時世   作:宇宙の正面

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第6回です。
核心に近づく『奴』が登場します。


時世#6

 

 7

 

 大気を刺し貫いて降り注ぐ強烈な日差しが、地表を覆う青白い粒子を焼いて、刹那、コンボイの視覚を眩ませた。光度の調節はコンマ数秒で終わったが、それでも頭蓋には尖痛が走り、厄介なしこりを残す。

 全速力で駆け通したせいか、砂をかぶるのも構わず這いつくばって、息継ぎとも喘ぎともつかない呼気をヒューヒュー吐き出しているネブラの手を、コンボイはようやく解放した。だがネブラは立ち上がる気力も見せない。ただ恨めしげに、風が洗う人影もない砂漠を睨め付けて、短い悪態を吐いた。

「どこに‥‥敵がいる、だ‥‥?」

 地平の果てで陽炎が揺らめき立ち、彼方の像を奇妙に歪める。コンボイはすっくと立ち尽くしたまま、ネブラの問いを無視した。

「馬鹿馬鹿しい‥‥異界(シード)だ?戦禍だ?隻腕の剣士だと?‥‥どれもこれも、狂人の妄言だ。あんな屍が、アケロン様ご自身であるはずがない‥‥!」

 震えながら拳を作ると、砂目に引き摺ったような十指の跡が残る。ネブラはそれを滅茶苦茶に掻き消した。

「そうだとも、あんな男が‥‥わしらのアケロン様ではならんのだ‥‥ッ」

「だが、少なくとも」

「?」

「彼が『奴』の気配を誰よりも強く感じる能力を有しているのは、本当だ。おかげで、かつて私は幾度も『奴』に先んじて、戦闘地域を特定することが出来た」

「かつて‥‥?」

「だから疑い様はない。彼がいると言うなら『奴』は現れる。―――ここへ!」

 砂が、爆音と共に天高く突き上がった。

 天空に薄く広がる雲を真一条に突き抜けて地上を襲った紅いレーザーの弾道は、 わざとコンボイの真横に逸れて地面を深々と抉り取ると、巻き上げた砂をその上へ叩き付けて激しい音を立てさせた。

「‥‥質の悪い趣向だ」

 煙る視界の一点に、白銀が閃く。

 すう、と風が抜けるように音もなく、冷笑混じりの低い声音と共に飛来した巨体が、コンボイの頭上近くにその身を留めてこちらを見下ろした。

 前線にある姿を見止めただけで、誰もが体内に冷たいものを流し込まれたような得体の知れない恐怖を覚える、銀の肢体。焔を溶かした双眸。右腕に黒々と掲げた砲身。

「サイバトロンのボロ船が不時着したと言うから来て見れば‥‥思わぬ拾い物だな。なあ?コンボイ」

「つくづく縁がある――メガトロン」

 にやりとメガトロンは満足そうに口端を吊り上げる。コンボイの皮肉がさも嬉しいようなその笑みに、だがネブラは戦慄した。

「『奴』‥‥メガトロン‥‥?!」

 アケロンは、何を語っていた?

 かつて誰も知り得なかった、重大な秘密を語っていたのではないか?あの男の――破壊大帝と呼ばれるに至った男の、隠された真実を。

「‥‥目障りな雑魚を一匹、つれておるな」

 メガトロンの瞳が射抜くようにネブラを睨めた。

 その視線が意図的な殺意に満ちたものでないと分かっていても、全身から常に揺らぎ立つ威圧感だけでほとんどの人間は凍り付く。かつて戦場で一度、遥か遠くに銀の肢体を見晴るかした時ですら、ネブラはその威容に打ちのめされたものだ。数万、数億とすら言われるデストロン兵の総てを治める男は、血に塗れて戦場を這いずる一兵卒にとって、 敵軍と同じ恐怖の対象にしかなり得なかった。

 だからこそ捨てたデストロンの主が、自分を見ている。コンボイの傍に『居る』というだけの理由で。

 ただそれだけで。

「たまには、観客を置いてみるのも悪くないだろう?」

 ネブラの内に突勃然と湧き上がりかけた生暖かい感情は、コンボイの皮肉に近い返答によって寸断された。

 はっとして、ネブラは己の置かれた状況が最悪よりも酷いものであることを改めて悟らされる。思わず砂をにじると、メガトロンはまったく本心から、下らないものを見たと言うようにネブラから視線をずらした。ただし、口元に滲んだ笑みはコンボイの言葉を肯定した。

