隙間の洞、火防女達と
暗い夜道を馬車が駆ける。
道は整備されておらず、しかしかつてはきっと何処かに通じる道であったのだろう。道の横には所々に崩れた石造りの建物が見て取れた。けれども今は荒れ果て、ただ落ち葉と張った木の根が道の上を覆うばかり。
私はそっと、荒れる荷車から外を覗く。明かりなどありはしない。しかしそれがどうしたというのか。元より夜とは暗いものだろう。それが当たり前だ。もっと暗いものを見た事がある。黒よりも黒い闇、今となってはその記憶も定かではないが。
もうずっと、ずっと前の事だ。確かに私は、どこかの地でそれを見た気がするのだ。
ふと皺がれた手で胸元に掛けられたペンダントを握る。最早それが何かも分からぬほど記憶は曖昧だ。
不死。そう、不死。繰り返される火の時代、その中で起こる火の翳り。その度に人の内から這い上がる闇の輪は、人を本来の姿へと駆り立てる。そうして、不死は出来上がる。
そうして、悲劇は繰り返される。
今はもう分からぬが。私のこの姿もきっとその悲劇の一つなのだろう。
髪はほぼ抜け落ち、顔は土のように暗く、死者のように皺くちゃで。開いたペンダントに映る美しい娘のようにはいかない。この娘は、一体誰だったか。自分だったか。それとも誰かが望んで羨んだ私だったか。
馬車は駆ける。
その時はそう、なんだったか。あぁ、ドラングレイグ。そう、ドラングレイグだ。古の王が築いた亡国は、その時の私の目的地だった。
呪われた不死人は、いつか理性を失った亡者と化し。そうして不死人は呪いを解くためにかつて
だが本当は、分かっているんだろう?
呪いを解く鍵などありはしない。呪われた不死こそ、人の本来の在り方なのだと。それでも向かいたくなるのは、きっと救いが欲しいからだ。この絶望しか焚べる余地のない世界から脱したくて。
馬車が止まる。すると荷台の扉が開かれ、馬を操っていた近隣の町男が口にした。
「ここからは歩いてくれ、婆さん」
ゆっくりと、私は痛む首を動かして彼を見る。如何に不死が呪われ忌むべき存在だとしても、この時代の幾らかの若者はそんなに辛辣ではなかった。昔ならば世界の終わりまで幽閉されていてもおかしくないのに、哀れな呪われ女の老婆という事で町の住民に内緒でこんな辺境に馬車を走らせてくれるのだ。
私は身を屈めながら立ち上がり、曲がった背中で微笑むと懐から金の入った袋を出す。
「ふぇっふぇっふぇ……すまないねぇ坊や、これで足りるかねぇ」
そう言って袋を渡せば若者は渋った顔をする。
「もうちょっと出せないのかい、婆さん。こっちだって善意でみんなに内緒で馬を出してやってるんだ」
そう言うと思った。だから今度は、もう少し膨らみのある袋を出して彼に手渡す。すると若者は驚いたような顔で視線を私と袋と行ったり来たりする。どうやら満足したようだ。
最初から満額出したりはしない。そうすれば、人は何かにつけ込んで調子に乗り出すものだ。故に小分けにした。そうすることで得した気分になるものだ。長い不死の人生で学んだ知恵。
若者が馬車で去れば、後は一人だ。馬車が完全に見えなくなったことを確認して、私は背筋を正す。どうにも老婆の真似事は苦手である。わざと腰を丸めるなどと、腰痛になるだけだ。
「さて……行くとするか」
掠れた老婆のような声で自らを鼓舞すると、杖に擬態して隠していた剣を取り出す。何の変哲もないショートソードだ。鞘から抜き取り、クルリと数回手元で回せば調子を取り戻した。
この先に進めば、何があるかは分からない。きっとこの先も呪われているに違いない。それはもう、
深い、深い森を進む。木々は既に枯れ、葉をつけてはいない。
深く泥に塗れた湖を進む。小舟があって助かった。不死は水と相性が悪いから、泳ぐ事などできないのだ。
ボートで進めば、そこはあった。
何かの遺跡であろうか。朽ちた壁は、しかししっかりとした大扉に護られ。侵入者を拒むかのように立ちはだかる。
木々に群がる光虫と呼ばれる光る虫は、まるで私を歓迎するかのように煌々と光り輝く。まるでそれは、これから散っていく命を表すかのようで。
光虫とは、死ぬ間際であればあるほど輝くというのに。なんと不吉だろうか。私はそれでも笑っている。フードの下で、皺くちゃな顔を歪めながら。
