時世   作:宇宙の正面

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ここまでお付き合いいただき、
ありがとうございます。
『時世』は今回で最終回となります。
当方が考えるマイスター像、コンボイ像、
トランスフォーマーの世界感を
味わっていただけたのなら幸いです。


時世#7

 

 9

 

 背中に走る鈍痛に覚醒を促されて、マイスターは淀んでいた視点を砂礫に覆われた地平線上に引き戻した。

 倒れた弾みに顔の半分が砂にめり込み、視界の一方を完全に塞がれているせいか、瞬間に識別できたのは投げ出された自身の手と波打つ地平の青白さと、面を接した薄雲だらけの空の色。次いで焼け焦げた臭気と銃撃の乱射音が五感を襲い、マイスターの全身はようやく現実を取り戻して軋みをあげた。

 メガトロンの放った光弾が掠め、その威力に巻き込まれて吹き飛ばされたのだとは解かっている。直撃していたら痛みを感じるどころか、胴体が引き千切れていてもおかしくないのだから、むしろ軽傷と言っていい。

(夢‥‥だったのか)

 タラリアの拳が背に当たったような、妙に温かい感触を抱えたままマイスターは呻いて、埋まった上体を支え起こす。

「‥‥根性‥‥入ったよ」

 おかげで正気にも戻れた。こんなところで寝そべっている場合じゃない、と。

 マイスターは起き上がりながら、砂を掻いた右手に慣れた感触がないのに気付き、慌てて周囲を見回した。飛ばされるまで握り込んでいたライフルが、砂に呑まれてしまったのか見当たらない。

(しまった‥‥ッ)

 近接戦用の武器はあれ一丁きりしか携帯していない。今は自衛の為にも失う訳にいかないが、手当たり次第に倒れていた辺りを掻き回してもそれらしい物が埋まっている気配はまるでなく、マイスター指の関節に入り込んでくる粒子の不快さに焦れた。

 横目でコンボイの姿を探すと、やや後方に距離を作ってはいたが、脆すぎる幼体のアケロンと二人ではメガトロンを完全に押さえ込むには至らない。 むしろ形勢は互角か、常にアケロンの援護へ回らなければならないコンボイの側が不利だ。

(こうしている間に、艦も‥‥!)

 メガトロンの号令が真実なら、サウンドウェーブ以下、どれだけの手勢か知れないがデストロンの一団が、応戦も碌に出来ない不時着艦を強襲しているのだ。これ以上の時間、ここで足止めを食う訳にはいかない。退避が先だ。

「ネブラ――」

 あの砲撃の威力では、すぐ傍に居た老人も相当なダメージを受けているはずだ、咄嗟、コンボイの声に反応して庇ったような気もするが、それでも無傷では済むまい。

 マイスターは微かな振動にも悲鳴を上げる身体のあちこちを黙らせながら、這いつくばる体勢から上体を捻り上げ、老人の名を呼ばわった。

「どこだ、ネブラッ」

 砂目を渡る風が金属の肌にいくつもの音を跳ね上げた後、むくりと砂丘の陰に黒いものが動いた。

 最初に、声が居竦んだ。

 マイスターがそれと始めに知覚したのは、老人の胸元にしっかりと、赤子のように抱きかかえられた光子ライフルの黒光りする細長い影。マイスターの視線を吸い込むようにネブラの手の中で銃身が向きを変え、穿たれた銃口が光のない漆黒の隻眼でこちらを睨めた。

 不気味に長い時間、マイスターは己のものであるはずのライフルと睨み合い、老躯に抱かれたそれが放つ殺気と悪意を受け入れようとしたが、応える声はどこにも無く、ネブラの顔貌すらどんな感情に彩られているのか判然とはしなかった。

 撃たれるのか?

 逆流して体内を駆け巡る熱塊が、戦慄を伴って思考を満たす。

 今にも、躊躇い無くトリガーに掛かったネブラの指が動くかもしれない‥‥だがマイスターを捕えた死への濁った想像は、ネブラの喉を突いて零れた嘲笑に遮られた。

 ネブラの形をした影が砂塵を滑る。

 瞬間、マイスターの視界で黒い銃身が新たな―本来の獲物に向かって牙を剥いた。

 畏怖の存在でしかないメガトロンに、いや、その傍らにある、老人にとっての裏切りの『予言者』に。

「――コンボイッ、来るな!!」

 絶叫は哀願に聞こえた。

 アケロンはコンボイの足を居竦ませると、ネブラの元から放たれた光輝に咄嗟、俊敏に反応して回避行動に移るメガトロンの下肢に全身で飛びかかった。

「ッ!貴様?!」

 子供の、ほんの小さな身体だ。片腕の一振りで薙ぎ払える、弾道を躱すのに一秒も必要ない。

 しかしメガトロンの予測は身を引く動作に移った途端、鉛のように食い付いて下肢を縫い止めアケロンの、想像以上の威力によって破綻した。

「!何をするッ」

 共に滅びる事に一片の恐れもないアケロンの瞳が、メガトロンの紅を溶かした眼を見透かす。勃然と耐え難い怒りを掻き立てられて、メガトロンはアケロンの幼い身体を蹴り上げ、引き離そうともがいた。だが、遅い。

