また短めですが、ご覧ください。
5
厚い窒素の雲に覆われた衛星タイタンの地表は、昼間でも宵のように薄暗い。
見渡す限り肥沃な土地などなく、そのほとんどは極寒の氷層。 植物らしきものはひょろ長く背を伸ばすだけの棒のような姿を林立させ、時折激しく地上を打つ硫酸の雨によって奇怪な形に削られた岩山が、どこまでも連なって行く手を塞いでいる。おかげで、生活に必要な水分は危険値を遥かに超えたエタンと電気を帯び、盆地に生まれた人里は長い間、帯電した谷川によって隔離されていた。
その盆地から抜け出して対岸に再建された新たな邑も、やはり裕福とは程遠かった。痩せた土地を開墾しても作物が実るには限度があり、 何より酸の雨は作物ばかりか、木を組んで作っただけの質素な家までを脅かすのである。
唯一、鉱山から採れる巨大な高エネルギーの結晶体だけが産業と言えばそうで、サイバトロンの仲介によって太陽系外に輸出できるようにはなったものの、最も埋蔵量のあった洞窟はデストロンに破壊されており、急激に邑が潤うほどの利益は上がらなかった。
しかし、邑を捨てて別天地を求めようという住人がいなかったのは、偏にタイタン人の質朴さの故であろう。村人は不平一つ言わず、ただただ地道に彼等の生活を向上させるべく勤勉に働いた。
その中心となって邑の発展に尽力しているのが、タラリアだ。
タラリアが自らを戦士として、偽の神を名乗るデストロンや、そこにおもねた邑の裏切り者に毅然と戦いを挑んだのは、誰よりも深く邑を愛し、人々を愛していたからである。新しい次の世代に進もうとするタイタンにとって、タラリアは既に無くてはならない存在になっていた。
村人達がタラリアに向ける畏敬の眼差し。それは裏返って、タラリアの傍らにいるマイスターへの嫉視になった。邑を救ったサイバトロンの騎士‥‥だが、その邑の復興に欠かせない女性を奪い去ろうとしている、異星人。
反目しあう感情を殊更露わにする者はいなかったが、マイスターにも彼等の内に澱のように沈殿していく不安と疑念は、手に取るようにわかった。文明らしきものを作り出していく過程に、本来ならば指導者などいなくても一向構わないのだが、それでも人の心情からすれば形のある『誰か』の姿が必要なのだ。振り返って数多い歴史を眺めても、そういう形態を取った文明は少なくない。むしろトランスフォーマーの歴史の方が奇異ですらある。
マイスターは無論、タイタン人の事情を理解しているつもりだった。タラリア自身が星の復興を見届ける気でいることも承知していたし、トランスフォーマーの身からすれば時間の長短は意味を成さないのだから、タラリアが納得するまで待つこと自体は問題ではない。
お互いがお互いをかけがえのない存在だと認識し、想い合っていれば構わないのだと考えていたのだ。悪く言えば気楽に、今はまだ受け入れられなくとも、時間をかければ祝福してもらえる、と。
だがマイスターの穏やかな推測とは逆に、タイタン人達がトランスフォーマーを眺める目は畏怖と恐怖から離れることがなかった。
それが決定的だと確信したのが、つい先日、コンボイに随行してしばらく太陽系を離れる事になると報告に赴いた時である。
マイスターがタラリアの元を訪れる度、邑では礼を尽くしたささやかな宴席を設けてくれるのが常で、その晩も結局断り切れずにマイスターは賓客の席に着いていた。席と言っても地面に筵を延べただけで、邑の者は好き勝手な場所に直接座り込み、大きな焚き火を囲んで歌や踊りに手拍子を打つような集まりで、トランスフォーマー用の趣向が供される訳でもない。
何とはなし、娘達の輪唱に合わせて手を打っていたマイスターの横で不意に、邑で一、二の生き字引だという老婆がぼそりと呟いたのだ。
「この地から離れては‥‥暮らせません」