「言うものだ。釘を刺しておけば、わしがその雑魚に手を出さんと思う訳か、コンボイ?」

「お前はそこまで紳士的ではなかったかな」

「紳士?!なるほど、では特別に観覧を許可しよう。いやいや、誤解のないように言っておくが、わしは元々興味はないぞ。デストロンの紋章すら捨てて逃げ出す腰抜けなどな」

 背後で老人の呼吸が乱雑に弾むの、コンボイは口中だけの苦笑に紛らせて、メガトロンの泰然とした高みからの嘲笑を見つめた。

 さすが、メガトロンの眼力にはいつも舌を巻く。

 ネブラから両軍どちらの認証シグナルも発せられていない事実を確認しただけで、デストロンの元兵士だと推測してしまった。おそらくは二度、目をやる間に、指や脚に残る表皮の腐食度から戦場経験やその従事期間を判別したに違いない。確かにネブラと同年配のサイバトロン兵なら、手厚い福利厚生制度によって傷や腐食とは無縁の身体をしているから、勘が良ければ解答を導くのは簡単だ。

 もっとも、それをほんの数分でしてのける人間はそういない。

 コンボイが真に恐ろしいと感じるのは、メガトロンのこの智謀を突き付けられた時だった。知ればメガトロンは至上の喜びを味わうだろうが。

 メガトロンは彼の専売特許とでも言うべき冷徹な笑みを僅かばかり掃くと、す、と左手をこめかみの辺りへ引き上げた。 それが通信に及ぶ動作だとコンボイが気付く前に、メガトロンは顔色一つ変えるでもなく決然と告げた。

「サウンドウェーブ! 艦を攻撃しろ!!」

「――メガトロンッ!!」

 砂塵が微かに煙った刹那、ネブラはコンボイの姿を見失った。

(何だ?!)

 咄嗟に判断が追いつかない。

 大気を引き裂く融合カノン砲の轟きに目を上げて、そこに黒光りする電磁ライフルを構えながら砲火の正面へ飛び込むコンボイの背を認めるまで、ネブラは戦闘の口火が切られたことにすら思い至らなかった。

「観客を認める代償だ!」

 立て続け、メガトロンが目測も取らずにカノン砲を連射する。当てる気も無いような幾筋もの弾道が閃光を放って地平へ消え、爆音が聴覚を劈いて、ネブラは脳髄を掻き回されるような感覚に蹲る。

 これが戦いか?!まるで‥‥

(狂騒だッ)

 カーニバルの中心で吹き上がる焔に、身を任せて踊るだけ。自らの焔に、そして巨大な流れに世界を引き摺り込むだけ。本能でメガトロンはその役割を知っている。

 否応なく頭上を飛び交う弾道の応酬に、頭を抱え込んで耐えながら、ネブラは体内を食い破り出そうになる悲鳴を噛み殺した。

 ()()だ。背を向けて逃げ出したのは、()()()()()

 見開いた視界一杯に、自分の影に落ち込んだ青白い砂礫の、微細な粒が身を寄せ合う虫の群れのように大きく映り、ネブラは呼吸を止める。

 コンボイの怒号。メガトロンの嘲笑。砲口から解き放たれるレーザーの、焦げた匂い。絶え間なく往来する閃光。

 どれもこれもがネブラを不快に貶めた。

(わしが欲するものを‥‥持った奴らが‥‥!)