 閃光がメガトロンの身体を刺し貫いた。

 コンボイは、吹き飛ばされるメガトロンの白銀の肢体に、なお牙を突き立てるようにして縋り付く、腰から二つに引き千切られた幼子の上半身を、それが現実に起こっている事なのかどうかも理解できずに見送った。

「ア‥‥ケロ‥‥」

 その位置に残された華奢すぎる両脚が、支えの無い棒のように砂煙を立てて地面に倒れ伏す。 無造作に千切れた半身からドロリと滲み出した体液が、砂目の間に黒々と色を落として吸い込まれた。 繋ぎ止められていたアケロンの魂が流れ出して行くように。ようやくその身に訪れた『死』の中へ。

 マイスターは抜け殻に思える空虚な肉体を引き上げると、足首まで纏い付く砂の重みに邪魔されながら、蕭然とネブラの前へ歩み寄った。ネブラはライフルの引き金にしっかりと指を添えたままの姿で、マイスターの強張った顔を楽しげに見上げた。

「‥‥‥‥なぜ、撃った?」

 問う声の硬質さに、マイスターは自身の怒気が急激に波打つのを自覚し、思わず両の拳を握り込む。抑え込もうとしたが、再び唇を動かした瞬間にそれは怒声に変わっていた。

「なぜ撃ったッ!!」

 奪い取った重い光子ライフルを投げ捨て、無意識に老躯の腕を捩じり上げる。凶暴な痛みに顔を顰めながらマイスターを見つめるネブラの双眼に、凍えるほどの残酷な灯が揺らめいた。誰のどんな言葉も通じる耳を持たない人間の、それは酷薄な拒絶の印だった。

「答えろ、ネブラッ。なぜ撃った?!」

「‥‥あんなものは、存在するべきじゃない」

 億劫そうな、吐き出すのももどかしい応答。問われることへの理不尽な苛立ちに侮蔑が滲んだ。

 マイスターは老躯を荒々しく引き摺り上げ、

「あんなものッ?――彼は、」

 砂塵に横たわるメガトロンの上に、アケロンの半身が毅然としがみ付いているの指差して叫んだ。

「彼は貴方と同じ『人間』だ!信仰を踏みにじったのは彼じゃない、貴方自身だろう?!なぜ彼を憎む!」

「‥‥言っている意味が、分からん」

 呟いて背けようとする老いた顔を、マイスターは片方の手で無理矢理にねじ向けた。 ネブラの皺だらけの顔が無茶な格好に歪む。だが力は緩めなかった。

「憎むのも恨むのも勝手だ。だがそれで排除していい命なんか無いッ、それを」

「わしは正しい!あれを消してやった。あれはアケロン様などではない、あってはならないッ。あれは、消え去るべきなんだ!」 「なぜ‥‥ッ?!」

「なぜ、なぜ、なぜ?貴様にわしの正しさが理解できる訳がない。感情などと言う不確かで愚かなものに振り回されている、俗物には」

「―――」

 届く言葉を導き出せない己の無力を、嘆くことがある。それは見渡そうとしている次元があまりにも遠くかけ離れている事実に直面した時、マイスターを容赦なく苦しめた。何も通じ合えない現実。認め合えない堅実。拒絶するだけの現実。

 一方にほんの僅か、受け入れる扉があることで理解し合える可能性が生まれるのなら、自分の中にその場所を作りたいと願ってきた。かつて地球の多くの友人が、彼等の内にある場所に期待と不安を持ってトランスフォーマーという異質な自分を受け入れてくれたように。 タラリアが信頼と勇気に賭けて、この鋼鉄の身体を愛してくれるように。