最初、言われた言葉の意味が分からなかった。空耳かとすら思ったが、歌声と手拍子に混じる老婆の声は、驚いて隣を見下ろすマイスターに向かって紡がれていた。
「この不毛の土地で野放図に育った娘が偉い御方の伴侶など、勤まろうはずがない」
「それは―何をおっしゃりたいんです?」
極力押し殺したはずの声音が、マイスターの耳にはうるさく届いた。
老婆はずっと下を向いたまま、目を合わせてくれない。マイスターの目線からでは、皺の深い鼻梁が少しと色の抜けた薄い頭髪が見えるばかりで、会話そのものが成り立つかどうかも怪しかった。
「一体どういう‥‥」
重ねて問い返しながら、マイスターは無意識にタラリアの姿を探した。いつも傍にいるはずが、ついさっき燈火の具合を確かめに立って行ったきり、まだ戻らない。
「‥‥どういう、意味でしょう?」
間を置いて、老婆の口元が静かに動いた。
「この地で生まれ、この地で無に還る。それがあれにとっても幸せだとは、お考え下さらんか」
「私では――トランスフォーマーでは、それほどご不信ですか?元より彼女を不幸にする気などありません。それでも、」
「相容れぬものは、往々にしてあるものです」
す、と老婆の頭が沈んだのが懇願の為だとわかった途端、マイスターの頭蓋の底に、凍り付いた一点が勃然と 現れた。それは、宿主の許しも得ずに躯を侵す病巣のように、音もなくマイスターの内を這い回ろうとする。
憤りという、その名。抗うにはあまりにも漠然として、捉えどころの見当たらない敵。どんな武器でどんな戦術で戦うべきなのか、誰にも教わったことがない。しかし、確実にマイスターは、老婆の投げかけた言葉に潜んでいたその敵に、素手で向き合っているのだ。
望んだ訳でもないのに。
「――私達が――愛し合っていても、」
許さないのか。誰もが。
他者の目に映る自分達の姿が、どれほど奇異でも構わないはずだった。確かなものがあることを互いが知っているなら、許す者がいなくても揺らぐことなどないと、信じていた。
「貴方がたが許せないのは、私が機械の――」
ああ、そうだとしたら一体、彼等はタラリアをも怨嗟するのだろうか。 抱き締め合うことすら叶わない鋼鉄族の男を、想ったと言うだけで。
タラリア。
君を守るには、どうしたらいい?
「――マイスターッ」
表皮に弾ける砂礫が、辺り一面の音を土砂降りの雨音のように変えていた。
マイスターはハッとして、横から砂まみれの顔で覗き込んでいるコンボイの、気遣わしそうな視線に頷く。
「す、みません‥‥少しぼうっとしていました」
「ああ、わかる。こう砂ばかりだとな」
コンボイは屈託なく苦笑して、マイスターを支えていた腕を自然に解いた。
どのくらいの距離、地平しか見えない砂漠を歩いて来たのだろう。振り返ってアイグラスのズームを最大まで上げてみても、夜のうちに出立してきた奇岩の中の遺構は、もう影も形も見えなかった。 見えるのは三百六十度の青白い砂漠と先頭を行くコンボイの背と、その背を不平一つ言わずに付いて行くネブラの、老いた短躯だけだ。自分達が付けて来たはずの足跡すら幾度とない突風に洗われて、砂丘は真新しい形に変化しつつある。
一体、どこへ向かっているのか。
コンボイが突然、アケロンという人物に会わせてやるとネブラに告げて、あの岩山を出てきたところまではいいが、方角も目的地もマイスターは知らされていない。コンボイのことだから、全くの出任せでその場凌ぎをしていると思わないが、
(いつまでも宇宙放射線を浴び続ける訳にも‥‥)
上層大気からの直射と砂礫からの反射は、いつトランスフォーマーの繊細な内部構造に影響を引き起こすか分からない。それに、この細かな砂だ。
(CRDくらいは装備しておくんだった)
コンボイが旗艦との通信が途絶してから、すでに二日近く経ったろう。
ハウンドが上手に艦内の規律を保っていてくれることを祈りながら、マイスターは砂にめり込む足を根気よく前に動かしていった。