 真理に近付こうと足掻く自分よりも、こんな戦いに日々を費やして生きる者達の方が報われている。 そんなに馬鹿げた事があるか?自分は老いていくだけなのに‥‥朽ち果てていくだけなのに。

 あの、カーゴに宿る亡霊のように。

「――見るがいい、コンボイッ」

 砲身を盾に、殴りかかってくるコンボイの拳を右に弾き返しながら、メガトロンは楽しげに声を上げる。

「折角の観客が退屈しておるわ!わしと貴様が楽しむだけではな!」

 言い様、左手に具現化したライフルの銃星が、蹲るネブラの正面に振り向く。撃つことに躊躇いなど微塵も無い横顔に、コンボイは地を蹴って飛びかかり、放たれた銃弾は寸でに狂ってネブラの膝先に突き刺さる。砂が派手に舞った。

「相手は私だッ」

 振るったコンボイの拳が、メガトロンの顔面を抉る。メガトロンは数メートルも吹っ飛び、背中から砂塵に倒れ込んだが、すぐさま跳ね起きて融合カノン砲を撃ち放った。一発は横に逸れ、続けて放った一発がコンボイの脇腹を掠め飛ぶ。

 コンボイが呻いて腹を押さえる隙、メガトロンの身は瞬く間、射程距離まで駆け戻る。咄嗟にコンボイが左へ身を捻ると、それまで体のあった場所を光線が射抜いた。

「良い反応だッ、褒めてやる!」

「遠慮するッ」

 きつい切り返しで、コンボイはメガトロンの目を引き付けたままネブラから離れるように弧を描いて駆けた。メガトロンは、石のように動かない老体にはもう目もくれず、興に乗って標的 へ連射を浴びせる。砂塵が巨大なパイプオルガンの形に突き上がり、奇妙な風の音を撒き散らした。

 と思う間に、メガトロンの肢体は砂を振り切って宙を飛ぶ。並みの戦闘能力では維持できない不自然な体勢に全身を捻って、砲口から紅い閃光が牙を剥いた。着弾と同時、コンボイが前のめりに吹き飛ばされる。だが被弾してはいない。

 メガトロンの鋭い舌打ちがコンボイの頭上に覆い被さり、跳ね上げようとした上体にゴツリ、と融合カノン砲の口が擦れた。まだ熱を帯びた砲口を背中に押し当てられると、痛みに似た痺れが中心を襲い、コンボイは呼吸を半拍飲み込む。

「‥‥だから、貴様は愚かなのだ、コンボイ。戦いの場で己の命以外が守れると思っている。そのくだらん理想に振り回されなければ何度わしを殺す機会があったか、数えてみた事はあるか?」

「理想ではない、信念だ」

「その信念のために、貴様はどれだけ部下を犠牲にした?達し得ない信念を理想と言うのだ」

 それとも、と続けた声に苛立ちが混ざった。

「一人救うのに千人の命が必要か?そうだと言ってみろッ、総司令官閣下」

 頑なに上げられたコンボイの頭が、否定の意味で強く横に振られた。

「‥‥お前は、誰一人救わない。千人の命で一億の命を相殺させる事が、私の信念に勝るのか?」

「現実を見ろ、コンボイ。貴様が守ろうとする中で、その価値に見合うものなど片手で足りる。それ以外は、たった今消滅しても憐憫さえ催さぬ、クズだ」

「その価値を決めるのも、私だッ」

「いいや、時代だ!!」

 振り上げられた砲身がコンボイの側頭部を強かに殴り付け、 表層の窪む鈍い音が響く。倒れ込んでもおかしくない衝撃を、コンボイは昂然と耐えた。

 再び、捩じ込むような鋭さで砲口が首筋に押し当てられる。 ざり、とメガトロンの爪先が砂を掻き、砂煙が視界を塞いだ。

「これが、現実だッ」

 エネルギー放射の熱が急速に背後で高まり出す。

 瞬間、コンボイはひと掴みの砂をメガトロンめがけて叩き付けた。思わぬ無様な反撃にメガトロンの思考が逸れた刹那、一条の光弾が砂埃を突き抜けて白銀の肢体を掠め飛び、メガトロンは咄嗟に後背へしさった。

「――コンボイ司令!」

 砂塵が千切れ、体勢を直したコンボイを庇うように浮かび上がった影は、光子ライフルを右手一本に構えたマイスターの姿をメガトロンの眼前に曝け出した。そして、左手を支えに肩へ乗せた、幼い少年の姿をも。