 今、ネブラはその全てを否定したのだ。人間を人間たらしめている『不確かで愚か』なもの。

 マイスターは鷲掴んだ老人の腕に、握り潰さんばかりの力を込めて呻いた

「――俗物で何が悪い?感情に動かされる事のどこが愚かだッ?!」

「はッ、はは、認めるのか!」

「そうだ、私は俗物だッ。『不確かで 愚か』な感情のために笑ったり泣いたり、怒ったり悩んだりする。好きな女性への欲望に駆られることもある、ただの男だッ」

 執拗に嘲笑うネブラを睨め付けて、マイスターは吠えた。

「私は愚かだから彼女を苦しめたり、傷付けたりする。それでも彼女はずっと手を振って見送ってくれるし、冷たい身体を抱いて温めてくれる。時々は私を叱って、励ましてもくれる。そんな何気ないことが嬉しいのは、私に感情があるからだッ。形なんか無くても、確かに心があるからだ!どこが悪い?!どこが間違っている?!」

「貴様、なんぞに‥‥ッ」

「私は分かりたくもないッ。もし何も感じない心が貴方の言う信仰の産物なら、這いずり回って戦火に塗れて、永遠に俗物のままで生きていく!それでも」

 苦しみも喜びもない世界を歩き続けるより、遥かにましだ。 たとえ絶え間ない感情の揺らぎによって激しく翻弄される人生になっても、踏み出す先に見つかる答えがきっとあるなら、人は時代を超えて必ず大切なものを掴み取れる。愛でも、正義でも、本当の幸いでも。

 可能性こそが、人間の持ちうる最大の武器なのだから。『不確かで愚か』なものを抱えているが故に。

「これが答えだ、ネブラッ」

 マイスターは痣が付くほど握った老人の腕を再び引き寄せ、言い放った。

「私たち人間が、苦悩や歓喜に左右されながら生きる事の、その事実が真理なんだッ。求めるものはいつも、ここにある!」

 拳の突き付けられた薄い胸先をネブラは呆然と見下ろして、醜い笑みの張り付いた頬を強張らせたまま、マイスターの言う意味を処理しようと絶句する。

 ザザ‥‥と風に運ばれた砂が擦れて、その足元にざわめきを立てた。

「‥‥‥‥の世界が‥‥‥‥」

 掻き消されそうなか細い声は、静かに引き上げられたネブラの双眼に奥深く宿る暗黒の色によって、マイスターの聴覚を禍々しい響きに貫いた。

「違う、この世界が、狂っているんだ‥‥ッ」

 噛み締めた怒気がマイスターの全身を踏み荒らし、切り刻んでいく。音も気配も、感じられるものはその一瞬のうちに意識の外へ押し退けられていた。

「―――狂っているのは、貴方だッ!!」

 絶叫が、ネブラの耳に届いたかどうか分からない。

 唐突に老人の体は真横から襲いかかった銃声に射貫かれ、マイスターの手から捥ぎ離されると、両脚の下半分を別々の方向に撒き散らしながら弧を描いて砂塵の上に二度跳ね飛び、ごろりと人形のように転がり落ちた。

 マイスターは、不意に空になった両手を不格好に曲げたまま、黙然と振り返る。

 遠い視線の先に、硝煙の匂いを立ち上らせる、型の古いライフル銃。

 ゆっくりと銃撃の構えを解いたコンボイは、マイスターがその澄み切った蒼い瞳の底に滲むものを汲み上げようとする間に、まるで穏やかに視線を外して、倒れたままのメガトロンの元へと歩を進めていった。

 目を戻すと、起った現実が瀕死の呼気に喘ぐネブラの姿を止めて、そこにある。

 コンボイが撃った。なぜ?

 また、なぜ、だ。なぜでもコンボイはネブラを撃ったのだ。いや、自分も撃とうとした。手の中に銃が有りさえすれば。

 マイスターはよろめきながら、埋もれかかっているネブラに近付こうとした。と、その背を突如巻き起こった旋風に弾かれ、のめって叩きつけられる。

 頭上に覆い被さる影を仰ぐと、手の届かない高みに傲然とメガトロンの肢体が滞空し、忿怒の形相も露わに地上を睥睨していた。片手で押さえた腹部から流れるオイルが、指の隙間を伝ってポタポタと滴り落ち、脚までを薄汚く汚している。最初にアケロンを直撃したため致命傷は免れたらしいが、激痛と屈辱に歪んだ唇が傷の深さに比例して、軽くないダメージを証明した。

 気持ちはどうあれ、メガトロン自身が撤退の必要性を痛感しているはずだ。

 ギリ、と奥歯の軋む音がし、メガトロンの融合カノン砲が震えた。

「とんだ邪魔が入ったわ‥‥!二度は無いと思え、コンボイッ」

 砂煙の向こうに見る間、天高く吸い込まれてメガトロンの姿が小さくなってゆく。追跡しようにも、疲弊し切った身体がそれを許さなかった。コンボイは雲間に消えるメガトロンを最後まで見送ると、やがて、風に煽られて擂り鉢状に抉れた砂の底に横たわるアケロンの、二つに分かれた亡骸の傍へ歩み寄った。

