追憶とは証。そこに存在したという確証。
物で残る証もある。思い出という不確実性で残る場合もある。人が人に、受け継いでいくのだから。
けれど、それはいつか朽ち果てる。継承され、伝播しても根源はいつか薄れるか変化させられるものだ。だから決して、元と同じものが残ることはない。そういう定めなのだ。
けれど、私という不死はどうだろう。
私は死ねぬ。狂えぬ。争い続け、放浪する。
見たものは忘れず、聞いたものは残り続け。人の歴史を語り継げる。
私の使命は百合の花園。ただ少女達が愛し合い、骨を埋める場を作りたいだけ。
けれどそれは、長い生の中で一時の花園に過ぎぬ。いつか枯れ果て、私はまた放浪するのだから。
本当の使命は、語り継ぐことなのではないのか。
皆が生きた証を。戦い、傷つき、涙した追憶を。出来る限り記憶し、後世に伝えること。それこそが、私のような不死に与えられた使命なのではないのか。
灰色の霧の核が、中央に置かれた鎧に共鳴している。あの紛い物の古竜が寄越した核はしっかりと作用しているようだ。
となれば、やはりこの核は誰かの追憶を体験させるものなのか。推察に過ぎないが。
「入れるのは一人か……」
ルカティエルが私の横で呟く。霧の核を手に入れたのは私であり、彼女は追憶には連れて行けない。
黒霧の塔の最上階、鎧の置かれたホール。もうここは安全化しているから敵の心配はない、故にルカティエルも安全だ。
だが彼女の心配はそこではないのだろう。私一人で行かせるのが、怖い。そういうことだ。
「大丈夫さ、私を殺せるやつなどドラングレイグにはいない。だから安心して待っていてくれ」
彼女の頬を撫でて、安心させてやる。彼女はしばらく私の手の感触を確かめた後、ただ一言。
「絶対だぞ、リリィ」
そう言って、私を見送った。
追憶を辿れるのであれば。
私はいつか、彼女と再び見えることができるのだろうか。
いつか来たりしその時に、触れ合ったあの子と。
あの燻んだ金髪に。
あの煤だらけの肌に。
あの潤んだ瞳に。
居場所を、見つけられるだろうか。
許して、もらえるだろうか。
裏切り、一人死んで旅立った私を。
また、愛してもらえるだろうか。
よく、記憶はセピア色というが。まさか本当にそうだと思わなかった。
いつもより幾分か燻んだ色の世界が広がる。ここは溶鉄城だろうか。いや、黒霧の塔か? 分からぬが、過去の世界……誰かの記憶なのだろう。
記憶の世界だからか、ここに配置されている敵はロードランに匹敵するほどの強さだ。
ただのアーロン騎士や騎士団長も、一対一でなければ危ういほどに強く、それなりに楽しめそうだ。火を吹くカエルがいるのは嫌がらせとしか思えないが。
濃霧にはあっという間に辿り着いた。記憶の中には長く留まれないらしく、足早に駆け抜けたので当たり前だが。
「強い奴がいるならばそれで良い」
とんでもなく強大な
「客人とは、珍しいこともあるものだ」
重厚な鎧。
傍に置かれる薙刀のように長い太刀。物干し竿よりも長いそれは、常人に扱えるものではない。
長い頭髪を模した髪飾りは、しかし束ねられていて凛としている。むしろ引き締まっているようだ。
騎士の身体の大きさは
こちらに背を向け、胡座をかく騎士。それは溶鉄城に蔓延る有象無象の騎士の真似事をする傀儡などではない。
そのオリジナル。彼はゆったりとした、けれど無駄のない動作で刀を取り、立ち上がるとこちらに向き直った。
「名乗れ。それが礼儀故。共に刀を携える者として」
低く威厳のある声が空気を震わせた。
こいつは、強い。それが嬉しくて堪らない。
「リリィ。白百合の不死である」
「ほう……不死、とな。通りで暗い魂を感じるぞ」
そう言えば、彼は鞘から刀を抜く。妖しく光る刀身からは尋常ならざる力を感じる。恐らくあれもまた妖刀。私の闇朧と同等か、或いは格上か。
それは分からぬが、生きているように感じる。斬られれば、それだけで死ぬであろう。
「儂の名はアーロン。しがない人斬りだ」
刀を、構える。
あまりにも美しいその構えは、私などよりも当然上。動いてもいないのに斬られたと錯覚するほどに悍ましく鋭い殺気を身に受け、思い出す。
━━嗚呼、懐かしい。まるで、あの頃のよう。弱く、死に続け、けれど抗っていたあの頃を……
目の前に騎士がいる。
「ッ!!!!!!」
振り上げられた刀に対処する。
こちらも居合いから抜刀し、即座に振り下ろされた一撃を受ける。だがあまりにも膂力の異なるその一撃は、防御した私の身体を容易に吹き飛ばした。
空中で回転し、大理石の床に刀身を突き立て衝撃を殺す。この私が反応できなかった? このドラングレイグで。ロードランの強敵達を打ち滅ぼし。闇の王を目指したこの私が。
身体が震える。
畏れではない。
ただ純粋に、歓喜している。
ルカティエル、すまない。君を安心させられそうにない。
私は、ここで死ぬ。死んで、また戦って何度も死ぬだろう。
それが堪らなく嬉しい。
「迷えば、敗れる」
アーロンは私に正体し、ただ言葉を発する。
「御主、良い戦士だ。だが未だ心に迷いがある」
私は闇朧を構え直し、笑顔のまま睨み付けて言う。
「迷いこそ。迷いの根源こそ、私の生きる意味だ」
「ほう……ならばその想い、ぶつけてみせろ」
こいつは戦士だ。侍だ。相手に敬意を持ち、そして全力で斬り捨てる。自分の想いで相手を捩じ伏せる。素晴らしい、これほどの逸材と相見えるとは。
やはり世界とは広い!