「マイスター、何故――?」

「お叱りは如何様にも。ですが、」

 言葉を切り、マイスターは己の首筋に取り縋るアケロンの、毅然と破壊大帝を凝視する横顔に目をやって答えた。

 アケロンは弱り切った小さな体をマイスターに預けたまま、メガトロンの忌まわしい紅色の双眸から視線を外そうとはしない。コンボイは今にもメガトロンの融合カノン砲がせり上がり、邪魔な虫を追い払うほどの気安さでアケロンを撃ち抜くのではないかと恐れたが、数秒、数十秒が経過しても、メガトロンはアケロンと目を合わせたまま動こうとしない。

 やがて静かに、およそ感情とは無縁のメガトロンの瞳が、不可思議なものを見つけた時の子供のそれのように見開かれていた。

「‥‥‥‥は‥‥‥‥はははッ!」

 唐突に、メガトロンの喉を笑声が突いた。

 メガトロンはおどけた仕草で両手を広げて見せると、コンボイの訝しげな顔に一瞥をくれて、アケロンに視線を引き戻す。

「‥‥これが、笑わずにいられるか?」

 さっと掃いた高揚の色が、メガトロンの冷厳な眸の奥で燐火に揺らいだ。

()()()()()()()()()()()()()?」

 マイスターは不意に、首に回されたアケロンの細い腕が緊張に強張るのを感じて、ライフルを握る五指に力を込めた。アケロンは平静さを従わせるまで三拍待って、

「――破壊大帝、」

 よく通る、子供特有の凛とした声音を発した。

「それは、私がお前の本質と等価なものであるからだ」

「等価‥‥だと?」

「その一部だとて、魂に刻まれた適手の波長は消えぬ。私がそうであるように」

「貴様――どこで逢った?」

「悠久の彼方で」

「そうか。だが生憎、敵手には事足りておる」

 皮肉に、アケロンの口元が綻ぶ。愛らしいその笑顔が呆れなのか怒りなのか、マイスターが読み取ろうとする間に、アケロンがするりと肩から砂地に飛び降りると左手を真横に差し伸ばした。と、掌に眩い光芒が走り、一振りの剣となって像を結ぶ。それは一陣の風のごとく滑らかに、アケロンの華奢な五指を主に選んだ。

 ほう‥‥と、メガトロンがわざとらしい感嘆の声を上げる。だが、清寂は一瞬だった。

「亡霊に用はないッ!」

「ッ!!」

 メガトロンが地を蹴る。マイスターが視認したのは、ほとんど同時に砂塵を残して飛び出したアケロンの、常軌を逸した速度で駆け去る背中だけだった。

 

 

 8

 

 閃光。衝撃音。

 吹き飛ばされた身体を何度砂地に埋めても、アケロンが攻撃の手を緩める気配はない。それはあまりに一方的な――メガトロンの暴虐だった。

 元から、手加減などという言葉を知る男ではない。メガトロンが戦いに挑む姿勢は、その相手がコンボイであれ一兵卒であれ常に全力に等しい。手加減、と映る事があるとするなら、それは簡単に狩れる獲物だと見切りをつけて悪趣味に弄んでいる時で、その点から判断すれば最大の応酬を受けているアケロンは、〝狩り甲斐〟のある戦士と判断されたと言えよう。

 だが、無茶苦茶だ。

(カーゴで、あれだけの能力を維持するなんて!)

 コンボイが飛び出し、アケロンが薙ぎ払われると同時に反撃に出る。交互に繰り出される攻撃にさしものメガトロンも忌々しげに呼吸を荒げて、しかし超人的な戦闘センスで縦横無尽にアケロンの剣先とコンボイの拳をいなしながら一陣の突風のように身を翻す

 マイスターは一歩も動くことができないでいる己を疑った。

 確実な答えは、自分があの流れに加わっても足手まといにしかならないだろうという事。どんなに激しい流れでも、堰き止めてしまえば双方が崩壊する。それだけは避けなければならない。

 だが、限界値を超えた動作を強いられているアケロンの肉体は、いつ内部崩壊してもおかしくない状況だった。ただでさえ必要量以上のエネルギー消費を抑えたカーゴは戦闘力など無く、アケロンがこうしてメガトロンの反撃に反応していられるのは、強制的にリミッターを解除しているからに他ならない。

 つまり、死を顧みず。

(何て人だ‥‥ッ)