 魂を失った仮宿の肉体は氷のように冷たいのだろう。その凍った頬にこびり付いた塵を拭うコンボイの優しい指先に背を向けて、マイスターは静かに、転がったネブラの傍らに立った。

 アケロンと同じように同じ星の大地に倒れ伏しながら、どうしてか、その老人のいる場所は光すら当たらない澱みに見える。しかし、切れ切れの息遣いに上下する老いさらばえた身体を見下ろしても、感慨や哀れみを覚えさせることはなかった。

 助けなければ、と思ったのは、サイバトロン戦士としての義務に動かされたからで、それが己の本心でないこともマイスターは知っていた。

 少なくとも、今ならまだネブラは救える‥‥命なら。

 屈み込み、手を伸ばそうとしてマイスターは、苦痛に歪んだ老人の喉から低く流れる嘲笑にぴくりと強張った。

「‥‥よく、分かっただろう‥‥?」

 搾り出した声は弾んでさえいて、くくっ、と喉を鳴らすと、捥ぎ取られた脚の断面から嫌な音を立てて体液が噴き出す。目だけを挑むように持ち上げたネブラは、まるで自分の置かれた状況が証拠だと言わんばかりの勝ち誇った顔で、マイスターを見返した。

「‥‥これが、凡人と選定者の違いだ‥‥!」

 選び取る資格がある者の、権利。

 ネブラが欲して止まなかった「幸い」の、最も近くにいる者の―――

 砂目を踏みしだく音にはっとして首を巡らすと、マイスターの真後ろに凛と佇立したコンボイが、無言でネブラを見下ろしていた。 陰が色濃くその顔容を遮り、はっきりとそこにある表情を読み取ることは出来ない。

 マイスターは黙って立ち上がり、場所を空けた。

「サイバトロンの、王‥‥わしを裁くのか‥‥?」

 一呼吸の合間に、老人の唇から血が噴き零れる。コンボイは何も答えず、ただ唖のまま老躯を見つめ続けた。

「裁けばいい‥‥そうあるべきだ‥‥」

 コンボイが額面通りにそれを実行したら、自分は止めるだろうかとマイスターは想像してみた。だが結局、そんな無意味な推測は途中で破綻する。 なぜなら自分が一番に、コンボイが形のない者の名を借りて他者を断罪する傲慢を嫌悪している事実を知っているからだ。

 たとえ、コンボイの手が均しくその存在と同じであったとしても。

 長い長い清寂の奥から、コンボイの威厳に満ちた声音が流れた。

「裁く者は、君が殺した」

 君が、とネブラの耳へ刻み付けるように繰り返し、コンボイはつと、左手を自身の右肘に宛がった。

「‥‥ぅお‥‥ッ」

「ッ!司令、何を――?!」

 激痛を噛み殺す呻きに合わせて、正常な機器の密集を握り潰す金属の悲鳴が、風の嬌声に混じって辺りを満たす。瞬間、コンボイの右腕は自らの負荷によって無理矢理に肘から引き抜かれ、左手の中にだらりとぶら下がって無機質な物量を晒した。 裂け目から絡まり合って垂れたコードやチューブは、腕としての役目を寸断されたことに気付いてもいないのか、オイルと電気信号を断続的に放ち続けている。

 コンボイは下半分を失った右腕を庇うこともなく、千切った部位をネブラの前に投げ捨てた。その手首に嵌った銀色の、老人とコンボイを繋げていた楔が、舞い上がった砂の反射光に輝いて笑う。

 つられたように口端だけで笑みを作るネブラの横顔に、コンボイは確然と告げた。

「餞別だ。生涯、それを抱いて行くがいい」

 これが裁きでないのなら、考え付く限りで最も痛烈な皮肉に違いない。

 投げ与えたコンボイの一部は、すでにネブラの犯した罪の証。己の盲目で永劫に失った道の先にだけあるものの欠片。その幻。

 だが、求めるものに辿り着く術を捨て去った事に、ネブラは気付かない。これは推測ではなく、事実だ。

(私は‥‥私には)

 マイスターは汚れ切った両手を僅かに広げて、表皮に走る無数の傷を見つめた。痛みはない。けれど、疼く感触は確かにある。

 私には今、触れられるこの手が付いている。愛するものを確認するための手が。アケロンに教えられた真理の源が。

 たったこれだけの現実が、なんて素晴らしいのだろう。

(私には、言葉以上のものがある)

 柔らかにコンボイの左手がマイスターの肩に触れ、振り向けた視線が互いの存在感を認めるように交わる。マイスターが見たのは、敬愛する上官の瞳に映る自分の顔だった。その眸が衒いなく緩む。