陽が斜めに傾ぐまで代わり映えしない砂の波間を歩き続け、蓄積された徒労感に老人の足取りが重くなってきた頃、ようやく前方のコンボイが反り立った砂丘の前で爪先を止めた。
見る限り、今までと変わらない砂漠の直中だが、コンボイが屈んで足元の砂を払うと黒い岩肌が現れる。
「マイスター、手を貸してくれ」
呼ばれて傍らへ寄ると、岩肌には侵食されて薄れた記号のような模様が刻まれ、一ヶ所、四角く切り口が走っていた。地下への出入り口にでもなっているのか、引き上げやすいように鉄環まで取り付けてある。 ただしそれは錆び切って、もう何百年と人の手に触れたことがないようだった。
鉄環に指をかけながら、マイスターは問うた。
「司令、ここも遺跡ですか?」
「ああ、その一つだ」
「ここは未開惑星だと思っていました。これほどの遺構があるとご存知だったなら、それなりの保護指定をなさっても‥‥」
「この星は、かつて〝エタ・ヴァーマ〟と呼ばれていた」
「エタ‥‥―」
「エタ・ヴァーマッ!」
マイスターの呟きを遮ったのは、ネブラの発した悲鳴のような数語だった。コンボイは老人の反応が分かっていたように頷いて、訝しむマイスターに告げた。
「使徒教団の始祖、アケロンが最期を迎えた時に住んでいたと言われた星だ。半ば伝説の」
「ここが‥‥その星?」
目を見開いて呆然と砂地に膝まで埋めているネブラを瞬間伺い見て、マイスターはコンボイに視線を返す。浮かび上がる疑問は尽きなかったが、コンボイはそれ以上の会話を拒否するように唖を通して、ようよう持ち上げた石蓋を丁寧に脇へどかした。
案の定、ほとんど垂直に近い窮屈な手彫りの石段が暗い穴を穿って伸び、底から黴と腐葉土の臭いの混じった湿気が吹き上がる。遺構には違いないが、地下に造られた建造物だとすると貯蔵庫の類か、それとも墓地か。
躊躇いもなくコンボイが石段を降り始めるのを見て、先に後を追ったのはネブラだ。急き立てられるように岩肌の切れ目へ吸い込まれる老躯を苦い目で見送り、マイスターは後ろに続く。
奇妙なものだ、とつくづく思う。
銀河の明暗すら握れるサイバトロンの英雄と、デストロンを抜けた狂信者とが連れ立って歩いている。威風堂々たる戦士の背中と、卑屈なほど縮こまった老人の背‥‥違和感を通り越して、 その様子は対比を狙って完成された芸術品にも見えてくる。
だが、この憤慍は何だろう。マイスターは二つの背を追いかけながら、泡のように浮かび上がる感覚に狼狽した。
それは手の届かない部位に出来たしこりに似て、疑いようもなく体内に居座っているのだが、自分では形が見えない。確かめられないのに、それが居る。
(この感情は、同じだ)
疲労の中で見た短い追想に呼び起こされた感覚が、感情回路を混乱させているのではないかと思ったが、こうしてネブラの背に目を当てているうちに暗澹と広がっていくそれは、まったく異質で、同時に良く似たものへと帰結していく。
文字にすれば、 あまりに容易い。
理不尽さへの苛立ちと恐れ。
どれだけ言葉を尽くしても頑なに交わりを拒む者への、絶望。
マイスターが無意識に目をやったのは指先だった。
長い石段の途中では上からも下からも輪郭をはっきりと区切るだけの光量が届かず、思うように見えないはずが、トランスフォーマーは視覚機能が瞬時に補正を施して走査に切り替わるため、形や色、温度分布すら苦もなく判別できる。この便利な、だが冷たい機械の身体。
トランスフォーマーであるが故にタイタン人に拒まれる自分を見つめ直す前に、今度は、マトリクスを持たない存在である事を理由に老人から拒まれた。
マイスターを深く傷付けるのは、それぞれが持ち出す型にほんの少し嵌らないというだけで拒絶し、否定する人間に届く言葉が、一つも見当たらない現実だった。
全宇宙の平和?
すべての生命体の共生?