 〝死〟のために戦う。

 不毛で、それ以上に恐ろしく純粋な目的。

 アケロンにとっては、メガトロンの奥底に『奴』の一部がある現実こそが打ち砕くべき災禍なのか。いま再び、あのカーゴに宿った〝魂〟は与えられて果たせなかった使命に目覚め、それを為しえようとしている。

 己の‥‥かつての形を確かめるように。

「マイスター!」

 隙を突き、メガトロンの鳩尾を蹴り飛ばしたコンボイの声が、砂煙の間に響いた。

「ネブラを連れて離れろッ」

「しかし‥‥ッ」

 立ち上がるメガトロンに向かい、アケロンと共に駆け出しざま大きく振られたコンボイの右手首が鈍い反射光を引き摺り、マイスターの決断は掻き乱された。

 コンボイとネブラをつなぐ厄介な遠隔装置がある以上、二人を闇雲に引き離せば、この戦闘の中で安全な距離を保てるかどうかも怪しい。いや、信頼が大きいからこそマイスターにその役割を与えたのだろうが、マイスター自身にその自信がなかった。

 引き離して、危険に晒されるのはネブラなのだ。仮に不幸な手違いでネブラが爆死しようと、 コンボイは傷付かない。何一つ、サイバトロン総司令官としての名誉も。

(――何を考えている?!)

 マイスターは突然、頭蓋を叩き割られるような衝動に身震いして、己の胸を掻き毟る。

(そんな真似を、司令が許すものかッ)

 一瞬でも、無力で愚かな老人の存在を疎ましく感じた自分を責め立てると、コンボイに応えるべき本来の使命感がマイスターを突き動かした。硬直していた脚が砂を踏み締め、砲火の交わりに踵を返す。

「ネブラ!」

 着弾によって抉られた無数の穴の先に、震えながら身を丸めて災いに備えた老人の姿は容易に見つかった。その姿にデストロンの兵士だったという過去の面影は微塵もない。老いた肉体を頑なに押し包んでいるのは。一刻も早く頭上の災禍が過ぎ去れと願うだけの浅ましい感情でしかなかった。

 マイスターは左手に光子ライフルを引き出して構え、大股に老躯へ近付くと肩に手を掛けた。

「ネブラ、安全圏まで退避する。立てるか?」

 途端、拒絶を表すように全身が小刻みに震え出す。

「‥‥‥‥だと‥‥?」

「何?」

 身体の震えが急速に上下し、マイスターは驚いて、乗せた手を咄嗟に引き剥がした。

「今―――笑‥‥」

 恐怖、ではない。笑っているのだ。

 低く、這うよりも低く滲み広がるような掠れた笑声が枯れた喉から絞り出される度、こんもりと丸まったネブラの老躯が不規則に上下動し、それは見知らぬ獣の拍動思わせてマイスターの嫌悪感を煽った。

 むくり、と老人が、突っ伏していた顔を億劫そうに持ち上げる。青白く砂に染まった頬が痙攣を起こし、口元が奇妙に歪んで泣いているようにすら見える顔が、軋みながらマイスターに向けられた。

 焦点も合わない双眼で、ネブラは驕慢に笑った。

「あんな奴等が、選ばれた人間だと?」

「なん‥‥だって?」

「笑わせるな。あんな馬鹿共がどうして真理など知るものか‥‥わしだ、相応しいのはわしのはずだ」

「ネブラ!!」

 力任せにネブラの腕を鷲掴んで、マイスターはうわ言を繰り返す老人の目を無理矢理に自分へ向かわせると、怒鳴りつけるように告げた。

「しっかりするんだ!アケロン殿が、コンボイ司令がなぜメガトロンの気を引き付けていると思っている?!貴方の為だぞ!」

「ふざけるなッ!!」

 迸った恫喝に、激しく叩き落された手の痛みが覆い被さり、マイスターは言葉を失う。キッと睨め上げる老人の眸に燃えた憎悪と嫌悪の色は、反論を聞き入れる余地の無い独善者のそれだった。

()()()()()に救われてたまるかッ。わしは本物の幸いの傍へ行く人間だぞ。こんな場所で生きるの死ぬのと下らん諍いに命を懸ける愚か者など、共に滅びてしまうがいいのだ!そうとも、あやつ等の手は、」