「行こう。もうここに私がいる意味は無くなった」

 不格好に短い右腕で綺麗にバランスを取りながら、コンボイは颯爽と踵を返す。マイスターは虚を突かれて、

「司令?彼を‥‥」

 置き去りにされたネブラと、アケロンの亡骸に歩み寄る背を見比べた。コンボイは左手一本で包み込むようにアケロンを掬い上げ、マイスターの問いを肩越しに殺すと、二度、首を横にする。それはコンボイらしからぬ、頑とした拒絶の表れだった。

「艦へ戻ったら、巡礼船の乗員は非常食と救命艇を与えて、全員をこの星へ降ろすように命じてくれ」

「まさか、捨て置かれるのですか?」

「‥‥マイスター、それは違う。この星こそが彼等の探していた〝聖地〟だ。どんな環境下であろうとな‥‥信仰を貫くのも捨てるのも、先を選ぶのは彼等だ」

 運が良ければ、と皮肉ではない幾ばくかの期待を込めて、コンボイは続けた。

「あの老人も仲間に救われて生き永らえるだろう。私の関知しない所で」

 何もない、砂に埋もれ行くだけの惑星で、既に消え去った予言者の影に縋って生きていくことが信仰の証だと言うなら、肩を寄せ合いながら慰めと励ましに凝り固まって過ごす彼等の気持ちなど永遠に理解できなくていい。そう願わずにいられない自分の中に、マイスターは確固たる己だけの火が盛るのを感じた。

 ネブラをこのまま置いていけば、いずれ新たな争いの種に変じるかもしれない。老人一人でなく、別の狂信者が‥‥信仰を捨ててこの星を出る弱者が‥‥コンボイはその身に未来の火の粉まで被るつもりでいるのだ。

 それはただ、コンボイ自身の正しさで。

 マイスターの足は砂を踏み分ける踵にありったけの力を満たして、巍然と歩むコンボイの背に向かい、砂塵に嬲られるネブラには一瞥も残さず進んでいった。

 老人が漏らす嘲りと歓喜の笑声が風に攫われ、完全に聴覚から引き離されても、マイスターの視線はコンボイの後ろ姿だけを見つめ続けた。

 

 

 10

 

 深く漆黒に切り込んだ断崖の底は、唸りを発して吹き上がる突風に遮られて見下ろすこともできず、絶えず流れ落ちて行く青と白の砂礫から出来る紗のコントラストだけが果てしなく何十キロと左右に伸びて、マイスターの内に滅びゆく惑星が見せる最期の美しさを実感させた。

 コンボイは、慎重に足を運んで崖の端に身を立たせると、地の底まで続く真っ暗な裂け目の上に、抱きかかえてきたアケロンの小さい骸を差し出す。するり、と風圧の伸ばした別の腕が抱き取るように骸が宙に飛び、 落下と言うには余りにも緩慢にアケロンはコンボイとマイスターの眼下に広がる闇へと吸い込まれ、消えた。

 アケロンの魂が最期に休んだ仮の肉体は決して彼自身ではなかったはずなのに、誰の目にも触れることのない闇で、ようやく少しは安楽に眠れるのだろうかとマイスターは想像し、胸の痛みに拳を作る。

 この次元に解き放たれた魂は、どこへ還るのだろう。できるならどこへも逝かずに、ここにいればいい。私達の中に。

「‥‥私を赦してくれ、アケロン」

 千切れた右腕に手を這わせて呟くコンボイの凛とした横顔に、マイスターは目を当てる。コンボイは指先に、飛び出した幾本ものチューブを絡ませながら、口を開ける爪先の闇に向かって告げた。