コンボイの壮大な理念を嗤う者は確かに多い。本音を問われればマイスターも、実現の困難さは肌で感じて知っている。自分が生を終える間に叶う望みでないことも、理解はしている。だが、コンボイが「そうあれ」と願うのは盲目的に理想を追うことではなく、理想に一歩でも近付くことが出来るよう、まず自身が平和と共生を実行しろと言うことなのだ。
だからこそマイスターは、拒絶する者にかける言葉がない事実が悲しいのだ。相手が異星人であれ、同じトランスフォーマーであれ。
(私は‥‥また何も言えなかった)
不恰好に短躯を傾いで石段を下って行く老人の背は、無言のままにマイスターを拒む。声をかけたら振り返るだろう。しかし、正しい言葉が見つからないうちは、何も言えない。
タイタンを出る前、タラリアに何も告げられなかった時のように。
「‥‥?」
つんと鼻腔を刺激する黴臭さがマイスターの足を止めさせた。 前方に意識を戻すと、コンボイとネブラは階段を下り切った部分のややなだらかなフロアに進み、階の最後の数段を残して立ち止まっているマイスターが追い付くのを待つように、こちらを伺い見ていた。
そのコンボイの前、もう鼻先に、ざらついた石の扉がある。 いや、扉よりは粗末で、洞窟を塞ぐための岩盤と言った方がいいか。
「もうすぐだ。マイスター、平気か?」
気遣うコンボイの方こそが爆弾を抱えた身体であろうに、マイスターは度量の差に苦笑をして頷き、足早に二人の背へ追いつく。
ちら、とネブラが侮蔑の眼で伺うのを、マイスターはあえて無視した。ここで険悪になっても始まらない。
「司令、ここは‥‥」
「地下都市の名残り、とでも言うべきかな。最も建造途中で捨てられたから、都市と言うより迷路だ。その唯一の入り口さ」
一息置いて、コンボイは歯切れよく付け足した。
「他の入り口は、すべて潰してあるはずだからな」
「どういう事です?ここに不時着したのは偶然の、」
「無論、偶然だ。ただ、この航路を選定したのは私だし、一度外から見ておこうかと思ったのも事実だ」
「最初から、この星の外縁をご覧になるおつもりだったのですか。道理で‥‥」
目的の同盟星まで最短距離のルートでないのは確かだったが、サイバトロン名で宇宙の要所に設置している中継基地との兼ね合いで、少なからず迂回の航路を辿るのは不自然なことではなかった。だからこそ、マイスターも特に予定航路への不審は抱かなかったのだ。まして、こんな事態になっていなければ、とうの昔に通過していた星系である。
「彼だって、そんな事は知らずに船をぶつけてきたのだろう。辺境の未開星系、だからな」
コンボイの穏やかな視線を受けて、老人の皺深い顔にさっと羞恥が走る。どうやらコンボイの読みは図星を突いたらしい。狼狽と共に滲むのは、己の力が及ばない相手への嫉妬にも感じられ、ネブラの沈んだ眸は一層冥い色を帯びた。まるで、コンボイそのものが眩しいものであるかのように。
進み出て、コンボイの両腕が分厚い岩盤を横に押し退けると、細く長く直線的に伸びた通路が、これまでと変わらない黒々とした岩肌を裂いて奥まった場所へと続いているのが露わになる。
ぽつんと、その焦点に淡い色が泳いだ。
湿った微風に混じる、質の悪い油の匂い。ギイギイと軋みを上げているのは、古びた金属の擦れ合うそれだろうか。確実ではない、しかし間違えようのない生活の気配が洞穴の先から流れ出ていた。
この死に絶えた星で、いったい人間が何かを思いながら暮らせると言うのだろうか。
ここはもう、ただの墓地だ。
マイスターの胸郭に得心となって、遺構を目にするたび否応なく嗅いだ廃墟の空気が落ちてきた。
「死」の臭い‥‥いや、「死」への半ばにある臭いかも知れない。それとも、病人の。
ギイギイと、湿った通路の奥から軋みを上げながら、暗幕をすっぽりとかづいたような影が近づく。影の中心で規則的に左右へ振れる朱い色が、手作りの粗末なランプに据えた灯心の火だと判別できる距離に来て、マイスターは頼りない燈火の向こうに居る、この遺構の住人の顔立ちに、あっと声を上げていた。
途端、影は不躾な客の態度に腹を立てる素振りでランプを掲げ、じろりと招かれざる三人を睥睨する。だが、その中にコンボイを見つけると影は微かに呆れを帯びた。
「‥‥君か、オライオン。‥‥ああ、今はコンボイと言う名だったかな」
老長けた緩慢な笑みを薄く口元に浮かべて、年少の懐かしい知人の姿に目を細めて見せたのは、老躯のネブラよりも更に痩せて華奢なトランスフォーマー――その年ふりた表情や仕草とはあまりにもちぐはぐな、鳶色の色彩をまとった愛らしい少年だった。
「久しぶりだ、アケロン」
絶句して、誰に答えを求めることもできずにいるマイスターとネブラをそのままに、コンボイは少年に向かってゆるりと微笑んだ。
《続く》