「のうきん」の世界にやべー奴が現れたようです   作:Red October

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時間的には、「赤き誓い」が古竜たちから情報収集したり、古竜たちの角や爪に彫り物したりしている時ですね。
あちら(ティルス王国)では平和な時間が流れている一方、こちらでは大変なことに……



第3話 突然の襲撃

 オーブラム王国での調査から「赤き誓い」が帰還した翌日の早朝。処は、「赤き誓い」がいるティルス王国から見て南にある、アルバーン帝国東部沿岸部。

 アルバーン帝国の東岸にある港街カザンは、帝国内では帝都に次ぐ規模を持つ大都市であり、天然の良港を有することから、交易の中継拠点、漁業の拠点としても栄えていた。その一方で、この街はアルバーン帝国海軍最大の拠点でもあり、大規模な海軍戦力が駐留している。

 

 現代日本流の時間表現を使うなら午前5時頃のことである。

 まだアルバーン帝国海軍の主力艦隊に「総員起こし」もかからない時間帯であるが、既に起きて活動し始めている者たちもいる。それは例えば、艦隊司令部の夜間当直兵や、港の出入港管理局の職員。そして漁師だ。

 この時刻においては、漁師たちは既に木造の帆船を駆って沖へ出ており、めいめい好きなところで魚網を広げたり、釣り糸を垂らしたりする。仲間で連携して、大掛かりな網漁をする者もいる。

 

 さて、沖合で帆を畳んだ後、いつものように網を広げ、あるいは釣り針を(おもり)と一緒に糸につけて海に投げ込んでいた漁師たちであるが……漁を開始して30分も経とうかという頃、彼らは揃って不審感を抱いていた。昨日までは比較的多く魚がかかっていたのに、今日はあまりにも不漁なのである。

 魚だって生き物だ。その日の天候や海水の流れ、あるいは個体ごとの気紛れ等の理由から、不漁になることはよくある。だが、今回は出港する時点で良い風が吹き、空気の湿り気もちょうど良い具合であり、おまけに海面は凪いでいるという絶好の漁日和であったにも関わらず、どの船も一律に不漁なのだ。これはおかしい。

 朝焼けで赤く染まった海の上で、どの漁師たちも「今日は、この季節の割に少々蒸し暑いな」などと言い合いながら漁をしていたのであったが、この奇妙な事態を前にして全員が首を傾げていた。いったい何故、今日に限ってこんなに不漁なのか、と。

 

「……ん?」

 

 そんな中、ある船の上で手応えの感じられない魚網を引き上げていた漁師の1人が、あることに気付いたらしい。「おーい」と声を上げ、同じ船に乗っている仲間と船長を呼ぶ。呼びかけに応じて船長を含む3人の仲間が集まったところで、その漁師は魚網を手にしながら、訛りのある口調でこう尋ねた。

 

「なんか……いづもより海の水さ熱かねぇが?」

「なに?」

 

 言われた船長が、漁師から魚網を手渡される。そして魚網を見つめながら「ふむ……」と呟いて、仲間にそれを回した。手に持った漁師が、思わず叫ぶ。

 

「何だこりゃ!? この時期の海水はこんなに熱かねえはずだぞ!」

 

 そう、いつもなら冷たいはずの魚網は、熱を持っていたのである。魚網が自ら熱を発するなんてことはあり得ないから、可能性はただ1つ、海水温が高いということになる。

 不意に、どぼん、と水音が響いた。別の漁師が船の上から縄のついた桶を海に投げ込んだのだ。海水を汲んで船の上に桶を引き上げた漁師は、桶に手を突っ込むなり大声で叫ぶ。

 

「おい、こいつは明らかにおかしいぞ! みんな、ちょっとこれに手を入れてみろ! 今汲んだばかりの海水だ!」

 

 漁師が手を突っ込んだ海水は、ぬるま湯のような温度になっていたのだ。

 

「何だこれは!? まるで風呂の湯じゃねえか!」

「これは変だ。道理で魚がかからないはずだぜ!」

 

 魚という生物は、基本的に海水温の変化には敏感なものだ。海水温は大気温に比べて変化しにくい、という性質もあるのだが、海水温が1℃上がっただけでも海中の生態系はがらりと変わってしまう。そして、ぬるま湯の中で生きていられる海洋生物は、そうそういない。

 

 あちこちに散っていた漁船は、やがて1箇所に集まり始め、最終的に30隻程度の漁業船団となった。釣り糸を垂らしていた漁師も、魚網による漁を行っていた者も、あちこちの船の上で不審な声を上げ、互いの船上から大声で情報交換をしている。それによると、どうもこの辺一帯の海が全体的に温かくなっているらしい。

 

「こりゃあ……異常事態だ。だが、ワシらの手ではどうすることもできん。

ここにいても(らち)は明かぬ。皆、今日は一旦港に戻ろうではないか」

 

 漁師たちの中では最年長となる壮年の男性が臨時のリーダーとなり、船団は釣果ゼロで港へ引き上げることが決定された。まあ、こんな事態が発生すると予想しろ、という方が無茶な話なので、仕方ない。

 港へ引き返そうとして、漁師たちは次々と別のことに気付く。

 

「風が……止んだ?」

 

 1人の漁師の呟きは、この場にいる者たちが気付いた2つの事象の片方を物語っていた。

 風が止んだのだ。周囲には何とも表現しがたい生暖かい空気が淀んでおり、どうにも嫌な予感がする。

 そしてもう片方を、別の漁師が口にした。

 

「海鳥の声も……ない……」

 

 声がしないどころか、海鳥の姿そのものが見当たらない。漁師たちの頭上には、黒から青へ姿を変えつつある空と雲があるばかりである。

 

「なーんか、嫌な感じだな……」

「ああ、こりゃロクなことが起きそうにない。野郎ども仕方ない、今日は諦めて(けえ)るぞ!」

 

 その声を合図に、漁業船団を構成する大小30隻ほどの漁船は、一斉に舳先を翻してカザンの港へと戻り始めた。

 

 赤く染まる海を進む漁業船団。その海面に立つ波すらも物静かなものになっている。この季節なら、この辺りは比較的高い波が立つ日が多いというのに。ちなみに、この海は遠浅になっており、その水深はおよそ30メートル程度しかない。

 何か魚影でも通りはすまいかと、船縁から赤い海を覗き込んでいたある漁師は、不意に何かを見たように思った。

 

(……?)