「私の犯す多くの罪は、私の命で必ず洗う。それを見届けてくれ‥‥頼む」

「司令‥‥――」

「マイスター、君にも頼む」

 ふと、コンボイはマイスターの狼狽した瞳を真っ直ぐに見返して、微かに笑んだ。

「君は妻を得、子を生し、家族を持て。そして愛する者達を守るために生きろ。アケロンと私にはできなかった、それが君への願いだ」

「‥‥私は‥‥」

「君にならプレシオスの鎖も解ける。そこへ至る答えは、もうあるだろう?」

 どんな理屈よりも雄弁に、自分を見据えるコンボイの瞳の奥にマトリクスと同じ清廉な蒼が浮かび、マイスターは一切の言葉を飲み込む。

 コンボイが、アケロンが、永遠に手に入れることの出来ない幸い。ネブラが求め得ようとした偉大な力の傍にいる限り、決して許されない人間らしい平凡な願い。

 愛すること、愛されること、その一念のために生き、守ること。

 こんな当たり前の現実が宇宙で最も尊い真理だと気付いている者が、どれだけいるのだろうか。コンボイが負う限りない贖罪にも気付かないで。

 それは、私も。

「誓います――必ず‥‥ッ」

 マイスターの声は半端に掠れて風に押し戻され、コンボイの元まで決意を運びはしなかったが、コンボイは静かに笑っただけで聞き返そうとはしなかった。

 マイスターは顔を上げて遥かな地平を望んだ。天地の境を失って交わるそこに、自分が生きて行くべき世界が連なった、紛れもない現実がある。

 タラリア、今すぐ飛んで帰って抱き締めたい。愛していると伝えたい。

 解けた鎖の両端に私と君がいて、いや、『不確かで愚か』な心を抱えて生きる人間がいて、初めてそれが完全な形を成すのなら。

 この想いに、何の遠慮がいるだろう。

 セイバートニウム金属の肌に弾ける砂礫の音階を聴きながら、マイスターはじっとコンボイが望む空の彼方に視線を投げて、敬愛すべき宇宙の雄がアケロンの死を悼む間、ただ無言でその傍らに付き随った。

 沈黙と静寂が死者を悼んで、二人の間に満ちるまで。

 

 

 意識に握った十指が予想外の軋みを立てて、はっとロディマスは、モニターの向こう側にある穏やかなマイスターの面に焦点を戻した。

 マイスターが、その一片の曇りもない温厚な眼差しの下にどんな事実を焼き付けた数日だったのか、ロディマスにはすべてを推し量ることもできない。それでも出会ってから今日まで、マイスターが多くの仲間に傾けてくれた思いは、いつも変わらなかった。それがどれほど貴く誇り高い感情から生じるものか、説明はいらない。

 ロディマスはそっと肩に添えられた手の感触から、傍らにいるウルトラマグナスの心の内を察して頷く。元よりロディマスは、マイスターがどんな言葉も必要としていないことを知っていた。

「感謝します。参与。よく‥‥お話しくださいました」

〈私も、お二人にお聞きいただいて良かった。今ならコンボイ司令もお許しくださいますでしょう〉

 艦に戻ったコンボイとマイスターはその後、ハウンド指揮の元、サウンドウェーブ率いるデストロン一隊の強襲に耐えた艦を不時着時の故障のように急遽偽装し、巡礼船との衝突の痕跡まで消して出立した。聖地を目指す盲目の信者達を不毛の砂の惑星エタ・ヴァーマに残して。

 それから十数年。だが半ば熱狂的な信奉者が集う『アケロンの使徒教団』は、かつての新興宗教一派と言うだけでない存在として依然、名を轟かせている。当時ブロードキャストが危惧した通り、宗教観念の稀薄なトランスフォーマー文化に深く根を張りつつある教団の実質指導者が、デストロンの脱走兵であるという事実も今や誰もが承知の事だった。

 あの老人が――ネブラが生きている。自らが殺したアケロンの名を戴き、捻じ曲げられた予言を説いて。

 コンボイの片腕を抱いて。

 拭い切れない怒りと恐れは、常にマイスターを苦しめた。

〈彼等はいつか、サイバトロンに大きな災いをもたらすやもしれない。ですが、ネブラに生き延びる道を残したのも、またコンボイ司令のご意思でした。もっとも、私が心配性に過ぎるのかもしれませんが〉

 苦笑するマイスターを擁護するように、ウルトラマグナスが首を振って制した。

「お話を伺って、参与が今回の事故に敏感にならざるを得なかった理由が分かりました。ご心配をおかけいたしました事、改めてお詫び申し上げます」

「参与、私からも!」

 首を垂れて謝意を表す副官の姿にロディマスまで子供のように意気込んで声を上げると、ウルトラマグナスは思わず呆れて頭を抱え、マイスターはその真っ正直な口調に微笑んだ。

〈ロディマス司令、無事のご帰還を祈っております。‥‥いつでも〉

「大丈夫。マグナスがいますから」

〈そうでした〉

 マトリクスを継承し、サイバトロンの頂点に立つロディマスも、コンボイやアケロンがそうだったように己自身の幸いを求めては生きられない道を決定付けられた、時代の贄。それでもロディマスが公平に人々へ注ぐ澄み渡った瞳の奥の灯の色が、コンボイのものと明らかに違うことを知った時、マイスターは嬉しかった。