風が吹き荒れ、光虫が門の横を飛び去れば。幾らかの光虫が松明に触れて弾けたのだろう、火が燈り。
私を受け入れるように門が開く。
ああ、懐かしい匂いだ。
濃厚な死の匂いが、私の脳裏に死神と形作られて過ぎ去っていく。
死の風が私を追い返そうとし、しかし私は止まる事は無い。
それこそが私の生きた道。これからも生きる道。数多くの屍の上に私は存在し、その
良いものだろう、死の匂いというものは。懐かしいものだろう、
死の渦が目の前に拡がる。これは幻覚なのだろうか。こんなものありはしないはずだ。
けれどもそれを幻覚であると否定はできない。私はもっと暗いものを見た事がある。これしきの死で、絶望などしない。
故に、飛び込む。死へと。新たなる呪いを求めて。
そこはドラングレイグ。心折れ、何も成せなかった私が行き着いた呪われた地。けれどそれこそ、求めていた場所。
呪いと叡智は似ている。知れば知るほど、呪われ呪い。愛し愛され。ああ、私は今度も人を愛せるのだろうか。それは今にわかる事であるが。
意識が戻る。ああ、あの渦は中々に強烈であったが、私を死なせるには至らなかったか。まぁ良い。
立ち上がり、装備を確認する。良かった、失っているものは掠れた記憶だけだ。剣を握り、私はこの周囲を観察する。
そこは、遺跡であった。円形の石畳の上に寝ていたようだ。首が痛いのはそのせいか。あまり老人をぞんざいに扱わないでほしいが。
だがここは確かに目指していた目的地。呪われた地であろう。その証拠に、殺気が私を囲んでいる。
「変わらぬものだな、呪われた地というのは」
薄暗い草むらの中から、何かが姿を現す。それは赤い衣装で着飾った亡者の騎士ども。一人の肩には大層な狂った鷹を仕込ませて。
戦いとは、向かわずともやって来るものだ。それを楽しむのも長い人生を生きる上で必要だろう。
鷹が騎士達の肩から飛び去る。刹那、揃いも揃って亡者共が私に襲いかかってきた。亡者の癖して走るのは速いものだ。
一番手前の亡者騎士が斬りかかる。単純な振り下ろし。私は相手の右側へとステップし、剣撃を回避する。
すれ違いざまに相手の右腰へとショートソードを突き刺す。流石に痛みに強い亡者であるが、大きなダメージであることは否めないようだ。すぐに私は相手の後ろを取って膝裏を蹴る。
「一人」
膝を突かされ無防備となった騎士を、背後から剣で突き刺す。剣の鋒は心臓まで達し、亡者騎士をあっさり殺し切る。その瞬間、騎士の亡骸は
瞬間、奴らの放った鷹が上空から迫ったために転がって回避した。鷹にぶつかられたくらいでは死にはしないだろうが、ダメージは極限まで抑えたほうが良い。
転がり終えた私にもう一人迫って来る。刺突剣持ちの亡者騎士だ。
見え見えの動作ではあるが、その刺突は中々に素速い。きっとそこいらの冒険者や戦士であれば対応はできなかっただろう。だが相手が悪かった。
左手は拳。だがそれで十分。タイミングは完璧。すべて私の思うがまま。
パリィ。拳の甲で剣の腹を弾けば、亡者騎士は体勢を崩す。ただ剣を払っただけではない。パリィとは相手の一撃をいなし、崩し、一時的に戦意を割かねばならない。そのために完璧な弾きが必要となる。
「二人」
ショートソードを握る右手で相手の顔面を殴る。ジャブ程度の殴りだが、更に怯ませるには十分だ。
そしてそのまま、怯んだ亡者の心臓へとショートソードを突き刺した。深く、抉るように突き刺す。心臓を穿ち捻ればいくら不死の亡者であろうとも生きてはいられまい。亡者騎士は
そして最後の三人目。面倒な事に行き場を失った鷹は最後の亡者騎士の攻撃に合わせるように滑空してくる。
「邪魔だ鳥公」
降下してくる軌道からステップで避け、すれ違い様に鷹を真っ二つにする。哀れな動物を殺す趣味は無いが、敵となるならば殺すだけ。私の敵になった自分の運命を恨むが良い。
唸り声と共に亡者が斬り込んでくる。直剣の使い手だ。ショートソードでそれを弾く。何て事は無い、いつか渡り合った英雄と比べれば児戯に等しいだろう。
英雄……何だか、懐かしい。今はもうそれを思い出せないけれど。