 

 目を凝らし、赤い波の下をじっと見つめる漁師。よく見えないが、何かが確かに海中で動いたような気がする。それも、かなり大きなものが。

 

「どうした?」

 

 声をかけながら近寄ってくる仲間に、「いや、今海中で何か動くのが見えたような……」と言いながらも、漁師は海面を覗き込み続ける。その彼の視界に、海中で動くものが確かに映った。何か、赤く輝く物が見える。しかも、それが次第に大きくなり、明るさを増してくる。明らかに、海面に浮上してきているのだ。

 

「何か、来る!」

「は? 何かって、何……」

 

 漁師の叫びに反応して、もう1人の漁師が同じように覗き込もうとした、その瞬間。

 突如として彼らの視界は、一面真っ白に染め上げられた。そして全身に凄まじい衝撃をほんの一瞬だけ感じた。

 何が起こったのか……だが、その疑問を抱く前に、彼らの意識は闇の彼方に消え去っていた。

 

 

 船団の外周部分にいる船に乗っていた漁師たちは、その光景をはっきりと目撃した。

 突然、まったく突然に、船団のど真ん中で巨大な爆発が起こったのだ。それも2つ。今や異常なほど真っ赤に染まった海面が大きく弾けたかと思うと、強烈な衝撃波が全身を打ち据えた。大量の飛沫(しぶき)を伴って、太く真っ白な逆円錐形の水柱が2本そびえ立ち、それに混じって木屑も八方に飛び散る。爆発に巻き込まれた漁船が、一瞬で消し飛ばされたのだ。乗っていた船員や漁師たちは、おそらく何が起こったかも理解できぬまま死んでいっただろう。

 水柱が収まった時、彼らは異様な光景を見た。船団のど真ん中に、突如として3本の塔が出現したのだ。

 ……否。塔ではない。それは……あろうことか、一個の生物だった。

 

「何だアイツは!?」

「で、デケェ……!」

 

 漁師たちや船員たちから、口々に驚きの声が漏れる。

 この辺の海は、遠浅とはいえ水深は30メートルはある。だというのに、件の生物のうち海面から突き出た部分の高さは、どう見ても15〜20メートルはある。下半身が海面下に沈んだ状態でこの始末であるから、その巨体ぶりは容易に想像がつく。

 当初3本の塔だと思われたものは、真ん中の1つは生物の顔と長い首、そして胴体の一部であった。残りの2本は、生物の身体の背中から突き出たらしい巨大な翼である……が、そもそもどう見ても飛べそうにない。岩の塊を生やしたようであり、赤く光るラインが根本から先端に向けて走っている。そして翼の先端には巨大な穴が開いており、真っ赤に光っている。その真っ赤な大穴から、炎を纏った赤い塊がこぼれ落ちるように海面に落下した。

 落下した赤い塊は、海面に触れると同時に大きな音を発し、大量の飛沫を撒き散らして爆発する。しかし、赤い塊そのものは消失しておらず、なんと炎を纏ったまま海底へ沈んでいく。水中で火を燃やせる時点で、漁師たちにはもう驚きでしかない。この炎は、いったいどんな性質を持つというのか。

 

 ちなみに漁師たちは知る由もなかったが、この巨大生物こそ、1週間前(この世界基準。この世界では、1週間は6日とされている)にオーブラム王国中西部にて異世界より召喚され、邪神教団をほぼ壊滅に追いやった(つい)でに大規模な森林火災を発生させた竜らしき存在である。

 

「「「うあああああああぁぁぁ!!!」」」

 

 不意に、絹を裂くような悲鳴が漁師たちの鼓膜を震わせた。何事かと声のする方を見た漁師たちや船員たちが、その場で固まる。

 突如現れた巨大な生物、その(うなじ)の部分に1隻の漁船が乗り上げてしまっていた。運悪く、浮上してきた生物の真上にいて、空中高く持ち上げられてしまったのだ。

 いや、この時点で驚くより他にない。幾ら軍用帆船ではないし小さいとはいえ、そこそこの大きさの帆船1隻だ、その重さは尋常ではない。それを首1本で軽々と押し上げるとは、この生物の筋力は如何ばかりか。

 巨大生物がその首を完全に起こすと同時に、押し上げられてしまった漁船は生物の首から滑り落ち、約20メートルの高みから自由落下で海面へと叩きつけられた。当然、無事に済むはずもない。横転しながら落下してきた帆船は一撃でバラバラに壊れてしまった。そこへ、項に開いた真っ赤な大穴から噴き出た塊が、止めを刺すかのように船に落下する。塊は海面に落ちると同時に、爆発と見紛わんばかりの勢いで飛沫を噴き上げた。

 海面に落下した船は、この爆発によって完全に吹っ飛び、見るも無惨な姿で沈んでいく。乗っていた2人の船員と3人の漁師は……見当たらない。いや、1名海面に浮かんでいる姿が見えたが、よく見ると下半身がちぎれかけている。あれではもはや命はあるまい。

 

「に、逃げろーっ!」

 

 あまりに酷い仲間の死を前にして、固まってしまっていた漁師たちと船員たちだったが、しかし一部の者は何とか正気を取り戻した。そして必死で声を上げ、何とか帆に風を受けようとし、あるいは櫂を手にして死に物狂いで漕ぎ始める。

 そんな中、船団のど真ん中に突如として現れた巨大生物は、その長大な首をもたげるなり凄まじい咆哮を放った。

 

グオオオオオアアアアァァァーッ!!