 妻を得て、子を生し、家族を持つ。

 ロディマスはコンボイの願いで生まれる家族すべてを、自身の一部のように分け隔てなく愛してくれるだろう。愛することの本質を恐れない瞳で、この世界を照らし続ける限り。

 ネブラはコンボイをサイバトロンの王と呼んだ。今ロディマスの前に現れても、老人はこのマトリクス継承者を王と呼ぶだろうか。それとも拒絶し、憎悪するのだろうか。誰の教えも請わずに真理へ至る心の本質を、『愚かで不確か』な感情を受け入れて戸惑いながらも生きる総司令官を。

「参与、今回の事故に関しては、アセニアに戻り次第ご報告に伺います。日程に目処が立ちましたら、改めてご連絡いたしますが‥‥」

 マイスターはウルトラマグナスに告げられて、ああ、と慌てて手を振った。その顔が照れ臭そうに綻ぶ。

〈申し訳ありません。実は明日から休暇で、タイタンに帰るので〉

 躊躇なく「帰る」と口にしたマイスターの、むしろ誇らしげですらある相好にウルトラマグナスが中てられて苦笑し、ロディマスもつられて笑った。

「私達のせいでアセニアに引き留めたら、令夫人に恨まれますね。ただでさえ参与を激務に縛り付けて離さない軍にはお冠でしょう」

〈ご心配いただいて恐縮です、司令。ですが、()はむしろ私との今の暮らしを楽しんでおりますから、喧嘩にもなりません〉

「‥‥それは惚気ですか?」

〈そう聞こえたのなら〉

「そう聞こえました。羨ましいくらいに」

 マイスターは深く、まるで感謝するように綺麗な笑みを浮かべると、無駄のない仕草で敬礼を一つ作り、手短な辞去を述べて画面から姿を消した。

「なあ、マグナス」

 医務室の白い壁伝いに流れる艦の駆動音を聞きながら、ロディマスは沈黙したモニターに映り込む自身の顔を見つめて、問うた。

「私には、皆があんな風に笑える世界を作る手が、あるかな?」

「――あるとも」

 伸びてきたウルトラマグナスの大きな手が、コンソールで握られたロディマスの右手を強く包んだ。

「ここにある。参与と同じように、君には守るべき多くの人に触れられる手があるよ」

「‥‥そうか。うん、わかってる」

 そして、マトリクスの所有者である自分に課せられた使命の意味も。

 コンボイとアケロンがマイスターに望んだものを、自分も見ていたいとロディマスは素直に思った。叶うのなら、人々を繋ぐ環の一つになって。

「ロディマス」

 現実へ戻る扉を示すように鳴り出した艦橋からのコール音が、柔らかく呼ぶウルトラマグナスの声に重なり合い、ロディマスは彼方に彷徨わせていた瞳を力強く振り仰いだ。

 

 

 

《了》

 

 




ありがとうございました!
オリジナル設定だらけですが、感想などいただけると励みになります。

以下『時世』の用語解説ですので、併せてご覧くださいませ。

○用語解説○

【アケロンの使徒教団】
近年、超銀河団レベルで台頭してきた新興宗教の一派。アケロンとは素性不明の教団創始者で、現在は死亡している(とされる)。生前アケロンによって書かれたとされる預言書が経典となっており、その内容は、純潔を保持したままの死によって銀河の中心に座す女神の元へ回帰できるという内容であったが、いつからかそれが「身を二つにしない体を持つ」事とされ、男性及び出産を知らない女性のみが救われるという解釈に変じていった。TF世界において、その論理的でない教義は当初関心を浴びなかったが、教団に入った元デストロン兵の老人が「女神」をベクターシグマの分身であると唱えて、急速にTF間へ浸透した。

【カーゴ】
戦闘によって重傷を負い、本来の肉体が使用不可能な状態にまで陥った場合にのみ、ブレインサーキットやスパークを移し替えて使用する仮の肉体をカーゴと呼ぶ。多くは幼児体で、エネルギーの過剰放出を抑えるのが目的。素体(プロトフォーム)とは基本的に異なる。

【『銀河鉄道の夜』】
宮沢賢治著。少年ジョバンニが、親友カムパネルラと共に銀河鉄道で旅をする幻想童話。文中のコンボイの台詞は、初期形「ブルカニロ博士編」からの引用。

【鋼鉄族】
本来は無機物である金属素体の生命が、文明を持つまでに進化したものを総称して鋼鉄族といい、TFを含めて全宇宙に数種類確認されている。しかしながらセイバートロン星から派生したTF種が最も多く、また抜きん出た文化水準を持っているため、現在鋼鉄族と言えばTFの事を指す。また有機知性体が上位文明に昇華する段階で有機体を捨てて金属素体を選んだ場合は、鋼鉄族とは呼ばれない。

【サイバトロン宇宙軍】
900万年前、デストロンの前身である戦闘組織“アウター”の台頭に対抗して一般市民が組織した“インナー”という義勇軍が前身となって発展した軍事組織。現在では全宇宙の大部分を防護対象としている。