 螺子の外れた楽器のようにけたたましい笑声を一頻り放って、ネブラはマイスターの肩越しに、光弾の只中を行き交うコンボイ達の背を汚らわしいもののように順繰りに指し示して吐き捨てた。

「あの手は俗界を這いつくばって生きるしか能が無い、血塗れの武器だ。殺し、奪い、傷付けることしか出来ない獣だッ」

 カッとこめかみに熱塊が膨らむのを感じた瞬間、マイスターは一度振り払われた手を再びネブラの肩にきつく食い込ませていた。トランスフォーマーの硬い表皮が圧力に屈し、鈍い音を立ててへこむ。だが熱っぽく彼方を見やるネブラの顔は苦痛に歪むこともない。

 マイスターは手荒く老体を引き寄せて、反駁した。

「愚か者など、ここにはいないッ。少なくとも私の目の中には!戦士の手は愚かだから血に塗れているのではないし、傷付けた数だけ守り通しているものがあるッ。誰にも、それを愚かだと言う権利なんか無いはずだ!貴方は、」

 激昂に突き動かされるまま吐き出しかけて、マイスターの理性が最後の一言を胸に縛り付ける。竦むように黙ったその顔に、ネブラは口汚く舌打ちした。

「愚か者は、何を吠えても愚かなことに変わりない」

「貴方は‥‥目を背けているだけだ」

 己の死から。強大すぎる存在から。トランスフォーマーの宿命から。

 逃げる行為を正当化する為にすべて否定して、都合よく構築した居心地の良い幻想の世界に転がり込んでいるだけなのだ。庇い合い寄り添って、形の無いものに縋っていればいいだけの群れに。

「アケロン殿は言った。貴方の中に真理はないと。それなのに、貴方はまだご自分が正しいと信じている。もういい加減、認めなさい。見下すことしか自分を守る術がない今の貴方に、掴み取れるものなんて何もないッ」

「では、答えてみせろ!貴様の〝真理〟とは何だ?!」

「私の――」

「アケロンは、貴様に真理を認めたではないか!貴様に、貴様の中に!

 あの時の、何を考えていたろう。

 マイスターは思い出そうとした。アケロンの言う『女神』の姿を想像しながら、自分が繰り返し思い描いたものの愛しさを。決して振り切ることのできない想いを。

 そうだ、あれは。

「――マイスターッ、避け‥‥!!」

 コンボイの叫びを知覚した刹那、唐突に視界が黒く染まって、マイスターは高く吹き飛ばされる独特の浮遊感の中に広がる、奇妙なほど安らかな眠りの腕へ落下していく自分自身を感じていた。

 

 

 いつも返ってくる答えは単純明快で、それ以上の意味でも、それ以下の皮肉でもない。こっちが驚くほど、タラリアは真っ直ぐな感情しか言葉にできない女性なのだ。

 だから、おそらくこれは純粋な本音なのだろうとマイスターは思った。

「分かり切っている事をぐだぐだ言ったって、あたし達は変わらないんだ。だから先に約束しておくよ。どっちが先に死んでも恨みっこなし。まあ多分、あたしが先になるだろうけど、真面目にあたし一人を想ったりしなくていいんだからね、マイスター」

「でもそれは‥‥わからないよ」

「言うと思った」

 タラリアは大仰に、まるで母親が子供を叱るのと同じ仕草で腰に手をやると、苦笑いを浮かべたマイスターの真正面まで三歩で歩み寄る。真下から見上げても、互いの顔の間に二メートル近い差があることを確認すると、タラリアは有無を言わせずマイスターの膝に手をかけ、軽々と肩までよじ登った。

 元々が、地球的感性に照らし合わせると官能的に過ぎる衣装のスリットから、堂々と片足を剥き出してバランスを取り、ぐるりとマイスターの首に両腕を回す。傍目には巨人と小人の不釣り合いなダンスだが、タラリアはこの不安定な位置に立ってマイスターの鼻先に顔を寄せることを好んだ。その度に、マイスターがどれだけの衝動を堪えているかも知らずに。