 

 この世界における生物で咆哮を上げるのは、古竜を筆頭とする竜種であるが、その咆哮は通常の竜種(ドラゴン)のそれとは全く異なる。声量の大きさもさることながら、恐ろしく禍々しい響きが混じっているのだ。

 その声量は、人間に備えられた本能の1つ「恐怖」を否が応にも引き起こす。実際、咆哮を耳にした漁師たちや船員たちは、皆一様に同じ行動を取った。たとえ嵐の海だろうとどこだろうと船を出すほど豪胆なはずの海の男たちが、まるで怯える赤子のように目を固く閉じ、耳を塞いで蹲っている。そして男たちが咆哮に動けなくなっている間に、突然現れた巨大生物は両翼に走る赤いラインを眩く輝かせ、翼の先端から赤い液体を空に向けて噴火のように放ったのだ。

 空中に向かって放たれた赤い液体は、飛翔するうちに冷えていき、周囲の液体と結びついて赤い塊となる。そして打ち出された時の勢いを失うや、重力に引っ張られて自由落下していった。放たれた大量の液体は、空の高みで50個もの火炎弾とかし、天空から勢いよく落下してくる。そう、何とか咆哮の影響から立ち直った男たちが慌ただしく動き回っている、ほぼ無防備なままの漁業船団へと。

 次の瞬間、赤い地獄が海上に出現した。

 

どすっ!

どがぁーん!

ずどおぉぉぉん!!

「「「「「ぎゃあああああーー!!!」」」」」

 

 容赦無く空から降ってきた火炎弾は、かなりの高速で漁船へと突き刺さり、あるいは海面に落下する。海面に落下した火炎弾は、小型爆弾の炸裂にも匹敵する凄まじい爆発を起こし、衝撃波と飛沫を八方に撒き散らす。漁船に命中した火炎弾は、その威力を存分に解放した。マストが一撃で倒され、帆は瞬く間に炎の幕と化して甲板に落下し、甲板はあっという間に一面の火の海となる。身体に火が回った漁師や船員が、その火の海の中を転げ回り、息絶えていく。

 漁師や船員の中には、火から逃れようと海に飛び込む者もいた。が、これも悪手だった。

 

「「「あ、あづいいぃィィ!!!!」」」

 

 そう、海の水はぬるま湯どころか熱湯と化していたのである。海が赤くなっていたのは朝焼けの光を反射してのものではなく、熱せられたことによる赤熱だったのだ。

 海を煮立たせ、海面が真っ赤になるまで加熱する。口で言えば簡単なことのように思えるが、実際は桁外れにも程がある天変地異だ。

 例えば、地球の地上において熱い物質といえば、その代表例は火山から噴き出る溶岩だろう。今現在地球上に見られる溶岩、ひいてはその元となるマグマの温度は、およそ数百〜1,200℃。それが海に入るとどうなるかというと、溶岩は冷えて黒く固まってしまう。そして海底に堆積し、最終的には陸地になるのだ。

 しかし、この巨大生物は「海を真っ赤に染めて煮立たせる」という、溶岩にすらできないことを平然とやってのけているのだ。そこにシビれる……かは人次第だが、うp主はシビれないし、(あこが)れ以前に恐怖を感じる。

 そんな熱湯状態の海に、身一つで飛び込んでしまったのだ、どうなるかは想像がつくというもの。飛び込んだ漁師たちや船員たちは、熱湯で全身に大火傷を負い、もがき苦しみながら海水を掻いて岸まで泳ごうとした。しかしその甲斐もなく茹ってしまい、水中で熱中症まで起こして、1人また1人と動かなくなっていく。

 この瞬間、船員たちと漁師たちは理解した。この海で生き延びる方法はただ1つ、巨大生物の攻撃を船に乗ったまま避け続けることだ。船に直撃を受けてしまえば、その時点で死は確定となる。そうならないよう、死ぬ気で攻撃を避けなければならない。

 漁師たちも帆の操作や舵操作を手伝い、生き残った漁船は火炎弾の直撃により燃え上がる仲間の船を完全に見捨て、一心不乱に港へと船を走らせる。

 そんな人間たちの努力を嘲笑うかのように、巨大生物は徐に首をもたげた。その口内にはオレンジ色に輝く炎が満ちており、牙の間から炎が漏れている。

 次の瞬間、巨大生物の口から火球ブレスが1発発射された。ブレスの大きさはそれほどでもない、せいぜいDランクのハンターが使う「ファイアー・ボール」程度だ。だが、その弾速はAランクハンターの「ファイアー・ボール」すら凌ぐ超高速。おまけに、発射寸前まで1隻の漁船を追尾しているため、機動力が低く速度も遅い帆船にこのブレスを避けることはできなかった。

 着弾した火球ブレスは大きく爆発し、漁船は一瞬で火に包まれる。マストも帆も一撃で吹き飛び、火だるまとなって赤い海を漂流し始めた。火の回りも早く、船員たちや漁師たちが必死で桶に海水を汲んで消火に努めているが、焼け石に水でしかない。

 巨大生物はなおも、周囲にいる漁船めがけて火球ブレスを次々と発射する。威力が非常に高く、発射寸前まで獲物を追尾してくるという特性上、漁船には火球ブレスを避けることは到底できなかった。漁船は片っ端から直撃弾を受け、あるいは直撃をぎりぎりで回避したものの船縁の喫水線付近に被弾し、大穴を開けられてしまう。大穴を開けられた漁船はそこから浸水し、灼熱の海水を船内に飲み込んで被弾した側に傾き始めた。やがて、バリバリと木が裂ける音を発し、燃えながら横転して沈んでいく。

 船員たちの決死の回避行動も虚しく、漁業船団は急速にその数を減らしていき、巨大生物が出現して30分後には全滅していた。1隻残らず撃沈、あるいは航行不能にされていたのである。漁船の乗員たちおよそ120人は、その全員が未帰還となったのだった。

 

 だが、アルバーン帝国にとって、漁業船団の犠牲は決して無駄にはならなかった。

 この巨大生物は、その巨体ゆえにカザンの港からもよく見えていた。そのため、アルバーン帝国海軍・カザン軍港司令部は巨大生物の出現を目視で確認すると同時に、現在カザンに集結している海軍の全艦艇に対して緊急出撃を命令した。そして、漁業船団が蹂躙されている間に、艦隊は準備を完了し、出撃してきたというわけだ。つまり、漁業船団は巨大生物に蹂躙され全滅してしまったが、結果としてアルバーン帝国艦隊が出撃準備を整える時間を稼いだ、というわけだ。

 アルバーン帝国海軍の主力艦隊……弩弓(バリスタ)を装備したガレオン船150隻、ガレー船200隻、切り込み用の快速小型船200隻、総勢550隻という数は、周辺国の海軍力と比較しても頭一つ以上抜きん出た規模である。その艦隊が一斉に白い帆を広げ、全力出撃していく様は、世界制覇を果たしたアルバーン帝国の栄光を先取りしているかのようであった。

 

「全船戦闘配備! あの巨大生物をカザンに近づけるな! ここで倒し、海に沈めてやれ!

