりの善人だ彼は。だがオスカーとはまた違う……何か寂しさも感じる。まぁどうでもいい。
「一先ず、この先に安全な広場がある。貴公のツレも共にそこで休むと良い……何よりも太陽が良く見える」
「……太陽?」
太陽なら、目の前の騎士の胸にあるではないか。
目を醒した騎士様と、そしてあの太陽の戦士と共に先へ進めば彼の言っていたように広場があった。傷ついたオスカーにエスト瓶を渡せば、彼はそれをがぶ飲みして中身を空にする。まぁ良い、もとより彼の持ち物だったのだから。
さて、例の騎士は太陽を眺めれば突然両腕をYの字に掲げて謎のポーズを取り出す。色々な宗教を知っているが、こんな宗教あっただろうか。太陽を崇拝しているようだから、もしかすれば白教の一種なのかもしれない。
「今日も太陽は輝いている」
満足そうに彼は言えば、ポーズをやめてこちらへ振り返った。
「騎士たるもの、自己紹介せねばな。俺はアストラのソラール。見ての通り太陽の神の信徒だ」
そう言い張る彼は、まさかのオスカーと同郷の者。
「私はアストラのオスカー、貴方の同郷の者だ。手助け感謝する」
礼儀正しい一礼の後、オスカーは言ってみせた。だが同郷とは言うものの、恐らく彼とこのソラールという騎士は厳密には同じアストラの者ではないだろう。
理由は、ソラールから感じる微妙な差異だ。きっと彼は、わずかにズレた世界の住人だ。私の手を取るくらいに近い世界であるものの、それでいて異なる世界にいる。
ロードランとは神々の地。その地は今や時間と世界が入り乱れているという。きっとそういう事だ。
「……リリィ。さっきはありがと」
素っ気なく感謝を述べれば、太陽の騎士ソラールは笑った。
「貴公の戦い、最後に見せてもらったぞ。見た目の美しさによらず大胆だな」
「どうも」
美人を前にして口説かないのは男としてなっちゃいない。是非とも隣の初心な上級騎士様に太陽騎士の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。だがきっと、このソラールは口説いているつもりなど無いのだろう。彼から下心は一切感じない。
しばらく三人で休憩がてら会話をする。生憎と篝火は無いが、それでも太陽の暖かみを感じながら休むというのも旅の醍醐味というものだ。
どうやらソラールも例に漏れず不死であり、大王グウィンの生まれたこの地に自らの太陽を探しに来たのだと……よく言っている意味は分からないが、要は聖地巡礼に近いのだろうか。
「変人だと思ったか?」
ふと、私の思考を見透かしたように太陽の騎士は言った。
「まぁ、そうね。変人ね、ごめんなさい」
「ふ、皆同じような事を言うから気にするな」
どうやら慣れっこらしい。オスカーは小声で私に注意したが言いたい事も言えないようでは自分を殺す事になるぞ。
「この先の橋を渡れば不死教会へと通じる」
別れ際、ソラールは広場の反対にある大きな橋を指差した。確かに方角的に橋を渡れば不死教会だ。つまりもう目と鼻の先……橋の奥には案の定亡者が待ち構えているが。
だが、と。ソラールは良い事もあれば悪い事もあると語る。
「橋を渡ろうとすれば、先ほどから飛び回る飛竜が邪魔をしてくるだろう」
それは、先程目の前に現れた赤い竜の事のようだ。どうやら奴はここいらを徘徊し、橋を渡ろうとする者を焼き殺しているようだ。一体何のためにそんな事をしているのやら。
そして最後に、彼は私とオスカーにそれぞれ贈り物をしてくれた。私達に白いサインろう石を。そしてオスカーにはもう一つ、オレンジ色の液体の入った瓶を。良かったなオスカー、ようやく君も回復できるぞ。
「これは?」
尋ねる私にソラールは語る。
「なぁに、貴公らとは妙な縁がありそうだからな。旅の先々で先のような困難が待ち受けるだろう。だから互いに協力しあおうじゃないか」
白いサインろう石。それはズレた世界同士の者を霊として呼び寄せるものだ。このろう石によりサインが描かれた場所には限定的にだが、描いた者を霊体として呼び寄せる事ができる。
「この地は時が淀み過ぎている。百年以上前の伝説がいると思えば酷く不安定でいろんなものがズレやがる。俺と貴公らの世界もいつまで繋がっているか分からないからな……貴公らも、いつまでも共に旅ができるとは限らん」
確かにその通りだった。今までは何ら不自由なく互いに干渉をしてきた訳だが……その干渉は、きっとそのうちにズレ出すのだろう。そうなれば、頼るべきものは何も無し。己の力のみで切り拓かなければなるまい。
このろう石は、どうにもならなくなった時に使うのだ。
「何から何まで、貴公には感謝しても仕切れない」
「なぁに、困った時はお互い様だ。ウワッハッハッハ」
そうして彼とは別れる事になる。もう暫くソラールは太陽を眺めていたいそうなので、私たち二人は飛竜が来るであろう橋へと向かうのであった。
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