 絡んだ腕の温もりで次第に冷たさの緩み始めた身体に、マイスターはそっとタラリアを抱き寄せた。

「私にそれを望むなら、タラリア、君もそうしてくれ。私が君を残して逝ったら、別の誰かを愛してほしい。君を守れる人を」

「突然、どこからか現れればね」

 悪戯っぽく微笑んだのは、あまりにも運命的なマイスター自身との出会いを思い出したからだろう。マイスターも思わず笑んで、

「できたら、トランスフォーマーはやめてほしいが」

 冗談混じりに付け足した。もちろん、少しばかりの本気を込めて。

 タラリアは抱き竦めるようにマイスターの頬へ寄りかかると、うん、と言い聞かせるように呟いて言った。

「この先どうなるかなんて、まだ全然わからないけど、あたしが貴方に出会ったことだけは天に感謝してる。だって本当なら、出会うはずがない別世界で生きてたんだよ。それが今はこうして、抱き締めることが出来る。これって凄い事だ」

「タラリア‥‥」

「だから、大丈夫。この一秒ごとにちゃんと愛があるなら、先の悲しいことも何もかも、私は笑って蹴っ飛ばせる。それなら安心でしょう?」

「ああ。‥‥まったく、君には敵わない」

 おそらく、最初から敵うところなど無いのだが。

 不意に、抱き竦める細い腕から僅かな震えと、離すまいとする力強さとがマイスターの肌に伝え落ちた。

 タラリアは知っている。

 啓示の如くマイスターは、タラリアが問えずにいる茫漠とした不安の根に突き当たって、何の正しい言葉も選び取れずにいる己を恥じていた愚かさに打ちのめされた。

 何より、同じ星に生きてきた人々から祝福を得られない現実に怯え、憤っているのはタラリア自身のはずなのに、タラリアが諦めを口にすることは決してない。それは無言の、最も雄弁な誓い。そして願いだ。

 誰一人認める者がいなくても、互いが認め合えるのなら、それが真実なのだと。

(私は‥‥大馬鹿者だ)

 タラリアが欲しているのは言葉じゃない。ただ確かにあるとわかる、お互いの強い決意だけでいいのだ。二人で生きて行くと決めた、あの瞬間の想いで。

 言葉は、真理など生み出さない。

 あれは誰の言葉だったろう。今頃こんな簡単に答えへ辿り着くなんて、どうかしている。

 ああ、それを教えてくれたのは君だ、タラリア。

「――マイスター」

 頬を包んだ手へ唇を滑らせて、タラリアは押し止めるようにマイスターの口を塞ぐと、地球の空の鮮やかさを固めたようなアイグラスの端に口付けた。

 不意に突風が踝を洗い、どこからともなく湧き上がった艦船の駆動音が甲高く聴覚に割って入る。 遠くから、乗船を急かしてマイスターの名を呼ぶ下官の声が切れ切れに届いて、マイスターははっとした。

 この艦でアセニアに戻らないと、随行する予定になっているコンボイの外星系行旅の出発に間に合わない。

「呼ばれてる、ほら行かないと」

「タラリア、」

 止める間に、タラリアはひらりと肩から飛び降りて、ぐいとマイスターの腰辺りを押しやった。

「いつまで別れを惜しんでるんだって笑われたら、あたしの責任だからね。ほら、行った行った」

「いや、あと一つだけ」

「何?」

「ええと‥‥なん、だっけ?」

 呆れ顔で、マイスター、とタラリアは両肩を竦める。だが、苦笑には僅かばかりの愛しさが混ざって、マイスターを安心させた。

「大切なことなら次よ。だから気をつけて行ってらっしゃい。 怪我なんかしたら承知しないからね」

「大丈夫だよ、前線に行く訳じゃないんだから」

「安請け合いしちゃって。約束破ったら、こっちからぶん殴りに行くからね」

「それは嬉しいな。気合が入りそうだ」

 笑うと、タラリアは心外そうにマイスターを見上げて、ぶんと振り上げた片腕を豪快に回しながら、まるで嘘の無い純真な笑みを突き返した。

「気合どころか根性だって入るよ。あたしの拳は、

 

 

《続く》

 

 

 




今回、最後の文章が途切れているのは
作品上の演出になります。
(書き漏れではありませんのでご心配なく)

『時世』は次回で最終回です。
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
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