我々アルバーン帝国に楯突いたことを、海の底で後悔させてやるのだ!」

 

 一際大きなガレオン船の上で、司令官オッズが声を張り上げる。ガレオン船では完全武装の兵士たちが握り拳を突き上げて雄叫びを上げ、ガレー船は一斉に太鼓を打ち鳴らして士気の旺盛なることを示す。

 

「総勢550隻の一斉出撃……これは、アルバーン帝国海軍始まって以来初めてのことだ。これだけの数、強力なバリスタ、そして練度の高い兵士たち。如何に巨大生物といえど、我が海軍に敵うものではない!」

 

 敵意も露に、オッズは巨大生物を睨みつける。

 巨大生物も、艦隊の接近に気付いたらしい。徐に頭部をもたげると、海上に巨大な咆哮を轟かせた。

 

グオオオオオアアアアァァァーッ!!

 

 遠距離からでも、その声ははっきりと聞こえた。

 

(くそっ! これだけ離れていても、これほどはっきり聞こえるとは……!)

 

 オッズは以前、古竜の咆哮を聞いたことがある。

 そもそもアルバーン帝国という国にとって、古竜とは結構身近な存在だ。何しろ帝国の南東部、海岸近くの森の中に、「古竜の里」と呼ばれる古竜たちの住まうエリアがあるのだから。このため、帝国の住民の多くは古竜の咆哮には馴染みがある。それも軍人となれば、古竜の咆哮を聞く機会はなおさら多いのだ。

 そのオッズの経験に照らしても、今回の巨大生物の咆哮の声量は凄まじい。明らかに、古竜たちの咆哮を超える声量だ。だがそれだけではなく、禍々しい響きを多分に含んでいる。そしてその咆哮に接した瞬間、オッズの軍人としての勘が激しい警鐘を鳴らす。

 

(何だ、この不吉な感じは……!?)

 

 オッズがそう思った時。

 

 軍船が、爆ぜた。

 

 巨大生物が放った火球ブレスが、ガレー船の1隻を直撃したのだ。たった1発の火球ブレスではあったが、それは信じられないような大爆発を起こし、ガレー船の船首どころか船体前部を瞬時に粉々に粉砕した。

 爆発の余波でマストも帆も失い、ガレー船は見る間に速度を落とす。一瞬で1隻分の戦力が失われたのは大きい。

 ガレー船という船の戦闘方法は、接舷しての乗組員による白兵戦以外では、基本的に船首水線下に設けられた衝角(ラム)だ。それを船首ごと叩き潰されたのだから、ブレスの直撃を受けたガレー船の戦闘力は大きく損なわれたことになる。

 船首を失ったガレー船は、船内に大量の海水を飲み込み始め、大きく傾きながらよろめいて戦列を離れた。あれではもう、戦闘どころか港へ戻るのが精一杯だろう。そしてそのガレー船に、生物が放った2発目の火球ブレスが着弾した。

 目を焼き焦がすような爆発が収まった時には、ガレー船は燃え盛る残骸と化して赤い海面にその身を横たえている。既に船体の大半は海面下に没しており、どう考えても沈没を免れることはできない。

 そして空からは、焼けた木屑と人体の一部だったものがバラバラと降ってくる。

 

「う……うぇっ!」

 

 あまりに酷く、そして生々しい戦友の死を目撃し、兵士の中には吐き気を催す者も出る。

 

「怯むな! 1隻やられたとて、どうしたというのだ!

ガレー船と小型船はオールを構えて突撃! 奴の土手っ腹に風穴開けてやれ! ガレオン船はバリスタで援護しろ!」

 

 士気が下がりつつある部下たちを、オッズは大声で励ます。

 太鼓の音が鳴り渡り、ガレー船は舷側から突き出したオールをムカデの脚のように動かして、巨大生物へと突撃していく。帆を持たない小型船がそれに続く。ガレオン船も帆をいっぱいに張り、巨大生物へと迫っていく。

 と、巨大生物は再び咆哮を放った。

 

グオオオオオアアアアァァァーッ!!

 

 今度はただ吼えるだけではなく、両翼の先端から赤い液体を大量に打ち上げる。

 

「漁船を全滅させた、あの火炎弾の雨か! 全艦、空に注意しろ! 火が降ってくるぞ!」

 

 オッズは指示を飛ばす。数十秒後、上空から50個にも達する火炎弾が落下してきた。

 空から降ってくる、大量の火炎弾。アルバーン帝国艦隊の帆船は、何とかそれらを避けようとするが、機動力の低さ故に回避しきれず、次々と被弾していく。あるガレオン船は2発もの火炎弾を喰らい、マストを全て失って燃えながら漂流するばかりとなった。あるガレー船は、上空から落下した火炎弾が最上甲板を突き破って船内で炸裂し、一瞬にしてオールの漕ぎ手の大半を焼き殺されたばかりか、マストも同時に失った。またあるガレー船は、火炎弾を避けようとして周囲への注意が疎かになり、別のガレー船に船首をぶつけて喫水線下に大穴を開けてしまった。ある小型船は直撃こそ免れたものの、至近弾となった火炎弾が海面に落ちた時に発生した爆発により、木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「「「ぎゃああああーーー!!!!」」」

「助け……グシャッ」

「「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!」

 