二度、三度攻撃を弾けば亡者のスタミナが枯渇したのだろう、まるで疲れたように攻撃をやめてしまった。それは戦いの中では最もやってはいけないことの一つ。スタミナを管理できないほどに理性を失うなどと、戦士としての記憶すら失ったか。
「三人目」
兜ごと掴み上げれば、動けぬ相手の喉元にショートソードを突き刺す。雑魚は駆逐されるのみ。
血のついた短剣を払い、ショールの下に隠していた鞘に納める。もう杖はいらないから、捨ててしまおう。
久しぶりの戦いだったせいで心が躍ったが、終わって仕舞えばなんて事はない。相手はたかが亡者の騎士。かつては名を馳せたのであろうが、それは人だけの世での話だ。何だったか、大鷹師団とかいう傭兵だったか。話には聞いた事がある。
辛気臭い洞を進む。岩場に囲まれたこの洞は標高の高い場所にあるのだろう、それなりに寒い。不死に気温などあってないようなものだが。
滝が見え、その横にあるボロい吊り橋を渡る事になったのだが。どうやらその先に枯れた大樹を家にして誰かが住んでいるようだ。人工的な灯りが見える。篝火もあるだろうか。
「……これは」
ふと、滝の手前の茂みの奥、隠された道を見つける。少し気になって覗いてみれば、巨大な生物の足跡がある……この先には進まない方が良さそうだ。少なくとも今は。とにかく死んでも良いように篝火を見つけなくては。
吊り橋を超え、家の扉に手を掛ける。嫌な気配はしなかった。それどころか懐かしさすら感じる匂いがしたのだ。
警戒だけは絶やさない。私は剣に手を掛けながら扉をゆっくりと開けた。
「ヒェッヒェッヒェッ、騒がしいと思ったら……」
扉を開けた先は、何の変哲もない家の中。椅子に座った赤いローブの老婆が三人とそれを世話しているのだろう婦人が一人だ。
老人はまるで私が来る事を予期していたかのような反応だ。気味悪く笑う老婆は、私の顔を見るとその顔をにやりと歪める。
「おお、おお、その顔。呪いが浮き出ておるわ」
「ふん、最近の火防女は口数が多いようだ」
同じような皺がれた声で皮肉を言ってやる。まるで人を腫物扱いだが、それが正しいのかも知れない。ただ火防女に言われるとは思わなんだ。
彼女達は、火防女だ。正確には、だった、と言えば良いだろうか。臭いでわかる、懐かしい、あの
「不死だよ、不死が来おった。フェッフェッフェ……!皆ここに来るんだよ、お前さんみたいのは……あの婆さんに吹き込まれたんだろう、そうなんだろう?ヒェッヒェッ」
二人目の婆さん火防女が喋り出す。間違ってはいないがもうボケ掛けてるんじゃないかこの人らは。
「町にいた火防女だな……なるほど、彼女は君達と同じという訳か。道理で煤臭い、良い香りをする」
剣から手を離し、火防女という存在を讃える。婆さんが婆さんを讃えるような感じで見てくれが悪いだろうか。
だがそんな私に彼女らは暴言で返す。
「おしまいさ!」
「亡者だよ。お前さんは亡者になるのさ」
「あぁ、見た目はもう亡者だ」
反論せずに返す。面倒な火防女だ。世話係の婦人がどうにもいたたまれないといった様子だ。ふむ、見たところ不死ではないようだが。その
「亡者は人を襲うものさ、ただ
貴婦人に気を取られているとババァが何か言い出した。
「ん?ああ。だろうね。ところでここはドラングレイグで合っているかね?」
私が質問するも、目の前の老火防女はケロッとし出して質問で返してくる。
「じゃあ、あんたの名前を聞こうか」
どうして老人というのはこうもマイペースなのだろうか。私は首を横に振ってうんざりしながらも、ボヤけた記憶の中から自分の名前を探して口にしようとする。
見た目とは裏腹に、純白そうな私の名を。
「……リリィ。そう、だったはずだ」
「ヒェッヒェッ、まだ名前くらいは言えるみたいだねぇ」
「そっちが聞いたんだろ……」
そろそろ怒りが溢れそうだ。まぁ良い。どうせ老い先短い老人の戯言だ。私よりも若い老人の。
すると、名を聞いてきた老婆は懐から何かを取り出す。それは、懐かしい形をした……木の根か何かで出来た像だった。
「じゃあ、よく出来た子には褒美をあげようか」
「これは……何だか、懐かしい気がする」
不気味に老婆が笑う。
「それは人の像っていうものさ」