【サイバトロン宇宙軍総司令官】
サイバトロン全軍の統率指揮権を有する最高職。総司令官の任命は元老院の決定に拠るが、トランスフォーマーの叡智マトリクスを所有する者が総司令官たる資格を持つとされた。しかしロディマスコンボイがマトリクスを携えたまま羇旅に出たため、以降の総司令官はエネルゴン・マトリクスを必要に応じて使用するようになった。

【サイバトロン地球駐留軍】
地球暦1990年以降、10年に渡って地球に置かれた臨時本部が、メガトロンの太陽系撤退に伴って引き上げられた後、国連の要請によって配備された部隊。アメリカにある基地にはサイバトロン戦士の他、地球代表大使スパイクの一家が暮らしている。

【CRD(COSMIC RUST DEFENSER)】
未開惑星系や危険指定区域に降下する際、全身に宇宙サビ抗体薬を塗布することを指す。パーセプターの開発したサビストップを改良し大量精製できるようになってから、CRDの軍使用は規則事項となっている。

【“異界”(シード)】
セイバートロン星の地下には別次元への通路が数多く存在しており、それら別次元を総称して“異界”(シード)と呼ぶ。太古、一部がクインテッサの流刑地などに使用されていたことも知られるが、同一狭隘空間には理論上、二つ以上の次元孔が維持できないとされているのに、何故セイバートロン星に限って存在できるかは不明。また異界の向こう側からは通路を開けないと言う不文律もある。

【〝隻腕の剣士〟】
デストロンの伝説的剣豪、剣士バイロイトであると思われる。実在の人物かどうかは歴史上確かめられておらず、シックス一族の初代大主シックスクロウがモデルとも言われている。

【タラリア】
土星の衛星タイタンの民。以前は、偽の神を奉る一派に対抗するレジスタンスのリーダーだったが、現在は新しい邑の指導的立場にある。タイタン人の身体的特徴は地球人に酷似しているが、平均身長が2メートルと、やや大柄。

【デストロン宇宙軍】
破壊と殺戮を好み、全宇宙の支配を目的とする戦闘組織。その頂点に立つ者は破壊大帝の称号を持ち、全兵士を掌握する。しかしながら、メガトロン不在時の混乱から軍の内部は一部瓦解し、大量の遊軍と傭兵を生み出してしまった。

【基本遺伝子(データベース)】
個としての変形機構、色、形、声質、性向などを生体データに変換して保存している回路。通常それが二つないし二つ以上混合されたところで無作為に選定、次代の個(胎生)の基本遺伝子となる。ただしデストロンではこれの限りではなく、単相生殖が多い。また回路を凍結することによって避妊できる。

【“ナイト”】
名前の後に付ける事によってサイバトロン所属の戦士であることを表す称号。また一般人が「サー・ナイト(騎士様)」と呼びかけに使う場合があるが、これはサイバトロン戦士に対する敬称であると同時に、軍に属しない騎士かそれ以上の能力を有する者への敬称である。余談だが、デストロン兵士は一般に“ダークナイト”と呼称されるため、こういった呼び名は存在しない。

【認証シグナル】
軍属にある者が等しく発している信号電波で、サイバトロンとデストロンの波長が異なるために、視界不良の戦地や乱戦の中でも誤って友軍を攻撃する心配が無い(もっともデストロンはシグナル自体を無視することも多い)。またシグナルコードだけは簡単に変更が可能なため、間諜に従事する者は常に二種類のシグナルを持つことがある。

【プレシオスの鎖】
童話『銀河鉄道の夜』からの引用。解くのが困難な謎の比喩表現。聖書ヨブ記中の「プレアデスの鎖」と同義と言われる。

【プロトドール(機械奴隷)】
TFは誕生当初、鋼鉄族の中でも最低級のプロトドールと言う差別語で呼ばれていた。後にTF自体が「高商品」として知れ渡るにつれ、この言葉はTFの脱走奴隷を指すようになったが、言葉そのものが死語となった現在においても、ロボット生命体を受け入れない他種族の中にはこの侮蔑語を使う者達がいる。

【マトリクス】
“青い炎の核”と呼ばれた旧時代の遺物。あらゆる叡智、あらゆる事象を記憶した高エネルギー体で、代々サイバトロン総司令官に引き継がれてきた至宝。邪神ユニクロンを封じるための『鍵』として生まれた物質で、ベクターシグマの元で永い間主人に相応しい人間を待っていた。主人たる者が純粋に一つを望んだ時、それを完全叶える力を持っており、善にも悪にもなりうる魔の物質でもある。

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