 全身火だるまにされた兵が、絶鳴を放って倒れ伏す。燃えながら倒れてきたマストに潰される兵もいる。炎の塊と化した船から逃れるべく、海に飛び込む兵もいたが……海は既に灼熱の熱湯地獄となっており、飛び込んだ直後に断末魔の声が響き渡る。うっかり飛び込んだ兵士たちは、地獄の亡者のような凄絶な悲鳴を上げながら、茹だって死んでいった。重い金属製の武具を身に纏ったまま海に飛び込んだばっかりに、武具を脱ぐこともできず溺れ死んでいく者もいる。

 

「くそっ、なんて奴だ!」

 

 殺されていく部下たちを見ての悲しみ、そして何もできない無力感に、オッズは忌々しさをこめて吐き捨てた。そしてきっと巨大生物を睨む。

 火炎弾が海面にぶつかった際に大量の水蒸気が発生し、それが海から立ち上る湯気と混じり合って、視界は霧がかかったようになっている。その中に、例の巨大生物がぼんやりした影絵のように見えていた。その大きさは見上げんばかりになっている。

 と、その時。

 

「……え?」

 

 オッズは呟いた。というのも、巨大生物の影が突如として消えてしまったのである。

 

ざっばぁぁぁぁぁぁぁん!!!

 

 だが、直後に響いてきた滝のような水音により、オッズは事態を理解した。例の生物は海面に倒れ込んだらしい。

 と、いうことは。

 

「まずい!」

 

 オッズが叫んだ時には、遅すぎた。

 艦隊の前方に、背の低い赤い壁のようなものが迫ってきた、と思う間もなく、艦体が上下に激しく揺れる。巨大生物の倒れ込みによって大波が発生し、艦はそれに乗せられたのだ。

 艦体が比較的大きいガレー船は、上手く乗り越えているようだ。ガレオン船も大半は乗り越えているものの、一部が横合いから煽られて横転したようだ。激しい水音が聞こえる。そして小型船は片っ端から転覆し、海面に投げ出された兵士たちの絶叫が轟音に混じって聞こえる。

 大波による動揺が収まった時には、小型船の8割方が転覆し、役に立たなくなっていた。艦隊総数は約400隻にまで討ち減らされている。ほんのわずかな時間の間に、約4割の戦力が失われたのだ。

 

(我が艦隊が……世界最強を誇る我がアルバーン帝国海軍の主力艦隊が、これほどまでにあっさりやられるとは……!)

 

 歯軋りするオッズ。しかも、敵は今海中にその姿を消しており、手出しができない。艦隊の先頭にいるガレー船などは、敵の近くまで進出しているはずであるが。

 その瞬間、海上に鈍い爆発音と共に巨木のような太い水柱がそびえ立ち、1隻のガレー船が巻き込まれた。水柱が消えた時には、ガレー船は神隠しにでもあったように消え失せてしまっている。

 船がどうなったのかは、もはや考えるまでもない。おそらく、水中からの敵の攻撃を受け、粉微塵に粉砕されてしまったのだ。

 それを皮切りに、ガレー船やガレオン船が次々と水柱を突き立てられ、バラバラになって沈んでいく。敵の攻撃はどうやらブレスであるらしい。しかも、水中でも火を纏っているという訳の分からない代物だ。

 火は水をかけられると消えるのが普通だ。なのに何故、水中で火を燃やしたままにできる!?

 常識を超えた現象を見せつけられ、オッズの脳における情報処理は、既に限界に達しつつあった。

 

 嵐のように思われた巨大生物の攻撃は、しばらくの後に止んだ。だが、そのしばらくの間に、オッズの艦隊からは新たに10隻ほどの大型船が失われてしまった。一方的な攻撃を受け続け、損害を出し続けているため、兵たちの士気も低下している。

 しかも、障害となっているのはそれだけではない。海上からは尋常ならざる熱気が立ち込めており、そのため白兵戦に備えて重い金属製の防具を身につけていた兵士たちは、重装備で身を固めたのが仇となって熱中症に苦しめられる者が続出していた。

 

「敵はどこだ!」

「敵影、どこにも見当たりません!」

 

 額の汗を拭いながら叫ぶオッズに、マストによじ登っていた見張りが報告する。

 ただでさえ敵は海中に潜ってしまった上に、海上は湯気が立ち込めるわ陽炎が発生するわで視界が絶望的に悪い。さらに、血のように赤い海の色は、全体に黒っぽい敵の影をほぼ完全に押し隠してしまう。周囲の空気がひりついているから、敵が近くにいることは間違いないのだが……どこにいるのか皆目分からない。

 

「よく探せ! あんなデカブツだ、探せば見つけられる!」

 

 兵士たちに怒鳴りながら、自ら周囲を見回すオッズの耳に、ゴウゴウという不吉な音が響く。それは次第に大きくなり、下から聞こえてくるようにも感じられた。

 

「どこにいる……? まさか、艦隊の真下か!?」

 

 考えを口に出してオッズが叫んだ時。

 

 前方の海面が、大きく弾けた。

 

 現代の地球人がその光景を見たならば、核兵器の水中爆発の実験を連想するだろう。ビキニ環礁で行われたものなどを。

 鼓膜を突き破りそうな、もはや暴力とすら言える爆音が大気を震わせ、これまでに観測されたどんな水柱よりも太く高い水柱が、天を衝かんばかりに立ち上った。水柱に巻き込まれた軍船は、大小の別なく木っ端微塵に吹き飛び、乗っていた兵士たちはその場で戦死した。爆発の威力は凄まじく、爆発が起きた地点のすぐ近くにいた軍船は、強烈な衝撃波によってマストを薙ぎ倒され、直後に爆風と大波を受けて転覆する船が続出した。オッズの乗る船は大波を乗り切れたものの、甲板上に固定されていなかった木箱と(たる)が幾つか、海へと吹っ飛んだ。

 爆発の余韻が収まりきらないうちに、海上に白い水の壁が突き上がり、それを破るようにして巨大生物が姿を現す。それは、オッズがこれまでに見たどんな生物とも似ていなかった。

 水深が浅くなってきているせいだろう、巨大生物は肩の高さまでを海面上に露出させている。周囲では大量の白い水蒸気が発生していたが、折からの風がそれらを吹き飛ばし、生物の姿を見せていた。