駆け出す。筋肉が痛むほど無理をして、踏み込む。見えぬ刀身からの斬り上げ。最初は私の身体に隠すように、しかし一瞬で斬り上げる。
それを糸も容易く、アーロンは弾いた。まるで最初から読んでいたように。
「ぬぅん!」
唸りと共に、薙ぎ払いが迫る。その真下を潜れば、アーロンの横蹴りが私の腹を突き刺した。
圧倒的脚力で吹き飛ばされ、床を転がる。追撃の気配。転がりながら体勢を立て直せば、アーロンの突きが迫っていた。
それを、踏み付ける。刀身を踏み付け、無力化する。ドンっと力強く踏みつければ、アーロンの兜の中の瞳と目が合った。
「あなや……!」
力強く、けれどどこか慈悲深さを感じるその瞳は。次の瞬間には強烈な殺意を私に向けていた。
無理矢理に刀を引き抜いたアーロンは、そのまま跳躍する。すぐに真上に目を遣れば、そのまま串刺しにしようとする騎士がいた。
転がり、死を回避する。そして反撃しようとして違和感に気付いた。
アーロンが、刀身に左手を触れさせている。少しだけ握り、掌から血が滲み、それが滴っている。
迸る血。それはいつの間にか黒く炎となって刀身を燃やし。
それは怨嗟。数多の命を奪い、殺めてきたもののみが持ち得るもの。それを纏う。あれは、マズイ━━
「奥義、不死斬り」
赤黒い怨嗟の炎が、私を斬り裂く。
考えられぬ程に長い刃となり、命を穿つ。
あっさりと。不敗であったこの私が、負ける。
「また来い。御主には見所がある」
「がっ、あっ……!」
斬り捨てられ、大理石に横たわる私を称賛するアーロン。彼は圧倒的な礼儀で納刀すれば一礼した。
私はただ、身体を
「心折れるな、白百合よ。御主ならば、もしや……」
彼の言葉を聞き終える前に、私は完全に死ぬ。それはドラングレイグに来てから初めての死。久しく味わうことのなかった死は。
だけど、どうにも心地が良い。こんなにも強い者と戦える高揚感が、死の恐怖と同衾していた。
「リリィ、リリィ! しっかりしろ、大丈夫か!?」
気が付けば、私は黒霧の塔の最上階の篝火の前で呆けていた。
ルカティエルが私の両方を揺さぶり、ようやく我に還る。彼女の焦る顔が酷く綺麗だった。
脳に巡る高揚感。負けたことに対する悔しさ。けれど、どれも懐かしい。私はまた、この新鮮な気持ちを味わえる。
それは、なんと素晴らしい事だろうか。
「……ああ、死んだのか私」
一人、呟く。両手を見れば震えている。久しぶりに死んだからではない。武者震いというやつだ。あまりにも楽しすぎた。
「っ、リリィ、心は折れていないか? 大丈夫か? 抱き締めようか?」
「ああ、大丈夫。亡者にもなっていないようだし……でも抱き締めては欲しいかな? えへへ……」
よしよしと抱き締められ、彼女の温もりを心ゆく迄感じる。戦いの高揚感と百合の満足感を同時に得られるのは最高である。
しばらくそうしていて、私は意を決して叫んだ。
「決めたぞ! 私、弟子入りする!」
「は?」
事情の分からぬルカティエルに、興奮混じりに一から説明する。
「本気で言っているのか?」
呆れ顔のルカティエルがそう言うが、私はいつだって本気だ。
「うむ。強くなれるのにこれ以上の機会はない」
問題は、記憶の世界は時間に制約があるということだが。そこはまぁ、何度も通えば良い。
興奮冷めやらぬ私を見て、ルカティエルは仕方なくといった様子でため息を吐いた。説得に諦めたらしい。
「好きにすれば良いさ。私はずっとお前を待つからな」
「うむ、うむ! 強くなった私に見惚れるなよ! はーっはっはっはっは!」
「あ、おい! ……まったくあいつは、人の気も知らずに……」
鎧に向かって駆け出す私を見て呆れる。けれど、それも私らしいと。彼女は、待っていてくれるのだ。
「弟子にしていただけないでしょうか」
「御主、切り替わりが早過ぎないか?」
胡座をかくアーロンに東洋の土下座を決めて頼み込む。最初こそまた来たのか、と刀を取ろうとしていた彼だったが、私が土下座したのを見てその矛を納めてくれた。
「……だが、それも良いかもしれん」
ふむ、と一考するアーロンは呟く。
「御主、今までセンスと経験だけで修羅場を切り抜けて来ただろう? 形も何も、全部が歪だ。まずはそこから正すことになるぞ。それでも良いなら弟子にしてやらんでもない」
「是非お願いします」
「あ、あぁ……」
食い気味の私に少しだけ引き気味なアーロン……否、師匠。
ふぅ、とため息混じりに彼は立ち上がると、壁に掛けられていた木刀を手に取って私に渡してきた。
「これをやる。いくら不死とて、死なれるのは目覚めが悪いからな」
渡された木刀は、丁度私の闇朧と同程度の長さ。実に手に馴染む。
何度か空振りして感触を確かめれば、師に向き直った。
「では、早速教えていただきたい。あの業ができるまで、何度でも」
不死斬り。彼は、そう言っていた。あの一撃は、それだけで容易に不死を殺せる業。不死だけではない、あれは人間性そのものを斬り裂く一撃。
それができるようになれば。いつか、薪の王ですら殺せる。
私は、もっと強くなる。そうなれば、もう何も失わずに済むと信じて。
アーロン先生との稽古回