「人の像?……ふむ、知っている名前と違う気がするが、そういうものか」
それを手渡されれば、老婆に諭される。
「さぁ、よくご覧……誰の像が見える?」
人の像。それを、よく観察する。根の中に見えるは暗い闇。だが闇とは、海でもある。そして海とは鏡である。その鏡は私を写すに違いない。だが写すのは今の皺くちゃ亡者ではない。
ああ、見えるではないか。私という存在が。懐かしい、白百合の乙女が。忘れていたはずの闇が再び燃え盛る。それは闇の王に成り損ねた愚かな女。
絶対に、帰ってきて下さい。リリィ。
嗚呼、想い出とは、時に思い出すことすらも苦痛であるというのに。
私は手の内にある人の像を砕く。すると暖かい人間性が私の
白百合が咲き乱れる。陰気臭いこの室内で、花弁が舞う。それは私だけの幻覚ではない。その場にいるすべての人が見ていた光景だ。
貴公ら、私を見よ。これが私の白百合であると。舞い散る花弁の中で私は踊る。踊り、記憶の中の幸せと苦痛を混ぜ合わせて生きることを実感する。
何という啓蒙だろう。失って、また取り戻し。自分という存在を確立させるとは。
「ここに来る連中は、皆同じさ。呪いを解くためってね」
「お前さんもそう聞いてきたんだろう?」
「さぁて、お前さんにできるかねぇ?」
「できるといいねぇ」
老婆達の笑い声が響き渡る。それはどこまでも不気味で、暖かい。嗚呼、やはり火防女とは火防女なのだ。不死を想い、待ち受け、抱き締める。それはリタイアしても年老いても変わらぬ。
そう思えば、何だか目の前の老婆達が可愛らしく思えてきた。
「貴公ら、世話になった。お陰で私は自分を取り戻せた……あの薪の王に根こそぎ
先程までの私とは打って変わって、まるで高級な弦楽器のような声質で礼を言う。ああ、やはり本当の自分は良い。肌に艶があるのは良い。髪があるのは良い。
久しぶりだ、この感覚。奴と火継ぎの祭祀場で亡者から人へと戻って以来か。
「それと御婦人」
不意に私は、こちらをまん丸お目目で驚くように見つめる世話係の貴婦人に声をかける。美しい女性を見たのであればする事は一つ。
「な、何でしょう」
「この後暇かな?暇であれば、この私と一時の愛を」
だが、愛の言葉を紡ぐ前に老婆に言われる。
「出口はそっちだよ。そこから王国に繋がっているよ」
「ああ、どうも……」
老人とはせっかちなものだ。生きているからこそ楽しまなければなるまいに。
老婆の言う通りに外へ出れば、まず目についたのは篝火の跡である。あの老婆達曰く、前にも不死人が来たようだからそいつらが焚いたのだろう。焚べるものなど、奴らには無いだろうに。
積み上げられた灰に刺さる螺旋剣に手を翳す。ああ、これもロードラン以来の体験だ。外の世界では篝火など無かったからな。
炎が燈る。暖かく、不死の安らぎとして機能するそれは、実は不死とは相反する火の時代の象徴だ。それでも火を求めるのは、闇である存在故の性。人は持たぬものを欲しがるものだ。
篝火の傍に腰掛け、揺らめく炎をぼうっと眺める。思い返すはあの神々の地であった出来事。そして愛した乙女の事。
「……約束とは、するものではないな」
一人、後悔の念に浸る。後悔はしているなんてカッコつけて振る舞ってはいたが、いざそれがすべて思い出になれば後悔はすべきじゃ無かったな、なんて大分女々しい事を言いたくもなるものだ。いや女だけれど。
篝火はしっかりと燃えている。未だ世界は、神々の欺瞞の内にあるようだ。もう、どうでも良い。私は闇の王になれなんだ愚かな女故。今更闇が〜とか火継ぎやめろ〜、なんて言いやしない。勝手にやってくれ。私はこのドラングレイグで第三の人生を歩むのだ。
例え絶望しようが構わない。絶望など最早飽きている。ならそれ以上に楽しめる事を探せば良いのだ。
「ここは飽きなさそうだしな。老化防止に丁度良い」
一人自嘲気味に笑えば、私は胸のペンダントを開く。そこに映るは、どこかの薪の王が憧れた一人の白百合、その過去の姿。懐かしい、闇の王になろうとした乙女が笑っている姿だ。
それを、私はしばらく眺めていた。
百合ばかりの番外編を
-
見たい。百合こそ人類の宝、ダークソウル
-
いやぁそうでもないっすよ