 見上げるような巨体の上に細長い首を据え、全身を灼熱の花弁のような鱗と岩石のような甲殻で覆ったその姿は、竜種を彷彿とさせるものがあるが、しかし竜種とは異なる点がある。最も目立つ相違点はその翼だ。胴体から岩の塊を生やしたような形をしており、翼膜が見当たらないことから考えても、どう見ても飛行しそうにはない。また、翼の先端には赤赤と輝く大穴が開いており、胴体から先端に向かって赤いラインが走っている。そのラインは最終的に肩、もしくは海面のすぐ下にある胸と思しき部分にある赤い部分へと繋がっている。

 細長く扁平に伸びた首にも、同じような赤いラインが無数に走っており、項には横向きにぽっかりと開いた大穴が合計6つ、赤い光を放っている。そしてその先には、巨体には見合わぬ小さな頭があり、天に向かって生えた2本の角と目、そして多数の牙が生え揃った口がある。紅蓮に輝く双眼は、その燃えるような色とは裏腹に、絶対零度の眼光を以て周囲を(へい)(げい)している。

 その凶眼に真っ向から睨み据えられ、オッズの背中に鳥肌が立った。本能が「この生物と敵対してはならない」と恐怖を訴える。圧倒的に巨大な生命が放つプレッシャーと恐るべき力の前に、心が萎縮し、今にも背を向けて逃げ出したくなる。

 だが、ここで自分が真っ先に逃げ出してしまえば、残される部下たちを見殺しにすることになる。そんなことをすれば、軍法会議どころかその場で極刑となりかねない。それに、自分たちは精強なるアルバーン帝国海軍の主力艦隊だ。いわばこの世界のどこにも比肩し得る者のない、最強の海軍だ。その誇りに賭けて、負けるわけには行かない。

 幸いにして、生物はその図体の大きさ故に素早い行動は取れないようだ。熱ささえ我慢すれば、攻撃を当てることはできる。それならば、まだ勝機はある。

 本能を理性で打ち消し、オッズは命令を飛ばす。

 

「敵が姿を現したぞ、今がチャンスだ! 全艦攻撃、攻撃せよ! あいつを海の底に叩き沈めてやれ!」

 

 熱く熱された空気を震わせ、太鼓の音が鳴り渡る。それと同時に、旗艦のマストに「総攻撃」を意味する旗が掲げられた。いつの間にか海の色を反映したかのような(しゃく)(どう)(いろ)の雲が現れ、空を覆っていく中で、合図の旗がはためく。

 海上に太鼓を連打する音が何重にも重なって響き、ガレー船が機敏に動き出す。船首水線下に装備された衝角(ラム)をぶつけて、生物を攻撃するつもりなのだ。固い木を槍のような形状に削り、表面に鉄板を貼り付けて補強した衝角は、ぶつければ絶大な威力を発揮する。あの巨大生物にも、大ダメージを与えられるはずだ。バリスタも良い援護射撃になるだろう。

 また、船に乗り込んでいる兵士たちはその全員が優れた戦士でもある。剣や槍の扱いに長けているのだ。

 

 つまり、まだこれからだ。戦いはまだ、終わっていない。奴を倒し、帝国の歴史に新たな栄光を刻み込むのだ!

 

 オッズが決意を新たにした瞬間、

 

グオオオオオアアアアァァァーッ!!

 

 巨大生物が凄まじい咆哮を放った。その禍々しい響きを聞いた途端、オッズを含めてその場にいた全ての人間が一斉に同じ反応を示す。両手で耳を塞ぎ、身体を丸めて蹲ったのだ。中にはガタガタと震えている兵もいる。勇敢さでは誰にも引けを取らないはずの軍人が、まるで赤子のような反応を示しているのだ。

 アルバーン帝国軍人たちの視界を、真っ赤な光が照らし出す。巨大生物が、咆哮と同時に両翼をもたげ、その先端から赤い液体を空に向かって打ち上げたのだ。

 

「またあの攻撃だ! 炎の雨が降ってくるぞ! 何とかして躱せ!」

 

 オッズが命令を出した直後、燃え盛る赤い塊が次々と天空から降り注ぐ。広範囲に落下する数十個もの火炎弾の前に、アルバーン帝国の軍船は次々と破壊され、燃やされて行動不能、あるいは沈没した。

 しかも、空から降り注ぐ火炎弾とは別に、巨大生物自身も攻撃を仕掛けてくる。長い首をもたげ、口内に赤い炎を溜め込んだ後、赤い火球ブレスとして発射してくる。しかも、発射寸前まで目標を追尾してくるため、機動力の低い軍船がこれを避けるのは至難の技……というか、不可能であった。

 あるガレー船は真正面から巨大生物のブレスを受け、一撃で最上甲板の大半を引き剥がされた上、マストをへし折られてしまった。船上には激しい火災が発生しており、もはや攻撃どころではない。また、あるガレオン船は空から降ってきた火炎弾を避けようとして、巨大生物に狙われていることに気付けず、火炎弾は回避できたもののブレスで撃ち抜かれてしまった。マストが倒れ、船上を炎が席巻し、炎を背負った兵が甲板を転げ回る。今回の火炎弾落下と生物の攻撃だけで、新たに30隻もの船が戦列から失われた。

 だが、味方が犠牲になっている間に一部の軍船がどうにか射程内に巨大生物を捕捉し、反撃を開始した。巨大生物との距離を300メートルまで詰めたところで、ガレオン船が巨大生物に横腹を向け、バリスタから一斉に矢を放つ。発射された矢は、その大半が海面に落下したが、一部は見事に生物に命中した。翼や首元に矢が命中し、ぱっと火花が散る。その援護の下、ガレー船が真一文字に生物めがけて突進していった。

 巨大生物のブレスに撃ち抜かれ、炎上して動かなくなるガレー船もあったが、それでも何隻かは生物に肉薄していく。そしてついに、1隻のガレー船が生物に突っ込んだ。

 

ばきぃ!

 

 瞬間、くぐもった鈍い音が響く。そしてガレー船は船首を炎上させ、慌てたような動きで巨大生物から離れ始めた。いったい何があったのか……その答えは、航行不能となり燃え盛るガレー船からボートで脱出してきた兵士によって、明らかとなった。

 

「あの生物、クソ熱い上にどれだけ硬いんだ! ぶつかったこっちのラムが、バッキリへし折れちまったよ!」

 

 まさかの事態に、この話を聞いた全員が目が点になった。

 そう、なんとラムの方が壊れてしまったのである。ということは、あの巨大生物の全身を覆う甲殻は、鉄板を貼り付けて補強した木材よりも遥かに硬いということになる。これで、ラムアタックという方法は使えなくなった。

 しかも、巨大生物の周辺は尋常ならざる高温のようで、ゆらゆらと陽炎がゆらめいている。兵士たちの中には、この熱気によってまともに動けない者が続出し、接近戦闘も困難な者であることが判明した。また、船体を構成する木材も、その恐るべき熱のせいで自然発火しかねないらしい。これでは近接白兵戦という手段も使えない。

 そうなると、残った攻撃手段としてはただ1つ、遠距離攻撃しかない。つまり、船の上からバリスタや弓を使って矢を放ち、あるいは魔法で攻撃するのだ。

 大きな被害を出しながらも、事態の報告は伝令を乗せたボートによってどうにかオッズの元まで上げられた。それを聞いて、オッズは指示を飛ばす。

 

「かくなる上は、遠距離からちまちまやるしかないな。全船へ通達しろ、『バリスタや弓、魔法で遠距離から攻撃せよ』と!」

 

 旗と狼煙を使った信号によって命令が伝達され、艦隊は行動に移る。巨大生物の行手を遮るような形で半包囲の陣を敷いた後、一斉にバリスタと弓矢を射掛け、魔導士が攻撃魔法を放つ。

 現在の敵との距離はおよそ250メートル。本来、弓矢は届かない距離であるはずだが、魔導士が起こした風魔法によって弓矢の射程が延伸されている。そのため、強力な弦を張った弓ならば、巨大生物に何とか矢が届くようになっていた。

 熱風が吹く中、ガレー船やガレオン船から次々と雨のように放たれる大小の矢。それらは大半を外しつつも次々と巨大生物に命中している……が、硬質な音と火花を残して弾かれるものが多い。

 逆に、生物が放つ火球ブレスは一発ずつしか撃てないものの、その一発はほぼ必中であり、しかも狙った軍船を一撃で大破、もしくは轟沈に追い込んでしまう。地球においては旧日本軍の軍人が「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝る」という言葉を残しているが、まさにその言葉が体現されていた。巨大生物が火球ブレスを一発発射する度に、軍船が破壊され、兵士たちの命が消し飛ばされるのである。

 

「くそ、当たることは当たるがダメージが入っているようには見えない……! 何か、突破口はないか……っ?」

 

 炎上し、沈み行く味方のガレオン船を見て歯軋りしながら、オッズは呟く。このままでは損害を重ねるだけになりかねない。

 そこで、首尾よく矢が刺さった位置を観察したのだが……彼は気付いた。矢が刺さった位置は、体表に走る赤いラインの近辺に集中しているのだ。なるほど、あの生物の体温は尋常ならざる高いものである。そしておそらく、あの赤いラインこそが高い体温の原因となっているのだろう。そのラインの周辺だけ甲殻が柔らかくなっている、と見るべきか。

 矢が刺さった位置からは、細い煙がしゅうしゅうと噴き出ている。目を凝らすと、微かにだが赤い液体が流れ落ちているのも見えた。血液が流出しているのだと判断し、オッズは新たに命令を出した。

 

「全船に通達、『体表の赤いラインを狙え』と!」

「承知しました!」

 

 これで事態の突破口が見えた……オッズはそう思っていた。

 その瞬間、巨大生物が新たな動きを見せる。上体を軽くのけ反らせたのだ。

 攻撃によるダメージで怯んだと判断し、1隻のガレー船が正面から体当たりを仕掛けようとする。だが、生物は腕を軽く振り上げると、上体を海面に倒すようにして、突っ込んできたガレー船にパンチを浴びせた。

 瞬間、

 

どがぁーん!!

 

 どういうメカニズムなのか、振り下ろされた生物の腕から爆炎が迸る。たった1回のパンチでガレー船は文字通り木っ端微塵となり、あっという間に海上から消え去った。

 

「くそっ! あんな技まで持ってんのか……!」

 

 思わずオッズは叫んだ。そして同時に、改めて自分たちが何を相手にしているのか理解した。

 この巨大生物は、その巨体故に動きこそ鈍重であるが、それを補って余りあるとんでもない力を持っている。それも攻撃と防御の両面においてだ。

 攻撃力は言わずもがな、これまで嫌になるほど見せつけられている。あの巨体自体が武器となり、一度倒れ込めば船を容易に転覆させる大波を易々と引き起こす。腕をよく観察すると、そこには炎をそのまま凝固させたかのような鋭い爪があり、その威力は計り知れない。また、その口と両翼からは凄まじい量の炎を打ち出すことができ、その威力は大型の軍船であろうと一撃で屠るほどのものがある。

 防御面でも鉄壁と言っても良いものがあり、全身を覆う甲殻は岩のように頑丈で、スピードの乗ったガレー船の突撃すら通用しない。また、体温は異常と言い切れるほど高く、その身体から放つ熱気によってこちらの動きを制限してくる。

 そして最悪なことに、この巨大生物が持つ力はこれで全てではない可能性がある。何しろ海を真っ赤に染めて煮立たせているのだ。そんなことは、この世界の如何なる魔物の力を……例え古竜の力を借りようとも、できる訳がない。だというのに、この生物はたった一体でそれだけのことをやってのけた。いったいどれほどの力があるのか、想像もつかない。

 

(そんな相手と戦っているのか、我々は……)

 

 オッズは心が折れそうになるのを感じた。だが、ギリギリのところで踏み止まる。

 戦っている間にいつの間にか陸地との距離が詰まっており、巨大生物はカザンの目と鼻の先まで迫っている。それはつまり、自分たちが逃げ出せばカザンが蹂躙されてしまうことはまず間違いない、ということを意味する。

 アルバーン帝国軍人の名誉に賭けて、そんなことを許すわけにはいかない。そもそも自国最大の港街の前で、海軍主力が逃げ出すことなど許されるはずがない。選択肢など、()()から存在しないのだ。

 

「こうなった以上、数の力で押し潰すしかない!

全船、巨大生物に向けて突撃せよ! アルバーン帝国の意地を見せてやれ!」

 

 オッズは命じた。

 信号旗が掲げられ、太鼓が打ち鳴らされる。現在まで生き残っている艦はガレー船・ガレオン船合わせて200隻程度、それらの艦が一斉に動き出し、生物に向けてバリスタを撃ちかける。ガレー船の中には、肉薄して魔法と弓による一斉砲火を浴びせようとする艦もある。それに対して、巨大生物は巨体を大きくのけ反らせたかと思うと、前方に倒れ込んだ。

 倒れてきた巨体を避けることができず、前方に突出していたガレー船が2隻巻き込まれる。巨体に覆い被さられた2隻の船がどうなったかは、考えるまでもない。

 さらに、生物の巨体が倒れ込んだことで大波が発生する。もう水深も浅くなっていたため、船が転覆するほどの波が立たなかったのが幸いだ。が、これでホッとしていた兵士たちは、手痛い反撃を受けることになった。

 巨大生物は、水中にいるとは信じがたいほどの機動性を発揮し、這いずり移動だけで次々と軍船を轢き潰していく。バリスタや弓矢、攻撃魔法がほぼゼロ距離で飛んでくるが、それには委細構わず、船が密集しているところに突入して片っ端から破壊する。さらに、巨大生物が一歩踏み出す度に両翼や項の大穴から真っ赤な火炎弾が噴出し、ギリギリで巨大生物の突進を回避した軍船に命中、大火災を引き起こす。その突撃を回避して生き残っていた軍船には、超高速の火球ブレスが叩き込まれ、軍船は一撃で大破、航行不能となって燃えながら沈んでいく。

 アルバーン帝国艦隊は、その数を急速に減らしていった。しかも、巨大生物は歩幅が非常に大きく、ただの這いずりで数百メートルも移動してしまう。このため、機動力の低い帆船では追いかけることすら一苦労だ。

 艦隊を突破した巨大生物は、陸の方へ向かいかけて急に停止した。そこは陸上からの距離がまだ400メートルほどもあり、陸からのバリスタの迎撃が届くか届かないか、という地点だ。そこで巨大生物は急に身体を丸める。

 動きすぎて疲れたのか、と考えたオッズは、その考えが間違いであることを直後に悟った。生物の両翼に走る赤いラインは爛々と光り輝き、生物の身体は小刻みに震えている。それはまるで……

 

(まずい! 奴は大技を放とうとしている!

何としても、阻止しなければ……!)

 

 だが、軍船に素早い機動は不可能だ。帆船は、オッズにとってもどかしいほどノロノロとしか動かない。

 そうこうするうちに、生物は丸めていた身体を伸ばしはじめ……

 

 世界が、震えた。

 

 大気を大きく震わせ、抵抗しようとする心を粉々に打ち砕くような凄まじい咆哮を放つ巨大生物。その両翼は眩いばかりに輝き、これまでとは比較にならないほど大量の赤い液体を天空に向けて噴き上げる。10秒ほどの後、打ち上げられた液体は100個以上もあるのではないかと思うほどの、大量の火炎弾となって空から降ってきた。

 百雷のごとき轟音が周囲にこだまし、世界の全てが赤く燃え上がった。海上に生き残っていた艦隊は、炎の雨に打たれて凄まじい被害を出し、片端から轟沈していく。海面に投げ出された兵を待つ運命は、熱中症を原因とする溺死か焼死かの二択だ。

 また、火炎弾の一部は陸上にも落下し、カザン市街地や港湾施設を焼く。今頃市街地では、恐怖と混乱が渦を巻いているだろう。

 その光景を見せつけられながらも、しかしオッズには何もできない。ひたすらに、上空から降り注ぐ火炎弾を回避し続けるだけだ。一瞬でも油断すれば、そこには戦死しかない。

 火炎弾の落下がやっと収まった時、オッズには時間にして30分は経過したように感じられた。実際は5分も経っていなかったに違いない。そしてその刹那の間に、艦隊は文字通りに全滅し、オッズの旗艦しか残っていなかった。

 そのオッズの視界に、新たな物が映り込む。それは……

 

 

 

 

 

 

 こちらを睨み据える、巨大生物の絶対零度の眼差し。そしてその口に迸る、大量の青白い炎だった。

 

 

 その炎が巨大な球体状のブレスとして放たれる。それは、オッズの乗る旗艦をぴたりと照準していた。絶対に、外すことはない。

 目の前の光景が見えなくなり、その代わりにこれまでオッズが目にしてきた光景が次々と目に浮かぶ。小さい頃に見た光景も混じっていた。なるほど、これが「走馬灯」というものか。

 その光景を見たオッズの思いは、ただ1つだった。

 

(ああ……これは詰んだな)

 

 次の瞬間、彼の視界は一面の白光に包まれた。

 

 

アルバーン帝国海軍主力艦隊550隻、たった一体の生物の前に全滅。船1隻、兵士1人たりとも帰還すること能わず、文字通りの全滅を遂げた。

カザンの海の護りは、消滅したのである。




というわけで、どうやったのかは不明ながら、巨大生物はアルバーン帝国東部に突如として出現。朝っぱらからたった一体でアルバーン帝国の艦隊を殲滅し、港街カザンへと接近しつつある状態です。

やめて! 巨大生物の強力な火炎でカザンを焼き払われたら、カザン経由の交易ルートと繋がってる各国の経済まで燃え尽きちゃう!
お願い、滅びないでカザン! 今ここであんたが滅んだら、アルバーン帝国の栄光はどうなっちゃうの?
陸上戦力はまだ残ってる。ここを耐えれば、帝国軍の援軍が来てくれるんだから!
次回「カザン滅す」 デュエルスタンバイ!
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